2015年GW 九州ツアー

by GOKI(投稿日:16 Feb 2016)

日程:2015/4/26(日)~ 5/6(水)
参加:G(計画)、野田、宮村、石田、那珂、浦野、DAZ、アコ、野田潤
コース:=下関→中津→朝倉→唐津→嬉野温泉→島原→菊池→湯坪温泉→高森→五ヶ瀬→五家荘→人吉=

1日目:4/26(日) 下関→平尾台→中津 (90km/939m) 快晴
 メンバ:G、野田

 詳細は野田記録の本編参照。
【コメント】当初、集合を新山口(旧小郡)駅としていた。直前になって距離が長すぎると気付き、集合地変更。前夜は名古屋駅前の24H-Dennysで半徹、寝不足。それでも平尾台への登りからは何故か気持ち良く走れた。学生の時(36年前)は吹上峠から自転車かついで平尾台の中心に抜けたと思うけど、今回は野田に導かれて、ちょっと外れた千仏鍾乳洞に行く。これがメッチャ楽しかった。食事から帰ったら気絶するように寝た。


2日目:4/27(月) 中津→本耶馬溪→奥耶馬溪→津民耶馬溪→朝倉 (99km/1449m) 快晴、昼以降暑い
 メンバ:G、野田

 詳細は野田記録の本編参照。
【コメント】二度寝したけど、朝食前に官兵衛の中津城へ行けて満足。祟られないように宇都宮鎮房の城井神社にお参りした。青の洞門を抜けて見上げると奇岩の断崖に道が切られているのが見えた。整備して昔の景観を取り戻したそうだ。初めて洞門の価値が分かった。サイクリングロードを外す時に野田が珍しくルートを間違え、余分な坂を上らされたのはご愛嬌。落合瀑布はヒット。昼からはとても暑かったので、疲れたかも。豊前坊と英彦山神社には、そのうちまた来よう。一人では入らないホルモンの店は面白かった。


3日目:4/28(火) 朝倉→太宰府→吉野ヶ里→雷山→唐津 (127km/1147m) 曇り→晴れ→曇り
 メンバ:G、野田、(合流)宮村

 *太宰府へ
 今回は太宰府政庁跡をちゃんと見ておこうと思い、一人で寄り道することにした。昨夜はまたも気絶するように寝たので、多めの買出しがそのまま残っていた。無理矢理に全部食べて出発。田圃の間の道を追い風に乗って快調に進む。街中では少し時間を取られたが1時間強で到着。野田にメッセージを返すと晴れてきた。
 政庁跡は整備され、柱の遺構などが残っている。その広大さからも、当時の政治のもう一つの中心地だったことが感じられた。説明プレートによれば、一度忘れ去られた遺跡で、今のように保存するまでには大変な苦労があったようだ。近くの天満宮にも寄り、息子へのお守りを買う。ここは、HUCC同世代には有名な「みかんの皮事件」の切っ掛けとなった場所でもある。

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広大な太宰府政庁跡

 *吉野ヶ里公園へ
 太宰府を出て17号にのろうとしたが、まるで自動車道のように見えるので(google mapでは何も表示ない)、3号に切り替えることにする。しかし、この道もやがて自動車道のように路側が狭く高い側壁が迫った道となる。鳥栖までは追い風だったので、ヒヤヒヤしながら飛ばして抜ける。吉野ヶ里へと抜ける31号にはローカルロードを期待したが外れ。狭い道にトラックが多く、緩いアップダウンと向い風のために、急にしんどくなってきた。筑後平野は交通量が絶対的に多いのだなあ。野田から吉野ヶ里を出発するとのメールあって、30分後に吉野ヶ里公園駅に到着。予定より少し遅い11時半すぎ。ちょっと曇ってきた。
 宮村は既に反対の北口側に到着していた。まだ大きく店を広げていたので、のんびり待つ。店終いまで40分弱かかったのにはちょっと呆れたけど…。まだ食事していないので、野田との途中合流は無いなあ、と予定上はすっきりする。
 吉野ヶ里歴史公園には07年に家族と来ているが、その時よりもさらに発掘範囲が広がり再建造物も増えているようだった。幾つかの地元の小学生?の団体が見学に来ており賑やか。全部を回るのはとても無理なので、北内郭と南内郭の一角に絞ったが、1時間以上かかった。後で野田に聞いた墳墓にはまだ行ったことが無い。この近くには縄文時代の東名(ひがしみょう)遺跡があって、最近貴重な発掘物で注目されてきている。合わせてまたいつか来ようと思う。公園の中のレストランでゆっくり昼食。コスパで佐賀和牛コロッケ定食。

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吉野ヶ里公園(パノラマ写真、クリック!)

