日程:2024/4/27(土)~ 5/6(月)
参加:G(計画)、浦野、那珂、小澤、野田、宮村、さかな、千葉、DAZ、アコ、てんた、野田潤
コース:=塩尻→奈良井宿→濁河温泉→高山→下呂温泉→板取→池田→大野→ひるがの高原→五箇山→富山=ツーリング記録 参照
<はじめに>
(野田記:2024/5/27)
川浪さん企画のGWランに参加するのは、2016年の紀伊半島以来、なんと8年振り。その間、走った東北、南九州、能登&佐渡、西四国、西中国のコースは、自分が比較的楽に走れるように設定してきたが、今回は、川浪さんにしては、超ハードプランではないので、乗っかることにしたのだが…どうなることやら。
1日目:4/27(土) =塩尻→奈良井宿 (24km/345m) 曇り時々雨
メンバ:G、浦野、那珂、小澤、(宿合流)野田
(G記:2024/8/21)
*集合まで
GWツアーを皆と走るのは実に久しぶり。(その経緯は記録ページに簡単に記載した。)そして、これが今年初のツーリングとなったことで若干ペースが掴めない。二週間前に引っ越したばかりの新居を出て、最寄りのJR赤塚駅から輪行、朝6:30の電車。今日は半分移動日で、コースも短い。まずは気分からあげていきたいところだが、曇りスタートで、東京あたりから小雨で不安になる。甲府からは降っておらずほっとする。集合地であるJR塩尻駅にはお昼に到着。
立ち食い蕎麦は大分並んでいたので仕方なくコンビニで買出し。出たところで浦野に会い、東口に降りて、那珂と会う。自転車を組立てながら、那珂に話を聞くと、昨日から走り出して、今朝は小淵沢から走って来たとのこと。先月末にブラック職場(失礼?)を退職して、5年ぶりのツアー参加となるが、十分に準備してきたようで、走れる喜びが滲み出ている。そうこうしてる内に小澤も到着。3人は立ち食い蕎麦で腹拵えする。
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那珂の自転車装備 | 立ち食い蕎麦で腹拵え
もう一人の初日メンバの野田は宿合流となり、お願いしていた初日のレポートは自分が書くことになった。なお、この後、宿以外ではほとんど別動になる彼のレポートはリンクしてあるので是非読んでいただきたい。その分、彼の一口コメントは本レポートに記載が無い。
*平出遺跡、言成地蔵、パンク
予定通り丁度1時に出発。今日のルートはGARMINにデータを入れてあるが、この近辺の行き先は小澤の要望で進むことになる。さきほどの小澤との話でルートの外した方を理解したと思っていたが、線路を跨ぎ直すことになって、話が噛み合ってなかったことに気付く。それで完全に先導は小澤にお任せする。
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塩尻駅を出発
15分ほどで、平出遺跡に到着。公園のような広い敷地内に復元住居が幾つか点在する。竪穴式住居などをしばし見学。ここは、縄文時代から平安時代にかけての大集落跡で国史跡に指定されているとのこと。
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平出遺跡 | 古墳時代の復元住居
ここから細い裏道を経てしばらく進み、鉄道、国道を越え、中山道の旧道に入る。洗馬(せば)駅のすぐ先で、言成地蔵の入口に到着。小澤はここで春先に行けなかった墓参りに行くとのこと。残りの3人は入口の踏切手前でしばらく待つ。後で調べると、言成地蔵尊では、なんでも願いが叶う(いいなり)とのことで、知っていたら参拝しに行ったんだけどなあ。
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無事墓参り
無事墓参りを終えた小澤が、ここから先は先導をバトンタッチするとのこと。自分がTOPとなるが、今日のコースに何もプランを持っていなかったので、那珂作成のルートデータにしたがって、ゆるゆると進むことにする。データは、できるだけ国道を外して、旧中山道の道を行くようになっているので、ありがたい。その道は後からできた国道とは異なり、集落の中を抜け、少しうねりながら、ゆるやかにアップダウンするので、その雰囲気を楽しみながら走る。
一旦国道に出た後、次の旧道に向けて分岐しようとした所で、自分の後輪がパンク。少し前からポツってきたこともあり、気分が下がる。道端で修理を始め、取り出したチューブをチェックすると、バルブ穴から20cmくらいの場所、それもリム側に小さな1穴がある。リムテープの横からスポークホールにチューブが吸われる、最も嫌なパターンだ。該当箇所を確認すると、新しいリムテープ端からスポークホールははみ出ていない。ただしギリギリなので、幅が広目のものに変えた方が良さそうだ。とりあえず、時間が勿体無いので、チューブ交換だけして様子見とする。初日から自転車に不安を抱えることになり、気分はだだ下りとなる。(なお、翌日夜に十分な対処をして、その後のツアーでトラブルは無かった。)
*贄川関所跡、転倒、平沢宿、シカ
ここから旧道と国道をいったりきたり、途中山桜がまだ咲いているところがあったり、30分ほど走って贄川(にえかわ)駅で一旦休憩。駅は関所跡かと見えたが、関所亭というめし処だった。案内板では、移築された贄川関所がすぐ近くにあるとのことで移動。旧道への分岐横の急坂を降りると立派に保存されている関所があった。写真を撮って再スタートしたところで、なんと小澤が転倒。ギアが重すぎて止まってしまったようだ。幸い軽い打撲で膝付近に若干血が滲んだが、走れそうなので良かった。
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旧中山道![]()
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贄川駅 | 贄川関所跡
この旧道を出て、国道を少し進んだところで、木曽平沢を通る旧道に入る。ここには漆器の店がたくさんあり、街並みはいかにも宿場町という雰囲気で綺麗だ。しかしながら人出はほとんど無くて、我々の独り占め。奈良井宿のすぐ隣なのにもったいないなあと感じた。この頃には天気やパンクで若干沈んでいた気分も晴れて、ツーリングを楽しめる心持ちになっていた。
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平沢宿
線路を越えたら、また国道に戻るかと思って地図を見ると川沿いにもうちょっと進めそうだ。那珂からもそう声がかかる。手前の分岐に戻って線路沿いの細い道への短い坂を上りはじめた。そこで、坂の上に、かなりでかい動物がいることに気付く。色はグレーっぽく、ツノがあったと思う。こちらをじっと見ている。ビビってスピードを緩めて上っていくと、逃げていってくれてホッとする。その時は色からカモシカかなと思っていたが、ツノがあるならニホンジカだ。すぐ後ろは小澤だったような気もするが、他に誰か見ていなかったかなあ。後で那珂に聞いたところでは見ていないとのことだった。(御殿場の長尾峠を早朝に走ると良く親子連れの鹿に出会っていたが、大きさからビビったことは無かった。二日後の岳見峠の下りでも、このようなシカが道に横たわっているのに出会った。その時も逃げてくれたが。)
*奈良井駅、木曽の大橋、野田合流
橋を渡って本日のゴール、奈良井宿への道に入る。奈良井駅沿いの坂を上ると、駅構内に桜がきれいに咲いているので、写真撮影。 ここを降りると奈良井宿の街並みに入るが、皆一旦横に逸れて行く。自分は知らなかったが「木曽の大橋」があるとのこと。(地蔵峠への分岐にある木曽大橋とは別物。)途中から歩いて行ってみると、木製の大きな太鼓橋があり、観光客がたくさん来ていた。後で調べると、「奈良井川の清流にかかる美しい樹齢300年以上の総檜作りの太鼓橋。橋脚を持たない木製の橋としては日本有数の大きさ。」とのこと。橋自体は道の駅とともに平成初期に造られたものらしい。
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奈良井駅の上から | 木曽の大橋(橋の形が分からない!)
奈良井駅に戻って、到着する野田を出迎える。多量の荷物なので、ホームからの運び出しを浦野等が手伝う。おつかれさま。野田が自転車の組み立てを始めたところで、先に宿へ向かうことにする。奈良井宿の街並みに入ると、通りを歩いている観光客はまだ少ない。本日の宿は街並みの1/3くらいの所にあり、すぐに見つかった。4時ちょっと過ぎに到着。
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野田の荷物の運び出し![]()
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自転車組み立て中 | 一足先に奈良井宿の宿へ
宿泊:かとう民宿
部屋割りは2、2、1。今日は貸切か風呂は二つ使っていいとのことだが、一人ずつで一杯なので、順番を待つ。バスユニットはうちでも使ってるTOTOの最新ものだった。そうこうしてるうちに、野田も到着。夕食まで大分時間があるので、明日のコースを相談。最初に鳥居峠旧道へ行くことは意外にすんなり決まった。地蔵峠旧道を通ると8時出発は必須。野田は宿を別に取っており、鳥居トンネルを使った別コースとなる。
6時から夕食。ビールを少しだけ飲む。野田の話を軸に皆の近況、失業手当、後輩の近況などが話に上がる。皆いろいろあるんだなあと、改めて考えさせられた。明日の朝食時間を6時にしてもらうことができたので、ひとまず安心。部屋に戻って、洗濯物を干す際に、ファンヒータを使うことにした。明日に備える意味もあって、皆9時前後には寝た。
>>> 那珂の前日からの走行レポートはこちら ![]()
夕食、まずはビール
>>> 野田の別動レポートはこちら
【那珂コメント】2019年以来のGWツアー。久し振りにサイクリング仲間と会えるのが何より嬉しい。奈良井宿は昔のOBランで訪れているが、あまり記憶を取り戻せなかった。
【浦野コメント】早めに塩尻駅まで輪行し、駅から5km圏内にある北熊井城址と南熊井城址を見学。前者には大きな空堀もあり見ごたえがあった。旧中山道を辿りながら到着した奈良井宿のお宿は宿場町の外観を維持しつつも洗面所等の施設はリニューアルされており、快適だった。
【小澤コメント】塩尻を出発して、平出遺跡を抜け、洗馬駅付近へ。ここには、父方の実家やお墓があります。3月の墓参りでは、大雪に阻まれて、10mを前進できませんでした。今回無事お参りできました。かつては中山道の宿場町として栄えていましたが、高度成長期から急激に寂れて観光客はおらず、今ではわずかな住人が住む小さな集落となっています。
2日目:4/28(日) 奈良井宿→濁河温泉 (76km/2041m) 晴れ
メンバ:G、浦野、那珂、小澤、野田* *)別宿
(那珂記:2024/5/11)
*早朝の出発
今日は2日目にしてツアー中最大の獲得標高(約2000m)となるため、朝食は異例の早朝6時にお願いして、7:10出発。
注)以下の「登①~⑥」に示した獲得標高、距離、平均勾配は、ガーミンコネクトでトレースしたコースデータに基づいて各峠の手前の最低標高(極小値)の地点を起点として算出。![]()
奈良井宿の出発
*登①(941→1214;+273m、5.8km、4.7%) 鳥居峠旧道
鳥居トンネルを避けるべく鳥居峠を上ることとするが、昨日のうちにその入口も確認済だ。但し野田は躊躇なくトンネルコースを選択し、早速別行動となる。出発(7:10)直後からの登りは、3つ目のヘアピン手前くらいからダートとなるが、勾配もそれほどきつくなく、まずまず走りやすい。まだ2日目だし、快晴の気持ち良い朝の空気の中、みんな元気一杯。峠の小屋(7:55着)から登山道を歩いて行くと峠の道標で小澤持参の自撮り棒で記念撮影。だが、降りてから写真を確認すると道標の下の方が切れて標高が写っていない。撮影直後に写真を確認することを学ぶ。西方を臨むと近くの山なみ(実は次に上る地蔵峠のあたり)の向こうに御嶽山の白い山頂が顔を出している。今日はその向こう側まで行くのだ。再び自転車で走り出して(8:17)まもなく神社に立ちより、その後登山道の石畳でストップ。何を思ったか浦野は自転車でそこに入り込み、あわや転倒というところで自転車放棄。鳥居峠を下ってR19に出るが、なるべく旧道を選んで木曽川沿いを下る。
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ダート走行![]()
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旧道鳥居峠(標高は1197m) | 御嶽山![]()
石畳道で自転車放棄
*登②(775→1332;+557m、12.7km、4.3%) 地蔵峠旧道
R361に分岐(9:45)して再び上り基調となる。途中、関東より3週間位遅れて満開となっている桜がきれい。その後さらに分岐(10:00)して地蔵峠方面(飛彈街道西野通り)に進む。峠までの間にある唐沢の滝で休憩(10:34-10:52)。
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満開の桜 | 唐沢の滝
このあと筆者はペースについて行けずオーラスへ。だんだん御嶽山の全貌が見えてくるが、残念ながら地蔵峠(11:25)ではその姿は隠れてしまう。そこから500m程先の展望台に出ると、その威容を現し青空に残雪が美しく映える。さらに2km程下ると花桃(後で調べた)が満開で、御嶽山に花を添えている。
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地蔵峠![]()
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展望所から御嶽山 | 花桃と御嶽山
下ってR361の開田高原の辺りに出る頃(11:52)には日差しも強くなりとても暑い。昼食はさておきまずはアイスを食す。旨い。そのあと蕎麦屋で昼食。
*登③(1121→1250;+129m、3.2km、4.1%) 九蔵峠
午後の部(13:00発)は、まずは九蔵峠(13:35着)まで軽く腹ごなし。先ほどよりも御嶽山を北寄り(東北東)から臨む。
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九蔵峠
*登④(1159→1359;+200m、5.9km、3.4%) 長峰峠
続く長峰峠(14:08着)は茶屋の跡があるだけで展望は無い。と、それまで元気に走っていた浦野の様子が少しおかしい。蕎麦では足りなかったか?ここから少し下ると野田の宿泊地の日和田。ここで県道463に入ると、すぐに立派な日和田ハイランド陸上競技場が見えてくる。ここは高地トレーニングで世界的に(?)有名らしい。
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峠へ向かう | 長峰峠
*登⑤(1307→1884;+577m、10.3km、5.6%) 柳蘭峠、無名ピーク
日和田からは、御嶽山の北側を回り込むようにして長い登りが続く。途中県道435に出たところが柳蘭峠(標高1697m、15:14着)だが、ピークではなく更に登りが続くと知りショック。ここで浦野は完全にエネルギー切れ。とにかく食べる。空には雲が多くなってきてやや悲壮感が漂いそうだが、まだ時刻は早いので、宿に辿り着く目途は立ったと言えよう。
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今日一番長い上り | 柳蘭峠
気を取り直して上り始めると、100m程上ったところで「チャオ御岳スノーリゾート」の看板が現れる(15:42)。スキー場のようであったが後で調べてみると既に廃業。一方、地図には付近に「飛騨御嶽尚子ボルダーロード石碑」の記載があって、こちらも調べてみると『御嶽山の中腹を走る県道435号は、岐阜県出身の金メダリスト高橋尚子にちなんで「飛騨御嶽尚子ボルダーロード」と名づけられ、2車線道の側道に、広いランニングコースが設けられています。』とのこと。碑を見に行っても良かったが、そこまで余裕はなかった。(G記:碑はコース沿いにありましたよ。)
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チャオから北に望む乗鞍
更に80m程上ったあたりがピークとなるが、特に峠の名は無い。200m程下ると下呂方面に下る県道441(鈴蘭スカイライン)と濁河温泉方面への道の分岐に出る。
*登⑥(1683→1732;+49m、1.4km、6.6%)
分岐から最後の登りが始まり、宿の近くで劇坂にさしかかるとGokiさんの携帯に電話がかかってきて立ち止まり、他のメンバーは先に進む。筆者のギアは34x33なので劇坂を上りきれると思っていたが、同じ上り方向に父親と歩いていた5歳くらいの女の子が急に走り出して、期せずして競り合いになってしまい、息が切れて負けた筆者は足をついてしまった。
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宿前の激坂を上り切る
宿泊:湯の谷荘
今日の宿「湯の谷荘」には16時30分頃着。暗くならずに済んで良かった。少しすると電話を終えたGokiさんが上ってきたが、私達をスルーして劇坂をまだまだ上って行く。声をかけたら気付いてもらえたが、筆者が作成したガーミンコネクトのコースデータによれば宿はもっと先、とのご指摘。データが不正確で申し訳ありませんでした。
