沖縄ツアー

by DAZ & あこ(投稿日:23 Mar 2003)

日程:2001/12/30(日)〜2002/1/5(土)
参加:あこ、DAZ
コース概要:=大宜味村→国頭村奥→東村平良→本部町健堅→屋我地島済井出→屋我地島1周→名護市=那覇=
**** はじめに ****
 今回は、沖縄本島北部(ヤンバル地域)で、昔ながらの素朴な沖縄の風景を見に行こう、ということで旅を計画しました。この地域の民宿は数少なく、電話してもおばあさんが「お正月は休みですねぇ」とか「もう民宿はやめましたねぇ」というところが多く、計画はちょっと難しそうでした。が、とにかく各種ガイドブックや村のホームページで民宿を探しては電話を掛けまくり、とれる宿を押さえていって何とか12月中ごろになってコースが出来たのでした。会社の沖縄人に話を聞くと、それなりに寒いのでセータがあった方がいいよ、とのこと。昔は沖縄で正月といえば旧正月が主だったようですが、今はヤンバルでも変わってきたようでした。


1日目:12/30(日) 羽田=(飛行機)=那覇=(バス)=名護=(バス)=大宜味村大兼久 (走行距離0km)
 11:30発のJAS555便に乗る。格安航空券を購入したため他人名義になっており(キャンセル分を転売?)、テロ対策により搭乗ゲートを通るときにフルネームを聞かれるので、しっかり覚えておいた。 14:25那覇着なので、機内軽食がでるかな?と思ったが何も無かったので残念。サミットがあったため那覇空港はすごーく立派である。空港からは15:00発の高速バスで名護へ向かう、帰省の人が多いためか、折り畳み椅子まで全て使って満員であった。金武町から先はやっと空いて、16:45名護着。次のバスまでやや間があるのでホッと一息、沖縄は関東よりずっと西なのでまだ明るく、天気は晴れで、Tシャツ+長袖のシャツで充分の暖かさだった。バスターミナルの売店でおやつなど物色し、伊江島特産ピーナッツとさんぴん茶を買った。暖かいのに売店ではなんとストーブをたいていた。17:25発の辺土名(へんとな)行きバスは、乗客3人のみで、今度は一般道路を走るので町や海を眺めながら行けた。大宜味村大兼久には18:10薄暗くなってから着いた。バスの運転手さんが民宿の行き方を教えてくれたので歩いていく。昔ながらの赤瓦屋根で平屋の家々がほとんど、廻りは芭蕉の木などが生えている。あしたゆっくり散策したい、と思った。
 民宿はコンクリート2階建てで、おばあさん一人でやっているようであった。屋外の階段を上がって2階の客室に入る。通された部屋は、けっこう散らかっていて掃除も余りされていないようで、おばあさんの話振りでは、我々がほんとに今日来るのか電話確認したかったが電話番号のメモを無くしたとかで、どうも来ないと思っていたような感じであった。「晩御飯は何時ですか?」と聞くと「うん今から何か作るからね」とのことで、ええーと思ったけどその割にはすぐ出来たなと思ったら、メニューは「沖縄そば+ご飯」のみであった。いくら宿代が安くてもそれはないんじゃないの、と思ったけどおばあさん一人だからしょうがないというべきなのか、それとも予定外の客だからなのか…。沖縄の家庭料理を毎日食べれる、と張り切っていたのに初日からガックリしてしまった。あまりにもさびしいのでお茶の間の冷蔵庫の上に置いてあった「四万十のり」の佃煮のビンを勝手に取って、賞味期限が2年ちかく過ぎていたけどおかずにした。お茶の間の片隅に、ビニール袋にシークワサー(沖縄のミカン)が沢山入っているのをアコが見つけて、「これ欲しいねぇ」という。おばあさんがお茶を入れに来てくれた時に、アコがテーブルの下で僕をツンツン、と突っつく。「早く頼んで」ということだろう、と思って会話のタイミングを計っていると、待ちきれなくなったアコが自分で言い出して、おばあさんも気前良く沢山くれました。
 宿には他に若者5人組がいた(素泊まりにして晩御飯は外で食べたみたい)。彼らが順番にお風呂に入っていくのでそれが終わってやっと入れたのが10時頃。なんかちょっとさえない、沖縄初日の宿であった。

