秋ラン(紅葉) 裏磐梯

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御霊櫃峠まで会話しながら登る
by 宮村(投稿日: 12 Nov 2022)

Map, Click to Expand 日程:2022/10/22(土)~ 10/23(日)
参加:G(計画)、宮村、浦野
コース:=郡山→裏磐梯→米沢=

 ツーリング記録 参照
<はじめに>
 Gさん10月走りませんかランの第二弾。Gさんが1997年磐梯秋ラン(川上温泉泊)を参考に計画。浦野さんが宿予約をしてくれた。天気は、悪くないとの予報だった。ウエア選択は、急に寒くなったのと、雨準備と、お宿に浴衣系がない等で、工夫した。楽しみは、紅葉の始まり・猪苗代湖周辺・磐梯山景観・五色沼など。自分は、最近、テレビ(TBS報道特集)で、磐梯山噴火によって出来た堰き止め湖に沈んだ裏磐梯の町調査を見ていたので、その辺りにも立ち寄りたかった。



Map, Click to Expand 1日目:10/22(土) =郡山→御霊櫃峠→小平潟神社(猪苗代湖畔)→裏磐梯(63km/1002m) 曇り時々晴れ、一時雨
 メンバ:G、宮村、浦野

*郡山駅出発
 7時55分、8時30分、8時56分に到着する東北新幹線「やまびこ」で各人郡山駅に降り、集合場所の西口へ。晴れだが雲多し。郡山駅は新幹線駅だから当たり前なのだが、東京側から盛岡側までとても長かった。西口中央から出た浦野君と自分はすぐ合流したが、G君は盛岡側に近い出口から出たらしく、しばらく合流できなかった。コンビニで昼食&補給食など買い、写真を撮り9時45分ごろ出発。
 初めて来た郡山の街は広かった。東北で人口が、仙台市、いわき市に次ぐらしい。仙台市が断トツだが。街を抜ける途中、茂った木々の向こうに立派な洋館が見え始めた。門には旧福島県尋常中学校本館、安積高等学校とあった。これが校舎なのか恐れ入った、と思ったが、後で調べると“本館”は、国の重要文化財として管理され、高校の校舎はその奥らしい。

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郡山駅西口

*白鳥の群れに遭遇、御霊櫃(ゴレイビツ)峠
 10時30分、“御霊櫃峠”に向かう道への分岐に到着。道をチェックしつつ、ふと峠方面を見ると白い鳥の編隊が低空飛行でこちらに。個体の首~胴が太いなあと眺めているとあっという間に間近に。白鳥だった。自分は呆然として、シャッターチャンスを逃がしてしまったが、浦野君が映え写してくれた。後でGoogle Mapサーベイしていて、この辺りの冬期湛水水田(有機農法の一つ;水を張ることで酸欠化し春に雑草が生えにくい。水鳥の糞が肥料になる)や池(“鎌倉池”が有名らしい)に白鳥が飛来すると知った。拠点、猪苗代湖に越冬第一陣が到着したのは10月9日とのこと。中心部隊は11月から12月らしい。彼らは周辺に憩いの場を用意するみたい。集団が大きくなるとキツイものね。今回出会ったのは第一陣の周辺調査班だったのかも。この辺りでは、冬本番になりタイミングが合えば、餌をついばみ、飛び立つ白鳥を、猪苗代湖では経験できないほど間近に体験できるらしい。その時期に来たいものだ。近隣に迷惑かけないのが鉄則だが。

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林道に向かう分岐 | 突然現れた白鳥の群れ

 分岐から4kmちょっと進み、“御霊櫃峠”方向を示す標識が立つ角を左折、本格的な登りに。ここから自分は、新スプロケットの30Tを多用。数日前の調整走行で、30Tとプーリーが接触しそうだか、何とか行けそうと判断したが、本番では異音が続いた。G君、浦野君がゆっくり和気あいあい走行してくれ、車に遭わず、順調に進めた。途中、色付きが浅い木々の中で、何組かの方々が、木の実かムカゴかキノコか、を採集していた。左折から470mほど登り、森林限界を越えた感じになり12時に標高876mの峠に到着。

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会話しながら登る | 峠に到着

 峠でも、紅葉はこれからに見えたが、西に猪苗代湖、東に郡山方面を見渡せ、気温が思ったほど低くなく心地良かった。駐車場とWCがあり、車がけっこう止まっていた。ハイキングに絶好なのだろう。野鳥“キビタキ”らしき澄んだ鳴き声がして雰囲気上昇。徒歩で尾根道を若干登り、少し広がった場所で昼食をとった。