この行き過ぎのせいでパンクしてしまったかも(?)。夜のパンク修理作業で、尖った小石がタイヤに刺さったことが原因と判明。それにしても、確かに石器みたいに尖ってはいるが、これが刺さる?浦野の「昨日パンクしたチューブ直しました?」の一言がパンクの運気を呼び込んだとの説も・・・。
ともかく温泉で今日の疲れを癒す。参考:濁河(にごりご)温泉・・・下呂市公式観光サイトより抜粋>>> 野田の別動レポートはこちら
- 標高1,800mでの通年営業温泉街としては、日本でも有数の高所温泉地。
- 明治20年ごろから温泉宿地として開拓され、登山者が宿泊。
- 昭和30年に久々野から車道通行が可能となり、宿泊温泉地となる。
- 炭酸水素塩泉(ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・硫酸塩温泉)
【浦野コメント】2日目にしてツアー最難関日。今年になってからまともに走っていなかった身体には、都合2000mの上りは想像以上にきつかった。それでも鳥居峠、地蔵峠、開田高原を経て長峰峠くらいまでは苦しさよりも楽しさが勝っていたが、最後の濁河温泉までの上りはきつかった。宿の露天風呂で両太ももが攣り、風呂から上がった後も再度攣ってしまった。体力的には限界を超えていたようだ。あまりにも疲れすぎて食欲がわかず、夕食でお替りできなかった。
【小澤コメント】前半最大の山場。鳥居峠は舗装道ではありませんでしたが、割と楽に登れました。地蔵峠は、御嶽山の景色に押され、それなりに登れました。いずれも、走りながら写真を撮る余裕あり。最後の濁河への登りは、御岳と乗鞍を眺めつつ我慢して上りましたが、最後の宿までの急坂でギブアップして数m押してしまいました。今回のランの前に、スプロケットを32Tまでにして臨んだのに、ここぞというときに不覚にも足がつってしまいました。
【Gコメント】今ツアーの最難関コースだったが、皆元気に走り切れて良かった。早朝出発のおかげで時間に余裕があったのも功を奏した。そして快晴のおかげで御嶽山も乗鞍も良く見えた。
3日目:4/29(月) 濁河温泉→高山 (63km/611m) 晴れ
メンバ:G、浦野、那珂、小澤、野田*、(合流)宮村 *)宿で再合流
(浦野記:2024/5/16)
早朝、宿の露天温泉で身体を目覚めさせた。一晩寝たら食欲も戻り、朝食ではしっかりお替りできた。今日のコースは県道441で岳見峠を越えて高山までと、下り基調で今ツアーの中では比較的楽なコースだ。ただ、出発間際に宿のご主人から「岳見峠はまだ通行できないはず」と聞き、場合によっては前日越えてきた長峰峠まで戻り国道361で高山に向かうことになるかもしれないと話し合っていた。
出発前に宿から歩いてすぐの白糸の滝を見物して8:18に出発。宿のすぐ下にも滝があることをご主人から聞いていたので、そちらにも寄ってみることにした。遊歩道を歩くとすぐ展望台。落差20mとさほど大きくないが、温泉成分の影響で岸壁が緋色に見えることから緋の滝と命名されたそうだ。
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早朝の温泉にご満悦 | 白糸の滝前で
岳見峠への最初の分岐(県道441)に着いてみると通行注意という表示にはなっていたが、どうやら高山まで抜けられそうだった。(G記:県道441自体は西に大回りして高山へ向かう道であり、直接に岳見峠への道の状況を示していた訳では無かったのだが、希望的観測でそう思ってしまった。)気持ちの良い下りを楽しんだ後、最後の分岐から少し上り返して9:08に岳見峠(1430m)に到着。岳見峠というからには御嶽山が良く見えるのかなと話していたのだが、峠に着いても展望が開けておらず少しがっかり。ところが上ってきた道を振り返ると御嶽山がきれいに見えており、この景色が名前の由来かと納得した。
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岳見峠への最後の分岐 | 峠までの路面は荒れている![]()
岳見峠、登ってきた方向に御嶽山
峠からの下りは途中から舗装も良くなり、芽吹き始めた樹々の中を気持ちよく下ることができた。県道435との合流地点は、Googleマップによると冬季には樹木に水をかけて凍らせる“氷点下の森”と銘打つ観光スポット(?)になっていたが、近年の温暖化の影響で氷柱を作るのに苦労する年が多くなっているとのことだった。また、冬の間お酒を氷中貯蔵するための貯蔵庫もあったが見学はできなかった。ここで、今日の立ち寄り地について協議したところ那珂が朝日町の福寿草群生地記念碑を、浦野が美女高原の水芭蕉群生地を推薦した。
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岳見峠からの下り | 氷点下の森、お酒の貯蔵庫前で
10時前に秋神貯水池で国道361に合流、左折してまずは福寿草群生地記念碑を目指す。記念碑があるということはもう群生していないのでは?などと話しつつそれらしい場所を探してみたが記念碑は見つからず。ネットで調べるとそもそも福寿草の見頃は3月中旬から下旬だということが分かり、この時期には咲いていないことが判明。まあこんな事もあるよねと気を取り直して走り出す。今日は時間に余裕があるので道の駅ひだ朝日村でコーヒーブレイクしたのが10:20。コーヒーを飲みながら、那珂が案内所でもらってきた高山市の観光パンフレットを眺めていると、高山市内に松倉城跡という山城があることが分かった。浦野は全くノーマークだったが、そこそこ立派な石垣もあるようなのでこれは行くしかない、と個人的にはお城見学モードにスイッチオン。
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下り途中、トンネル横の短い旧道
11時に道の駅を出発して間もなく、国道を外れて美女高原の水芭蕉群生地方面へ上り始めた。100m強上って美女高原公園に到着するとGokiさん曰く「ここで上りがあるなんて聞いてないよー!」。「でもこのコースは、Gokiさんが2月に引いたオリジナルコースですよ」と突っ込むがGokiさんとしては納得できないご様子。よくよく聞いてみると、GokiさんがGarminに取り込んでいるコースマップは那珂氏が事前に設定した1日毎のコースマップであり、ツアー前半分をまとめてGokiさんが2月に設定したオリジナルコースのマップではないということだった。さらに、那珂氏がコースを設定した際Gokiさんオリジナルコースを確認することなく、野田氏が作成した一覧表の「距離と獲得標高」を参考にして大体この道だろうとコースを推測したことも判明した。そのため、Gokiさんオリジナルコースと那珂氏の設定コースが微妙に一致していないことが原因だということが分かった。
気を取り直して遊歩道で美女ヶ池を一周してみると、盛りは過ぎたものの水芭蕉が咲き残っておりそこそこの雰囲気を堪能できた。ちなみにこの美女ヶ池、八百歳を過ぎても若々しい比丘尼(大蛇の化身という説あり)が住んでいたことからその名が付いたそうだが、近年悪化している水質を改善するべく外来魚(草魚、ソウギョ)の捕獲作戦などのプロジェクトが進んでいるとは後日ネットで検索した情報だ。
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水芭蕉の群生 | 美女ヶ池をバックに
11:45に美女ヶ池を出発してさらに少し上り、870mの美女峠を経て12:15頃高山市街に入った。市内はインバウンドの外国人多数、想像以上の人出だった。目星をつけていた高山ラーメンの店も行列だったため、口コミ評価が少し低い店に入って高山ラーメンと飛騨牛の握りをいただいた。いずれも美味。その後、徒歩で旧市街を散策した。
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美女峠まで残り少しの上り![]()
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なんとか昼食にありつく | すごい人出の高山旧市街を散策
散策の後、浦野は松倉城跡へ行くことにした。高山駅に宮村さんを迎えに行くGokiさんとしても中途半端に時間が空くため、結局4人全員で松倉城跡へ行くことになった。途中コースミスもあり、城跡に到着した時には疲労困憊。それでもパンフに載っていた石垣を見学できたので結果オーライと思うことにした。
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なんだかエライ登ることに![]()
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そこそこ立派な石垣 | 松倉城の天守跡にて
Gokiさんと那珂氏は宮村さんを迎えに行って千光寺に立ち寄ってから宿に向かうとのことだったので14:50に松倉城跡で別れ、浦野と小澤氏はそのまま民宿長五郎へ。宿が小高い場所にあったため最後のゲキ坂でとどめを刺された。比較的楽な1日になるはずだったのに、終わってみればまさかのヘロヘロ状態だった。その後、17:45に千光寺組が宿に到着し、宮村さんとは久しぶりの再会となった。
宿泊:民宿長五郎
長五郎は古民家風の民宿で、水車(ただし動かない)、囲炉裏のある居間、踊り場に飾ってあった着物、極めつけは屋内なのに部屋毎に庇があったりと、和風の佇まい満載で外国人には人気がありそうな雰囲気を醸し出していた。
>>> 野田の別動レポートはこちら ![]()
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長五郎の入口 | 飾ってあった着物(翌朝) | 古い原付自転車(翌朝)
【那珂コメント】高山へのルートが頭に入っておらず、スマホアプリを見ながらも混乱しつつ皆さんに連れられて進む。美女高原、松倉城跡、千光寺、とオプショナルツアー満載。松倉城址ではコースミスしてごめんなさい。高山市内は観光客で溢れていてびっくり。日本語はあまり聞こえてこない。宿にあった古い原付自転車は、後輪リム内周にドラムを押し付ける摩擦ドライブ式で、初めて見る構造に感動。
【小澤コメント】濁河からの下りは、道路が狭いものの、静かできれいな雰囲気でした。前日の登りで足の疲れが残っており、慎重に衝撃を吸収しながら下るとこでも、さらに足を使ってしまった気がします。 高山の町は、想像以上のにぎやかな観光地でした。高評価のラーメン屋は長蛇でしたが、星がすくない「鍛冶橋そば」の普通の高山ラーメンと高山飛騨牛握りは美味でした。
【宮村コメント】良かったこと:①富山空港からJR速星(はやほし)駅へ移動、昼食後、1317発特急「ひだ14号」へ。はじめてハイブリット列車に乗車できた。出入口の上に付いたエンジン・モーター・バッテリーの稼働バランスモニターを見るのが楽しかった(鉄ちゃんでは無いが)。なお、車内はほぼ満席。大多数が欧米系だった。その方々はほぼ高山で下車。後塵を拝したので、駅を出るのに時間がかかった。②16時半頃、高野山真言宗袈裟山「千光寺」で、珍しい神様「両面宿儺(りょうめんすくな)像」を拝むことができた。また、最後の一枚になっていた書置き「両面宿儺」御朱印を受領できた。高山オーバーツーリズムの影響なく良かった。「両面宿儺」は1600年前の仁徳天皇時代、飛騨地域を開拓した豪族で「千光寺」の前身を開山したと伝えられる。彼は朝廷による飛騨侵略に抗ったため朝敵として滅ぼされた。抵抗は朝廷に苦しむ領民の訴えに応えたから。あまりの強さに、彼は民には守り神、朝廷には最強呪霊として伝承された(同様な認められ方をした神として、関東には平将門がいる)。③民宿長五郎の夕食で、ホタルイカ、飛騨牛?牛肉に出会えた。朝食で朴葉焼きに出会えた。大変だったこと:JR高山駅(標高575m)から「千光寺」までの上りが厳しかった。特に 「千光寺」の石柱山門(標高609m)から「千光寺」大慈門(標高826m)までの上り(1.7kmで217m上昇、勾配12%強;数値はGoogle Map)。G&アプデNakaコンビと一緒だったので頑張れた。
【Gコメント】ツアー出発前に各日のコースデータを作成する時間が無くて、那珂作成のデータをGarminにダウンロードさせてもらった。かゆい所に手が届くようなコースで重宝していた。それを、自分が作成した全体コースデータを見ずに作成していたとは驚き。しかし、今日はほとんど下りのつもりで走っていたので、美女峠は聞いてないよう!。予定外で走った松倉城址、宮村と合流後に走った千光寺とを合わせて、距離86km、獲得標高1104mにもなってしまって、疲れたあ。宮村が行く千光寺は名前がちょっと気になって一緒に行くことにした。高山市街とはうって変わった静けさ。「両面宿儺」はアニメ「呪術廻戦」で取り上げられたことで若い人も来るようになったとのこと。今日は遭遇しなかったが。
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激しく上った先の千光寺 | 両面宿儺像と
4日目:4/30(火) 高山→下呂温泉 (60km/504m) 曇り時々雨
メンバ:G、浦野、那珂、小澤、野田、宮村
(小澤記:2024/5/19)
6:55 朝食会場に集合。海苔、シャケ、ウインナー&目玉焼き焼き、キノコ味噌の朴葉焼き等、日本の典型的な朝ごはん。特に味噌朴葉焼きは、これだけでご飯が余計に一杯食える、カロリー補給にはもってこいの一品であった。浦野さんと私は、朝から三杯食ってしまいました。
8:10 集合写真を撮って出発。この日から、空中浮揚が復活です。
民宿長五郎の急坂をおりて、国道41号線(高山バイパス~益田街道)を走ります。
8:30~8:37 今日のコース上に昼食を頂ける食堂がないことから、最初のセブンイレブンで昼飯の買い出し。
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長五郎を出発(0mmの小雨)
8:49 水無神社到着。当神社は歴史のある飛騨国一宮。木曽檜の切り株”ねじの木”や、文豪島崎藤村の父”正樹”が描いた詩「きのふけふ しぐれの雨と もみぢ葉と あらそひふれる 山もとの里」と書かれた碑など、由緒がうかがえる。」また、当神社の一画には、世界遺産で有名な白川村の中で御母衣ダムの湖底に沈むことになった二つの集落の神社が遷座・合祀され、白川神社として創建されている。
宮村さんと野田さんは、恒例の御朱印へのご記帳。野田さんの御朱印帳の一番最後のページにご記帳、更に新しい御朱印帳を購入。
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水無神社 | ネジの木
9:13 水無神社出発
9:16 飛騨一ノ宮駅に到着。無人駅の改札を抜け、線路の反対側に行くと、臥龍公園がある。野田さんは、迂回して踏切を渡り、自転車で公園へ。そこには、台風で枝が折れたものの、樹木医学者の林進教授の指導と地元の懸命な努力で復活した臥龍桜。枝の一部が地面に埋まる形で、隣にあたかも新たな桜が立っているような、一卵性の二本の桜が立っているのであった。ただし、桜の花はすでに散っており、青々とした奇樹とその説明があるのみであった。
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臥龍桜
9:38 飛騨一ノ宮駅を出発。県道98号に出たところで、一つの捨て看板を発見。曰く「4月12日から12月6日まで終日位山峠全面通行止、下呂市内方面通り抜けできません」。位山峠が全面通行止めですので、仕方なく別コースに決定。宮川沿いを離れたところから3.8kmほどの上り坂が始まります。(飛騨位山・匠の道サクラ街道)
10:15 雨の中、3.5kmほど登ったところで、苅安峠・モンデウス飛騨位山(道の駅)到着。那珂さんが土木事務所に問い合わせると、位山峠は自転車も通行止め。これで、別コース決断は確固たるものになった。
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通行止めの捨て看板 | 苅安峠では小雨にけむる
10:25 出発。下ってしばらくして、位山峠方面に行く県道98号から分かれ、県道455号を経て、国道41号に復帰。わずかずつですが、国道を一時的に避けつつ、進行。
10:56 飛騨街道なぎさ道の駅、野田さんと合流、入れ違いで出発。
11:27 道の駅出発。交通量の多い国道バイパスを避けて、益田街道を通ります。さらに、益田街道も避けつつ、旧道っぽい県道88号道を進みます。車の通行が少なく、がけ側の壁に苔がきれいに生えていて、気持ちの良いアップダウンだった。
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気持ちの良いアップダウン
12:17 岩太郎のしだれざくら到着。さくらの季節は過ぎており、青々とした大きな木があったのみ。
12:30 桜までの無駄なアップダウンを省略して、離れたところから写真撮影して出発。
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岩太郎のしだれざくら
13:01 禅昌寺着。由緒ありそうなお寺なのに、他に誰もいない。雪舟作の達磨様の絵があるということで、500円払って建物内の見学をします。雨でぬれた靴下を脱ぎ、汚さぬように廊下を抜け、畳の部屋へ。迫力ある達磨様の絵を背に、集合写真。建物の奥には、斜面に面した庭園、本堂を抜けて奥に進むと、杉の巨木など、見所がいっぱいです。有料エリアを出て庭に戻り、巨木を見学。幹が太い!!
