2015年GW 九州ラン報告

by 野田(最終投稿日:3 Apr 2016)

日程:2015/4/26(日)~ 5/6(水)
参加:G(計画)、野田、宮村、石田、那珂、浦野、DAZ、アコ、野田潤
コース:=下関→中津→朝倉→唐津→嬉野温泉→島原→菊池→湯坪温泉→高森→五ヶ瀬→五家荘→人吉=


<はじめに>
 S56年卒のGOKIさんこと川浪さん企画であるGWランが今年も開催され、総勢9名が九州路を走り回りました。最後に、事故で救急車が発動する事態が起きてしまいましたが、昨年に続き、GOKIさんと筆者が11日間を完走したラン報告です。


4/26(日) 下関→中津 91km 獲得標高 821m 晴れ
 メンバ:G、野田

 神戸の自宅を7時に出て、新神戸駅から新下関駅まで新幹線で2時間。GOKIさんも同じ列車に乗っていて、新下関のホームで1年振りの再会。全然変わってなく、1年前にタイムスリップした感じ。10時前に組み立てを開始し、いつもより順調に進むも、GOKIさんは15分ほどで組み立てを完了して、余裕の表情。
 快晴の中、11時前に出発写真を関西OB会旗と共に撮り、まずは関西OB会の千崎さん推薦の唐戸市場へ。チャリの通行ができない関門大橋を眺めながら西へ進むと、すぐに唐戸市場へとうちゃこお。駐車場へ入ろうとするマイカーがたくさん並んでいて、中へ入るとすんごい人が芝生の上で群がっている。よく見ると、握り寿司をみんな持っている。チャリを壁に立て掛けて市場の屋内へ入ると、すんごい人だかり。握りたての寿司が屋台風の板場に並んでいて、これがここの名物らしい。同じような店が並んでるが、奥へ行くほど混んでいる。特にマグロを扱う店が大変なことになっていて、まぐろ、しゃけ、アジ、イワシ、ウニ、トビコの握りと缶ビールを買って、表へ出ると、ちょうどGOKIさんも出てきて。関門海峡が良く見える芝生に座り、豪華な昼食タイムとなる。千崎さんのおかげで初日から美味しい食事に巡り合えた。

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お寿司でお昼

 今日はハードスケジュールなので、30分ほどで唐戸市場を跡にして、関門トンネルへ移動。入口を勘違いして行き過ぎてしまったが、12時半には20円を払ってチャリ走行不可のトンネル内をまじめに押して歩きながら九州上陸。学生の頃、ここを通ったはずやが、全然記憶がない。GOKIさんも同じ感想やった。門司の町まで海峡側のレトロな倉庫街を通って、長州藩が攘夷の戦いを臨んだ関門海峡に別れを告げる。
 小倉の手前で西から南に進路を変えて、今日の見どころである平尾台に向かう。14時過ぎに入口付近のコンビニに着き、中津までの道のりはまだ長いが、迷わず高低差500mもある平尾台にアタック。意外に車が多く閉口したが、何とか1時間ちょっとでカルスト地形が見える台地に到達。鍾乳洞マニアとしては、平尾台最大の千仏鍾乳洞へ行かなくてならないので、ちょっと寄り道するも、途中に、国内に2つしかないという垂直鍾乳洞を発見してしまい、マニアとしては素通りできず、500円払って入洞。この牡鹿鍾乳洞は垂直に30mの穴が空いていて、洞底まで下ると、横穴が拡がっている。洞底には様々な動物の化石が発見されており、一旦落ちると登れない自然の落とし穴だったようだ。横穴の奥は普通の鍾乳洞やったが、観光化されてなく、人も少なくて神秘感を楽しめた。
 千仏鍾乳洞に向かってカルスト地形を眺めながら進むと、途中から急な下りになり、その突き当りに駐車場があった。急な山の斜面から水が流れ出ており、そこが千仏鍾乳洞の入口だ。そこから500mほどは普通に進めるらしいが、その先は床面を流れる水に浸からないと進めないらしく、入口の売店で無料のサンダルに履き替えることができるが、筆者は元々ビーサンなので全く問題なし。レーシングシューズのGOKIさんはサンダルに履き替えて、リーズナブルな料金を支払って、わくわくしながら洞内へ。入口は狭かったが、中は意外と広く、つるっつるの鍾乳石があちこちにある。10分ほど進むと、幅が狭くなると共に、水中に足を入れないと前進できなくなる。水温が14度なので、最初の内はひやっこく感じたが、その内に沢上りの時のように、感じなくなり、ずんずん先へ。更に道幅は狭くなり、前方から戻ってくる若いグループ連中とすれ違うのも譲り合わないとだめなほど。更に進むと、LED照明がなくなり、その先は真っ暗。でも、そこから戻ってくる人がいるので、聞いてみると、ライトがあればもう少し行けるらしい。スマホのライトを点けてじわじわ進むも、その頃には短パンの裾が濡れるほど深くなってくるが、気にせずがんがん進む。しかし、暗くなって5分ほどで、前面が鍾乳石で完全に塞がっていて水面と石の隙間が15cmほどしかない、「地獄トンネル」というポイントに突き当る。ここをくぐるには上半身も水中に浸けなければならず、カメラやスマホもやばいので、悔しいがここで断念して引き返すことに。GOKIさんもここまで付き合ってくれたので、帰りは神秘的な鍾乳洞内を、GOKIさんを入れて撮影しながら来た道を戻る。往復約40分ほどの冒険やったが、通行禁止などの制約がなく、素晴らしい鍾乳洞に大満足。次来る時は、ヘッドランプや防水などの準備をして絶対、先端まで行くぞ、と誓って、先を急ぐ。

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れんげ畑

 時は既に17時。暗くなるまであと2時間ほど。距離はまだ40km以上も残っているはず。30分ほどで平尾台を下り切ると、余裕がないのに、ピンク色に輝くレンゲ畑に感激したので、パチリ。麓の町、行橋(ゆくはし)のコンビニで休憩。中津まではまだ27kmもあり、時刻は18時。ナイトランだけは避けたかったが、無理!!と断念。しかし、ここからはノンストップでGOKIさんがトップで引っ張ってくれて、ほんまのナイトランは30分ほどで済んだ。結局、元々70キロのはずが、何故か91キロも走っており、初日からいきなりハードランとなってしまった。19時半過ぎに無事ホテルへ着き、夕食は近くの割烹料理屋「えん」に入り、板前さんにいわれるまま、カワハギの刺身や肝を注文。高そうやったので、1時間ほどで切り上げ、コンビニで買ったカップラーメンで補充。でも、カワハギはそれなりに旨かったので、それはそれでOKでした。やっぱ、食事は高くても地の美味しい物を食べる方が想い出に残るし、それがツーリングの楽しみにもなるのだ。


