14年GW山陰ラン報告

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秋吉台で

by 野田(最終投稿日:5 Aug 2014)

日程:2014/4/26(土)~ 5/6(火)
参加:G(計画)、野田、宮村、吉岡、酔狼(計画)、大廻、那珂、野田潤、DAZ、浦野、(浦野誠)
コース:=生野→神鍋高原→鳥取→蒜山高原→松江→出雲→飯南町→温泉津/石見銀山→三段峡→日原町→萩→新山口=

 ツーリング記録 参照
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 このランはS56年卒のGOKIさんこと川浪さんがGWを利用して、同期の浦野や那珂を始めGOKIさんの仲間たちが一緒に走る毎年恒例のツアーです。筆者も3年前から参加しています。その時は京都から伊勢まで5日間、4名が完走、総勢10名が走りました。2年前は埼玉から長野まで8日間、2名が完走(GOKI&筆者)、総勢10名が。昨年は四国四県+しまなみ海道の終点尾道まで8日間、2名が完走(GOKI&筆者)、総勢9名が。そして今年は、兵庫県から山口まで11日間約850kmを2名が完走(GOKI&筆者)、総勢10名が山陰路を巡りました。その一部始終を今回は関西風にレポートします。


1日目:4/26(土) 兵庫県生野(寺前)→神鍋高原 (82km) 晴れ
 今年は筆者地元の兵庫県が起点。同じく地元のS54年卒の千崎さん(赤穂在住)と筆者は集合地のJR生野駅より姫路よりの寺前駅からのスタート。朝9時頃、駅前でリストアしてめちゃきれいになったチャリを組み立ててると、千崎さんが颯爽と現れ、姫路駅から銀の馬車道を走ってきたとのこと。生野には銀山があり、1973年の閉山まで1200年の歴史がある日本有数の鉱山だ。世界文化遺産の石見銀山が手掘りであるのに対し、明治政府の直轄鉱山として近代化が進み機械掘りなので石見とは対照的。銀の馬車道とは姫路の飾磨港まで約49kmを馬車で陸送するために作られた専用道路のこと。
 後輪しか外していないチャリの組み立ては、バッグの取り付けなどに意外と手間取り、千崎さんの無言のプレッシャーを背中で感じながら、やっと「千崎さん、できました。」と言ったらペダルが1個ころがってるやん…。千崎さんは知っていながら敢えて言わず最後まで気付かない筆者を観察してました。意地悪な先輩やで。
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 ここから生野まで12km、標高200mから300mまで国道を避けて播但線沿いに上る。折角やから生野銀山を見たかったが集合時刻に間に合わないため、八重桜満開の代官所門(坑内見学の入口)にでんして町へ戻る。生野出身の名俳優、志村喬の記念館に寄ると、さっき別れた千崎号を発見。ここには志村喬の自宅以外に旧生野銀山職員宿舎も復元されていてボランティアのご老人にご丁寧な説明を受けて閉口。
【酔狼通信から引用】入口に自転車を置いたらすぐに受付の中からボランティアらしきオジサンがパンフレット片手に現れて説明を始めた。どうやら最近できた施設のようで、オジサンは説明したくて仕方がないという雰囲気。時間があるので、説明してもらうことにする。(中略)明治時代に建てられた宿舎を再生し、三棟の建物の内部に明治、大正、昭和の生活様式を模している。さらに一番奥に明治期のものが一棟。ゆっくり時間をかけて説明をしてもらい、入口に戻ったら野田くんが別のオジサンに捕まって、いや、説明を受けていた。

 駅に戻り、組み立て中のGOKIさん、と同期の宮村さん、H1年卒の吉岡と再会。千崎さんとさっきの案内ご老人、面白かったな、とお互いに苦笑。12時前に駅を出発、街中の喫茶店に入り、生野名物のハヤシライスを5人とも注文。鉱山社宅のキッチンメニューとして当時人気があったらしい。うまかった。
 生野は分水嶺の町なので、日本海に注ぐ円山川沿いに気持ちいい下りを進み、最近有名になった竹田城址へ。途中、鋳鉄製の洋式二連アーチ橋「羽渕めがね橋」を見ながら休憩。鋳鉄メーカーへ銑鉄を販売している筆者としては興味深くじっくり見る。イギリスのアイアンブリッジが現存する鋳鉄橋として有名だが、これも重厚感があり良かった。明治に鉱石運搬用として架けられたらしく、老朽化で通れないのが残念やった。出発しようとしたら、筆者のメガネに何かの虫が飛んできて止まり、テントウムシ?と思ってメガネを外すと何とカメムシの成虫。慌てて息を吹きつけても張り付いたように動かず、みんなは笑ったり写真を撮ったり。触るとめちゃ臭いので宮村さんに頼んでデコピンで飛ばしてもらいました。これだけで終わらず、その晩、宿でくつろいでいると、なぜか筆者の服にまたカメムシが…。翌日も姿は見えないもののあの臭い匂いが時々鼻につく。千崎さんはその様子をFBにおもしろ可笑しく投稿していました。「野田はカメムシと同じフェロモンを出しているんやと皆で大笑い。」カメムシは大嫌いやけどこんなハプニングは自分も大好きですやから仕方なし。
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 竹田城址は今や日本のマチュピチュとしてブームになってしまったが、山城マニアの千崎さん曰く、5年前に来た時他に人影はなく、独り占めできたとのこと。
【酔狼通信から引用】竹田に近づくと山上に角ばった石垣が見えるが、近づきすぎると見えなくなる。撮影ポイントが難しい。竹田城下、神社のそばに自転車を置き、険しい山道を登り始める。いや、本当に険しい。ただ、酔狼が08年に登った際には、まだ道が整備されておらずまったくの山道だったので、整備された分歩きやすい。一汗、ふた汗かいて料金所へ。かつての駐車場。車数台置けば一杯になる駐車場で事足りていたのに最近の大ブームで一般車両の乗り入れ禁止、ループバスもしくは徒歩で、と。それでも訪れる人は跡をたたない、らしい。正直、観光客が多すぎて城マニアの酔狼としては楽しめるかどうか疑っていた。訪れる人が爆発的に多くなり、表面の土が流れるので、土嚢で覆いマットのような物を敷いて、通路を定め、北千畳から南千畳への一方通行、本丸内は立ち入り禁止。それでも竹田城はやはり素晴らしく、青空と緑の山波をバックに石垣が切り立つ姿は見事。十分楽しめた。規制も遺構保護のためには現状最善策かも。ただ城マニアとしては大ブームが過ぎ去り、以前のように自由に見学できることを望んではいる。

 バスで途中まで来れるため思ってた以上に観光客が多かったが、一見の価値はあります。石垣の崩壊が進み全面立ち入り禁止になる前に行くことをお勧めします。
 15時過ぎにブームできれいになってしまった竹田駅を出て、和田山経由神鍋高原へ向かうも、標高差は約300m。筆者は山登りの疲れもあってか宿までの上り10kmは太ももが吊ってもうたが、常日頃鍛えているGOKIさんとトライアスロン鉄人吉岡は峠の勝負をしていたらしい。最後、先行の吉岡をGOKIさんがまくってトップやったそうな。
 今日の宿は民宿花屋。18時前に着いたのに、ゆっくりお風呂に入ってください、と優しそうなご主人とおかみさんに言われ、ほっとする。ここのシーズンはスキーができる冬であり、今は閑散期のため、お客は我々のみ。野菜たっぷりの鴨鍋や採りたての山盛り山菜天ぷらを頂きながらいつものワンカップを飲み、明日のルートを皆で確認したり、メカや走るテクニックについて語り合ったりしてから、カメムシに好かれながら22時頃就寝。ごきげんよう、さようなら。


【酔狼コメント】他の皆へ「歩けるシューズで来るように」と言っておいて、ビンディングシューズとトゥークリップという有り得ない組み合わせで出てきてしまい、頭の中で「そんな奴おらへんやろ」「ぼけとんねや」「往生しまっせ」と一日中繰り返した。
 >>>酔狼通信243-1(4/26~ 4/27)
【gokiコメント】思いつきでリクエストの竹田城趾は実際期待以上に良かった。久しぶりの吉岡との坂勝負も楽しかった。
【宮村コメント】生野で昼に食べた“ハヤシライス”は、煮込んだ炒めタマネギがリッチな甘さを出していてうまかった。“竹田城”の垂直登坂は厳しかったが、一見の価値あり。夕食の“山菜てんぷら”がうまかった。


2日目:4/27(日) 神鍋高原→鳥取 (100km) 晴れ
 5時前に目が覚めてしまい、同じく早起きの千崎さんと近くの標高469mの神鍋山に行ってみることになり、宿付近の溶岩洞穴「風穴」で登山道を発見し20分ほどで山頂に到着。神鍋山は玄武岩からなる溶岩円頂丘であり、山頂にはお鍋のような深さ40mのカルデラがある。水はけがいいらしく水は溜まっていなかった。近くには溶岩流でできた渓谷もあり、スキーでは毎年ここに来るけど新たな発見をして満足しながら下山。
 今日はハードになりそうなので早めの朝食で8時に出発するも、宿を出てすぐ筆者のトーストラップが切れる。予備のストラップに交換している間、GOKIさん達は神鍋山の方へ行ったらしく、千崎さんと山頂へ繋がる舗道入口まで行くも3人共いない。
【酔狼通信から引用】どうやら三人とも上って行ったようや。酔狼、しぶしぶ野田くんに付いて上っていく。これって、途中で三人が上から降りてきたら最悪やなと思いながら上って行ったら、ちょうど火口に着くところで下ろうとするゴキの姿が見えた。「ストップ!!」火口で小休止。下の道路まで下ると、民宿のおじさん、おばさんはすでに畑仕事をしていた。働き者やな~、ヘイヘイホー

 結局8時半に神鍋高原を離れ、3.7kmのだらだら上る蘇武トンネルを越えて矢田川沿いに日本海の港町、香住へ。途中、弁天淵というところでかわいい女子高生(?)が川に入ってこけそうになりながら何かを採取している姿が面白くて皆見物していたが、それより筆者は香住鶴という地元の酒蔵に目が止まる。早速、ワンカップを購入。
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 香住から標高150mの峠トンネルを越えると強風ですぐ不通になる鉄橋で有名な(だった)余部にとうちゃこ。ここに来るまで忘れていたが、4年前にコンクリート製の味気ない新橋に交替しており、日本一の規模を誇ったトレッスル式鉄橋は観光用に一部が残っているのみ。それでも40mの高さにある鉄橋まで上るとなぜか楽しくなり、皆はしゃいでいた。高所恐怖症の宮村さんを除いて…。ここも一見の価値あり。
 もうお昼を過ぎたが、筆者の提案で昼食は次の町、浜坂まで我慢して走り、漁港近くのお店「とれとれ市場」で今が旬のほたるいかづくし定食や海鮮丼、刺身定食などを注文。ちょっと高かったが我慢して大正解やった。
 香住から鳥取までの海岸線は結構アップダウンがあってしんどい。オーラスはいつも筆者が務め、最年長でありながら普段から走ってる千崎さんとGOKIさんが引っ張る展開。途中、七坂八峠という標識があり、愕然とするも峠は一個だけやった。峠を越えると鳥取県。この辺は観光船で巡る浦富海岸が有名らしく、きれいな砂浜や洞穴がいっぱいあってゆっくり眺めながら進む。15時を回ったところで、18時前の飛行機に乗って東京へ帰る吉岡は、このペースでは間に合わないと判断して、「じゃここで。また会いましょう。さいなら。」と一言残して鳥取空港へ颯爽と去って行った。4日の予定が仕事の都合で2日しか一緒できなかったけど、後輩がいるとホッとするもの。ありがとさん、吉岡。
 京都から鳥取を結ぶ国道9号線の峠を越えると砂丘道路に入り、緑のらっきょう畑が続くいい道やけど、向かい風がむちゃしんどい。喘ぎながら16時半やっと鳥取砂丘にとうちゃこ。はじめて来た宮村さんは広さに感動!。筆者はビーサンなので全然OKなのだが、砂丘の向こうまで行ってる時間がなく(本当は皆足がだるくて…)、鳥取駅まで急ぐ。ここで明日から仕事の千崎さんと一旦別れ、6日後の三段峡での再会を誓う。
 今日の宿はGOKIさん予約の安ホテル「やよい館」。禁煙ルームはなく部屋や布団がめちゃたばこ臭くて閉口。夕食は駅前の焼き鳥屋。全品280円で安かったが、宮村さんが頼んだウーロン茶も280円だった。もちろんビールや日本酒も同じ。ごきげんよう、さようなら。


【酔狼コメント】鳥取砂丘は初めての宮村くんの、小さな「お~ぅ」という声で案内役は満足。
【gokiコメント】昼食は野田にしたがって正解。天気も良く、このメンバならではの走りで、山陰海岸を快走できた。
【宮村コメント】昼の海鮮丼は印象に残らず“ほたるいか”にすべきだった。初めての“鳥取砂丘”は、想像より広大で感動した。ただ浜辺まで行くには体力気力不足だった。次回の楽しみに。
【吉岡コメント】たった2日でしたが走り、山城に登り、美しい海岸線の景色を堪能しました。無事、鳥取空港に到着しました。これから東京へ戻ります。これから走る皆さん、安全に、楽しんで下さい。