13:53 禅昌寺出発。一路下呂の町へ。
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禅昌寺 | 雪舟の達磨絵の前で![]()
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杉の巨木 | 全景(すぐ前が鉄道)
14:10 ラムネ屋到着。宿はまだ開いておらず、まずは下呂駅前に向かう。駅前には、手のひらを浸けられる温泉があった。電車の到着に合わせ、観光案内の方々がプレートを持って乗客を迎えていた。 その後、川沿いの足湯で、しばしの休息。既に約20名が足湯を楽しんでいた。
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ラムネ屋はまだ開店前! | 下呂駅前の温泉水![]()
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川沿いの足湯(外国人多数、以前は露天風呂だったのだが)
宿泊:ラムネ屋
15:00 時間になったので宿に行った。小澤一人で単独先行してしまい、先に野田さんと合流。他3名は温泉街を散策。
宿で全員集合後に、風呂の説明を受け順次入る。小さいながらも、ちょっと熱めの温泉かけ流し。疲労がさっと抜けるようであった。
最終組が風呂に行ったところで洗濯をしようと思ったら、不覚にも後から宿に来た”若い”女性三人組に洗濯機を使われて、しかもお出かけされてしまった。洗濯終了後に取り出して使うことができず、やむなく宿のご主人に洗濯をお願いして夕食にお出かけ。
17:40 温泉街に「チャップリンの銅像」のフォトスポットがあったのでパシャリ。そして居酒屋「むとう」に。ワンオペで居酒屋を仕切る無愛想な主人、に「個別メニューは無理」と通告された。瓶ビール三本と、全員一致の「鶏ちゃん定食(1000円也)」。でも、走った後には、ちょうどよかったのです。少し癖のある鶏肉と、ボリューミーなごはん、御なま酢、細切り大根の煮物、たくあんで満足。
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橋上のチャップリン像の前で![]()
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全員が鶏ちゃん定食 | むとうを出ると夕暮れ
19:00 ラムネ屋に帰って、暫時就寝へ。>>> 野田の別動レポートはこちら
【那珂コメント】R20を避けるために期待していた県道98の位山峠は、まさかの工事通行止め。未練がましく自転車はどうなのか土木事務所に電話するも、当然にNG回答。禅昌寺では落ち着いた雰囲気の中、雪舟作の大達磨像や大杉を鑑賞。下呂では足湯のあと宿に行こうとしたところ、急に街散策に行くことになり、先に宿に行ってしまった小澤に申し訳ない。
【浦野コメント】飛騨一之宮駅の裏にある臥龍桜は2020年9月の乗鞍ランでも訪れた場所だ。今回は桜が残っているかも、との期待も空しく完全に葉桜になっていた。位山峠近くに4月下旬に見頃になる水芭蕉の群生地ありとの情報もあったが、通行止のため行けず(半分ほっとした)。樹齢1300年という禅昌寺・大杉の幹回りは一見の価値あり。下呂温泉で夕食のため入った食堂では大将の横柄さややる気のなさがアリアリで、接客態度としては大いに疑問だったが鶏チャン定食は美味しかった。
【宮村コメント】良かったこと:①飛騨一之宮にて、もう葉桜だったが、樹齢1100年と言われ威厳を醸す国指定天然記念物「臥龍桜(がりゅうざくら)」を拝めた。②「飛騨一宮水無神社(みなしじんじゃ)」で存在感ある筆の御朱印を頂けた。瓢箪6コで水という文字を現す水瓢箪紋という御神紋(神社がもつ家紋のようなもの)が珍しかった。本社について難しい表現でいろいろ書かれているが、ザックリは以下と思う。ご神体は前方にそびえる「位山(くらいやま)」。「位山」は、日本海へ流れる神通川支流「宮川」と、太平洋へ流れる木曽川の大支流「飛騨川」の支流を生む分水嶺で「水主(みずぬし)」として崇められる。その関係からすると、本社名は「水成」と書き「みなし」と呼ぶはず。ではなぜ「水無」か。本社の前を流れる宮川が、昔から日照りに関係なく枯れ川になる現象を起こしたから。メカニズムは、本社の両側にある「江名子(えなこ)断層」と「宮峠断層」の微動による地下への水抜けと考えられる。また、本社は地域の総社的立場なので、いろいろな神社がいろいろな理由により移ってくる。戦時中は熱田神宮が中京の総社なのに一時移ってきたとのこと。③下呂手前の臨済宗「禅昌寺」で、雪舟筆と伝わる「八方にらみ達磨」を拝めた。応仁の乱によって多くの文化人が京から退避したが、臨済宗僧侶の雪舟は本院に、一時、身を寄せたのだろう。お庭も楽しめた。達筆な御朱印も頂けた。後で調べた:日本海へ流れる神通川支流「宮川」や「高原川」と、太平洋へ流れる木曽川の大支流「飛騨川」や他支流を分ける、幅1kmほどと狭いが、位山・宮峠・美女峠・日影平・乗鞍岳へ続く細長い「位山分水嶺」について、どう形成されたか調べた。結果、飛騨一之宮駅の下を通過し北東から南西へ走る、長さ12kmほどの「江名子(えなこ)断層」と宮峠南側の下を通過し北東から南西へ走る、長さ8kmほどの「宮峠断層」が、100万年ほど前から現在まで、活発に活動し、両断層に挟まれた幅が狭い山塊を押し上げ、新しい分水嶺をつくったと分かった。本活動前、すなわち100数十万年前まで、「飛騨川」は日本海へ向かう川だったとのこと。ダイナミックな方向転換と思った。
【Gコメント】今ツアー初の雨模様。といってもほとんど降水量0mmで降ったり止んだりなので、止まっていると雨を感じないくらい。しかし、自転車の下りでは結構濡れた。禅昌寺は落ち着いてとても良かった。宮村推奨に外れなしかな。
5日目:5/1(水) 下呂温泉→板取 (87km/1068m) 曇り時々雨
メンバ:G、浦野、那珂、小澤、野田、宮村、(宿合流)さかな
(宮村記:2024/6/11)
*出発
今日は、距離が90km近くあり、獲得標高1000m以上、その上、途中に、名城・古い街並み・名水で有名な郡上八幡や鍾乳洞があるので、早めの出発を目指した。具体的には出発写真を撮り、7時59分に出発(標高367m)。ただし、100mほど走り、昼食がどこになるか難しく、食べ物ストックのため、デイリーヤマザキへ。種々購入後、8時10分、那珂くんリードで、ほんとの出発。なお、野田くんは、若干くつろぎJR下呂駅から輪行とのこと。高山本線を南下、美濃太田駅で長良川鉄道に乗り換え、タラガ方面最寄り駅で下車、タラガトンネルを抜け板取という計画。
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ラムネ屋の前で(ジャンプ失敗)
*中山七里
少ケ野(しょうがの)トンネルを抜け、8時24分、国道41に入った(標高347m)。若干走ると飛騨川を南から北へ渡る手前に「中山七里」と記された表示があった。この景勝地はここから飛騨金山まで続くと言われる。地質・地形から言うと「濃飛流紋岩(のうひりゅうもんがん)」から成る丘陵を飛騨川が削った谷。自分は、事前に写真で見た「流紋岩」から成る白い岩々の間を碧色の飛騨川が流れる渓流を期待した。しかし、白砂利ばかりの川岸が続いた。やっと白色の岩々からなるU字型のスケールが小さい溝が少し続き、吊り橋が現れた。写真の渓流はこの周辺からかもしれないと思った。吊り橋のところで、9時1分、那珂くんが停止(標高253m)。吊り橋は通行禁止だった。気持ちが萎えた。だが、ここから先が渓流の本番かもとも思え、「中山七里」の説明板をながめ、通過する高山線列車を見て、すぐ出発した。しかし、期待した渓流は飛騨金山までなかった。
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白い岩々の間を流れる小さな渓流 | 立ち入り禁止吊り橋 | 「中山七里」説明板を読む
後で調べると、白色岩々の渓流は、一時停止した吊り橋近辺だけのようだった。この渓流について、ズームアップした写真が多いようで、実際は走っていた時感じたようにスケールが小さい。奇岩「牙岩」もそこにある。吊り橋を渡れるならば、楽しめるだろうが、私有地のため渡れないとのこと。「中山七里」の楽しみ方は、一部に執着せず、迫りくる山々と白砂利の川岸全体を眺めることらしい。特におすすめは紅葉の時期らしい。
ところで、国道41に入り、吊り橋まで、「ささゆりトンネル」分岐での一旦停止が入る17km、37分走行だった。時速28kmを優に超えていた。下り基調だがアップダウンがあったのでバリバリ高速だった。今日は、この傾向の走行だった。さすがGW前にちゃんと鍛えた那珂くんのリードだった。(G記:実はTOPの那珂さんに頑張ってペダリングするようにお願いしていました。長めの緩い下りでは脚を休めすぎてしまうので、今日の距離を考慮した対処でした。)
なお、「濃飛流紋岩」をザックリ話すと以下。南東端が恵那山付近、北西端が白川村地域まで続く、北北西-南南東に約100km、幅が平均35kmで分布する厚さ数100m(最大2000mと言われる)の巨大岩体で、岐阜県の面積の1/4を占める。ふつう、堆積した土壌の下だが、河川の作用などで露頭に現れる。「中山七里」は岩体の真ん中あたり。下呂周辺も含まれる。飛騨金井から和良(わら)ICラインより西は入らないので、郡上八幡は入らない。高山の「飛騨日枝神社」から飛騨市「気多若宮神社」ラインより北や東も入らない。
「濃飛流紋岩」域外の地質ついては、諸説ある。加えて、岐阜、富山(宇奈月)、島根(津和野)、茨城(日立)による「日本最古の岩石」論争が入り、複雑で分けわからない。よって、大部分2億年前~1億年前の堆積岩だが、一部5億年以上前の堆積岩を含む地質とだけ記す。なお、特筆が一つ。高山から40km北、飛騨市神岡町、飛騨片麻岩(へんまがん)層地下1000mに「ニュートリノ」測定・研究用「スーパーカミオカンデ」がある。
「濃飛流紋岩」岩体については、8000万年前~6000万年前、次の流れでできたと考えられている。①上記の古い地層に、カルデラ火山が列状に並び噴火、流紋岩質の火砕物をカルデラ内に貯めた。②貯まった火砕物が高温溶融、冷えた後に陥没。③以上が繰り返され巨大な盾状の流紋岩プレートが何層も重なった。
*郡上鍾乳洞、堀越峠
金山トンネル手前を左に入り、トンネル回避後、馬瀬川を渡った。県道86に入り、若干走行、9時17分、道の駅「飛騨金山ぬく森の里温泉」着、10分ほどトイレ休憩した(標高240m)。出発後、小雨ぎみになったので、途中、バッグなどカバーした。和良(わら)IC手前で、和良町に入った。「皆笑顔、和良(笑)街道」と書いた表示版があった。他にも、笑い顔を描いて和良(笑)和良(笑)とか書いたポスターを見たような気がする。ユーモアありそうな街だろうかと思った。
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金山トンネル回避 | 今ツアーで初めて見た鯉上り
10時10分、濃飛自動車道 和良金山トンネル出口近くの和良ICを右に見て左折、和良の街を通り過ぎ、10時44分、「郡上鍾乳洞」着(標高430m)。和良から郡上八幡近辺には、いくつか鍾乳洞が分布し、「郡上鍾乳洞」がコースに接していたので訪ねる予定だった。秋芳洞や秩父の鍾乳洞とは違い、様々な色のチャートの層が近くにあるはずなので、縞が入っている洞穴など期待していた。しかし、どうも休業らしく、那珂くんと小澤くんが案内口まで行って確認したが、ご不幸があり臨時休業とのことだった。鍾乳洞に寄らず、一人で先に郡上八幡へ行き、郡上八幡城巡りを予定していた浦野くんが俄然元気になり、皆で郡上八幡へ行き、城巡りしようということになった。10時49分、郡上鍾乳洞を出発。上りになり、11時3分、頂点着(542m)。この上りが思ったより厳しかった。小雨ぎみなので、防水系上着など着用して11時9分出発。西和良(標高505m)まで下り、上りに入り、堀越峠(標高562m)を通過。何回か繰り返すヘアピンを下り、11時32分、郡上八幡「八幡大橋南」T字路着。
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郡上鍾乳洞案内表示 | 案内口で状況確認![]()
堀越峠手前の頂点(標高542m)で小雨対応
*郡上八幡城、昼食、宗祇水(そうぎすい)
「八幡大橋」を渡り、柳町通りに入り、11時39分、八幡城登口着。激坂なのに、皆すでに上り始めていた。何とか上っていると城山公園や駐車場がある広場になった。そこからの上りは二輪車禁止で、歩行になっていた。二輪車の転倒事故多発が理由とのこと。ほっとした。後ほど分かるが、なぜかそこに土佐初代藩主山之内一豊と妻の立派な像が建っていた。11時44分、公園からの登口に駐輪し歩きを開始。激坂のヘアピンで歩きも大変だった。同時にそこは車の一方通行上り道になっていた。車は、時々、人を気にしてカーブのタイミングをミスり、ヘアピンを曲がれず、切り返していた。浦野くん、那珂くん、小澤くんはヘアピンに付けられたショートカット段々道をさっさと上って行った。
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激坂の登り口 | 二輪通行止めでホッと | ショートカットで上る
自分とGくんは12時に「力石」などある広場に到着。まず、そこで天守閣入城前の腹ごしらえをした。皆でベンチに座り、出発時デイリーヤマザキで買ったパンなどをほおばった。12時15分若干前、ベンチから腰を上げ、天守閣を目指した。階段を上っていると隅櫓(すみやぐら)とその後ろの天守閣が秀逸な遠近感で並ぶスポットが目にとまり、しばし撮影会。さらに階段を上ると売店があり、入城券を購入。左を向くと緩い石段と本丸門があった。12時24分、門をくぐると天守閣の前が広場だった。「桜の丸」というらしい。そこに建つのが「およしの祠」と説明板。「人柱およしについて」という題の説明には、ある合戦によって城の石垣が大きく崩れ落ち、その大改修を行ったが困難を極めた。その時、石運びを手伝っていた村の美しい娘「およし」が人柱になったとの話が紹介されていた。「祠」を建てるほどだから実話なのだろうと思い合掌。
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腹ごしらえ、何鳥の声? | 石段を登る、天守閣と隅櫓
入城した天守閣は、説明資料によると1870年(明治3年)に、石垣だけを残し、取り壊されたが、1933年に、大垣城を参考に模擬天守として造られたものとのこと。現存する“木造再建城”としては日本最古とのこと。そして、耐震化補強工事のため2022年11月21日から休城し、2024年4月29日にリニューアルオープンしたばかり。良いタイミングでした。
入ると、階段が木造で、上っている時、ギシギシ鳴った。傾斜が急だった。床も入城したところと上の階は、厚そうな木床だった。本来の天守閣感だった。代々の城主の歴史などを見ながら最上階へ行くまでに、公園に初代土佐藩主山之内一豊と妻の像が立つ理由を理解した。妻「千代」が、初代郡上八幡城主の娘だったのだ(有力な説)。最上階では、窓から見えた景色がとても良かった。若干高所恐怖症ぎみだったが。浦野くんの説明を聞いて、吉田川側の街を眺めると、山と吉田川・長良川に囲まれた区画が魚形に見えた。
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天守閣から見た郡上八幡の街 (吉田川側)
13時4分駐輪場所へもどり、13時12分出発。13時22分宗祇水(白雲水)に到着。ここは環境省が「名水百選」第1号に選定した湧水。竹筒などから出ている湧水をいただくタイプではなく、説明板を見ながら頂いたが、湧水から出た一番上の水槽にたまった清水を飲み水に、次の水槽に落ちた水は冷やす用、次は洗いものへと段階的に使用目的が変わるタイプだった。後で調べると、「水舟」という郡上八幡特有の湧水の使い方とのこと。自分たちは柄杓が見つからずボトルで汲んでしまった。恐縮なことだったかも。5分ぐらい居て出発。
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宗祇水
後で郡上関連を調べた。1.歴史。①奈良時代、白山参りのために三方から神聖な入口、美濃「白山中宮長滝寺」(今回GWラン、5/4通過予定「長滝白山神社」のこと)、越前「白山中宮平泉寺」、加賀「白山本宮」を設けた。「白山中宮長滝寺」への通行路として、郡上地域が開けていった。②平安後期、郡上地域は荘園になった。③鎌倉時代、荘園は郡上という名の領地になり、東(とう)氏が領主となった。当時は郡上八幡より北の万場~徳永あたりが栄えたらしい。郡上東氏初代は、京との関係が深いとともに歌道の素養高く、妻が藤原定家の孫娘だった。歌道の奥義が代々東氏に引き継がれた。④室町時代、有名歌人、宗祇(そうぎ)がこの地で、東氏から歌道の奥義を伝授され、京に帰る途中、弟子と歌を詠み交わした湧水場が「宗祇水」とのこと。⑤戦国時代末期、遠藤氏が東氏を滅ぼし郡上八幡に城を築いた。一方で東氏の娘が遠藤氏に嫁いでいたらしい。2.地質。上記に飛騨金井から和良(わら)ICラインより西は、2~1億年前の堆積物から成る地質と記したが、その上に、火山灰が積もった地域があった。具体的には、郡上八幡-和良IC間の国道256の北側は、九頭竜火山列南端の火山、「鷲ヶ岳」「烏帽子岳(北アルプスの烏帽子岳ではない)」「白尾山」が150万年前~90万年前に活動し、火山灰を積み上げた山々が多いとのこと。
