2000年 イタリアツアー(第1回イタリアOBラン)

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by DAZ & あこ(投稿日:13 Feb 2001)

日程:2000/8/26(土)〜9/3(日)
参加:GOKI、DAZ(Aチーム)、あこ、あねご、万城目(Bチーム)、
   あすか、へげ(Cチーム)、駒井夫妻(Dチーム)、野崎

コース概要:北イタリア
   =Venezia=Montegrotto−Padova−Torri del Garda−Torbole−Madonna di Campiglio
   −Bormio−Peschiera=Montegrotto=Venezia=
   (ただし、Aチームのコース。BチームはMadonna di Campiglioで連泊後、観光。
    CチームはTorboleからDolomiti観光登山へ。DチームはPeschieraから合流。)

Map, Click to Popup **** はじめに ****
 イタリアランの計画が持ち上がったのは、1999年GWの九州ラン(GOKIさん、あこ、DAZ)の時だったと思います。大分県筋湯の宿で、GOKIさんとDAZが「体力・気力の有るうちに、欧州の峠を攻めるサイクリングに出かけよう。ついてはメンバーは厳選して...。場所は、イタリアかフランスで...。」などとボソボソ話していると、横にいたあこが「えーっ、イタリア?私も行きまっす!サイクリングばっかりはやだから観光チームを作って行く!」というようなことになり、ここから話が始まったのではないでしょうか。

 ちょうどそのころ大先輩の野崎さんがイタリアに赴任されたということもあって、野崎さん、それからドイツ在住OGの大町さんに御相談したところから、夢のような計画が現実の話となっていったのでした。お二人のアイデアと膨大な現地情報(下見も何度もしていただいた)、予約/手配作業、そしてリーダーGOKIさんの熱意と綿密な仕事が牽引車となり、「GOKIさんとあねごの新婚旅行の後半部分をイタリアサイクリングにして、そこに他のメンバーが合流する」という形で、ついにイタリアの旅が実現したのでした。この御三方にまず、大感謝いたします!

 野崎さんのレポートはこちら(G記)


1日目:8/26(土) 横浜=成田=FRANKFURT=VENEZIA=MONTEGROTTO 晴れ、暑い
 朝10:20成田発の飛行機に乗るので、6時に鶴見の家を出発して横浜YCATからリムジンバスにて空港へ向かう。輪行袋は前もってあこが空港まで宅急便で送ってくれたので楽に移動できた。ちなみに佐川急便(スカイポータ)で送ったのだが、先に電話したヤマト便では「自転車は不可」と断られたのでした。LHのカウンタ前で万城目さんと合流し、朝食をとり早々に搭乗口へ。遅れも無く予定通りLH711便にてフランクフルトへ出発、約11時間のフライトとなる。機中では、三人ともイタリア語の本などで予習に余念がありませんでした。

 フランクフルトでは2時間ほどの乗り継ぎ待ちのあとベネチア行きに乗り換えである。コーヒー飲んだり店をのぞいたりして時間つぶし、そろそろ搭乗口に行くかねえ、というところで、あこがボーディングパスの後ろに挟んである航空券を落としたことが判明した。(成田空港ですでに、フランクフルト→ベネチアの便にもチェックインして席を決めボーディングパスが発行されているのだが、その裏に航空券をちぎったのが挟み込まれていますよね。あれを無くした。)べつに大丈夫かな?とも思いつつ搭乗口の人に説明したら、さっと時計を見て(出発時刻の20分ほど前だった)、「大変だ〜!!」ということになって、いったん出発ゲートの外にあるルフトハンザ航空カウンターまで連れて行かれて、本当にどこにも無いかもう一度良く確認しろ、といわれたので探したがやはり見つからず、搭乗口の人とカウンタの人とが何か話をしたかと思うと航空券再発行手続きが猛スピードで始まった。カウンターの女性二人(まじめなドイツ人というイメージぴったりのまじめそうな外見)がコンピュータへの入力と書類作成をてきぱきと、しかし全く余裕が無い感じでしゃーっと作り上げ、再発行手数料60ドル支払いと書類へのサインを言われるがままに行い、航空券をもらって、「すぐ行け〜っ!!」といわれて搭乗ゲートへ走って向かった。持ち込み手荷物検査を再度通って時間ぎりぎりで飛び乗ったのでした。席についてから、あ〜びっくりした、やれやれと言いながらさっきサインした書類を見ると、「落とした航空券が他の人に払い戻されたり不正に使用された場合には全額弁償します云々」と書いてあって、あこはちょっとブルーになっていた。まあ格安航空券(それも半券)は払い戻しできないし、まして空港内で落としたんだからそういうことはありえないよ、無事乗れたんだし良かったじゃないかと話してもまだ気分が晴れないようであったが、機内軽食のサンドイッチがうまかったので機嫌を直したようであった。

 さて2時間ほどでついにベネチア到着(18:10)、パスポートコントロールも荷物チェックも何も無く、ゲートを出るともう野崎さんが待っていて手を振ってくれた。ベネチアは18時でもまだスカッと明るい青空あった。空港で両替を済ませて野崎さんの車に乗り、モンテグロットへ向かう。途中で携帯電話がなった、と野崎さんが「Pronto!」と出るのが、おおかっこいい!と思いました。まずはホテル(Terme OLYMPIA)へ向かいましたがホテルチェックインのときも野崎さんがイタリア語でぺらぺら〜と話して会話が弾んでいるのでう〜んすごい!予想以上に立派なホテルでした。イタリア駐在しているHUCCの先輩である三本さんご家族(隣町に住んでいる)、先に到着しているGOKIさんあねご夫妻と共に夕食へ行くということになり、野崎さんの車に6人(大きいので十分乗れる)乗って向かう。

foto, Click to Popup  機内食で結構腹いっぱいで、長ーい一日なのでかなり眠気があり、簡単でいいなあとおもっていたのだが食べ始めるとうまいイタリア料理、結局腹いっぱい食べてお酒もビール・ワインにソルベット、レモンチェロとしっかり飲んだ。三本さんはサイクリングコースの下見ドライブに野崎さんと一緒に行って下さっていたので道中の状況などいろいろ教えてもらったが、Gavia峠はほんとに良いところだから今度家族を連れて行きたいなあ〜とおっしゃっていたので楽しみになった。三本さんの奥様から「普段はどんなところで練習してるんですか?」と聞かれて「う〜ん練習は特にしていません、年に1回OBランというのを走っています」と答えたんだけど、そんなんでイタリアまで走りに来るわれらのことを不思議に思われたと思う。ところでレストランへは服装をちゃんとして、とか本には書いてあったけど、野崎さんも三本さんも短パンで、いいのか?とおもったけどぜんぜん問題無いようでした。野崎さんは食事のあと明日香とヘゲちゃんを迎えに空港へ行くというのにガンガンお酒を飲んでいましたが、無事だった様子。