宿泊:民宿平良(たいら)4000円


2日目:12/31(月) 大宜味村大兼久→辺戸岬→国頭村奥 (45km)
 朝ご飯は8時、とのことなのでちょっと前に起きるが、なかなか声がかからない。しょうがないので下のお茶の間に行ってみると、おかずが準備してあった!(卵とポークとチンゲン菜の炒め物)おはようございます、と声をかけると、ご飯と、なんと味噌汁まで出てきて感動した。昨日はいなかったおばさん(どうも近所の助っ人では)が持ってきてくれた。で食べ終わったら、民宿のおばあさんが戦時中の沖縄の写真集を持ってきて話を聞かせてくれた。アメリカの兵隊が来たら戦うんだ、と竹やりの練習をおばあさんも実際にやったとのことで、当時はなんと馬鹿なことを大真面目にやっていたのか、という話や、いまビンラディンの部下達がやっている自爆テロや戦争のニュースを見ると、当時の日本とよく似ている、と思うよ、と話してくれた。このような話が聞けたことで、(そしてお茶請けに出してもらった魚のてんぷらのおかげもあり)、この民宿の評価が急に高くなった。そんなことをしていたら9:30ころになり、あわてて自転車組立てと出発準備を始めた。
 10:30ころ、ようやく出発して海岸線を快走。でも1kmくらい行った隣りの集落(喜如嘉)ですぐ止まり、海岸の板干瀬(いたびし。鬼の洗濯岩に似ている)をちょっと見てから、「村立芭蕉布会館」を見学しようと小道に入っていく。残念ながら大晦日のため休館、しかしこのあたりは沖縄の中でも特に芭蕉布の生産が盛んなところのため、芭蕉の木が畑のように沢山植えられていて、家並みも昔の沖縄の風景がよく残されているので、ちょっとポタリング。各家々の塀からもきれいな花が咲いている。すると歩いていたおじいさんが呼びとめてくれて、「キジョカの民具をみたいでしょう?」と資料館の場所を教えてくれた。さっき自転車で走っているのを見かけたので教えてあげようと思って、、、とのこと。さっそく行ってみる、電気が消えていて薄暗いが戸は開いていたので、入って見学。沖縄には「キジムナー」という木の精のような妖怪の話があるが、大宜味村ではこれを「ブナガヤ」というそうで、ブナガヤの絵や人形がたくさんあった。なんでも、髪の毛などが乱れて荒荒しい様子を、「ブナガっている」というのだそうで、これ以降、我が家の流行語となった。ちなみに辺土名高校というのがここの集落にあり、今度甲子園に特別枠で出場するのだそうだが、野球部員は9人しかいないとか・・。
 そうこうするうちもう11:30になってしまい、すこし真面目に走りましょう、と、次は辺土名集落にある道の駅まで、海岸沿いの国道58号を10数km走る。国道だが名護を過ぎれば車も大して気にならない。暖かいのでTシャツで走る。道の駅では、昨日のこともあるので各宿に電話でリコンファームする。国道沿いには時々沖縄民謡や古典音楽の歌碑が立っているので、見つける度に記念写真を撮りながら行く。北端の辺戸岬手前に「茅打ちバンタ」というのがあり(ハンタというのは崖のこと)、100mくらいアップするといい眺めのところに出た。そこから下ると辺戸岬に2時頃着。海流のせいか、波のドドーンという音が良く響いている。戦後、沖縄の日本復帰運動がここを中心にして行われていたそうで、本土復帰の記念碑があり、ほかにも何やらいろんな碑が立っているところだ。