3日目:4/28(月) 鳥取→蒜山高原 (95km) 曇り時々晴れのち雨
 天気予報が雨の中、今日の見どころは山奥にある投入堂。そこは鳥取と倉吉を結ぶ県道21号沿いにあり南西へ約35km、500mの佐谷峠がある。3時間はかかるとみて6時半に出発。途中、湖山池手前のコカコーラウエストパークで朝食。湖山池(こやまいけ)は池が付く湖の中で国内最大。池と湖の違いは知ってますか。人工ものが池、自然ものが湖と沼。湖と沼の違いは水深。5m以上が湖。この湖は砂丘の成長で海と分断された海跡湖で海水が混じる汽水湖。ここは1年前家族を突発的に誘って桜を満喫したところなので、ほのかな気分で通り過ぎて、全く湖に興味を示さない前を走る先輩二人を追う。
“Photo,  峠に差し掛かる手前の町、鹿野で県道21号全面通行止めの看板が目に入り、近くのJAで聞くと昨秋から通れないとのこと。海岸沿いの国道9号が倉吉までの迂回路になるが、目当ての投入堂まで約40kmもあるため、雨になる可能性が高まり投入堂に入山できない(山道が濡れると滑落の危険があるため)。取り敢えず通れることを祈って5kmほど行くと、ゲートがあり、本日作業中の案内があり(いじわるな現場監督だと通してくれない)、その上、ご丁寧に工事進捗度6%と書いてあり、復旧作業がほとんど進んでいないことがわかる。「こりゃまいった。今回はほんまにやばいかも。」と思いながら、迂回することはイコール投入堂を諦めることになるため、「3人いればなんとかなるでしょう。もしほんとにだめだったら引き返しましょう。」と強行突破経験が余りなさそうな先輩に声をかけて先へ進むことにする。工事現場は案内の地図から見て近そうだったのでだめだったら戻ればいいや、と思ってたけど、行けども行けども工事現場はなく、かなり上った峠の目の前でやっと発見。ユンボの重機が音を立てて作業しており通してくれないのでは、不安が横切る。3人とも今更戻れない雰囲気になっており、GOKIさんから、真面目なサイクリストに見せるため、ビーサンから運動靴に履き替えるようアドバイスを受け、「そうでんな。」と履き替え、工事現場へ近づくと谷側の1車線は崩れているが山側の1車線は残ってるのが見え、光明が差す。作業員は一人しか見えず、重機と土砂運搬車を交互に運転している模様。崩落現場の手前で止まってると、土砂運搬車を運転しながらこっちへ近づいてきたので、指で先へ行きたいジェスチャーをすると、無言で頷きながら工事現場へ降りていった。これはOKやろと受け取り、慎重に崩落現場を通過して、振り返って記念撮影。今振り返るとこのツアーで一番不安を抱えながら緊張した走りでした。
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 そこから峠まで緩やかな上りがちょっと続く中、雪の重みで折れたと思われる桜の枝が道端に横たわっている。が、不思議なことに花が満開。上の方は既に葉桜状態であり、多分、地面近くは日照度合が悪いため、日当たりのいい上方より開花が遅くなった模様。普通なら折れた枝は通行の邪魔になるため即除去となるが、通行止めのおかげでそのまま残った結果、珍しい花見を鑑賞できた。小さなループ橋を過ぎると下りになり、あっという間に投入堂の入口付近にとうちゃこ。数人が備え付けの双眼鏡に集まっており、ここから山頂近くの投入堂が見える。肉眼でもかなり遠くの高い山に小さい建造物らしきものが確認できる。「あれかぁ。しんどそう。」と思うも、GOKIさんはあそこまで行く気満々。宮村さんは高所恐怖症なので「ほんとに行くの?」って感じ。投入堂は国宝で、その管理は麓にある三徳山三佛寺がしており、入山するにはお寺の受付で厳重なチェックを受けなければならない。毎年遭難したり滑落したりして死ぬ人がいるため、一人単独での入山は絶対不可。また「六根清浄」と書かれた輪袈裟を渡され、下山後受付へ必ず返さなければならない。たすきが足らない事態が起きると遭難と見なされ捜索隊が派遣されるそうだ。そもそも修行の山であって観光のためでないので道も険しいままらしい。しかし、しんどいアプローチを含め絶対一見の価値ありです。
“Photo,  神妙にバス停前にチャリを置いて急な階段を上がり、まず300円を払いお寺の中へ入ると一番奥に「三徳山入峰修行受付所」があり、そこで200円を払うと入山できるが、滑りにくい靴でないとだめで受け付けの人が靴の裏や身なりを厳重にチェックして入山可否を判断する。筆者は千崎さんから事前に聞いてたので、素早く運動靴に履き替えてOKだったが、先輩方はビンディングシューズしかなく、金具が道に生えてる根などを痛めるため不可。でもどうしても行きたい人にはわらじを650円で売ってくれる。当然のようにお二人はわらじを買って履き、初めてなのか結構喜んでる。記念撮影をして雨が心配なのですぐに出発。
 小川を渡るといきなり垂直に近い壁。大木の根っこがむき出しになっていてそれに足をかけて慎重によじ登る。岩だらけの崖が多く、どこを通ればいいのかわからない個所もあったが、先行するGOKIさんと二人でぐいぐい上がっていく。宮村さんは慎重に一歩ずつ。上り始めて25分ほどで最初のお堂「文殊堂」を通過。投入堂までは7つものお堂があり、急斜面にあるもの、崖の岩窟部にあるものなど、どれも設置困難なところに立っている。京都清水寺のミニチュア版とも思える。「鐘撞堂」には直径1mの大きな青銅製鋳物の梵鐘があり、皆1回ずつゴーンしたが、どうやってここまで運んだのだろうとGOKIさんと不思議がる。今なら100%ヘリだけど…うーんわからないや。
 この辺から傾斜は緩くなり洞穴にあるお堂を見ながら出発から40分で投入堂が間近に見える場所にとうちゃこ。ここから先は進入禁止。どうやって断崖絶壁の窪みに設置したのか、なぜ落ちないのか、不思議だが、伝説では、役行者が法力でお堂を投げいれたことになっている。でもよく見ると、お堂の20mほど上で崖が途切れていて平たくなっているから、あそこまで材木を上げてそこから縄で下して窪みへ引き入れたのでは、と推測できる。見ている場所も急傾斜の岩肌なので、宮村さんはまともに立てず、記念撮影でも座ったままで「下りは上りより怖いよなぁ。ゆっくり降りるからね。」と長居は無用と言ってそそくさとその場を去っていきました。下りでは、板一枚の下が崖になってて何もない「文殊堂」へ寄り、一番眺めのいい先端に座り、持ってきたワンカップを頂く。
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 往復90分の上りも下りもしんどくて怖い道のりにもかかわらず、還暦を遠に過ぎたと思われる年配者たちが続々と上ってくる。修行というより筆者同様観光客ぽいが、一応それなりの格好をしており、若いガイドも随行しているので、JTBかなんかのツアーかもしれない。
 下山途中、お寺の和尚さんらしき方が下山客に説明していて、我々も立ち止まって話を聞く。一番驚いたのは、昔の話ではなく毎年この急斜面を滑って落ちる人がいてヘリコプターで救助されるお話やった。それと、開業1300年を記念して5年前一般人が投入堂まで上ったお話。300名ぐらいが申し込んだが、「なぜ行きたいか。」の書類選考で3人が選ばれ、なぜか全員女性。お堂までカラピナを装着して直登したそうな。
 受付所へ戻ると出発からちょうど90分が経っていた。綸袈裟をお返しして、わらじは大事にお持ち帰り。お二人とも指先をちょっとこすっていたようやが、足裏全面で支えられるため滑りにくく、特に宮村さんはわらじのおかげで順調に降りてこれたので満足そうでした。GOKIさんはのちの一畑薬師寺や韓竃(からかま)神社の険しい山道でも使っていました。
 バス停まで戻ると雨がポツポツ降り出してきて、ちょうどバスから降りてきた若いペアが仲良く階段を上がっていったが、雨中の登行はできたのだろうか、今にして思う。ここから河原無料混浴露天風呂の三朝温泉、倉吉市街を通過して岡山県へ抜ける国道313号を南下。県境の犬鋏トンネルに向かう上りから雨が本降りとなったが、あとは宿のある蒜山高原まで走るのみ。標高400m地点にあるトンネルを抜けるとそこは蒜山高原なのでほとんど下りはなく、宿まで残り約10kmを淡々と走り抜き、17時ちょうど「休暇村蒜山高原」にとうちゃこぉ。ちょっと足の指先が冷えたけど雨の日のビーサンは気持ちいいのでやめられまへん。
 夕食はなんとビュッフェスタイル。食べ放題には食べる順番やマナーがあるの知ってはりますか。サラダや果物から始まり、野菜系おかず、魚、肉と進み、ごはんやそばうどんで締める。取りすぎて残すのはマナー違反やから、おかずは少しずつ。こうすると全ての料理を味わうことができるが、そのルールに則ると、10回ぐらい料理を取りに行くことになるので、先輩方に呆れられました。「まだ食うのか。」と。では、ごきげんよう、さようなら。


【gokiコメント】初めての投入堂は、むちゃ楽しかった。何とか佐谷峠を越えられて、雨が降る前に登れたのは、超強運。
【宮村コメント】今日は、通行止めを突破して、入山した三徳山三佛寺“投入堂”に尽きる。高所恐怖に打ち勝った?自分を自分でほめることに。夜のビュッフェは、“おでん”がうまかった。


4日目:4/29(火) 蒜山高原→松江 (90km) 小雨のち曇り
 雨は夜中じゅう激しく降っていたようやけど、朝食後、雨雲レーダーで確認すると昼前には止みそうだし、予定していた大山(だいせん)、境港ルートを雨模様のため松江までの直行ルートに変更したこともあり、ゆっくり10時前にチェックアウト。小降りの中、牧場をバックに出発写真を撮って走り出すと、ものの30分ほどで雨はあがり、しかも強烈な東風、むちゃフォローなので鳥取県との県境にある内海峠の上りは楽勝。今日は北西方向に向かうため基本フォロー。峠からは車の多い国道482号を避け県道113号へ入る。予想外の上りがあったが、ピーク付近から遠くに海らしきものが霞んで見える。地図から、あれは約15km先にある中海じゃないの。宍道湖の東方にある汽水湖で、最近CMで有名になったベタ踏み坂(江島大橋)はこの湖にある。当初計画では、松江在住の博打師、S60年卒の大廻氏と境港で合流し、ベタ踏み坂を越えて松江まで一緒に走る予定だった(が、雨で中止)。実は、筆者、2年前にこのベタ踏み坂をチャリで越えていて、江島側からその橋が見えた時は、さすがの筆者も「これを越えるのか!」って感じの圧迫感のあり、こころ旅の火野正平さんは絶対無理だろうが、実際越えてみると勾配7%ぐらいで大したことなかった記憶がある。
 その後、岡山県津山と鳥取県米子を結ぶ国道181号線をちょっとだけ走ると、そこには「えび」という町があり、どんな漢字か、って、海老や蝦ではなく期待外れの江尾。でも、そこには海老ではなくたくさんの鯉が強風に煽られきれいに並んで泳いでいた。伯耆(ほうき)町に入りこのまま行くと米子市街に入ってしまうので、県道46号に逸れてループ橋のある峠へ。天気が良ければこの峠から大山が望めるらしいが、厚い雲で何も見えず。途中、メガソーラー場?装置?が一面に広がっていたが、日本海側は日照率が低い上、冬季は今日みたいな天気ばっかでペイしないだろうから、もったいないなぁと感じながら、カメラに収める。
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 本日二つ目の峠を過ぎると、岡山と米子を結ぶ国道180号をちょこっとだけ走る。阿賀という町で昼食時間となり、「いとが食堂」というお店でビール1本とちゃんぽんを補給。なかなかうまかった。宮村さんの鳥唐もボリューム満点で大正解のお店やった。ここから松江まで国道を避けて県道や広域農道をフォローの風を受けながら快走。途中の安来市はゲゲゲの女房のふるさとでちょうどこの辺が実家らしい。松江には広島県竹原と結ぶ国道432号を通って入り、朝の予想より1時間も早い16時半に東横イン松江駅前にとうちゃこぉ。追い風のおかげや。夜は昼間合流できなかった大廻氏の案内で「だるま」という居酒屋に入り、熱燗のぬるめを二人でちびちび呑む。大廻と筆者は5年振りぐらいだが、先輩たちは学生以来で、5年目と1年目の関係だから、会ったことあるはずやが大廻の風貌がだいぶ変わったので初対面のような雰囲気。呑み相手がいるとどうしても呑み過ぎてしまいがちだが、昼間きっちり走って体が水分を欲しているせいか、調子こいてたら、やっぱり呑み過ぎてしまい、かわいい後輩と何を話したか全く覚えてないので、今日のレポートはこれで終了。では、ごきげんよう、さようなら。


【gokiコメント】朝の雨で大山はパス。変更したコースは、風も良く車も少なく、正解。
【宮村コメント】阿賀「いとが食堂」で昼食に“鶏唐揚げ定食”を頼んだ。少し待ったが揚げたてで大満足だった。夜は松江で魚介料理。大廻さんありがとう。“岩ガキ”うまかった。
【大廻コメント】東横インへ嫁さんに送ってもらい、しばらく待っていると見知った顔がフロントに。皆さんが学生時代とあまり変わっていないのに驚きましたが、逆に自分を見て変わりように驚かれたような気が・・。 そこから 「炉端 だるま」という駅近くの飲み屋へ。ここは以前 同期のマツが来松した際に利用した飲み屋で立地、値段、夕方早め(4:00)オープン、雑居ビルのたたずまいが懐かしいということでセレクトしましたが、大体満足いただけたようなのでよかったです。
 >>>合流に向かっている那珂のレポート


