2013年GWツアー 四国

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瓶ヶ森にて

by GOKI(投稿日:31 Mar 2015)(最終投稿日:27 Jan 2016)

Map, Click to Popup 日程:2013/4/29(月)~ 5/6(月)
参加:G(計画)、野田、宮村、野田潤、那珂、浦野、酔狼、DAZ、奥山
コース:=徳島→脇町→五色台→琴平→奥祖谷→本山町→しらさ峠→道後温泉→尾道=

 ツーリング記録 参照
<はじめに>
 もう2年近く経ちますが、まだ残る記憶と当時の記録をベースにして報告を書きます。前置きがちょっと長くなりますが、おつきあいください。
 *怪我からの復帰
 2012年末に転倒事故で脳挫傷、2週間入院。退院後、仕事はセーブ、運動は禁止、車の運転は絶対ダメ。もう走れないかも、人生終わり、というくらい落ち込みました。3ヶ月弱のアイドリング期間で問題が無かったことで、やっと医師から通常生活復帰へのお許し。ただただ幸運な結果でした。入院中に発注したヘルメットが希望を繋げたのか。
 久しぶりに走ると、感覚がフワフワとおかしくなっていた。週末に短い距離を走って慣らしていきました。2月の終わりには、GWツアーを走ることを目標に決め、少しずつ体力を回復。なんとか間に合った。また、これを機に、転倒時の旧車から、作ってあった新しい自転車に切り替えました。
 *コースの計画
 四国でのツアーは1992年以来21年振り。そのツアーの最終日は強く記憶に残っています。石鎚からダートの瓶ヶ森林道を走り、寒風山から西条に出る、という当時は当たり前の強行軍で、何度もあったパンクを乗り切り、これしか無い電車に間一髪で滑り込み。今さらながら当時の3人の女性陣は良く走ったものです。実は、瓶ヶ森との縁は1978年、大学1年の春休みまで遡ります。石鎚YHに泊まった翌日、この林道は冬季閉鎖で入れなかったのです。それじゃ、自転車を担いで石鎚山を越える。。。登山道入口で仲間に説得されて渋々止め。その後に、一人で開聞岳や羊蹄山を担ぎで登りましたが、残雪の石鎚山は止めておいて良かったと思います。
 今回また瓶ヶ森林道を走ろうと調べたら、既に全舗装になっており、とても良いスカイライン。これを逆に登っていくコースを今ツアーのメインに据えました。また、当時は通りすぎたシラサ峠の山荘がとても良い宿と分かり、組み入れました。さて、コースの前半では、徳島からスタートして、お遍路と讃岐うどんをキーワードにしながら、酔狼さんオススメを取り入れつつ進み、ハードな峠を一発。メインの瓶ヶ森を走った後は、岩屋寺、道後温泉と来て、初めて行くしまなみ海道を通って尾道で締め。なかなかに盛りだくさんです。


1日目:4/29(月) 徳島→霊山寺(1番札所) →極楽寺(2番札所)→脇町 (62km) 曇り|晴れ
 メンバ:G、野田、宮村
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 *徳島集合
 ひたちかの自宅を暗いうちに出発、始発電車に乗る。岡山でうずしお11号に乗り換え。昼になっても、まだ少し眠いが。。。駅弁のたこめしがうまい。瀬戸大橋からの眺め、ちょっとくもり。
 徳島駅には1時に到着。自転車を組立てたところで、神戸スタートの野田と出会う。昨日の三本松キャンプ場からもう60km走ってきたとのこと。川崎スタートの宮村は、和歌山からのフェリーで来る。なんと直線的な経路か。なかなか来ないので、再度電話したら、港から違う方向に行っちゃったと。。。無事に三人揃ったところで、野田が三脚を立て関西OB会のフラッグを出す。野田と走り出してからお約束みたいになった。最近の走るメンバはクラブOBばかりなので、まいっか。
 *お遍路さん
 首尾よく予定の2時には出発できた。初日は午後だけなので、お遍路さん気分を少しだけ。1番、2番札所、明日は88番札所に行って、即席一回りなんて、バチあたるかしらん。いつも5万図を持っている野田をTOPに、吉野川を越えて北側に向かう。途中トラックの多い狭い道ではひやひやする。野田のサイドからなんか落ちたと思ったら三脚だった。
 霊山寺(りょうぜんじ)は1番札所だけあって良い感じに古いお寺。けっこうな人が来ていた。ゆっくり中を回り、雰囲気に浸る。お遍路さん用のグッズも物珍しい。自分は旅の小さなお守りを買う(ナスにカエルが入ったもの)。ここからほんのちょっと下ると、2番札所の極楽寺。こちらは人が少ない。弘法大師御手植の長命杉、ちょっと高いところに登って本堂に参拝。神社風な感じがする。
 本日のお遍路はこれでおしまい。5番札所の地蔵寺の近くで南下して、吉野川沿いに出る。土手上の舗装路(サイクリングロード?)をのんびりと西に進み、後半のポイント、川島の沈下橋に到着。酔狼さんは近くの川島城より、こちらがオススメ。川風に当たりながらしばらくダベル。野田のキャンピングマットを見て、「自転車と同じでずいぶん年季が入ってるねえ」「そういう色ですねん」、黄ばんで見えたのは金色でした、失礼しました。