*タラガ峠、下りでアクシデント
13時31分、越前美濃街道から国道156へ、13時33分、国道156と国道256が交わる城南交差点、長良川鉄道「郡上八幡駅」前を通過、稲成橋で長良川を渡り、13時37分、一時停止。すぐ出発、寺坂トンネルへ向かい、抜けると喧騒が無くなった。左折し、県道315を南下。13時48分県道315から国道256に入った(標高217m)。やや雨を感じ、若干停止し、防水性ある薄手上着など着用、13時50分出発。8km走行して14時17分タラガ峠へ入る左折手前のY字路に停止(標高341m)。上着脱ぎ、補給などして14時27分、出発。ここからが峠本番。3.8km上り、自分は15時03分、何とかタラガ峠到着(標高660m)。峠では路面が濡れていた。若干雨を感じ、防水性ある薄手上着など着用。
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上り始め | タラガ峠到着
なお、14時40分、さかなくんから千家着とのLINEが入っていた。14時47分、野田くんから、長良川鉄道相生(あいおい)駅から向かうので、16時頃に着く予定とのLINEが入っていた。
ところで、タラガの由来に興味をもったので、後で調べた。結局、漢字も由来も分からなかった。なお、この地域には日本語っぽくない言葉が、いくつもあると思った。たとえば、漢字があるものでは、宇留良(ウルラ)、洞戸(ホラド)、黒田(クロンダ)峠、川浦(カオレ)渓谷。漢字がなくカタカナだけのものでは、クナジロ峠。(G記:峠の南側に1224mの高賀山があるので、タカガ→タラガになったのでは。もしくは古代の発音に漢字を当てたか。)
15時11分、タラガ峠の下りを開始。自分はその後半で転倒した。記憶では、路面濡れているので、注意して下るも、一時、傾斜が緩まりブレーキを緩めた。しかし、また傾斜が増し、ブレーキを緩めたままだったので、速度が上がった。そして、前の小澤くんに近づかないよう、左カーブに入っていたが、ブレーキをかけ続けてしまった。その時、後ろブレーキが強すぎ、後輪ロックしたようで、濡れた砂まじりのアスファルトをすべり、バランス崩し、今までに覚えがないほどの勢いで転倒した。左ひじや左大腿・脚をしたたか打った。そんなに勢いが無いと思ったが、最後に頭が振られヘルメットがアスファルトに当たった。ヘルメット無しだと頭を打ったと思いショックだった。その後、左小指と左膝下からの出血が分かった。自転車に乗り、後ろから浦野くんに付き添われながら、板取までゆっくり下った。皆、付き添ってくれてありがとう。下る途中、小学校1,2年のころ、下り坂を自転車で遊んでいて、何の拍子か前ブレーキだけかけ、前のめりで転倒した記憶から、後ろブレーキくせが出ると反省した(翌日から下り時に、ブレーキ矯正練習を繰り返す)。
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濡れた苔のある下り | 宮村に付き添い、宿はすぐそこ
宿泊:千家
15時39分、何とか今日の宿「千家」に到着。自転車を澄んだ板取川の流れが見える屋根付きテラスのようなところに置かせもらった。玄関で声が低い女将さんに出迎えられ、久しぶりに非接触体温計で体温を測った。野田くんは、いつのまにか居た。部屋で着衣を脱いだ。左指、左ひじ、左膝下を擦りむいていた。左大腿をこすっていた。Gくんが、彼の救急セットから色々な大きさの救急バンを出してくれた。ありがとう。ほぼ出血が無いので、すぐ救急バンを貼った。
入浴後の夕食は、ボリュームたっぷりだった。大きいお茶碗に山盛りご飯。大きめ鮎の塩焼き&甘露煮。ヒメマスのから揚げ各自に一本。刺身、鍋、ホタルイカ、茶碗蒸し、デザートなど。食べ始めると「お代わりどうぞ」が厨房あたりから連呼された。白ごはんがうまかった。後で調べると、板取川は鮎で有名らしい。
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千家のボリュームたっぷり夕食
夕食後、野田君から裁縫セットを借り(宿に聞くと準備が無いようだった)、破れたタイツや手袋を縫った。その後、気力がないので就寝。>>> 野田の別動レポートはこちら
【那珂コメント】出発後しばらく飛騨川沿いに下るR41を楽々で走っていたら、今日は上りが多いので下りは急いで時間を稼いだ方が良いと。頑張る。が、楽しみにしていた郡上鍾乳洞は葬儀のため5/1-3の間クローズとのことでショック。郡上八幡城では浦野に解説してもらい、なるほど町が魚の形をしている。タラガ峠の下りで宮村さん転倒、傷が痛々しいが大事に至らなかったのは幸い。マキロン持ってたのにお渡しするのを忘れていてスミマセン。
【浦野コメント】皆が郡上鍾乳洞に立ち寄る予定だったので、その間に自分は郡上八幡城に行こうと思っていた(登城は2回目)。鍾乳洞がまさかの臨時休業で時間が余ったため全員でお城見物することができたのは良かった。宮村さんの転倒を眼の前で目撃!安全意識を再確認することになった。
【小澤コメント】堀越峠を下りて郡上八幡城が高台に見えた時、高山の松倉城址に続き、2022年四万十市中村城を思い出しました。あの時のように、あそこまで登るぞと意気込んだものの駐車場から徒歩、ほっとしたような微妙な気持ちで歩き始めたら、結構な急勾配でした。 その後のタガラ峠も急勾配。似ている正丸峠を乗り越えた気持ちを思い出して踏ん張っているうちに、レーサーシャツにぶら下げていたサングラスを無くしてしまいました。お騒がせしました。慣れ親しんだモノなので残念ですが、Amazonで買ったものが2個セットなので、今はスペアを使っています。
【Gコメント】宮村の転倒が大事に至らなくて良かった。苔がある道の濡れた下りは、直線的な状況の良い場所を選んでブレーキングするのが肝要だが、見た目通りとはいかないのも常。ツーリング時は救急セットを常に携帯しているが、かなり久しぶりの出番となった。擦過傷に大判の消毒済みパッドがピッタリだった。ガーゼとネット包帯も入れているが、マキロンを持ってないので、那珂と補完する必要がありかな。
6日目:5/2(木) 板取→池田 (101km/1061m) 曇りのち晴れ
メンバ:G、浦野、那珂、小澤、野田、宮村、さかな
(浦野記:2024/5/16)
7:00からの朝食では最初から大盛のどんぶり飯が出てきた。昨夜の食べっぷりを見てご主人が気を利かせてくれたのだ。その心使いに感謝しつつ、しっかりお替りさせていただいた。
出発してまずは国道256を南下して“名もなき池(通称:モネの池)”に立ち寄った。モネとは言わずと知れた印象派の巨匠クロード・モネのことであり、澄んだ湧水に睡蓮が咲く様が彼の代表作である睡蓮シリーズを彷彿とさせることから、“通称:モネの池”と言われるようになったそうだ。ここで“通称”とあるのが味噌だ。晩年に暮らしたフランスのジヴェルニーの自邸に造成した庭で、モネが一連の睡蓮シリーズを創作したことは有名だ。一方、高知県北川村にはその庭を模した“モネの庭マルモッタン”があり、世界で唯一“モネの庭”と称することを許可されている(詳細はこちら(モネの庭ヒストリー)を参照)。そんな事情もあり板取では“通称”と冠することになったのではないか、というのが余談ながら浦野の考察だ。
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千家を出発![]()
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たくさんの人が来ていたモネの池
それぞれ写真を撮っている間に野田氏は先行して出発していった。本隊が30分ほど走って道の駅ラステンほらどで非常食などを買い出ししていると、途中追い抜いた野田氏が到着するも、先行して出発していった。本隊は国道256から県道196に分岐する際、コースミスにより数km余計に走る羽目になってしまった(コースミスに気付いたGokiさんから電話貰ったが応答できず)。そんなこんなで9:35に国道418に合流し、尾並坂峠まで200m強の上りが始まった。ここでも先行の野田氏を追い抜き10:12頃尾並坂峠に到着。休憩中に追いついて来た野田はそのまま下って行った。あくまでもマイペースを崩さない野田氏なのであった(朝から抜きつ抜かれつした野田氏だがこの後は宿まで先行することになる)。(G記:野田には薄墨桜手前の分岐で止まっている所でもう一度会っている。じゃあねと手を振っているようにしか見えなかったが、上らない近道への分岐を教えていたと後に分かった。)
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みかん大福?等補給 | 峠までもう少し![]()
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尾並坂峠 | マイペースの野田
小休止の後20分ほどで日本三大桜に数えられる淡墨桜(ウスズミザクラ)に到着。樹齢1500年余という孤高の桜はピンクの蕾が満開になれば白になり、散り際には淡い墨色になることから淡墨桜と名付けられたとのこと。老木桜の御多分に漏れずこの桜も樹勢の衰えは如何ともし難く、幹には横穴が貫通しており遠目からも幹の向こう側が見える状態で、様々な保護対策が説明板で解説されていた。ちなみに淡墨桜周辺は自転車乗り入れ禁止になっていたようだが車止めポールに小さく表示されていたため、それに気づかず乗り入れてしまった我々は観光客のおじさんに怒られる一幕も。
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淡墨桜の前で | 幹の中心に光(分かるかな?)
続いて特別天然記念物の根尾谷断層に向かうことになったが、国道を避けようと那珂氏が先導してくれた道がとんでもないゲキ坂(峠と言っても良いレベル)で皆(浦野だけ?)の顰蹙を買っていた。根尾谷断層とは1891年(明治24年)に起きた直下型の濃尾地震によってできた日本最大の地震断層で、上下最大6m、長さ1000mに及ぶ断層崖のことである。今となっては一見普通の土手のように見えてしまうが、那珂氏、小澤氏及び浦野が入館した地震断層観察館では当時の断層跡がそのまま展示されており、自然の脅威を目の当たりにする思いであった。その後、近くの展望台から再度屋外の断層を見学して12:00に出発。
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後ろに見える土手が断層による段差 | 断層断面(縦ずれ)@地震断層観察館
今日の昼食はこの先にある“道の駅うすずみ桜の里・ねお”を考えていたのだが、断層見学中に先行する野田氏から連絡があり道の駅には食堂がないので樽見のダイエーで買出しする方が良いとのアドバイス。いざダイエーへ行ってみるも我々が想像していたスーパーマーケットとは程遠く、いわゆる地方の雑貨屋さんだった。雑貨店あるあるで弁当やおにぎりは置いておらず、各自菓子パンや果物を買って樽見駅前の待合スペースでの昼食となった。30分ほどで昼食を切り上げ13時前に樽見駅を出発。国道157を10分ほど走って到着した中地区の左横ずれ断層ではお茶の木が横ずれして屈曲してしまった様が良く保存されており、後世に地震の惨状を残そうと努力されている土地所有者に頭が下がる思いであった。
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樽見駅の駅舎(環状)で昼食 | 横ずれ断層
県道270に入ってさらに上り、14時過ぎに馬坂峠(トンネル)に到着、小休止。
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さらに上り![]()
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馬坂峠
100m強下って徳山湖に架かる橋と1000~3000m級のトンネルをそれぞれ何本か抜け、福井県との県境になる冠山峠(旧道)と冠山トンネルへの分岐で、旧道(冠山林道)の様子を確認するため立ち止まった。2023年11月に冠山トンネルが開通した後旧道扱いとなった冠山林道はラッキーなことに(浦野の本音!)冬季通行止めが解除されておらず、トンネル回避派の那珂氏を含めトンネル経由の一択であることが確定した。更にひと上りして15:20頃冠山トンネルに突入、10数分かけて4830mのトンネルを抜け福井県に入ったところで小休止。ここまで来れば宿までは下るだけなので気が楽だ。16:17に今日のお宿、べにやに到着した。
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徳山湖にかかる橋の一つ | ラスボスの冠山トンネル(中は大部分下り)
宿泊:べにや
べにやの部屋割りは2人+5人の2部屋で、先着していた野田氏が2人部屋に入っていた。ここで誰が野田氏と同部屋になるかでひと悶着(それほど大騒ぎしたわけでもなかったが)。じゃんけんで決めることになったのは良いが、勝った人が同室になるのか負けた人が同室になるのかでさらにひと悶着。負けた人が同室では野田氏に失礼だろうということになり、勝った人が2人部屋に入ることに決まった。熱きじゃんけんの結果、見事浦野が優勝して野田氏と同室になるという栄誉(?)に浴することになった。めでたし、めでたし。
>>> 野田の別動レポートはこちら ![]()
夕食
【那珂コメント】モネの池、なんとなく雰囲気は分かるが、こんなに人が来るとはgoogleおそるべし。根尾谷に向かう途中、R256から県道196に入るところでまたもやコースミス。淡墨桜では、幹が光ると思ったら反対側まで穴が貫通していた。樹齢1500年の真偽はともかく、老木の威厳か。根尾谷断層を見学。現地を見ただけでは土手にしか見えないが、観察館で納得。徳山湖から冠山にかけていくつも続くトンネルでは、Gokiさんの爆発的な走りにとてもついていけず。
【小澤コメント】濃尾地震でできた「根尾谷断層」は、生々しい地面の傷に圧倒されました。これはきちんと勉強せねばなるまいと、展示館で断層の実物と解説の図で地球の力を知識として仕入れることができました。 ダム湖に向かう県道270号の登りは、キツメの斜度ながら心地よい走り心地でした。一方冠山トンネルを含むいくつかの長いトンネルは、入り口から半分くらいが登りで、かつ向かい風、精神的にダメージがきついです。トンネル内に水がたまらない配慮でしょうが、後半の下りでもスピードが上がりませんでした。
【宮村コメント】良かったこと:①根津谷にて3点。1)露頭に出現している縦ずれ断層、横ずれ断層を観察できた。今では景色に溶け込むが、じっくり眺めていると脅威感が生まれる。2)すでに葉桜だったが、樹齢1500余年、国指定天然記念物、日本三大桜の一つ「根尾谷淡墨桜」を拝めた。他の二桜は、山梨県「山高神代桜」、福島県「三春滝桜」とのこと。3)樽見駅での休憩。木製で斬新なデザインの駅舎で昼食を楽しめた(若干2025大阪万博大屋根リングを連想するが)。設計施工は地元の建築設計工房。簡素に見えるが積雪に耐え、自然に屋根の雪が落ちる設計とのこと。駅舎が囲む円形広場の大きさが、現淡墨桜の枝はりの大きさと同じとのこと。また、ここで野鳥の「ウソ」(メス)に出会った。初めてだった。さえずりが人の口笛に似ている。「ウソ」は口笛のむかし言葉「オソ」に由来するらしい。②冠山トンネルを出てホッと休憩中、崖下の渓流に舞う「ミソサザイ」を観察できた。初めて出会えた。つがいのようだった。綺麗な鳴き声だった。尾羽を上げて岩場にとまった姿が愛らしかった。スズメより小さいが、大きく綺麗な声でさえずり、古くから世界中で親しまれているとのこと。各国の童話や伝承書に記述がある。ミソは溝(みぞ)に由来。サザイは些細(ささい)に由来するとのこと。渓流(溝)に舞う小さな(些細な)鳥。大変だったこと:①峠での腰痛。昨日の疲れがあったか。すでに道の駅「ラステンほらど」への上りから変だった。ゆっくり走ったがついに尾並峠で、痛くなった。年初から腰痛リハビリをして良くなっていたが、元に戻ったかと思った。馬坂峠でも痛かった。しかし、リハビリで習った腹横筋・腹斜筋など力入れをより強く行いながら走ると腰への負担が分散されたか、やや楽になった。後ろから見えるサカナくんの分厚い腰・太腿が羨ましかった。②長いトンネル。馬坂峠を下り、「揖斐川」からつくった徳山湖に出た。道はトンネルと橋ばかりだった。トンネルは軒並み長かった。1km越え3本後、3km越えだった。4.8kmある冠山トンネルの前に精神を消耗した(長さに慣れたともいえるが)。経路は、地域の悲願だったので喜ばしく、まだ整備中と思うが、基本、流通用で、残念ながら自転車や観光にやさしくないと感じられた。