5日目:4/30(水) 松江→出雲 (75km) 曇り
 出雲まで宍道湖南岸を通れば34kmしかない上に、電車じか乗りをフル活用したのに、76kmも走らざるをえなかった怪しい一日をレポートします。
“Photo,  朝起きると外は土砂降りの雨。こんなはずでは?と思いながら、雨雲レーダーを見ると松江近郊だけ赤色の雨雲が発生している。その内止むだろう、と7時から朝食してると止んだ。7時半に雨の中来てくれた大廻と一緒にホテルを出発して松江城へまず向かう。ざっと見て一畑電鉄の起点駅である松江宍道湖温泉駅へ。ここの電車はチャリをそのまま載せてくれるシステムがあり、チャリの持ち込みは300円取られるが、¥1,500の一日フリー乗車券を買えばチャリもただなのだ。今日東京へ帰る宮村さんは午前中に出雲大社へ行きたいということで、走り屋のGOKIさん含め物珍しさもあって全員で乗車。2両編成の最前部と最後部にあるシートのないスペースにチャリを置き、手すりに備え付けのゴムチューブで固定する仕組み。3台いっぺんに固定することもできる。出雲大社まで1回乗り換えるが、40kmを約40分で行ってしまう。めちゃ便利やん。輪行に時間のかかる筆者には最高である。是非全国展開してほしいものだ。筆者はこの電車の運転手演じた中井貴一の映画をたまたま観ており、地元のおばさんがママチャリで利用するシーンがあったが、そういう人には会えなくてちょっと残念やった。地元の人ももっと利用してや。
 走り屋のGOKIさんは我慢しきれず途中の一畑口で下車して、一人日本海側に向かっていってしまったが、残った3人は終点まで輪行、じゃなかった、じか乗りして、ステンドグラスがきれいな出雲大社前駅から10km先の日御碕灯台を目指す。途中から岬お決まりの上りがあるも、まだ走り始めたばかりだからペダルは軽い。ほとんど走ってないという大廻もさすが昔取った杵柄やらでトップで引っ張る。チャリはトライアスリートの知り合いから譲ってもらったというかっこいいパナソニックレーサー。それなのにトークリップはなくしかもサンダル履きでチャリ走りを甞めてるやん。という筆者もサンダルやからなんも言えねぇ…。海岸には岩礁が多く、大きなものにはうじゃうじゃ、2mぐらいの小さな岩にも釣り人がいる。渡船を利用して岩礁に渡っているようやが、大波が来たら確実に浚われてしまうような高さやんけ。よほど大物が釣れるのか釣り人も命がけ。駅からちょうど30分で着いた日御碕の駐車場からは徒歩で灯台のある岬へ。筆者は仕事関係で一度車で来ていて様子は既に把握済みなので、灯台にでんしてすぐ戻るも、宮村さんがなかなか帰ってこない。帰りの電車時刻を鑑みるとあまり余裕がないが、マイペースの先輩は近くの日御碕神社まで足を延ばしてたとのこと。電車出発まで35分しかなく、出雲大社を見る時間がほとんなくなるも、帰りは、はじめてなので絶対行きたい宮村さんの為、更に爆走してなんと25分で出雲大社に着く。
 さっきの電車の中でかわいいCA(車掌)からここの正しい参拝方法を教えてもらったので、ご本殿の前に立ちその通りに拝む。その仕方は2拝4拍手1拝であり、普通より拍手が2回多いのが特徴や。4回手を合わせると「しあわせ」になるからだという。また、手の合わせ方はきちんと揃えるのではなく斜めにして拍手する。きちんと合わせると「ふしあわせ」になるという。なんで?と聞くと、なるほど、と一同CAの説明に感心しました。これを読んでる皆さん、なんで「ふしあわせ」なのかわかりますか?
“Photo,

 出雲大社前駅から再びじか乗りで昼食を取るため雲州平田駅まで戻る。昨夜のミーティング中、ここには超大盛りかつ丼の蕎麦屋があります、と言ったら、宮村さんが是非行きたいということで決まった場所。チャリならわざわざこないが、ここには便利な一畑電鉄がある。出雲大社から平田へ行くには途中の駅で乗り換えるのやが、そこで後輪の空気が抜けてるのを発見。パンクするのは2年前の箱根ラン以来。あの時はバルブの根っこがゴムの劣化で裂けてしまったのが原因で、学生の時から使っていたチューブだから致し方なかったが、今回は普通のパンクか、と思いきや、また同じ個所ではないか。最近、ウッズバルブからフレンチに替えたばかりやのになんでやねん、と電車の中で、外したチューブを見てぼやく。予備のチューブに交換したものの、新品同様のチューブは廃棄せざるを得ない。あとで皆に言うと、バルブの固定が緩くてずれたのが原因や、と言われ、そう言われれば、京都のお店でリストアしてもらった時に後輪も交換しており、その時から緩んでたのではないだろうか。その上、昨日ぐらいからペダルを強く踏むとBBがバキバキと音が鳴り、グリスアップしたにもかかわらずクランクシャフトにガタがある。もっと言うと、今回泥除けも交換した(させられた)のやが、遊歩道なので段差を降りる際に先端が当たってステーが外れるトラブルも発生。更に言うと、フリーも3段目が欠けてたのでチェーンごと交換したら、ナローチェーンなのでセンターからインナーへ落とす際、隙間にチェーンが挟まってしまい空回りする。摩耗が激しかったセンターとインナーを新品にしたのはいいが、古いチャリを直すといろいろと大変である。帰ったらただで直してもらおうっと。
“Photo,  平田駅に着くと今日から合流するS59年卒同期の那珂が待っていた。昨晩サンライズ出雲に乗って東京から来た彼は松江で下車して宍道湖北岸に沿ってここまでやって来たようや。この寝台列車には雑魚寝の車両があって個室寝台より1万円ぐらい安くなるらしい。写真をみると窓側だけ仕切りがあり音は筒抜けやが体の上半分は隠れるので隣を気にすることはなさそうや。隣がかわいいねーちゃんやったら、緊張して寝れないかもしれないが、一回乗ってみたいやんけ。
 チューブ交換が終わり、早速、那珂を含む4人で駅近くの手打ちそば処「はやし」に向かい、宮村さんは即決でかつ丼を注文、那珂と大廻は悩んだ末にかつ丼、筆者は焼きそば。お昼時なのでほぼ満席だが、かつ丼を食べてる客はなく、ラーメンや蕎麦が目立つ。常連客らしく、名物のかつ丼がいかに大盛りかを知ってて避けてるのかもと、のちに思う。注文して15分ほどで大盛りとは言ってないので普通のはずやが、そのかつ丼が運ばれてくると皆まず驚いてる。卵があんかけ風になっていて大きめの丼からはみでている。当然蓋はない(無理)。箸でちょっと探ってもカツは見えず、ましてやご飯は全くみえず一同改めて驚く。箸の他に大きなスプーンが付いていて、これで掘らないとカツとご飯を一緒に食べれない。全面を覆っている(多分)カツは分厚く、卵あんかけも美味しいが、量が量なので段々と飽きてくるようで、3人とも食べるペースが鈍ってくる。しかし!!宮村さんは何と完食。これまで5日間のツアー生活で胃拡張化しているようや。彼が一言、「帰っても社会復帰できるやろか。」と心配してた(気がします)。他の二人は途中でギブアップ。体に似合わず大廻は1/3ぐらい、那珂は午前中30km走ったけどご飯とあんかけが少し、残っている。ここから大盛りの焼きそばを軽く平らげた筆者の出番。残すのは失礼やと、どっちの食べ残しもおいしく頂き、満足。初めて仕事でここに入ってかつ丼を頂いた時は何とか完食した筆者も今や完全に胃拡張化しているようや。まだ食えるで。
 平田駅まで戻り、宮村さんとはここでお別れ。記念撮影してると、那珂がカメラを蕎麦屋に忘れたことに気付き一緒にお店に戻って那珂は店内へ。大廻と外で待ってると、車が止まり蕎麦屋のご主人が「良かったあ。出雲大社の方へ行ったと思って追っかけたんやけど。」と窓を開けながら袋を渡してくれた。わざわざ追っかけてくれたんだと感謝の気持ちいっぱいになり「ありがとうございます。」と袋を受け取り、中を見ると「ん?」、カメラだけでなく何故かアイフォンと携帯も入っている。手に取ると、なんと筆者のアイフォンと会社の携帯。那珂がカメラを忘れてなかったら、気付かないまま走り続け、気付いた時にはもう戻れないところだったかもと思うと忘れてもすぐ気付いた那珂にも感謝の気持ちいっぱいになる。カメムシ事件に続く、一同笑えるカメラ携帯忘れ事件となりました。
 ここまで今日はまだ20kmほどしか走ってないが、これからが本番。平田の町から大廻お奨めの神社を目指し、県道250号を北上して日本海をちょっとだけ見てまた山の中へ入ると、モミジで有名な鰐淵寺へ行くルートやが、そこではなくもっとマイナーやがパワースポットと大廻が絶賛する韓竃(からかま)神社が目的地。川沿いにダート道を少し上ると小さめの鳥居があり、そこが入口のようだ。この辺で会うんじゃないか、と那珂と話していたが、その通りそこにはわらじを履いたGOKIさんがいらした。上の神社まで登山して戻ってきたとこ、とのこと。「じゃ行ってきます。」と別れ、急な石段を3人で登る。登り口には杖代わりの棒が置いてあり、お二人はそれを使いながら登る。10分ほどで岩が裂けたようなわずかな隙間に着く。そこを横向きでカニのように通り抜けるのやが、やせてる筆者でも服がこすれそうだ。おなかが若干膨らんでいる大廻はぎりぎり、あの奥山は絶対無理やな、と思った。彼はこの前の投入堂も多分登れないだろう。ある意味かわいそうや。固定されるジェットコースターもだめやろな。ここを無事抜けると安産できるという。変なおじさんが隙間の向こうから、「おなごはおらんのか。安産できるで。」と一眼レフを構えながら写真を撮ろうとしていたが、筆者が男だとわかりがっかりしている様子。この先には小さなお堂が岩の窪みにあり、スケールは全然投入堂と違うが、かっちり出雲大社方式で参拝する。ここで会った人は湘南ボーイの変なおじさんと若い女性二人と男性1名のみだったが、筆者は評判通り面白かったで、大廻のおかげや。桜が舞い散りピンク色に染まった道を戻り、海岸に出たところで、松江へ走って戻るという大廻と別れる。一緒に日御碕まで行こうとかなり誘ったけど、この先のアップダウンがめちゃきついことを知ってるらしく、あっさり拒否られたが、昨晩から付き合ってくれてありがとさん。そしてお疲れ様でした。
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 その大廻の言う通り、日御碕までのルートは勾配15%の激坂や、10%の坂が延々と続くなど岬まで15kmしかないのに80分も要してヘロヘロに。那珂に付き合って来た本日2回目の日御碕では昼間宮村さんが行った日御碕神社へ向かうも、歩いていくには遠そうなので諦め、灯台から戻ってきた那珂とチャリで行くと神社は海岸べりにあり結構下る。ここをあの宮村さんが徒歩30分でお参りして往復したとは信じられない。下る途中、ウミネコが繁殖している島がありカメラの望遠で見るとうじゃうじゃいた。日御碕神社の下本社は日沈(ひしずみ)の宮と言い、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、ここは「日の本の夜を守れ」と天皇から勅命を受け、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っている。伊勢に匹敵する神社らしいが、もう5時を過ぎ電車の時間まで1時間を切ってるので、さっとお参りして出雲大社へと急ぐ。大社をできるだけ長く見たい那珂がトップを爆走し朝の25分に及ばないものの30分で到着。筆者は那珂と別れ、千崎さんお奨めである旧国鉄の大社駅を見に行くべく、参道を下り道路を跨ぐ大きな石製風鳥居を過ぎて左折すると、いきなり木造の大きな駅舎が正面に現れ、思わず「おお~いいやんけ」。
 90年に廃線になった旧国鉄大社線の終着駅であり、大正13年に建てられた駅舎だけが残っている。国の重要文化財に指定されており、保存状態も良さそうだ。駅舎の中には閉館の17時を過ぎていたため入れなかったが、横からホーム側へ入ると、そこには蒸気機関車D51が展示されていて運転席にも入れ、石炭の燃えカスで真っ黒になったバルブや圧力計がいっぱい並んでて当時の雰囲気が覗える。
“Photo,  本日3回目の出雲大社前駅に戻り、発車時刻ぎりぎりに参拝を終えてきた那珂と本日3回目の電車に飛び乗り、今日の宿がある電鉄出雲市駅へ。乗客は少なかったが、ある女性客の隣におおきなぬいぐるみがあり、それは出雲大社本殿のかやぶき屋根を頭に乗せた黄色の猫で、島根県のゆるきゃらマスコットのようや。終着駅である出雲市駅で下車してホームで那珂とチャリを撮影。そしておもむろに車両を見ると全体がピンクで「しまねっこ号」と書いてあり、そのゆるきゃらも描いてある。そして誰もいない車内をふと見ると、さっきのぬいぐるみがそのまま座席に残っているやんか。一瞬隣にいた女性客が忘れたのか、と思ったが、そうではなく多分電鉄側の粋な計らいで、そのしまねっこ人形はずっとそこにマスコットとして座っているのやろう、と何となく感じました。
 宿は昨日と同じ、筆者お気に入りの東横イン。先にチェックインしたGOKIさんと3人で近くの蕎麦屋「丸源」に入り、熱燗ぬるめを呑みながら明日のコースをミーティング。そして当然の如く出雲そばで締めて21時半解散。では、ごきげんよう、さようなら。


