2018年GW 能登・佐渡ツアー報告

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佐渡スカイライン

by 浦野、小澤、那珂、宮村、野田、DAZ & 野田潤(最終投稿日:5 Jan 2019)

Map, Click to Popup 日程:2018/4/28(土)~ 5/6(日)
参加:野田(計画)、那珂、宮村、浦野、小澤、DAZ、アコ、野田潤
コース:=金沢→志賀町→輪島→珠洲→和倉温泉→黒部→直江津→佐渡島→佐渡島→新潟=

 ツーリング記録 参照
<はじめに>(野田記:2019/1/5)
 今年のゴールデンウイークランは、永久幹事のGOKIさんは都合で参加できませんでしたが、いつものメンバーに加え、小澤氏も参加してくれ、天候にも恵まれて楽しいランになりました。筆者は昨年まで3年連続GWランで転倒怪我リタイアを繰り返していて、今年もか、と心配されましたが、無事に完走できました。実は、今回のルートは筆者が手を挙げて立案。表向きのコンセプトは「海岸線に沿って疾走!」。ですが、ほんまは、できるだけ楽に走りたいのと、峠は下りでパンク転倒しやすいからできるだけ避けたいと考え、内陸に入りにくい能登半島1周を選択しました。それと、一度行ってみたかった佐渡ヶ島を加えることで、峠がなくてもメリハリがある内容にしました。では、各自分担して作成したレポートをご覧ください。


Photo, Click to Popup 1日目:4/28(土) =金沢→志賀町 (75km/323m) 晴れ
 メンバ:野田、那珂、宮村(各自別行動で合流)
 (那珂記:2018/5/13)

*金沢散策
 始発の北陸新幹線かがやきで9時前に金沢に到着。宮村さんは1時間後に到着予定だが、今日は別行動でそれぞれの見学先を回ることにしてある。金沢駅前には巨大な門にびっくり。金沢城や兼六園の前では外国人観光客で溢れていて、さすが観光都市の趣。武家屋敷を抜けて海辺のからくり記念館へと向かう。
 幕末、京都出身の大野弁吉という人が長崎で自然科学を学んだ後、妻の実家がある加賀に住み、からくり人形をはじめ数々の発明品を残したという。ここではそれらの品々が展示されている。客人に茶椀を運ぶ人形の実演もあった。西洋から導入された技術は産業界ではなく、いわば趣味の世界に活かされたようだ。

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金沢駅 | からくり記念館

*海岸線
 記念館を見終えるとすでに12時近い。ちょっとのんびりし過ぎた。海辺のサイクリングロードを探して走りはじめると、当然のように店はなく、非常食も無いまま少し不安になりながら走る。13:30頃に道の駅高松に辿り着き昼食。ここで手ごろな能登半島の観光マップをゲットできたので、以降はこれを頼りに走る。

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のと里山海道沿い

 ここから数キロ先に進むと今浜のあたりでいよいよ「なぎさドライブウェイ」だ。2011年のOBランの時には逆方向に走ったが、今回は絶好の天気でホントに気持ち良く砂浜を走る(注1)。この走れる砂浜は千里浜まで4-5キロ続くので、本来いくつかの川を横切るはずなのだがそれが無い。よく見るとどうやら砂の下にパイプを埋めてあり、そこに川の水を流しているようだ。

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千里浜なぎさドライブウェイ
注1)後で宮村さんに尋ねたところ、なぎさドライブウェイは自動車専用だと思い、入口で見ただけで走らなかったとのこと。残念でしたがまた訪れる理由ができましたね。

*氣田(けた)大社
 15時過ぎになぎさドライブウェイの終点を過ぎて15:45頃に氣田神社に到着。ここは万葉集にも登場し、昭和天皇も訪問されたという由緒あるお社。背後には神聖な森として人の出入りを禁じられた「入らずの森」がある。自然保護の観点でも、高木層から草木層まで4層からなる極めて原生に近い貴重な森らしい。そんな有難い神社なので、あれこれとお願い事を・・・。最後(でいいのか?)にツアーの無事を祈願して自転車に戻る。
 と、白いInterMax号が置いてある。やがて宮村さんが神社から戻ってきて1年ぶりの再会となる。が、どこかしら元気がないような・・・。聞けば、神社の帰り道にあった菅原道真の祠に立ち寄って参拝したところ、スマホを石畳に落として画面がヒビだらけになってしまったとか。見てみると、指でなぞるとガラスの破片が刺さりそうでコワイ。保護シートも付けないくらいに揺らぐことの無かった“絶対に落とさない自信”も砕けてしまった???(注2)。

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氣田神社 | サイクリングロード
注2)振り返ってみれば、大きなトラブルは無く無事ツアーを終えることができました。これもきっと宮村さんのスマホが身代わりになってくれたおかげだと思ってます。/因みに100円ショップで売っている保護シートには薄いガラスを使ったものもあり、娘がそれを使っていましたがシートは割れても本体は大丈夫でした。ご参考まで。

 宿泊:能登ロイヤルホテル

 海を離れて山の中を行くとやがて立派な高層ホテルが現れる。車寄せにはスタッフがお迎えに出ている。ちょうど先に着いていた野田も迎えに出てきてくれた。広い風呂にゆったり浸かり、バイキングで贅沢な夕食。まずは3人とも無事に初日を終えることができて乾杯!


【宮村コメント】金沢は初めてで初心者らしく兼六園&城跡巡りをした。お昼に兼六園近くの洋食「とどろき亭」で“能登豚のカレー”を食す。予想外にスパイシーで美味。1時を15分以上過ぎやっと個人ラン開始。能登海浜自転車道では白尾ICあたりで砂地が増え気をつけようと思った矢先、想定以上に後輪が滑り転倒。痛かった。気多大社で那珂くんに会えるもスマホを石畳に落としガラスが割れ、また痛かった。ホテルのバイキングで“のどぐろ”一夜干しなど色々堪能でき気分回復。一日目は慎重さが大事とこの歳になっても反省。いつか“なぎさハイウエイ”を自走し砂地を克服しよう。スマホはガラス交換だけで回復し、今はちゃんと保護手帳を使用。
【野田コメント】宮村さん、那珂と同じ金沢ではなく、七尾線を乗り継いで、なぎさのドライブウエイ起点に近い宝達駅から走ることにしたが、組み立てようと開けたら後輪がパンクしていた。今年もか、と不吉な予感がしたが、予定通り、チャリでも走れる千里浜、生まれ故郷の羽咋の町、産声をあげた羽咋病院、気多大社を見て無事ホテルに着いた。気多大社では、御朱印帳を初めて購入。ここを起点にご朱印を集め、家族の無病息災を祈っていきたいと思う。


Photo, Click to Popup 2日目:4/29(日) 志賀町→輪島 (80km/620m) 晴れ、南西の風
 メンバ:野田、那珂、宮村
 (野田記:2018/7/7)

 志賀町(しかまち)と言えば、北陸電力唯一の志賀原発。ホテルを出て、海岸線を北上すると、高台に見えてくる。今も停止しているが、業者の車が出入りしていた。再稼働する日はあるのだろうか、と思いながら、旧福浦灯台へ。知らなかったが、この真っ白な木製灯台は、明治9年生まれで現存する木造灯台の中で一番古く、ここ福浦港は北前船の寄港先として当時は重要な港だったらしい。しかし、車で入れない場所なので、他に誰もいない。
 チャリならではの穴場に満足して、次は、数キロ先の能登金剛一番の名所である巌門(がんもん)。ここには、奇岩を海側から眺められる観光船があるが、7年前の本州OBランの時には乗らなかったので、今回は乗ることに決めていた。料金は千円ぽっきりで、遊覧時間は約30分。無理やり誘ったので、眺めのいい席は宮村さんと那珂に譲り、遠目に巌門を見ながら、7年前に陸側から若手OBたちと一緒に見たことを思い出す。

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福浦灯台

 次の名所は、伊勢の夫婦岩を思い出させるような機具岩(はたごいわ)。旧道が通行止めだったのでトンネルを通ってからちょっと戻って発見。伊勢のも見たことがあるが、こっちの方が大きい気がした。あとで調べると、伊勢が高さ9mと4m、能登が同16mと12m。また、能登の大きい方は空洞部があり、より見栄えがいい。3人で仲良くベンチに座って記念写真を撮り、次の名所、世界一長いベンチへ。
 日本三大小貝名所である、ここ増穂浦海岸には、ギネスにも登録されている全長461mのながーいベンチがあり、1346人が一斉に座ったことがあるらしい。1mに3人ほどだからほぼ隙間なしだったろう。手前には観光客が多いが、北側の先端まで行くと誰もいなかった。ほぼ直線の海岸線に沿っているので、遠近感がうまく表わせない。少しでもカーブしてればもっといい写真が撮れるのに、と思う。

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    機具岩 | 世界最長ベンチ

 時刻は13時前なのに、ここまでまだ15kmほどしか走っていない。でも、ちょっと遠回りになるが、国道じゃなく能登金剛の名所が続く海岸線を選択。次の名所は鳴き砂の琴ヶ浜。石英が擦り合ってキュッキュッと音がする鳴き砂海岸は全国に30か所ぐらいあるが、異物が混ざると鳴らなくなるため、最近は減っているらしい。9年前、野崎さんと一緒に行った丹後半島にある琴引浜は地元の人が清掃していて、いい音がしていたが、ここはほとんど鳴らず、もう名所じゃなくなってしまったんだ、と悲しかった。
 昼食はあてにしていた赤神の道の駅が閉鎖していたため、近くにあったうどん屋さん。やぎのミルクから作ったコロッケうどんをみんなで食す。小さな切り子があるので、店内を見ていたら、4月30日で閉店との紙を発見。お店のお母さんに聞くと明日で閉店するとのこと。品数は少ないけど、うまかったので残念である。