4/27(月) 中津→甘木 100km 獲得標高 1432m 晴れ
 メンバ:G、野田

 GOKIさんが昨日の宿を平尾台から遠い中津をわざわざ選んだ理由は、ここのお城にある、ということなので、いつものように早起きして、いざ山国川の河口と海に面している名城、中津城へ。城址ではなく、再築ではあるものの、ちゃんと天守閣が建っているらしい。お天気は快晴。お城南側の駐車場にチャリを停めて、中津大神宮を参拝してから、朝日に映える天守閣をお堀の外から眺める。天守閣は城郭の中心ではなく、北東の角に立っており、お堀、石垣、そして天守閣のバランスが素晴らしい。このお城は秀吉の命を受けて、あの黒田官兵衛が築城し始め、その後、細川氏が完成させたもので、それぞれの特徴ある石垣が残っている。黒田氏のは古城の加工された石を流用してきれいに積む一方、細川氏のは加工してない丸い石をランダムに積む乱積み式であり、その両方がひと目でわかる石垣帯を見て大いに納得。向かって右側が黒田氏の正積み、左が細川氏の乱積みで、斜めにその境目が走っている。城郭南側の石垣は、崩れにくいように、中央部から両サイドに向かって反っているとパンフに書いてあったので、見に行くと、確かに若干反っているように見えた。そこを写真に収めていると、足にぞくぞく感があり、見ると、黒い猫が自分の足に寄り添っているではないか。びっくりしてその場を立ち去るも、ずっと付いてくるので、もっと見学したかったが、チャリに乗って退散することに。猫は嫌いではないが、あの猫は何故か怖かった。戦国時代の御霊が付いてるのかも。怖い、怖い。西側の山国川という川に出ると、川の左側にそびえる天守閣の上にちょうど朝日があり、パチリ。そして、その景色にワンカップで乾杯。

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朝日と中津城

 中津のスーパーホテルにはGOKIさんの好きな大浴場があり、無料の朝食も、定宿の東横インより豪華で美味しい。ここには東横インもあったが、こっちにして正解やった。本日の見どころは、耶馬溪と英彦山神宮を通る山岳ルート。どっちも32年前に春の九州個人ランで走ったところなので、楽しみや。8時前にホテルを出て、山国川の眺めのいい場所で本日の出発写真。白鷺が川の中州にたくさん休んでいて、走り始めると何故か一斉に飛び始め、我々の旅立ちを歓迎してくれてるよう。暫く河川敷に遡上南下し、国道212号を進むと、耶馬溪という名勝地に入る。青の洞門という、人工的にくりぬいた素掘りトンネルがあり、その途中に横穴が空いていて、青澄んだ川が覗ける。何となく見覚えがある。大昔、岸壁の上を迂回しながら危険な道を通らざるを得なかったのを、禅海という和尚がノミで岩を掘ってトンネルにしたらしい。30年前に来た時は、この道しかなく車が往来していたが、今は対岸に新しい道ができているので、のんびりと 3つある洞門を通過。そして、日本唯一の8連アーチ石橋を見てから、昔鉄道だったメイプル耶馬サイクリングロードを通るも、途中で飽きてしまい、国道に戻る。英彦山へのメインルートは川沿いの国道やが、近道の県道プラス山岳林道ルートを当然のように選択。豊前耶馬溪線の県道2号も川沿いやが、結構勾配はきついので、県道に入って30分も走るとしんどくなる。
 ちょうど落合瀑布という滝があったので、休憩がてら川へ下りると、小さ目やけど趣きのある滝(瀑布というイメージではなかったが)が現れ、来てみて正解やった。レーシングシューズのGOKIさんは歩きにくそうやったが、付き合ってくれて感謝。
 更に30分ほど進むと、今度は山城の案内板があり、きれいなトイレもあるので、また休憩に入る。今日もハードランなのであまり余裕はないが、昨日の疲れがまだ残っていて足が重い。案内板には「長岩城址」と書いてあり、計700m に及ぶ石塁や国内で例を見ない石積み櫓を写真付きで説明している。櫓の真ん中辺りには覗き窓のような穴が空いてはる。千崎さんがいたら、泣いて喜ぶやろうな、と思ったので、じっくり見学してカメラに収め、報告したかったが、もぅ11時半。これから更にハードな上りになるため、諦めて先を急ぐ。

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長岩城跡の図

 林道の手前に名勝津民耶馬溪と地図に載っていたが、それらしき奇岩はなく、ちょっとがっかりしながら、相野原毛谷村林道へ。ダートを覚悟していたが、きれいに舗装されていて、順調に越えられると思われたが、ピークらしき嶺を越えても一向に、下りにならない。常備している5万分の一の地図は古く、この林道が載っていないため、参考にならない。遥か下に川が流れているのに、林道は山の斜面から降りようとしない。ピークで昼食と決めていたが、13時になっても、まだ下りにならないので、カーブの先端で、とうとう諦めて昼食タイムとする。ここの標高は多分750m か。下界で買っておいたコンビニ弁当と、今回の秘密兵器の一つであるクーラーボックスに入れておいた缶ビール。からっからの喉を冷えたビールが通る。めちゃうまい。この至極の時があるから、チャリは止められへん。4月にしては暑い日なので、余計旨く感じる。
 30分後、再び登り始めるも、次の嶺を越えると下りとなり、結果的には昼食の場所がほぼピークやった。英彦山へ向かう国道496号に突き当たる直前、舗装が傷んでできたでこぼこと大きめの石に、前輪を派手にぶつけて、こけなかったもののパンク。これまでバルブ根元が腐ってのパンクはあったが、普通のパンクは記憶がないくらい久しぶりや。それもぶつけた瞬間ではなく、10秒ぐらい経ってからシューと音がし出す変なパンクやった。素早く替えチューブに交換して、英彦山まで再びのぼりが続く。
 標高850mの薬師峠からは国道500号となり、15時過ぎに英彦山神社の入口にとうちゃこお。ここから宿のある甘木まで約45km。おまわりさんに聞くと、神宮まではまだ上りがあり、往復1時間はかかりそう、ということで、昔行ったことのある神宮はパスして、西へ。
 JR ひこさん駅からひとつ尾根を越えると、基本、宿まで下りが続く。川沿いの静かな道を下ってると、いきなり100m四方の巨大穴があり、重機が底の方で作業している。あとでわかるのやが、小石原川ダムという新しいダムの建設に絡んで、水を迂回させるためのトンネルを掘っているらしい。この下流にもダムがあるのに、なんのためのダムなのか、無意味な自然破壊に憤りを感じる。