【gokiコメント】一畑口から今回最初のソロラン。日本海側は走り応えありすぎ。買出しもできず、鰐淵寺、韓竃神社へと行った頃には、エネルギー切れ寸前。ここで再び出会った大廻にカロリーメートもらって助かった。
【宮村コメント】一畑電車は自転車を乗せられ楽だった。伊勢神宮とともに“天照大御神”を祭神にする日御碕神社“詣で”が“大国主”より先と思い足をのばし、“出雲大社”が弾丸となってしまった。お昼の平田駅“はやし”の“かつ丼”は行った甲斐があった。ここまでいっしょにありがとう。
【大廻コメント】走りにまったく自信がなかったので、いつでもエスケープできるよう前日の飲み会で一畑電車をお勧め。その甲斐あって電車からの風景を楽しみながら出雲大社へ向かうことが出来ました。(フェフェフェ・・) 自分で推薦した韓竈(からかま)神社へはかなり歩いてしまいましたが、途中で季節はずれの桜吹雪が道を覆っているところを歩くことができ、得した感が「○」でした。
【那珂コメント】朝食に弁当を食べた後、眠くなってうつらうつらしていると野田からの連絡で、11:30に一畑電車の平田駅集合だという。出雲市からちょっと戻るけどすぐだからと言うので、「うん、わかった。」と電話を切って地図を見る。ん?、結構松江との中間なんでないかい?。どうせなら松江城も宍道湖も見ておきたいけど、松江から何キロ?、今何時?、11:30に間に合うの?ぼーっとした頭でぐるぐるしていると、次は松江って車内放送が流れ始めて、慌てて散らかっていた荷物をまとめて下車する。改札出るとき、「出雲までの切符、もういいんですか?」と駅員さん。「いいの、いいの」と言いつつ、ホントは役立つはずだったんだけどね、とちょっと悔しい。
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6日目:5/1(木) 出雲→飯南町県民の森 (89km) 曇りのち晴れ
 本日の見どころは、日本で唯一和鉄づくりのたたらが完全な姿で残っているという「菅谷たたら」。蹈鞴(たたら)はもののけ姫でもあったように、鞴(ふいご)を人力で踏むことによって鈩に風を送り、木炭を燃やすことによって砂鉄を溶融若しくは還元までして、玉鋼(たまはがね)や銑(ずく)をつくる製鉄法。火入れから吹き止めまで3日間、昼夜を問わず砂鉄と木炭を足し続けなければならない過酷な作業である。
 8時前にJR出雲市駅前で出発写真を撮影後、国道184号を南下すると、40分ほどで立久恵峡という峡谷があり、神戸(かんど)川の反対側に遊歩道がありそうなので立ち寄ることに。ここは山陰の耶馬溪と言われる景勝地で石柱や断崖がそそり立ち、岩盤に彫られた五百羅漢もあるそうや。吊り橋を渡り整備された遊歩道を走ってると、濡れてる下りの木橋があり、筆者は滑りながらも何とか通過するも。後ろを振り向きGOKIさんに「滑りますよ」と声をかけようとした瞬間、GOKIさんは見事に転倒。前輪が滑るともうどうしようもない。幸いにも出血はなく擦りむいた程度で済み良かった。その後岸壁が迫る狭いところを押してると、那珂が落し物を拾い、それは宮村さんから頂いたアミノ酸バイタルのスティック。筆者が短パンポケットに入れておいたものと分かり、そのポケットは何と岩に引っかけたらしく見事に破れてる。周りを見ると他にもいろんな物が落ちており、平田カメラ事件に続きここでも那珂に救われる。立久恵峡転倒&ポケット破損事件として記憶に残りました。
 また吊り橋を渡って国道へ戻り、佐田から県道39号に入ると須佐神社というのがあり、ちょっと立ち寄ってみると、須佐之男命(すさのおうのみこと)を祀っている神社ということがわかり、じっくり見学することに。出雲大社より小ぶりだがかやぶき屋根に十字の角みたいのが付いているのは同じや。境内に大社の浜に続いているという湧水「塩井」があり、わずかに塩味を感じると書いてあるが、GOKIさんも飲んでみたが、全く感じず、信仰心がないからかも。これを含め「須佐の七不思議」が境内付近にあり、皆で「ふーん」。
 出雲市から雲南市へ入り、宍道湖と広島を結ぶ国道54号沿いにある道の駅「掛合(かけや)の里」でお昼休み。何を食ったか覚えてないが、ワンカップを呑んだような。県道36号を経て川沿いの心地よい田舎道を遡上すると、突然、菅谷地区に入る。工事中らしく大きな建物をネットで囲い、中が全く見えないが、のちほどこれが現存する完全たたらがある菅谷高殿(重要民俗文化財)であることが判明。受付らしい平屋の古い建物に入ってくと、よく喋るおじさんが出てきて、丁寧にたたらについて説明し始めるので、3人でお話をじっくり聞くことに。筆者は製鉄屋やから、たたら製鉄法は大体わかっているけど、お二人は「へーそうなんや」って感じ。出雲では良質の砂鉄が採れたため、たたら製鉄が発展し、ここ菅谷地区ではたたら炉とその建屋である高殿だけでなく、たたら操業を指揮する村下(むらげ)以下が住む三軒長屋、できた鉄(けら)を冷やす鉄池、けらを破砕してずくや玉鋼等に選別する大鋼場などが保存されているそうや。実操業は1750年頃から始まり約150年で閉めたらしい。隣の日刀保(にっとうほ)たたらでは今でも冬に操業が3回ほど行われ、全国各地にいる刀匠へ玉鋼が供給している。日立金属安来工場の和鋼クラブ会員になると、この操業を見学できるらしい。一度見てみたいものや。
 30分ほどの長い説明が終わると、今度は修復工事中の高殿の中を特別に見せてくれるって。「ええんかいな」と中へ入ると、柱を新たに据えて補強しており、残念ながら炉は覆られていて見えず。2年前から改修に入り完成は3年後とのこと。しかし、めちゃ親切なおじさんやった。最後に四季折々葉色が変化するという桂の大木を眺めながらここを後にする。
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 続いて吉田の町で筆者は鉄の未来科学館、お二人は鉄の歴史記念館で日刀保たたら操業の実写画像を見ながら学ぶ。未来科学館には近代高炉の発祥になった英国の高炉模型と出雲たたら炉があり、案内の女性が丁寧に説明してくれるも、高炉操業経験10年である筆者の方が詳しいので、逆に教えてあげた。鉄の歴史博物館へ着くと、大きなケラが入口にドーンとあり思わずカメラに収めると、蹈鞴について菅谷と吉田地区で計2時間ほど学習したお二人が満足そうに出てきました。
 県道273号、国道54号を経由して宿への道へ入るも既に6時前。ナイトランは嫌なので最後の力を振り絞って何とか6時半に県民の森にある宿「もりのす」にとうちゃこぉ。途中、宿まで4.8kmの看板がありメーターで5km走ったらあと1.8kmの看板が…??。余分に2km走ることになり余計に疲れたやんけ。宿へ着くと、待ちくたびれたようにおねーちゃんたちがにこやかに出迎えてくれ、聞くと今晩はうちらだけとのこと。恐縮しながら中へ入り、「お風呂は?」と聞くと、「早くめし食べろや。わたしら帰るの遅くなるやんか。」と優しく言われ、風呂にも入らず食堂へ。でも筆者は部屋のシャワーを軽く浴びていく。県から委託された民間会社が対応しているようで、言葉遣いは丁寧やが何となくこわい。夕食は洋食なので赤ワインをボトルで注文したが、めちゃ冷えており赤ワイン独特の香りや渋みが全くなく、3人でぶつぶつ言いながら簡易コンロの熱でグラスを温めながら飲む。メインディッシュはトマト、さつまいも、パプリカ、しめじ、カブ、もやしなど野菜いっぱいの蒸し焼き料理。呑むと食うのが遅い筆者なので、お二人が終った頃に蒸し焼きに取り掛かる。まずは美味しそうなプチトマトからと思った瞬間、お箸が伸びてきて、「食べるの手伝ってやるで」と、プチトマトがGOKIさんのお口へ。めちゃショックやったけど先輩なので我慢。食事量はそこそこ多くて良かったが、枝豆と山菜天ぷらを追加注文したことで、那珂はデザートを食べきれず、部屋へお持ち帰りして、翌朝きちんと召し上がってました。では、ごきげんよう、さようなら。


【gokiコメント】菅谷高殿、工事中は残念だったが、案内所のおじさんとの話は盛り上がって面白かった。宿、もりのすは貸し切り状態。部屋はペンション風、サーブしてもらっての食事もおいしかった。もったいないよねえ。
【那珂コメント】R184沿いの立久恵峡は吊橋を渡って川の対岸の遊歩道を行く。1100年以上前に亀の背に乗った仏様が現れたことが由縁とか。岩壁高くに安置された釈迦如来尊像と数多くの石仏群。県道39に入ってすぐに須佐神社。神の国だけに今回のツアーは拝む機会が多い。出雲市から雲南市に入り、いよいよ今日の目玉、菅谷たたら見学へ、と思ったら、なんと修復工事中。意気消沈しつつ受付を訪ねると、出てきたおじさんが熱心に説明してくれた上に、特別にと言って工事中の中を案内してくれた。ここで育った人だけに、たたらへの熱い想いが伝わってきた。
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7日目:5/2(金) 出飯南町県民の森→温泉津温泉 (85km) 晴れ
 6時半に起きていつものように近くをチャリで散策。県民の森なのであちこちに遊歩道があり、心地よい小鳥の鳴き声を聴きながら川べりに座りワンカップを頂く。宿へ戻ると朝食の準備が整っていておじさんのシェフが一人で対応してくれる。傍にある暖炉では薪が燃えていて冷えた体に心地よい。食後のドリンクで筆者はオレンジジュース、お二人はコーヒーを頼んだが、コーヒーだけおかわりOKとのこと。「それを先に言ってくれよ」と思ってたら、GOKIさんが昨晩のプチトマト事件を覚えていて、2杯目のコーヒーを、欲しそうにしていた筆者に渡してくれました。優しい先輩に感謝しながら、8時半前に3人で出発写真を撮り快晴の中。今日のランがスタート。
“Photo,  小田川沿いに昨日遡上した緩やかな道を下りながら、水を張った水田に映る山並みや機械ではなく手で田植えに励む親子など、のどかな風景を楽しむ。国道54号に戻ったところで、学生時代に島根国体の北海道代表として走ったことのある三瓶山を再び走りたいよいうGOKIさんと別れ、今日の見どころである石見銀山への最短ルートを地図で探しながら那珂と進む。県道166号、通称石見銀山街道に入る交差点で、那珂が郵便ポストの前で止まり、はがきを投函。なんやそれ、と聞くと、うちへ送るとのこと。最近のツーリングでは家族への葉書書きを日課にしており、家族が毎日届くおとおの葉書を楽しみにしているかは微妙やが、今日一日の出来事を振り返り記録することに意味があり、さすがマメな那珂らしい。銀山街道に入るとすぐに出雲と石見の国境を示す木柱があり、いわゆる雲州と石州の境目、現代は雲南町と美郷町の町境や。石州はこれから度々耳にすることとなるが、そのお話はのちほど。石見銀は難破のリスクがある海路と比較的危険性の低い陸路があり、この近くに銀の出入りを取り締まった番所があるそうや。銀山街道即ち森原古道は中国自然歩道として保存されており、途中までは県道沿いに古道が続いている。島根の大田と広島の広を結ぶ国道375号に入ると三次と江津を結ぶJR三江線や1級河川である江の川がある。昨年秋の大雨で三江線はこの辺りが不通になっていて、粕淵駅内の線路は赤茶けて錆びていた。ここから銀山まで35kmの標識があるも、田舎道ショートカットコースなら25kmほどや。町道志君線に逸れて志君川沿いに遡上。5万分の1の地図でもわかりにくい分岐が多く、アイフォンのMAPFANも活用しながら進む。県道186号を経由して31号に入ると目的地はもうすぐ。国境を越えてから屋根の瓦が黒から茶色になり、どのお家の瓦もピカピカに光ってる。途中、いくつもの瓦工場があり、石見の国は瓦の名産地なのかなぁ、と那珂と語る。そんなことを考えてるうちに世界遺産センターの標識が見えてくる。何となくそっちへ向かうと突然の急坂に往生する。その上、そのセンターは世界遺産認定後押し寄せるマイカーを駐車させシャトルバスに乗せる場所であり、チャリがそこへ行く必要は全くなく、上り損や。どこにでもありそうやが、受付で銀山案内図をもらい、上った急坂を戻りほんまの銀山入口へ。ちょうどお昼になったので二人でそばやへ入り、今日から合流する潤子を海岸沿いにある最寄り駅へ迎えにいくかどうか検討に入る、時間はたっぷりあり距離も片道約6kmしかないが、途中峠がありここの標高は120mやから往復は結構しんどそうや。しかし地図を持たずいつも付いていくことしか考えてない潤が一人でここまで来れるかどうか不安なので、先輩二人が後輩を迎えるため山を下りることに。海へ出るには大森峠を越えるのやが、新しいトンネルがあり上ったのはほんのわずかで済むも、むちゃ向かい風で下りなのにほとんど進まず、また銀山へ戻ることを考えると余計足が重たい。JR仁万駅に着くとちょうど潤が金沢から7時間もかけて遥々やってきた。町名は仁摩(にま)なのに駅名は仁万(にまん)に疑問を感じながら3人で銀山へ。上りに入ると潤のギアがスムーズにシフトしない問題が発覚。元備品長の那珂が微調整するもなかなかうまくいかず、結局原因がフロントバッグ取り付けによるアウターのよじれであることがわかり、さすが備品長、筆者ではまずわからへんから、一緒に山を下りてくれた那珂に感謝。
 石見銀山遺跡は坑道だけでなく大森地区の街並みや海岸沿いにある温泉津(ゆのつ)温泉など文化的景観が世界文化遺産として2007年に登録された。大森地区は入口の代官所跡から一番奥の龍源寺間歩(まぶ)まで3.1kmもあり、ゆっくり見ながらだと徒歩で往復3時間、チャリで1時間はかかりそう。その上、川沿いに遡上するためじわじわ上ってるのでチャリも結構しんどい。そこで活躍するのがレンタル電動自転車。若いペアが楽しそうに意外ときつい坂に喘いでいる我々を軽く追い抜いて行く。「楽ですか」と聞くと「めちゃ楽っす」との返事。電動は確かに楽やけど電池が切れると逆にむちゃ重たくなるのやが、この程度の距離ではバッテリー切れにならないやろうな。
 間歩とは銀を掘る坑道のことで、ここには大小600余りの間歩があるそうや。銀鉱石の純度が高いため、17世紀前後には世界銀産量の約3分の一を占めていて欧州では石見銀の名が知れ渡っていたらしい。高純度と言っても銀は鉱石1t当たり約2kgの0.2%、他に金が0.05%、銅が3%含まれているに過ぎない。それでも現在、日本最大の金山である鹿児島の菱刈鉱山の金含有量が0.04%だから、石見銀は高品位の方だ。ここの銀は熱水という金銀銅を含む水が岩の割れ目に沿って流れることにより金属が割れ目に蓄積される鉱脈鉱床やから、坑道を掘り進み割れ目があるとそれに沿ってどんどん掘っていく方法や。今回見た龍源寺間歩は常時見学できる唯一の見学坑道やが、坑道を歩くと、人ひとりがぎりぎり入れるかどうかの狭い穴が側面のあちこちに空いている。坑道は水平に進むが、割れ目があるとそれが真上だろうが真下だろうが掘っていくのでアリの巣のよう。間歩出口にバレーボール大の銀鉱石が置いてあり(写真ご参照)、聞くと真ん中の割れ目に銀があるとのこと。確かにそこは何となく銀色っぽかった。
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 この間歩見学から三瓶山に寄ってきたGOKIさんが合流。一緒に清水谷製錬所跡を見に行き、明治時代、藤田組(現DOWAホールディングス)が銀製錬工場を建設したもののペイせず1年半で閉鎖に至った溶解炉らしき煉瓦積みを発見するも、草ぼうぼうで全貌を確認できず不完全燃焼に終わる。それよりも案内板の上で発見した、ぎこちなく歩く変な虫の方が面白く、一同笑い転げる。
“Photo,  GOKIさんはここの宿にひとり泊。残り3人は16km先の温泉津温泉泊やが、まだ4時過ぎなので、那珂はGOKIさんと五百羅漢を見学に、五百円の入場料がもったいないのと早く温泉に入りたい潤と筆者は先を急ぐ。県道31号、同290号、交通量の多い国道9号線を通って17時過ぎに温泉宿「なかのや」にとうちゃこぉ~。ここには「元湯温泉」と「薬師寺温泉」の外湯があり、前者は長命館という老舗の旅館が独り占めしており、後者は付近の宿へ源泉を供給しており、対照的や。温泉の質は違うというが、ようわからへんやった。まず、独占している元湯温泉へ入ると、湯船しかない昔風で、湯船のお湯で体や髪を洗う。湯船は熱めと温めがあり、常連のおっちゃんがしきりに、今日の湯はぬるいと熱めの湯船に入りながら言い合っている。筆者には温めでも十分熱かったで。温めで43度、熱めで45度はあったのではないやろか。潤は熱くて洗い場もないので、すぐに上がって宿の内湯へ移動したそうや。那珂は30分遅れで着いたらしく、内湯に入り、6時半から3人で夕食をいただく。豪華な料理をワンカップ2本呑みながら食べてすぐに寝ました。那珂は外湯の薬師寺温泉に入り、その後葉書を書いてたようや。では、ごきげんよう、さようなら。