 ここのレストハウスで遅めの昼食、あまり沖縄家庭料理風なものはなかったので適当に食べる。
ここまではずっと海岸線だったが、ここから187mの小さな峠を越える。途中、「カニ横断注意」と「かめ横断注意」の交通標識が有った。ここを下ると本日の宿泊地、本島最北端の集落、その名も「奥」である。
奥の共同店でいろいろ買い物をする。(沖縄北部では各集落毎に「共同店」というのが有って、それが集落唯一の店であり日用品や食料品を売っていた) 本日の宿では「お酒を飲みたければ買ってきて下さいね」と言われていたのでビールと泡盛とつまみ、それから明日は東側の県道に入るのでますます田舎になるし、なんといっても元旦なので昼ご飯を食べられるところがないかもしれないので、非常食をいろいろと購入した。それからこの集落特産の「おくみどり」というお茶も購入。(那覇では売っていないと言われたので)
店の周りでは、放し飼い?の鶏が歩き回っていたりして実にのどかである。さて本日の民宿は、川沿いの看板をみて小道に入っていくと見えてきた、サンゴの石垣の奥には萱葺き屋根の家があり、おうイイ感じだ!と思っていたら御主人が出てきて、これもヒゲ・長髪・作務衣の自由人か酔狂な風流人か、というような風体で迎えてくれた。でも話振りは軽妙でフレンドリーな感じであった。石垣を通ると、萱葺き屋根は囲炉裏の有る食堂で、客室は別棟となっており、これはこぎれいな部屋、我々の部屋はベット室で、布団もきれいであった。サロンみたいなところに本棚があって寛げるようになっており、実はかなり洗練された宿である。いろりで御主人と話してみると、客室は3部屋しか無いし、この辺の民宿はもうほとんど廃業しているのでいつも予約が一杯だそうで、大晦日に取れたのはとてもラッキーだったらしい。お客のオジさん(沖縄人)とも囲炉裏を囲んでお話する。もう一家族(4人)は、大晦日にここの予約が取れたのは3年ぶりです、と言っていた。晩御飯は、太巻き寿司と、魚の入った和え物と、年越しなので沖縄そば、それともう1品くらいあったかな?そんなに多彩では無いけれど、美味しかった。(飼い犬のシータが、ご飯をくれ、と膝に「お手」をするのがちょっと困ったが...)そして泡盛も御馳走してくれて飲み会になり、結局お酒を買っていく必要は無かったようだ。ヤンバルクイナの鳴き声も聞けた(御主人によると、時々庭にも来るそうだ)し、ハブの話や色々楽しかった。お風呂ものびのび入れる大きな岩風呂で、きれいになっており大満足。アコは本棚の本で那覇の美味しい店情報を仕入れていた。11時ころ就寝。