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工事現場

 夕日を正面に浴びながら、昨日同様にGOKIさんに引っ張ってもらい、甘木駅付近にあるビジネスホテル「くまがえ」に、18時前に無事とうちゃこお。夕食はフロントで聞いた、ホルモン焼き専門店へ。この街はホルモン焼きが有名らしい。「甘木名物ホルモン料理元祖白橋」と暖簾に書いている、キタナシュランに出そうなぼろいお店に入ると、ホルモンの匂いが漂っている。カウンターの奥には対象が鉄板でホルモンを焼いている。座敷にはサラリーマン風の5人組がいて、地元に来た来訪者を接待している様子。いいねねええ、地元通のお店やんか、と壁にかかっているメニューを見ると、食べ物はなんとホルモン焼きしかない。それを注文すると、すぐに焼き立てのホルモンが出てきたので、生ビールで乾杯。なんか野菜はないの?、と聞くと、キャベツがあると言う。GOKIさんがご飯はないの?と聞くと、あるという。言えば、何でもでていそうやが、結局、筆者はホルモン焼きとビール、日本酒だけ。でも、通のお店なので、一応満足。でもGOKIさんはたくさん食べれず、ちょっと不満そうやった。20時頃、ホテルに戻り、めちゃ久しぶりのパンク修理をしてから就寝。しかし、そのパンクがのちのち影響するとは…。

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ホルモンの店


4/28(火) 甘木→唐津 112km 獲得標高 936m 曇り
 メンバ:G、野田、(合流)宮村

 いつもより遅めの6時に起き、近くの高台にある甘木公園でコンビニ朝食タイム。今日は、大宰府旧跡に寄るというGOKIさんと別れ、ひとり久留米の北西にある吉野ヶ里遺跡へ先着して、時間が合えば、午後に、今日から参加する宮村さんと吉野ヶ里で合流の予定。7時半頃ホテルへ戻ると、もうGOKIさんは出発したようで、チャリがない。午後から雨予報なので、筆者も速やかに出発するも、路側のない狭い県道を30分ほど走ったところで、ふとフロントバッグを見ると、ゴムで固定していた三脚がなく、孫の手も落ちる寸前。貴重な三脚なので、来た道を反対側から見ながら戻ることに。ホテルまで戻っても見つからなかったら諦めるしかないと凹みながら走ってると、10分ほどで反対車線に落ちている三脚を発見。良かったと思ったのも束の間。取ってみると違和感があり、中を見ると三本の内2本の脚が根元から折れているではないか。右側のバッグから落ちたため、路側のない狭い道が災いして、車に轢かれたのだ。1本脚では折角発見した意味がないが、一応左のサイドバッグに縛り付けて、先を急ぐ。
 狭い県道を抜けて、筑後川の気持ちいい河川敷を進み、本日の見どころである吉野ヶ里公園に10時過ぎ到着。ここまで約30km。公園やから無料と思ってたが、400円の入場料が必要で、しかも正門で案内図を見ると、弥生時代を復元している見どころは北の方にあり、結構遠い。しかもチャリは園内通行不可。そこで、広い公園の周りを30分かけて1周してみたが、結局、北の方に入口はなく、東側の正門に戻る。広い公園内を全部見るのは時間的に無理なので、古墳から発見された甕の棺を保存している「北墳丘墓」という場所を目指す。途中、祭りごとが行われていた北内郭には、巨大な祭殿や高床式の茅葺屋根の貯蔵庫や竪穴式住居がたくさんあり、遠足と言うより学習に来たと思われる小学生たちが案内看板の文字を書き写したり、ボランティアおじさんの説明を興味深そうに聞いている。お墓には、2100年前の吉野ヶ里集落を統制していた歴代の王が葬られていたらしく、発掘された茶色の甕がたくさん並んでいる。その中には青銅製の剣や首飾りが置かれてあり、普通の古墳より妙に生々しい。この一帯は魏志倭人伝に書かれた邪馬台国を彷彿とさせる遺跡群らしく。今でも発掘調査がされているよう。筆者も小学生のように、ちょっと賢くなった気分で、小1時間の学習を終えて、チャリに戻ると時刻はもう12時前。
 GOKIさんにメールすると、まだここに到着しておらず、宮村さんはまだJR吉野ヶ里公園駅で組み立て中。これから、昼食を採って公園を見学するとのことなので、ひとり先行することに。ここから唐津まで川沿いの国道ではめちゃ遠回りなので、計画通り、山を越える約70kmの最短コースを選択。西から北西に進路を変え、県道21号を空腹の中、ひたすら上り、標高470mの大内峠を越えて、「うぐいす」という特製ちゃんぽんのお店を目指す。上ってる途中、雨が降り出したので、今回ラン第二の秘密兵器であるポンチョを取り出す。カッパより蒸れないと思ったが、雨に濡れなくても汗で結構濡れてしまい、上りや暑い時には向いてない。ゴアテックスのポンチョはないものだろうか。
 ツーリングマップに載っている「うぐいす」は地図の場所にはなく、多分町へ下りた所にあると思われたが、結構下らなければならないので、諦めて国道263号沿いにあった名前も店構えも怪しげな「MUSICOLO」というお店に入る。その直前、チェーンが外れチャリを傾けて直した時に腕時計を落としたみたいで、店から戻って探すも見つからず。店内は暗くバイク野郎が好みそうな雰囲気が漂う中、凹みながら名物のステーキカレーを注文。サラダやコーヒーも付いていて缶ビールを飲みながら、のんびり寛いでたら、もう14時半。GOKIさんに「今どこ?」と電話すると、吉野ヶ里公園の見学を今終えて、これから同じルートで唐津を目指すとのこと。吉野ヶ里からここまで1時間半かかったので、待つのを止めて走ることに。時計は残念やったが、お店のお客さんから何故か九州限定のうまか棒を差し入れしてもらい、雨も上がって気分は上々。
 県道39号、佐賀と唐津を結ぶ国道323号を通って、唐津の浜に16時半到着。途中、「エゾシカの肉あります」の看板があり、九州までえぞ鹿が溢れているのか、と驚く。海岸線の道に入ると、松林が延々と続いていて、なかなかの雰囲気。虹の松原と呼ばれているらしく、交通量はそこそこ多いが、気持ちいい森林浴道が続いている。途中、駐車場に入ると、からつハンバーガーと書いたマイクロバスが停まっている。遅い夕食になりそうなので、名物のバーガーを購入。
 まだ、曇っていたが、海岸に出て弓状に広がった海岸線を眺める。5キロほど続くこの虹の松原は福井県敦賀の気比の松原、静岡の三保の松原に並ぶ日本の3大松原のひとつである。虹の松原が断トツで幅が広く長さも三保と並んで最長で日本一の松原らしい。確かに松の密度が他とは違い、走っていても気持ちが良かった。松林を抜けると、唐津城がみえ、今日の宿はこの近くの民宿「富久家」。110kmも走ったが、17時過ぎに無事とうちゃこお。お風呂に入り、部屋で缶ビールを呑みながら、からつバーガーを食べてると、18時半頃、唐津駅に着いたとGOKIさんから連絡が入り、駅まで迎えに。