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峠を少し登り昼食、眼下は郡山方面 | 西に猪苗代湖

 ところで、峠について気になることが3つあり、ざっくり調べてみた。
※名前:
 “御”は尊敬の接頭語。“霊”は神聖なもの、とともに怪奇なもの。最近は後者に重きが置かれているかも。“櫃(ひつ)” は、ご飯を移し替えておく入れ物や貴い物を入れる箱。ご遺体が入っている“柩(ひつぎ)”と言う字と間違われやすいかも。尊い意の漢字が三つ並ぶも、字面から怖い地名と誤解されているよう。“櫃”は“櫃石”からきている。“櫃石”とはパワースポットになる巨石で日本各地にある。ここのは、平安時代後期、前九年の役(1051年~1062年)で、東北の阿部氏平定に苦戦していた源義家を、勝利へ導いたと言われる。郡山側の峠手前、道奥の藪にあり、地味な看板が入り口に建っているらしい。今回ランでは看板に気づかなかった。“櫃石”周辺を草刈りし東北源氏ゆかりのパワースポットと名打てば、怖い誤解が少なくなると思うが。
※峠とその周辺について900m前後なのでふつう木々があるはずが、低い植物とゴツゴツの礫だけだった:
 ここ周辺が、太平洋・日本海斜面を分ける分水界で、特に秋から春にかけて吹き付ける北西風が凄まじいからとのこと。よって高木が育たず、低い植物だけになる。地温が上がらず、地中の水分が凍結と融解を繰り返し、岩が劣化し、ゴツゴツの礫が地表にできる。高山の森林限界から雪線の間で見られる周氷河地形と同じらしい。訪れた日は風が弱く、幸運だったかもしれない。
※尾根道を覆うゴツゴツした礫が、ほぼ全部淡緑色だった:
 東北から関東のここを含む山筋から西側全部が、約1500万年前に日本海の海底火山群が噴火、海中の火山灰が熱水により変質し緑色化、堆積し、隆起した地域(グリーンタフ地域)だからとのこと。礫の種類は、緑色凝灰質砂岩で粒子間に隙間が多く風化しやすい。
*猪苗代湖に下り小平潟天満宮 参拝
 12時40分、峠下りを開始。12時55分、湖面標高514m猪苗代の県道9号分岐着。ここから県道9号と国道49号を、高速走行し(自分にとっては)、中小松地区で湖側に入り、屋号標識が家屋前に建つ珍しい集落や野口英雄の父の実家跡を眺め、1時30分ごろ、小平潟天満宮に到着。小平潟天満宮は、“九州大宰府”、“京都北野”とともに三大天満宮と呼ばれているとのこと。祭や参拝時期が終わったのだろうか、ひっそりしていた。神社にランの安全祈願をして、トイレ休憩と次目的地の相談をした。“野口英雄記念館”をパス、直接裏磐梯へ行き、“五色沼”を明日にして、“磐梯山噴火記念館”を訪問することになった。1時50分ぐらいに出発。

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小平潟天満宮

*猪苗代湖から裏磐梯へ、磐梯山噴火記念館
 天神浜オートキャンプ場に沿う道を進み、国道49号線に入り、浦野君リードで走る。国道115号へ右折、次にY字路で県道2号へ曲がり、徐々に登りはじめ、国道459号・県道2号に入り、14時30分ごろ標高620mあたりで一時停止。道幅や路側が狭く、交通量多く、まとまって走ると危険な感じなので、この辺りからフリーランに。自分は一番後ろを走行。裏磐梯まで、傾斜が時々変わるダラダラ登りで疲れた。

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国道49号に出た所、バックに磐梯山 | 県道2号途中、車が多くフリーランに

 15時10分ぐらいに標高約810m、“磐梯山噴火記念館”に到着。ここを訪れたのは大正解だった。かつて磐梯山は、磐梯山(主峰)、櫛ケ峰(クシガミネ)、赤埴山(アカハニサン)、小磐梯山の四峰だったが、今の三峰にした大噴火と地形大変化が良く分かった。1888年(明治21年)の出来事なので、写真などハッキリした記録が多かった。大噴火で小磐梯山が北側へ崩壊(山体崩壊)し、山麓の五つほどの村が埋まり、長瀬川がせき止められ、五色沼、桧原湖(ヒバラコ)、小野川湖、秋元湖、曽原湖(ソハラコ)ができた。桧原湖では桧原宿という宿場町が湖底に沈んだ。かつて、町の山裾に位置した“大山祇神社(オオヤマヅミジンジャ)”の参道や鳥居が、今も湖面から一部姿を見せている。“山体崩壊”で大きな塊のままずり落ち、小島になった“流れ山”が、湖にいくつも見られる。盛りだくさんだったが、順路の終わりに“ブラタモリ第44回会津磐梯山(色々な地形変化メカニズムを簡単に説明)”のビデオが流されており、頭が整理できた。1時間ほど楽しみ盛り上がったが、外を見ると小雨になっており、若干しぼむ。
 16時10分過ぎに、記念館を出発。宿泊する“ペンション楓”まで少し登るかと思ったら、ほぼ隣の敷地だった。移動時間2分。