宿泊:民宿海山木(みやぎ)5000円


3日目:1/1(火) 国頭村奥→安波→東村平良 (60km)
 お客のオジさんは初日の出を見に岬へ車で行ったらしいが込んでいて大変だったらしい。夜〜朝にかけて雨だったので日の出は見えなかったそうだが、8時ころ囲炉裏で朝ご飯を食べていたら日が出てきた。朝ご飯も魚の味噌汁とご飯と、目玉焼きやほうれん草などいろいろ食べれて、食後のコーヒーまで有りとてもGood。ヤンバルの湧水をボトルに貰って、9:30出発、宿の御夫婦が遠くまで手を振ってお見送りしてくれた。さて今日は元旦ながら、今回のランで一番長距離、田舎道で補給ポイントが少、アップダウンが多そう、ということでちょっと困難が予想されるので心して出発。7〜8km先の楚洲まではきれいな海を見ながらの道だったが、その後は両側に原始林と山並みを見ながらのサイクリングとなって予想以上に山っぽい感じである。集落によっては県道から外れて小道を通っていかなければならない所もあり、この県道沿いはどこまで行っても何にもない、山の中の道だった。安田集落の分岐の所でなぜか突然こぎれいなホテルがぽつんと立っていた。27km行ったところの安波集落手前で、「タナガーグムイの植物群落」という看板があり、小道に入って行ってみると、山道を3分ほど歩いて下ったところにきれいな滝とプールのような池、そして原始の植物群落が見れて30分ほど休憩した。そして安波集落で11:30となり、ここを過ぎるとしばらく集落もないのでご飯が食べたいなあ〜と思ったんだけど、共同店も食堂も有ったけどお休みで、ああやっぱりねえ〜と思いつつもちょっと悲しい。仕方なくまた走る、ここからの登りも急で、かなり内陸部に入る。米軍のジャングル戦闘訓練場が西側に広がっているらしく、途中でゲートと門番、番犬がいるところがあったが他は何も無い道が延々続き、しょうがないので途中でおやつを食べた。次の小集落高江で14:00過ぎ、コーヒー店の看板が見えたので入ってみたら、ここは開店していた。「ヒロコーヒーファーム」という店で、大阪出身の人がハワイでコーヒー栽培したのちここに移り住んできた、とのことで、掘建て小屋だけどハワイ風?な雰囲気が有って、レゲエが掛かっていた。お腹減っていたがメニューを見ると食べ物はトーストしか無いようなので、コーヒー2つとトーストを3枚!といったら「ごめんトーストはあと1枚しかないんだ」とのことで残念、まあここまでくれば本日の宿の集落まで15kmなので、ゆっくりとお茶を飲む。掘建て小屋の中では鶏がフンをしたりしているが、なんか開放的な雰囲気なので許せる。高江からはパイナップル畑を通って海岸に下りていく、少し人里っぽくなってきた。途中海岸で休憩しつつ、本日の宿泊地、東村平良には16時前に着いた。ここは共同店も開いていたので民宿の場所を教えてもらい向かっていく。と、民宿の名前がかいた看板があるが、気になることが書いてある…まさか…と不安に思いつつも到着すると、うわあ〜元旦の宿がこれかよ!と悲しくなるような、真っ赤に塗られた「コンテナハウス」がごろごろと横たわっていた…。(プレハブ住宅等ではなく、トレーラーの後ろに乗っかっている、あのコンテナそのものである。あれにドアと小さな窓1個がついている。田舎のカラオケボックスなどには見たことあるが、あれが宿になっているのだ)
あたりをうろうろしたがやはりこれに間違い無いようで、コンテナハウスのおばさんが外に出てきて「は〜いこっちよ〜」と手招きしている。仕方ないのでそちらに行くと、おばさんは妙に明るくお部屋はここね、とか洗濯機使って良いわよ、とか言っているけどショックから立ち直れない。今日はお昼もろくに食べていなかったからお宿に期待が膨らんでいたし、腹も減っていたので余計ショックも大きかったのかも知れない。予約するとき電話で言ってくれれば他を探したのに…。アコもがんばって走ってきただけに悲しそうな様子である。割り当てられたコンテナ(ひと部屋+ユニットバス付き)に入るが、なんかとても寛ぐような感じじゃないので出かけることにする。
 まず共同店に行き、沖縄そばのカップ麺のような手作り品が売っていたのでこれを買い、お湯を入れてもらってから砂浜に行って、座って食べる。この後、気を取りなおして共同店で天然記念物「サキシマスオウの木」への道を教えてもらい、見学に行く。根っこが板状になっている立派な木を見て、暗くなってきたので共同店に戻ってお酒やつまみ、サータアンダギー(揚げパンみたいなお菓子)、タンカンなど買い込んで、宿に戻る。食堂は別のコンテナで、入るとちょっとした飲み屋のようなカウンターになっている。いろんな建設業界の人の名刺がたくさん貼ってあるので、そういう人達の宿なのであろう。夕食はトンカツとその他のおかず数品とご飯と、そして今日も沖縄そば。現場の人の宿らしく量はそこそこ満足できる。部屋にお茶セットが無いので急須にお湯をもらって、部屋で泡盛お湯割を飲みつつ、テレビで「筋肉番付」というのを見ながら元旦の夜は過ぎていったのでした。すぐそこが海岸で潮風が吹いてくるからか、夜はかなり寒い。

