'94 晩秋の信州峠越え

by 平野 直樹(投稿日:27 Dec 1994)


期間:1994/11/25(金)〜11/27(日)
参加:平野直樹・香利(こいやん)
コース:穴山−増富温泉−信州峠−清里−小淵沢

Map, Click to Popup 442 356 <久々のこいやん企画>
 秋もかなり深まった11月、そろそろ今年の走り収めをしようという気分にさせる天気が続き、寒いのを承知でどこか峠を攻めてみようという話になった。なにかとアウトドアの話になると私が仕切ってしまい、こいやんはついてくるだけのパターンが多かったが、たまには会社の企画ばかり作ってないでふたりのための企画も作ってよ・・・ということで今回はルート選びから宿の選択まで彼女が担当することとなった。


1日目:一面の星空を仰ぎ見ながら
 予定では、こいやんが金曜目の午前中で会社を終わり(私は全休)、三鷹駅から中央線で穴山駅まで輪行、そこから600mアップの増富ラジウム温泉まで可能なかぎり早く、その日のうちに着く…という筋書きであった。
 ところがどっこい、秋の陽はつるべ落とし。特急かいじ号との接続が悪かったりで穴山駅に着いた時には既に真っ暗。いきなりナイトランとなってしまった。先頭を行く私は単三2本の小さなライトだけで勘を頼りに走り、後ろのこいやんは背中側に何の反射板もなく、前輪につけたライトの赤く光るおしりだけが後方への唯一の表示という、全く心細い状態であった。とりあえず、私の方の赤い反射板をこいやんの方に移して安全を確保し、こんな時間のこんなところに自転車がいるわきやないと思って飛ばしてくる自動車対策とした。
 いつものことながら、自動車とは敵対関係でしか道を走れない。少しはこっちを思いやってスピードを落とすとか避けて通って行くとか出来ないものか。追い越していったと思ったらいきなり道端に急停車するし…あ〜じゃまだ、こんちきしよ〜、こっちは登りでつらいんだかんな〜と、追い抜こうとした軽トラの窓があいておっさんが何かしやべっている。「どこまでいくんだね〜」「あ〜まふとみおんへんっす」(顔が凍えていて、うまくしやべれない)「…まだまだ遠いよ、乗っけてってやろうか?」 (…『乗っけてってやろううか』って、うちらは自転車に乗って目的地に行くためにここにいるんだぜ。ここで乗っけてもらったら何しに来たんだかわからんじやないか!さっき走り始めたばかりだし。)と、芯まで冷えきった頭で思った。思ったものの、芯まで冷えきった体の方はその誘いを拒むほどタフではなかった。5秒かそこら間があった。一応「どうしよう」と、こいやんの意志を確認しつつ、乗せてもらうことで腹はくくっていた。「どうしようか…」とこいやん。すかさず「んじや、乗っけてもらおうか」と断を下し、荷台に乗せて(人、車とも)もらった。
 100kg近い荷物を乗せた軽トラは、3速以上にシフトアップすることなく(できなく)坂をぐんぐん登る。荷台に巻き込む風を避けるために運転席の後ろに背中をつけ、後ろ向きに座った私たちの左は深い谷、右は切り立った崖が飛ぶように過ぎていく。街燈などの明かりのひとつもない急な峠道。とてもじやないが、この道をあのまま自転車で登っていたら今晩中に宿にたどりつけたかどうか保証のかぎりではかった…、そんな思いがお互いの顔にあらわれていた。
 空は一面冴えわたり、西の方に陣取る夏の終わりの星座と、これから主役として登場するおなじみの冬の星座が東の方にきらめいていた。ふたり右に左に揺られながら、じっとその星空に見入っていた。  結局、宿のまん前まで送ってもらい、私達はさっそく冷えた体を暖めるために温泉へと向かったのであった。