【Gコメント】後で知ったが、冠山トンネルを含む冠山峠道路は昨年11月に開通したばかりとのこと。もし、これが無かったら、この日のコースは今ツアーの鬼門になったかもしれない。 この日一番印象に残ったことはサカナの下り。冠山トンネルを抜けた後少しして緩斜面に入ってから、サカナがスピードを上げ出したので一人で付いて行った。自分が普段の上りでもあまり出さないレベルのパワーで、コーナーも50km/hくらいで抜けていく。距離8km、高低差160m、あっという間の楽しい時間だった。ここで、サカナのでかいお尻は実は筋肉の塊だということを初めて認識した。また、下りのペダリングで脚が疲れることが無かったので、上りとは違うところを使っているのだと初めて気づいた。この日の朝に、身体が限界にきている信号、口唇ヘルペスがでてきてたので、夕食のアルコール断ちを開始した。
7日目:5/3(金) 池田→大野 (83km/796m) 晴れ
メンバ:G、浦野、那珂、野田、宮村、さかな、(離脱)小澤、(合流)千葉、DAZ、アコ、(宿合流)てんた、野田潤* *)夕食のみ
(那珂記:2024/5/10)
*前夜のコース変更
はじめに、筆者がガーミンコネクトで本日のコースをトレースした際に福井駅に立ち寄ることを失念しておりスミマセン。このことを発端に、前夜に集合地を改めて協議したところ、離脱する小澤氏は福井駅まで走って輪行、合流する千葉氏、ダズ氏、アコ氏には一乗谷駅まで輪行してきてもらう方針とし、Goki氏、野田氏を通じてメール、ラインにて連絡、調整頂いた。
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出発
*一乗谷駅へ
宿8:40発。野田は勝山の実家に寄るので別行動となる。また、サカナは今晩宿に合流するてんたと待ち合わせて走る為、やはり別行動となる。
本隊はR417を西に進んで100m程の峠を越え、鯖江市に下って県道25を福井市に向けて北上する。途中の刀那清水(となしょうず)近くの分岐で、トンネル経由で先を急ぐ浦野、小澤の組と、トンネル回避のGokiさん、宮村さん、筆者の組に分かれる。 トンネル回避組は刀那清水に立ち寄って清水をボトルに詰める。後で福井県のHPを確認すると、この清水はその東に位置する城山(俗称三峯山)の伏流水らしい。但し「飲用とするかは利用者が判断すること」とあった。このあと旧道を進むが、旧トンネルが閉鎖されていて結局戻って新トンネル経由となる。
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刀那清水 | 旧道トンネル
一乗谷駅は福井駅と九頭竜駅を結んで東西に走るJR越美北線にある。県道25を北上して線路と交わるところで右折して、線路と平行に県道182を走る(当初はもっと手前で右折の予定が、筆者のコースミス)。越前東郷駅のあたりは県道の中央を水路が流れ、交叉点ごとに橋が架けられている。後で調べてみると、この水路は堂田川(どうでんがわ)という親水路で、古くは荘園の時代から農地や生活に利用されてきたという。江戸時代は参勤交代の宿場町。
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堂田川(鯉?が泳ぐ) | かっぱ(薮内佐斗司氏作)
線路沿いを走って一乗谷駅少し手前まで来ると、合流組が乗っているはずの電車が追い越して行ったので手を振ったが、車窓からは見えたかな?駅着(10:45)。先に一乗谷を散策した小澤も到着して、合流組との久しぶりの再会を喜ぶ。千葉さんはトーエイランドナーでの参加で、しばし自転車談義しつつ組立を鑑賞。このあと近くの道の駅「一乗谷あさくら水の駅」で昼食。ここで城跡から戻ってきた浦野とも合流する一方、小澤は離脱して福井駅へと走りだす。(12:20)
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一乗谷駅ホームの前で
*一乗谷観光
NHKのブラタモリでも紹介された朝倉氏遺跡。唐門をくぐり、広大な館跡を散策。一部はガラス張りの上を歩いて足元に遺構を見ることができ、展望所に上って全体を見渡すこともできる。湯殿庭園や義景公墓所など散策。少し場所を移して下城戸も見学。これは谷幅の狭い地形を利用して城下町を防御するために土塁を築いて門を設けたもの。
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唐門 | 館跡![]()
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湯殿庭園跡 | 下城戸跡
千葉さんは本隊と別れて引き続き一乗谷散策。本隊は永平寺に向かう(13:30発)。(G記:千葉が見学した、唐門向かい側の町並再現エリアは、2011年の関西OBランの頃には無料で開放されていたと思います。)
しばらくJR越美北線沿いに1駅走ったところで北に向かって250mほどの上りが始まる。あこしは腰が痛いとのことだったが、かなりのスピードで上っていく。峠のトンネル手前で休憩(14:02-14:15)後、下って永平寺へ(14:27着)。
*永平寺
周辺道路は車で溢れ、境内には参拝待ちの長い行列が出来ていた。参拝は諦めて、奥の寂光苑を散策。そこは平成12年の記念事業により整備されたエリアで、観光客が鐘を突くこともできる。
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永平寺(参拝すればこちらまで来れる) | 寂光苑で鐘をつく
*大野市の宿まで
永平寺を出て(15:17)、下って九頭竜川に出たところで、東に向かって上り基調となる。向かい風にも感じられたが、ダズがトップを引いて快調に走る。あこしも頑張る。ファミマで休憩(16:03-1625)した後、今日の宿、弥生旅館に到着(17:23)。
宿泊:弥生旅館
今晩は最も参加人数が多い。小澤が抜けた一方で、一乗谷で合流した3人のほか、サカナと共に走ったてんたが加わる。そして2019年GW九州ツアー以来の再会となる潤子氏は宿泊しないが夕食に来てくれた。みんな元気そうで何より。それぞれの近況など聞きながら賑やかに過ごせた。部屋に戻ってからも、てんたの地酒や野田のトリスを吞みながら、神社仏閣修復の話などを聞いたりして、いつもより少し夜更かしとなった。
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今回の最多メンバが揃う
余談・・・呑み部屋にやって来たあこし曰く「トイレの窓際にカメラがあったんだけど・・・、オブジェにしては変、むしろ怪しい・・・。」
・・・夕食から部屋に戻る時にトイレに寄って、レンズキャップの付いていない一眼レフを、トイレに入った人の方に向けて置き忘れてしまった筆者であった。>>> 野田の別動レポートはこちら
【浦野コメント】浦野と小澤氏の二人は本隊よりも一足先に一乗谷へ向い、浦野は今年2月に車で来た時に積雪のため断念した山城跡へ行った。山頂近くの駐車場まで200mほど上った後は徒歩15分の登山で山城跡へ。石垣などの遺構があるわけでもないが“日本100名城”に数えられる山頂の一乗谷城を初めて訪れることができたのは収穫だった(麓の朝倉氏遺跡は何度か来たことあり)。午後に訪れた永平寺では参拝券を購入するための長蛇の列にびっくりして参拝を断念。永平寺エリアでは結局1時間近くのんびりしたので最初に並んでいたら十分参拝できたかもしれなかったが、まあ次の機会にとっておくことにした。
【小澤コメント】小澤の最終日。良い天気で誠に残念ではありますが、お先に失礼させていただきました。一乗谷駅で後発組の千葉さん、ダズ・アコと合流、昼食を共にできて良かったです。浦野さんとの朝倉街道のランは、中世の地政学的な位置関係と勢力関係つなぎ合わせて頭に描きながら走り、帰宅後に「山川出版社 小説日本史図録」で復習しました。戦国時代の中山道と北國道の、交通網と産業の歴史がしのばれる、文武両道のランでした。(私の総括)
【千葉コメント】この日からツアーに合流。福井駅でハピラインふくいへの乗り継ぎ15分の余裕あるはずだったが、金沢駅で駆け込み乗車あり、その影響で11分の遅れ。自転車を担いで走りました。駆け込んだやつ出てこい! 永平寺は二度ほど見たので一乗谷をゆっくり見て平坦な道を20km走って宿へ。一乗谷では平安装束の女性が復元した町並みを歩いており、今年の大河ドラマで吉高由里子演ずる紫式部(まひろさん)が出歩く時のいでたちそっくり。ちょっと感激しました。ちなみに“まひろ”はNHKの制作者がつけた名前。紫式部も本名ではなく本名は香子との説もあるとのこと。
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町並再現エリア | まひろさん
【Gコメント】無事にツアー後半戦へ突入。一乗谷遺跡を訪れるのは2011年の関西OBラン以来。さらに整備が進んだようだ。永平寺はちょっと残念、またの機会に。宿では、今回最多のメンバが揃ったので、体調が落ちて控えていたビールを少しだけ解禁した。
【宮村コメント】良かったこと:①宿泊した「べにや」さんの朝食に出た「若狭かれいの一夜干」。脂っぽくなくさっぱりするも、魚肉の甘味がしっかり口中に広がり美味だった。②「一乗谷」へ行く途中通過した「越前東郷」の街並み。江戸時代に宿場町だった風情が保たれていた。その間を流れる用水(名前が「堂田川」どうだがわ)が整備されており、籔内佐斗司(やぶうちさとし)氏作の「かっぱ」が各所に顔を出していた。籔内氏は彫刻家で奈良のキャラクター「せんとくん」で有名。仏像研究家でもある。日本古来の懐かしさに通じる像を多数作成し、国内外に多くのファンをもつ。③「一乗谷」。城下町そのものが堅固な守りの天然要塞のようで珍しかった。同時に交通の要地。ブラタモリの「一乗谷」編を視たことあったので、タモリ気分で楽しめた。④曹洞宗「永平寺」の奥庭(寂光苑あたり)でずいぶん寛げた。山門・本堂は混んでいて入らなかった。⑤越前大野。お宿「弥生旅館」で夕食後、ランドリーへ「寺町通り」を歩いている間に、夜なのに魅了された。立ち並ぶ寺院に風情があった。山の上のお城がライトアップに浮いていた。途中のイタリアンがイケてる存在感。何気ない公園(「荒井公園」)の案内版に「本日の地下水位は〇〇m〇〇cm」表示。水を大事に扱っている。朝食前、再度「寺町通り」を少し走り、「七間通り」で朝市準備を眺めていると、散歩中の方々からご挨拶&話しかけ。「北陸の小京都」と言われているが京都よりよっぽど心根が良いでしょう。街はお城推しのようだが、自分は街そのもの推しになるかも。朝市見て、カフェなどで休憩しながら醤油屋さんなど老舗を覗き、のんびり一日散策してみたい。城下町に立つNTT西日本ビル&塔は、別へ移してほしいが。後で調べた:越前大野をつくった武将は誰か調べた。飛騨高山の城下町をつくり、鉱山を開発し藩を強化し、信長・秀吉・家康各々の重臣になった戦国大名「金森長近(かなもりながちか)」が若い時につくったとのこと。地域の特徴を活かす秀でたデベロッパーだったらしい。
【DAZコメント】東京7時20分発の新幹線に乗るべく、朝5時半に自宅を出発。偶然にも千葉さんと僕らで3人並びの席だった。福井駅から越美北線への乗り換えは少し距離があり、途中金沢で遅延したせいで輪行袋を担いで走る羽目に。無事に一乗谷に到着したが、組み立て時にアコのブレーキシューからゴムが外れているという事態が発覚。分割式のブレーキシューは最近取り付けたもので、試走程度はしていたもののツアーでの使用は初なので、ちょっと先行きが心配になった。そんなこんなで初日はバタバタしたり気がかりもあり、余裕がなかったせいか、宿に到着したら両腿が攣ってしまった。(千葉さんの漢方薬を頂いて服用したら、実に良く効きました。ありがとうございます)同期のてんた、さかなに久しぶりに会えて嬉しかった。
8日目:5/4(土) 大野→ひるがの高原 (74km/1263m) 晴れ
メンバ:G、浦野、那珂、野田、宮村、千葉、DAZ、アコ、(離脱)さかな、てんた
(千葉記:2024/5/14)
*早朝スタート
本日は1200upというまあまあな登りの日。この前の日から参加の私にとってはこのツーリングを通して最大の登りの日。ちょっと気が重い日ではありました。
上りが多いことから早くに出発すべく朝食は6:30、スタート7:30。ただし朝早くに大野城に行ってきた人、いたるところに湧いている湧水を汲みに行った人など皆さん朝早くから活動開始。
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弥生旅館の前で | 大野周辺の小麦畑
*九頭竜ダムへ
宿 7:30 発。野田は潤子さんの車を使ってワープする計画。朝潤子さんが来て、自転車を分解することもなく半ば強引に押し込んでいた。また、サカナもここまでで自宅に。てんたは九頭竜湖駅まで付き合ってくれたのち越美北線(九頭竜線)で福井の自宅へ。また、那珂は親戚の方にあいさつするとのことで少し一緒に走ったのち別行動。
この日は登りが多いこともあり、行動食確保のために近くのコンビニによってからスタート。大野の町を離れるとだらだらとした登りとなる。第一の目標は九頭竜湖駅を経由して九頭竜ダムへ。てんたによると急な坂はなくだらだらした登りが続き、九頭竜ダム直前の登りが少し急とのこと。
今日も快晴で湿度も低い。快調に走っていると“おじさんたち速い”とてんたが言っていたがこれは本心か社交辞令か。
9:40 九頭竜湖駅到着。思っていた以上に大きく立派な駅。売店もありなによりも駅前に親子の恐竜の動く像があった。福井はどこに行っても恐竜か?そしてここでてんたはお別れし、ここが始発の九頭竜線で輪行。
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九頭竜湖駅前の恐竜 | 同期のDAZとてんた
またこのあたりで野田から連絡あり、潤子さんに油坂峠まで送ってもらってそれからは美濃白鳥まで下り、一路ひるがの高原を目指すとのこと。“自転車のだいご味は登ってから下ること”という声が誰かから聞こえた。
本隊はここから九頭竜ダムを目指す。九頭竜ダムには小と大があり、まず小が現れる、そこからすこし登ると大(九頭竜ダム本体)に到着。ダム本体の高さ分を上る道もそれほど急ではなく一安心(10:30)。今年の冬は雪が少なかったためか、もっと大きなダム湖を想像していたが水は少なめ。ダムの上でしばし休憩。
今日は700upの油坂峠の後、一度下って、ひるがの高原まで500を登り返すルートだが九頭竜ダムで油坂峠登りの3/4ぐらいを終えたはず。
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九頭竜ダムを下から | 九頭竜ダムの上で
*油坂峠へ
11:10 九頭竜ダムをこえて数キロのところにある九頭竜ドライブイン着。ここで早めの昼食。このドライブインは九頭竜湖の畔にありベランダからは湖が見渡せ、水際まで降りることも可能。ここのイチオシ?の九頭竜カレーは九頭竜マイタケが入っているということだったがマイタケのようなものは見あたらず謎のまま残る。
那珂より連絡あり、親戚の家でけっこう時間を取ったので急いで追いかけるとのこと。
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ドライブインにて
12:00 ドライブインを出発し越前大野と美濃白鳥の国境に位置する油坂峠を目指す。このあたりから気温も上がり暑さを感じる。
油坂峠には大野油坂道路という車専用の道があり、ここを通れば登りが少し楽だが、車専用なので自転車で侵入すると下ったところにある派出所で捕まって注意されるとのこと。もちろん誰も行かず旧道を進む。
油坂峠の旧道登りは距離も短くあっという間にクリアし峠のトンネル着(12:30)。峠からは美濃白鳥町が眼下に一望できた。宮村さんから油坂の謂れは、ここで合戦があり流れた血の油で道がぬるぬるしたからという話が合った。のちに調べると、室町時代に、越前の朝倉氏がこの峠を越えて郡上の東氏篠脇城を攻め、油坂峠の戦いで流した血の油がこの峠の由来であるとのこと。
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油坂峠にて | 眼下の美濃白鳥町
*美濃白鳥をこえてひるがの高原へ
油坂峠から美濃白鳥までは一気の下り、白鳥ではコンビニ休憩のみでそのまま次なる500upに突入する。少し登ったところに長滝白山神社あり(14:00)。この神社は白山を御神体とする白山神社の中心的な神社の一つで白山信仰における美濃国側の中心とのこと。明治維新以前は白山中宮長瀧寺と称したが、明治時代の神仏分離により長滝白山神社と長瀧寺に分離され、長滝白山神社と長瀧寺が同じ同一境内にある由。神社は立派な社殿だが庇につっかえ棒がしてあったり、耐震補強のためか無粋な鉄のはすかいがしてあったりでちゃんとした手入れが必要と見受けられた。
ここにあった地図を見ると、白鳥からひるがの高原、白川郷に至る道は白山の東側すそ野をめぐる道であることがわかる。
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長滝白山神社 | 神社脇の立派な巨木(何も解説ないが)
このあたりで那珂から連絡あり、若干遅れ気味で本隊に追いつくべく頑張って走っているとのこと。