 次の名所は、ちょっと内陸に入った国道沿いにある曹洞宗総本山総持寺祖院。拝観料4百円は高いので、門の前にあるカフェで自分は珈琲。お二人はジェラードで休憩。木魚と同じ木材で作った「鳴きかえる」がいい音を出していた。おばさんから「お願いだから買って!」と頼まれ、チャリだから重たくなるのはちょっと…と言ったら、軽いよと返され、実際持ったら軽かったのでびっくり。でも見た目が今一なので何とか断り、今日のゴール地、輪島へ。
 あと約25km、でも、ひと山越えなければならない。峠には1.3kmのトンネルと旧道があり、お二人は旧道を選択。自分は疲れたので、トンネルでひと足先に輪島へ。輪島漆芸美術館の前で、缶ビールを呑みながら二人を待つこと15分で再び合流。

 宿泊:お宿たなか
 宿は、レトロ風の民宿だが、料理にこだわっているらしく宿代は¥12,000と高め。確かに品数も多くうまかったが、のど黒がなかったのは残念だったし、仲居さんが、隣のもっと高いコース料理には丁寧に説明するのだが、我々にはほとんど説明してくれず、女将さんもちょっと営利主義が強く、情緒ある建物の割にもったいない、と感じた。
 夕食のあとは、近くのキリコ会館で、御陣乗太鼓の無料公演があるというので、酔いさましにふらふら歩いて見に行ったが、想像していた以上で、切り子の山車をバックに過激に叩きながら踊る怖そうな面をかぶった姿が、目に焼き付いてしまった。上杉謙信の兵士がこれを見て逃げてしまったのが納得できる。また、一人が太鼓の端を、腕を上げず肩の動きだけでずっと高速で叩き続ける体力にもびっくりした。20分ほどの時間だったが、5人の若人が交替でたたき続け、100人ほどの観客は大喝采でした。今はやりの和太鼓やよさこい祭りと違って、地元民の苦労された歴史を感じることができました。

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御陣乗太鼓

【宮村コメント】巌門(がんもん)遊覧船に乗り、荒波と風化によりできた多数の洞窟や岩柱を見るのは、陸からより迫力あった。ただ、能登半島西側海岸にはおびただしい漂流物が打ち寄せられ何とかならんかと思った。昼食に立ち寄った“カフェギャラリーこうや”でヤギミルクコロッケうどんを食す。ほんとに敷地でヤギの家族とエミューを飼っていた。ここを営む壮年のご夫婦が明日4/30に閉店することになったと語りさびしく感じた。だが今日Facebookを見ると時々ここで焼物ギャラリーとか催すらしい。北陸の方々はたくましい。立ち寄った曹洞宗大本山總持寺について横浜鶴見にも同名の大本山があり気になっていたので帰宅後調べた。元々能登だが明治に大部分消失し鶴見に引っ越し大本山となったとのこと。で能登は大本山祖院となった。能登半島地震後いまだ改修工事中。参道のカフェで“持寺珈琲ジェラート”を食す。コーヒー風味がよく立ち絶品だった。野田くんは出店のおばさんにカエル木魚を買ってと泣き落としにあっていた。北陸の方々はたくましい。
【那珂コメント】良い天気の中、海岸線の景色を堪能。途中にあったトトロそっくりの岩は看板も無く先を行く二人はスルーしてしまったが、もっと注目されてもいいのに、と思う。夜の御陣乗太鼓は30数年ぶりに見たが、やはり迫力がすごい。終了後に地元の子供が余興で(?)演じていたが、ちゃんと伝統が引き継がれているのを見せてくれて頼もしく感じた。

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トトロ

Photo, Click to Popup 3日目:4/30(月) 輪島→金剛崎→珠洲 (80km/666m) 晴れのち曇り、南西の風
 メンバ:野田、那珂、宮村、(合流)浦野
 (宮村記:2018/5/29)

 8時宿発。昼食調達を兼ね朝市へ。 けっこうな賑わい。魚介類、乾物、果物、漆器などお買い得名産品があふれていた。とあるパン屋さんの“塩辛パン”がすでに売り切れており宮村はちょっと心残りだった。 重蔵神社の前で、“のとキリシマツツジ”の鮮やかな赤い花を眺め、9時15分ぐらいに“白米千枚田”に向け249号に入った。
 9時55分ごろ“千枚田”に到着。同年代ローディーに挨拶されつつスパッと抜き去られるも、追い風で順調な走行だった。ここの棚田は海辺からの急斜面につくられているためか水田一枚一枚の幅が狭い。景色は絶好だが、通常の田植え・稲刈り機が使えないだろうから耕作の苦労を案じてしまう。10時20分出発。ここから禄剛﨑まで、外国人の男女一組・男二人組(一人は巨漢)・男一人旅(の組み合わせに見えた)との、我々の休憩中に彼らが抜き、彼らの休憩中に我々が抜く、でも時にはいっしょに迷う、微妙な距離感の道中だった。

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出発 | 朝市
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白米千枚田

 “御陣乗太鼓之地の碑”を通過し10時40分“輪島能登揚げ浜塩田”に到着。 職人さんらしき方が能登揚げ浜塩田による自然塩のつくり方を無料で丁寧に説明してくれた(昼ごろ立ち寄る“すず塩田村”の映像説明が有料だったのでここの講釈はお得だろう)。“海水撒き”も無料で見ることができた。体験もさせてもらえるらしい。我々への説明時“塩水撒き”を撮影できなかった野田くんは、その後、さっきの外国人たちが来て“塩水撒き”をリクエスト、「One」、「Two」、「Three」の掛け声に合わせ撒いたところを彼らの後ろからちゃっかり写真に収めたそうな。彼は古いがしっかり鋳造された大型塩水煮込み釜にも興味津々だった。塩といっしょに採れる“にがり”を舐めさせてもらえたがミネラルたっぷりそうな収斂味だった。宮村は“焼き塩”の小瓶を購入。11時5分ごろ塩田を出発。そのころからどんよりとした曇り空になった。

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職人さんの無料説明
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塩水撒き | 塩釜

 能登空港から来る浦野くんが通過するであろう“能登平家の里”に通じる曽々木T字交差点や“窓岩”を経た後、八世乃洞門新トンネルの旧道調査にハマってしまった。調査は新トンネルが722mと長いので始まった。対象は通行禁止かがよく分からない旧トンネルの“曽々木トンネル”と“八世乃洞門トンネル”。詳しく言うと“曽々木トンネル”に入ってはみたものの途中のゲートがほぼ閉じており、すぐ躊躇。ところが後ろからバイク外人男子たちが来たので、ゲートを抜けてもっと進むことに。すると前からの自転車ライトが次第に大きくなった。我々は通過できると勢いづいたが、すぐにそのライトが引き返して来たさっきのバイク外人男女のものと分かった。彼らは「クローズド」とか言って通り過ぎた。那珂くんと宮村は彼らといっしょに引き返し国際協力は終了。しかし、野田くんは戻らず日本人独自で次の“八世乃洞門トンネル”に入り閉鎖カ所まで行くなど周辺を探検したのであった。結局調査に30分ほど費やし11時50分ごろ新トンネル通過。出口の“垂水の滝”側で確かめると旧トンネルのゲートは閉鎖、南京錠が掛かっていた。後日ネット調べ:この辺りは2007年の能登半島地震で被災し、曽々木トンネルと八世乃洞門トンネルの間の道路が片道通行・夜間通行禁止となり2009年に新トンネルが開設された。旧トンネルは閉鎖されたが近隣の漁業関係者のために開けることがある。より海側には“能登親知らず”がある。八世和尚が手掛けた手掘りトンネルなどパワースポットあるも被災後未保全で危険。

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旧トンネル | 能登親知らず

 12時過ぎに“すず塩田村”に到着。近くに朝ドラ“まれ”のロケで使われた塩田あったが思ったよりこじんまりしていた。そのあとすぐ浦野くん合流。朝市で買ったお昼を食べ、直接珠洲へ向かう野田くんと別れ、13時過ぎに禄剛﨑・珠洲﨑・金剛﨑に向け出発。13時20分ごろ大谷川橋で、突然、鯉のぼりの大群と出会いしばし撮影。珠洲への分岐後に居るゴジラ岩への期待も高まる。ところが彼は高さ 2mにも満たない岩塊だった。育たず荒波に削られ消滅するかも。

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まれ塩田 | 鯉のぼり

 椿崎展望台で小休止し14時25分ごろ禄剛埼灯台への遊歩道に通じる“道の駅狼煙”に到着。10分弱歩道を登ると灯台。日本で唯一「菊の御紋章」がある灯台らしい。周囲すべて日本海でその向こうに大陸があるからか上海1598km、釜山783km、ウラジオストック772km、東京302kmと記述した方向案内板あり。晴れていると佐渡、北アルプスを見渡せるらしい。この日は残念ながら雲が垂れ込み何も見えず。15時道の駅出発。珠洲﨑に15時15分着。先端あたりに最近できたような“空中展望台”、“青の洞窟”という洞窟、“金剛﨑”あるも入場料¥1500に納得感出ず。我々三人は入場ゲートまでの絶景で十分だった。