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磐梯山噴火記念館を出ると小雨 | ペンションがすぐで助かった

 宿泊:ペンション楓

 建物の外観、屋内ともおしゃれだった。ご主人が鉢などをよけて、玄関内に自転車が入るようにしてくれた。助かった。全国旅行支援を使えた。部屋はストーブが準備されていた。今日の朝は、けっこう寒かったらしい。ご主人から、窓を閉めていても隙間から“カメムシ”が入ってくるので、見つけたら連絡を、と言われた。しばらくして畳を見ると本当に“カメムシ”がいた。確かに横から見ると薄っぺらい。ご主人に連絡するとガムテープに粘着し処理してくれた。テープの置き場所を聞いたので、次回はと思っていたら、もう遭遇しなかった。
 3人入れるお風呂でゆったりし、食堂で夕食。浦野君が夕食“福島牛ビーフシチュー”、朝食“自家製パン”おかわり自由コースを予約してくれていた。待っているとお皿でテーブルがいっぱいになった。ビールで乾杯し、さあどれから食べようか。シチューのほかに、分厚い食パンに盛られたグラタン、洋風おでん、ショウガのフライなどサイドデッシュ、粒だつ新米ご飯など、美味し過ぎた。自分には、量が多くシチューを1回しかおかわり出来なかった。浦野君はシチューを2回おかわりし、ご飯を1回おかわりしていたような。

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乾杯 | 豪華な夕食

 部屋に戻り、五色沼の回り方や桧原湖に沈む大山祇神社の場所チェックなどしつつ、明日の天気次第ということになり、就寝。

【Gコメント】郡山の郊外へ出るまでが長く感じられた。白鳥の群れに出会ったあとの御霊櫃峠は静かで走り安く、会話しながら登れてとても良かった。猪苗代湖畔から裏磐梯までの上りは車が多くて少し閉口。野口記念館をパスして行った磐梯山噴火記念館がヒットだった。そこを出たら雨になるも、宿がすぐ近くで助かった。久々のペンションは食事が最高だった。

【浦野コメント】猪苗代湖へ向かう途中、白鳥の渡りを真近で見られたのは超ラッキーで、野田風に言えば「プチ感動」という事になろうか。しかしこの時期、猪苗代湖へ向かうのならわかるが猪苗代湖方面から飛んできたので、どこへ向かっていたのだろうか?ペンション楓の夕食はオシャレ感満載で、さすがペンション食という感じ。ビーフシチュー食べ放題プランにしたが、おかわり3杯でお腹いっぱい。


Map, Click to Expand 2日目:10/23(日) 裏磐梯→五色沼→桧原湖→西吾妻スカイバレー(白布峠)→米沢= (60km/876m) 曇り時々晴れ時々雨、後雨
 メンバ:G、宮村、浦野

*ペンション楓出発、五色沼散策
 朝起きると小雨だった。朝食も美味しかったが、夕食の影響で、自分は自家製パンをおかわりできなかった。
 朝食後、裏磐梯の紅葉ぐあいをご主人に尋ねると、今年は綺麗に色づかず、あと一週間ぐらいで落葉するのでは、と残念そうに語られていた。美味しいお皿を沢山準備してくれた奥様は、キッチンに集中されているようで、お目にかかれずじまいだった。8時20分ごろ、小雨の中、“五色沼”西側口を目指し出発。まあまあな交通量。


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豪華な朝食 | ペンション出発

 8時30分過ぎ、西側口に到着。東端の“毘沙門沼”に向かって約4kmの散策をスタート。“五色沼”は、受け売りだが、“小磐梯山”の山体崩壊で積みあがった土砂にできた多数の窪みに、西の山々からの河川・地下水や火口付近の硫酸強酸性の地下水が染み出し、形成された。西からの水と火口付近からの水が混ざる比率や沼の深さによって、水質や草類・コケ類が異なるため、沼の色が様々違う。我々は、普通の淡水といわれる“母沼”を右に見て通過し、有名どころの“柳沼”、“青沼”、“るり沼”、“弁天沼”、“竜沼”、“みどろ沼”、“赤沼”、“毘沙門沼(展望所まで)”を順に見てUターンした。