【あこの一言】 フランクフルトでの航空券紛失の一件は、ホント冷や汗ものでした。海外旅行の時って、緑色のぶ厚い航空券をもらいますよね〜。そのチケットでチェックインした後にもらうボーディングパスがあれば、あの緑色の航空券はレシート程度の意味しかないんじゃないかと勝手に思ってたんですが、実はそうじゃなかったみたいです。チェックインした後、空港内で航空券を落とした事に気付いたのですが、「ボーディングパスがあれば大丈夫」と思い、いざ、ボーディングパスだけ見せて、飛行機に乗ろうとしたら、「これでは乗れません」と問いただされて真っ青。(ボーディングパスと航空券は必ずセットで使わなければならないようで...勉強になりました)搭乗前のわずかな時間に空港内を走り回って、航空券を再発行してもらい、どうにか出発時刻に間に合ったのでした。(というか出発を遅らせてしまったような...)これも空港カウンターで対応してくれた、いかにも「女史」という感じの(ちょっと古い?)ルフトハンザ航空・婦人チームのテキパキした対応のおかげです。飛行機で出たサンドイッチはコシのあるハード系のパンにコクのある厚いチーズがはさんであって、シンプルなんだけど実においしかった。ルフトハンザ航空、おすすめですよ〜。


2日目:8/27(日) MONTEGROTTO→PADOVA→MONTEGROTTO=PESCHIERA→TORRI DEL GARDA (Gのみ51km) 晴れ、暑い
foto, Click to Popup  朝6時におきて、ホテルのテルメ(温泉)を試してみる。水着の上に服を着て行ってみるとそれは普通よりも温かめの温水プールという感じで、外湯と内湯?があり、早朝で寒いので内の方に入った。年配のSignoraがぷかぷかしていたので、こうやって楽しむものなのね、と我々もゆっくーりと泳いだり浮かんだりして楽しみました。帽子を持ってなかったのだけど、ホテルの人から、イタリアっぽい?デザインのを(水色と白の太い縞)もらった。温泉のためか水の味がしょっぱかった。7時から朝食、このホテルにはやはり湯治に来ている年配の客が多いようである。

 野崎さんの家にいったん集合して、パドヴァでどこを見るか大体話をし、必要な荷物は野崎さんの車に積み込んでから出発。GOKIさんは自転車で、万城目さんとあこは野崎さん車で、あねご・あすか・へげ・DAZは列車で、まずはパドヴァのスクロベーニ礼拝堂へ向かう。本当はこの日からみんな自転車のはずなのに...とGOKIさんはやや不満そうであったが、ま、ついて早々なので、調子をつかむまでは無理をせず、ということで。ドイツからずっと輪行袋を持って移動してきたGOKIさんは、やっと自転車にのれて嬉しそうに走り出していった。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup  スクロヴェーニ礼拝堂の見学が時間刻みの狭間で入場待ちが必要だったので、パスしてGelato屋でアイスを買って南下、パドヴァ大学(ガリレオやコペルニクスがいた大学(違ったかな?すごいメンツですね)やラジョーネ宮を通りつつサンアントニオ聖堂(イタリア一の聖地、とのこと)方面へ。途中のBarで軽く昼食、イタリア語もぼちぼちトライしつつ、聖堂へ向かうことに。ここは聖地のため短パン・ノースリーブ禁止とのことで、みんな短パンの上からズボンを履いたりして身支度を整える。がそこに自転車単独行動中のGOKIさんが合流、短パンでも入れたよ、とのこと。入り口での様子を観察してみると、どうも服装に関しては男性より女性に対して厳しいようであった。広い内部にはきれいな装飾があって、レリーフや彫像、絵画など、クリスチャンでなくても見入ってしまう美しさであった。真剣にお祈りをしている人達もいた。後で思ったんだけどベネチア見学する前にパドヴァに来るというのは正しかったと思います、ベネチアを先に見てしまうとこの聖堂の美しさにも鈍感になってしまうかもしれないので。

foto, Click to Popup  さてじっくり見学した後、駅まで歩いて戻る。暑い中けっこう歩きました。ここからPESCHIERAまでは1時間ちょっとの列車の旅で、日本みたいに眠ってはいけないと思いつつ、人数もいるので安心してつい眠ってしまう。駅から今度はバスでTorriまで向かう、車で先行していた野崎さんたちが切符の販売機やバス停の場所を教えてくれるので実にスムーズに事が進んでいく感じである。ガルダ湖のバスは、アナウンスも何も無く、バス停の看板も無いのでどこで降りたらいいか全く分からないので、Torriについたら教えてくれるよう、姉御隊長から運転手さんに頼んでもらった。

 さてTorriの宿(Hotel Al Castello)は小さなペンション風、だけど小さくてもきれいになっています。2階のベランダから外を見ていると夕立のような雷になった。シャワーでさっぱりした後、ここでも野崎さんが下見済みのレストランへ導かれていく。お城の裏手にある大きなレストランで、屋外席のところを雨なので透明ビニールで囲ってある。ここでもみんなでたくさん頼んでぐるぐるお皿を回しあって(福井さんの皿回しではなく、交換し合って)いろんなのを食べることが出来た。野崎さんはここの店員さんともすっかり知り合いのため、メニューには無いスペシャルな注文をすることが出来るのでした。湖の魚のマリネ(だったか?)なども食べられた(いわしみたいだった)。野崎さんお薦めの貝の大皿に盛った海産物パスタも大人数のため平らげる。今日も美食を楽しんだのだった。

【あこの一言】 イタリアのテルメを初体験。ぬる〜いテルメにの〜んびり浸かってるのは御老人ばかりで、私達以外に若者は誰もいなかった。来てる人は、美容というより健康目的という感じ。泥のパックにチャレンジしてみたかったのだけど、今回は時間がなくて断念。次回は美容重視で、ぜひ泥パックを試してみたい。
 野崎さんおすすめのTorriのレストランは、以前、篠原夫妻も訪れたことのある店で、野崎さんはすっかり店の人と顔なじみの様子。私達はすっかりリラックスしてあれこれと注文、お腹がはちきれんばかりに食べて、大満足。美容(?)、観光、グルメと盛りだくさんの一日でした。


