'93 中央構造線サイクリング大会レポート

by 馬淵(前半) & 吉岡(後半)(投稿日:24 Sep 1993)


日程:1993/8/7(土)〜8/8(日)、8/9(月)(希望者のみ)
参加:花岡、岩田、万城目、吉岡、馬淵、大郷(初出)、今野、水田(初出)、萩原
コース概要:高遠−(秋葉街道)−南信濃村

 この大会は皆さんご存じの通り、花岡さんが企画した日本の真ん中を横切る大断層(長野県の中央構造線)をサイクリングしながら、自然と地域の人に触れるという目的で始まった大会で、村興しも兼ねて、今年で3年目にあたります。(毎回8月の2週めくらいの土、日だそうです)
 コースとしては高遠から秋葉街道(国道256線)を南下して大鹿村、上村を通過して南信濃村まで走り、宿は民宿か民泊(一般の農家に泊めて頂く)になります。イベントとしては信州の大会なので、途中に(杖突峠)−分杭峠−地蔵峠−(青崩峠)といった魅力的な(?)大きな峠が待ちかまえています。


1日目:8/7(土) 高遠−分杭峠−大鹿村  45 km
 *いきなりスタートに間に合わず!! 勝手に走らせてもらいます*
 予定としては、参加予定者は車で茅野まで行き、花岡車(花岡・岩田・吉岡・馬淵)と萩原車(萩原・万城目・今野)がJR輪行してきた水田を茅野駅で拾ってから、杖突峠を越えて高遠城跡のスタート地点に行くはずでした。
 ところが千葉からやってきた花岡車が都心の渋滞に何度も巻き込まれ(人間を一人ずつ拾っていったため)、サービスエリアで萩原車と落ち合ったのは2時間以上の遅れで、スタートには当然間に合いませんでした。人間を一ヶ所に集めて拾ってもらうべきでしたね。私も代々木駅でAM5:30から2時間近く待って、水田は散々駅で待った挙げ句、一人で杖突峠を越えてなんとか無理矢理、大会参加者として通過ポイント毎のジュースや食べ物にありつけたそうです。
 さて水田が駅に居ないことを確認してから、対突峠に車で向かい(時間的に自転車で登るのは無理だった)、走る人は峠から下りを楽しむことになりました。花岡車は花岡さんの弟さん(花岡さんそっくり!でも”さんま”にも似ている)に預けて、萩原車に萩原さんと私が乗って高遠城跡まで行くと高遠城のスタートゲートを解体中でした。当然受け付けも無いので、ゼッケンも無し。高遠城は高台にあるので自転車で先に走り出した人達は登って来ずに、スタート地点からスタートしたのは萩原さんと私と水田(あとから飽食:本名”大郷”も走っていたことが分かる)だけになった。
 城の下のコンビニで食料を買って、道路脇で(恥ずかしげもなく)腹ごしらえをして出発できたのが15:00少し前。スタート時刻は11時の予定なのでだれもいない。途中に通過ポイントの残骸を横目に見ながら、本来ならスタンプ帳にスタンプを押して食べ物ももらえるはずが、私達はただのサイクリストになって勝手に走らせてもらいました。途中の美和ダムが第一スタンプポイントらしいので取り敢えずダムの前で証拠写真を撮りました。ダムの横の山の壁面に大きなハイジの絵が描いてあるけど、どこかがおかしい、、、。なんとハイジと戯れているのはやぎのユキちゃんではなくて子鹿のバンビでした。
 分杭峠(1425m)を結構早いペースで登って(花岡さんが早いんだまたこれが)、しばし休憩。去年までは分杭峠が写真スポット(写真を撮ってくれてあとで送ってくれるらしい)と昼食ポイントだったらしい。それからも結構ハイピッチで走り、大鹿村役場前のゴール地点に着いたのは18:00ころでした。ここは次の日のスタート地点でもあります。テンパっている人もいくらかいました。
 花岡さんのツテで、今日の民泊する農家が釜沢に決まって(釜村さん宅)、まだ5−6キロ登った所にあるらしく減なりしていたら”女の人”だけは車で送ってもらえることになって、万城目さんと「女で良かったあ!!」と思わず喜びあいました。車に私達の自転車と”男の人”の荷物を積み、一足先に釜村さん宅へ。すごい急坂で本当に登らなくてよかった、、。急坂を登り次は谷底に向かって下ると山肌にへばりつくような形で、大きく古いまさに農家が建っていました。家の外の電灯の下で、炭火で大きな大きな岩魚(下の川で取れたもの)の串焼きや手作り五平餅が美味しそうに焼けていて、それを焼いているのが飽食(HUCC年目)と水田(5年目)でした。水田がいて安心したけど、飽食がいるのには驚いた。彼は個人で申し込み、ゴールで水田と会って同じ宿にしてもらったらしい。結局スタートから受け付けを正常に行ってゼッケンを付けてスタンプを押しながら美味しいものを食べながら走れたのは飽食だけだった。(余談ではあるが)あいかわらずバンダナをしてナイフを持っていた。
 ところでこの釜村さんちは由緒ある古い家で江戸時代に建てられたそうです。煙突の付いたストーブがあって蚕の養殖もしていて、村の宝の古い刀剣を見せてもらえました。次々と焼肉や手打ちそばが出てきて飽食(お腹いっぱい)状態。もちろんビール、お酒もたくさん出てきました。広い部屋に雑魚寝で(布団はあったけれど)なんかツアーのような気分がしました。これで6000円とは安い。元々民泊を使うようになった目的は、民宿ではサイクリング大会の人数が賄えないためだそうですが、民泊は地域の人とお話しもできるし、料理もその土地のものが新鮮で豊富なので毎年好評だそうです。長野のこの地域はヨソものでも受け入れてくれる土地柄というのも民泊がうまくいった理由だそうです。