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虹の松原 | 唐津城のマンホール蓋

 夕食は民宿お奨めの居酒屋「風林火山」。烏賊で有名な呼子の烏賊まるごとに驚きながら、3人で今日のラン報告と明日のコースについて話し合う。明日も雨予報やが、GOKIさんが是非行きたいという名護屋城跡に寄ってから嬉野に向かうため、きつい峠はないものの、100キロ以上ありそう。

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呼子の烏賊


4/29(水) 唐津→嬉野 96km 獲得標高 1049m 曇り後晴れ
 メンバ:G、野田、宮村、(合流)石田

 いつものように6時前に起きて、唐津城見学兼朝食タイム。宮村さんとGOKIさんは昨夕行けなかった虹の松原を見に行った模様。唐津城は天守閣が再現されていて、広場からの眺めも良い。朝日が富士山のような山から見え始め、天守閣が映える。松原から帰ってきたお二人もここに現れて一緒に朝食。きれいな朝焼けを撮影してると、ちょうどラジオ体操の時間となって集まってきた近所のおじさんおばさん達が「どこから来たの」と聞いてきたので、「神戸から」と答えると、「若いわねえ」と返される。そんなに若くないけど、と思いながらも嬉しい。7時前に宿へ戻り、昨日から痛くなっていた右足アキレス腱を冷やすため、女将さんに湿布薬をお願いするとと、病院でもらうような10枚入りをくれたが、ちゃっかり500円取られた。でも薬局で買うより絶対安いのでラッキーでした。三脚がないので女将さんに撮ってもらい7時半過ぎに出発。
 唐津のお祭り「唐津くんち」の曳山をちらっと見てから、今日の見どころである名護屋城跡へ向かう。嬉野とは逆方向やが、GOKIさんが強く推すのでお付き合いすることに。烏賊で有名な呼子を通過して、9時過ぎには曇り空の中、城址にとうちゃこお。筆者は全く知らなかったが、日本統一を果たした豊臣秀吉が朝鮮と中国を侵略するべく1952年に建てられたのがここ名護屋城。6年後に秀吉が亡くなってしまったため、即取り壊されてしまった悲しいお城。その際、石垣も一部壊されたが、大部分は残存しており、自然に崩れてしまったのも含めて虚しさを感じるお城やった。
 次の目的地は伊万里。沿岸を走る国道を避けて最短ルートを選ぶと、棚田や小島が浮かぶ景勝地があり、パチリ。

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棚田

 12時になったので、切木という村でぼたんだんごやいちごを補給しながら、14時ちょうど伊万里に着き、駅前通りで見つけた「風の丘」というレストランへ。ここは伊万か里一というカレーと伊万里牛ハンバーグが名物で、筆者とGOKIさんがカレー、宮村さんがハンバーグを頼む。カレーはハンバーグ2個に加え玉葱まるごと1個が載っていてボリューム満点やった。食後のコーヒーも戴き、満足して次は磁器で有名な有田焼の街へ。松浦鉄道というローカル私鉄沿いに南下していると、突然、GOKIさんがスパート。ちんたら走ってるのが嫌になったのかなと思いながら先を急ぐも、分岐に着いてもGOKIさんはいない。諦めて、有田焼と言えば柿右衛門なので、宮村さんとその博物館へ。有田焼は白磁紘という鉱石を用いているため、濁手(にごしで)と呼ばれる米の研ぎ汁のような色合いが出るらしい。ふーんと感心していると、GOKIさんが現れる。突然スパートしたのは駅のトイレへ早く行きたかったからと聞き、納得するも、それならそうと言ってくれたらと思うも笑って流す。

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コロコロ伊万カリー(さがんめしコンテスト優勝)

 ここから宿のある嬉野温泉まで約20km。昨年行った萩でもそうだったが、GWは陶器祭りのシーズンらしく、ここ有田、その先の波佐見でも陶器市で賑わっていた。特に有田焼は来年創業400年且つ日本磁器誕生400年らしい。その陶器磁器をゆっくり鑑賞したかったが、雨予報やから先を急がなければならない。今日の宿「一休荘」には18時前に雨に降られず無事到着。すると、今日から合流する同期の石田マリちゃんが既に2階の部屋で寛いでいた。相変わらず顔がでかい。内風呂からあがると、外は雨が降り出し、土砂降りになっている。間一髪のタイミングやった。豪華な夕食を戴き、22時には就寝。


 >>>宮村記録の本編も参照。


4/30(木) 嬉野→島原 86km 獲得標高 386m 曇り
 メンバ:G、宮村、野田、石田、(合流)那珂

 夜通し降っていた雨は当然のように朝には上がり、6時前に起きて街を散策しながら、朝風呂は外湯の洋館「シーボルトの湯」へ。当時、長崎に住んでいた医師であり植物学者であったシーボルトは、愛人の楠本たきと一緒によく嬉野温泉に来ていたらしく、その詳細をここで知ることができる。7時から早めの朝食を戴き、8時過ぎに4人で出発写真を撮るも、石田は西の大村湾諫早ルートを、GOKIさんと宮村さんは多良岳山岳ルートを、筆者はアキレス腱に痛みがあるので、最短且つ平坦な有明海沿岸ルートを選択。合流地点は、干拓のために国が強引に建設した水門がある堤防の入口。嬉野は土壌の質がよいからか、お茶の名産地であり、ご当地うれしの茶のペットボトルがあると聞き、石田と二人で探す。山岳コースを選んだGOKIさんと宮村さんは寄り道する余裕がなく先に行ってしまった。こんな時間から開いてるお店はなかったが、お茶屋さんの一軒がお店を開けていてくれて3本購入。1本は神戸のうちへ、もう1本は明後日合流する妹の潤子へのお土産だ。今回のランではテント装備をしていないので、早めのお土産も苦にならない。