2日目:澄み切った秋空のなかを峠越え
 咋目の晩にはいった増富温泉は、実は低温の温泉で約37℃。なかなか体温が復活せずに困ったが、美味しく量も十分な晩ごはんでようやく元気を取り戻すことができた。今日こそはちゃんと自転車に乗って峠越えをするのだ。標高差約400m、どんなにきつくてもいつかは登りきるのだし、そこから先清里までは下りばかり(のはず)である。大丈夫、大丈夫…と心を奮い立たせ、体が冷える前に出発。
 このあたりの紅葉シーズンは1ケ月前、10月末あたりだと宿のおばさんが話してくれた。今では葉もほとんど落ち、見通しがよくなった木々の間から落葉のじゆうたんがよく見える。行き交う車もほとんどなく、静かな、そしてのどかな峠越えとなった。途中、勾配のきつさにこいやんが押しになり、『27歳にして初めて越えられない峠に出くわしたかと思った』ものの、その一部分以外をこぎ通し、無事峠に着くことができた。
 峠に車で来ていた人たちと少し話した後、簡単な昼飯を食べて清里へ向かう。ここからの下りが今回のランで一番つらかったかも知れない。身を切るような寒さを突っ切って下るうちに、指先の感覚はなくなる、ジャージを通して冷気が足を凍えさせる、おでこはかき氷を急いで食べた時のようにキンキン痛くなるで、思わずブレーキをかけてスピードを落とさざるを得なくなってしまうのであった。何で登りで苦労した上に下りでこんな思いをせにやならんのだ…と、鼻水をすすりながら野辺山の駅まで下り降りていった。途中、こいやんがハンガーノックになりかけてスローダウンしたが、この寒さじや体温維持とこぐのにかなりのエネルギーを消費するから無理もないわ。
 清里には明るいうちに到着。時間つぶしに「丘の上公園」なる場所まで行ってみた(寒いんだからやめときやいいのに)。結局そこにはゲートボール場とサッカー場、それに芝生しかなく、私達は何もすることなく戻るしかなかったのである。本目の宿、伊予ロッジは、こいやんが観光局に紹介してもらう時に「静かなところ」という条件で探してもらったところのひとつである。ほかにあたった宿からも勧められただけに、期待は大きかった。


3日目:飽食、そして帰路へ
 清里に温泉はない。そうなると残った楽しみは一つ、晩ごはんに集中する。この宿は母屋を来年夏の観光シーズンに向けて改築中で、足場が組まれ鉄筋が林立している様はビルの工事現場のようである。その脇に2階建の宿泊棟と、少し離れて食堂の棟がある。
 とにかく今日は時問に余裕が出来てしまい手持ち無沙汰だったので、行動が前倒しになりがちだ。6時30分から食事だというのに、20分頃には食堂に出向き(出向くしかやることがなく)食事の準備をしているオーナー夫妻と、手伝いの娘さん(最近結婚して、近所に住んでいるとのこと)の動きを見るでもなく眺めていた。20分ぐらい待って食事開始。最初にテーブルに並んでいた料理はブリの照り焼き、里芋・高野どうふなどの煮物、あと小鉢が幾つか程度…(ま、そばにコンビニもあったし、足りなかったら夜食の買出しにでも行くか)と多少がっかり。こいやんの顔にも落胆の表情がみてとれる。だが、わたしたちは間違っていた。食事をしている最中に次々と料理が運ばれてくるのだ。先陣を切ったのがキムチ鍋。これがおいしく、「こりやあいけますよ!」なんて褒めていてら、「今、お肉焼いたの出るからね〜」「フライも来るからね〜」と、次々料理が出てきて、テーブルの上の皿は最初の数の3倍ぐらいになっていた。「ちっちゃいけど、そばも行くよ〜」。ち、ちょっと待て、いくら何でもこれは体育会系底なし胃袋学生相手の量だぞ。一般民宿の常識では考えられない量だ。
 「出されたものは残さず食べることが礼儀」と教え続けられてきた私は何とか食いきった。しかし、デザートとして出された柿2個(こいやんの分も合わせて)はその場では手が出なく、部屋へお持ち帰りとせざるをえなかった。昼飯が遅かったせいもあるが、本当にすごい量であった。
 その晩、足の先から喉のぎりぎりまで満腹状態のまま苦しみ悶えながらも、峠を無事越えた満足感から心地よい眠りに落ちた。
 翌朝、霜だと思っていた地面の白いものが実は雪だと教えられたが少しも動ぜず、そこより標高の高い八ケ岳高原道路経由(有料道路なのだが、終点の料金所でしっかり1台分30円を徴集された。)で小淵沢駅へ。駅前の弁当屋で買った弁当を車内に持ち込み、満ち足りた気分で帰路についたのであった。