宿泊:民宿(コンテナハウス)仲間荘5000円


4日目:1/2(水) 東村平良→多野岳→本部町健堅 (45km)
 今日は早く出よう、ということで7:30朝食。ちょっと曇っているので長袖を着て走る。今日は峠越えをしましょう、ということで、いくつかルートが有るが、一ツ岳〜多野岳経由のダート(サンゴ混じりの石灰質の路面、と地図に書いてあったので行ってみたかった)を目指すことにする。宿から3〜4km行ったところで「慶佐次湾のマングローブ林」(なかなか良)を見学したあと、峠の道へ。看板も無くちょっと迷ったけど、トラックが走ってきて「名護に行ける道だよ」というので間違いないでしょう、ということで上っていく。最近まではサンゴの路面だったらしいが、今はきれいに舗装されていた。廻りは南国の原生林という感じである。沖縄ってこんなに山があったのね、と改めて思った。坂が非常にきつく、14%で登ったり下ったりして、とてもハードだった。天気も小雨がちらついたりして寒いので、カッパを着て走った。登ったり下ったりキツイので、多野岳はパスして一ツ岳から川沿いに下る道に入りましょう、と思っていたのだが、分岐を発見できず、結局予定通りになってしまった。途中の休憩でサータアンダギーを食べたらパワーが出て、多野岳越えはすぐだった。後は下り、途中で「いこいの村」にちょっと立ち寄り、また西側のきれいな海が見えてきて一気に下る。
 国道まで着くと、すこし暖かくなった。車もたくさん出ており、久しぶりに都会に戻った感じである。名護市中心街はみんな店が閉まっていたので、バスターミナルの食堂ならやっているだろう、とそちらへ向かう。ターミナル裏の「山原そば」の看板がなんか老舗っぽいのでこれに入り、今日もソーキそばを食べる。あとフーチバ(ヨモギ)おにぎり。途中で通った喫茶店は開いていたよね、ということで、ケーキでも食べよう、とそこまで戻って「喫茶ジュリエット」に入ると、中は瀬戸物骨董品が並んでいた。御主人は声が大きく、妙な調子で「ようこそ〜。疲れているならこれもおすすめですよ〜」と言われたが、それは頼まずにコーヒーとケーキを食べて帰ろうとすると、「もうお帰りですか〜?」と言われて、そこからいろいろお話をしてみたら実はとてもいいオジさんだった。名護のおいしい店の場所とか、これから向かう方面のお薦めポイントとかを教えてくれ、ハブ酒のんでみる?と勧めてくれたり。おじさんは午後だけ都会で喫茶店しているが、山のなかの囲炉裏のある小さな家で農業をしているのだそうで、そっちの家の1ヶ月の電気代は電灯だけなので600円、冷蔵庫もテレビもラジオもない生活をしています、とのことで半仙人のような人であった。横浜からきたというと、オジさんも昔関東に働きにいってたそうで鶴見にも詳しく、「いまでも公害はひどい?」と聞かれた。オジさんのところで取れたミカンをもらって、15:30出発。
 名護から本部(もとぶ)までは、途中まではとてもきれいな海岸線で、車が多いけど歩道が整備されているので走りやすい。しかし山は土木工事用に削られていて、砂利会社やコンクリート会社がたくさんあった。風が強くなってきて、塩川あたりから強烈な逆風となるが、ひたすら走った。廻りに建設会社が多く、今日もコンテナハウスだったらどうしよう?と思いつつ17時ころ今日の宿泊地、健堅(けんけん)の民宿「はまさき荘」についた。ここはドライブイン(レストラン)もやっていて、我々は2階の客室に通された。畳が新しくて布団もきれいで、まずは一安心。ちなみに3階を覗いてみると、建設現場作業員の長期滞在宿ふうな雰囲気があった。お風呂は小さいけど湯船が有って、窓から海も見えました。夕食はてんぷらで、沖縄料理じゃなかったのがちょっと残念。お汁の豆腐だけ沖縄風だったけど。食後、部屋用のお茶を貰いに台所にいく。「焼酎とかも、ありますか?」って遠慮がちにきいたら、泡盛でいい?って聞かれてハイと答えたら、久米仙1合とお湯を入れてくれた(サービスだった)。
今日はこれでお湯割しながら、新春隠し芸大会をテレビで見つつ1月2日の夜は過ぎて行きました。