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灯台

 珠洲﨑を15時35分出発。そのあたりからだんだん向かい風に。ひたすら走り16時30分“道の駅すずなり”着。廃線になった能登線すず駅のホームが保存されている。15分ほど休憩し“見附島”方面へ。珠洲﨑を回って入った飯田湾の海岸は、半島の反対側で見られたプラスチックタンクや網類などのおびただしい漂着物がなくなり昔ながらの面もちだった。17時過ぎ“見附島”着。この島は能登のこれまでの火山性の岩肌と違い妙に白いと思ったが、珪藻の堆積岩とのこと。5分ほど休憩し今日の宿“恋路屋”さん探しを開始。17時半ごろ二階の窓から手を振る野田くんを発見。後半、向かい風の中、先頭を引いてくれた浦野くん那珂くんありがとう。

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見附島

 宿泊:恋路屋

 夕食では大きなエビフライ、刺身など魚介を堪能。エビアレルギーの野田くんは昨日につづき若干かわいそうだった。


Photo, Click to Popup 【浦野コメント】*合流まで*羽田での機材調達が遅れたため、のと里山空港には30分遅れで着陸。11時のスタート時に、今朝輪島を出発したはずの本隊に電話すると千枚田を見学中との返事。空港から輪島には向かわず曽々木海岸から本隊を追いかけるつもりの自分とは約1時間の行程差か? 能登半島先端の禄剛崎までに追いつければ御の字と見込んで走り出す。曽々木海岸に出たのが12:10。以後、本隊が休憩していそうな場所をチェックしながら海岸を進むと、すず塩田村という小さな道の駅で見慣れた野田の自転車を発見。12:30に無事本隊と合流した。(右地図は、浦野走行コース。)
【那珂コメント】朝市を見物。輪島塗の店を覗いてみたら、上の方に大きな器が展示されていて、値札を見たら1000万円やら2000万円やらと書かれていてびっくり。ホントに売り物か?今日も良い天気。塩田の説明にフムフムと聞き入る。
【野田コメント】この日は、3年前のNHK朝ドラだった「まれ」のロケ地巡りとのとキリシマツツジが印象的だった。輪島の朝市には展示ショップがあり、珠洲へ向かう途中にはオープニングに使用された白米千枚田、ロケ地の揚げ浜塩田などが。その後、禄剛崎までは強烈な西風で超追い風だが、能登半島先端を廻ると西へ向かうので超向かい風になるので、自分は珠洲市内までショートカットするルートを選択したのだが、のとキリシマツツジがちょうど見ごろであり、その場所がショートカットした峠付近に多いことを知り、花めぐりを楽しむことができた。

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まれ展示 | のとキリシマツツジ

Photo, Click to Popup 4日目:5/1(火) 珠洲→恋路海岸→和倉温泉 (92.5km/770m) 晴れ
 メンバ:野田、那珂、宮村、浦野
 (浦野記:2018/5/11)

 ツアー前にネットで恋路屋の場所を確認した時、近くの「のトロ」という意味不明の記載が気になっていた。早朝に宿のそばにある恋路駅に行ってみると、その正体が判明。廃止されたのと鉄道能登線の線路が約300m再敷設されており、足漕ぎトロッコ「のトロ」が体験できるようになっていた。案内板によると乗車希望者は自ら管理人の携帯に電話して、その都度管理人がやってくるシステムのようだ(ちなみに2013年度グッドデザイン賞受賞作品です)。続いて海岸に出てみると恋路海岸の名前の由来になった鈴乃/助三郎像があり(悲恋物語自体はよくあるパターン)、その脇の説明版には何やら見慣れた羊ヶ丘のクラーク像の写真が。なぜにここにクラーク像の写真が?と説明版を読んでみると、鈴乃/助三郎像の作者が恋路出身の坂担道(サカ タンドウ)いう彫刻家で、羊ヶ丘クラーク像の作者でもあるとのこと。作者について「羊ヶ丘クラーク像を作った人物」と紹介するあたり、クラーク像も全国区という証明か?

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クラーク像写真

 午前8時に宿を出発。今回のツアーは野田の方針で可能な限り海岸線をたどるというのがコンセプト。必然的にしょっちゅう県道からも脇に逸れることになる。赤崎海岸、四季折々の唱歌を奏でるふる里きりこ橋、千畳敷といったマイナー観光地(と言っては失礼か?)に立ち寄りつつ、九十九湾の景色を堪能する。能登町にはギネス登録もされたという世界一の縄文土器があるというので寄ってみる。確かに縄の文様が刻まれた高さ4.5mの土器ではあるのだが・・・。こんなに大きな土器が縄文時代に作られたはずもなく、町民総出で作成された能登町のシンボル的存在のようだ。鵜川からは海岸を離れ国道249号で曽山峠方面へ。午前中ノンビリしたため曽山峠を出発した時には昼になっていたが穴水までは食堂はありそうもない。
 12:50穴水駅着。駅前イタリアンレストランのランチセットで昼食。後で聞いたところでは宮村さんと野田のパスタは美味だったようだが那珂のパスタは塩が効きすぎていたそうな。彼は昨年も「残念なラーメン」に当たっており、麺類には縁がないのかもしれない。

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恋路屋出発 | 土器ギネス

 14:00穴水駅を出発してすぐの真和園・能登大仏に立ち寄る(これまたマイナー)。30分ほど大仏と三重塔を見学した後、トップの野田に続いて海岸まで下る。西に傾きつつある太陽に映し出される自分の影が進行方向左側にできているので南下しているのは間違いないのだが、左手に現れるはずの海がなぜか右手に現れた。野田も同じ疑問を抱いたようで二人でなんか変だなと話していると、地元のおじさんが両手でバッテンサインを送ってくれている。「どこ行くの?この先は行き止まりだよ」。どうやら真和園を出たところで逆方向へ下ってしまったようだ。登り返しで4km20分のタイムロスとなったが、まあそれもご愛敬。海中に建つボラ待ち櫓(櫓のうえで、ひたすらボラの魚群が来るのを待つというのんびりした漁法)を見学しつつさらに南下すると、遠くに能登島へ渡るツインブリッジのとが見えてきた。橋の手前の展望台に立ち寄った後、能登島へ。この時点で16時近かったため能登島は最短ルートで能登島大橋へ直行する。能登島大橋(1,050m)は先ほど渡ったツインブリッジのとと共に、高所恐怖症の宮村さんにはやや酷なコースだったかもしれない。

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能登大仏 | ボラ待ち櫓
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ツインブリッジのと | 能登島大橋

 宿泊:ホテルアルファーワン能登和倉
 ホテルには16:20にチェックイン。まずは自転車で数分の総湯で汗を流す(立派な温泉でした)。総湯の近くには顧客満足度No.1の常連で、仲居さんが列をなしてお辞儀しているパンフレット写真が有名な加賀屋がある。件の写真では純和風旅館というイメージだが、実際は複数の館を有する巨大ホテルという佇まいだ。あるいは玄関まで行けば和風旅館のイメージなのかもしれないが・・・。入浴後一旦ホテルへ戻ったところで朝食の相談。翌日は長距離のためなるべく早く出発すべく素泊まり予定だったが、訊けば6:15からのビュッフェが500円とのこと(通常無料だが特別期間のみ有料)。時間、お値段共にお値打ちと判断し朝食券を購入。

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総湯

 夕食は野田が予約した近くの居酒屋八剣伝へ。と、ここで宮村さんが予てから楽しみにしていたという七尾市出身の辻口博啓(ツジグチヒロノブ。有名なパティシエらしい)が主催するお菓子美術館がまだ間に合うので行って来ると宣言。那珂と浦野も同調するが、辛党の野田は一足先に八剣伝へ。七尾湾に面する辻口博啓美術館は入館無料でカフェを併設している。というよりカフェの待ち時間に美術館へどうぞというコンセプトか。美術館自体は1部屋だけのこじんまりしたもので、ショコラから削り出したカタツムリや飴細工の花束などが目をひいた。昼間は混雑するであろうカフェもさすがに閉店間際は人影もまばらでゆっくり品定めできた。夫々お気に入りのケーキを購入し、宮村さんは土産用焼き菓子も併せてお買い上げ。遅れて野田に合流し海の幸を中心に夕食を済ませた後、3人は那珂の部屋でデザートタイムとしゃれこんだ。

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ショコラかたつむり | 八剣伝夕食

 以下は余談だが、浦野は3~5月末まで臨床検査ボランティア(内蔵脂肪減少サプリの評価)に参加している関係で、1日2回の錠剤摂取(プラセボ(偽薬)の可能性あり)、三食の内容記録、22時以後の飲食禁止、夕食後のデザート禁止、間食は200kcal/日まで、アルコールはビール換算で500mL/日まで、普段と異なる運動や生活習慣は極力避ける等々、様々な制約を課せられている中でのツアー参加だった。「1週間サイクリングした」、「夕食で白米5杯半食べた」、「デザートにケーキをいただいた」等々申告するわけにもいかず、データサンプルとしては不正確になってしまうがGW分は若干(?)過少申告したところ、すかさず「普段飲まないビールを毎日飲まれたのはGWのためだと思いますが、以後気を付けてください」とのメールが届いた。