3日目:8/28(月) TORRI→MALCESINE...永遠の夢コース...→TORRI→TORBOLE (約80km, GとDAZのみ114km) 晴れ一時雨
foto, Click to Popup foto, Click to Popup  今日からサイクリング開始、快晴である。GOKIさんとDAZは宿から自転車で7:30先行出発、残りの面々は野崎さんの車で、20km先のマルチェジーネ(レンタル自転車がある)まで向かう。湖岸の道はアップダウンもほとんど無く、途中湖岸に降りて休憩したりしながら、対岸のきれいな山を眺めつつ快走する。マルチェジーネに入って両替屋が有ったので、ここで私は300ドルほど両替した。と、そこに、HUCC風サイクリングスタイル(レーサーウェアでなく山シャツにジャージ、首タオルの人もいる)にレーサーヘルメットをかぶった女性達がどやどや入ってきてびっくりした。が、彼女たちが合計15万円も両替して、そのあと野崎さんがきて「はやくはやく!」といってどやどや出ていったので両替屋の人達はもっとびっくりしたかもしれない。このすぐそばからのロープウェイで自転車ごと標高1800mまで運んでもらう予約の時刻が迫っていたので急いでいたのだ。道を間違ったり人に聞いたりして、なんとかぎりぎりで間に合った。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup  ここからロープウェイで稜線まで上がり、南下しながら湖岸に降りてくる今日のコースは、ドイツ在住OG大町さんが発見してくださった「サイクリスト永遠の夢コース」(と本に書いてあったそうだ)である。われわれのほかにもドイツ人?のサイクリストが5〜6名一緒のゴンドラに乗り込んだ。日本で良く見るゴンドラと同じかやや小さ目のサイズだから、かなりぎゅう詰めであるが、まず心配だったポイント(ほんとに自転車を持って乗れるのか)も問題なく、途中の乗り継ぎ1回で無事に標高1800mまで上がることが出来た。ロープウェイを下りて出た所はもう山の稜線で、うー寒い!まず着込んで、それから景色を楽しむ。快晴で青いガルダ湖と山々の眺めは、最高!である。北への稜線を更に上っていくともっと展望が開けて、みんな大喜びで写真撮影大会のようになった。この稜線は遊歩道で数百mで行き止まりとなり、正しいサイクリングコースではなかったのだが、景色が良かったので間違って行って良かった。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup foto, Click to Popup  もときた道を戻り、正しい道を発見(ロープウェイから北へ斜面を下っていくダート)。下っていくと灰色をした牛がたくさん林道をうろうろしている。フォルマッジ(チーズ)と書いた木の札が立っていたりしたので、チーズ用牧場という感じでしょうか。みんなここでも牛写真を取りまくる。明日香はここで牛にベローっとなめられていた。楽しいダートの下りが3kmくらい続いただろうか、T字路に出てここから舗装の緩い上りとなる。景色も天気も良いので全く苦にならない、ここでも花の写真などをみんな撮っていた。所々で、車で先回りした野崎さんが待っていてくれる。まさにOBランのようである。途中の休憩ベンチで、牛を眺めながら野崎さん差し入れ(ドーナツとジュース)を頂き休憩。休憩の後の走りの途中で、立ち止まって写真を取ろうとした明日香がバランスを崩して転倒、目の上を怪我してしまった。転倒しかかったときに大事なカメラを守ろうとして、手をつくことが出来なかったのだった。皆で手当てをしたがちょっと痛々しいが、何とか気を取り直して再スタート。ちょっと下ったところでBARが有り、ここで昼食とする。明日香はここで店の人に氷をもらって目を冷やしていた。ここでは幾つかの種類のパスタがあったので、またみんなで分け合って食べた。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup  時間が3時近くなり、Torriから先はフェリーで移動しようという案は、最終フェリーの時刻に間に合いそうもなくなってきた。さっきまで晴れていたのに雨が降りそうな天気になってきて、ここから下っていく途中でついに降ってきた。こんどはさらに下っていったところの、野崎さんのお勧めポイント「崖の教会」に向かう。ここは大きくはないが本当に絶壁のところに立っていて、観光で来ている人も結構いた。中ではミサの最中だったので厳かな雰囲気がただよっており、カッパの一団はちょっと浮いたか?道路から教会までかなりの急坂を歩いて下ってきたが、戻るときにはバスが有る。このバスを待つ間も野崎さんは、同じくバスを待っていたイタリアの人達と、どうしてこんな崖に教会をつくったのか、とか、安置されているミイラはどんな人のものなのか、とかを聴いたりして熱心ですごいと思った。それに見知らぬ人とすぐ楽しく会話できるイタリア人も、いいなあ、と思った。

foto, Click to Popup  さてここからはもうどんどん気持ちの良い下りが続いていて最高に楽しめた。雨もいつのまにかほとんどなくなって、晴天の下じゃんじゃん下る。最後にちょっとした上りが有るので、野崎さんが女性陣を一人一人車で峠までピストン輸送して時間短縮を行った、が我々男性陣にはそのようなサービスは(当然?)無しである。峠の上りからはGOKIさんと二人のランとなって、湖岸への下りを楽しんだ後Torriについた頃はもう日暮れかけていて、小休止でジュースで補給したのだが、ここから平地とはいえ35kmというのをなめていた。途中一度は風除けとなって走ったのだが、ちょっと疲れてきたのでGOKIさんと先頭交代すると、もうだんだん力が入らなくなってきて、GOKIさんと距離が離れてくる。やはり久しぶりのサイクリングで100km近い行程は無理が有ったのか、明日からの山なんか走れるのか?...と不安に思ったのだが、Malcesineで売店が有ったのでパンでも食べようと店に入り、ケーキのようなチョコレートクリームカステラを買って、ビニールが破けちゃったので全部食べきらないと、と思って無理矢理に全部食べたら、これでパワーが復活して急に走れるようになり、暗くなる直前に無事にTorboleまで到着できた。

 Torboleでは自転車屋さんが有ると聞いていたのでここでイタリア記念のサイクルウェアを購入しましょう、と思っていたんだけど、大きいのばかりでちょうどいいのが無かったのが残念。あこはいいのがあって買っていた。「Lを買ったつもりが間違ってSを買っちゃった〜」と困った顔をしていたが、実際にはSでちょうど良かったようだ。Torboleの宿(Hotel Al Caminetto)のおかみさんがとても親切な感じで、ここも良いお宿だった。ここで野崎さんに前々から聞いてきた、ルカさんというレンタル自転車やサイクリングツアーの手配をしている青年に会って、まず宿の前でビールを飲みながら明日の時間の約束などをした後、ルカさんの奥さんのお姉さん?がやっているレストランにいく。ここはとにかくすごいボリュームで、サラダもどんぶり2つ分ぐらいの大皿で出てくるし、サイクリングで腹がへったせいかオーダーしすぎて、健闘むなしくかなり残してしまった。思うにルカさんの友達あるいはお客さんということで大サービスだったのではないだろうか?野菜のZuppa(スープ)がうまかった。ところでイタリアに行く前のミーティングやEメール等で、野崎さんからルカさんの話を聞いたり写真を見たりしていたが、野崎さんが「すごくいいやつだ」というけど写真を見て「なんかうさんくさくないか?」とちょっと思っていたのは私だけでしょうか。実際に会って話をしたりしたら、ああだいじょうぶだな、と思いました(写真よりもずっと好青年であった)。ルカさんのお姉さんはアナリザさんというのだが野崎さんは何度もラザニアさんとか間違っていた。今日も12時ころまで夕食をめいいっぱい楽しんだ。

 へげとあすかは明日の早朝からドロミテへ向かうので今夜でいったんお別れ。野崎さんも、休みまでとって月曜日の深夜までフルにアテンドして下さったが、ここでいったんお別れである。たくさん飲んだので気を付けて走って下さいね〜(車で帰宅するので)と野崎さんを見送ってから宿に戻り、明日からは野崎さんのサポートが無いのでがんばらないと...と思いつつ眠った。

【あこの一言】 大町さんご推奨「サイクリスト夢のコース」は、ケーブルカーで一気に山頂へ、ガルダ湖の素晴らしい眺望と、山合いの小さな村々や教会を縫って下る快適な道、山小屋風のレストラン(ここのトリュフのスパゲティは最高においしかった!)と文字通り素晴らしいコースでした。が、夢のあとに待っていた湖畔沿いの道は、バカンス帰りの車で渋滞していて、しかもレンタル自転車を返す時間が迫っており、休む時間も惜しんでひたすら走る走る...。野崎さんのピストン輸送のおかげで、どうやら閉店時間までに自転車を返すことができ、ほっとひと安心。
 夕食を一緒にしたルカさんはなかなかの好青年だった。そしてイタリアのサイクリストらしく、筋肉質かつスリムである。(うさんくさいなんて失礼よ〜!>ダズ氏)まんじょーめさんが聞き出したところによれば、ルカさんの普段の夕食は、パスタ一皿程度で簡単に済ませてしまう、とのこと。ワイン飲み放題、サラダ、ピッツア、リゾット、パスタ、デザートと、日々、私達のように飲み、食べまくっていては、スリムな体型は維持できないようだ。(って当然ですね)


