2014GW山陰ラン記録

by 那珂(投稿日:27 Jul 2014)

日程:2014/4/29(火)~ 5/6(火)
コース:=松江→出雲→飯南町→温泉津→三段峡→日原町→萩→新山口=

1日目:4月29日(火) 夜 …いよいよ東京駅から松江に向けて夜行で輪行
 今日は祝日だが出勤日で、定時早々に切り上げて帰宅。何十年ぶりかの夜行列車で、少々興奮気味に東京駅へと向かう。近年リニューアルされた駅の地下には高級弁当屋が店を連ねるが、こういうところでもこの時間になると値引きセール合戦で賑わっている。迷ったあげく朝食用に柔らか牛筋弁当を購入し、いよいよ22時発のサンライズ出雲で出発。今回のノビノビ座席というのは寝台料金不要で特急料金のみ。でも座席ではなくて上下2階構造のカーペット敷きで、一人に窓一つを割り当てるように簡単な仕切りが付いている。即ち進行方向とは直角方向に完全に寝そべることができるのだ。簡単なひざ掛けも付いているが、暖かいので上に掛けるより下に敷いて寝たほうが気持ちいい。個別の照明や空調もあって隣もほとんど気にならない。夜行バスが快適さを競争している時代、夜行列車も頑張っている。さて、自分の場所に行ってみると隣はうら若き女性。これは!、と思う間もなく反対の隣の男性が「席代わってもらえますか?」と。二人はカップルでした。
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 地図を見ながら酒を呑んでいると、携帯メールで、明日の集合は松江から出雲に変更とのこと。こんなこともあろうかと予め切符はひとつ先の出雲まで買っといたのだ。酔った頭でさすがだね、とホザキながら眠りに着く。


2日目:4月30日(水) 松江→出雲 76km 曇 …ついに神の国島根へ
 朝食に弁当を食べた後、眠くなってうつらうつらしていると野田からの連絡で、11:30に一畑電車の平田駅集合だという。出雲市からちょっと戻るけどすぐだからと言うので、「うん、わかった。」と電話を切って地図を見る。ん?、結構松江との中間なんでないかい?。どうせなら松江城も宍道湖も見ておきたいけど、松江から何キロ?、今何時?、11:30に間に合うの?ぼーっとした頭でぐるぐるしていると、次は松江って車内放送が流れ始めて、慌てて散らかっていた荷物をまとめて下車する。改札出るとき、「出雲までの切符、もういいんですか?」と駅員さん。「いいの、いいの」と言いつつ、ホントは役立つはずだったんだけどね、とちょっと悔しい。
 さて、地図を良く見ると松江駅から平田駅までは27kmくらい。10時に出発できそうだから何とかなりそう。まずは松江城へ。千崎さんから教えてもらって、現存する天守閣は12箇所しかないというので、その一つを遠くからしっかり目に焼きつけた後、宍道湖畔をひた走る。本当はひとつ北側の県道を行きたいが、今日は時間優先。平行して走る一畑電車の線路をたまにかわいいペイントの列車が通りかかる。これに自転車そのままで乗れるのかぁ。だんだん向かい風がきつくなってきたが、11:35頃に平田駅到着。外でみんなが来るのを待っていると、駅舎から宮村さんと大迫がひょっこり。あれ、走ってくるんじゃなかったの?野田はなぜかホームでパンク修理。改札出てからやれば?大迫とは二十何年振りの再会だったが、昔の雰囲気そのままで、なんだかタイムスリップしたみたい。
 野田が知っているという特大カツ丼が名物の食堂で昼食。まだ走る体になってないが、景気づけにそれを注文。ごはんが残ってしまったが、大迫の残りと合わせて野田がみんな食べてしまった。さすがに既に4日走っている人は違うね。みんな満腹になって店を出て、これから帰るという宮村さんを見送りに再び平田駅へ。1時間余りの再会でしたが、またの機会に走りましょう。記念に写真をと思ったらカメラが無い。どうやらさっきの店に忘れてきたらしい。この忘れ物事件は野田レポートに詳しいが、こちらの人の暖かさに感動。
 このあとは3人で大迫お勧めの韓竈神社へ。神社への階段の上り口で、戻ってきたGokiさんに再会。今回もよろしくお願いします、ということでまた一旦お別れ。山を5分ほど登って狭い岩の隙間を抜けると社殿がある。安産の神様らしいが、コース的にちょっと妊婦さんには無理っぽい。
 山を下ったところで松江に帰る大迫とお別れ。数時間の再会だったけれど、案内してくれてありがとう。思ったより元気に走っているのでびっくりでした。
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 このあとは東洋一と言われる日御碕灯台まで野田が連れてってくれる。今朝行ってきたところなのにスミマセンです。灯台の見学時間は終わっていたが、世界100選のひとつというこの灯台は、美しくもどっしりとした造り。海側は断崖絶壁で、遊歩道から外れて適当に歩けば落ちてしまいそう。東尋坊を思い出す。
 日御碕神社を参拝した後は出雲大社に向かうが、そこから宿のある出雲市駅までちょっと距離があるので、出雲大社駅から出雲市駅まで一畑電車で移動しようと野田の提案。そのためには電車の時間に間に合わせねば、そのためには出雲大社まで20分で走れと無理を言う。すると今朝は大迫もそれくらいで走ったぞ、と畳み掛けてくる。日頃の仕事ぶりは知らないが、人を動かすとはこういうことか?それならばということで、一生懸命走ったが25分くらいかかって出雲大社到着。那珂は息を落ち着かせる間もなく駆け足でここを参拝、野田は旧国鉄の駅舎へ。17:07の電車にはぎりぎり間に合って、自転車をそのまま載せて出雲市駅までのひと時、いい体験でした。さっきのダッシュでもう走れなかったし。今日一日楽しいプランをありがとう。