【宮村コメント】かなり高所の“ツインブリッジのと”と“能登島大橋”を渡ることができた自分をほめてあげたい。和倉温泉の共同温泉“総湯”は、お湯はもちろんのこと、広い、明るい、立派。日本はもとより世界的に著名なパティシエ、辻口博啓氏の美術館を訪問できる時間があって良かった。久しぶりにフワフワなスポンジケーキを食せた。
【野田コメント】この日の一番は、世界最大の縄文土器でした。高さ4.5m重さ5トンもあり、こんなのが見つかったのか、と一瞬びっくりしましたが、すぐにあり得ないと思い、案内を見たら、町おこしで30年前に作ったパチもんでしたが、ギネスブックに載っているとのこと。石川県人はギネス好きみたい。
【那珂コメント】夕べ泊まった恋路海岸。もしかして30数年前と同じ宿かも、と思いつつも、決め手となる記憶が蘇ってこない。当時は電車が走っていた恋路駅は、観光用のトロッコ列車駅となっていた。


Photo, Click to Popup 5日目:5/2(水) 和倉温泉→黒部  (108km/460m) 曇り、西の風
 メンバ:野田、那珂、浦野、(離脱)宮村、(合流)小澤
 (野田記:2018/7/7)

 今日は、今回の最長距離を走らなければならない。七尾の峠を越えればアップダウンはほとんどないが、午後からの雨予報が気になるので、7時にはホテルを出る。和倉に住んでいる潤の姉=僕の妹の医院兼自宅にちょっとだけ立ち寄るも、時間がもったいないので妹には会わず、4人で写真だけ撮って、七尾湾から富山湾に抜ける峠へ。この峠はちょうど10年前、HUCC50周年記念リレーランで、あの野崎さんと一緒に走ったのでよく覚えていた。その時と同じく、車が多く結構きつい勾配の坂だったが、当時を思い浮かべながらゆっくり上る。
 富山湾に出ると、寒ブリで有名な氷見(ひみ)までひたすら海岸線を南下する。先行の3人は止まらずに行ってしまったが、10年前も寄った大境洞窟住居跡へ行く。ここは縄文時代にできた海蝕洞であり、日本で最初に発掘調査が行われた洞窟遺跡だ。手前にある白山社をお参りして、洞窟内にある祠廻りを1周する。


 次の見どころは氷見の手前にある阿尾城址だ。特に何もなかったが、上に登ると、曇りで諦めていた立山連峰が遠くに見えて良かった。しかし、氷見を過ぎたあたりの雨晴(あめはらし)海岸沿いの道で、後輪がパンク。突然バシューと言って一気に空気が抜けたので、バーストかと思ったが、チューブのタイヤ側に大きな穴が開いていた。金属片が刺さったような跡だったが、タイヤには異常がないので、そのままチューブ交換。今回の目標だったノーテンノーパンは途切れてしまったが、3年前と1年前のように下りカーブでのパンクじゃなかったので、転倒せずに済んだのは、運が向いてきたのかもしれない。神社参りのおかげかも。


 富山最大の商業港である伏木港付近で、高岡から新幹線で帰る宮村さんと別れる。昨年は宮村さんが合流する前に転倒骨折で会えず、2年前は足湯の転倒健断裂で病院まで付き添ってくれた宮村さんでしたが、今回は無事に5日間を共にできて良かった。
 お昼はいつも先に行ってしまう浦野が珍しく食堂の前で待っていたので、そこで名物の海鮮丼やまぐろ漬け丼を頂く。うまかったので正解でした。その先の公園に行くと引退した海王丸が停泊しており、帆は張っていなかったが、それでも雄大であった。

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海王丸と新湊大橋

 ここから運河を越える橋を通る予定だったが、自動車専用道のため通れず。しかし、「あいの風プロムナード」というエレベーターで地上47mにある橋桁まで上がって渡れる道があることがわかり、関門トンネルのようにエレベーターにチャリを乗せる。橋桁の直下にある歩道は約500mもあるが、チャリは押して通らなければならない。ほとんど誰も歩いてないので、乗ろうと思ったが、丸型の監視カメラが異常と思えるほどいくつもセットされており、乗ったら絶対放送で怒られると思い、止めた(あとで調べたら20m間隔であり25個もあった計算)。全くお役人のすることは意味不明である。

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あいの風プロムナード

 結局、丸い富山湾を西から七尾市、氷見市、高岡市、射水(いずみ)市、富山市、滑川(なめりかわ)市、魚津市を経由して黒部市まで7時間ほどかけて海岸線を走破して、宿にはちょうど16時に着く。と同時に雨が降り出してきた。ここから合流する小澤氏もほぼ同時に到着。彼は、東京から白馬まで鉄道移動してから糸魚川経由で来たらしい。俺とは違いザックだけの軽装備だ。

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立山連峰

 宿泊:ファミリーロッジ旅籠屋黒部店

 周りは田んぼしかないので、タクシーで黒部の街に出て、なぜか青森料理の店へ。八戸名物のせんべい汁で締めて、4人で寝場所争奪じゃんけん対決をすることに。実は、今日の宿はベッドが3つしかないので、二つをくっつけて、そこに3人が寝ることにしたのだ。よって一人でゆったり寝られるのは1名のみ。優劣に価格差をつけてかつ入札制度にして、かぶったらじゃんけんで決めることにした。結局じゃんけんに買った自分が500円を余計に払ってゆったりベッドを獲得し、確か浦野が負けてくっつけベッドの真ん中で寝ることに。おかげさまでよく寝れました。でも、和倉のホテルの冷蔵庫に輪島で買ったタコ煮のお土産を忘れたのに気づき、電話してクール宅急便で送ってもらおうとしたけど、フロントの人から、衛生上の問題で廃棄したと言われ、とてもショックでした…。

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じゃんけん対決

【宮村コメント】那珂くん、七尾大泊あたりで、藤の花が咲くこんもりとした林を指さし「あの巣をつくっている大きな鳥は何ですか?」と訊かれましたね。あの時わかりませんでしたが、首をS字にたたみ飛んでいた記憶があり、写真を見ると頭のあたりが黒いのでアオサギとの見解にします。このあたりアオサギの糞害も多いようですし。ちなみにコウノトリとかトキはツルと同様首を伸ばして飛ぶとのこと。/阿尾城址あたりから海の向こうの雲間に時々北アルプスが陽光で浮かび上がり、幻想的で綺麗だった。ほんとはもう少し長く雨晴海岸とかで景色をながめていたかった。野田くん北陸ツアー計画ありがとう。那珂くん浦野くんごいっしょできて楽しかったです。次回はGくんも。
【浦野コメント】宮村さん離脱直後にトップの浦野が立ち停まった射水市の海鮮丼屋さん。ヅケ丼大盛600円とお値打ちで大満足。野田隊長から「浦野にしてはセンス良かった」とお褒めいただきました。/旅籠屋黒部店での4人にベッド3台事件(?)。後から冷静に考えるとやはりドラフト制(第一指名で重複しない場合は指名権獲得=即決定)にするのが妥当だったと気づいたものの時すでに遅かった。
【那珂コメント】海王丸の少し手前で入った「きときと食堂」のまかないづけ丼はコスパすぐれもの。港をまたぐ「新湊大橋」はエレベータ使用の新鮮な体験。富山県に入る直前の大泊町、林の上に大きな鳥が舞っているので、かつて理科クラブの鳥専攻(?)という宮村さんに何の鳥か尋ねてみたところ、小型の鳥が専門(でしたっけ?)ということでその場では不明ということに。(本件、宮村さんのコメント欄でアオサギとのご回答を頂きました。ご丁寧にありがとうございました。)


Photo, Click to Popup 6日目:5/3(木) 黒部→糸魚川→直江津  (91km/560m) 雨のち曇り
 メンバ:野田、那珂、浦野、小澤、(合流)DAZ、アコ、野田潤
 (小澤記:2018/5/13)

*おっさんの朝
 5:00頃お目覚め。外は小雨。もう若くはない、なんて言わないでください。昔から早起きです。6:00野田さんがいない。廊下に出てみたら、皆さんの記憶に刻まれた、ほのかな香りがする。何してたか、わかりますよね。7:00朝食。5種類のパン、コーヒーとオレンジジュース。足りるのかなぁ、と恐る恐る遠慮がちに皿に取ったら、すかさず係のお姉さんが補充。とっても美味しかったのですけど、ロールパンの中のマーガリンは、どうやって注入したのでしょうか?

*嵐に耐えて難所へ
 8:00出発 雨。春雨だ、濡れて行こう。浦野さんと那珂さんは雨合羽、野田さんはポンチョにサンダル、私は、長袖レーサーシャツに現役時代から使ってる青いウィンドブレーカー。県道314、県道150黒部川渡り、県道110などで国道8号を回避して朝日町へ。雨にもかかわらず、順調に進む。だんだん雨が強くなる。9:20道下交差点コンビニ(ファミマ)で大休憩約20分(+16km)。止まると寒いっす。寒さで震えつつ、トイレ休憩など。
 海岸沿い県道60号て、城山トンネルを回避。10:10道の駅「越後市振の関」ドライブイン大休憩、大雨(+9km)。缶コーヒーなどで、体を温める。外のベンチに、背中に「のせて」と書いた紙を貼った青年がいる。野田さん「剥がれてますよ」。10:30出発。「のせて」青年は向い風方向、我々は追い風に乗って親不知へと向かう。ゆるゆると坂を登って、天険トンネルを左入り、自動車と原付通行禁止の脇道に入る。
 10:50親不知、国道トンネルを避けて、コミュニティロード、階段を下り旧道トンネル跡へ(+4km)。明治11年天皇が自ら歩いたという「北陸最大の難所」を体感した。看板を読んで、歴史の勉強。

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雨の出発 | 親知らずレンガトンネル

*大合流からハードに
 徐々に小雨へ。国道8号で、糸魚川駅に向かう。12:00糸魚川駅、曇り(+18km)。ダズ、アコと合流、居酒屋定食屋で昼飯。刺身、ミニヒレカツ、モズクなどセットで1000¥、ヒラメが三人分しか無く後三人は別の刺身だったが、おいしくコスパ良しの印象。チューハイ用のジョッキで飲む冷たいお水も美味しかったです。満腹後、潤と合流。

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大合流@糸魚川

 13:00出発。小雨→曇り、超追い風。海側の県道の後、国道沿いのサイクリング道路で、直江津に向かう。ダズ、アコ、速いよ!