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五色沼の西側口、雨よけ駐輪 | 紅葉、左柳沼、右母沼をバックに
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青沼 | るり沼、雲に隠れた左櫛ケ峰
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弁天沼、楓かざりした説明板 | 毘沙門沼の展望所から、磐梯山(主峰)は雲に隠れる

 小雨は途中で上がり、日が差し始めた。出会う方々ほぼマスク姿だったが、にぎやかなシニアの団体さんや外国人グループなど、観光がもどってきた感じだった。挨拶しあいが気持ちよかった。10時40分少し前に西側口に戻り、隣接する裏磐梯物産館で物色などして、10時55分出発。

*桧原湖周回道路の磐梯山展望台・旧道、大山祇神社、残念だった“しお〇”ラーメン
 11時過ぎに磐梯山の西を通る“磐梯山ゴールドライン”分岐を、11時20分過ぎに“道の駅裏磐梯”を通過、11時30分過ぎ磐梯山展望台到着。磐梯山や桧原湖をバックにしばし撮影会。11時40分ごろ出発。

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桧原湖周回道路の磐梯山展望台からの磐梯山 | 流れ山でできた数々の小島(旧道からの景色)

 11時45分、Gくんがチェックしていた旧道へ、桧原大橋手前を左折。これで桧原大橋&トンネルをパスできた。旧道の小道は、落ち葉が重なり、湖があまり見えなかったが、車が無く、楽な気持ちで走行できた。桧原トンネルの出口で周回道路と合流。

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旧道

 若干走り、軽く登って下った集落あたりで雨がパラツキ始めた。北の空から黒い雲が流れてくるのが見えた。丁度正午になり、集落で雨宿り昼食を、と考えたが、満員の“蕎麦古屋”以外お食事処が休みだった。雨が弱そうなので、集落を出ようとしたところに、桧原湖に水没した桧原宿の説明板があったので一読。走行開始。しばらく走っていると先頭のG君がGerminナビで“大山祇神社”を通り過ぎたとターンした。引き返すとガードレールが二重のところの下に、神社らしきものが見えた。湖への急斜面を徒歩で下ると“大山祇神社”だった。12時25分ごろ着。渇水期らしく通常湖に一部沈んでいる鳥居が完全に出ていた。参道に並んでいただろう木々の株も良く分かった。より前方の鳥居上部も湖面から出ているようだった。社殿に一礼し、自分としては、今回目的の一つだったので雰囲気に浸った。そして、しばし撮影会。道路に戻るとオートバイおじさんが神社に来るところだった。12時35分すぎ、昼食場所を目指し出発。

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渇水で全露出した神社前の鳥居 | 参道の鳥居の天辺が湖面上に僅かに露出

 周回道路にあまり食事処がなく、“裏磐梯らぁめんや”を通過したので、目標が“西吾妻スカイバレー”に入るT字路の“早稲澤屋しお〇”になった。しかし、12時50分前、お店に到着すると満員で、浦野君に待ちリストに名前を書いてもらったが、10番目だった。しばらく待っても進まず、店のお兄さんに10番目だとどれくらい待つかと聞くと「少なくとも40分」。遅くなりすぎるので、補助食で、西吾妻スカイバレーを進むことになった。
 ところで、“早稲澤屋しお〇”や“裏磐梯らぁめんや”は、他県からもお客さんが来る“会津山塩ラーメン”の有名処だった。“会津山塩”とは“裏磐梯大塩温泉水”を煮詰めた塩で、江戸時代は会津藩御用達だったらしい。“裏磐梯大潮温泉”は、“道の駅裏磐梯”のところを北塩原村方面へ曲がり桜峠を越え、下る途中にある。ラーメンが、通常使う海水塩から“山塩”になると、“にがり成分”少なくなるなどで、スープが透き通り、しっかりした味なのに後がさっぱりするらしい。“コクがあるのにキレがある”みたいなのだろう。時間があれば食べたかった。

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会津山塩ラーメンの有名処“早稲澤屋しお〇”