4日目:8/29(火) TORBOLE→Lago de Tenno→MADONNA DI CAMPIGLIO (81km) 晴れ時々曇り
foto, Click to Popup foto, Click to Popup  さて今日はまず朝イチで女性陣が再度自転車レンタルをする。昨日はあこがサドルが合わなくて苦労していたので、今日は慎重に選定&調整を行う。ここのレンタル自転車にはボトルケージも付いていたし、小さなバッグが付いて中にはパンク修理セットが入っていた。シマノSPDシューズを持ってきたあこ車はペダルも合わせてもらうことができた。調整終了後、COOPで水とお菓子などを買って、いざ出発!まずは湖岸でRivaまで行き、ここから地図上の黄色い道に入るので道を外さないように慎重に標識と地図を何度も見つつ、LAGO DE TENNO行きの道に入る。(LAGOというのは「湖」。)ちょっと上ると、山々が良く見えて、ガルダ湖は切り立った山に囲まれていたんだ、というのが良く分かる。この道は実にサイクリストが多い道だ。レーサーにどんどん抜かれるが焦らずゆっくり上って、湖到着は11:30ころ?今日はまんじょうめさんがレンタル自転車が合わないのか、走りにくそうであった。この湖は、当初は別に期待していなくて単なる通過点と思ってたんだけど、行ってみるとすごくきれいな湖で、行って良かった。色が北海道のオンネトーのような青色で、近づいてみるときれいな魚がたくさん泳いでいた。イタリア人はここに海水浴のような感じで楽しみに来ている。湖そばのBARでジェラートを食べた後、再出発。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup  Ponte Archeで昼ご飯とする、がBARではサンドイッチとエスプレッソ程度しかなく、サイクリストのお腹にはちょっと足りなかった。ここから先、Tione di Trentoまでは、国道で13km程度だが、地図には川の対岸に並行して黄色い道が引いてあり、車が少ない方が気持ちいい、ということでその農道(Stenico経由)に向かう。が、これがなかなかきつい坂で、天気はいいのだけれどバテてしまう。40分くらいそのまま我慢して走りつづけたのだが、この後の距離と時刻を考慮するとどうも...ということで、国道に戻ることを決断。きた道をずーっと昼ご飯ポイントまで下った。国道の方は川沿いなので緩—いアップで、車は確かに多いのだが戻って正解であった。対岸の道は谷を幾つも越えるのでアップダウンが多く、路面もかなり悪そうであった。

foto, Click to Popup  さて4時頃に、Tioneの町についた。ここからCampiglioまで、あと1000mアップ(31km)! Pinzoloまで17kmはまだ緩い上り、そこから先はCampiglioまで本格的な上りが続く。どうやら宿に着くのはかなり遅くなりそうなので、ここでちょっと腹ごしらえを、と思いBARなどのぞくがアイスしか無く、バスターミナルの売店のお兄さんに聞いたらイタリア語ですごく親切にスーパーマーケットまでの道を教えてくれたので、なんかとてもうれしかった。スーパーでパンやバナナやリンゴやいちごやいろんな食料を買い出しして、店の前で車座に座り込んでお腹を満たしたら、ナイトランでもいいじゃないか、と腹が据わったようであった。またさっきの売店のお兄さんに、今度は電話の場所とかけ方をボディランゲージで教わり、宿に電話して9時か10時ころになるけど必ず行くからよろしく、と伝えた。電話では、「ミスター野崎の云々」といえば即座にア〜、と返ってくるので本当に心強い。これで準備OK、あとは走るのみ、ということでPinzoloへひたすら走る。Pinzoloはちょっと小さいけどリゾートっぽい町並みで、ポプラの木なんかが有りきれいだったので写真を撮りたかったが先を急ぐ。まんじょうめさんがサドルが合わなくておしりが痛いということでちょっとつらそうであったが、でも体は元気よ、と終始笑顔であった。GOKIさんがまんじょうめさんの脚をマッサージしていると、あねごから「わたしには〜?」とのチェックが入っていた。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup  いよいよ日も暮れてきて山道となる。ひたすらひたすら山道を走るが、ライトはDAZのマグライト小とGOKIさんの小さなライトのみで、ほんとに真っ暗な道の中を走ることになってしまった。外灯も何も無いので結構危ない走りだったかもしれない。たまーに通り過ぎる車のヘッドライトを頼りに走っていたが、車の人もこんな暗い中にサイクリストがいて驚いただろう。もう夜の9時頃だろうか、「Welcome to Madonna di Campiglio」のイルミネーションが見えたときにはすごくうれしかった。ここのBARでトイレタイムのあと中心部へ向けて走っていると、本日の宿「Hotel Montana」の若い主人が心配して車で迎えに来てくれたので一同大安心。ゆっくりと走って先導してくれた。中心地に着いてみると、街は広いしホテルもすごくたくさん有るし、ここはすごく大きなリゾート地であることがわかった。迎えに来てもらわなければ宿に辿り着くのに更に1時間以上食ってしまいそうな感じだ。

 実際、宿はCampiglioの中でもかなり高い位置にあり、辿り着くまで大変だった。夜10時過ぎに宿について、サウナを見せてもらったりレストランを紹介してもらって、疲れただろうからチェックインは明日でもいいよ、といってくれたので、みなこのご主人の親切に感謝して、一息ついてから食事に向かう。なにはともあれ本当におつかれ様、ということで乾杯、疲れていても本日も力いっぱい美食を楽しんだのだった。宿の「ホテルモンタナ」は、スキーリゾート用という感じで内装に木をいっぱい使った暖かい感じで、各窓には赤い花が飾られていてちょっとこぎれいな、いいホテルである。フロントのところにあった地図をみても、日本にはちょっと無いくらいすごく広いスキーエリアという感じで、レンタルスキーもたくさん有るし、ブーツの乾燥室やサウナがあるし、なにより北欧出身の主人が実に親切なので、今度はぜひスキーをしに来たい!