途中、白山文化の里長滝(14:20)、道の駅大日岳(15:40)で休憩を取り、もう少しでひるがの高原というところで、“長良川源流夫婦滝”に寄る(16:10)。駐車場からどれほど歩くかわからなかったが行ってみるとすぐに滝を発見。道からすぐにもかかわらず深い森にたたずむ滝という感じがあり、とても良い景色。長良川がここからスタートなのだろうか、でも結構大きな滝の水はどこから来たのだろうか?疑問が残るがいずれにしても良いところでした。
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道の駅で休憩(暑い!) | 夫婦滝
滝を見て出発しようとしていると那珂が到着。追いつくために昼食も簡単に済ませてひたすら走ってきたとのこと。お疲れさまでした。
16:35 ひるがの高原の宿レストホテルほづみ着。野田は昼ぐらいについてビールと弁当を食べて宿に早く入ったため(ヒマなため?)、宿の情報(部屋、洗濯、自転車置き場等)を随時入れてくれていた。ありがとうございます。
宿泊:レストホテルほづみ
宿は高原での学生合宿を想定した結構大きなつくり。この日、我々以外はバイク旅行のカップルのみだったみたい。
夕食には、鶏肉キャベツもやしなどをタレで絡めて鉄板で焼く地元料理、鶏ちゃん(けいちゃん)をいただく。初めて食べたが素朴ながら結構おいしい。
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鶏ちゃんを含む夕食
登りが多く長い一日だったので皆早めに就寝。>>> 那珂の別動レポートはこちら
>>> 野田の別動レポートはこちら
【浦野コメント】早朝一人で越前大野城へ(2回目の訪問)。開館前の模擬天守には入れず写真撮影のみ。昼食を摂った九頭竜湖のドライブインで食べたソフトクリームは自分に言わせれば“まがい物ソフト(いわゆる押し出しカップ式)”で後悔しきり。夕方、道の駅大日岳でダズ夫婦が食べていた、ひるがの高原牛乳ソフトの方がよほど美味しそうだった。
【Gコメント】この日はとにかく暑かったなあ。昼食を予定してたドライブインが開いてて良かった。コーヒー飲めて落ち着いた。ここが湖畔で唯一生き残っていたのはそのロケーションのせいかも。
【宮村コメント】良かったこと:①ロックフィルダム(九頭竜ダム)をはじめて見たと思う。アーチ式などより存在感があった。アーチ式などは技だがロックフィルダムは力で堰き止めている感じ。②油坂峠とひるがの高原への上りは思ったより腰にこなかった。腹部に力を入れ、抑えた走りをしたからか。③白鳥(しろとり)に鎮座する長滝白山神社で霊峰白山の印が入った御朱印をいただけた。④夫婦滝がかかる岩石について、色が濃くまあまあ硬そうだったので、安山岩関連と思った。後で調べると道路左にそびえる大日ヶ岳からの溶岩性安山岩とのこと。見方があっていた。残念だったこと:①越前大野を出て、那珂くんが一時別行動になったあたりで山間に入った。そこから九頭竜川「仏原(ほとけばら)ダム湖」の終わりぐらいまでは、2000万年前「カルデラ火山」だった場所。よって地質がまわりと異なり、九頭竜川が流れる中央部分が閃緑岩系(勝原閃緑岩かどはらせんりょくがん)、荒島岳・寺月峠など周囲の山々は外輪山で安山岩系。つまり、九頭竜川の渓流が見えれば、黒から深緑の岩肌(別名黒御影くろみかげ)を楽しめるはずだった。しかし、渓流は随分下方で見えなかった。ダム湖域に入ると水面下で分からなかった。
【DAZコメント】同期のさかなとは今日朝まで、てんたとも午前中でお別れ、ということなので、昨夜は本当ならじっくり飲みたいところだったが、今日の日程はけっこうハードなのでそうもいかず、野田さんのトリスを頂いたもののほとんど一気に飲み干したせいか、今日は頭が痛かった。でも早めの出発時刻にしたおかげか休憩や観光も楽しみながら、昨日より余裕をもって走れた。学生合宿向けの宿は、夕食に鶏チャン焼きなどボリュームもあって、広々してるしこういう宿はけっこう好きだ。
【てんたコメント】福井赴任以来、大野から九頭竜湖駅までのルートは、輪行を利用して逆ルートを走りたいとかねてより考えてはいたのですが、期せずしてその逆コースを走ることと、九頭竜湖線乗車がかないました。普段ほとんど自転車にまたがっていませんので、峠越えとなると話になりませんが、今回は皆さんからちぎれることなく九頭竜駅まで行けただけでほっとしています(酒の席であればトップを引ける自信あるのですが)。みなさん、このたびはお誘いいただき、ご一緒させていただき、ありがとうございました。
9日目:5/5(日) ひるがの高原→五箇山 (76km/566m) 晴れ
メンバ:G、浦野、那珂、野田、宮村、千葉、DAZ、アコ
(DAZ記:2024/6/16)
6時過ぎに起床、快晴。今日は下り中心の一日なのでだいぶ気楽だし、観光ポイントも色々あって楽しみだ。
出発前に宿の奥さんが皆に地元天然水のペットボトルを差し入れして下さった。8時に出発写真を撮影。宿の前に、演歌歌手(?)大城バネサさんの大型看板が立っていて、もしかして宿の奥さんだったりして?などと与太話をしてから、「ひるがの分水嶺公園」に立ち寄るべく昨日来た道を500mほど戻ることに。野田さんは既に昨日立ち寄り済みなので、まっすぐ北へ出発した。
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レストホテルほづみを出発
分水嶺の石碑には「蛭ヶ野峠」とあり、「ひるがの」の漢字がわかった。蛭じゃイメージ悪いからひらがなにしたのかもねぇ、と宮村さん。奥には小規模ながら湿原が広がっていて、小川の分岐に「太平洋⇔日本海」の文字が石に刻まれている。これを見たら「昔OBランで来たことがあるような・・・」と思ったが、いつのことかはもう忘却の彼方。ここではやっぱり記念写真を撮る。大城バネサさんの「長良川悲恋」の歌碑もあって歌詞が刻まれており、分水嶺はやはり別れを連想させるもののようだ。歌詞の3番にある「金華山」は、岐阜城のことだよ、浦野さんが教えてくれた。さすがお城マニアの浦野さんである。また別の石碑には、明治40年に初めて中屋さんというご夫婦がこの地に居住してお助け小屋を営んだという歴史も刻まれていた。水芭蕉を眺めてゆったりと散策を楽しんでから、8時20分に公園を出発する。
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分水嶺公園
高原のリゾート地帯を抜けて国道156号を気持ちよく8kmほど下り、国道158号に当たったところで1kmほど南下して寄り道、荘川そばの里にある「五連水車」に立ち寄る。
「そばの里荘川 心打亭」の敷地内なのか良く分からないが、広い駐車場の奥に、いかにも写真映えする五連水車が見えてきて思わずわぁーと声が出る。一番左の水車が直径13mだそうで、一番右は3.6m、中の3つは4.5~5.5mらしい。機械好きのメンバーが多いためか水車のしくみ談義に花が咲き、一番大きい水車で蕎麦粉を挽いているとのことだがこの水車を回すための水を動力で揚水しているのだとすると、、、との批評が出ていたように思ったが、とにかく皆さんの関心をさらったことは確かなようだ。後で調べると、水車を管理しているのは蕎麦屋さんではなく別の会社らしい。15分ほど滞在して、9時過ぎにここを出発。(G記:後日訪れた野田が見た説明板では、水車を回している水は高所から引かれているとのこと。なんとも失礼な解釈をしていました。ごめんなさい。)
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五連水車
国道156号を北上し御母衣湖畔に至ると、遠くに残雪を被った山が見えてきたのでちょっと立ち止まる。地図を参照し、見えている山は白山よりもっと北にある県境の山(三方岩岳?)かな、ということになった。快晴のもと湖と山々の眺めは気持ちよく、写真だけ見たら外国と思うかもよ、なんて言いながらひとしきり写真撮影を楽しむ。
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御母衣湖畔にて(お揃いの写真二つ)
さてここからほんの数百mで、次の見所「荘川桜公園」に9時半到着。「荘川桜」とは、御母衣ダム建設計画によって水没予定地区となった荘川村に、当時樹齢400年余りの桜の巨木があり、これを水没から救いたいと考えた人たちが前例のない難事業の末に移植を成功させた老桜だ。サクラは外傷に弱く少々の枝折れで簡単に立ち枯れするデリケートな植物であるため移植は難しいのだそうで、ましてこの木は樹高20m幹回り6m重量約40tの老巨木であり、専門家からすれば無謀としかいいようのない試みで成功は奇跡的なものであったとのこと。ここでは事前予習していた那珂さんからこのようなレクチャーを受けつつ、移植後64年経った現在も立派に生き続け水没地区を見守るように立っている桜を鑑賞し、9時50分出発する。
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荘川桜の前で | 荘川桜の二世
御母衣湖の北端に至ると巨大なロックフィルダムの御母衣ダムの姿が見えてきたが、この先のダムサイドパークに立ち寄ることになっていたのでピークでは立ち止まらず、標高にして90mほど急坂を下っていくと、「MIBOROダムサイドパーク 御母衣電力館・荘川桜記念館」に到着した。ここでは御母衣ダム建設の様々な経緯と荘川桜の物語を更に詳しく学ぶことが出来るように展示がされていて、また巨大ダムの威容も大きなガラス越しに眺めることが出来る。
御母衣ダムは1947年(昭和22年)に調査開始、1950年にダム計画の骨子が固まったが水没対象となる住民らが「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」を結成して反対、電源開発初代総裁の高崎達之助が何度も現地に足を運び直接対話を重ね、足かけ7年に及ぶ補償交渉を経て住民の同意に至り、1957年着工・1961年完成したダムとのことだ。当時の関係者が示した誠意と情熱には現代人の我々からすると全く頭が下がる思いがした。また荘川桜の移植についても、この事業の総指揮をとることになった「桜博士」笹部新太郎が、光輪寺の老桜に加えてもう一本、照蓮寺にも老桜があるのを発見し、二本の移植を行ってどちらか一本だけでも成功させようと考えたという逸話や、移植当時に旧国鉄バス名金線の車掌だった佐藤良二氏が荘川桜の生命力に感動し、自身のバス路線に桜の苗木を植えはじめたことから始まった「さくら道」のエピソードが特に印象に残った。荘川桜は現在も電源開発が直轄して保守管理を行っており、実際の手入れは移植当時から一貫して「庭正造園」が手掛けているのだそうだ。ところで那珂さん家の次女、T美ちゃんは電源開発(JPOWER)に就職され、長崎の島に赴任しているとのこと。ここでの見学をした上で感じるのは、素晴らしい会社に就職されましたね、と心からお祝いしたい気持ちだ。
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お役目を終えた水車 | 記念館の窓から御母衣ダム
さて約1時間じっくりと施設見学して、11時10分ころにMIBOROダムサイドパークを出発する。快晴の強い日差しの中、2kmほど下っていくと道路沿いに「旧遠山家住宅」という合掌造りの民俗資料館が見えてくるが、この先で白川郷を見学することになっているのでここはパスし、パークから約16km(標高710→550m)を35分ほどで快走。白川郷への入口となる分岐で、ちょうど向こう側から走ってきた中高年サイクリンググループと出会う。「こっちはすごい混雑ですよ・・・」との言葉にちょっとひるんだが、何はともあれ白川郷方面へ進んで行く。視界が開けて合掌造りの家がチラホラと現れてきたのはほんの入り口だったが、まずはここでさっそく撮影タイムとなる。残雪の高山も背景に見えていて素晴らしい景色だ。このあたりで昼食も取りたいねと話しつつ、混んでるし入れる店が有るかな・・・と少し心配だったが、更に進んで中心エリアに近づいていくと観光客でごった返しており、とても自転車に乗れる状況ではなく押しとなる。最初に目に入った一軒目の食堂「お食事処 喫茶白楽」に、千葉さんが迷うことなく入ってトライすると、一発OKサイン。あとで観光中に通った道の食堂はどこも行列していたので、あれこれ迷っていたら昼食難民になったこと間違いなし、千葉さんの素早い決断に大感謝です。
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白川郷エリアのほんの入り口 | 一気に人が増えてきてビビる
宮村さんが中華そば、他の皆さんは古代米カレー、あと何人かデザートに「アンコーヒー」。窓から見える景色がきれいで、遠くに見えている山はお店のご主人に聞くと「三方岩岳」とのこと。「虫が入ってくることあるけど自然豊かな所だし許してね」って内容の貼り紙が有ったりして、飾らない感じのすてきなお店だった。ここは土産物屋も兼ねており、浦野さんとアコは白川郷にしかない名物「どぶろく羊羹」をいち早く発見し、お食事を待つ間にさっそく購入。このあと何人かも購入していたと思う。
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古代米カレー | アンコーヒーでまったり
12時半過ぎに食事を終え、このあとは自転車を食堂前に留めたまま徒歩で展望台まで向かうことにする。中心街から離れ、緩い登り坂を数百メートル歩くと、荻町城跡展望台という所に着く。合掌造り集落を見渡すことが出来て良い眺めなので、皆で記念撮影する。外国人観光客もたくさん来て賑わっていた。ここからすぐ上に、駐車場が有ってトイレもありそう、ということで何人かトイレ休憩に行く。ついでに皆で上がってみると、ここには土産屋さんとカフェに併設されたもう一つの展望台(=「天守閣展望台」)が有って、お店のお客さん以外も割と自由に出入りしているようだったので、僕らも三々五々見学させてもらったり、ソフトクリームを食べたりして楽しんだ。・・・そうこうしているうちに、Gokiさんだけいないな~ということになって、トイレにいるんじゃないかと千葉さんが探しに行ってくれたのだが「いないようだ」とのこと。どうもはぐれてしまったようで、宮村さんが電話をかけてみたりしたけど繋がらず、まずは自転車まで戻りましょう、ということになって昼食のお店前まで戻ると、Gokiさんは日差しを避けるように小さな日陰にしゃがんで僕らを待っていてくれた。
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集落内を歩いて展望台へ | 天守閣展望台から白川郷
さてここで13時50分頃、白川郷見学を終えた我々はまた国道に戻るべく、この混雑の中を最短で抜けるには・・という観点でグーグルマップを見て選んだ道は「であい橋」で庄川を渡る、というルートになったわけだが、「であい橋」についてみるとそれは徒歩専用の狭い吊り橋で、ここからの眺めも素晴らしいので重要な観光ポイントの一つになっていたらしく、徒歩ですれ違うのもやっとの大混雑のなかをひやひやしながら自転車を押して通る羽目になりこりゃ失敗、とその時は思ったけど、いま思い返すと良い思い出になったのでやっぱり良かったなと思う。
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自転車を押して渡った「であい橋」
14時過ぎとなり、白川郷を離れ国道156号に戻って北上するのだが、逆方向の道路はすごく渋滞している。どうも高速道路の出口からずっと車列が繋がっているようだ。午前中走っているときは全く車の少ない国道で快適だなと思っていたのだが、白川郷に車で来る人は東海北陸自動車道を利用してくるのが定番なのだろう。白川郷での駐車場で入場制限しているためにこの渋滞なのだろう、ということだが、こんなに長い渋滞では、今日中に見学できないんじゃないかと心配になる。ここから先はトンネルが連続する道となり、午前中にこの区間を走った野田さんからのLINEで「風が強いので、突然の横風に十分注意して下さい。特に、下りのトンネルを抜けて橋になるところが一番危ないです」との情報を頂いていたので、トンネルを出るときはしっかり減速して注意して走行した。「岐阜県と富山県の県境を行ったり来たりする手前が危険!」とのLINEもあって、これはどういうことかと思ったが、走ってみると確かに何度も両県の看板が交互に出てくる箇所があって、そうかここのことか、と思ったが、その手前が危険、ということは、もうそこを通り過ぎてしまっているわけだが・・・何はともあれ、野田さん大事な情報をありがとうございます。
横風注意区間を過ぎて、14時50分、道の駅「上平ささら館」で休憩。5月5日だから柏餅が有れば良いな~と思ったが、残念ながら無かった。このあとの観光ポイント「菅沼合掌造り集落」へのルートを確認、効率的に行くには、国道156号が庄川の右岸に渡る手前で脇道に入る必要があるようだ。脇道に入って漆谷集落あたりで「血染の名号」という標柱に思わず立ち止まって、なんだこれはと検索した小休止ののち、15時半ころ菅沼集落に到着した。
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荘川の渓谷部分 | 「血染の名号」とは?