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お茶屋の前で

 諫早で同期の那珂と合流する石田と別れて、県道28号を東進して有明海北西の町、備前鹿島へ向かう。新緑に映える茶畑を横目で見ながら、県道を避けて川沿いの道を走ってると、土砂崩れ工事中通行止めの看板があるも、いつものように無事通過。鹿島からは沿岸を走る国道207号をひたすら南下。干潟にあのムツゴロウはいるだろうか、と暗い海を見ながらじわじわ進む。諫早まで44km、長崎まで66kmの標識があり、その悪しき水門と堤防は諫早の手前約10kmにあるのだ。海浜スポーツ公園には、ガタリンピック会場と横断幕に書いてあり、あの潟スキーに乗ってレースをするようだ。干潟はちょうど干潮で、ジグザグの道があちこちにあり、そのガタスキーの進んだ跡やとわかるが、肝心のスキーが見えない。結局、ガタスキーもあのムツゴロウも確認できず残念。その上、水が引いてしまった川には漁船が寂しそうに横たわっていて悲しさが募る。

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有明海の干潟

 国道の左は曇り空の暗い有明海、右は暑い雲に覆われた多良岳。お二人はあの雲の中を走ってるんだろうか、と思うとちょっと嬉しい。佐賀と長崎の県境は竹崎カニで有名らしく、蟹御殿の水槽にはワタリガニが一杯入っていた。ここまで来ると、海の向こうにギザギザの山が見え始め、あれがあの雲仙岳とわかると、ちょっと感動。お昼は悪しき水門で食べると決めていたので、手前にあった中華料理店に入り、焼き肉弁当を購入。
 水門には13時前に着き、水門の目の前で雲仙岳を見ながら昼食タイム。諫早湾干拓事業を推進する説明パネルを読むがふーんって感じ。物議を醸した事業の詳細については、石田のレポートを参照あれ。

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諫早湾の水門

 缶ビールとワンカップを呑み終わっても、誰も来ないので、心配するも、14時過ぎにやっと石田と那珂が颯爽と到着。山岳コースのお二人もそのあと現れて、5人で10kmほどある堤防の上にある農道を走る。農道なのに幹線道路のように交通量が多い。無料やし、諫早に廻らず島原へショートカットできる道やからやむなしか。中間地点には発電所にもよくある庶民の理解を求める見学施設があり、一服。歩道橋に上がると、右の諫早側と左の有明海側の水面の高さが異なるのがよくわかる。諫早側は干拓が進んでいるが、水は比較的澄んでいた。一方、有明海側は諫早湾に流れ込む川の水がないためか、濁っていた。
 休憩中、宮村さんの何気ない会話から、レーシングシューズの底面の金具が緩んでいるのを那珂が発見。さすが那珂や。諫早市から雲仙市に入り、海沿いの国道251号を約25km走ると、今日の宿がある。この辺りはあの高校サッカーで名を馳せた国見町やから、珍しいサッカーボールの街灯が並んでいた。

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サッカーボールの街灯

 17時に島原の町手前にある民宿「花月」にとうちゃこお。夕食は豪華だった昨晩と対照的にめちゃ質素。建築現場で働く人の定宿やからか。近くのスーパーで買い出しをして軽く呑みながら、みんなで明日のコースを検討する。この時間がなぜか楽しい。


 >>>石田記録の本編も参照。


5/1(金) 島原→菊池 68km 獲得標高 521m 超晴れ
 メンバ:G、宮村、野田、石田、那珂、(合流)浦野

 朝めし前に、快晴の天気なので、島原の町に向かってポタリング。朝日に映える島原城が見えてきて、おおおって感じでカメラに収める。お堀と石垣と天守閣のバランスが素晴らしい。天守閣は5階まであり、徐々に輪郭が狭くなる感じも雄大さを感じる。今日は島原港からフェリーで熊本に渡る予定なので、質素な朝食を済ませ8時には宿を出発して港へ向かう。

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島原城

 30分で有明海を渡る高速艇もあったが、1時間のフェリーでのんびりと噴火している雲仙岳を眺めながら島原に別れを告げる。熊本港からは市内の東にある水前寺公園を目指し、途中、ビッグカメラで壊れてしまった三脚を購入するも、ケチってしまい、カメラが水平にならず、セルフ撮影するたびに苦労することになる。石田の忠告通りもっといいやつにすべきやった。
 中心街を避けて、南方にある江津湖から北上して水前寺公園へ。江津湖は阿蘇からの大量の湧水が水源になっていて、透明度が半端じゃない。水前寺公園前のラーメン屋「味千」で、皿うどんとちゃんぽん麺などを注文して、石田、那珂とシェアリング。カメラ屋で一旦別れたGOKIさんと宮村さんは、先に公園内へ入っていて、食事中らしい。お腹いっぱいになったので、我々も東海道53次を模したと言われる公園へ入り、合流して園内を一周する。中央に大きな池があり、ここも湧水。アオサギが魚を狙っていたので、暫しカメラを構えて見ていると、一瞬で見事に小サカナを嘴で掴み飛んで行ったが、石田と那珂もシャッターチャンスを逃さず、見事に撮っていた。40分ほどかけてゆっくり廻ったものの、暑くて宮村さんはばてていた様子。お土産屋に寄ると、おっちゃんが実演していたアーモンド煎餅作りが面白かったので、つい買ったら、おまけにくまもん煎餅をくれた。ラッキー。
 遅めの14時に公園を出発して、北東方向30km先にある菊池を目指す。途中、この地で没した宮本武蔵の武蔵塚に寄り、歴史のお勉強。菊池の町に入り、嫌な予感がしたので、今日から合流する同期の浦野に電話すると、宿にはアルコール類が一切ないことが判明。宿まではまだ10km弱、200mもアップしなければならないが、この先にお店がありそうもないので、ビール、酒、つまみを買い出し。ほとんどをマイサイドバッグに詰め込んだので、重たい。しかし、美味しいビールは欠かせないので、頑張って何とか18時前にとうちゃこお。
 しかし、今日はほんま暑かった。

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食堂で乾杯

 >>>那珂記録の本編も参照。


5/2(土) 菊池→湯坪温泉 69km 獲得標高 1300m 晴れのち曇り
 メンバ:G、宮村、野田、石田、那珂、浦野、(合流)野田潤、DAZ、アコ、(夕食)中田