【gokiコメント】今ツアー、二回目のソロラン。国体で走った大田から三瓶山のコースを事前に調べたが全く分らなかった。大学二年春にキャンプして登山した北の原はすっかりキレイに。さんべバーガーを記念に食べてきた。
【那珂コメント】今日はGokiさんと別れて野田と2人のラン。野田のナビを頼りに田舎道をゆるりゆるりと進む。目玉の石見銀山にはちょうど昼に到着。午後には海に出たところにある仁万駅に潤子ちゃんが到着予定。蕎麦を食べながら「やっぱり迎えに行かないとなあ」と、妹のことを気に掛けるお兄ちゃんの顔を見せる。いつものことながら、ほのぼのとしたこんな一瞬が楽しい。潤子ちゃん、Gokiさんと合流して銀山見学。電気の無い時代、あの奥深い坑道で照明を確保したり湧水を排水したりと、さぞや苦労が多かったことだろう。
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8日目:5/3(日) 温泉津温泉→三段峡 (84km) 晴れ
 今日を含めもうあと4日しかないことに気付く。もう3分の2も終わってしまったと思うと、体は元気なのに心が沈む。もっと走っていたい。5時に目が覚め、銀の積出港として栄えた近くの沖泊港へ向かう。港を囲むように岬が二つあり、そのてっぺんには毛利氏が築城した山城があり、石見銀を守っていたらしい。その鵜丸城址の入口を見つけ登ってみるも灯台があるだけで山城の面影は全く見当たらず。その上、薄暗い竹林が途中にあり、物音がするたび早足になる自分が情けなかった。山城好きの千崎さんは早朝によくこういうところに行っているが、怖くないんやろか、と思う。
 宿へ戻り浴衣に着替えて、強欲温泉より新しそうやがレトロ風の薬師寺温泉へ。こっちゃはカランやシャワーもあり便利。お湯も熱くなく良好。その上、2階にはくつろげる部屋があり、3階にはベランダもあり眺めもよろしい。熱いコーヒーを頂きながら2階の丸い出窓部屋でまったり。そのあと、宿の内湯にも浸かり満足して7時からの朝食タイムへ。筆者の評価は断然に薬師寺温泉です。
 今日のコースはルートラボによると獲得標高が1600m、距離も90kmとハードな一日になるため、早めの8時に宿を出発(いつも8時やけどね)。本日の目的地である三段峡はここからほぼ真南にあり、とにかく南へ進めば良いのでコース取りは簡単や。時代劇によく出てくる格子状のなまこ壁を見てから国道9号へ。江津(ごうつ)市に入ってすぐに県道221号に逸れて江の川沿いの国道261号に入り川戸のローソンで弁当を調達して、八戸川沿いの町道へ。ダムから先が通行止めやったが、休日やから普通に無視して通過していくと、道路の半分が陥没してたり、土砂崩れもあったが、工事車両が通れる程度やから難なく通過。ダム湖を過ぎて川が清流になったところで早めの昼食。通行止め区間で車が全く来ないので、静かで空気もきれいだ。弁当を食べながらこぴっとワンカップ1本も体内に補給してさあ出発や。県道50号、同5号を経由して同113号に入ると、日本棚田百選のひとつである「都川の棚田」が見えてくる。土積みではなく棚田では珍しい石積み。一見、城郭の石垣のようや。鳥取城の石垣と同じ造りらしい。江戸時代に砂鉄を採るための「鉄穴(かんな)流し」によって出た残土を利用して農地を造成したことがこの棚田を作り出したそうな。写真のような棚田がいくつもありました。
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 更に南下すると広島県との県境に着き、北広島町の標識がある。兵庫県から始まった本ツアーはこれでとうとう5県目。この町は北海道へ移民した人が多くいて、札幌の南にある北広島町の由来はここやそうや。広島県に入っても県道11号は緩やかな上り坂が続くものの、車が少なく気持ちいい。ピンク色の八重桜が満開で時折立ち止まって真っ青の空と桜をカメラに収める。広島県の可部から日本海に抜けて下関までを結ぶ国道191号に入ると、標高660mの虫木ノ峠がある。それを越えると豪快な下り。標高400m地点に三段峡の分岐があり、ここから県道249号に入るが、車道は数キロ先の三段峡遊歩道で終わりやった。国鉄時代に計画され途中で建設中止になった幻の可部線の名残りが所々にあり、何となくわびしい。本日の宿「川本旅館」はこの車道の終点にあり、わかりやすかった。そして玄関には見覚えのあるチャリが…。ここから再び合流する予定の千崎さんのや。きっと早めに来て渓谷を見に行ったんやな。さすが行動に抜かりがない先輩らしい。今日から休みの人が多く、同期の浦野親子、H4年卒のDAZ今野も今日から合流する。我が先発隊も想定外に早く、午後3時半過ぎに着いてしまったので、十分見る時間はある。温泉津から7時間、意外と楽勝だったから、獲得標高は多分1000mもなかったんちゃうやろか。ルートラボもあまり当てにならへんということか?。まぁとにかく、渓谷の行けるところまで行こうという話になる。筆者は早くビールを呑みたいのやが…。ちなみに三段峡は全長11kmもあり、一番奥の見どころである三段滝までは7km、片道2時間もかかるそうや。赤い橋を渡ると、ラン初日と全く同じ服装をした千崎さんがちょうど奥から歩いてくるではないか。6日振りの再会にお互い喜び合う。先輩は2.7km先の黒淵(11mの深さがあり水面が黒く見えるらしい)まで往復1時間半かけて行ってきたとのこと。筆者は折角やから先輩と一緒に宿へ戻ることにして(ラッキー)、渓谷巡りは明朝に。那珂と潤は折角やからと二人仲良く奥へ入っていった。宿へ戻ると昨日銀山で別れたGOKIさんが到着していて、旧銀山街道をかつぎながら踏破してきたとのこと。筆者も一緒に行きたかったなぁ。でもかつぎは無理やから、これで良かったかも。
 朝が弱いGOKIさんは今しかないと、二人を追っかけて渓谷へ向かい、筆者は千崎さんに大変だったけど面白かった投入堂の話をしながら、念願の缶ビールをぐびり。すると、バスから輪行袋をかついだ男がひとり降りてくる。DAZだ。広島から走らずバス輪行してくるとは。まだ若いのにいかがなものか、と思ったが、2年振りの再会にお互い喜び合う。あとは浦野親子やが、二人は広島から走ってくるらしいから、到着は遅くなるだろうが、暗くなる前に着いて欲しいものや。しかし、宿の女将から浦野の息子が来れなくなったと聞く。なんでやろ。訳はあとでわかるのやが、広島まで一緒に来て原爆ドームを見た後、一人で東京へ帰ったらしい。詳細は浦野の報告をご覧いただきたい。夕食は暗くなる前に着いた浦野を含め、今回ツアー最多人数の7名となる。夜はすぐ寝てしまったので記憶なし。では、ごきげんよう、さようなら。
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【酔狼コメント】がけ崩れを強行突破、そろそろ「引き返す、迂回する」ことができる大人にならなければ。(筆者補足)千崎さんは今朝広島の西方にある大竹から走り始めたのやが、国道186号を避けて入った県道296号が立岩ダム付近で通行止めだったらしい。道路全体が土砂と倒木で埋め尽くされていて、何とかチャリをかついで越えたが、倒木の枝で足を派手に擦りむき出血。バンドエイドをベタベタ貼って止血していたが、痛々しかった。
 >>>酔狼通信243-2(5/3~ 5/6)
【gokiコメント】三回目のソロラン。石見銀山の古道、降路坂をかつぐ。その後もハードな一日だった。野田らと途中合流できず。三段峡の遊歩道で、三段滝がやけに遠いと不思議に思ったが、以前アコ氏らと来た時は北の道から直接近づいたのだった。
【那珂コメント】今回初めて5時の早起きして近くを散策。岩の海辺近くに来てみると、強風で怖いくらいに波が高く、岩の上は歩けなかった。宿に戻って近くの外湯「薬師寺温泉」に入る。海辺なのにちゃんと45℃もあるお湯が出るんだ。大正時代風の趣のある建物で、3階のベランダに出ると街並みを見渡せる。ここで風呂上りにサービスのコーヒーを一杯。
 >>>続きは、那珂のレポートで
【浦野コメント】13時40分頃に横川駅で誠人と別れた後、太田川沿いに三段峡を目指す。コース自体は川沿いの緩やかの登りだが、ほとんどの行程が向かい風(と感じた)だったため予想以上に疲れた。途中、道を間違え約7kmロスしたのはご愛嬌。18時過ぎに川本旅館に到着、無事本隊と合流した。
 >>>誠人が不参加となった理由は?
【DAZコメント】この日は広島まで新幹線で、さらに広島からは高速バスで宿の目の前まで輪行しましたので、僕の走行は0kmです。5時ころ宿に着いて、本日のきついコースを走りぬいた皆さんとの久々の再会がうれしかった。