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霊山寺(1番札所) | 川島沈下橋で
 *スルー
 もう5時を回って夕暮れはじめる。野田は坂を上がって沈下橋のきれいなアングルを探す。残り20km弱、もう行かなくっちゃ。しばらく、舗装の荒れた農道を走って幹線道に出る。向かい風になってきて、黙々と走る。宿に近づいてきたところで、土柱への案内板があったが、TOPの野田は珍しくスルー。野田は今日もう100km超えている。皆んな疲れてきてるし、パスで正解だね。6時ちょっと前に宿に到着、まだ暗くない、おつかれさま。
 宿泊:ビジネスホテル 稲田苑
 受付の前にコーヒーを出してくれた。自転車は倉庫へ。まずは部屋でシャワー、着替えて洗濯へ。野田は既に洗濯終わるところ。洗濯機の前で着替えたとのこと、いつも素早い。ここは、うだつの町並みからちょっと手前にある。今ライトアップしてると教えてもらったが、その時間も過ぎそう。散策は明日にして食事に出る。ちょっと歩いて、おこのみ焼きの店。ビールと食べ放題のセットを注文。もう腹一杯だぜえ。帰りに朝食を買い出し。


2日目:4/30(火) 脇町→(土柱)→脇町→大窪寺(88番札所)→栗林公園→五色台 (97km) 雨/曇り
 メンバ:G、野田、宮村
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 *目覚め
 珍しく早めに起きたので、軽く食べた後、昨日気になった土柱に行くことにする。小雨の中出ようとすると、戻ってきた野田と出会う。彼も酔狼さんと同じく早起きで、だいたい出発前に近場を回っている。やっぱり土柱に行ってきたんだ。6kmほどだが後半ぐぐっと登り。展望台まで最後の急坂を上ると視界が開け、阿波の土柱、自然の不思議な形。下の方は大分崩れたみたい。あれっ?。戻ろうと少し下ると、左に男女神社。。。おめじんじゃ!。外にあの御神体は無いのだが、秘宝館、古ぼけた木の鳥居、奥に社務所らしき建物の配置は昔と同じ。やっと思い出した。35年前、大学1年の春休みツアーは舞鶴から淡路を抜け、今回に近い方向に四国を進んでいた。剣山に向かう前に、ここに来たのだ。まだ純な頃に、男女神社で仲間とニヤニヤしながら写真を撮ったのを思い出して、小雨なのに楽しくなってしまった。
 宿に戻ると、そこそこの雨になって来たので、カッパにシューズカバーを装備。野田は真逆で、サンダルに履き替える。8時を少し回ったところで本来の出発。まずは、オデオン座(休館日だった)前で写真を撮った後、割ときれいに残してある古い街並みを回る。ガイドブックの知識では、うだつとは軒上の延焼防止用壁、お金持ちのステータスシンボルとして流行したとのこと。それで、うだつが上らない=出世できない。残念にも雨の朝で開いているお店も少なく、ここを離れる。
 *成就
 ちょっとした丘状の地形をショートカットして幹線の105号に入ると丁度9時。暑くなりカッパを脱ぐ。少し進んで、大窪寺までの山道に入る。脱いだり着たり忙しいが、基本的に登りなので、小雨はそれほど鬱陶しくない。寺まで7kmの案内標識が出ると大分山の中。一度ピークを越えて開けたところへ降り、あと2kmは急坂をさらに30分ほど登って到着。雨は上がったがひどくガスがかかる。
 大窪寺(おおくぼじ)は門も大きいが相当に広い。88番札所だけあって、お遍路を成就した方々の札(?うろ覚え)がずらーと並んでるところがあった。来年は四国八十八カ所霊場の開創1200年だとのこと。奥の院に上る参道の門裏にも大わらじがあった。戻ってくるのに40分くらいかかったようだ。寒いのでとにかく食事。うどんの野田屋に飛び込む。打ち込みうどんって何?。関西では常識、白味噌の煮込みだと。うまいし、あったまった。付けたおにぎりが3個あったので1個野田にあげる。隣の土産物屋さんをしばし物色。みんな何か買ってたが、自分は荷物を増やしたくないので躊躇。かさばらない袋入りの生姜湯を購入。決め手はおじさんの説明。その内容は忘れたが。。。

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うだつの街並 | 大窪寺(88番札所)