 今日も天気がよいということで、気分がいい。ここ、きくちふるさと水源交流館も、廃校になった校舎を利用した宿だったが、のんびりできて良かった。廃校宿は山陰や四国でもお世話になったが、外れがない。宿の人も愛想がメチャよかった。
 今日の目的地は菊池から北東に位置する湯坪温泉。そこの宿で、H1卒の潤子とH4卒のDAZ今野夫婦と合流予定。
 本日の見どころは那珂が探してくれた金山博物館。8時半頃、記念撮影して出発。今日は浦野が入って6人に増えた。満開のつつじに見送られながら、県道133号を北上して標高680mの穴川峠をまず目指す。竜門ダムを眼下に見ながら、最後尾からがしがし上っていくと、穴川名水1km先の看板があり、一息。みんなボトルに水を補給している。筆者は2リッターのペットボトルがあったので、それに補給。重たいけど水は大事や。峠には11時前に着き、そこから鯛生という町まで基本下り。
 鯛生金山の地底博物館は想像以上に賑わっていて、砂金採りの体験を楽しんでいる高校生が一杯。なぜかカメルーンの国旗もある。ここ中津江村はサッカーW杯日韓大会の時にカメルーンが合宿していた所らしい。エムボマの写真もあった。坑道内でちょうど高校生と一緒になり、かわいい子に「どこから?」と聞くと、聞いたことのない福岡県の私立高校やった。ここに水野がいたら、と思う。金山の詳細は那珂レポートを見てください。
 レストランで名物カレーなどを食して14時前に出発。国道442号を下り、蜂の巣湖という怖いダム湖を渡り、国道387号に入り、小国町の道の駅に15時前着。ここの標高は430m。宿がある湯坪温泉は約800m。標高1500mの湧蓋(わいた)山が宿の手前にどーんとあり、普通に迂回するとかなり遠回りなので、浦野と筆者は100mほど余分に上るが、湧蓋(わいた)山の中腹をショートカットする林道を選択。本隊と分かれる場所へ向かう途中、今晩だけ参加する同期の中田が車で登場。荷物を積んでくれるというので、普通なら断るところやが、担ぎが予想される林道コースを鑑みて、甘えることにする。

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小国町のマンホール蓋

 分岐からピークまで約400mアップ。時刻は15時半過ぎ。予想通りきつい勾配が続くも宿への最短コースなので苦にならない。分岐から3kmほどであちこちから蒸気が沸き立つハゲの湯に着く。源泉の蒸気を利用して熱交換によってタービンを回すバイナリー発電所が「まつや」という老舗旅館内にあるらしい。湧蓋(わいた)山がちょうど眼前に見え、名前の由来が何となくわかる。更に心地良い舗装林道をがしがし上ると、分岐からちょうど1時間で960mの最高点に到達。ここから舗装路は下っており遠回りになるので、柵を乗り越えてダートの最短コースを選択。しかし、2kmほど進むと道は途切れ途切れ、倒木も多くなり、前進を断念。

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林道入り口 | このあとどうなる?

 分岐まで戻ると40分のロスであったが、舗装路を下り、その後若干上ったものの、湯坪への下りで思いがけなく今日の宿「民宿なか」にとうちゃこお。時刻は18時前。偶然、中田が玄関前にいたのでわかったが、いなかったら知らずに下まで下ってただろう。中田に感謝。満開の桜が咲いている駐車場の横に露天風呂があり、覗くとDAZが裸で現れる。3人は豊後中村駅から約15km、高低差400mを上って17時頃に余裕で着いたらしい。DAZとは昨年のGW山陰ラン以来1年振り。DAZ嫁のあっこさんとは多分初めて。めちゃ熱い露天風呂に入ってると、やっと本隊が到着。結構大変だったらしい。宴会には六人+本日合流の三人+中田の10名が集まり、その内同期が5人。当時アイドルだった中田も50を超え、最近、大病したものの、相変わらず笑顔が似合う。元気そうでほっとする。もっと話したかったが、21時過ぎに帰路へ着く中田を全員で見送る。

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宿で中田を見送る

 >>>那珂記録の本編も参照。


5/3(日)湯坪温泉→南阿蘇キャンプ場 66km 獲得標高 1270m 雨
 メンバ:G、野田、那珂、浦野、野田潤、DAZ、アコ、(離脱)宮村、石田

 この宿にはお風呂が三つもあり、昨日より広い露天風呂と内風呂に入り、朝湯と朝酒を楽しむ。今日の見どころは阿蘇山だったが、終日雨模様なので、直線的にキャンプ場までまっすぐ南下するコースを選択。駐車場に咲き乱れる桜吹雪の前で出発写真を撮り、8時過ぎに雨の中、まずは300mアップの八丁原を目指す。最後尾から一人ちんたらこいでると筋湯温泉の手前に分岐があるも誰も待っていないので、温泉に入る道でなく左に曲がる太い道を選択。1kmほど進むと、右の狭い道からみんなが突然現れてびっくり。温泉の方に行ったら行き止まりになったり激坂を上がる羽目になったりと、大変だったことを聞き、申し訳ないがニンマリしてしまう(那珂レポートにも記載あり)。この辺りは昨日のわいた山より地熱が激しいらしく、水蒸気があちこちから噴出していて、地熱発電所も二つあった。GOKIさんがキャンセルしたはずなのに宿泊代を要求してきた八丁原ビューホテルもここにあった。
 この県道40号の東側にはやまなみハイウエイがあり、有名な牧ノ戸峠も近いが、断然こっちの方が景色を含め楽しいし、車も少ない。さすがGOKIさんや。しかし、天気が良ければ眺めの良さそうな八丁原を過ぎて下ってる途中、GOKIさんが分岐点を通過しまい、少し先にもあるもう一つの分岐点へ行くと、公道ではなくキャンプ場の私道になっていて通り抜け禁止の看板が…。通行料300円を払えば通れるようやが、アホらしい。でも、最初の分岐まで上る気にもなれず、渋々お金を払って通してもらう。ゴンドーシャトレーという洒落たキャンプ場だった。
 R442に入り黒川温泉を過ぎた辺りから南方にある阿蘇の外輪山へ向かって、まずいくつもの山谷を越える。合戦群(かしのむれ)という部落から一般車通行禁止の象ヶ鼻まで10km、高低差は100mしかないが、小雨の中でのだらだら上りが結構しんどかった記憶がある。車はいないが、ウルトラマラソンの練習会なのか、たくさんのランナーが並走していて、途中には水や温かい汁を提供する補給所まである。恨めしそうに横を通過するも善処はなし。象ヶ鼻でみんなと1時間振りに合流して、カルデラ盆地の阿蘇の町へ一気に300m下る。ヘアピンカーブの連続で、路面が濡れている上に寒い。条件が悪い中、前を下っていたアコが転倒。ヘルメットの左面がボコボコになっていて、腕には擦り傷も。打撲傷も痛々しいが、大事に至らず良かった。石田はミニベロのブレーキが雨でほとんど効かないらしく、10分以上坂の下で待つ事に。DAZとアコが合流し走り始めたこの日、宮村さんはここからJRで帰京されるので、GOKIさん、宮村さんら4人は先に駅へ。筆者はワンカップと椅子を出して宮村さんとの別れを惜しみつつ一杯呑みながら石田を待つ。
 何とか下りてきた彼とDAZ夫婦、潤と一緒にJR宮地駅へ。途中、宮地駅右折という変な標識があったが、無視してまっすぐ南下して12時半過ぎに宮地駅にとうちゃこお。本隊がなぜかいないけど、まずは昼食場所を探す。駅横のレストランはめちゃ混んでいてNG。ちょっと離れた所に「まかない家」というレストランがあり、そこも混んでたが、まだましなので入口で待つことに。その内に本隊が着き、石田はミニベロをばらしてここから輪行。残った7人はまかない家で名物食材であるローストビーフを使ったカルデラ丼やカルデラプレートを注文。根子岳と阿蘇山の間にある標高990mの林道日ノ尾峠、高低差450mを越えないと、今日の宿であるキャンプ場に着けないが、コーヒーも頼み、まったり。このひとときが楽しい。14時過ぎに重い腰をあげて出発。雨も止み、体力も回復し上りは快調。15時半頃、峠に着き下りはみんな慎重に。道に堆積している黒い阿蘇の火山灰が更にスリップしやすくする。途中、牧場のゲートを越えると、茶色の牛が数頭。チャリが珍しいのか、こっちに向かって走ってくるやないか。ちょっとびびったが、出口のゲートまで行くと、もう安心。みんなでゲートを開けてまた閉めて、南阿蘇休暇村のキャンプ場まであと数km。