*霧雨の西吾妻スカイバレー、白布峠、赤滝、米沢駅
 13時5分ごろ、標高830mあたりの“早稲澤屋しお〇”から、標高1410m西吾妻スカイバレー白布峠めざし出発。いつからか霧雨に。20分ほど登り、標高1000m手前で補給食。自分はポケット羊羹と浦野君がくれたエナジー補給系クッキーを食した。

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1000m手前で補給食

 13時35分過ぎ、標高1200m地点を目指しフリーランで出発。100mごとに標高標識がありが励みになった。自分は、途中、今日初めて30Tにチェンジしようとしたが入らず、入るようにしばし調整。ギアを上げるとまた30Tに入ら無くなるかもと思われ、ずっと30Tで異音を出しながら走行。1200m手前あたりから紅葉が増えたように見え、写真を一枚。14時すぎ、1200m地点着。二人にお待たせしました。

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1200m手前の紅葉 | 1200m地点

 次は白布峠だったが、1250mあたりに展望場所があったので、14時10分すぎ、若干停止。雲が垂れ下がる山々を見晴らす。その後、耐えながら登り、14時40分少し前、霧深く小雨の白布峠駐車場着。

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標高1250mからの展望 | 標高1410m霧に覆われた白布峠

 白布峠で、各人やや厚めのウインドブレーカーなど羽織り、標高830mあたりの白布温泉めざし、直ちに下りを開始。小雨を浴び身体が冷える中、濡れた路面に気をつけながら走行。途中300mほどの西吾妻トンネルを通過、暗い中、下り勾配で滑るような錯覚があり、後ろから車も来ているようでけっこう怖かった。トンネルを出て右カーブが終わった辺りに浦野君が待っていてくれた。標高1090mあたり。そこでは紅葉の中に綺麗な滝を眺められた。赤滝? 小雨が一時上がった感じだった。

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西吾妻スカイバレー下り | 紅葉に包まれた滝(赤滝?)

 下りを再開、また冷たい小雨が始まり、続いた。白布温泉で一時止まる。立派な温泉宿が建っていた。さらに下り、標高430mあたり関郵便局の十字路で集合、右折し、県道2号を米沢方面へ進んだ。小雨の冷たさが和らいできた。米沢城跡を左に見て通り過ぎ、直ぐの交差点を右折、県道233号、232号を経て、15時55分過ぎ、米沢駅に無事到着した。

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米沢駅に無事到着

 駅前で輪行準備し、濡れたウエアをトイレで全着替え、JRのチケット購入へ。すでに浦野君が、新幹線時間をみてくれていて、16時38分発山形新幹線「つばさ150号」が時間的に厳しいとのこと。17時41分発「つばさ154号」に。窓口では、「つばさ」は全車指定席になっており、154号は空席無しだが、デッキ指定(デッキで立ち)ならあるとのこと。「つばさ」は2022年春から全車指定席になったらしい。秋田新幹線や東北新幹線盛岡~新青森もこの方式らしい。自分は知らなかった。JRチェック不足でした。皆デッキ指定を購入できたが違う車両のデッキになった。
 何とか乗れるチケットを手に入れ、時間があるので、やっと腹ごしらえ。まだ開いていた駅立そば処鷹で落ち着く。その後、買い物などし、乗車の際にお別れをして、我慢なデッキで帰途に。お疲れ様でした。

【Gコメント】紅葉の五色沼の散策は、濡れずに楽しめた。桧原湖の北で、湖に沈む鳥居を発見できて良かった。塩丸ラーメンを断念して、補給食だけで登ることになったは大誤算。2度目のスカイバレーは小雨につかまり、紅葉が霞み、またも上から磐梯山を見ることができず残念。米沢までの1200mの下りは、目の調子が悪く結構怖かった。また雨の中で体が冷えたので、米沢駅の駅蕎麦屋で温かいものを食べてホッとした。

【浦野コメント】出発時まで降っていた雨も五色沼散策のころには止み、時折日も差すほどに回復したため、紅葉と沼の色彩コントラストを楽しむことができた。米沢からの新幹線は、全席指定のためデッキ立ち券しか購入できず。号車を指定されたデッキも人で溢れ、大宮まで立ちっぱなしだったのはサイクリングより辛かった。


<おわりに>
 自分としては、楽しみにしていたことをほぼ達成できたランだった。加えて泊まったペンションの食事が抜群だった。やや早めのお天気崩れは、泣く子と天気には勝てないということで別扱い。またのお楽しみは、千客万来であきらめた二日目お昼の“山塩ラーメン”と、今回霧雨だった西吾妻スカイライン・白布峠からの色づく山々の景観。


関連リンク:
 1997年 磐梯