9日目:5/4(日) 三段峡→津和野 (76km) 晴れのち曇り
 5時半に起きて玄関を出ると、既に千崎さん、那珂、浦野、DAZが待っている。初めての浦野とDAZはわかるが、千崎さんと那珂は昨日見てるはずなのに、早起きは三文の得と言わんばかりに、行く気満々や。遊歩道は全舗装で途中までは階段もなく、チャリでも行けそうなので、筆者は行けるところまでマイチャリで行くつもりやったが、このお二人にガードレールがあるわけでなく、もし滑ったりしてバランスを崩したら崖下へ落ちる危険あり、と窘められ断念。個人ランやったら早朝で観光客もいないから絶対チャリだったやろうけど、万が一何かあったら皆に迷惑をかけることになるから、5人仲良く徒歩で行くことに。この渓谷にはホタル、もりあおがえる、カジカ蛙、川ガラスなどの生物が生息しているらしいが、今は季節柄、川ガラスだけ。6月になると他の生物が一斉に鳴いたり見えたりするそうや。姉妹滝、兜石などの案内板を見てどれやねんと探しながら30分ほど進むと、今回一番の見どころになった赤滝に到着。眼下の川ではなく道横の岩が赤く照らっていて水がさらさらと流れている。例のお二人が、昨日はもっと赤かったで、と言い、陽が当たっていた昨夕の方が渓谷自体も新緑が映え、メリハリがあって良かったらしい。早朝は観光客もなく静かでいいけど晴れてても陽がまだ低く暗い感じになるのが残念や。岩が赤く見えるのは水に含まれる鉄成分が岩に付着して錆びたからと思ったが、それにしては赤すぎる。実は、タンスイベニマダラ(淡水紅マダラ)という赤い藻が岩に付着しているためらしい。初めての3人はそうなんやと頷く。その先にある夫婦淵、石樋まで行き、朝食の時間まで45分となったので引き返すことに。もう少し行くと黒淵があるのやが残念。
 宿に戻り朝食を頂くが、なんぼ食べても満腹感がなく結局ご飯を4杯もおかわりしてしもうた。完全に胃拡張状態や。今日はここから西南西方向にある津和野付近まで行くのやが、見どころは北へ延びる三段峡やその西方にある匹見峡になるため、まずは北西に進み、途中から南西に向かうという効率の悪いルートを皆で相談して選択。更に5つもの峠を越えなければならない結構なハードコースや。体がハードコースに馴染んでしまったGOKIさん、那珂、潤、筆者と普段から走り込んでる千崎さんは心配ないやろうが、今日から走るDAZや2日目の浦野は大丈夫か、と心配したが、結果的には何の問題もなく、さすが昔取った杵柄。普段から鍛えているみたい。
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 8時過ぎに宿を出発し、いきなり勾配10%の上りが続く道を進み、宿から標高差約600mの内黒峠、標高990mを目指す。一応、県道252号線で通称「恐羅漢公園線」なので全舗装。筆者はいつものようにオーラスで写真を撮りながら、ゆっくりとじわじわ上っていく。田舎の風景、藤らしきお花、勾配10%の標識などをカメラに収め、スタートから約1時間で800m地点に到達。そこで皆が休憩していたが、うさぎと亀の、亀のように進む速度が一番遅いので、休まずそのまま通過。みんな先行ってるで。地図を見ると、ここから峠まで約2.5km、標高差は200m。普通に行けばちょうど30分の行程や。10分ほどのんびり走ってると、後ろからGOKIさん達が迫ってくるのが見え、足にはまだ余裕があり、もしかしたら久しぶりに峠の勝負で勝てるかも、と頭をかすめたので、立ち漕ぎでとりあえず逃げることに。ちょうど傾斜も緩やかになり後続を一気に引き離すも、残り1kmぐらいからまたきつい坂が続く。ここからは筆者得意の立ち漕ぎ蛇行走行に切り替えるも、基本遅いので後方を度々チェックしながらじわじわ進むと、漸く峠が見え、勝利を確信。休憩地点から25分のアタックやった。後続は意外とすぐに来ず、2分後に漸く千崎さんとGOKIさんが仲良くVサインをしながらゴール。聞くと、途中で野田が見えたがその後消えてしまったので、こぴっと追うのを諦めたらしい。ほんまはこぴっと追ってきて欲しかったのやけど…。その後、浦野、DAZ、那珂、潤の順でゴール。トップで峠に着き皆のゴール写真を撮るのは久しぶりやが、いつ撮っても気持ちいいものや。快晴で最高の眺めなので、皆で峠付近をうろうろ。内黒峠の道標を見ると、この辺は「西中国山地国定公園」らしいが、当たり障りのないお役人らしいネーミングでちっとも面白くない。メインは三段峡、匹見峡、寂地峡などの急峻な渓谷群やから、三段匹見寂地渓谷国定公園にしたらいいのに、と一人思う。
 全体写真を撮って峠から200mほど下ると、キャンプ場やスキー場がある牛小屋高原の麓に着き、更に横川沿いに下ると、三段峡の奥に位置する二段滝への入口があるはずやが、見当たらず、そのまま横川トンネルをくぐると、餅の木峠に向かってまた上り。二段滝は猿飛渡船に乗らないと見えない秘滝なので、めちゃ行きたかったが、渡船の船頭さんが高齢で休んでおり欠航していると宿のご主人から聞いてたので、泣く泣く諦める。例の三段滝も峠へ行く途中から遊歩道を通れば行けるはずやが、誰も行こうとしないので、泣く泣く通過。
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 出発から2時間半で順調に二つ目の峠をクリアー。ここで峠を「だお」と呼ぶことについて千崎さんが酔狼通信で書いているので、以下に抜粋。ついでに石州瓦話も。
【酔狼通信から引用】峠の上の標識には「餅ノ木峠 Mochinokidao」と書かれている。Dazが峠に着くと「『だお』って何ですか?」続いて着いた潤子ちゃんが「『だお』って何ですか?」酔狼には馴染みの言葉やが、他の皆には解からない。「垰」と書いて「たお」、「乢」は「たわ」かな?中国山地系列では「峠」のことを「たお」とか「たわ」とかよんでいた。手元の地形図上に「垰」や「乢」は見つけられなかったが、「峠」に「たお」のルビが付いているものが多々あった。垰(たお)同様、酔狼以外の皆には赤い瓦屋根が珍しいようや。
<野田兄妹の天然会話から>
 兄「セキシュウガワラってどういう意味か知ってるか?」(お前はきっと知らないだろう。俺が教えてやる)
 妹「しらな~い。どういう意味ぃ?」(まったく興味無し)
 兄「『石』に『州』と書いて『セキシュウ』って読むんだぞ」(ほ~ら、やっぱり知らなかった。何でも俺が教えてやる)
 妹「へ~ぇ、そうなんだ~」(やはり、まったく興味無し、でも一応兄を立てておこう)
野田くん、それって『石』は島根県西部の旧国名が『石見』で『州』は『信州』とか『甲州』と同じ意味で『石見の国』って事だよって言わなきゃ!

 国道191号に出るまで下って標高800mの道戦峠までまた上りやが、この峠は楽勝。ここから島根県に戻り、約15km先にある表匹見峡の入口、標高500mの出合原まで緩やかな下りが続く。途中、たたらの鍛冶屋遺跡があり、鉄屋の筆者は当然ながら立ち寄る。皆は停車せずに行ってしまったが、最後尾の那珂と潤は筆者が止まっていたので、(仕方なく)一緒に見学。ここまで砂鉄を運び、鑪(たたら)で木炭によって溶解し、鍛冶屋で製品にしたのち、人馬等で広島へ運んだらしい。鑪跡は大きな浅い穴が空いてるだけで何もないが、当時はここを中心に二十間四方に板囲いがあって出入り口には番人が居り警戒は厳重を極めたそうや(と書いてあった)。近くに満開のソメイヨシノが2本並んで咲いていて、夫婦桜のよう。那珂も筆者もカメラに収める。
 あんだけ一杯メシを食べたのに、まだ12時前なのに、おなかはペコペコ。出合原には道の駅があるので期待するも、そこには食堂がなく(以前はあったらしい)、がっくし。皆はパンやお菓子を買って食べてるが、食事の前にビールを飲みたい筆者は何も口にせず我慢。そろそろ出発かと周りを見渡すと、千崎さんが見当たらず、近くの大きな屋敷前にチャリが見える。GOKIさんもそっちの方へ向かっているので、皆でぞろぞろ屋敷前へ移動して、入場無料を確認した上で中へ。千崎さんは既に屋敷の中へ入り込んで何かを見ている。それはめちゃ立派な神棚で、2間以上の横幅があり、大きな縄が掛かっている。レトロ好きの先輩は、たまたまこの屋敷に入ったそうやが、神棚以外にも大かまどや懐かしいものが数多くあり大満足されていました。別館の資料館では、この大屋敷が「割元」という庄屋の中の大庄屋であった美濃地家のものであったことがわかる。この地方は砂鉄や森林に恵まれていたことから、たたら製鉄が栄え、地域に賑わいと繁栄をもたらしたそうや。昨日の都川棚田で紹介した「鉄穴(かんな)流し」は山土を崩して水流で磁鉄鉱を採取し精製する手法であることもここでわかった。当時「鉄七里に炭三里」と言われ、砂鉄は七里先まで、木炭は三里先までの範囲から集められたそうで、それに適した場所でたたら製鉄が栄え、正にこの地方がそうだったらしい。出雲の山奥だけでなく、この西中国山地でも栄えたとは知らんかった。
 ここからは国道を逸れて県道307号沿いの表匹見峡を下っていく。所々に何とか岩とか何とか淵などの案内板があるも、三段峡と同じようなネーミングやからもう慣れてしまい、「ふーん」って感じやったが、「ひょうたん岩」だけは「へーなるほど」と感心。写真のように、岩の形ではなくて岩の窪みに溜まった水がひょうたん型をしているのだ。水の溜まり量によって形が変化するはずやが、筆者が見た時はちょうど瓢箪型をしていた。めちゃラッキーなのか、いつもいい具合に溜まるのか、摩訶不思議。
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 出合原から1時間ほどで匹見峡温泉に入り、美濃地屋敷のおっちゃんから美味しいと聞いてたレストランに行くも、お店のねーちゃんがちょうど玄関前に出てきて、営業中の札を閉店に。食材切れらしい。まじか、なんでやねん。やっとビールが呑めると思ったのに。ショックでふらふらと隣の日帰り温泉「やすらぎの湯」へ行くと、ひとひとひとの人だかり。「匹見峡春祭り」で無形文化財である神楽を特設会場でやっていて、地元らしい方たちがぎょうさんおる。これがネタ切れの理由や、と納得しながら、温泉内のレストランもネタ切れやったらどないしょ、と焦ったが、何とか大丈夫そう。早速、生中で千崎さんと乾杯。この辺りはわさびの名産地のようで、筆者はとりのわさびソースかけを、DAZは「うずめ飯」を注文。地元の名物料理のようやが、丼ものでいろんな具が入ってるらしい。出てきた丼を見ると、表面には刻み海苔と三つ葉とわさび、お茶漬けのように汁がたっぷり。下の方にはシイタケや高野豆腐などの具が埋まっている。津和野のご当地料理であり、具の上に炊きたてのご飯を盛って埋めたことから「うずめ飯」の名がついたそうや。深川めし、さよりめしなどと並んで日本五大銘飯の一つ。DAZは珍しそうに食べていたが、あっさりし過ぎててカロリーの消耗が激しいチャリツアーの食事としては今一そうやった。
 食後、楽しみに待ってるうちへの土産をそろそろ買わなくては、と売店へ行くと、店員からトイレのスリッパですよ、と指摘される。DAZも同じスリッパを履いていて二人で赤面しながらトイレへ。那珂にこの失敗談をすると、彼は食事前にトイレへ行ったあと、トイレスリッパのまま食堂へ入り、指摘されるまでずっと履いていたそうや。ぼけ同士3人で笑い合うトイレスリッパ事件でした。どこの日帰り温泉もそうやが、玄関で靴を脱ぐため屋内では何も履きません。その上、そこのトイレは段差がないバリアフリーやから、スリッパのまま出てしまい易く、きっと毎日何人ものお客が売店の人に注意されてるはずやで、と自分を慰めながら、14時半頃温泉を出発。
 ここまで既に獲得標高が1000mを越えてるが、まだここから400mアップの4つ目の峠が待ってる。県道42号から同182号に入ると通行止めの案内板があり、またかと案じたが、朝決めた、宿まで最短ルートであるハビ内谷林道ではなく、県道の方やったので、ほっとして先へ進む。川沿いの田舎道をじわじわ進むと、川べりの方に黒いネットが掛けてあるのが見え、カメラの望遠で覗くと、水がさらさらと流れており、伊豆の天城峠途中にあった葉っぱがたくさんある。わさび畑や、と一枚パチリ。この辺りから勾配がきつくなり、14%と書いた標識を横目で眺めながら、がしがし進む。ハビ山を過ぎると一旦標高700mのピークに着くも、最後の峠である上内谷峠はまだ先。このピークで休憩後、一旦100mほど下らなければならん。いつもは先頭で下り始める筆者やが、なぜかこの時は出遅れてしまい、浦野とDAZが先行。それが災いとなり、本ツアー4つ目の公式事件が発生する。2kmほど心地よい田舎道を下ると、左側に上っていく分岐があり、嫌な予感がした筆者は急ブレーキをかけて止まり、地図をチェック。やはり、左の方が峠への道で、下り道は宿と全く反対の方へ続いている。農作業中のおっちゃんに聞くと、チャリが2台、猛スピードで下って行ったとのこと。浦野とDAZや。しかし、追っかけて行くには相当下らなければならず、既にかなり足にきている皆は二の足を踏んでる。すると、千崎さんがおっちゃんの軽トラを貸してもらおうと言い出し、おっちゃんの了解を得て、軽トラに乗り込む。筆者が運転してもよかったが、オートマでなくミッションやからエンストの可能性大。先輩はスムーズに坂道発進してUターン。しかし、ちょうどその時、坂道を戻ってくる浦野が見え、暫くするとDAZも。浦野は途中でおかしいと気付き、DAZは写真を撮ろうと止まったが、誰も来ないので地図を見直し、行き過ぎたことがわかったらしい。結局軽トラで追っかけずに済み、事なきを得たが、DAZの暴走癖はこれだけでは終わらなかった。それは明日に。
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 この暴走行き過ぎ事件で20分ほどロスしたが、7名全員が最後の峠を難なくクリアーして、益田市から津和野町に入り、17時過ぎ、県道189号沿いにある本日の宿「杣(そま)の里よこみち」にとうちゃこぉ。知らなかったが、杣(そま)とはきこりの山を意味し、杣人(そまびと)はきこりと読むらしい。ここは廃校になった小学校をほとんどそのまま残して宿にしている。昨年の四国にもあったが、教室が大部屋になっていて広々として気持ちいい。その上、迎えてくれたおねえさんは、めちゃかわいくて愛想も最高。ロビーにあった1枚の卒業写真には、彼女と思える若かりし姿が写っていたので、聞くと、20年ほど前に廃校となった時の最後の卒業生やったとのこと。やっぱりね。玄関横には鉄パイプの手作りチャリスタンドがあり、皆珍しそうにサドルを引っかけていたが、筆者のチャリは自重で愛用のイディアルサドルが壊れたら困るので、傍のベンチに立てかけるしかない。
 風呂待ちでロビーをぶらぶらしてると、大きな瓶が窓際にあり、よく見るとカメムシがいっぱい水面下に沈んでいる。簡易式カメムシ採り装置らしい。この時期、活動が活発になり、部屋にもたくさん入ってくるとのこと。最悪や、と凹みながら、風呂に入り、夕食タイム。イノシシが捕れるようで猪肉の筑前煮や、山盛り山菜の天ぷら。加えて、サービスの鳥唐も。お腹いっぱいになって即熟睡。GOKIさんは、千崎さんがお昼に道の駅で買ったパズルに嵌り、遅くまで起きていたらしい。筆者も翌朝トライしたけど、全く歯が立たず。こんなん、完成させる人は普通じゃない頭脳の持ち主やで。持ち帰った千崎さん、完成しましたか?