3日目:5月1日(木) 出雲市→もりのす 82km 曇|晴 …もっと走りたい、けど限界
 R184沿いの立久恵峡は吊橋を渡って川の対岸の遊歩道を行く。1100年以上前に亀の背に乗った仏様が現れたことが由縁とか。岩壁高くに安置された釈迦如来尊像と数多くの石仏群。県道39に入ってすぐに須佐神社。神の国だけに今回のツアーは拝む機会が多い。出雲市から雲南市に入り、いよいよ今日の目玉、菅谷たたら見学へ、と思ったら、なんと修復工事中。意気消沈しつつ受付を訪ねると、出てきたおじさんが熱心に説明してくれた上に、特別にと言って工事中の中を案内してくれた。ここで育った人だけに、たたらへの熱い想いが伝わってきた。また、これから「たたら侍」という映画が制作に入るそうだ。改めてWEBで調べてみると、「出雲市出身の錦織良成監督が、島根県をロケ地にした映画はこれで5作目」「またEXILEのHIROさんがエグゼクティブプロデュサーを務める」とのこと。高殿と呼ばれるたたらの作業場の向かいには御神木である桂の木があり、4月上旬から4週間という短期間に「赤」→「黄」→「緑」と次々に色を変えるという。たたら製鉄でできる玉鋼(たまはがね)は伝統継承と日本刀製造のために1年に数回だけ製造されるというが、この品質の鉄は未だ工業的には量産できないというから、何やら神がかっていて魅力的だ。
 鉄の歴史博物館で更に勉強したところで時刻は16時を回ってしまい、場所がいまひとつ良く分からない今日の宿へと急ぐ。何としても日没前に宿に着くという野田は、日頃あの荷物で鍛えた脚力を発揮してどんどん先に行ってしまい、こちらはついていけない。 宿で泊まった部屋の名前は“はちのす”。単に“蜂の巣”かと思ったら、他の部屋は“一のす”“二のす”…。


4日目:5月2日(金) もりのす→温泉津 84km …あっと驚く世界遺産、石見銀山
 今日はGokiさんと別れて野田と2人のラン。野田のナビを頼りに田舎道をゆるりゆるりと進む。目玉の石見銀山にはちょうど昼に到着。午後には海に出たところにある仁万駅に潤子ちゃんが到着予定。蕎麦を食べながら「やっぱり迎えに行かないとなあ」と、妹のことを気に掛けるお兄ちゃんの顔を見せる。いつものことながら、ほのぼのとしたこんな一瞬が楽しい。
 潤子ちゃん、Gokiさんと合流して銀山見学。電気の無い時代、あの奥深い坑道で照明を確保したり湧水を排水したりと、さぞや苦労が多かったことだろう。このあと、Gokiさんと那珂は五百羅漢参拝。1700年代半ばの高野山の僧による発願らしいが、20年後の完成を見ることなく亡くなってしまい、その後は別の僧が来て監修(?)したそうだ。(彫像自体は温泉津の石工によるもの。)
 野田兄妹は先に温泉津に行き、Gokiさんは石見銀山に宿泊なので、那珂はソロで温泉津に向かう。仁摩には出ずにショートカットして海に出たが、その途中で野生の猿に遭遇。温泉津では、宿を探してウロウロしていたら、丁度外湯から戻ってきた潤子ちゃんに会えたおかげで宿にたどり着けた。海の幸メインの料理、とても美味しかった。食後に温泉街を散策するが、残念ながら外湯には間に合わず。