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まかない家のスペシャルメニュー

 16時半前、キャンプ場に無事着き、常設テント2張りに荷物を置き、温泉に入ってから定番のライスカレーエッセン。寝具を含むキャンプ用品は全てレンタルなので楽やが、キャンパー野田としては物足りない。夕食場所はテントでも良かったが、BBQハウスと思われる広い屋根付きスペースへ移動。子供たちがバドミントンをしていたので、端っこにテーブルをセットして乾杯。すると、バドのシャトルが高い屋根の梁にのってしまったらしく、子供に助けを求められるが、高すぎて登るのは危ない。結局、若いおとうさんが梁を登り切りシャトルを確保し、みんなで拍手喝采。食後は、テントで、中田から頂いた「美少年」などを呑みながら、明日のコース確認して22時頃就寝。


 >>>那珂記録の本編も参照。


5/4(月)南阿蘇キャンプ場→五ヶ瀬 92km 獲得標高 1350m 曇り
 メンバ:G、野田、浦野、野田潤、DAZ、アコ、(離脱)那珂

 朝までに雨は上がり、今日は天候回復傾向。ルートは、高千穂まで南下、天岩戸に寄ってから西方の五ヶ瀬まで。高森峠の旧道以外は基本、国道を走る。詳細な報告はDAZレポートにおまかせして筆者はポイントのみとします。
 キャンプ場を出発してすぐに愛用のチタン製カップを炊事場に忘れたことを思い出し、取りに戻る。でもよく気が付いたものだ。残り桜が映える200mアップの高森峠旧道を上がると、中坂峠と高森峠の分岐があり、どっちも右側を指しているが、地図では左が高森峠のよう。GOKIさんに電話すると中坂峠にいるとのこと。高千穂へ行くには高森峠が正しいので那珂と潤の3人でそっちへ。しかし、旧道は道が崩壊していたので、仕方なく新高森トンネルを抜けて下り。途中、本隊が合流できそうな場所で待つも来ないので、奥阿蘇大橋のお店で待つことに。中略。
 昼食後、下って戻らなくてはならない上に絶対混んでる高千穂峡を避けて、帰京する那珂と別れの挨拶をして、一番遅い筆者は一人先行。天候が怪しいので津花峠は旧道じゃなく長いトンネルを選択。R218とR265の交差地点である馬見原は宿場町として旧家屋の商店街が残っていて、見どころはありそう。宿まではあと5kmほど、時刻もまだ16時過ぎなので、ぶらぶらすることに。二層式の橋が商店街の先にあり、上が車道、下が木の歩道になっていて、歩道には川面が覗けるように大きな穴が二つ。他に、夫婦岩や明神の木(もと)という湧水も見て廻る。商店街に戻り、クジラの竜田揚げをビールのつまみに買って、進むと宮崎県五ヶ瀬村の標識。ここから宮崎県なのだ。本屋敷の宿への分岐で本隊と合流して、宿の「えのはの家」まで激坂を登って何とかとうちゃこお。

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馬見原の二層式の橋

 >>>DAZ記録の本編も参照。


5/5(火)五ヶ瀬→五家荘 80km 獲得標高 1670m 晴れ
 メンバ:G、野田、浦野、野田潤、DAZ、アコ

 宿の前に池があり、やまめがたくさんいる。ここはヤマメの里なのだ。その池の前で出発写真を撮るも、今日が今回のツーリングで一番ハードらしい。まず高低差400m、標高1130mの国見峠旧道を越え、一旦、標高400mの椎葉村まで下ったのち、標高1480mのばんさん越えなのだ。詳細はDAZレポートご参照を。パンクが多い日でアコは3回、GOKIさんは5回も。このパンクの嵐が明日、我々兄妹にも伝染するとは…。宿は「山女魚荘」。食事や雰囲気が昨日も今日も大当たり。2日ともしんどかったが、心地よい宿が心身ともに癒してくれる。ここにお願いします。