 *雷山から唐津へ
 2時すぎに公園を出発して、すぐにコンビニ休憩。ここから21号で登りになる。午前中に63km走って疲れ切っていたので、快調な走りの宮村が前でペースメークしてくれたのには助かった。空はなんとか保っていたが、大内峠に着いたら小雨が来た。4時より少し前、公園からは18km、400m強上った。ここから結構下って北山湖畔に出るころには雨が止む。ちょっとだけサイクリングロードを走る。この後、どこを通るかちょっと迷ったが、ショートカット側を行ったらやっぱり余分に登らされた。この頃には午前中の疲れも消え快調に走れるようになった。
 5時半に観音峠に到着。ここからは唐津湾に向かって気持ち良く下っていける。降りてからはちょっと交通量増えたが、順調に進み唐津駅には夕暮れ前の6時半に到着。公園からは65km。野田に電話すると、分かり難いからと宿から迎えに来てくれた。シャワーと洗濯の後、居酒屋で夕食。唐津で店の名前が風林火山とは??。

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北山湖畔のサイクリングロード | 唐津駅前

 >>>唐津合流後は野田記録の本編参照。
【宮村コメント】初めて飛行機輪行。自転車をいつもよりバラバラにしていたので吉野ヶ里公園駅での組み立てに時間がかかってしまった。にもかかわらずGOKIがなかなか来ないのでどうしたのかなと思っていたら、別出口で待っていたとのこと。佐賀には仕事で数回きていたが、吉野ヶ里遺跡は初めてだった。とても広い遺跡で驚いた。再現した建築物も壮大。また、見学に来ていた女子生徒たち(小学生か?)には我々の恰好が珍しいのでしょう、ときどき挨拶された。「どこからですか?」と尋ねられたので、「東京の近く」と答えると、「どんな芸能人と会ったことありますか?」。苦笑。都会から来たこんな恰好のおじさんならそうなるのでしょう。この後、昼を食べ終わるとけっこうな時間になっており、ひたすら唐津まで走った。


4日目:4/29(水) 唐津→呼子(名護屋城址)→伊万里→嬉野温泉 (96km/1049m) くもり→晴れ
 メンバ:G、野田、宮村、(合流)石田

 詳細は宮村記録の本編参照。
【コメント】早朝、虹の松原の中の地道を走って楽しんだ。昨日の後半から今日通る地域には全く来たことが無くて、名護屋城址に行けるのを楽しみにしていた。実際に見たら想像よりはるかに大きく広くて、とんでも無いぞ、秀吉!と思った。歴史好きの息子にも見せてやりたい。アップダウンにめげて切子で休憩。地面にくつろいで、おばちゃん手製のぼたんだんごとイチゴを食べていたら、おっちゃん(83才)に話しかけられた。年金暮らしと勘違いされたことが最後になって判明。まあ、もうちょっとなんだけども。


5日目:4/30(木) 嬉野温泉→多良岳→諫早→島原 (93km/1085) くもり一時小雨
 メンバ:G、宮村、野田、石田、(合流)那珂

 朝から三つのグループに分かれる。
 GOKI・宮村組の走りは宮村レポート参照。
 >>>合流後は石田記録の本編参照。
【コメント】祐徳稲荷は、地図に日本三大の一つと記載されていたので半信半疑でコースに加えた。実際に来てみたら、絶対一つに数えていい!ところだった。パラパラと怪しい空だったが神社を散策しているうちに雲が切れたのはご利益か。おかげで多良岳では眺望が得られた。結構な登りも宮村は楽そうだった。新しいレーサーシューズが合ったのかな。海岸線に出る直前の下りで、短時間の強い雨。何だったのって感じ。諫早の堤防がこんな道路になるなんてことは99年に干拓地の端を巡った時には夢にも思わなかった。


6日目:5/1(金) 島原⇒フェリー⇒熊本→菊池 (70km/690m) 快晴
 メンバ:G、宮村、野田、石田、那珂、(合流)浦野

 詳細は那珂記録の本編参照。
【コメント】朝は普賢岳噴火の時に埋まった家屋を見てきた。一部は当時そのまま、一部は屋根をかけて保存。99年に来た時はここまで通れる道が一本しか無かったと思うが、今回は道路が増えて探すのに手間取った。旅の途中のフェリーはいつも気持ち良い。阿蘇から噴煙がたなびいている。活動期に入ったのかなあ。水前寺成趣園は何度も行って好きなところ。今回は南の江津湖から向かうルートにした。これがとても良かった。熊本城から宮村と別れ、宿までソロで走ると、買出し組を追い抜いていた。ここ数年、毎ツアーで廃校の宿を組み入れている。今回もスタッフが親切で食事が充実していて良かった。


7日目:5/2(土) 菊池→中津江→小国→湯坪温泉 (77km/1833m) 晴れ
 メンバ:G、宮村、野田、石田、那珂、浦野、(合流)野田潤、DAZ、アコ、(夕食)中田