宿泊:民宿はまさき荘5000円


5日目:1/3(木) 本部町健堅→今帰仁村→屋我地島済井出 (45km)
 朝ご飯7時半、食堂に下りていったら、今日は昨日のおばさんではなくて、オバアさん2人で準備してくれた。9時出発、今日も曇りでちょっと寒い。(日本列島に寒波がきて、大雪だったときですね)。
まずは瀬底島に橋で渡って、ちょっと海岸を見たりする。本日の見所 今帰仁城跡に行くには本部半島の海岸をぐるっと廻るか、または山を通っていく道があり、山側には陶房と喫茶店があるとのことで、アコはそちらに行きたいと言っていたが、電話すると休みとのことで、残念ながら海岸線で行くことに。沖縄記念公園は、復帰間も無い頃に博覧会が開かれた会場で、そのあとずっと廃墟のようになっていたらしいが、最近また整備されたようですごく大きな公園である。植物センターと海洋館を見たら、もう昼になってしまった。そのあと備瀬のフクギ並木を見て(とても良かった。古い沖縄の家並みが、びっしり生えたフクギの木々と共に残されている)、今帰仁城跡へ。ここは世界遺産に登録された観光地で、万里の長城のような石垣が残されている。ここではおやつを食べて空腹をごまかし、ガイドブックで読んだ名護市の外れ(本部半島北側の付け根)にある「やんばる船」というしゃれたお店まで我慢することにする。が、2時半頃やっとついたお店は、つぶれていた(ガイドブックがもう6年前のだもんね〜)ので、代案として1kmほど先に有る我部祖河(がぶそが)食堂へ向かう。ソーキそばの元祖の店、ということで、今日もまたそばか〜と思うが仕方ない。店につくとゴーヤチャンプルーのメニューがあったので、やった!と思って頼むと、「ゴーヤはいま準備中です」だって。生ビールも書いてあったので頼むがこれも「準備中」、結局ソーキそばしかないのか…と思うがチャーハンも書いてあったので頼むとOKとのこと、もう3時で腹減ってるので、「チャーハン+ソーキそば小」各2人前を注文した。運ばれてきたのはチャーハンと、小どんぶりのソーキそばと、普通どんぶりのソーキそば各2個で、??。小どんぶりのソバはチャーハンについているやつで、普通のどんぶりは「ソーキそば小」だって。チャーハンにはソバが付いてるよって言ってくれればいいのに…ブツブツ。全部食べたら超満腹になってしまった。ここから宿の屋我地島までは10km程度、橋で島に渡ると車も少なくなって海もきれいで良い感じ。途中の浜で小休憩してウニやナマコや貝をつっついてから、本日の宿 屋我地荘に到着。海岸近くの民宿、コンクリート2階建て。部屋は畳で割ときれいな感じ、お風呂やトイレは学校のような広さで、海の家みたいな感じの宿である。初老のおばさん一人でやっているようで、他にお客はいないようだった。晩御飯までおなかをすかせないといけないので、散歩に出る。やぎや牛を飼っている家もあり、立派な木があったりしてイイ感じ。外灯もほとんど無くて、本島からすぐだけど離島に来たような感覚が楽しめる。晩御飯前にお風呂に入る、途中からお湯が出なくなって水になり、そのうち戻るかな?と思っていたが戻らず、すごく寒い思いをしたので部屋で毛布に包まる。女湯も同じだったらしいので、夕食を食べに食堂にいっておばさんに聞いたら、あれ〜スイッチが切れてたよ、ごめんごめん、とのこと。で、焼酎はありますか?って聞いたら「うんサービスするからね〜」とお湯割を作ってくれた。(別に狙ったわけではないんですが)
 晩御飯はご飯とおつゆとサラダとお刺身がちょこっと、海の家風なシンプルな食事である。食べている間おばさんは別室で、民謡の練習を始めた。で食べ終わったら「1曲きかせましょうねぇ」といって出てきてくれた。二見情話というのを歌いましょうねぇ、というので「あのちょっとさびしげな歌ですね」といったら、(これは男女デュエットの歌なので)じゃあ知ってたら男のところを歌って、といわれ、おばさんが民謡の本を出してきたので、これを見ながら歌うことになった。川崎で習ったことがあるので、というと、おばさんはじゃあこの曲は知ってる?といいながらたくさん弾いて歌ってくれた。私はもう2年くらい教室通いをお休みしているのでだいぶ忘れてしまっていたが、楽しい歌タイムを過ごした。おばさんはアコに三線を教え始め、15分でできるよ、といって一生懸命教えた後、ちょっと1時間くらい出かけてくるから、といって出ていった。で、その後は私が久しぶりに三線をしばらくいじっていたが、おばさんがいつまでたっても帰ってこないので「沖縄時間かなあ〜」ということで寝ることにした。部屋からは波の音が聞えてきてイイ感じ。