【酔狼コメント】厳しいルートの最後に14%の勾配。その後の下りの上り返し、参った(ハビ山付近のこと)。酔狼が昼食時に買った木製の立体パズルにゴキが夢中。皆、チャレンジするが、超難しい。商品名は「てこずる」。中に解答例は無く、購入時も完成形じゃなかった。そして「根気も根性もなく、意地も名誉も捨てたい方は切手同封で送ってくれれば解答例を送ります」徹底している。
【gokiコメント】朝から笑っちゃうような登り。日原町に入ってDAZと浦野が下りすぎちゃった時はハラハラ。明日は我が身。
【那珂コメント】今朝も5時起きで再度三段峡を歩く。でも、まだ陽が出ていないので昨日のほうがきれいだった。ただ昨日より少しだけ奥まで行けた。気温が低くて手がかじかむ。出発前に「とちもち」を買おうとしたら、店のおじさん曰く「焼いて食べないとおいしくないからダメ」、とのことで諦める。こだわりを持って商売しているところがイイ。
 >>>続きは、那珂のレポートで
【浦野コメント】この日宿泊したそまの里よこみちでのできごと。皆の入浴中新聞を読んでいると女将さんから「サイクリングの人にはグラタンとか鶏の唐揚とかを出すことが多いんだけど、カロリーはどのくらい必要ですか?」と問われ、「カロリー計算はしていないしおかずは用意していただけるもので充分。ただご飯は多めにお願いします」と答えた。夕食はかなりのボリュームで食べきれないほど。後から出てきた唐揚はきっとサイクリストへのサービスだと思います。大善処。
【DAZコメント】スタートから宿の裏道の激坂で、昨年秋以来走ってなかった脚にはこたえました。表匹見峡旧道の下りは素晴らしく快適で、久々のサイクリングを満喫。夕方の下りで分岐を行き過ぎてしまい、すみませんでした。まさか軽トラックが出動しようとは。。。ベテランの先輩方の機転には脱帽、これも旅の思い出のひとコマになったということで、どうかお許しを。宿の夕食は地元の食材を使った素晴らしいもので、スタッフのフレンドリーな対応も、とても良かった。


10日目:5/5(日) 津和野→萩 (92km) 雨のち晴れ
 今日は子供の日。山口県の鯉のぼりは変わっていて、鯉を支える棒がくの字に折れる仕組みになっていて、風のある時は棒を立て、無風の時は棒を寝かす。そうすると鯉はどうなるか、読者の皆さん、もうわかりますね。はい、無風の時でも鯉は横に仲良く並んで天に上るように見えるのです。と、物知りの千崎さんが教えてくれました。
 天気予報通り、深夜から雨が降り始め、起きると結構雨足が強い。携帯でチェックすると、西方の山口県にはもう雨雲がなく、10時頃にはここも止みそうな気がする。7時から今回ツアーで一二を争う豪華で美味しい朝食を戴き、ゆっくり準備にかかる。9時の出発を期待していたが、他の人は8時過ぎには出発したい模様。特にDAZは最近吉田松陰先生の大ファンになったらしく、早く萩に行きたい様子。と知りながら、雨が止むのを期待し、朝のNHK連ドラ「花子とアン」を見てのんびりしてたら、千崎さんに怒られ、仕方なくカッパを出し、準備を急ぐ。結局のんびり作戦は失敗に終わり、8時半には宿のおねえさん達と一緒に出発写真を撮り、小雨の中、居心地の良かった宿を跡にする。そうそう、身支度中、浦野が夜通しチャリに掛けていたヘルメットを被ろうとしたら、蛙がヘルメットからぴょんと飛び出してきて、びっくりしながらも笑える事件がありました。蛙も居心地が良かったんやろうね。それと、千崎さんが発見したのやが、宿付近にあった犬小屋のトタン屋根も石州瓦と同じ鮮やかな赤茶色やったらしい。石見の国人はほんまに石州瓦を愛してるのやね。
 県道189号を西進し、山口県岩国と津和野を結ぶ国道187号に入ると、雨は止み、結局降られたのは30分ぐらいやった。路面は濡れているが、ビーサンの筆者は全く関係ない。左鐙(さぶみ)という変わった名の部落を通り、日原から国道9号に入り、津和野の町に。山の上には津和野城址が見え、道路脇の小川には津和野名物の金色の鯉がいっぱい。周りのお店には「源氏巻」の幟がいっぱい。餡をきつね色に焼いたカステラのような薄い生地で包んだ長方形のお菓子で、試食してみると、皮がもちもちして餡はそんなに甘くなくてうまい。日持ちは1週間ほどなので、うちへのお土産第2弾に決め、鳥居前にある老舗のようなお店に入り、試食を要求。こっちの方がもっともちもちしている。聞くと、お店によって餡の味も微妙に違い、機械製造が多いが、ここは手作りとのこと。このあと入った喫茶店でもお土産コーナーがあり試食したが、ここが一番まずかったので、2軒目の「総本家」に戻り、2本購入、400円也。なぜだったか忘れたが、喫茶店でお茶しようという話になり、さっきのサテンでコーヒーとデザートタイム。DAZは早く萩へ行きたそうだったが、津和野に入ってからほぼ1時間ゆっくりして、11時半前に出発。
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 ここから萩まで51kmの標識を見ると、森鴎外記念館の案内があり、ちょっと寄って見るかとなり、DAZまた焦る。津和野出身の森鴎外は陸軍の軍医として活躍する一方、「舞姫」などの小説を書いた人で有名やが、ここにはベルリン留学時代に交際したドイツ女性が鴎外帰国後、追っかけて日本へやって来た浮気話が書かれていた。なんだかんだで結局30分近くも居てしまい、12時前にやっと津和野を離れ、萩へ向かう。県道13号を名賀川沿いに遡り、15分ほど行くと、右に広がる水田の向こうにいるカラフルな人たちが気になったらしく、千崎さんとGOKIさんが、脇道へ逸れる。
 最後尾の筆者もそこにいる千崎さん達を見つけ、田んぼへ行くも、DAZはそこにおらず。どうも先行していた千崎さん達が立ち寄ったのを見逃がし、一人先へ行ってしまったよう。人だかりは御田植祭らしく、女性の着物を着て踊っているおじさん達の前の水田で、10人以上が1列に並んで苗を植えている。泥に嵌った足が抜けずバランスを崩してこけてお尻が泥だらけになった子も、見た目女子高生のかわいいおなごが多く、珍しいのか、カメラマンもいっぱい。当然筆者も初々しい彼女たちをカメラに収めてたら、もう12時過ぎ。萩までは残り45km。普通ならちょうどいいペース。本日唯一の峠らしい峠である標高450mの馬草峠方向から流れる名賀川は昨秋の台風で氾濫したらしく、今でもあちこちで復旧工事が行われていた。この辺りが3日間以上集中豪雨の続いた地域で、道路だけでなくこの川沿いを走るJR山口線も長い間不通やった。「ガンバロー名賀、豪雨災害に負けてたまるか」という看板が当時の激しさを物語っていた。
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 楽勝の馬草峠に着くと、先行していたDAZが待っていて、てっきり一人で萩へ向かったと思ってたので、ちょっくらびっくり。焦っても律儀なDAZらしい。余りにかわいそうなので、普段ちんたら走る筆者も、時速30km/hで飛ばすDAZにぴったり付いてこぴっと走ることに。山口県徳山と島根県益田を結ぶ国道315号をちょこっと走り、ウリ坊の里で昼食。こぴっと食べたかったが、焦るDAZのために軽いうどんで済ます。ビールも呑めず…。
 ここから県道13号、11号、10号経由萩まで約30km。緩やかなアップダウンが続くこのルートをDAZのために全員頑張る。いつもマイペースの潤もこの時だけは必死になり、なんと1時間足らずで萩市内の東側にとうちゃこぉ。時刻はまだ15時前。ここからは萩の名所をゆったり巡る観光ツアーとなる。案内役は歴史が大好きでここ萩にもめちゃ詳しい千崎さん。そのガイドさんが、まず「史跡萩の反射炉」はどうや?と言うので、鉄屋の筆者としては当然行かなくてはならない。松陰先生ゆかりの松下村塾がある松陰神社はもう目と鼻の先。焦るDAZはとうとう我慢できなくなり、本隊と別れ一人飛んで行ってしまった。DAZのいない6人は日本に現存する反射炉2基の一つであるここをのんびりと見学。反射炉とは西洋で開発された金属溶解炉であり、江戸時代後期に洋式大砲を製造するため、まず佐賀藩が導入。その後、薩摩藩、水戸藩、萩藩などが続き、我が国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡らしい。現存するもう一つは伊豆の韮山にある。大砲は鉄の鋳物で出来ており、鋳物メーカーに銑鉄を販売する筆者にとって、反射炉は出雲大社のように拝む存在なので、当然のように合掌。アーチ型の炉内天井部で燃料の輻射熱を反射させて鉄を溶融還元して、硬くてもろい鉄から軟らかくて粘りのある鉄に変身させる。見た目はこの炉より10mほどの煙突の方が特徴や。
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 次は、DAZにとって出雲大社のような存在である松下村塾の建屋がある松陰神社へ移動し、国指定史跡である松下村塾や幽因の旧宅を見学してから、5年前にできた至誠館へ。松陰先生の遺品を展示しているゾーンは有料やが、無料ゾーンも先生の御生涯を詳細に紹介しており、見応えがある。吉田松陰は29歳の若さで江戸幕府に処刑されてしまうが、江戸に送られ取り調べ中に余計な事を云ったために、幕府側も処刑さざるを得なくなったらしい。長生きしてれば、弟子の伊藤博文でなく彼が初代総理大臣になっていたかも。それほどすごい方だったとは。日本史に疎い筆者も驚きやった。DAZが嵌るのもわかるような気がした。そして何かの縁か、来年のNHK大河ドラマは松陰先生の妹が主役の「花燃ゆ」らしい。大河ドラマは最近あまり見てないが、来年はこぴっと見てみよう。次は、町の西端にあるお堀が特徴の萩城址。石垣が並ぶ旧城下町へ行こうとすると、浦野のチャリがトラブル。
【酔狼通信から引用】浦野くんの自転車のマッドガードのステイ取り付けの、なんちゃら言う部品のボルトが折れるアクシデント。バッグの中から、ほんの短くまとめたガムテープを出し応急修理。短い針金も持っているそうや。このあたり、切れそうなストラップを交換せず、予備を持って走る野田くんとの違いがクッキリ。