【あこの一言】 「観光もしてそれなりにサイクリングもする」Bチーム(まんじょーめさん、あねごちゃん、私)プランのハイライトともいえるMadonna di Campiglio を目指す山岳サイクリングは予想以上にキツかった〜!行程70km、1500mアップと、普段全く鍛えていないBチームの面々にとっては、当然予期されていたハードコースだったのですが、まさかイタリアまで来てナイトランになってしまうとは...。外灯もほとんどない、真っ暗な山道の途中にポッと光る赤いランプは...なんだか墓碑みたいな石に若い男の子の写真が...。あ、花も供えてあるみたい...。疲れきっているにもかかわらず、ペダルの回転数がかなり速くなってしまいました。
 そうこうしつつ、どうやら山の上のMadonna di Campiglioの町にたどり着いたときには、もう夜の21:00を過ぎていて、宿のおにーさんが迎えにきてくれなかったら、夜のCampiglioの町で、我ら日本人一行は途方に暮れていたことでしょう。(というのは宿の地図もなかったし、Campiglioがこんなに大きい町とは思ってなかったので、宿の場所をあらかじめ確認していなかった)が、ともあれ、全員、怪我もなく、無事に宿に着いてよかったよかった〜。この日はコース前半の廻り道もあって、結局2000m近いアップ、80kmも走ってしまいました。この日でBチームのサイクリングは終了。これだけ走れば、十分に「イタリアを(自転車で)走った」と自慢できそうです。サドルが合わず、お尻の痛みに苦しんみながらも完走したまんじょーめさん、ほんとご苦労様でした。


5日目:8/30(水) MADONNA DI CAMPIGLIO→Passo del Tonale→Passo di Gavia→BORMIO (98km) 晴れ後雨
foto, Click to Popup  今日はいよいよGOKIさんと2人でGavia峠を目指す日である。本日の走行距離は100km、アップは2600m!!ということで、ほんとに走れるんかな、と不安を感じつつ、早起きして食事をとる。万城目さん、あねご、あこは今日は連泊ということでゆっくり寝てるかな、と思ったらちゃんと起きてきました。ルカさんが自転車をピックアップしにトレーラーを引張って宿までやってきたので、昨日遅くなった話をしたら、道を間違ったか何かトラブルがあったのかと思ったようである。普通に走っていて10時まで走るというのは、欧州人には理解し難いのかもしれない。イタリアでもたくさんサイクリストはいたが、彼らはレーサーに乗っているせいも有るけど走っているときはすごく速くて、休憩のときはビール飲んだりしているし、同じことしていても余裕がある感じがするので、夜10時まで走るということはまずないであろう。同様のことが生活全てにもいえるのかも...などと考えたりした。 さて女性陣の自転車を専用トレーラーに積み込んで、支払いを、となってから「ところでいくらだったっけ?」ということになって、誰も覚えていなくてルカさんが自転車レンタル屋に電話したりして、結局、本当はマウンテンバイクのタイプによって値段が異なっているんだけどまあ並みの値段になったようである。みんなでお茶でも飲んで、ということで、ちょっとまけてくれた。これがインドや中国の旅行だったら、事前に金額を確認してなければとんでもない値段になるところだが、そうならないところが北イタリアのいいところなんではないでしょうか。(ヨーロッパだったらこれが当然なのか?!私にはわかりません)

foto, Click to Popup foto, Click to Popup foto, Click to Popup  さて朝食も手作りジャムやチーズでゆっくりと楽しんだ後、女性陣に見送られていよいよ2人で出発。すごく晴天で暑くなりそう。まずはCampo Carlo Magno峠まで数キロだが、GOKIさんにちぎられる。この下りからはGOKIさんはヘルメット着用(1000m位の下り)。このあたりまではサイクリストが多く、サイドバッグを付けて走っている人も結構たくさんいた。Dimaroの街のコンビニで、水と食料を少々調達した後、今度はここから西へ27kmで1100mアップのPasso del Tonale峠へ向けてゆるーい上りを上っていく。このときGOKIさんは、イタリアの女性サイクリストに話し掛けられたのだけどイタリア語がわからなかったので話ができなかった〜といって非常に残念そうであった。今日は何といっても先が長く険しいので、休憩も1時間に5分程度で淡々と走っていく。常にGOKIさんが先行して走っているが、大体いいところで待っていてくれるのでペースはなかなかいい感じである。標高1883mの峠の数キロ手前からちょっと曇ってきて、長袖着用となった。峠にはまたリゾートっぽくホテルが何件も有るが、ここはちょっとシーズンを外した感じで寂しげなムードであった。峠でちょうど昼、今日は先が長いのでしっかり食べたい、ということでBARを何件もチェックして、パスタが食べられるところを探した。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup foto, Click to Popup  さてお腹を満たしてがんがん下る、寒いのでウインドブレーカを着て行く。Gavia峠への分岐を見過ごして下って行ったGOKIさんを大声で呼びとめて(標識に気付いたけどすぐ止まれなかったのよ:G記)、いよいよここから1400mアップのPasso di Gavia(2621m)に向かう。地図では細い黄色の道だが、好展望地ということでGavia行きのルートには標識がばっちり出ている。田舎道で牛の姿が見られる農村地帯で、牛のフンが落ちている道路面にはジロ・デ・イタリアで応援する選手の名前などがたくさん落書きされていた。のぼりはじめから天気が怪しくなってきたのだが、道がきつくなり細い道になった頃から雨が降ってきてしまい、カッパ着用となる。しばらく16%の急坂が続き、雨も本降りとなって乗っているのがやっとでふらふら走っていると、イタリアのレーサーチームに何度も抜かれる。みんな何かしら声をかけてくれる。彼らはカッパどころか、晴れの日と変わらないレーサーシャツ&パンツ姿で、寒くないのだろうか?こんな日に練習をするというのもすごい。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup foto, Click to Popup  休憩はここまでは1時間毎だったがやがて30分となり20分となり...という感じで、雨で寒いせいもあってお菓子などをじゃんじゃん食べる。急坂地帯をすぎ淡々と走っていると、やがてトンネルが現れた。中は真っ暗なのだがかなり急で、ほとんど押して上って行った。ここから先は、雨もひどくなくなり、標高もかなり稼いだのでゆとりも出てきて、周囲の山が見えると写真を撮ったり、しばらくいくと湖が見えてきたりして、楽しむ余裕が出てきた。反対にGOKIさんは、峠が近づくにつれ疲労してきたようである。ずっと後から走ってきたが最後は一緒に走り、やがて峠の小屋?と思われる建物が見えてきて、ついに18:00ちょっと前に、標高2621mGavia峠に到着!記念写真をバシバシ撮って、2件ある建物のうち一件が茶店として営業していたのでここへ駆け込む。バイクの人たちが3・4人いた。ここで、目標到達を称え合ってカフェラッテを飲む。とにかくほっとしたし、計画のときから「ほんとに走れるんかな、ちょっときつすぎるんじゃないかな」と思っていたハードコースを実現できてほんとにうれしかった。北イタリアは日が長くて大体20時くらいまでは走れる、というのも幸いして、ここまで走ってこれた。ジロデイタリアでは何度もこの峠を走っているようだが、レース中に吹雪になってしまったときも有るらしく、そんな写真の絵葉書やなんかを土産に買った。この茶店は小さいがホテルとしてもやっているようであった。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup  ストーブがついているほどの寒さなので、ここで持っている服を全部着て、もう一杯エスプレッソを飲んで18時半からいよいよ下り始める。まだ雨が結構降っていたのでとにかく寒いが、途中の湖、キリスト像、教会、などが有るたびに立ち止まって写真、霧はそんなに無くてごつごつした峡谷という感じの下りの眺めを楽しみつつ、転ばないようにゆっくり下る。写真を撮るために立ち止まるたび、う〜寒い寒い、と震えながら下って行く。長い長い下りで、1900mくらいの下り、最後は全身ずぶぬれとなった。Bormioの町についた頃は暗くなりかけ、Barでホテルの名前をいって道を教えてもらい、本日のお宿「Miramonti park Hotel」に辿り着く。これがまた実に立派なホテルで、ぬれねずみで入って行くのははばかられる感じ。フロントでパスポートを探してごそごそやってると、あとでいいから、って感じになって部屋になだれ込む。ホテル内には昔のこの町の写真や絵が飾られていて、山岳の中にある町の風情が感じられる。もう脚は筋肉パンパンだし靴がずぶぬれだけど、シャワーを浴びたらほっとして、ベットで仮眠&野崎さんへ無事にGaviaを越えた報告をした。