5日目:5/3(日) 温泉津→三段峡 84km 晴れ …林道満喫の一日
 今回初めて5時の早起きして近くを散策。岩の海辺近くに来てみると、強風で怖いくらいに波が高く、岩の上は歩けなかった。宿に戻って近くの外湯「薬師寺温泉」に入る。海辺なのにちゃんと45℃もあるお湯が出るんだ。大正時代風の趣のある建物で、3階のベランダに出ると街並みを見渡せる。ここで風呂上りにサービスのコーヒーを一杯。
 今日は山に入るので1600mも登る。食堂もないだろうから、R261のコンビニで弁当を買い込み、県道41と林道を経由して八戸ダムへと向かう。ダムから先は通行止めとなっていたが、根拠無く行けると感じて進む。途中何箇所か路肩が崩落していたり、土砂崩れで道が半分塞がれていたりしたが、無事通過。当然車は全く通らないので、あちこちに咲く藤の花やまぶしい新緑、清流は全部我々だけのためにある。川べりで弁当を食べた後は、林道を抜けて7→5→113→11と県道をつないで最後はR191で豪快に下って三段峡へ向かう。途中、県道5号線沿いには整然と積まれた石積みが特徴の「都川の棚田」がある。江戸時代にはこの地域でも、たたら製鉄で使われる砂鉄を採取するために「鉄穴(かんな)流し」が行われ、その残土を利用して農地を造成したものらしい。
 案の定、酔狼さんは既に到着していて、三段峡の散策に向かおうとしたところで戻ってきた酔狼さんに出会った。野田は明朝歩くというので、潤子ちゃんと那珂でとりあえず今日は今日の景色を楽しむ。赤滝のあたりでGokiさんが追い付いて合流。今日はGokiさんから何回も携帯メールをもらっていたのに、なかなか気づかず返信もせず、申し訳ありませんでした。後半は同じルートで追いかけられていたんですね。
 宿に戻って風呂に入ると広島から走ってきたウラノと遭遇。誠人君が来られなくなった事情を聞いてびっくり。本人のショックはさぞや大きかったかと思うが、気持ちを整理して復帰してくれる日を待ちたい。


6日目:5/4(日) 三段峡→日原町 74km 晴れ/曇り …学校に泊まる
 今朝も5時起きで再度三段峡を歩く。でも、まだ陽が出ていないので昨日のほうがきれいだった。ただ昨日より少しだけ奥まで行けた。気温が低くて手がかじかむ。
 出発前に「とちもち」を買おうとしたら、店のおじさん曰く「焼いて食べないとおいしくないからダメ」、とのことで諦める。こだわりを持って商売しているところがイイ。
 出だしは劇坂に続いて峠の連発。匹見峡はトンネルを迂回してゆっくり景色を楽しむ。匹見温泉での昼食では「おろち丼」こと猪飯を注文。少し独特のニオイがあるが、柔らかい豚肉の感じ。猪パワーで残りの峠をガンバル。
 今日の宿「杣(そま)の里よこみち」はH2年の5人の卒業式を最後に廃校となった日原町立横道小学校。(杣は「きこり」のこと。)3クラスあって、そのうちの1つが食堂、残りが客室。木造校舎の風情が懐かしさを誘う。女将さんはこの時の卒業生の一人とのこと。夕食時には、他のお客さんが採ってきてくれたというワサビの善処あり。


7日目:5/5(日) 日原町→萩 91km 雨/晴れ …とうとう最後の宿泊地、萩
 津和野では野田が名物「源氏巻」の店を3件回って1位を選定。そこへ連れて行ってもらっていくつか購入。
 萩が近づくにつれてTopを行くDAZのスピードが上がり、こちらはちぎられてしまう。遠く離れてしまってよく分からないが、ひとかたならぬ吉田松陰先生への想いが爆発している模様。見かねた酔狼さんが風除けになって引っ張ってくれる。大先輩にこのようなことさせてしまっては申し訳ないと思いつつ、付いていくのが精一杯の自分が前に出たところで仕方ないので、そのまま甘えさせて頂きました。
 萩では反射炉、松蔭神社、萩城址、明倫小学校など、すっかり酔狼さんに案内して頂き、ありがとうございました。それにしても今回に限らず今まであちこちで案内してもらう度に思うのですが、そんなに何回も来ているわけでもなく、前回から何年かは経っているでしょうに、それでもいつも来ているみたいにスイスイと案内できるのは本当にスゴイなあと思います。


8日目:5/6(日) 萩→新山口 晴れ
 突然開けるカルスト台地の風景。青い空に白い岩が良く映える。ゆっくり登るにつれてスケールの大きな景色に移り変わっていく。24年前に車で来たときには今回のような感動は無かったなあ。天気も悪かったせいもあるけど、やっぱり自転車で来ると景色の印象の残り方が全然違う。秋芳洞は初めて見たとき同様感動的。長いツアーの締めくくりに相応しいコースと天気でした。


<あとがき>
 いつもながら楽しませてもらった皆様に感謝です。またの機会を楽しみにしています。
 初めての試みとして、毎日のトピックスを葉書に書いて自宅に送ってみましたが、初めの1通は帰宅前に届いたものの、残りの5,6通程はなんと5/8頃にまとめて届きました。そんなに家族に読ませようと思っていたわけでもないのですが、こんなにも届くのが遅いとはちょっと興ざめ。でも、今回のレポート書きの手助けにはなりました。
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関連リンク:
 ツーリング記録 参照