 *わざわざ公園
 お昼も半ばの時間なので出発。早朝を入れてまだ36kmだがもう大分登った。少し濡れた路面を下り始める。後頭部のあたりが痛くなってくる。そして途中荒れた路面のところで、ハンドルが大揺れを始める。所謂ハンドルシミーを発症。体験しないとこの恐怖は分からない。固まりながらも徐々にスピードを落とす。新しい自転車のフレームはこの対策も兼ねて作ったので、二重にショックだった。(後に別の原因が判明するのですが。。。)とりあえず前バッグから重いものを出す。路面が良くなって症状が出なくなっても、まともに下れず、二人には迷惑をかけました。
 途中いくつか寄るポイント、ドジョウうどんの有名な所等、も考えていたが全てパス。栗林公園を次のポイントに高松市内へ向かう。路面は乾いて曇り空。「なんでわざわざ公園ですかー」と言う野田を先導に、高速をくぐった所から一度川沿いに外れて北上。写真には屋島が映っていた。西へ切り返すと街中。この道まっすぐで、とうちゃこー。2時台半ばで、72km。なんか疲れたなあ。
 栗林公園(りつりんこうえん)の中に入って、すぐに休憩。甘酒、ビール、はああ。ここは、長年かけて作られた高松藩の大名庭園。歩いて回るほどに、「公園なんて言って、いいところですやん」、壮大で変化に富み飽きない造り。来て良かったなあ。明治の教科書に日本三庭園(偕楽園、兼六園、後楽園)に優ると記述されたと。出口近くのお土産の店に入ると、野田はその場で揚げていた味豊(?)ぶたのとんかつを買う。売り子のおねえさんが目当てみたいな感じもしたが、間違いなく美味しそうだった。とてもゆったりした時間を過ごして出口へ行ったら、呼び止められた?。気付いてなかったが、宮村は途中でリュックを置き忘れており、誰かが届けてくれたのだ。有難い。

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栗林公園

 *すぐ近くだい
 宿へ向けて3時台後半に出発。街中を抜け海岸に出て大崎ノ鼻には50分ほどで到着。高松近辺の宿取りに迷っていた時、野田から休暇村とキャンプ場のある五色台の提案があり、すぐにのった。彼は当然チェックしてると思っていたが。。。海岸から少し入った位置で、標高は400m。当たり前だが、いきなりの急坂。展望台分岐から台地の西側に出て少し緩くなったが、まだ7kmある。やっと宿に到着すると、下から1時間強かかっていた。二日目にして、獲得標高は1300m近い。明日はゆっくりするぞ。
 宿泊:休暇村 讃岐五色台
 この場所は、瀬戸内海の眺めが良い。部屋に入ってすぐに、夕焼けがとても綺麗。テント持参の野田はキャンプ場に泊まる。我々は風呂と夕食バイキングでゆったり。もちろん、洗濯は野田分も一緒に。荷物を減らしているので毎日の洗濯は必須。


3日目:5/1(水) 五色台→丸亀城→善通寺→琴平 (55km) 晴れ
 メンバ:G、野田、宮村、野田潤
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 *うどん遍路
 8時前に出発。結構肌寒い。海の方には朝もや。宿のある台地からは簡単に降りられない。昨日の道へ戻るのを嫌って、南下から初まる複雑な尾根筋のアップダウンを行く。ぐるっと回り反対側の尾根にある白峰展望台でしばし休憩。後になって調べたら、すぐそばに崇徳天皇白峰御陵がある。崇徳上皇は平安末期に讃岐に配流され、怨霊伝説が後々まで続いているとのこと。歴史に弱くて引っ掛からなかった。源平もこの辺なのにピンとこない。
 ここから、あっという間の下り。野田の先導で最初は田んぼの中の道。良さげなうどん屋を探しながら進む。朝飯を食べずに出てきてる。坂出で製麺所に振られ、しばらくして横道に反れて行った店は空いていなかった。宇多津に入り、有名なおか泉は休みで、もうたまらん。すぐ近くのセルフうどん屋に入ると10時。肉ぶっかけ、やっと空きっ腹がおさまった。関東で有名な丸亀製麺(元は焼き鳥屋)はこういう店をモデルに作ったんだろうなあ。
 *曲線美
 落ち着いたところで、ここから3kmちょっと街中を進むと、高いところに天守が見えてくる。酔狼さんお勧めの丸亀城。小山の中腹から上まで石垣が組んである。そのエッジの天に向かう曲線は全く見事だ。それに比べてはいけないんだが、一番上の天守はこじんまり。中には入らず。晴れて暖かくなってきた。下界の街から海まできれいに見渡せる。
 今日は全くノンビリ。ここまで33km。城を降りて丸亀駅の方に1kmほど、線路を越えてすぐのところに、これも酔狼さんお勧めの骨付鶏の一鶴(いっかく)本店がある。外側はバーのような雰囲気、入口は高級そう。。。だが、あっさり入れた。丼かおにぎりにスープを頼み、おやどり、ひなどりを三人で分け合い味わう。油と風味が独特なんだなあ、これ。野田は当然ながらビール。丁度お昼をまたいで1時間の食事。
 *おやつ
 昨日のキャンプで濡らしたと、野田のカメラの調子が悪い。電源が入るようになってもフォーカスが動かない。まだ丸亀市内、看板で見つけたヤマダ電気に寄る。しばらく迷って、同じメーカの新機種を購入。少し小さくなったか。店内の階段で私を試し撮りしてどうすんの。
 ここを1時半近くに出発。善通寺へ向けて少しまとめて走る。線路を渡って西へ長い通り。敷地がとんでも無く広い。一番奥側の駐車場へ2時に到着。反対側の五重塔まで行って戻ってきたが、あまり印象には残らなかった。出発前に、近くのうどん屋を見に行くと休み。うどんに嫌われたかなあ。なんやかや1時間も居た。ここから、善通寺駅まで戻って、琴平を目指して線路に近い道を南東に進む。線路が曲がり始めるところで渡ると、灸まん(うどんセルフ)。3時半にして、おやつ。丼のうどんに自分で醤油をかける。コロッケ一つ。灸まんはお菓子屋と思っていたが、うどんセルフもやってるし、そばで美術館もやってるらしい。
 暑くなって今日初めてウインドブレーカを脱ぐ。琴平はもうすぐ。川沿いに進んで琴電琴平駅に到着。女子高生がいっぱい。横の公園に高灯籠、何でここに?。そこそこの高さだが、瀬戸内海まで明かりが見えたとは信じられない。今の風景の中の札幌時計台のようなものか。ほんのちょっとで参道に入り、石段の入口にぶちあたる。今日の宿は参道石段の96段目にある。野田の自転車は担ぎが無理なので、迂回路を探して別れる。数分の担ぎ押しで、4時前半に宿へ到着した。