2日目:8/8(日):大鹿村−地蔵峠−上村  52 km
 *最後尾はつらいのだ*
 天気は悪くカッパを着てスタート。釜村さんちからは飽食と水田は車でスタート地点まで送ってもらい(”きちん”とゴールした人はゴール地点に自転車を預けて民泊地まで送ってもらえるという待遇)、昨日勝手に走った私たちは急坂を登って下ってスタート地点へ。やっと仲間(他の参加者)をいっぱい見たのも束の間で、また最後の出発になってしまった。花岡さんは顔が広くどこにいってもと呼び止められて挨拶まわりに忙しい。その間にきちんと受け付けしてゼッケンとサイクリング手帳(スタンプ手帳)を貰いました。
 今大会は2日間で200人弱が参加したそうで、義務つけられたヘルメットは大体が被っていたようです。(私とDAZは花岡さんのツテで買いました。8000円強)無い人は土方ヘルを貸してもらえます。飽食と水田と岩田さんは土方ヘルでした。
 走り出してすぐに、コースを外れて昨日の第5スタンプポイントの『中央構造線博物館』に寄る。ここは7月30日にオープンしたばかりの中央構造線に関する情報が詰まっている建物で、断層の模型や、実際に現地から断層を剥ぎとってきた断層断面図が圧巻です。またもや、のんびりしすぎて通過ポイントのclose時間ぎりぎりになって、急いで走り出す羽目に。万城目さんと岩田さんともはぐれてしまいました。
 本コースに戻って走りだし、第一スタンプポイントの地蔵峠の下にcloseギリギリで到着。ここからは急なダートもあって辛い登りが始まり、回収車(4WDとトラック)が私の後ろにぴったり付いてきて(まさに自転車の車間距離で!)、気分的にかなり疲れました。昨日の水田の気持ちがよくわかる。車のドライバーにお願いして少し離れて走ってもらい、押しも混ぜてなんとか地蔵峠の手前にたどり着き、道端で焼肉をやってたので残り物をついばんで(もう少ししか無かった)前進。スタンプポイント毎に水や、ポカリをガブ飲みしてバナナを食べながら(お腹タプタプ)、地蔵峠(1420m)の看板らしきものは無くて一気に下ってしまう。途中で万城目さんと岩田さんにも会えた。
 第三スタンプポイントの矢筈トンネルで記念撮影ポイントがあり、さらに下った上村の栗下デーサービスセンター(第四スタンプポイント)でけんちん汁とおにぎりの昼食。第五スタンプポイント(和田城下)でお団子を食べて、今日輪行して帰る人がいたので電車の時間が気になり、第六スタンプポイント(やまめ荘:庭の奇麗な宿泊施設)をパスしてゴールへ急ぐ。
 南信濃村の建築事務所前にゴールすると同時にDAZと万城目さんの自転車を皆でよってたかってばらし、一気に車に載せて駅まで送ってもらった(花岡さんのツテで)。10分とかからなかったような気がする。第六スタンプポイントを回ってきた飽食と、萩原さんもバス輪行の為に自転車を解体してお別れした。参加賞として記念の湯飲みをもらった。(ただ、かさばるも物はちょっと)
 残された私達(花岡さん、岩田さん、吉岡さん、水田、私)は自転車を車庫に置かせてもらって、本日の宿:下栗(しもぐり)村の民宿まで車で送って頂いた。ここは昨日の釜沢よりもかなり上にあって、自転車だったら2時間はゆうにかかる距離と坂で、本当にありがたかった。
下栗も奥深い山の中の山肌にへばり付いている村で、秘境の雰囲気が漂っている。本当なら宿の目前に、大きく見えるはずの南アルプスが雲の中だったのはちょっと残念だったけれどとても良いところです。車で送ってくれた村の人と一緒に民宿で夕食(鹿肉の刺し身や、焼肉、手製のそば)を食べたり、飲んだりしながら伝統のある下栗の祭りの話しをたくさん聞けた。話しの途中で吉岡さんは(毎度のことながら)すっかり寝てしまっていた。