宿泊:民宿屋我地荘5000円


6日目:1/4(金) 屋我地島1周→名護市=(バス)=那覇 (20km)
 今日は8時過ぎの朝食、おばさんがとなりに座って、食べながらいろいろお話をしてくれた。マダガスカルの研修生が定期的に海老の養殖技術研修で3か月程度の滞在をしていくのだそうで、一回目の人とは一言も話が出来なかったけど、2回目が来たので決心して英語とフランス語を勉強して覚えたのだそうだ。冷蔵庫にも単語表が貼ってあったり、自分で話しているのを録音して車を運転しながら聞いたりして、それは一生懸命勉強したよ、と言っていて、感心してしまった。島にいたってやる気があれば語学勉強も国際交流もできるんだなぁ〜、と思った。
 さて今日は晴れ、宿の裏の海岸で写真をとったりして9時半ころ出発。まずは屋我地島を一周する。済井出のアコウの木、というのが有り、「この木なんの木」みたいな立派な木だった。島の北部には愛楽園というのがあり、何かと思ったらこの一帯が大きな老人保養施設町のようになっているのだった。環境が良いし暖かいので、都会で狭いところに入るよりは幸せかも。この後、固宇利島へ渡る建設中の橋をちょっと見学、それから最北部の運天港と、オランダ墓というのを見た、これは実はオランダ人では無く、昔フランス船の乗組員が来ているときに病死してしまったのでここで葬ったところ、とのことで、異人のことを「ウランダー」と呼んでいたのでオランダ墓になったそうだ。先日のサミットで来沖した大統領をここに案内したらしい。それから島の西側を通り、屋我地小学校のアコウの木を見学。これもすごーく立派な木。でも「最近ちょっと元気が無いので樹医さんにみてもらってるんです」と地元の人は言っていた。こんなにすごい木は樹齢何百年かな?と思ったら、たったの100年だそうだ。沖縄の恵まれた環境では植物もどんどん生育するということなんでしょうか。
 そして本島への橋を11時に渡り、名護市に戻って、喫茶ジュリエットのオジさんに教えてもらった「八重食堂」という沖縄そばが美味しいと評判の店に行く。ここは現場作業員の人や地元の人がたくさん食べに来ている。ソーキそば大(600円)、麺が延びないようにつゆと麺が別々で運ばれてきて、つゆは自分でかけて食べる。うまい、ソーキもたくさん入っている。毎日そばを食べてるけど、ここは確かに美味しかった。