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うどんセルフ
 宿泊:こんぴら温泉 とら丸旅館
 荷物を降ろし、玄関内に自転車を入れてもらう。まだ明るい。三人揃ったところで、本日最後のポイント、金毘羅さんに登る。そこそこの人出。脚が重い宮村は前傾して石段を登る。野田は本殿までで戻り、自分と宮村は奥社まで登る。奥社の横は下界の眺めがとても良い。平らなところからポッ、ポコッと小山が飛び出ている地形がこの辺りの特徴。丸亀城からの眺めでも不思議に思っていたが、小山の間が堆積で後から埋まったのなら合点が行く。
 宿に戻ってきたら6時。野田は風呂済み。潤子さんが駅に到着したと。歩いて駅に迎えに行く。もう暗くなってから街の居酒屋田中で夕食。ビールで乾杯。ここでも骨付鶏、一鶴とはちょっと違うが、うまい。帰りは、短パンでは凍えるほど寒かった。

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こんぴらさんへの途中 | 居酒屋で乾杯

4日目:5/2(木) 琴平→満濃池→東山峠→三加茂→桟敷峠→落合峠→奥祖谷 (95km) 晴れ(寒い)
 メンバ:G、野田、宮村、野田潤、那珂、浦野
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 *おじいさん
 潤子さんは早朝に金毘羅さんに登ってきたとのこと。7時ちょっと過ぎに宿を出る。石段では無く裏の迂回路で降りると、金比羅歌舞伎の金丸座。ちょっと前に歌舞伎公演やっててニュースになっていた。空気はひんやり。住宅地の中をちょこちょこ進むとありました。宿で教えてもらった、こんぴらうどん(製麺所)。ここで、朝飯ならぬ朝うどん。コロッケにはまだ早い時間だったので、シンプルにうどん。どんぶりにたっぷりの麺にきざみねぎ。生卵を割って醤油をかけ、いただきます。おいしくて超おやすい。
 お腹を満たして、8時前に出発。JR琴平駅を通って幹線の282号に出たところで、コンビニで軽く買い出し。晴れて、ちょっとだけあったかいような気がする。弘法大師が作らせたという満濃池に向かう。もう記憶に無いが、小学校の社会で習ったか。奥山が好きだと言っていたカレー屋を通り過ぎ、野田の先導で、川沿いのローカルロードに入る。のんびり、何故かカメがたくさんいた。直前の急坂を登りきり満濃池には9時前に到着。湖って感じにでかい。
 左端の東屋のあたりに行くと、なんかごそごそ。ここで寝ていたおじいさんが、片付けをはじめたところだった。浮浪者かとちょっと躊躇したが、皆も来たところであいさつして話始める。お遍路はもう三回り目、今回は自転車で。この近くの札所の話とか、この子猫は弱ってたのを拾って一緒に回っているとか、最初は雑談。弘法大師は何故四国のいろんな所、それも特に人の行きにくい山を回っていたか、それは金を取りに行っていたのだと、調べてきて分かったと。。。なるほどー、この話はおもしろいのだが、ちょっと熱を帯びてきた。20-30分話してたか、先に行けなくなるなあと思ったので、丁重にあいさつしてお別れする。おしかったなあ。
 *追い越し
 満濃池の東側はサイクリングロードになっている。のんびり走って、大分東に出た、さあどうしよう。今日は午後に最大の峠が待っているので、少し低い猪鼻峠(国道のトンネル)を通る予定だった。西側にかなり迂回が必要になっている。皆の意見でこのまままっすぐ南下して東山峠を行くことにする。ここから400mくらいの登り。先に走っていたら、途中でたまらず側道へ、N1ですっきり。あちゃー、後から来た野田らに橋から見られてた!。東山峠には11時前に到着。切り通しで展望は無い。高さは627m、ここまで26km。久々の九十九折り。車とは会わなかった。サイクリストが一人。宮村は二番目に登ってきた。空気がひんやりして、またブレーカを着る。
 相変わらず楽しめない下りをやり過ごし、三好の幹線道に出る。三好って名前?と気になってたが、後で調べたら室町時代に大きくなった戦国大名なのね。阿波加茂駅近くでラーメン屋に入る。12時前半、午後からの厳しい登りに備えてがっつり腹ごしらえ。ここで、今日合流する那珂と浦野に電話すると、あらまあ追い越されていた。分岐後の最初の神社で昼飯を食べてるとのこと。