3日目:8/9(月):上村−青崩峠−水窪  多分30 km位
 *道無き峠は自然がいっぱい*
 昨日のゴール地点まで車で送ってもらってSTART。
 初めに昨日見れなかったやまめ荘を見てから、今日の目標である青崩峠に向かう。標高が400m位から1040mまで上がるので結構な登りである。おまけにこの峠は国道が途中で途切れて(それともつながってるのかな?)山道の”遊歩道”になってからまた国道が始まる、、、というユニークな峠です。
(ここからは吉岡が書きます)
 南信濃から水窪までは青崩峠とヒョー越の2つの峠がある。ヒョー越の近くではトンネル工事の最中で、狭い道をトラックが何台か追い越していったけれど、ヒョー越の分岐をすぎると 車はほとんどなくなり、後はジャリジャリのダートになった。馬淵は全押しで国道の行き止まり(林業の作業小屋前)までたどり着いた。そこからは狭い土手を上がることになり、自転車は完全に乗れなくなった。道はまさに登山道で、二人並んでは歩けないほど。岩ゴロゴロの沢を渡ったところに、古めかしい青崩神社があり、ここで記念撮影。神社から先は九十九折りの道をひたすら高度をかせいで峠へ。途中、板張りの歩道になったりして歩く道としてはかなり整備されているけれども、自転車を担いでいては皆苦労していた。なかでもサイドバックを付けてさらにザックを背負った水田が辛いところだけれど、意外と元気でさくさくと登ってしまった。
 峠は切り通しになっていてなかなかの雰囲気。北にはこれまで走ってきた秋葉街道の谷筋、南には水窪に通じる谷が見渡せる。博物館で習ったとおり、断層による谷はカーブが無くて展望がきく。みんな喜んで写真撮りまくり。わざわざ下って、担いでいる姿を撮ったりした。ふと気がつくと、馬淵の足に枯れ葉みたいなものがくっついている。よくよく見るとヒル。町のヒルは緑色だけど、山ビルは茶色ぽくて、でかい。馬子に教えてあげると悲鳴をあげて払いのけようとする。2、3回払いのけるとやっととれた。ふっとんだヒルは行方不明、みんなもっとよく見たかったとちょっと残念そう。
 下りも、しばらくは担ぎでなければ進めない道だったけれど、登りよりは短い距離で車道に出ることができた。みんな担ぎにはうんざりしていたのでダートの下りを楽しもうとサドルにまたがる。道は相変わらず九十九折り、下りはじめて2つめか3つめのカーブを曲がったところで突然の崖崩れ、トップを走っていた水田は危うく倒木に激突するところだった、とはサブトップだった岩田さんの弁。
 ダートが終わるとコンクリート舗装の道になったが、これが10%以上の勾配で、路面にはスリップ止めの凸凹がつけてある。ここを下るのは、ほとんど拷問に等しい。何しろブレーキをかけっぱなしでないとまともに下れない上に、凸凹のせいで手が痺れて握力が無くなってきてしまうのだ。道がアスファルトになって勾配が緩くなるまで10分以上、ブレーキのかけすぎでリムが熱くなり、触ると火傷しそうだ。
 水窪まではひたすら下る、きょう登った分よりも下りのほうがはるかに多い。水窪で昼食後、飯田線で花岡さんの実家のある岡谷まで輪行。飯田線には皇太子妃と同名で有名になった「小和田駅」があり、短い停車時間でもホームに降りて記念撮影をする人がいる。すかさず我々も記念撮影、馬淵がホームに降りてしっかり写真に収まった。  車内に持ち込んだビールを飲み干したらあとはひたすら爆睡あるのみ。車内では結構混んできたのにもかかわらず、水田の隣の座席には誰も座らなかった。(何故かというと、彼は一回もTシャツを変えなかったので汗臭くて、、。)
 岡谷駅で松本まで行く水田(これからツアーに行く)を見送って、花岡さんのお宅へお邪魔する。お風呂を頂いて、鰻丼にお寿司の夕食を御馳走になる。それにしても花岡家の人々には大変お世話になりました。ここからは車で東京へ向かう。意外とすいていた中央高速を飛ばして無事帰京。皆さん本当にお疲れ様でした。また来年を楽しみにしましょう。