 それから夕食に出かける、GOKIさんはいつものビニールカッパがここで破れてしまい、お気に入りだったようでとても残念そうであった。ホテルで教えてもらったレストランは営業してなくて、他を探すが、なぜかここは夜が早い町なのだろうか、もともと小さな田舎町でもあるのかご飯ポイントがなかなか発見できない。さまよい歩いたあげく適当にホテルに入って、フロントのおばさんに教えてもらって商店街を行き、 Barはあるのだが今日はすごく腹が減ったしお祝いの乾杯をしたかったので、BARで妥協せずにずーっと奥まで歩いてやっとレストランを見つけた。ビールとワインで乾杯して、今日はイタリアに来て始めてPrimi、Secondiまで注文して力の限りDinnerを楽しみデザート、コーヒーとフルコースで満喫した。明日の天気も悪そうなのもあったし、今日がサイクリングとしてはクライマックスか、という気分もあって、帰り道には来年のイタリアツアーは云々とかいう話や、GOKIさんの新婚生活の話や宮崎行きの予定や、その他いろんな話をしながらホテルまで帰った。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup 【あこの一言】 この日、BチームはMadonnna di Campiglioに留まり、ゆっくり静養、昨日のハードサイクリングの疲れを癒す。ホテル周辺の山々をちょっとトレッキングしようかと考えていたのだが、あいにくの天気のため、ケーブルカーですぐ近くの山頂に登り、2時間くらいかけて、景色をみながらのんびり下山、ふもとのお土産店でウインドーショッピングをしているうちに雨が降ってきたので、喫茶店でケーキを食べつつお茶タイム。イタリアのケーキはちょっと甘味が強いが、フルーツ系のタルトなんかは結構イケます。
 夜はホテルのおにーさんに教えてもらったちょっとお洒落なレストランで一品づつ色々頼んで、3人で分けて食べる。メニューは全てイタリア語とドイツ語。英語のメニューはなし。当然英語も通じないので、ガイドブックを見ながら「小皿って何ていうんだっけ!?」とひそひそ相談しなら注文する。この町では日本人はまだ珍しいみたいで、ちょっと店の人の視線を感じる。(そう言えば道端でも「ジャッポネーゼ!」と私達を指差して叫んでいる人がいた)料理はどれもおいしく、ハズれは全くなし。中でも特においしかったのは、野菜にオリーブオイルを振りかけてグリルしたシンプルな料理。さすがイタリア。オーストリアに近いMadonna di Campiglioでも、私達のグルメ心を十分に満足させてくれたのでした。


6日目:8/31日(木) BORMIO→TIRANO=MILANO=PESCHIERA (46km) 雨時々曇り
foto, Click to Popup  今日は予定では最後の峠「Mortirolo峠」を目指すということになっていたのだが、朝から雨のため、もう真っ直ぐ最寄りの駅にいこうか、という案もありつつとりあえず出発。Bormioの町を外れてすぐ、トンネルに入った。入口のところで7000mとかいう看板が気になりつつも入ったが、どうやらものすごく長いトンネルのようで、数百mいったところで相談して、引き返して旧道(脇道)を走ることにした。7000mというのはトンネルの長さだったようだ。トンネルは高速道のように車がすっ飛ばしていてかなり恐かった。脇道をしばらくいくと、やがてまたトンネルの中腹に合流する道と、さらに脇道があり、まず脇道をいくのだが、なんかどんどん山を上って行くのでちがうんじゃないか?ということになりしばし検討。結局、高台の教会から渓谷の下の方を眺めてもほかに道がなさそうで、雨で寒いのも有って、しょうがないのでトンネルを通過することにした。残り3.5kmだしまあいいか、と思って入ったのだが、トンネル内をがんがん下って出口に着くとまたすぐトンネルが待ち構えていて、今度は脇道が無いのでまたトンネルに入るしかない。ちょうど上高地から国道158号線で下る道のようにトンネルの連続になっているのだった。しかも道の雰囲気は完全に高速道路という感じで、車が猛スピードで走って行くし、とても恐い。でもまあ雨に濡れないのだけが救いだろうか。

foto, Click to Popup foto, Click to Popup  やっとのことでトンネル地帯を通過したが、ジロデイタリアはほんとにこのコースを走ったのか、ここの疑問だけは帰った後もわからないままである。相変わらず雨が降っている中、靴もパンツもぐしょぐしょで気持ち悪い。というわけで、今日は最寄り駅Tiranoまで走って、そこから鉄道でいったんMILANOまで行きVenezia行きに乗り換えてガルダ湖畔に行きましょう、ということになっていた。もう消化コースの雰囲気で走っていたが、モルチローロ峠の分岐直前で、なぜか急に雨が止んで、強引な展開というべき青空が出てきたのだった。が、峠を上る食料や水も用意してなかったし、もう濡れて気持ち悪いので早くゴールして着替えたいというのが優先して、写真だけとって一路Tiranoへ。結局このあともまた雨が降ったので、まさに分岐だけが晴れだった。Tirano直前の道は今年のジロで走ったルートであったらしく、真新しい横断幕や選手名の落書きなどが見られた。リンゴ畑が広がってきたころ、また脇道が無くなって高速自動車道風の道に合流しつつ、12時過ぎにTirano駅に到着!

foto, Click to Popup  自転車を乗せられる電車の時間を確かめて、Bici付き料金で切符を買ったあと、駅前レストランで昼食にした。ここでゴールのお祝いにビールで乾杯、あとはパスタなど食べつつ、来年のイタリアツアーの話で花が咲いた。このレストランのウェイターがやたら明るくて面白いのでお客さん達の人気者のようであった、われわれにも怪しい日本語でいろいろ楽しませてくれた。Tiranoはスイスとの国境鉄道の始発駅でもあり、次回はこれを使ったらどうか、とかアイデアがいろいろ出た。さてここから長—い鉄道の旅となり、MILANOで乗り換え、見覚えのあるペスキエラの駅には暗くなった頃到着。