 ここ旧城下町には「鍵曲(かいまがり)」という左右が高い土塀で囲まれた、見通しの悪い鍵手形の道が現存しており、屋敷跡には萩名産である夏みかんの畑がいっぱい。そして有名な萩焼のお店もあちこちに。反射炉から既に2時間が過ぎ、千崎ガイドによる萩観光巡りツアーも終わりに近づき、締めは木造校舎に壮大観がある長州藩旧藩校「明倫館」。小学校の校内にあるため普段は入れないが、GWに合わせて開催されている萩焼祭りの駐車場としてグランドを解放していたため、ガードマンが中に入れてくれた。何回も来ている千崎さん曰く「ラッキー」。
 中心街にあるホテル「萩温泉高大」に入り、筆者は皆の洗濯物を集め、近くのコインランドリーへ。着替えが少なく毎日洗濯しなければならない筆者は自ら洗濯係を申し出て、結局10日間全部洗濯。マイ洗剤を持参し、宿に客用の洗濯機がなければ、お願いして業務用もしくは家庭用の洗濯機で洗ってもらう。どこだったか、お願いしたら、1回の洗濯だけで¥500も請求する宿もあれば、サービスで快く受けてくれる宿もあり、むしろ後者の方が多かった。
 夕食は付いてないので、アイフォンで探して地元の人が行きそうなお店「萩っ子」へ向かう。
【酔狼通信から引用】野田くんがスマフォで探し、近くの店へ向かうが、スマフォの画面を見ながら先導する野田くんが逆方向へ。すぐに気が付き正しい方向へ歩いていると、携帯電話片手のおばさんが「萩っ子ってどこにあるか知りませんか?」と尋ねてきた。おばさん、超ラッキー、彼が道を間違えたおかげで、おばさんは店の場所が判った。

 外食は自分の好きなものが注文できるし、食い過ぎることもないので、嬉しい。野菜から始まり海鮮ものから肉まで注文したが、茄子の肉詰めフライがジューシーで一番うまかった。価格もリーズナブルやった。部屋に戻り、酎ハイや日本酒で2次会。筆者も今ツアー最後の夜なので、目をこすりながら、こぴっとワンカップを呑む。浦野が珍しく酔いつぶれていた。ではごきげんよう、さようなら。


【酔狼コメント】なるだけ早く萩に着いて観光。だが、Dazと他の皆の温度差が大きく、Daz一人先を急いでいるのが、なんとも可笑しかった。
【gokiコメント】喫茶店でお茶と甘いものは、昔からrinrinの定番。萩観光は酔狼さんに完全に委ねてしまったので楽ちん。以前ならMの出番なのだけどねえ。
【那珂コメント】津和野では野田が名物「源氏巻」の店を3件回って1位を選定。そこへ連れて行ってもらっていくつか購入。萩が近づくにつれてTopを行くDAZのスピードが上がり、こちらはちぎられてしまう。遠く離れてしまってよく分からないが、ひとかたならぬ吉田松陰先生への想いが爆発している模様。見かねた酔狼さんが風除けになって引っ張ってくれる。大先輩にこのようなことさせてしまっては申し訳ないと思いつつ、付いていくのが精一杯の自分が前に出たところで仕方ないので、そのまま甘えさせて頂きました。
 >>>続きは、那珂のレポートで
【浦野コメント】朝、かぶったヘルメットから蛙が飛び出したのにはビックリ。外に置いておいたヘルメットの寝心地がよかったのかな?ダズ激走のお蔭でゆっくり萩見物ができたのは良かった。夕方マッドガードステーのダルマねじが破損。こんなこともあろうかと持参のガムテープで補修。あと1日何とかなるでしょう。
【DAZコメント】この日は念願の萩行きの日でしたが朝は雨の下りで寒かった。津和野でコーヒー&ケーキタイム、僕は大好きですので、萩に急ぎたいといってもそれはそれ、コーヒータイムは別です。源氏巻きめぐりも楽しかった。昼食以後は萩にむけてひたすら走り、念願の松陰神社訪問では、特に宝物殿で松陰直筆の書簡、留魂録、辞世の句など見学できて本当に感動しました。ここにしかないグッズは千崎さんご指摘の通り、アイドルのファンと変わらぬ購入ぶり。本当はもっと欲しかったけどパッキングの制約もあり、また次回に。まだまだ後ろ髪を引かれる心持でしたが、そのあと千崎さんの萩案内がまた実に効率的にポイントを押さえて引率していただき、いろいろわがままを最大限に許して頂いた上での萩観光は本当に思い出に残るものとなりました。夜の居酒屋での飲み会も楽しく、たくさんお酒も飲みました。


11日目:5/6(日) 萩→小郡 (62km) 晴れ
 とうとう最終日。天気は朝から快晴。結局、雨に当たったのは蒜山の2時間と津和野の30分のみで済みそう。いつものように5時に起きて、松陰先生ゆかりのスポットに行きたいDAZと一緒に出掛ける。いつもは早起きでない浦野と那珂もなぜかいる。超早起きの千崎さんは既にどっかへ出かけた模様。朝が苦手のGOKIさんと潤は当然のように、まだ寝ている。我々4人は松陰神社の裏手にある松陰先生生誕の地へ。萩の町を一望できる山の斜面にあり、生家の跡地やお墓、そして遠くを眺める先生の全身像があった。それから、松下村塾発祥の地や伊藤博文旧宅を見学して7時前に宿へ戻り、朝食後8時に玄関前に全員集合。鉄筋建てホテルの隣に木造建てのでっかい玄関があり、その前で出発写真。朝食を食べた大宴会場からしても、元々有名な老舗旅館やったらしいが、普通の温泉ホテル風になってしまい、なんかもったいない気がした。
 レトロ風のJR萩駅に寄ってから、DAZのために県道67号沿いにある松陰ゆかりの地「涙松遺跡」へ。ここは、山口へ通じる街道沿いにあり、萩城下町が見える最後の場所らしく、松陰先生が安政の大獄で江戸へ送られる時、「かえらじと思いさだめし旅なれば一人ぬるる涙松かな」と詠んだそうや。でもその松の木も今はもうない。
 国道262号を避けて上ると、レトロなトンネルが。山口県最初の洋風トンネルである鹿背(かせ)隧道をくぐり、県道32号の雲雀(ひばり)峠を越えて国道490号経由、秋吉台(あきよしだい)へ向かう県道32号へ。雲雀峠の手前でDAZがパンク。昨日でなくて良かったね、と皆でからかう。県道32号に入り、マイナーな大正洞前の駐車場で休憩。近くには大正洞の他にヘルメットで探検できる景清洞もあり、洞窟マニアである筆者は是非景清洞へ寄りたかったが、誰も言わないので諦めて秋吉台へ上る。10時半になると、カルスト地形が見え始め、所々立ち止まっては記念撮影。長者ヶ原からは一般車両通行不可の遊歩道に入り、気持ちいいダートを走る。筆者が調子に乗って先行すると後ろには誰もいなく、下の方で待ってる皆の所まで引き返すと、どうも道を間違えてたようや。皆さんすみませんでした。それからは後ろを気にしながら、石灰岩が乱立する心地よいダートを進み、眺めのいいところで記念撮影。40分ほどでダートコースは終わり、県道に戻って秋芳洞(あきよしどう)へ。12時前には入口へ到着して、駐輪場が見当たらないので、誰もいない交番前に停める。その近くのレストランで昼食タイム。筆者は瓦そば定食。熱い瓦に茶そばが載ってる名物料理やしいが、うまくない。そばはやっぱりざるやで。まあでもビールが呑めたからOKとしよう。
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 ここ秋芳洞、筆者は3回目。1回目は20年ほど前に一個下の奥山と一緒に雨の中をチャリで走り、2回目は13年前、娘が3歳の時に車で家族旅行した記憶がある。その時は「あきよしどう」ではなく「しゅうほうどう」と呼ばれていたはずやが、今はどの標識やパンフを見ても「あきよしどう」になってる。なんでやろ。「しゅうほうどう」の方が良かったのに、と感じたのは筆者だけか。洞窟へ向かうお土産通りを通過し、3回目の「しゅうほうどう」に入る。入口には岩が裂けたように縦長の穴が空いていて、そこから大量の水が流れ出している。鍾乳洞マニアでもある筆者が記憶する限り、こんなに圧倒される入口はここしかない。とにかく、ここは洞窟内の広さ、豊富な水量、10m以上もある石筍など、スケールが他の鍾乳洞とは桁違いや。一般コースの奥の方にある黄金柱(こがねばしら)まで百枚皿や千畳敷など幻想的な景色が続くのやが、キャノンのマイカメラをノーストロボで撮ると露出不足と手ブレできれいに撮れない。ストロボを使うと、人は写るが背景は真っ暗。でも、スマホだと、普通に人も背景もきれいに写ることがわかり、最新技術を搭載したスマホの実力に驚くものの、カメラマンとしてはちょっとショック。周りの観光客もみんなスマホできれいに撮っていた。昔はなかったが、¥300でちょっと探検気分が味わえる崖登りコースがあり、千崎さんが挑戦。基本、子供もOKなので、コースの難易度は低そうやが、かなり高い所まで行けるので、眺めは良さそうや。あとで千崎さんから、途中、げじげじみたいな虫が観察できる個所があったと聞き、ちょっと後悔しながら、往復約1時間の見学は終了。チャリを停めた所へ戻ると、なんと閉鎖していると思っていた交番の中におまわりさんがいるではないか。交番の目の前に停めてしまった筆者は、即移動させるも、めちゃ睨まれ、注意された。かっこわる。
 14時前に秋芳洞を跡にして、解散地である新山口駅(旧小郡駅)まで県道31号、同28号を通る20kmちょっとの今ツアー最終の道のりをじっくり噛みしめながら走りたかったが、基本下りなので15時にはとうちゃこぉしてしまった。感慨深いものがある一方で、時間が許すのであれば、このまま九州に上陸して、鹿児島の佐多岬まで走りたい気分や。そんな気持ちに浸る間もなく、千崎さん、DAZ、潤は新幹線の時間があるので、さっさと解散写真を撮り、輪行し始める。GOKIさん、浦野、那珂と筆者は18時の列車まで時間があるので、大浴場を解放している近くのホテルで、汗を流したあと、駅構内の食堂に入り、生ビールで打ち上げ。25キロほどある重たい輪行袋を担ぎながら、新神戸駅を降り、市バスに乗り換えて、神戸の自宅には21時頃到着。10日振りに再会した家族に温かく?迎えられながら、島根と山口で買ったたくさんのお土産を渡して、筆者の11日間に渡る長旅が終了。さあ明日からは気持ちを入れ替えて仕事や。


【酔狼コメント】早朝、萩を散策。やはり萩は日本一の城下町。遊歩道を走りカルスト台地を満喫。秋芳洞も含め日本一三ヶ所。
【gokiコメント】以前はアコ氏らとこの遊歩道を逆に登ったが、大変だったろうな。
【那珂コメント】突然開けるカルスト台地の風景。青い空に白い岩が良く映える。ゆっくり登るにつれてスケールの大きな景色に移り変わっていく。24年前に車で来たときには今回のような感動は無かったなあ。天気も悪かったせいもあるけど、やっぱり自転車で来ると景色の印象の残り方が全然違う。秋芳洞は初めて見たとき同様感動的。長いツアーの締めくくりに相応しいコースと天気でした。
【浦野コメント】早朝、4人で松陰生誕の地や墓地を見学。秋吉台の絶景と秋芳洞を堪能し、新山口へ。お風呂で汗を流した後、眼鏡が壊れた。こんなこともあろうかと持参の予備眼鏡で帰京。皆さん、お疲れ様でした。来年もまたよろしくお願いします。
【DAZコメント】朝食前に松陰生誕の地を訪問し、生家跡から萩城方面を眺めたりして、松陰の少年時代に思いをはせたり、またお墓にはきれいに花が供えられていて、今も地元の人々に大事にされていることをうれしく感じました。涙松跡では帰らぬ旅となった江戸行きに思いを致し、このたびの松陰史跡めぐりは終了。萩を離れてからはサイクリングモードに戻りつつ、パンクでお待たせしてしまいました。20数年ぶりの秋吉台は天気も眺めも素晴らしく、ダートにも入って満喫しました(パンクはしなくて良かったが、サドルバックサポーターの破損トラブルが)。


<おわりに>
 GOKIさんのランに参加し始めて4年目やが、年々充実さが増すこのツアーは本州や北海道のOBランよりもめちゃハードやけど、メンバーに恵まれてとても楽しい。GOKIさん、来年もよろしくお願いします。では、皆さん、ごきげんよう、さようなら。「花子とアン」バージョンでした。


【酔狼コメント】11日間走り続けたゴキと野田くんに感服。
【gokiコメント】あっと言う間のツアー。体調崩さず走りきれて良かった。
【那珂コメント】いつもながら楽しませてもらった皆様に感謝です。またの機会を楽しみにしています。
 >>>続きは、那珂のレポートで
【野田潤コメント】5日間本当にありがとうございました。とっても楽しく走ることができました。やはり、軽いギアは必須ですね。gokiさんのアドバイスに感謝です。特に昨日の秋芳台と秋芳洞は、みなさんのお勧めどおり、すごかったです。映画の世界のようでした。初の私に皆さん付き合ってくださって、とてもありがたかったです。来年は九州?ですか?小松空港から行けることを願いつつ、ぜひまた参加させて頂きたいです。
【浦野コメント】皆さん、お疲れ様でした。来年もまたよろしくお願いします。
【DAZコメント】今回も皆様方に大変お世話になりまして、楽しいGWを過ごすことが出来ました。どうもありがとうございます!蛇足ですが、2015年NHK大河ドラマは吉田松陰とその妹を主人公としたものとのことで、僕は大変楽しみにしています。さらに蛇足ですが、2030年は松陰生誕200年で、きっといろいろな催しがあるでしょう、だいぶ先ですが僕は大変楽しみにしています!
【大廻コメント】懐かしい人に本当に久しぶりに会い、何かを思い出させていただいた数瞬でした。今回出来なかった「ハヤシ」のカツ丼が完食できるよう今後とも精進していきますので、お近くにお越しの際は声をかけてください。


関連リンク:
 '93 GW_中国(山口)ツアー
 1997GWツアー 山陰 記録