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満濃池 | 東山峠

 *痛恨のミス
 那珂たちは、朝に高速バスで琴平着、金毘羅さんを登ったあと、猪鼻峠で追っかけ。こちらが東山峠を通ってる間に抜いていたのだ。ラーメン屋を1時すぎに出発して約30分ほど走ったところで、新田神社。今日の6人全員が揃う。54km、高さ230m。
 ここからは登るだけ。だいたい200m登るたびに一休憩。日陰は寒い。三回目の休みで、800mまで来た。そして平均10%超、12-13%の含まれる登り。ギアが足りない人は蛇行混じり。3時半を回って、やっと桟敷峠。63km、高さ1030m。落合峠まで14kmに来た。皆が揃うのを待つ。切り通しで記念写真をとって、4時に深淵(みぶち)に向かって少し下る。東祖谷山村に入った。先の浦野に追いついたら5時。少しずつ暗くなり、空気が冷たくなる。スーパーローを使って少し楽になる。陽はまだかろうじて山の上に見える。6時より前に落合峠に到着。77km、高さ1520m。最後の100mは特にきつかった。気温5.5℃、震えるほど寒いが、景色は最高だ。
 ここで宿に連絡しようと電話。。。AUは圏外。下から出る時に電話しておかなかった凡ミス。丁度到着した宮村に伝言して、浦野と先に下ることにする。ここで、さらに誤算。自分は全然下れないのだ。見えないせいもあり、18-25km/hを越えると怖い。ブレーキかけっぱなしで、うまく曲がれない。寒さで震え。左後頭部が痛い。50分かけてやっと国道に降りた。先に降りていた浦野を相当に待たせた。ごめんねえ。ここから薄暗くなった道を20分ほどで、7時半ばに宿へ到着。95km、高さ510m。本日の獲得標高は2330m。ちょっとした記録だ。宿に着く直前に全員が合流。それだけ、自分が遅かったということ。

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落合峠
 宿泊:旅の宿 奥祖谷 (かずら橋より12kmほど東)
 丁度我々がついた時、ハツ(あねご)から電話が来た。三回目でつながったと。宿から自宅に電話きたと。宿のおばさんが言うには、山で遭難して降りて来ない人が時々いるので心配して自宅に連絡したとのこと。すみません。docomoなら落合峠でもつがったとのこと。皆を待ってトライするべきだった。
 宿では食事を8時に遅らせ、先に風呂に入らせてくれた。みんなへばってたせいで、夕食に出た、ひらら焼きは食べ切れんかった。大きな平たい鍋にアメゴと芋、豆腐、こんにゃく、野菜たっぷりの祖谷の郷土料理。ごめんなさいね。今朝ここら辺りは気温が1℃まで下がったんだって。それとは関係ないが、野田は部屋で使わないテントをはってた。


5日目:5/3(金) 奥祖谷→かずら橋→祖谷口→大歩危→本山町(早明浦ダム付近) (96km) 晴れ(少し冷んやり)
 メンバ:G、野田、宮村、野田潤、那珂、浦野、酔狼、DAZ、奥山
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 *祖谷の記憶
 私を除く男性陣は早くに起きて宿の周りを散策。ここら辺からもう渓谷が始まっている。天気良し、9時前に宿を出発。少し下って、竜宮崖公園のつり橋。さらに、下って、お目当てのかずら橋の駐車場に到着。ここまで約11km。対岸に高く張り出した駐車場があってビックリ。今は観光地として大きくなっているんだなあ。初めて来た35年前には、剣山から下ってきて、ほとんど灯が無く、テントを張る場所を探してウロウロしたことを思い出した。そこに車で通りかかった祖谷村の観光課長(だったと思う)に拾われて、家に泊めてもらったのだ。食事で出た黒っぽい本物のコンニャクがすごく印象に残っている。
 駐車場から2kmほど下る。かずら橋は横木の間が靴2/3ほど空いていて、滑りやすいレーサーシューズだと、ビビる。結構キャッキャッと楽しめた。維持費としての通行料500円は高く無い。今はちょっと先の上に丈夫な橋がかかっていて、野田と高所がダメな宮村が我々を撮影してくれた。周りを少し散策した後、対岸の新しい道に渡って出発。ほぼ10時、晴れてきた。
 しばらく下って、小便小僧の像で止まり、しばし写真撮影。結構な人がいて、外国人の観光客Grもいた。野田は、ここから少し戻って大歩危へのショートカットの山道を行くと別れていく。元気だ。どうも回り道が嫌いらしい。皆は祖谷渓を祖谷口に向けて下る。昔の記憶では崖をえぐった狭い下り、ちょっと怖い感じ、だったので、ずいぶん広くなったのかもしれない。緩い下りでちょっとコーナリングの練習。
 国道32号に出たところで、今日が最終日の宮村と別れる。ここからは、下った分を吉野川沿いにゆっくり登り返す感じで、小歩危、大歩危へと走る。ラッキーなことに追い風。時々ラフティングしている人たちを眺めながら。大歩危の舟下り場には1時ちょっと前に到着。距離は50km弱。ここで山道を来た野田と合流して昼飯。このあたり妖怪で有名なのか、それにちなんだ定食を楽しむ。
 *妖怪ロード
 ここから本日の宿までは、吉野川沿いの国道を緩く上っていく。しかし、まだ二日目で元気の余っている浦野は、オプションの山道に行こうと言う。提案者なので行かざるを得ないが、実はあまり気乗りしていなかった。上りがあれば必ず下りがあるから。二人だけで山道に別れると、そこは上谷まで妖怪ロード。地元の方達が作った妖怪の人形(?)が所々にある。由緒ある児啼爺だけは立派な石像だった。
 ここまで晴れていたのだが、徐々に曇ってきた。浦野は快調に飛ばす。ウインドブレーカを脱ぐのにちょっと止まったら、しばらく追いつかなかった。だいたい3時にピーク到着。下から650mアップ。手前のトンネル出てから少し雨模様、カッパを着て下る。土佐北街道に出ると頭上を高速(高知自動車道)が走っている。断続的な雨の中、例によって、浦野からうんと遅れる。最後のトンネルを抜けたら雨が止んだ。
 国道439に出た所で電話すると、那珂たちは買出し中で、奥山がもう宿に着いているとの事。国道を少し外しならが約1時間、最後は結構上って、宿に到着。5時ちょっとすぎ。
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小歩危から大歩危 | ようかいロード
 宿泊:汗見川ふれあいの郷 清流館 (廃校の小学校を改装した宿で、自炊) 
 今日の宿は、改装した廃校の小学校。自炊なのだが、先に到着した奥山と酔狼さんにエッセンをおまかせ。ありがたく楽をさせてもらった。土佐から走ってきた酔狼さんは全く雨に降られなかったとのこと。DAZが、大杉駅から2時間弱走ってきて、7時半に合流したところで夕食。いただきます。奥山のご飯炊きは、鍋の水加減バッチリでした。飲んだあとは、畳敷きになった教室で雑魚寝。