 駅前にあるホテルが今日のお宿(Hotel Garden)。フロントでチェックインしているところに電話が鳴り、受話器を渡されると、それは駒井さんであった。もう部屋に入って夫妻で一杯飲んでいる、ということで、まずは我々も合流しワインを頂く。この部屋は屋根裏部屋のような感じで天井が斜めになっていたがなかなか居心地は良かった。スウェーデンの人の気質や観光名所アイスホテルに泊まって大変だった話とかいろいろ面白い話が聞けたし、駒井さんの奥さんとは初めてお会いしたけどとてもフレンドリーで良かった。そうこうするうちに、野崎さんの車でSilmioneへ行っていたまんじょうめさん・あねご・あこ隊が帰ってきた。野崎さんは今日(木曜日)の仕事を早く切り上げてここまで車を飛ばしてきて下さったのでした。女性隊とは一晩別だっただけなのにずいぶん久しぶりな感じがして2日間の出来事などいろいろ話しつつ、また晩御飯をみんなで食べようということでレストランへ繰り出す。湖畔のレストランで、久しぶりに野崎さんと一緒なのでどんどん注文してくれて、旅の思い出もたくさん出来てすばらしいdinnerで楽しかった。駒井さん夫妻いわく、食事のおいしさについてはなんといってもヨーロッパではイタリアがダントツだ、とのことでした。晩御飯の後またホテルでちょっとミーティング、明日はどのように過ごすか?ということになって、なんといっても明日一日はベネチア観光に力を入れるということで、朝食は抜きで朝7:30の列車で行きましょう、という話でまとまりつつあったが、GOKIさんはもうゆっくりしたいので朝食をちゃんと食べてから行こう、睡眠もたくさんとりたい、ベネチアは特に見なくてもいいもん、といって奥様を困らせていた。結局、まんじょうめさん、あねご、あこ、DAZは早起きして出発、GOKIさんはホテルで朝食を食べてから、そして駒井さん夫妻はまだもう一日あるのでさらにゆっくりと出発、ということになったのでした。野崎さんは明日(金曜日)も仕事なので、野崎さん宅のスペアキーを貸して頂けることになり、まず野崎さんの家で荷物を置いて観光に行こうということになった。ミーティング終了後、駒井さんのスウェーデンウォッカを味見しつつ、すぐに眠りについてしまった。

【あこの一言】 この日は(バス)移動日ということで、半日以上は車窓からイタリア観光。あの苦しかったMadonna di Campiglioの峠をバスで楽々と下り、途中2回ほどバスを乗り換えて、本日の宿泊地、Peschieraに向かう。Peschieraの宿では英語が全く通じず、チェックインにひと悶着。「Check in ,please」といっても宿のおじさんは「むむ、???」という表情。もしや聞こえないのかも...、と何度か繰り返したのだが、全く通じてない様子。ガイドブックを見ながら単語を連発し、泊まりたいという事だけは理解してもらったようだが、その後が進まない。そこで業を煮やしたまんじょーめさんが、「ミスターノザキ、ミスターノザキ!」と連発したところ、おじさんは「オ〜」と、全てを思い出した様子で「おまえは○○××か?」と、端末をパチパチと検索しながら私達の名前を確認(これももちろんイタリア語)、ようやくチェックインできるかと思いきや、私達と一緒の部屋になっていた「○×○○(駒井さんの奥様)はなぜいないのか?」(というような意味の事を)聞かれ、その説明に一苦労。「私達とは別行動で、後で遅れて来る」ということが全然伝わらないのである。その時、まんじょーめさんがとっさに「セーラ、セーラ!」と連呼。するとおじさん、「オ〜」と納得した様子。(セーラはイタリア語で夕方の意味。これで、夕方に駒井夫人が到着することが分かったらしい)うーん、まんじょーめさん海外旅行経験が豊富なだけあって、いざというとき頼りになります。
 チェックインして部屋で休んでいると、会社帰りに車を飛ばしてきた(文字通り野崎カーは速い)野崎さんが宿に到着。それからSilmioneという中世の城壁が残る場所に野崎カーで連れていってもらい、雨の中、少しだけ観光する。宿に戻って、Aチームのゴキさん、ダス氏、そしてスウェーデンから参加の駒井ご夫妻と合流、近くのレストランで楽しい夕食タイム。このレストランもイタリア語しか通じないようだけど、野崎さんが一緒なので、心おきなく、どんどん(野崎さんに)注文(してもらう)。やっぱり野崎さんがいると心強いですね〜。


7日目:9/1(金) PESCHIERA=MONTEGROTTO=VENEZIA=MONTEGROTTO 快晴、暑い
foto, Click to Popup  さて予定通りの朝イチ列車で、まずパドヴァに向かう。ここから野崎さんの町モンテグロットまでは接続の良い列車が無かったため、タクシーを利用することにし、まずパドヴァ駅のbarで軽く朝食した後、タクシーの列へ。ライトバン系のタクシーを狙ったんだけどDAZの自転車を見て「乗せられないよ」、と断られたが、そこでいきなり輪行を始め、まんじょうめさんが「Piccolo(小さい),Piccolo!」と運転手さんにアピールするとOKになった。でモンテグロットへ向かい、野崎さんの住んでいる街路名を伝えたがパドヴァの運転手さんなのでなかなかわからずぐるぐる探し回ったのだが、運転手さんは途中でメータを止めてくれ、いい人で良かったねぇということで無事到着。野崎さんの家に着くと、ベネチアの本や時刻表等の資料と共に、見所などたくさん書いた野崎さんからの手紙がおいてあって、「水飲んでください」とか「トイレの使い方は、...」とかいろいろ書いてあって楽しく読みました。

foto, Click to Popup  さてここからは身軽になってベネチアへ向かう。列車はベネチアに近づくと海の上を通るようになって海上の街ベネチア駅に到着。駅から一歩出るともうそこは運河になっていて、観光客があふれかえっているがなぜか全然気にならず、我々も観光客となって水上バスに乗ってベネチア観光の世界に入り込む。水上バスで運河を通ってサンマルコ広場に行きましょう、と思ったら逆周りのに乗ってしまったが、無事広場に到着。天気がとてもよいので運河がキラキラ光ってとても美しい。さてここではドゥカーレ宮殿、鐘楼、サンマルコ寺院と立て続けに見学する。宮殿だけでもすごく広くて、絵画等の美術品があまりにも大きくて美しくて、こんなすごい芸術を見学したのは初めてなのにいっぺんにこんなたくさん見てしまい、やはり世界の観光都市ベネチアのすごさにびっくりというか圧倒されてしまった。

 サンマルコ寺院に入ろうというところで、後からきたGOKIさんと偶然合流できて、一緒に見学できました。このあとあこがどうしてもベネチアのcafeでお茶をしたいというので飲んでいくことにして、他のみんなは歩いてリカルド橋まで行くということでここで別行動となり、夕食は野崎さん駒井さんと一緒に行くので18時には戻るという約束だったのだがちょっと遅れちゃうな〜と思ったが結局みんな遅れて一緒に帰りました。ベネチアはまた見学に行きたい!と思います。

foto, Click to Popup  モンテグロットに戻って一度宿にチェックインし、最後の夕食に繰り出す。ちょっと遠くのレストランに行くのでGOKIさんとDAZは一台の自転車に二人乗りして行った。ここでは最後の夕食で思い出を語りつつお酒もたくさん飲んで、とても楽しいDinnerでした。シーフードリゾットがうまくて人気を呼んでいた。ドロミテに行っていたヘゲ・明日香も夜の列車で到着して野崎さんが迎えに行き、ここで初めてイタリアツアー全員集合!となり、ドロミテの楽しかった話も聞くことが出来、旅の成功を祝ってすっかりいい気分で宿に戻ったのでした。宿にもどってから自転車輪行と帰りのパッキングで夜2時までかかった。