菅沼合掌造り集落は、白川郷のように観光客でごった返してはおらず、静かで落ち着いた雰囲気のなかで古い家並みを見学出来て、とても良い所だった。ここでは「塩硝館」と「五箇山民俗館」を見学、塩硝の製造工程は難しくて読んでも頭に入らなかったが、「幕府の目が届かない秘境だからこそ塩硝製造が一大産業となった」というのはなるほどと思った。民俗館では罪人の流刑に使った「篭渡し」の篭や、五箇山民謡「こきりこ節」に用いるという「ササラ」を見たのが印象的だった。こきりこ節は「晴れのサンサもデデレコデン」という歌詞を見たら「あ、聞いたことあるかも」と思った。ササラの使い方は分からなかったので後日調べたら、踊り手がシャン!と鳴らしながら踊って拍子をとるもののようだ。
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強い日差しで暑い、菅沼合掌造り集落 | 五箇山民俗館の屋根裏展示![]()
富山ブラックサイダー飲んだの誰?
菅沼集落の観光もじっくり一時間かけて、16時半ころ出発。最後の見学ポイント「流刑小屋」は、枝道の入口が分からず商店の人に聞いたりして16:45ころ到着した。江戸時代の加賀藩で罪人を閉じ込めるための小屋があったもので、昭和38年に豪雪で倒壊したため現在は古文書を参考に復元されたものがここにひっそり建っている。庄川に橋は無く、ただ縄が両岸に渡されていて、罪人が自分で篭を移動させて対岸に渡るというのは決死の重労働だったろうと思う。
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荘川対岸のさらに上 | 流刑小屋の前で
いよいよ本日のお宿、相倉集落の民宿なかやに向かう。流刑小屋から国道に戻ってすぐ北のトンネルを通らず、その上を越していく旧道を選んだのだが、進んで行くと「NO ENTRY」の立て看板が立っている。相倉集落に行くにはトンネルを通って2kmくらい下ってから国道304号を登り返して行くようにと指示が書いてある。このまま旧道を進むこともできるような感じもするが、もう17時になったこともあり、行ってみてやっぱりダメで引き返すことになるのもロスがきつそうだし・・・ということで、Gokiさんと那珂さんで協議した結果、旧道はやめて指示通りの正規ルートを選択することに。最後のアップは約100mで、夕方の疲労した身体にはけっこうきついものだった。14時半には宿にチェックインしていた野田さんは僕らの到着があまりに遅いので心配になり、何人にも電話を掛けたのだが皆登りの最中で出られず、折り返しで掛け直したときは既に野田さんは別の人に電話を掛けていて・・という感じで結局誰も通話できず、でも17時半には相倉集落に到着。もう観光客の姿も無く地元の子供たちが元気に外で遊んでいて、僕らにもこんにちは!と声をかけてくれる。まもなく無事に宿に到着すると野田さんと女将さんが宿の前で待っていた。(野田さんはNO ENTRYの旧道をそのまま進んで問題なく到着できたそうだ)。
宿泊:合掌民宿なかや
本日のお宿は合掌造りの民家に泊まれるということで楽しみにしていた。外観はまさに古い民家そのままで、なんと築350年!だということだ。中も柱や梁などは古いものを残してあり、食堂も囲炉裏に立派な鉄瓶が下がっていて、席だけは外国人や高齢者でも座りやすいように椅子席になっていて、あと水回りだけは近代的にアップデートされているという、実に良い具合の改修ぶりが好ましい感じだ。食堂には菅沼で見たササラが飾ってあり、あっと注目していると、勝山出身の野田さんが「うちの実家にもあるわ。欲しいならあげようか」と言ってくれたのだけど、さすがに上手く活用できないので遠慮した。宿のキャパは大きくないので、宿泊は僕らだけの貸し切り状態。お風呂を順番に入りながら洗濯も進めて、お茶を飲みながら夕食前にBSテレビで大河ドラマ「光る君へ」を見る。
18時40分ころから夕食。ツアー最終夜なのでみなビールをいつもより多めに頂きつつ、鮎の塩焼きや山の幸を中心とした盛沢山の夕食を楽しんだ。いつもは少食の千葉さんも全て完食し、ご本人も驚きつつ、サイクリングモードに突入か!と皆もなんだか嬉しくなった。
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いろりに鮎 | ツアー最終夜の乾杯
明日のツアー最終日はみなそれぞれの計画があるものの、天気予報が下り坂なこともあって、夕食後の時間はみな計画の変更・調整にあれこれ頭を悩ます。Gokiさんは、当初は直江津まで走って宿泊、月曜日にそこから茨城へ・・・というプランを立てていたが、天気予報によりこれは取りやめにしてツアーゴールまで帯同するべく富山駅ちかくのホテル泊を選択。那珂さんは黒部渓谷のトロッコ鉄道に月曜日に乗る予定だったのを、明日のうちに乗ることに変更。一方アコは、宿にあった「るるぶ富山版」を眺めて富山駅までの道中にある観光ポイントを発見して、こことここに寄りたい・・・などいつもながら泥縄式の観光計画をたてる、という具合で、みなそれぞれ違うことをあれこれと言いながら、最終夜が更けていった。
>>> 野田の別動レポートはこちら ![]()
夜の「なかや」さん
【那珂コメント】朝食まであまり時間が無かったが天気が良いので、宿より山側にある林の中の未舗装遊歩道など、ひんやりとした気持ち良い空気の中を20分ほど自転車で散策。五連水車のうちの一つは確かにデッカイし、各水車の造りも面白いが、電力で揚水(多分)して回す意味が不明なのが残念。御母衣ダムではダムサイドパークで勉強。荘川桜の物語はJ-Powerの起源ということで、同社の研修でも勉強するらしい。白川郷と五箇山で合掌造りを見学。白川郷の展望台は以前訪れた時よりも整備されているが、観光客も多くなっている。対して五箇山はこじんまりしているが落ち着く。宮村さんと富山ブラックサイダーなるものを見つけて飲んでみる。
【浦野コメント】天気も良く、下り基調のコースだったので快適に走れた。白川郷の展望台の隣には荻町城跡の空堀(水を張っていない掘)とその説明文があった。数年前に車で来た時には気づかなかったので近年整備されたのかも。ノーマークだったので得した気分。五箇山の菅沼・相倉集落はいずれも白川郷ほど観光地化されておらず、素朴な雰囲気が素敵だった。
【千葉コメント】白川郷は人が多く完全なオーバーツーリズム。とくに駐車場に入るための一般道の渋滞は2km以上と見受けられた。それに比べて五箇山はまだまだ人少なく昔の雰囲気を多少残している。これからは人には五箇山を推奨します。
【宮村コメント】良かったこと:①「ひるがの」は、なぜ「ひらがな」か、理由が分かった。元々の漢字が「蛭ヶ野」。②御母衣(みぼろ)湖にて2点。1) 「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われるほど、桜は枝を切るとそこから腐りやすくなる。そんな手入れに弱い、樹齢約500年の桜。それを湖底になる場所から湖の上へ人知を尽くし植え替えた。しかし、今も満開を見せる奇跡の桜、荘川桜(しょうかわざくら)に出会えた。この時期、葉桜だったが。2)御母衣ダムとダムサイドパーク電力館をじっくり楽しめた。御母衣ダムは日本三大ダムの一つ。他の二つは黒部ダム、奥只見ダム。大きさもあるが湖を含めた総合的な個性でその三つらしい。電力館で以下個性を学べた。日本最初の大規模ロックフィルダム。奇跡の荘川桜物語。「幸福の覚書」(現在以上に幸福と考えられる方策を我社は責任もって実行すると約束して、住民交渉)。③白川郷。はじめて訪れた。街並みの整い方が素晴らしかった。雪が残る三方岩岳が綺麗だった。観光繁盛は喜ばしいが、人口密度の高さが苦しかった。予約制入場を希望。④五箇山。落ち着いた合掌造の里。菅沼では塩硝を学べた。ブラックサイダーがうまかった。ジンジャー風味と最後にくる胡椒の絶妙なピリッと感がクセになりそう。相倉(あいのくら)から見えた雪が残る人形山が綺麗だった。あとで調べた:白川郷と五箇山について、どうも家の感じが違った。なぜか調べた。合掌造りの基本的なつくりに関し、ほぼ屋根は東&西向き。理由は北&南向きだと冬に一方だけ雪が残り、家の重量バランスが崩れるからとのこと。南&北は窓が多い壁面で「つま」と呼ばれる。違いだが、基本、白川は屋根に茅(かや)を横向きに配置する。結果、両「つま」に茅の切口が出て屋根端がシャープに見えるとのこと。五箇山は屋根に茅の切口を下向けに配置する。結果、両「つま」が茅の茎になり、屋根端が丸まって見えるとのこと。もう一つ、出入口について、基本、白川は屋根側にあり「平入り」という。五箇山は「つま」側にあり「つま入り」という。宿泊した合掌民宿「なかや」さんも「つま入り」だった。なお、なぜ違いができたかは未調査。
【Gコメント】白川郷は、以前(2000年)飛騨高山GWツアーの際にルートが冬季通行止めで高山に引き返した因縁のある場所。もう以前の雰囲気では無いだろうけれども、今回リベンジできて良かった。そして五箇山は、その昔アコ氏が足の小指骨折で来れなくなった(1998年)金沢GWツアーで、あねごと訪れた懐かしい場所。今ツアーの後半をDAZ夫妻をメインとして計画した際に真っ先に決めた。どちらも無事に訪れられて満足です。
10日目:5/6(月) 五箇山→富山= (60km/600m) 曇り一時雨
メンバ:G、DAZ、アコ、(途中離脱)野田、千葉、浦野、那珂、宮村
(DAZ記:2024/6/8)
5時半頃起床、予報通り曇り空だが、寒くはない。相倉集落の中を徒歩で散策する。集落の中に、江戸時代後期に造られた「原始合掌造り」(旧岩本家)という住居が保存されていて、屋根が地面に接していて窓の無いこの家屋に、昭和初年までおばあさんが住んでいたというのが印象的だった。(G記:他の皆さんも各自散策されていたようです。)
宿に戻って6時半から朝食。ツアー最終日の今日は、各々の予定に沿って途中で少しずつお別れしていくので、本日のコース取りはみなそれぞれが雨雲レーダーも見ながら考え中のようだった。僕は国道156号で北上するつもりだったので、宮村さんにも一緒に行きましょうよーと話していたのだが、そのあと出発準備中に、同じく富山駅まで走る那珂さんから「国道304号で五箇山トンネルを越えた方が実は獲得標高は少ないのでそちらを通る」と聞いて、自分もそのプランになびいてしまった。宮村さん勝手に変えてスミマセン。野田さんは「雨が早く来そうなので、最寄りの駅(=城端駅)から輪行する」ということで、結局は城端までは皆一緒に行けることになった。
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原始合掌造り(旧岩本家) | 一階を増築している所が多い![]()
合掌民宿「なかや」さんの前で
7時半に出発する時は早くも雨がちらついてきて、まじかーと思ったが、幸い小雨なのでカッパを着るほどではない。スタートしてすぐ国道304号に入って約200mアップである。一つ目のトンネル手前にある人形山展望台で一息ついて、二つ目のトンネルがピークだ。全長2㎞ほどのトンネルは途中からかなりの下り坂となり、スピードが上がる。トンネルを出た所でいったん小休止。この辺りは人喰谷と呼ばれ、五箇山の人々が城端へ向かう際に雪崩で遭難する被害が多かったことからこの名がついた、という話を那珂さんが教えてくれた。この話を途中から聞いたアコは「えっ人喰いダニ?そんな大きいのがいるの?」「いやダニじゃなくて谷だよ」と一笑い。幸い雨は止んでいるのだが、ここからは風が強まって、時折猛烈な横風がくるので転倒しないように注意しながらガンガン下り、約380mダウンして城端エリアに至る。
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長い五箇山トンネルを出て一休み。人喰いダニ
城端は「越中の小京都」と呼ばれ古い町並みが素敵な所だそうで、また昨日行われていた「城端曳山祭」はユネスコ無形文化遺産に登録されているとのこと。そう聞くとゆっくり観光したかった気もするが、またいつかの楽しみに覚えておこう。城端駅から数百m手前で国道304号と県道21号が分岐するのでGokiさんは「駅には用が無いから、分岐でお別れだね」というと野田さんが「そんなこと言わないで、駅で皆一緒に写真撮りましょうよ~」ということで、皆で駅に向かう。野田さんはここから輪行、千葉さんもここから氷見方面へ向かうということで、またの再会を期して記念写真を撮影し、ここでお二人とお別れ。
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城端駅のポスターをチェック | 2人分かれる城端駅で記念撮影
9時20分ころ城端駅を出発し、県道21号で緩い下りを快調に走って6kmほど進むと、越中一宮高瀬神社への分岐看板に気づいたがそのまま走っていたところ、Gokiさんの携帯に着信があった。宮村さんから「越中一宮高瀬神社へ寄ります」とのこと。この先にある瑞泉寺に寄ってから神社かなと思っていたが、じゃあ僕らも宮村さんを追いかけましょう、ということになり、富山駅まで急ぐ那珂さんと城跡巡りを予定している浦野さんのお二人とここで分隊(9時35分頃)。
高瀬神社に到着すると、宮村さんの自転車が立てかけてあったので、僕らも同様にして参拝に向かう。本殿正面のすぐ脇に「なでうさぎ」像があるのが印象的で注目したが、正面上部にあるという見事な彫刻は全然気がつかず素通りしてしまった(後日ネット情報で知り、撮った写真を見たら確かに写っていた)。お守り販売コーナーにもうさぎデザインのものが色々あって、アコはうさぎのキーホルダーを一つ購入。うさぎ関連グッズが多いのは「御祭神が大国主大神だからだねえ」と宮村さん。大国主大神は「因幡の白うさぎ」の神話に出てくる神様なのだそうで、そこまで聞くと、なるほどと納得だ。
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高瀬神社、井波彫刻の賽銭箱 | 本殿上部の井波彫刻
さてこの後は木彫りの町、井波見学だ。中心となるのが1390年建立の瑞泉寺で、日本一の彫刻技術といわれる井波彫刻職人の手によって飾られている。井波彫刻は約250年前、瑞泉寺が火災により焼失した際に、再建のために派遣された京都の彫刻師が井波の宮大工に技術を伝えたのが始まり、と言われているらしい。実は僕はここへ来るまで何の予備知識も無く、また観光客も全然いなくてとても静かな所だったが、瑞泉寺のいたるところ、特に山門や太子堂に施された彫刻はそれは見事で大変見応えがあって、大切に保存されていることへの感謝とともに、静謐な雰囲気の中で見学出来て良かったなーと思った。