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エッセン準備完了

6日目:5/4(土) 本山町→早明浦ダム→寒風山→瓶ヶ森→しらさ峠 (74km) 曇り(朝寒い)
 メンバ:G、野田、野田潤、那珂、浦野、酔狼、DAZ
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 *オニギリ
 朝エッセンは、別の家族グループと道具と場所を分け合ったので、少し時間がかかった。ここで、昨日購入した米を炊き切ると、昼用のオニギリは各人4個となった。出発前の自転車品評会。野田と奥山の自転車はテントなどの荷物でフロントが重そう。ゲッ、持ち上がらないんだ。学校入り口階段で記念撮影して、9時前に出発。きれいな川沿いを写真撮りながら下る。奥山が別れてソロツーリングへ戻る。またね。
 早明浦ダムまで、ひと登り。ここは、四国の水瓶(特に香川と徳島)。ダム湖の橋の上で休憩。長いダム湖沿いに進むと、村の駅というのがあって止まり、休憩。元幼稚園らしい。少したるいので、酔狼さんとスピードアップして気晴らし。やっとダム湖から離れ川が上り始める。水はきれいだが、空の色は重い。ちょっと、ぽつっときた。浦野がチェーントラブル、切れてはいないとのこと。
 道の駅では物産祭りをやっていて、少しおかずが買えそう。12時半なのでここで昼食大休憩。皆は川べりの階段で車座になって座り、たっぷりのオニギリを頬張りながら、大葉(だった?)の天ぷらをつまむ。
 *瓶ヶ森林道へ
 本日の宿に電話、到着は6時すぎと連絡する。瓶ヶ森駐車場に着いたら電話してとのこと。1時半に出発。少し進むと国道は昔は無かったトンネルで西条に向かう。ここで、国道から右に別れて寒風山へと上り出す。ここまで45km、高さ640m。最終的にここから約1000mアップする。薄曇りだった空に晴れ間が見えて来る。
 旧寒風山トンネル前には1時間強で着いた。高さ1050m。このトンネルは現在閉鎖されているが、寒風茶屋の出店があり、駐車場は一杯だった。この場所から瓶ヶ森林道(現在は町道瓶ヶ森線)に道が別れる。空はかなり晴れ、気持ち良い。東屋の前でストレッチなどしながら野田兄妹を待つ。
 なんと、トイレに行ってる間に、皆に置いてかれてしまった。20分ほど走って、休憩しているところに追いつく。また同じくらい走って素掘りトンネルの前で休憩。高さ1390m。背中ポケットに入れたパスケース入り地図を落としたのに気付く。後ろから那珂が拾ってきてくれた。サンキュ。全員揃ったところで4時。潤子さんはギアが足りなくて、ところどころ押しが入っているようだ。
 ここで、酔狼さんが出発したのを見て、少ししてから自分も登り始める。瓶ヶ森に続く尾根筋の道はとても見晴らしが良い。なかなか追いつかないなあと思いながらも、写真で止まりながら、なかなか無い静かな景色を堪能しつつ、ゆっくり登る。そう言えば、さっきの休憩で浦野がいなかったなあ。
 1時間ちょっとで瓶ヶ森の駐車場に到着。5時ちょっと過ぎ。ここまで約70km、高さ1620mのピークだ。少しして、浦野、酔狼さんが到着。ありゃりゃ。幻の酔狼さんを追いかけていたことが判明。浦野のチェーンが切れて、そこへ酔狼さんが戻ったのを、チラ見で先に行ったと勘違いしていたのだ。「俺がそんな速く行くわけないやろ」と酔狼さん。DAZがきたところで宿に電話。ほどなく皆到着。ずっと下からこちらが良く見えていたようだ。なかなか止まらないなあと。
 瓶ヶ森自然休養林入口で、記念撮影。この場所には昔の残像がある。5時40分に宿まで下り始める。晴れているのにムチャクチャ寒くて震えが来る。ヤバイ。300mも下りなきゃいけないのに、ブレーキかけっぱなしになる。6時ちょっと前に宿に到着。気温は8.5℃だよ。