 さて名護バスターミナルへ行き、13:55だったかの高速バスに乗ることに。来た時と違ってバスは空いていた。那覇バスターミナルまでほとんど眠りっぱなしで、15:40ころ着、2000円ほど。ここから本日の宿「沖縄ホテル」へはタクシーとした。これはアコがガイドブックを見て選んだ宿で、那覇で最も歴史の古いホテルとのこと。もしかしてすごーく古い建物だったりして、とちょっと期待もあったのだが、そんなことは無かった。部屋で一服してから、市内観光、焼物屋さんが集中している焼物通りがあるのでここで土産など物色する。私はシーサ(沖縄の民家の屋根の上にのっている獅子)と、石巖當(いしがんとう 道の突き当たりに、魔よけとして貼ってあるまじないの板)が欲しくていろいろ見たんだけど、気に入ったのは高くて、お土産用の小さいのを購入した。アコもいろいろ見て廻って、抱瓶(だちびん お酒をいれる瓶で、からだにフィットするようカーブしている)を選び抜いていた。すっかり暗くなるまで歩き回って、お腹がへったので晩御飯へ。きょうこそは、沖縄家庭料理の美味しい店に行きましょう、いうことで、本で見た店にちょっと遠いけど歩いていく。国際通りを通りぬけ、腹減りまくってその住所にたどり着いたんだけど、店が見あたらなくて、近くのホテルから電話をかけてみたらなんと移転したとのこと。今回の旅はほんとに沖縄料理には恵まれないなあ〜と思ったけど、そのホテルのインフォメーションでお薦めの店を聞いて、またがんばって歩いて、着いたらなんと行列してたけど、二人ならカウンタで座れるというので転がり込む。オリオンビールで乾杯して、やっとやっと、イメージ通りの沖縄料理を頼みまくって打ち上げをした。超満腹で、泡盛も入ってかなり酔っ払ったみたい。初めは2次会で民謡酒場行くつもりだったけど、もう10時となり酔っ払ってもいるのでホテルに帰ることに。コンビニで「うっちん茶」のペットボトルを買って帰る。ホテルの大浴場でイイ気分になり、うっちん茶で二日酔いを防止して12時ころ就寝。

宿泊:沖縄ホテル7500円


7日目:1/5(土) 那覇=(飛行機)=羽田 (0km)
 ホテルの朝食が9:00までなので、ぎりぎりにかけ込む。空港までは、バスが込んでて輪行袋の大荷物があると大変そうなので、タクシーで行くことにした。運転手さんがいろいろサミットのときの話などしてくれた、なんでも要人用のホテルは建設時からテロ対策を行うため、コンクリートを打設するにもいちいち警察が立ち会った、とか、サミット前後1か月ずつは一般客がストップとなったので余り儲からなかった、もうかったのは道路屋さんと弁当屋さん。とか、サミット会場は開放しているから今度きたらみていくといいよ、とか。ヤンバルを走ってきた、というと、タクシーで案内することもあるけど、東側の道路は延々と何も無いところが続くのでたいていお客さんは寝ちゃうんだよねーと言っていた、なるほど。帰りの飛行機は11:30発、お腹がすくのでアンダギーを3個食べたら胸が一杯になってしまった(思い出に、とかではなくて、油っこくて、です)。
東京にかえってきたら、寒くてすぐ風邪を引きました…。