2005 国民体育大会

by 松井 久 [*1](投稿日:24 Nov - 13 Dec 2005)

遅くなりましたが国体報告します。[*2]

*1] ニカウはアテネのかかった昨年の全日本に出場するため、気合いを入れ直してレース復帰。その余波から活躍続いています。'04全日本選手権ロード(修善寺)14位★(完走14/98)、'04全日本実業団対抗ロード(播磨)14位★、'04全日本実業団クリテリウム(神戸)13位、'04国体ロード(埼玉)11位。'05近畿ロード(美山)3位。'05都道府県対抗ロード(明石)9位。'05全日本実業団対抗ロード(大町)10位★。(★は第一線メンバ)現在の所属チームはナカガワAS.Kデザイン。【以下注は、goki記】

*2] 今年10/23(日)に岡山県美作市の岡山国際サーキットで行われました国体ロードレース。古参選手のインサイドレポートてな感じで書いてもらいました。国体は、現在準PRO層がでておらず、チームで動く実業団や全日本ともまた違った雰囲気と思われます。


国体予選(大阪府)
 1kmTTと4km速度に出ましたが、どちらも二位でした。しかしロードの実績から選ばれました。
 大阪といえばかつては日本代表になるより国体選手になるほうが大変といわれていましたが、もはや昔日の感。高校自転車部も低迷し、廃部になったり寸前の高校も。ポイントレースは予選まであったのに全参加者は少年成年合わせて2〜30名。しかし草レースは盛んなので自転車乗りが減ったわけではなく、競技志向の選手が減ったものと思われる。


ロード前日
 現地には競技日の前日に入りました。近い(大阪ー岡山)ので九時ごろには着き、コースをピスト組皆で試走しました。前日なので足はなるべく使わないようにしたかったのですが、若い高校生は言う事を聞いてくれません。若い血がそうさせるのでしょうか。一周約60kmを二時間ぐらいでまわりました。途中片上鉄道跡が自転車道になっていて、大学一年目の春に備前片上駅に泊まったことなど思い出しました。
 試走が終わったものの何分弩田舎なもんで昼飯を食う所が見当たらず探しながら車で移動すると宿に着いてしまいました。ここで明日のロードに備えて食っとかなければいけないのですが監督がカップ麺食っとけと非情の指示。これでは明日走れんと他のロード選手を乗せて自分で運転して国道にもどってなんとか昼にありつけました。
 晩飯がまたひどくて一応ホテルの定食なのですがホテル側の段取りが悪くて結局30分以上待たされ、その挙句に出たものは薄っぺらいステーキと一杯のスープとわずかな野菜とご飯のみ。ご飯のお代わりもやっと貰える有様。大事な当日の朝飯が思いやられます


ロード当日
 二時間前に食い終わるように食堂に向かいました。出されたものはロールパン二個と卵焼き。パンのお代わりは不可。パン二個で160km走れるかと怒り心頭。昨日とは違って空いていて、どうもおかしいと思ったら皆さっさと引き上げた後のようでした。私もさっさと切り上げ部屋で昨日買ったパンにかぶり付きました。


昨日は条件の悪さを述べましたが、これらが本番に悪影響を及ぼしたかといえばそうではありません。なんせこの道20年ですから、うまく切り抜け多少の外乱で不利になることはありません。


 レースは車用のサーキットを5周してから外の大周回を二周し、また戻ってくる。国体といえば町の中心を発着するのがお決まりだったので、観客が関係者のみで寂しかった。スタートは何故か一番前。地元岡山の隣です。地元期待の行成君[*3]はその足を見込まれ香川県から国体要員として移籍していました。面識があるので世間話も少々。良く見ると彼のハンドルステムにはなにやら数字を書いた紙が貼り付けてあります。
 「これマークする選手のゼッケンか」
 「そうです」
 「わしの番号ないやんけ」
 「ちゃんとありますよ」
などと喋っているうちに町長だか市長による発走の号砲がなりました。


*3] 行成選手は'98年にツールド北海道に優勝したこともある。元ミヤタスバルレーシング所属。

 成年(のレース)はサーキットを5周してから街道に抜けるのですが、みな牽制してサイクリングペース。それにも拘らずコーナーで早くもこけて二人ほど棄権となっていました。(何しに来たかわからん)大周回は上りが一箇所ある他はほぼ平坦ですが、その上りは終盤で足に来ているかもしれないのでギヤ選びに迷いましたが、安全を見越して12-25にしていました。
 たいした展開もなくだらだら進みました。逃げというよりは速度が上がった時ぼんくらな奴が自分の足を使わないよう前を開けるために自然に集団が分裂するといった具合なので、前の集団も積極的に逃げようとはせずそのうち吸収されるというのが繰り返されました。国体もだいぶ欠席しているうちに知った顔も少なくなったので、試合中にしゃべる相手も見つからず黙々とペダルを踏みました。一台どこから侵入したのか乗用車が対向してきました。国体にしては珍しい光景でした。幸い見通しが良かったので、不都合はありませんでした。
 ゴール前5kmからちょっとした上りがあるので、ここで最後は掛け合いになるのではと思っていましたがそんなこともなく先頭から二番通過で上りを越え、最終のサーキットに戻って来ました。ここで集団は50名程。あまり足は使っていなかったのでゴール勝負になればそこそこいける手応えはありました。ここでお決まりのアタックが始まりました。


アタックがあっても追うか追うまいかが難しい所。知った顔なら決まるかどうかおよそ見当もつきますが、なんせ知らん奴ばかりなのでついつい二の足を踏んでしまいます。そうこうしているうちに、気がつくとうち五六人がやや先行しています。ここで地元の行成がしびれを切らして追走しました。


 本来ここで一気に集団の速度が上がって丸ごと呑み込むところですが、なかなかそうなる気配がありません。行成はどうやら先頭に追いついたようですが、ここからがやらしい人間模様がくりひろげられるのです。皆が順々に先頭を引けばおそらくそのままゴールまで行けたのでしょうが、絶対ずるいのがいるものです。一人さぼれば残りはやってられないとなるので、牽制が効いて速度は下がります。今年のツールでも二人逃げててそのまま行けば悪くても二位だったのに片方のせいで吸収されたステージがありました。
 それで結局大集団ゴールにもつれこみました。私はのんびりしすぎてゴール前にいい位置を取っていなくて前に出られない所にいたのですが、最後の最後で幸運にも前が開けてゴール50m前からやっともがいて10人ぐらいかわして6位まで上がる事ができました。


全国大会の表彰台に上るのは久々でしたが、やはりいいものですね。


 その後のピストは全くいい所ありませんでした。でもロードで六位になってから急にそこらへんの若い選手が私に挨拶するようになりました。まあこの世界、勝ってなんぼですからそんなもんですね。
 昔一緒に走った大野直志[*4]なんかが監督で来ていて、そういう人と何年か振りに会うのも良かったです。


*4] 大野選手は東北学院大学から日本舗道(Nippo)に入った当時有力なロードスプリンタ。

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4000m団体追い抜きにて。先頭がニカウ。


関連リンク:
酔狼通信142: 観戦レポート