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瓶ヶ森への登り | 先に見える瓶ヶ森
 宿泊:山荘しらさ (瓶ヶ森林道から石鎚スカイラインに入る手前約5km)
 とても雰囲気の良い山荘。風呂に入り、洗濯もできた。ちょっとおしゃれな食事をいただく。スタッフが結構話しかけてくれた。

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山荘での夕食

7日目:5/5(日) しらさ峠→土小屋(石鎚)→岩屋寺→道後温泉(松山) (92km) 晴れ
 メンバ:G、野田、野田潤、那珂、浦野、酔狼、DAZ
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 *石鎚山
 5時前から皆起き出し、散策に行くものあり。6時に朝食。クリアに見える石鎚山をバックに宿のスタッフと写真を撮る。気温は3℃くらいで、皆重ね着。7時ちょっとすぎに出発。峠からのスタートなので出だしに少し登る。清々しい。気温は僅かずつ上がる。土小屋分岐で休憩。「ここは、標高いよのくに(1492m)」と道標にある。登山客への宿や売店が幾つか並んでいる。ここで、本格的な下りに備えて、三重に重ね着する。指の冷え対策に売店で軍手を手にいれた。土小屋神社で安全祈願。(正確には、石鎚神社土小屋奉拝殿。)
 ここから、昔の有料道路、石鎚スカイライン。石鎚山を少しずつ違う角度からずっと拝みながら下る。タイトなところが無いせいか、そこそこ気持ち良く下れた。酔狼さんは下れていない。自転車がぶれてるのが横から見て取れた。休んだ時に見たらフォークがふにゃふにゃ。ここ数年のことだとか。(後にヘッドパーツに問題があることが分かり、直せたとのこと。)9時には今回パスする面河渓への分岐。850mくらい降りてきて少し暖かくなってきた。ずっと晴れている。通仙橋分岐で写真休憩。12号分岐で重ね着を脱ぐ。45番札所の岩屋寺入口には10時半頃到着。ここまで46km。
 *岩屋寺
 駐車場横に皆の自転車をまとめ、歩いて登り出す。ここの雰囲気は結構好きだ。大師堂の前には岩に掘られた修験場がありハシゴで順番に登る、ちょっとのお楽しみ。大師堂は大正時代に作られた重文だとか。ここから古い門をくぐって、海岸山の上の方へさらに登っていける。ホラ貝を先頭に登っていく一団に詰まって、途中であきらめて戻る。下で皆が再合流すると1時間くらい経っていた。改めて入口の売店の周辺にある看板やら壁絵に書いてある文言を読むと笑えた。「便がドカーン、腹が凹む焼きしょうが、¥1,500-」などなど。
 出発してすぐ近くにあった国民宿舎の食堂に入る。ゆったり1時間ほどの昼食。ここの真ん前には、古岩屋と言って、浸食された岩山が高さ数10mで幾つも聳えている。ここから緩く、200m以上登る名無し峠あり。やたらに暑い。1時半頃に33号分岐に出る。松山まで消化コースとは言え、先は長い。
 北上する道はもろ向かい風になる。風除けになってくれたDAZは、坂に入るまでに燃え尽きる。野田が楽な方を行きましょうよと言っていた三坂道路の分岐に出る。なんとそれは自動車専用道路だった。我々は右に旧道を登らないといけない。三坂峠のピークへは2時半頃到着。高さ720mで、下から300mは登った。まあまあの眺め、ずっと晴れていて暖かいのがいい。自動車道と再合流する前に外れる道を野田と酔狼さんが地図で探し出す。ここから200mちょっと下って、右へ細い道の急坂を150mくらい下りると川沿いに出た。ここまで、71km。
 しばらく田舎道をのんびり走る。札所が近くにあるようで歩く人も少し。残り10kmを切ると、幹線道路を街中に向かって走る。車に気を使うので疲れる。4時ちょっとすぎに、宿に到着。道後温泉駅からすぐ。