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快適サイクル道 | 直江津日本海

 14:10白山神社(+15km)。1515年建立の由緒ある神社でお参り。交通安全はバッチリです。
 15:00筒石駅地下駅見学(えちごトキめき鉄道)(+8km)。激坂800m登り、最後の100m下り。ホームの海抜は66m。入場料入坑証明書140¥を買って入場。鉄オタっぽい学生風四人有り。改札からホームへ、高低差40m、約200段の階段を降りて、下りのホームへ。残念ながら、見学中に電車は来ませんでした。とりあえず、私の大声で爪痕を残した。
 15:30出発。16:30直江津の宿到着(+21km)。

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筒石駅に降りるところ

 宿泊:附船屋

 宿では、恒例の洗濯、シューズに古新聞を入れた後、家庭的なお風呂に入る。カランが二つなので、男性陣はシャワー、カラン、湯船と、チームワークで効率的に交代して疲れを癒やした。晩飯は、すぐ近くの魚料理「かさはら」。刺身、天ぷら、ビール、そして新潟の日本酒。足りずに、二件目の居酒屋でラーメンを食べて、カロリー補填。おやすいみん。
 本日の成果は91km。獲得標高500mくらいかな? 北陸最大の難所親不知、緩やかなアップダウンの連続と、筒石駅クライムで。


【浦野コメント】雨の中、日本海の難所・親不知が印象的。午後は「超」のつく追い風。夕方、コンビニ休憩からの出発時、一瞬だけ向い風を体感した際、自分の幸運に大感謝。
【野田コメント】上がると信じていたが、まだ雨が降っていた。でも、強烈な西風で北東へ向かう今日はずっと追い風だ。北陸最大の難所である断崖絶壁の親不知は土砂降りの雨。那珂が言っていたように、こういう場所は雨が残りやすいのだ。新道のトンネル手前に旧道の分岐があり、車は通れないがチャリは通れる。ちょっと行くとレンガトンネルの表示があったが、先行の浦野と小澤がいない。でも那珂と二人で階段を下りていくと、レトロなトンネルが現れる。明治天皇に険しい山道を歩かせてしまった後悔から地元民が開いた道らしい。ちゃんと整備されており、懐中電灯も置いてあったが、トンネルの先まで歩くと1時間ぐらい過ぎてしまうので諦めた。親不知を過ぎると雨は止み、3人が合流した糸魚川から直江津までは交通量の多い国道8号線を覚悟していたが、旧鉄道のサイクリングロードが完璧に整備されていたので、アップダウンの少ない道を、超追い風の中、めちゃ快適に進むことができた。地下40mまで階段で下る筒石駅も必見。
【那珂コメント】夕べからの雨は止まず、親不知の悲壮さがいっそう増す。でも強烈な風が味方となってくれたのは何よりもの幸い。(帰宅後、地下の筒石駅のことを娘に話したら「地下鉄とは違うの?」と。返す言葉が見当たらず。)
【DAZコメント】今日から合流する僕らは、朝イチで新幹線にのって糸魚川でお昼ごろ合流と計画していたものの、数日前まで5月3日は荒天の予報となっていて、宿直行の夕方合流も考えたりしていた。当日朝になって予定通り糸魚川合流と決めたのだが、結局雨にも当たらず、国道8号沿いに快適な自転車道もあり、しかも激追い風、途中には筒石駅という見どころもあって、やっぱり今日一緒に走って良かったなぁ~と思った。


Photo, Click to Popup 7日目:5/4(金) 直江津=新潟→新潟港=佐渡島:両津港→佐和田温泉  (29km/80m)  雨のち曇り
 メンバ:野田、那珂、浦野、小澤、DAZ、アコ、野田潤
 (DAZ記:2018/8/15)

 昨夜、夕食で外に出かけるときに宿のご主人が、「明日は風が強くて佐渡汽船が欠航するかもしれない」というようなことを言っていた。そのときは「まさかそんなことは」と思ってすぐ忘れてしまったのだが、今朝6時頃起きてテレビをつけたところ、直江津~小木間の朝イチのフェリーが欠航という字幕が出ていてびっくり。僕らが乗る予定の9:30発の便は、まだどうなるか未定、ということだった。
 というわけでにわかに慌ただしくなり、野田さんは欠航になった場合の善後策を考え始める。佐渡汽船に問い合わせたところ、直江津便が欠航になった場合、新潟発の便に予約変更が出来るとのこと。新潟発の便で両津港に渡る場合、両津港から宿までの走行も考慮すると、新潟12:35発⇒両津15:05着の便が適当かと考えられ、今度は直江津⇒新潟の輪行について検討が始まる。というところで朝食の時間となり、食事しながらも野田さん、小澤さん、那珂さんらが情報収集に追われる。食事中に、僕らが乗る予定だった直江津発の便の欠航が決定し、新潟への輪行については直江津7:41発⇒新潟9:28着の特急しらゆき1号に乗ることになった。当初予定より宿出発時刻はだいぶ早まることになったが、宿がJR直江津駅の目の前だったので良かった。

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宿出発 | 直江津駅

 GWなので特急が混んでいるかもしれない、と考えた野田さんは、朝食後すぐに「しらゆき1号の指定席7人分を駅で買ってくるように」とダズに指示し、全員分の席を確保。(運賃2268円+指定席2550円)「切符を全員分買いましたよ」と皆さんに伝えたつもりだったが、小澤さんにだけ伝わってなかった。
 雨の中それぞれ直江津駅に向かい、自転車を分解する。浦野さんは、駅に雨をしのげるスペースが無いかもしれない、と考えて宿の正面(アーケードの屋根がある)で作業を行ってから荷物を担いで駅に移動。イチ早く駅に移動して作業を終えていた小澤さんは、独自に指定席券を購入したのだが、また払い戻しするはめになったうえ、野田さんから「一人だけ先に買うなんてあかんわ~」とダメ出しを食らうことになってしまい、連絡不備でスミマセンでした。
 さて特急しらゆきに乗り込む。車内の混雑を想定し2両に分かれて指定をとったのだが、乗ってみるとガラガラで、結局は全員で自由席のボックス二つを余裕で確保しておやつを食べたり地図を見たりしながら今日の予定をワイワイと話し、ゆったりと新潟まで輪行できた。佐渡での予定は見直しとなり、今日はトキの森公園を見学して宿へ向かうことでほぼ確定したが、直江津フェリーが欠航しなければ小木港近くで今日寄れるはずだった「たらい舟」を明日のコースに取り入れたいというアコに、浦野さんは明日たらい舟別働隊を作って行け行けとあおるのだが、金山見学とたらい舟を両方入れようとすると相当なハードコースになるし、どうするかここでは結論出ず。

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電車内 | 新潟駅

 新潟駅に到着後、フェリーの出航まで3時間ほどあるので、新潟市歴史博物館の見学と昼食など、という予定で走りだす。その道中にて金刀比羅神社にも少々立ち寄った。国の重要有形民俗文化財に指定されている「北前船の模型」が保存されていて、これは江戸から明治期の船主や船問屋などが海上の安全を祈願して奉納したものだそうだ。見学は要予約なので見られなかったが、我々も旅の安全を祈願する。
 新潟市歴史博物館に向かう。フェリーターミナルに近いから、という理由でここの見学になったように思ったが、明治時代の旧市庁舎を模した本館や周囲には歴史的な建物もあるし、展示も予想外に見ごたえのあるもので、ミュージアムシアターで新潟のまちの成り立ちを学んだ後もじっくりと展示を見学していたら時間を忘れてしまった。

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金刀比羅神社 | 歴史博物館

 野田さんから11:40に「先にフェリー乗り場に行って受付しています」とのメールを受信するも気づかず、12時ころようやく慌てて出発。信濃川の橋を渡ってからちょっと行き過ぎてしまって、卸売市場から引き返して、ということで12:10ころターミナル着。車の乗船が既に始まっていたので、我々自転車はその後、ということになったが、係員の方のプレハブ詰所内で待たせてくれるし、案内も丁寧で、船内での自転車収納も手慣れていて感心した。佐渡では自転車のイベントも行われているせいか、自転車客を大事にしてくれている感じが伝わってくる。

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フェリー乗込 | フェリー内

 博物館見学で時間を食って昼食がまだだったので、乗船したらそのままスナックコーナーへ直行。佐渡牛炙りバーガー、岩のりラーメン、カツカレー、たれカツ丼などそれぞれ好みで注文し、食後にコーヒーや佐渡牛乳ソフトを楽しんだあともスナックの一角に居座った。二等船室はすでに多くの乗客が寝そべっていて隙間がほとんど見当たらないこともあって、結局佐渡到着までこの一角に陣取ることになった。

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スナックコーナー

 船中では、カモメにかっぱえびせんを差し出して食べてもらうのを眺めたり、居眠りしたりで2時間半あまりを過ごす。けっこう揺れたけど、わりと皆さん平気だったようだ。
 佐渡島が近付くと雨が降り出してきたようなので、下船前にカッパを着こむ人も。15:10下船すると本降りの雨だったので、とりあえず屋根のある通路まで急いで、そこで雨具その他の身支度をしてから出発。走り出したらやがて雨は小降りになったが、山の上の方はまだ雪が多く残っているのが見えて、本州よりだいぶ寒い!