【あこの一言】 念願のベネチア観光日。「イタリアではどこに行ったの?」と聞かれても、Garda湖、Madonnna di Campiglio、Peschiera、では聞いた方も「ふ〜ん...」で会話が続かないかも。やっぱりローマ、ミラノ、ナポリ...ベネチア!とメジャーな観光地をどこか一箇所くらい入れておかないと、イタリア旅行の思い出話もいまいち盛りあがりに欠けるというものである。ベネチアではゴンドラに乗って、市場も覗いて、あの寺院も見て...、といろいろ計画はあったのだが、たった一日ではとても時間が足りず、サンマルコ寺院とその向かい側にあるドゥカーレ宮殿の見学で終わってしまった。ドゥカーレ宮殿では日本語ガイドの機器が貸し出されていて、広大な宮殿の調度品、絵画の説明を詳しく聴くことが出来る。最初から最後まで聴きながら見学していたら3時間位すぐに経ってしまったので、あわててサンマルコ寺院に向かい、中を見学してから、隣りにある鐘楼に登ってベネチアの町を眺望する。中世の騎士物語の舞台セットみたいな街並みが広がり、レンガ色の街に、周囲をとりまくコバルトブルーの海の色がキラキラと反射して、本当に夢物語のように美しく、世界中の観光客に愛される理由もさもありなん、としばし景色に見入った後はみんなで撮影大会。
 その後、ちょっとロマンチックな気分になってしまったついでに、ダズ氏を無理やり誘って、サンマルコ広場で優雅にCafeを楽しむことにする。18世紀から営業中(!)で、バイロン、ディッケンズ、プルーストもここでお茶したという、あの有名な「カフェ・フローリアン」にしようかと思ったが、ジャズの生演奏をやっていた隣りのカフェにする。エスプレッソをたのみ、飛び立つハトを見ながら、しばしくつろぐ(うーん、絵になりますね〜)。このままのんびりしていたかったが、帰りの水上バスの時間が迫っていたので、後ろ髪をひかれつつカフェを後にし、水上バス乗り場へと急いだ。モンテグロットに戻った後はイタリアツアーのメンバー全員集合でにぎやかに食事、イタリア最後の夜を、美味なイタリア料理とワインで惜しんだのでした。


8日目:9/2(土) MONTEGROTTO→VENEZIA→FRANKFURT→ 曇り後晴れ
 今日はもう、テルメに入る気力が無くてぎりぎりまで寝てしまった。朝食後はもう野崎さんも到着して、空港まで送って下さるということでスタンバイしていたのだが、なんかGOKIさんの姿が部屋にも食堂にも見えないなぁ〜と思っていたのと、エレベータが故障して上がったり下がったりしている様だったので、もしや?と思ったらやっぱりGOKIさんともう一人イタリアのsignolaの声が中から聞えて、閉じ込められていたのだった!

 野崎さんも珍しくちょっと焦った感じで、ホテルの人に「今日何時のフライトなんだから!」とホテルの人に言っていた。ホテルの人も色々電話をしたりしていたが、20分くらい経ってなぜかひょっこり扉が開いて、2人が出てきてほっとしてやれやれ、びっくりしたねぇ、とホテル前で皆で記念写真を撮っているころに、オレンジ色の服を着たレスキュー隊員がどやどやとやってきた。という所で、第1便のまんじょうめさん、あこ、DAZが野崎さん車で空港へ出発。空港まで送っていただき、荷物を下ろしたらもうろくにお礼の言葉も述べないうちに、野崎さんは「じゃまたねー」と実にあっさりと行ってしまったのでした。

foto, Click to Popup  さて飛行機にチェックインしましょうと思ったら、DAZの輪行袋が手荷物では載せられません、と言われて「でも来るときもこうやって持ってきたんだよ」とか問答したのだが、別途料金がかかる(いくらといわれたか、ちょっと忘れてしまったが数万円でなかったか?)と言われ、しかしここで旅行専門家のまんじょうめさんが落ち着いた交渉振りを見せて、今回は無料で良い、ということにしてもらうことができました。ありがとうございます!

【あこの一言】 出発の朝ということで、荷造りやらでバタバタしていて、皆がGOKIさんの災難に気づいたのは、すっかり事が解決した後でした。朝食の後、エレベーターを使おうとしたら、いくらボタンを押してもエレベーターが降りてこず、別のエレベーターを使ったのですが、まさかその中にGOKIさんが閉じ込められているとは...。救急隊員が到着する前に、ドアが開いたので、大騒ぎにならなくて済みましたが、あの狭い箱の中で熟年のsignolaと2人きりで閉じ込められていたGOKIさん。Sigonlaがイタリア語でワイワイとまくしたてる中、ゴキさんは冷静に対応していたそうですが(ご本人曰く)、その様子を想像するとなんだかとてもおかしくて、思い出す度にニヤニヤしてしまうのでした。


9日目:9/3(日) FRANKFURT→成田→横浜 晴れ
 というわけで無事に日本に着いた! この日のうちに写真を焼いて、洗濯もして、DAZは名古屋の出張先まで移動して夢のような夏休みが終わったのだった...。

【あこの一言】 20世紀最後の大イベント、イタリアツアーもとうとう終わりを迎えてしまいました。食、文化、自然、(唯一、ファッションはなかった)を満喫、そしてイタリアの人々の親切に触れ、最高に楽しい旅でした。そして、長期間に渡る準備から実現に至ってからも多大なるサポートをいただいた野崎さん、本当にありがとうございました。
 野崎さんなしでは実現しなかった今回のイタリアツアーですが、嬉しいことに、今年も野崎さんはイタリアに留まるとのこと。2001年は日本におけるイタリア年ということで、今年のイタリアはますます、HUCCのOBのみならず、その関係者(ご家族、友人)からも熱い視線を浴びるのではないでしょうか?第2回のイタリアツアー、今年も更にパワーアップして実現させたいです!!


**** おわりに ****
 というわけで大変レポートが遅くなり、はや4ヶ月が経ってしまいましたが何とか書き上げました。こんな楽しい夏休みを過ごすことが出来たのも、野崎さん、大町さん、GOKIさん、そして参加した皆さんのおかげです。イタリアは文化も自然も食も、そして人もとても魅力的で、我が家はイタリアファンになってしまったのできっと近いうちに(出来れば2001年に)、第2回が実施されることでしょう!


**** 御参考:DAZの装備 ****
自転車:丸石エンペラー(学生のときから乗ってるやつ)
    但しFフォークはルマン(エンペラーのは積丹遊歩道で折れたので同期のさかなにもらった)
    一番軽いギヤは26×26T。マッドガード無し、ダイナモ無し(軽量化?)。タイヤ650×38Aガムサイド  
    ボトルケージは1.5リットルペットが付くタイプに今回換えた。
パッキング:ランドナー用フロントバッグ大、ウェストバッグ10リットル
服    :下はレーサーパンツ2枚、レッグウォーマ1、夜のレストラン用チノパン風薄いズボン1
      上はTシャツ、ウインドブレーカ1、山用襟付きシャツ薄め1
      カッパ上下、下着3組、靴はSPDツーリングタイプ
      (観光用服は野崎さん宅に預けた) 
工具類  :六角レンチ3,4,5,6mm、ドライバ、プライヤ、スパナ2本(8,9,10mm)、ニップル回し(軽
      量タイプ)、タイヤレバー(プラスチック)、替チューブ1、パンク修理セット、スポー
      ク3本、替ワイヤ(ディレイラー用/ブレーキ用 各1)、小パーツ類少々、マグライト


関連リンク:
 「第1回イタリアOBランの記録」