 >>>DAZ記録の本編も参照。


5/6(水)五家荘→人吉 65km 獲得標高 590m 晴れ
 メンバ:G、野田、野田潤、DAZ、アコ 、(離脱)浦野

 今日が2015年GWツアー最終日。人吉まで基本下りのルートを選択。見どころはこの五家荘辺りと「おどま盆切り盆切り 盆切り先やおらんと~」の「五木の子守唄」がある五木村だ。朝食前に、すり減って茶色のインナーが見えている後輪タイヤを持ってきた新タイヤに交換して万全の状態にする。この辺りは秘境の隠れ里と呼ばれ、壇の浦の戦いに敗れた平家の武者たちが隠れていた場所らしく、それに由来した地名や名勝が多い。「五」が付く地名が多いのは、平清盛の五人の兄弟にちなんでるらしい。まず、6人で樅木の吊り橋に向かうも激下りの下にあるので、筆者は諦めて、ひとり五家荘平家の里へ。門前でチャリを置いて階段で里内へ入ると、朱色に塗られた神楽殿が映える。細ながーい変な楽器を吹いている怪しげな若人と話を交わしてから、降りるとちょうど本隊が到着。もう一度戻って一緒に見学。
 ここからは川辺川沿いに基本下り。R442で出たところで、潤がパンク。さっきの下りで噛んだらしく穴が二つ。宮崎市内のホテルまで行かねばならない浦野はここでお別れ。その後、なんと150kmを走り切ったらしい。このツアーを通して、浦野が一番元気やった。
 潤のチューブを素早く取り替えたら、今度は筆者の前輪がパンク。噛んだ記憶がなく、タイヤにも問題がなく、GOKIさんに診てもらったら、リム側のバルブ付近に筋状の切れ目があり、ピンホール状の穴があった。リムバンドとリムに隙間ができて、そこにチューブが挟まったのが原因らしい。取り敢えず、替えチューブをセットするもタイムロスは30分。時刻はまだ10時前、人吉までは60km弱。13時には着きたいがちょっと無理か、と思いながら、走り始める。
 次の休憩地を五木村の道の駅に定め、快調に五木五家荘渓谷を下る。交通量も少なく、順調と思ってたら、左に曲がる橋の手前で突然前輪がスリップして受け身をする間もなく転倒。カメラの撮影記録では、10:11に県道との分岐で撮影した後、13:44の人吉駅まで飛んでいる。GOKIさんメモによれば10:45に転倒したらしい。その後の記憶は断片的。激痛と感触から鎖骨が折れてしまったというショック、なんでスリップしたのかという疑念、救急車を呼んだというGOKIさんの声、擦り傷にマキロンをかけてくれたアコ。記憶がはっきりしたのは、救急車の中。サイレンの音を聞きながら、救急車は速いなあ、初めて乗ったかも、とか思いながら、まず、うちへ電話。家内に「自業自得や。」と笑われた。そして、GOKIさんへ電話して、まず迷惑をかけてしまったことを詫び、マイチャリは輪行袋に入れたとのことなので、タクシーに潤が乗り潤のチャリと一緒に病院まで送ってほしいとお願いする。人吉の救急医療センターに着くと、すぐレントゲンを撮り、左鎖骨単純骨折が確定。医師が手術を勧め、自分も早く治したいので、神戸へ戻ってから手術することに。肩を反らせるバンドを装着され、三角巾で腕を吊ると、痛さは和らぐ。ふと、頭を触ると、左後頭部にこぶがありかさぶたらしき感触もあり、転倒時に頭も打ったことに初めて気付く。ヘルメットは持っていたが、被っておらず、危ないとこやったと反省。その内に潤がタクシーで病院に到着したので、そのままタクシーでクロネコヤマトの集配センターへ行き、マイチャリを預けて人吉駅には13時半頃到着。GOKIさんも一緒に乗る予定の電車は14時なのだが、GOKIさんはいない。結局、みんなと再会できずに潤と二人で帰路へ。新八代駅で「さくら」に乗り換えて、人吉駅で買った鮎まるごと弁を痛み止めのワンカップと共に食べてると、DAZと連絡が取れ、GOKIさんも何とか予定の新幹線に乗れそうとのこと。とりあえず良かったと思うと同時に、ツアー最終日に自分の不注意から事故を起こし、GOKIさんとDAZ夫婦をばたばたさせてしまったと反省。

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応急処置が終わり、一足先に潤子さんと人吉駅を出発


 >>>DAZ記録の本編も参照。


<おわりに>
 転倒した場所は、五木村道の駅2km前地点のつばき橋。原因は、パンクにより空気が中途半端に抜けていて、グリップ力を失い、フロントサイドバッグの重みがスリップを助長させたようや。朝のパンクで交換したチューブはツアー2日目にパンクしたものであり、そのパンク修理が不十分だったことが後に判明している。タクシーの運ちゃんが「あそこは魔のカーブと言われ、バイクがよく転倒している。」と言っていたのも気になるところ。以下にDAZとGOKIさんの事故に関するコメントを頂いたので、付記します。
【DAZコメント】
 まず路面の状況。舗装面の損傷・修復などによる段差が多少はありましたが、問題にならない程度だったと思います。砂の堆積も、あの日に関しては 目立つようなものは無かったと思います。タクシーの運転手さんの話は当時知らない状態でしたが、いちおうその点も気にして見てきたので、間違ってないと思います。前輪の空気圧は、転倒直後、かなり低いがペシャンコではありませんでした。イメージとしては、ママチャリで近所に買い物行くときにあの空気圧なら、時間が無い時ならそのまま行っちゃうかも、くらい。
 転倒時に後ろから見た感じは、橋を渡ろうとカーブをきるため左に傾けた次の瞬間に、グリップを失って一気に左に倒れた感じでした。一瞬だったので乗車姿勢のまんまで倒れたように記憶しています。両手はハンドルを持ったまま、足もペダルに載ったまま。 当時僕が想像で思っていた原因は二つです。
 1.前輪の空気圧不足
 2.カーブ前の減速が足りなかった
あくまで想像ですが2.を原因として思っていた理由は、人吉発の時間が2時 と決まっていて、温泉に入る時間も欲しいし、と考えていたが、 その前のパンク修理で時間を費やしてしまい、気が急いていた。下り道を快走してきたが、行く手に橋が見えて、渡った先には上り坂が見えていた。あれを登るのか~いやだなぁ~と思い、勢いをつけて行こうとした。
【GOKIさんコメント:空気圧不足について】
 空気の入ったタイヤは、外からの力(荷重、遠心力など)が加わると変形しますが、圧力が適正レベルならば、僅かの(リニアな)変形が起こるだけで、グリップをいきなり失ったりしません。しかし、圧力が適正レベルを大分下回ると、変形が非常に大きくなり(風船にのっているような感じ)、自転車が倒れたときに、タイヤが外に逃げて、グリップが失われてしまうことが起こります。ママチャリレベルのスピードでは車輪はあまり倒れませんが、スポーツ車のスピードではハンドルが切れた瞬間それなりに倒れます。空気がだんだん抜けている状態だと、コーナのたびに嫌な感じが増えてきて、対処するはずですが、急に抜け始めた場合には、手遅れになることがあります。後輪がすべっても逆ハン状態になり少し時間があるので転倒は避けられますが、前輪がすべると足出しても転倒は免れません。


関連リンク:
 RinRin Report 参照(統合版)
 ツーリング記録 参照