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佐渡島

 トキの森公園にむかう。田舎道で車も少ないので走りやすく、16時ころ公園到着。まずは資料展示館でいろいろ知識を学んでから観察回廊、飼育ケージと進み、本物のトキを10数メートルくらいの距離で見る。しばらく待っていると、ときどき羽を拡げて薄い朱色の姿を見せてくれたり、鳴き声を聞かせてくれたりして、じっくり観察することが出来た。そこから先へ進むと別棟の「トキふれあいプラザ」というのが有って、17時の閉館間近だが入ることができた。ここでは人間のいる観察室内が暗くしてあって、ガラス越しにはトキがゆっくり飛べるほどの大きな飼育ケージがあり、トキからは人間の姿が見えないのでストレスを与えることなく観察できる。二階の観察室からは望遠鏡を介して、巣でヒナに餌を与える姿が見えるし、一階ではガラスの直近に水辺があってドジョウを捕るトキの姿を間近で見ることが出来る。一階は特に、カメラを手にした大勢のお客さんがトキとともに大移動して撮影に熱中し、かなりの混雑ぶりだった。我々も充分に満喫してトキ観光を楽しんだ。

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トキの森公園

 17時過ぎに出発、雨は止んだが強い横風を受けながら国道を進む。交通量は多くないので走れるが、途中潤子さんの転倒も有った。野田さんのナビを頼りに進み、17:40どうにか明るいうちに宿に到着。

 宿泊:かね長旅館
 さっそくお風呂で温まってから18:40夕食。なんといっても大きなズワイガニが一匹ずつついているのが目を引く。カニを食べ慣れていない人(筆者を含む)は、一番カニを食べ慣れている(らしい)野田さんから上手な食べ方を伝授してもらって細い脚まできれいに食べた。他にも地元で取れたお刺身や焼き魚などどれも美味しかったのだが、もう一つ特筆すべきは佐渡産米のご飯がとても美味しい、ということだ。とても美味しくて5杯も食べた浦野さんを筆頭に皆たくさんおかわりし、多めに炊いてもらっていたご飯でも足りなくなって宿のご家族用ご飯までもらうことに、、、。

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ズワイガニ | ご飯おかわり

 ところでカニを食べるには時間が掛かるものだが、なかでもゆっくりと食べていた潤子さんは20:40になってようやくカニを終えて、おもむろに鍋に点火した。というところで宿の方が「そろそろかな」と片づけに来てしまったが、まだまだゆっくりと食事を楽しんで、本日は終了。

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ゆっくりと夕食

【浦野コメント】いみじくも事前に野田が「欠航にならない限り、フェリーの心配はありません」と書いていたフェリーがよもやの欠航。野田隊長、臨機応変な対応お疲れ様でした。
【野田コメント】しかし、この強風がフェリーも止めてしまうとは…。直江津から佐渡へ渡る高速フェリーは風に弱いらしく、昨日からずっと欠航だったのを朝に知り、愕然。フェリー会社にいろいろ聞いていると、新潟からのフェリーは風に強いので普通に運行しているとのこと。急遽、直江津から新潟まで輪行することにして、何とか佐渡へ渡れたので、お金はかかったけど、よかった。
【那珂コメント】輪行で新潟行きまでは良かったが、フェリーの時間を甘く見ていたのは反省。焦って道を間違えるし、先に乗り場に行ってくれていた野田に感謝。佐渡島では初めての朱鷺を鑑賞。


Photo, Click to Popup 8日目:5/5(土) 佐渡島:佐和田温泉→スカイライン→両津  (64km/1320m)  曇り時々晴れ
 メンバ:野田、那珂、浦野、DAZ、アコ、野田潤、(離脱)小澤
 (潤子記:2018/12/14)

【NJは見た!Season3 5月5日発生事件簿ベストテン!!】
(注)相も変わらず、一部記憶の曖昧さを埋めるため、想像による脚色がありますことをお許しください。なお、順位は時系列であり、事件の大きさではありません。

*第10位 女将の挑戦状
 夜中、閉じた瞼の向こうに一瞬の光を感じる。少し間をおいて響く雷鳴。夢うつつの中、朝には晴れていることを願う。
 6:00起床。風は強いものの、まずまずの天気だ。
 7:00朝ごはん会場へ。いつにも増して、皆の関心は炊飯器に集中する。実は昨夜、佐渡のもちもちご飯のおいしさに皆感動し、おかわりをしまくったのだ。もちろん、炊飯器はすぐ空っぽに。即座にお代わりを注文。新たな炊飯器が来る。しかし、それもあっという間に空っぽに。さらなる注文に客用のご飯は底を尽きたのか、出てきたご飯は実に残念な食感。うーん、硬い・・・。中年男女の恐るべし食欲に、今朝は最初から炊飯器が2台準備されている。
 「・・・女将からの挑戦状だ!」
 誰もが思った。そして、心の中で叫んだ。「受けてたつ!」
 トップは小澤氏。女将のプレッシャーから、無理やりの4杯。昨夜は5杯を完食した浦野氏、その5杯がひびいたか3.5杯にとどまる。ダズ氏とアコ氏も夫婦仲良く3.5杯。那珂氏、野田兄、NJは3杯。計23.5杯を完食。途中、女将が他の客用に2人分取りに来た。
 「勝った!」清々しい気持ちで、朝ごはん会場をあとにした。

*第9位 おしゃれ女将
 恒例の朝の出発写真。女将を誘うと、「そんなつもりなかったわ。あら、どうしましょう・・・」と言いながら玄関奥の姿見の前に行き、髪を整え始める。
 「あらー、困ったわ。こんな顔でどうしましょう・・・」と恥ずかしがる女将に、NJはすかさず一言言う。「おきれいですよ。」二十歳の乙女のようにニコッと笑う女将。
 カメラの前でも遠慮がちに後ろの方に立つ女将を、皆で前に誘う。なんとも、人のよさがにじみ出る女将であった。

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出発写真

*第8位 朱鷺色
 8:30宿出発。海岸線の強風を避け、街中の道を走る。質場で今日帰る小澤氏と別れる。中山トンネルを通って、佐渡金山、スカイライン経由で両津港に向かうらしい。さっそうと上り坂に向かう小澤氏を見送った後、一行は七浦海岸を目指す。のどかな田んぼの風景を左側に見つつ、緩やかな坂を上る。
 すると、突然田んぼから2羽の鳥が飛び立つ。NJの前を走っていた浦野氏が叫ぶ。
 「トキ!!」
 大きな羽を広げて飛ぶトキを下から見上げる一行。まさに朱鷺色の薄いピンクがかった羽が、本当に美しい。しかも、そのうちの一羽が下の方の田んぼに下りてきたではないか。
 「トキ、トキ、トキ」とつぶやきながら、我らも方向転換してゆるゆると坂を下る。トキまでの距離50m。撮影会が始まった。
 被写体トキ様は、素知らぬ顔で田んぼをつつき、朝ごはんのご様子。皆、夢中で撮りまくる。しばらくすると、車が2台上がってきた。そのまま通り過ぎてしまうかと思いきや、やはり田んぼに向かいカメラやスマホをかざすこの異様な光景に、ただ事ならぬ気配を感じたのだろう。20mほど先に停車すると、小学生くらいの息子と父親がカメラ片手に降りてきた。NJは、心の中でつぶやく。私たちのお陰だよ~。
 野生のトキに巡り合えた奇跡と我らの運の強さに感動するも、別れた直後でトキを見逃した小澤氏に心を痛める。しかし、同時に優越感にひたってしまう一行であった。

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野生トキ

*第7位 まさかの!
 二見の古い町並みの一角で、遅れをとった野田兄を待つ。突然の自転車軍団来訪に、興奮しまくり激しく吠える白犬1匹。長い鎖を生かして突進するも、その距離20mは縮まらない。諦めたのか、家の陰に隠れてしまった。すると、遠くで「グヮーッ、グヮーッ」と声がした。
 突然、アコ氏が叫ぶ。「トキ!!」
 指さす方を見上げる。立ち並ぶ黒い板壁と屋根の隙間から見える空の向こうに、白い鳥が飛んでいくのがかすかに見えた。興奮しまくる一行。すごくない?野生のトキを二度も見るなんて。遅れをとった野田兄の、自覚のない貢献に感謝する一行であった。