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岩屋寺の修行場へ

 宿泊:道後温泉 夏目旅館 (道後温泉本館まで約200m)
 宿は縦長の作り。主人はきさくなおばちゃん。外国人の客も多いとかで、いたってフリー。宿のお風呂セットと草履で、いざ出発。とりあえず道後温泉本館に向かうが、観光客が多くすごい並んでる。記念写真だけ撮って、地元の人はこっちと、おばちゃんが教えてくれた椿の湯に行く。ゆったりと入れた。源泉は同じなんだと。駅前のからくり時計を眺めていたら、いいように暮れてきた。
 さて、野田がスマホで調べた居酒屋へと、公園の反対側までの夜の散歩。なかなかいい店で、今ツアー最後の食事を楽しく満喫する。帰りに、せっかくだからと、空いてきた道後温泉本館に、浦野、那珂と入る。雰囲気は35年前と同じ。ちなみに、千と千尋の神隠しの湯屋はここを参考にしたとこのこと。しばらくしたら改修に入るので、いいタイミングだった。いい気分で宿に戻る。

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道後温泉の本館前 | 居酒屋での夕食


8日目:5/6(月) 松山=今治→しまなみ街道→尾道 (78km) 晴れ
 メンバ:G、野田、野田潤、那珂、浦野、酔狼、DAZ
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 *君はどっち
 本日のメインはしまなみ海道だが、起点の今治までどう行くか。元気な野田と浦野は早朝にスタートして、海岸線を北上する道を選択。残りの輪行組は、6時半に宿を出発。宿代を払ったら手持ちの現金がほとんど無くなってしまった。
 ちょっと走って松山駅で輪行。何やら輪行に関するダメ出しを記載した看板。ちゃんと見ている人いるのかしらん。電車は7時半前に発車。これから1時間弱の行程。もう少しで終わりというところで、走ってる浦野、野田が見えた。なんか速い!! 8時半前に波止浜(はしはま)駅に到着して自転車を組み始めると、すぐ二人が現れた。ずっと追い風で来たんだって。天気も良いので消化コースにならず楽しかったようだ。
 *しまなみ海道
 駅を9時前に出発。しまなみ海道に入る糸山公園の方に登ってから、チケットを買おうとサイクリングターミナル(サンライズ糸山)へ降りる。結構たくさんの人出で、通しチケットは完売だった。なので橋毎に小銭で払うんだと。ここで、記念撮影。
 半に出発。晴れだが、風はそこそこ強い。最初に一番長い橋を渡って大島。10kmちょっと走って、コンビニで買出し。さらに20kmほど走って、お昼の大休憩となる。大三島の道の駅、多々羅しまなみ公園。ここからは瀬戸内海、多々羅大橋の眺めが良い。たっぷり一時間ほどゆっくりした。昼食をとるお金が無くて那珂に一万円を借りる。ジャージのポケットをチェックしていたら、鍵? 夏目旅館の! あわてて電話。後で郵送してくれと、おばちゃん。 
 自転車に移動すると、潤子さんのフロントバッグにかけていたお土産が、カラスに半分やられていた! 可哀想だが大笑い。多々羅大橋の途中で酔狼さんたちが止まっている。「鳴き龍」だ。拍子木を合わせると不思議に響いて鳴く。生口(いくち)島に渡ってから、海岸線で丁度いい追い風となった。ちょっと飛びだして一人で気持ち良く走ってみる。ふと振り返ると、潤子さんと酔狼さんが付いている。それじゃあと合わせてMAX35km/hくらいで進む。ドラフティングを楽しめてもらえたようだ。
 生口橋の入口で再合流。因(いんの)島に渡った後、コンビニで休憩。2時をすぎたところ。向島に渡る因島大橋は道路の下を走る。ケージのトンネルの中は意外に楽しい。酔狼さんのお勧めで、向島から尾道へは渡し船を選ぶ。気分が爽快になり、みんな笑顔。数分の短い船旅を終えて、尾道駅には予定の4時前に到着した。

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最初の島、大島で | 大島大橋で


 *尾道解散
 おつかれさま。最後も関西OB会のフラッグとともに記念撮影。それぞれ準備していた帰路に着く。野田とDAZは新尾道まで移動して輪行。浦野、那珂は尾道で風呂に入ってから福山へ移動してバス輪行。酔狼、G、野田潤は尾道発の普通列車に乗り、酔狼さんは岡山で乗換。残った二人は正に準備の悪いお手本。福山でのぞみに乗換だが、案の定自由席は満杯で、別々の車両デッキに無理矢理に潜り込む。潤子さんは新大阪で無事に降りれたろうか。自分は、指定車の通路で東京まで立ちっぱなしとなった。

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尾道駅前で解散


<おわりに>
 怪我以来、初めての長距離ツアーを無事完了できました。とても楽しかったです。一緒に走ってくださった方々ありがとうございました。それにしても四国の山はきびしかったですねえ。スーパーロー34×26を使いきりました。皆なんとか走れてすごいです。今回、天気予報は全くあてにならない異常気象で、最終日以外は寒かったなあ。パッキングを再考しようと思います。はじめての、丸亀城、こんぴらさん、しまなみ海道、行けてよかった。宿は、本山町の学校跡と、しらさ山荘が良かったなあ。後者はロケーション的にまた機会があれば行きたいところです。(G記:2013/5/15)


関連リンク:
 酔狼通信235-1(序章)参照
 酔狼通信235-2(5/3~ 5/6)参照