 詳細は那珂記録の本編参照。
【コメント】菊池を宿泊地に設定したのは中田との合流を実現するための苦肉の策。良い宿は取れたが肝心のコースのポイントは全く見つけられてなかった。前夜のコース検討で、地図から地底博物館を見つけ出したのは、さすが那珂。これは大ヒットだった。最後の宿までのルートでミスったのはご愛嬌。中田とは91年のツアー以来24年振り。大病したそうだが元気そうで良かった。ツアー人数はこの日が最大。


8日目:5/3(日) 湯坪温泉→筋湯→合戦群→象ガ鼻→日ノ尾峠→阿蘇高森 (62km/1278m) 雨
 メンバ:G、野田、那珂、浦野、野田潤、DAZ、アコ、(離脱)宮村、石田

 詳細は那珂記録の本編参照。
【コメント】筋湯→合戦群→象ガ鼻で阿蘇に向かうコースは気持ちの良い道なのだが、今回はいつもと逆に辿る上り。そして本格的な雨。皆結構しんどそうだった。途中いつも止まる星和の神社前にモダンな作りの小学校があったが、残念にも既に廃校。象ガ鼻への上りでは、ランナーたちとの抜きつ抜かれつが気持ちを落ち着かせてくれた。日ノ尾峠は、車が来ないので雨にはちょうど良かった。放牧エリアで牛たちが逃げて行ったときは正直助かったあ。那珂、ごめん。筋湯からの下りでコース指示をミスったのは私です。アコ氏には下りで声がけしておくべきだった。


9日目:5/4(月) 阿蘇高森→高森峠旧道(部分)→天の岩戸→高千穂峡→五ヶ瀬 (90km/1537m) くもり
 メンバ:G、野田、浦野、野田潤、DAZ、アコ、(離脱)那珂

 詳細はDAZ記録の本編参照。
【コメント】事前チェックの通り、高森峠旧道の九十九折は気持ちの良い上りだった。高森トンネル上の名無し峠で、野田から分岐して旧高森隧道への道へ来てるとの電話。いずれ合流するのでパス。下りてからの戻りは短くて、すぐに新道トンネルの出口側に出た。旧隧道は通れなかったとのこと。天岩戸神社では、ガイド付きで天岩戸を見学したのは初めてだった。五ヶ瀬では宿が山の上だった経験(91年)があり、場所を入念にチェックして宿予約。電話を何度もかけた甲斐があった。


10日目:5/5(火) 五ヶ瀬→国見峠→椎葉→五家荘林道(ぼんさん越え)→五家荘樅木 (80km/1716m) 晴れ
 メンバ:G、野田、浦野、野田潤、DAZ、アコ

 詳細はDAZ記録の本編参照。
【コメント】今回も鶴富屋敷をパスすることになり残念。国見峠で続けて3度パンクした後、やばいことになった。昼食後、皆を先に行かせてチューブ修理したが、上椎葉ダムのあたりで数百メートルおきに続けざまにパンク。TOPEAKのグルーレスパッチが腐っていて、修理部にピンホールができていたのだ。皆からは1時間半は遅れている。もうダメかなと諦めそうになるが、エアを低めにして、ぼんさん越えを全力で登る。2時間半後、頂上付近で皆に追いつきほっとする。下りは皆より先にゆっくり降りた。この峠は04年にDAZ夫妻と伴走のうちの家族とで逆に走っている。その時にお昼休憩した分岐は記憶通りだった。


11日目:5/6(水) 五家荘樅木→五木→人吉 (65km/590m) 晴れ
 メンバ:G、野田、野田潤、DAZ、アコ 、(離脱)浦野

 詳細はDAZ記録の本編参照。
【コメント】コースはショートカットして下り基調。天気も良く平和な1日で終われると期待したが、さにあらず。野田は低速の左コーナで前兆無くパタッと転倒。後ろから見ていたが予想外の鎖骨骨折。人生初の救急車コール。人吉駅に着いたのは、応急処置を終えた野田と潤子さんが乗る電車の出発時間。ここで、もう間に合う電車が無いと判明! DAZの調べで高速バスにチャンスがあると分かり、チェック時間も惜しんで感じた方向に出発。最後までバタバタの1日だった。
 野田の自転車は、重い荷物のおかげで、フロントに絶対的グリップがあり、自発的にハンドルが切れるので、コーナリングの不安が少ない。しかし、今回はスローパンクのおかげでフロントから一気に滑り、倒れた時に肩に全体重がかかったと思う。身体を内向していれば打ち所は分散していたが、身構える必要の薄い気楽なスピードだったので仕方が無かった。


関連リンク:
 RinRin Report 参照(統合版)
 ツーリング記録 参照