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瑞泉寺![]()
門横の自販機は猫の住処(彫刻)
瑞泉寺を見学した後は、せっかくだから井波の八日町通りで喫茶店休憩でもして、それから走りましょう、ということになり、自転車は寺の前に留めたまま来るときに見かけた喫茶店「ギャラリー&コーヒー 瑞庵」に入る。店主さんが「昨日まではGW本番で忙しかったけど、今日はもう食べ物はやってなくて」という半休モードだったので、コーヒーのみの注文となる。リラックスしたお茶タイムで、Gokiさんの新居の話とか、宮村さんのご実家にある、お父様の趣味の絵画の話などでまったりと過ごすなか、アコが「実はもう一か所見に行きたいところがあって・・・」とどこかで仕入れた「井波彫刻総合会館」のチラシを取り出した。井波観光で既に1時間半くらい過ごした後なので、Gokiさんと宮村さんは内心ヤレヤレと思ったかもしれないが、広い心で付き合って下さることとなり、お茶を飲み終えたら今度は「道の駅井波」の中にある井波彫刻総合会館に移動、ちょうど12時頃到着した。
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瑞庵でゆったりした後、彫刻屋さんの多い参道を戻る
井波彫刻協同組合員による近年の作品展示のほか、先人の匠が残した貴重な彫刻、家屋内外の装飾的な彫刻などが多数展示されていて、これまた見応えがある展示館で、ここでまた50分くらいの見学タイムを過ごす。もともと僕は最終日に関しては富山駅までの移動というイメージしか持ってなかったのだが、昨夜の宿でアコが「るるぶ富山版」だったかを見て観光情報を仕入れたおかげで、いろいろ見所が増えて良かったなぁと思った。
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井波彫刻総合会館の展示物(中の展示物は撮影できなかったが)
さて、もう13時近くなので、昼食休憩は無しにして富山駅まで走ろうね、という感じで表に出てみると、見学前まではかろうじて大丈夫だったのがいよいよ雨が降り出してきてしまった。だから言わんこっちゃない・・・と思いつつ、迷ったがカッパは着ないで走り出す。ここからしばらく道を見失いつつGokiさんにナビしてもらって猛烈な風の中を進み、特に庄川を渡る橋は横風が強くて本当に怖くなる状況だったが、県道11号に入ったら山際になったせいか少し風が和らいだので、あとはひたすら走るモードに入った。北上して国道359号に入ったら最後の登り(約90mアップ)である。13時50分ころピークに到着。雨もいつのまにか止んで、ドライブインはあるが昼食休憩はせず、行動食で補給しつつ下りに入る。14時10分ころ、国道359号と県道59号の分岐に到着。ここから富山空港へ向かう宮村さんは引き続き国道で、Gokiさん、アコ、ダズは県道59号で富山駅へ向かうことになり、ここで宮村さんとお別れである。ここら辺りから、北アルプスの白い嶺がうっすらと見えてきてきれいだった。
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宮村が分かれる
ここからは3人で、田園地帯のなか北アルプスを眺めながら富山駅に向かって行き、14時40分ころゴールの富山駅に到着!駅についたらなぜか急に晴れてきて、日差しが差すと暑いくらいだ。記念写真を撮って、ここでGokiさんともお別れ。輪行作業を終えてから一緒に遅めの昼食でも・・・と思っていたが、Gokiさんもホテルに移動してチェックインしたらもう一度出発するのも大変なので、それぞれに摂りましょうということになり、富山駅で食事して16時半の新幹線に無事に乗り込み、めでたくGWツアーの終了、となった。
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富山駅前で解散
>>> 那珂の別動レポートはこちら
>>> 千葉の別動レポートはこちら
>>> 野田の別動レポートはこちら
【千葉コメント】初めてのGWツアーで、あまり長い期間のツーリングはしておりませんでしたが何とか無事に最終目的地氷見まで走ることができました。 氷見では、思いもかけず大地震のあとにも接し、思い出深いものになりました。皆さんありがとうございました。
【那珂コメント】個人としては明日までの日程だが、天気の都合で富山駅から輪行することにしたため、走りに関しては今日が最終日となる。とりあえず明日は走らなくて良い、という安堵感も少々。全体を振り返ってみると・・・、3月末に3年半の謹慎生活(?)が明けるとすぐに体の準備を始めた甲斐あって、初めの2~3日は元気だった。しかしスタミナ不足は否めず中盤以降は疲労感が増してきたが、皆さんと一緒に走ることで前向きな気持ちで楽しく走りきることができた。 皆様のおかげで十分にリハビリできたと思います。本当にありがとうございました。またよろしくお願いいたします。
【浦野コメント】ツアー最終日。この日に帰宅する者、GW最終日の混雑を避けもう1泊する者など、それぞれの予定に従って徐々に人が減っていく。浦野はまだ行ったことのない増山城跡(続日本100名城)に立ち寄るのが当初からの目的であり、それを達成できたので満足。小雨がぱらつく富山市内で富山城跡(2回目)、富山県美術館(エッシャー不思議のヒミツ展)、富岩運河環水公園観光でツアーを締めくくり、夕方の新幹線で帰京した。
【宮村コメント】良かったこと:①野田君と別れた城端(じょうはな)駅の雰囲気が何だか良かった。後で調べると「越中の小京都」と言われており、レトロな街並みがあるとのこと。ちょっと脇道に入ってみても良かったかも。②南砺に鎮座する「越中一宮高瀬神社」を楽しめた。大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀るためか賽銭箱の上などに色々なうさぎの木彫が置かれ、御神紋もうさぎで、ほかにない神社の特徴を楽しめた。優しい字の御朱印をいただけた。③浄土真宗「瑞泉寺」と門前町「八日町通り」を楽しめた。「瑞泉寺」の山門、本堂、太子堂は、巨大で荘厳な建屋の各所に精巧な木彫が施されていた。特に太子堂。建屋の巨大さ、様々な場所に施された細かな木彫、初めて見た。どれだけの宗徒に支えられてきたのだろうと思った。「八日町通り」は木彫の猫がいろいろなところから顔を出し、和ませてくれた。④井波彫刻総合会館。井波木彫は、江戸中期、瑞泉寺本堂再建のため、京都本願寺より御用彫刻師が派遣され、地元大工らが彼から卓越した彫刻技法を習ったことからはじまったらしい。技術の粋がつまったたくさんの木彫を堪能できた。「高瀬神社」にあった井波木彫をもっと鑑賞すれば良かったと後で思った。Gくんの新居用にここの木表札どうかと見てみたが、手を出せなかった。恐ろしかったこと:この日は強風だった。自分は五箇山トンネルを出た時と井波彫刻総合会館を出発して庄川を渡った時、とても強い横風に倒れそうになり恐ろしかった。おわりに:今年も走ってみたかったところを走れて良かったです。皆さんありがとうございます。岐阜の資源関連を趣味で深堀したくなりました。また、体力低下と自転車操作技術の未熟さが問題と分かったので、来年も皆さんと走れるよう、問題解決に取り組みます。
【Gコメント】5/7からの悪天候の予報が出たので、当初予定を繰り上げて、富山駅前に泊まり、翌朝帰ることにした。しかし、終始強風が吹き、それが横風になることが多くて、下りや橋の上でかつてないくらい怖い思いをした。まずは無事走り終えられて良かった。この日のコースには特にプランを持っていなかったので流れにまかせたが、井波での観光〜高瀬神社、瑞泉寺、瑞庵、井波彫刻総合会館〜は、天気とは裏腹にとてもゆったりした時間を過ごせて良かった。今ツアーで、久しぶりにたくさんのRinRinメンバと走ったが、去年のソロツアーより身体が一杯一々になってしまったのはどういうことかなあ。それでも、皆とツアーを走れるレベルに、自分の目が回復したことを確認できたのは最大の収穫だった。
【アコ氏コメント】この一年ばかり膝と腰の調子が悪く、運動とは無縁の日々を送っておりました。これではGWランを完走できないのではと4月に荒川のサイクリングロードを走ったり、出発直前に「にんにく注射」を打ったりなどの緊急対策?でなんとか4日間走り切ることができました。 1泊目の越前大野では、夕食後コインランドリーを探して城下町を散策。多くの古いお寺が建立当時の面影を保っており、江戸にタイムスリップしたかのような雰囲気を味わいました。2泊目のひるがの高原の宿、まさに昭和のドライブイン(死語?)という感じの簡素な外観でしたが、ご飯がボリュームたっぷりで美味しく、布団はふかふか、自転車を置く屋内スペースが広く、女将さんも感じが良くて当たりの宿でした。3泊目の五箇山では早朝に襖一枚を隔てて流れてきた大谷選手のホームランに沸く大リーグ中継で目が覚めるなど、合掌造り民宿ならではの経験を。そのほか御母衣ダム、井波彫刻記念館、高瀬神社など、歴史や文化を感じる穴場的スポットを数多く訪れることができました。 野田さん、ゴキさん、浦野さん、コースの企画や宿の確保、ご尽力ありがとうございました。那珂さんを筆頭に、長らくごぶさたしていたみなさんとも一緒に走ることができてとても楽しかったです。来年も元気にGWツアーに参加できるよう、週末たまには自転車で長距離を走らねば、とこのコメントを書きながら思っています。
【野田潤コメント】ー NJは見た!番外編 恐るべし事件簿ベスト3 ー
*第3位.恐るべし、○○ヤンマ
5月3日、今回は実家の勝山市の隣、大野市の宿で夕食のみに参加するNJ。実家に立ち寄ったNJ兄のヘルメットに、でかい複眼を発見。しっぽにはトラ模様の黄色い縞々。 !?オニヤンマだ!なんと、自転車のハンドルの先にももう1匹、ゆらゆら飛んでいるではないか。 ん?フィギュア?NJ兄曰く、これを着けてからはアブに全く刺されなくなったとのこと。寄ってきても、すぐ逃げていくらしい。安いまがい物だとこうはいかないと、自慢げに話す。恐るべし、オニヤンマ。
*第2位.恐るべし、68番
待望の夕食。総勢11名。2つのテーブルに分かれて、着席。NJは、那珂氏、浦野氏、テンタ氏のテーブル。コロナ禍以降5年ぶりの再会で、話も弾む。そのうち、話は足がつったときにもらった漢方薬の話題に。なんと、飲んですぐ効いたらしい。そんな夢のような薬があるのか!? 実はNJ、10年位前から、夜中に足がつるようになった。これがめちゃめちゃ痛い。しかも一晩に何回も起こるのである。ツムラの68番、NJはメモった。 同じように足つりに悩まされているNJ母。最近は、モーラステープを太ももからふくらはぎまで全面に貼らないと治らないらしい。早速、翌日の夕食準備中、足がつってきたと言い出した。チャーンス!NJは昼間NJ姉からもらった68番を取り出し、まったく信じていないNJ母に無理やり飲ませた。5分後、あれ?そういえば足は?NJ母に聞くと、あら?忘れてた。痛くないわ~。 実験成功!恐るべし、ツムラ68番、その名も芍薬甘草湯。
*第1位.恐るべし、Over○○軍団
5月4日朝、再び大野の宿に向かい、集合写真に参加。今日はほぼ走る気のないNJ兄を、車で油坂峠まで連れていく。九頭竜ダムを過ぎてもまだまだ激坂。めちゃめちゃ登るやん。さすがgokiさんコース。これは走らなくてよかった・・・NJは思った。 しかし、実家に戻る途中ですでに九頭竜湖駅到着のラインが・・・。早い!その後も、1時間おきに九頭竜ダム、油坂トンネル到着報告が次々と。とても還暦を過ぎた方々の走りではない・・・。 恐るべし、Over還暦軍団。来年は還暦を迎えるNJ。鍛えねば・・・、密かに誓うのであった。
<おわりに>
(浦野記:2024/5/16)
2024年GWツアーは当初、年明けすぐに野田氏からのライン連絡で岐阜羽島⇒下呂温泉⇒高山⇒開田高原⇒辰野⇒北杜というコースが提案された(Nプラン)。直近5~6年のGWは2021年のショートツアーを例外としてGokiさんと走る機会がなかったこともあり、浦野としては今年はGokiさんと走りたいという気持ちもあったので、まずはGokiさんの意向を尋ねたところ岐阜方面で考えたいとのことであった。一部はNプランと重なりそうだということが分かり、NプランとGokiさんコースに相乗り(いいとこ取り)できないかと考えるようになった。2月に入りNプランの宿泊地をGokiさんと共有したところ、一部Nプランと逆向きに走りつつも高山で同宿可能になるGプラン(塩尻⇒奈良井宿⇒濁河温泉⇒高山⇒下呂温泉⇒池田⇒越前大野⇒ひるがの高原⇒五箇山⇒富山)が2月19日に提案された。この時点ではGプランの同調者がいるか不明であったが、浦野はGプランに気持ちが傾いていた。翌2月20日にGプランを野田氏と共有し浦野はGプランに参加する意向を伝えたところ、急転直下、当日のうちに野田氏の大英断によりNプランをキャンセルしてGプランに統合することになった。濁河温泉や板取などについてはピンポイントで宿を押さえないと大幅なコース見直しになることから、野田氏と浦野が電話しまくり、翌日には全宿泊地の予約を完了するという早業で2024年のGWツアープランが出来上がった。
出来上がったプランを検証したところ、2000m近く上る日があったり90km近く走る日があったり、なかなかのハードコースになることが分かった。「完走する自信はないのですが」と言っていた那珂氏は、身軽になった4月に100kmラン、2000mアップランなどテーマ別に計9回のトレーニングを積んで臨んだ結果、ソロプレリュード2日間を含めて完走し、完全復活を果たした。昨年秋からG企画(?)に参加されるようになった千葉さんも加わり、久しぶりの大人数GWツアーになった。終わってみれば10日間のうち雨に降られたのは計3日だった(うち2日は小雨で済んだ)という天気にも恵まれ、充実した10日間のツアーだった。
関連リンク:2023年GWツアー 能登・中央構造線
2021年GW アラウンド浅間山
2020乗鞍高原ツアー
(2016年)GWツアー 紀伊半島
(2011年)関西OBラン 福井
2005年GW 奥三河ラン
(1998年)金沢ツアー