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二見の町並み

*第6位 木枯らし紋次郎
 長手岬に向かう一行。美しい緑色の浸食した岩々と青い海を左に見ながら、坂を下る。埠頭っぽい所に出るも、道らしい道がなくなった。どうやら間違えたらしい。右手の坂の途中には古い家。その前で、おじさんらしき人が座って作業をしている。家の前まで行っておじさんに道を聞くも、どこかに出るだろうとの冷たいお言葉。と、そこへ埠頭のコンクリートの陰からおじいさんがひょっこり出てきた。その片手にはストック、そして口からは何やら長いものが出ている。NJには、どう見ても枯れた草にしか見えなかった。どうにも我慢できなくなったNJ。目の前を通り過ぎる紋次郎に話しかけてしまった。
 「何でくわえているんですか?」
 一瞬固まる紋次郎。そして、ゆっくりと右手で草を取ると、すかさずニィーっと笑った。その口元からは、虫歯がキラリンと光る。NJもつられて、にっこり笑う。しかし、紋次郎は無言のまま歩き始めた。ストックを杖代わりにつきながら、ゆっくり土の小道を上っていく。すると、小道の途中で紋次郎が足をとめた。そして、右側の家に向かって両手を合わせて拝んだのだった。ここからは、家の側面は見えない。もしかして、御堂か何かがあるのか?と思いながら、自転車で小道を上り始める。紋次郎が拝んだ家の側面に来た。
 ・・・・・。何もない。そこには、板の壁と薄緑色の電気メーターがあるのみだった。一体何に祈りをささげていたのか。その理由に色々思いを巡らせながら小道を上り切ると、紋次郎が立っていた。さすがのNJも、拝んでいた理由を聞く勇気はなかった。と、そこへダズ氏が紋次郎に話しかけた。まさか!聞くの?とワクワクするNJ。
 「長手岬に行きたいんですけど、どうやったら行けますか?」
 「この道を下りて行ったら出るよ。」
 意外に親切だった紋次郎との一期一会であった。

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長手岬手前の海岸沿い

*第5位 佐渡VSまんぷくANDまれ
 長手岬に到着。高台からの海と緑の岩々とのコントラストが、本当に美しい。この緑、溶岩が熱水で変色したとの説明書きに、疑問は無事解決。満足するNJであった。
 長手岬をあとにし県道45号線に戻るべく細道を進むと、見覚えのあるT字路が。これは!長手岬に行くために、さっき左に曲がった道ではないか。右に曲がればすぐ岬だったとは・・・。しかし、そのおかげで紋次郎に出会えたのだ。災い転じて福となす?と思いこもうとする一行であった。
 しばらく走ると、夫婦岩に到着。駐車場をふと見ると、そこにはなんと!海さえ荒れていなければ、高速フェリーで小木港に着き満喫するはずだった「たらい舟」が・・・。ボロボロで使い物にはならないようだが、本物を見れただけでも儲け物、いつも前向きな一行である。
 ダズ氏とアコ氏夫妻は、夫婦岩をバックに記念撮影。年賀状に採用されるかどうかは、ご指名カメラマン浦野氏の腕にかかっていた。その結果は、・・・。2019年の元旦までおあずけである。

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ボロボロのたらい舟 | 佐渡夫婦岩

 道路の向かい側には、なにやら怪しげな小屋が・・・。看板には、「塩づくりの家」と書かれてある。表札を見ると、「塩見太郎」の文字。恐る恐る中に入ると、色々な塩が売られていた。さらに奥には、塩づくりの現場が。暑っ!いくつもの大きい四角い容器の中に、液体がグツグツ煮えたぎっている。塩見太郎さんであろうおじさん曰く、3%の海水を徐々に煮詰めて塩を作っているとのこと。そのときは何とも思わなかったが、萬平さんと福子は、鉄板と天日でかなり塩濃度を高くしてから煮詰めていたし、桶作元治さんは珠洲の砂浜に海水を撒いて、これも天日で塩濃度を高くしてから煮詰めていたはず。現代は、煮詰めるための燃料代は惜しまず作っているということなのか・・・?それとも、人件費の方が高いということなのか?今更ながら考えてしまうNJであったが、ドライブインで土産も買っていないのにもらえた手作り塩の小袋を思い出し、佐渡の人はみんないい人と現金にも思うのであった。

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塩づくりの家

*第4位 ???
 これからいよいよ金山への上りか、と思いきや、すぐに左手の観光名所っぽい駐車場に入る。歩いて行くと、遺跡かと思うほどのなんとも壮大な北沢浮遊選鉱場跡が現れた。一通り見て回り、さて戻ろうかと思ったそのとき、年配の女性に声をかけられた。ボランティアガイドである。礼儀正しく好印象だったせいか、あっさりお願いすることになった。お手製の写真入りガイドブックで説明してくれる彼女に、うなずきながら応える一行。しかし、彼女が去ったあと皆が反応したのは、彼女が言ったこの言葉であった。「これはガイドでは言ってくれるなと言われているんですけど、三菱マテリアルなんですよ。」しかし、今この原稿を書くにあたって当時のこのメモ書きを見ても、何が三菱マテリアルだったのかすらも思い出せないNJなのであった。

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北沢浮遊選鉱場跡

*第3位 じっくりコンビ
 時間がないにもかかわらずガイドを楽しんだツケがまわり、金山をじっくり見る余裕がなくなってきた。話し合いの末、金山茶屋で昼飯派と金山じっくり派の二手に分かれることに。もちろん、金山じっくり派は浦野氏と那珂氏。しかし、あっさり「宗太夫抗」で合流。さすが「じっくり派」。伊達に「じっくり」を名乗っているわけではないと感心する。展示室では金塊30秒取り出しチャレンジに一喜一憂し、30年前の東北・道南ランのプレリュード時には現役でまだ見ることのできなかった「道遊抗」に向かった。「じっくり派」は、ここでも軟弱昼飯派との差を見せつけた。昼飯派が高任公園で遠方の「道遊の割戸」をバックに記念撮影を満喫している間、ちゃっかり「道遊の割戸」まで往復してきたのだった。さすが、昼飯を犠牲にするだけのことはある。肝の据わった二人なのであった。

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金塊掴み
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道遊の割戸をバックに | 道遊抗

*第2位 君の名は・・・
 いよいよ、大佐渡スカイランへ。最初から、きびしい激坂に打ちのめされる。追い打ちをかけるように、早々とダズ氏アコ氏夫妻に突き離されて以降、いつもなら追い越されるはずの浦野氏、那珂氏の姿さえいっこうに見えない。ただ一人、もくもくと孤独な旅を続ける。それでも傍らのカタクリの花の群生に感動し、写真を撮りまくる。ときおり姿を見せる白き小さな花、君の名は・・・。

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君の名は・・・

 ようやくたどり着いた頂上らしい場所にも人の姿はなく、道を間違えたのでは・・・と不安になる。それともまさか、まだ上りの途中なのか?ゆるゆると下り坂を進むと、右手に大きな駐車場と建物が。白雲台交流センター。自転車がある!ホッとして中に入る。20分ほど経っただろうか、ようやく全員が集まった。どうやら野田兄のタイヤが、スカイラインを上り始めてものの10分でパンクしたらしい。かわいそうなチューブ。毎日無駄に重い荷物を支える過酷な日々に、とうとう悲鳴を上げたのだった。浦野氏、那珂氏がいる場で本当に良かった。でなければ、いったいどれだけ待たされたことか・・・。これも災い転じて福となす?
 交流センター内には、季節折々の花の写真がたくさん貼ってあった。おおーっ!これは、あの白く可憐な小さき花ではないか!そう、君の名は・・・・きっと前前前世から「雪割草」。だったに違いない。

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すぐにパンク | 厳しい坂
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上から道遊の割戸 | スカイライン最高点

*第1位 自衛隊の自衛隊による自衛隊のための○○
 さあ、これから一気に下って宿に直行。と思いきや、下り始めてすぐに恐怖が訪れた。なんと、道路一面が無数の六角形?型に縁が繰り抜かれているではないか。急傾斜にもかかわらず、ガタガタガタガタと半端ない上下震動。頸椎がやられそうである。これは、まずい。しかし、皆は下りていく。もう無理―っと思いながら何気にお尻を浮かすと、おっ?頸椎への振動がかなり和らいだ。サイクリストなら誰もが知っている「尻浮かせ技」を習得し、これでいけるか?と思ったのも束の間、ブレーキをかける手に限界が訪れる。実はNJの自転車、ブレーキシューがかなりすり減り、握りに全く余裕がなくなっていた。北陸と新潟だし、そんなに峠はないよね?と高をくくっていた自分を後悔する。
 有難いことに、道路の右端50cmほどは唯一平らになっている。そこを下るも、かなりの前傾姿勢と手の疲れに、ちょっと走ってはすぐ止まって休んでしまうNJ。見かねた那珂氏、「ホイールに油がついているのかも」と、自前のウエスで拭いてくれた。神様である。
 どうにかこうにか長い下りをゆるゆると下りると、ようやく平らな道に。右手には、何やら物々しい入り口が見える。自衛隊の基地である。どうやらこのガタガタは、自衛隊車の冬道スリップ防止対策らしい。しかし、サイクリストにとって逆に事故りそうな危険極まりない道である。30年前もこんな道だっただろうか・・・。全く記憶にないNJであったが、これであとはスムーズに下れると喜ぶも、ガタガタ道はすぐ再開した。しかし、今度のガタガタは様子が違った。交通量が上と違うのか、かなり削れてすり減っていたのだ。助かった!長く苦しい旅は、ようやく終わった。
 あとで、神様那珂氏、実はブレーキワイヤーが切れかかっていたことが判明。本当に事故なく下りてこれたことに感謝。ラン前の整備の大切さを痛感した二人なのであった。

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下り始め | 大分磨り減ったガタガタ

 宿泊:みなみ旅館

 自衛隊からのとんだハプニングに見舞われた一行は、予定から大幅に遅れ18:15みなみ旅館に到着。食事は19:00、時間がない。急いで風呂に向かう。昨夜と違って温泉旅館らしいお風呂、露天風呂まである。しかし、ゆっくりつかる暇はない。それでも泉質がいいのか、つるつるになったお肌で夕食会場へ。なんと、豪華絢爛な食事が並んでいる。食前酒の梅酒で乾杯。バイ貝、もずく酢、ナガモ、牡蠣、刺身(ひらめ、ぶり、えび)、あんこう鍋、天ぷら(こごみ、もみじ、あんこう)、いさき焼き魚、紅ずわいかに、トビウオつみれ汁、ご飯はもちろん今日もうまい。
 80代女将が、事あるごとにそばに来て、料理の説明をしてくれる。話好きなのか、おもてなしなのか、お茶を頼むと「冷たいの?」と聞かれ「温かいのを」と答えた30分後に、突然「寒いの?」と聞かれた。「??いいえ」と答えると、「さっき温かいお茶って言ったから、寒いのかと思って」・・・今さら??
 それでも女将の話は止まらない。「最近は外国人の客が多くて、大変なのよ。ベジタリアンだって言われたら何も出す物がないし、部屋は一人1部屋で、なんて言うのよ。びっくりでしょう?」しかし、全く嫌みがない。ご飯のおかわりを頼めば、お盆で茶碗を持っていき、ご飯をよそって持ってきてくれる。本物の旅館対応だ・・・。傍らにある御櫃から自分でよそうのに慣れている一行は、しばしのVIP対応に浸ったのであった。
 その間、野田兄が上手なバイ貝の取り出し方についてうんちくを語りながら、爪楊枝でグジグジねじ回した揚句、途中で切れてしまっていたことをNJは見逃さなかった。
 最後は、デザートの苺とみかんで最終日の夕食は幕を閉じたのであった。

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豪華絢爛な食事

【浦野コメント】何といっても野生のトキに遭遇できたのが印象的な1日。大佐渡スカイラインのゲキ坂に参ったが、天候が回復し絶景を拝めたので結果オーライ。
【野田コメント】この日の想い出は野生のトキが見れたこと、金山見学が意外と面白かったこと、そして勾配10%以上の激坂スカイラインがめちゃしんどかったことでした。トキは先を急ぐ小澤と別れた直後の田んぼに舞い降りてきました。降りる前に地上から見た裏側の羽根がピンクだったのが、とてもきれいでした。小澤にも見せてあげたかった。金山はコース最後にあった金塊掴み取りです。アクリルの透明な箱にある約12.5キロの金塊を10cmほどの丸い穴から手を入れて箱から出せれば、記念品がもらえるのです。これまで2千人以上が成功しているが、とても重たくて老若男女みんな失敗していた。どうも、力ではなくこつがあるらしく、成功した動画で研究した中学生は成功したらしい。だから、男性より腕が細い女性の方が成功するとのこと。金山からいきなり激坂となるスカイラインでは、ヘアピンカーブでいきなりパンク。今回も下りでなく助かる。タイヤに3mmほどの傷があり、そこにチューブが出てきて擦り切れたらしい。3日前のパンクの時にできた傷だ。普通なら最後尾だが、この時は金山を先に出発したので、後発の那珂と浦野に手伝ってもらい助かった。感謝です。へろへろになりながら900mの峠付近まで行くと、ふきのとう、かたくり、そして白い雪割草の花が道端に咲いていて、疲れ切った脚を癒してくれました。
【那珂コメント】天然の朱鷺に出会えて感激。大佐渡スカイラインの頂上からは平野部の左右両側にきれいに海が臨めて疲れも癒される。下りはせっかく舗装なのに雪の滑り止め仕様の超デコボコ道。ブレーキレバーをしっかり握ってほとんど歩くくらいの速度で下る。平地に出ると、なぜか後輪用ブレーキレバーが戻りきらない。
【DAZコメント】今日のコースの序盤は県道31号でショートカットするか、七浦海岸などを通る県道45号で海岸線をたどるか、で意見の分かれるところだったが、結果的には海岸線を通ったおかげで楽しいことがいろいろあった。小澤さんと別れてすぐ現れたトキの他にも、二見の家並みでもトキの飛ぶ姿が見れたし、長手岬直前での地元のおじさんとの少々不思議なやりとり、夫婦岩とそのそばの塩釜、など。金山見学とスカイラインは本日のハイライト、時間はかかったけどなんとか日没前に宿に到着できて良かった。そしてこの日も夕食で美味しい佐渡米をたらふく食べた。


9日目:5/6(日) 佐渡島:両津港=新潟港→新潟駅= (2.6km/0m) 晴れ 
 メンバ:野田、那珂、浦野、DAZ、アコ、野田潤
 (野田記:2019/1/5)

 最終日は、両津港までちょこっと走り、フェリーで新潟へ渡って、新潟駅までちょこっと走り、駅で解散という見どころも何もない日でした、。が、実は、宿の朝、浦野、那珂と野田の三人は、早起きして、野生の朱鷺を見つけるというミッションに臨んでました。前夜、宿の女将さんから、この辺りの田んぼにも早朝餌を食べに山から舞い降りてくるよ、とのお言葉を受けて、元々早起きのおじさん3人は、5時に起きて近くの田んぼを懸命に散策。しかし、田んぼにいるのは、餌を狙うウミネコばっかし。那珂は近くにいないと見るや、山の方まで足を伸ばして探すも結局収穫なし。仕方ないので、軽トラで苗を運んで田植えの準備をしているおじさんとウミネコを撮って宿へ戻りました。

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出発写真 | トキを探しながら?、佐渡フェリーへ

【浦野コメント】気さくな宿の女将さんに「早朝5時頃に裏の田んぼにトキが来ることがある」と聞かされ、早朝に出向くも遭遇できず。新潟駅での輪行に手間取ったこともあり、皆より早い新幹線を予約していた自分だけ昼食抜きで一足先に帰京。皆さん、お疲れ様でした。
【那珂コメント】出発前にブレーキを点検すると、なんとブレーキワイヤがフレームから引き出されている箇所でほとんど切れかかっていて、ほつれたインナーワイヤがアウタワイヤの裂けたところに引っかかって戻りが悪いと判明。昨日の下りでよく切れなかったものだ。氣田神社の御利益かもしれません。
【DAZコメント(メールより)】18時ころ無事帰宅しました。皆様のおかげで今年も楽しいGWとなりました。ありがとうございました。野田さん、企画、コース案内、各種手配と何から何まで大変お世話になりました。どうもありがとうございます!いろいろ楽しい思い出やハプニングなど、盛りだくさんでしたので、レポートを書くのも楽しみです。まずは帰宅のご連絡まで。
【アコ氏コメント(メールより)】ただいま上板橋のカレー屋で夕食中です。この度は皆さまに何かとフォローしていただき、とても楽しいランでした。佐渡では野生のトキを見れるという嬉しい出来事もありました!清算の件では野田さんにご迷惑かけてスミマセン…おって口座番号お知らせください。次回はゴキさんの快気ランでお会いしましょう(=^ェ^=)
【野田潤コメント(メールより)】17時過ぎ、無事帰宅しました。走った時間は短かったですが、 なぜか、とても楽しいランでした。佐渡がこんなにきれいでおいしい所だとは、学生時代の貧乏ランでは気づきませんでした・・・。また、チャレンジしたいです。ブレーキシューは、次回までに交換しておきます。ともあれ、誰もケガなく完走できたのが何よりです。皆様、大変お世話になり、ありがとうございました。来年も楽しみにしています。gokiさんの復帰、待っています。


<おわりに>(野田記:2018/5/9(メールより))
 皆さん、お疲れ様でした。 おかげさまで何とか4年ぶりに完走することができました。パンクは2回しましたが、いずれも下りでなく、2回目は佐渡スカイラインの上りで普通ならオーラスなのに、先に金山史跡を出たので、後発の浦野と那珂に手伝ってもらい、助かりました。最悪の運気からやっと脱して、上向いてきたような気がします。
 前半の能登は、好天と追い風に恵まれた中、奇岩、洞窟、棚田、塩田、ギネス(世界最長のベンチと世界最大の縄文土器)に加えて、御陣乗太鼓鑑賞、NHK朝連ドラ「まれ」のロケ地巡り、ノトキリシマツツジ鑑賞など見どころが一杯あり、単調な海岸線ルートを楽しませてくれましたね。
 中盤の七尾から直江津までは、1日100㎞を超える難コースでしたが、追い風に助けてもらい、特に、黒部から直江津までは10m以上の強風が西から吹いたため、上り以外はほとんどペダルをこがなくてもいいくらい楽勝でした。危惧された雨も、黒部-糸魚川間の半日だけで済み、糸魚川―直江津間のR8号線も旧鉄道を整備した自転車道がずっとあったので、車を気にせず想定外の快適なランでしたね。
 後半の佐渡は、強風で直江津からのフェリーが欠航になるハプニングがありましたが、新潟まで鉄道輪行して何とか島へ渡ることができ、幹事としてほっとした次第です。佐渡では、野生のトキが200羽ほどいますが、なかなか見れないと言われる中、幹線道路を外れてマイナー道に入ったところで、ピンク色の羽を開いてトキが突然現れ、みんなで感動しましたね。
 今回はずっと海岸線だったので、最後ぐらい山に行こうと選んだ大佐渡スカイラインは想像以上にハードでパンクもしたので、皆さんには大変迷惑をかけてしまいました。特に那珂には、遅い自分にペースを合わせてもらい感謝です。下りも急すぎるのと、自衛隊のためなのか滑り止めの突起円にハンドルを取られやすいため、フルブレーキ徐行走行を余儀なくされ、みんな苦労してました。
 全体を通して、転倒は宮村さんと潤の1回ずつ、いずれも擦り傷と打撲でした。落し物や忘れ物は、輪島朝市で買った酔いだこ(タコの足を煮たつまみ)とガラナ1本、そして直江津の宿に忘れたグローブで、全部、野田でした。


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