2023年GWツアー 中国地方(工事中)

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by 浦野、DAZ、小澤、宮村&野田(最終投稿日:5 Sep 2023)

Map, Click to Expand 日程:2023/4/29(土)~ 5/7(日)
参加:野田(計画)、宮村、小澤、浦野、DAZ、アコ
コース:=広島→湯来→六日市→益田→萩→小串→美東→鹿野→岩国→広島=

 ツーリング記録 参照
<はじめに>
 ここから











Map, Click to Expand 1日目:4/29(土) =広島→湯来 (km/m) ここ
 メンバ:野田、宮村、小澤、浦野(全員が宿集合)
 (野田記:2023/9/5)

*出発
 初日は、

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xx

 宿泊:湯来ロッジ

 では、


【宮村コメント】単独走:呉→広島駅→湯来。<良かったこと>①湯来町ミルクロードに位置する久保ファームで、広大な牧場を見ながら、牛乳風味が格別なジェラートとプリンを楽しめた。雨で観光客が少なく、ゆっくりできた。②12時すぎに湯来ロッジに着き、お昼に猪ハンバーグを食せた。<残念だったこと>雨になり、最短コースにしたので、速谷神社に寄れなかった。今回の安全祈願をできなかった。七曲峠をあきらめ、そこから見える瀬戸内海を堪能できなかった。
【小澤コメント】単独走:広島空港→湯来(93.7km/835m)雨。連休初日、朝一のリムジンで羽田空港に行き、9:20頃広島空港を出発しました。同期のすなおさんに進められた西条の造り酒屋「賀茂鶴」に寄って、酒の製造過程を見学、小瓶の酒2種を購入しました。そのうちの一つは、故安倍元総理がオバマ大統領をおもてなしした「大吟醸ゴールド賀茂鶴」です。宿で合流して晩御飯の後に、宮村さん、野田さん、浦野さんと味わいました。ーー写真掲載予約【写真;オバマおもてなし、宿で飲酒】
【浦野コメント】単独走:広島空港→湯来。午前9時前に広島空港についた時には小雨模様。リムジンバスで広島駅に着き自転車を組み立て本降りの中、広島城と平和記念資料館へ行った。40数年ぶりの平和記念資料館は雨にもかかわらず入館待ちの行列ができるほどの訪問者がいて半数近くが外国人だったのが印象的だった。それぞれ、帰国後に原爆の悲惨さを市民目線で伝えてくれるであろうことはとても有意義だと感じた。宮村さんお薦めの農場アイスクリーム店アルトピアーノから戻る時、道を間違え山の方へ向かってしまい200m近く余分に上ってしまったのはご愛敬(土砂降りだったので愛嬌では済まなかったのだが)。


Map, Click to Expand 2日目:4/30(日) 安芸太田→六日市 (61km/1386m) 晴れ
 メンバ:野田、宮村、小澤、浦野
 (小澤記:2023/7/28)

*出発、筒賀に向かって峠越え
 7:30 湯来ロッジで充実の朝食バイキング。
 8:55 写真撮って出発!
 内尾谷川沿いの県道41号を、田植えを見ながらゆるゆると登っていきます。川沿いの古い屋敷群を抜けると、田舎の農村風景が開けました。田植え機を操っているのが若い方だったので、それを見守るおばあちゃんに声をかけたら、「息子が帰ってきたのよー」と嬉しそうな様子でした。

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出発
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川沿いをゆるゆると登る | 田植え(右端におばちゃん)

 川沿いを離れてだんだん坂がキツくなり、本格的な峠越えになりました。宮村・浦野組が先行、野田・小澤組が後を追います。9:40頃ピーク到着。ここまでの獲得標高約250m。(標高約560m)

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名無しの峠

 一休みして下り始め、島根国体ライフル射撃場を左手に見つつ、急坂を下ります。

*筒賀川沿いにピークを越えて、吉和地区で昼食
 10:10 国道186号にあたったところで、浦野さんは右に龍頭峡方面へ、3人は左に曲がり、早くもお別れです。
 筒賀川沿いに、中国自動車道の下の国道をゆったり走ります。静かなアップダウンですが、GWだけあって、車やバイクは多いなぁという印象。朽ち果てて通れない鉄製の橋、川の上を渡したこいのぼりなど、のどかな風景です。川から離れると、上り勾配が少し急になりました。分岐からピークまで獲得標高約280m、ピークの標高約690m。

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高速下、朽ちた橋 | 川にこいのぼり
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ピーク

 ピークを越えて下ると、今度は太田川沿いです。ずっと集落がなかったのですが、吉和地区の集落でいくつか食べられそうな場所を発見。
 11:50 お昼はお好み焼き屋さん「木の実」に決定。おばちゃん二人の、家庭の広島風お好み焼きです。宮村さんと野田さんは木の実スペシャル、小澤はノーマルシングル+イカトッピングです。都会の洗練されたお好み焼きではない、味わいのある雰囲気で田舎の手作りといった感じです。「木の実」の特徴は、双子のタマゴと、スペシャルに入ってる”よもぎ饅頭”です。ちょうど良い腹ごしらえでした。

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「木の実」の前で | 三人前を焼くおばちゃん
*松の木峠、寂地渓
 13:00出発。更に186号を走ります。坂はゆるいんですが、ピークが読めません。道の向こうに何も見えないからピークかなと思っても、少し平らになってから更に登り坂、その繰り返しです。中国地方の特徴かも知れません。13:40国道434号へ右折して廿日市飯山へ。坂がだんだんきつくなります。14:10県境を超えて、山口県岩国市松の木峠に到着。標高776m、獲得標高約210m。

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国道434号への分岐 | 松の木峠

 14:23 国道とは思えない細いくねくねした道を下って、シャクナゲの花が咲く小川で小休憩。

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小川べりに咲く石楠花

 更に少し下ると、観光地「寂地渓五龍の滝」につきました。
 14:40〜15:20 五竜の滝と延齢水、宇佐神宮を見物しました。ここは花園天皇の時代1312年に建てられた由緒ある神宮で、直径1メートル半はありそうな杉の巨木が特徴です。

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五竜の滝 | 延齢の水
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宇佐八幡宮 | 大スギ
*激坂の向峠、深谷渓谷を越えて緩やかに下る
 国道434号をさらに下り、深谷峡温泉がある県道16号を右に曲がり、激坂に突入します。距離は3km程度でしょうか?短いながらも、夕方の標高差150mの急坂は精神的ダメージ大です。野田さん、大荷物での蛇行運転、お疲れ様でした。
 16:00向峠。標高約400m。峠と言っても、よこに中国自動車道が走る、開けた場所です。

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野田さんは大蛇行
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向峠

 そのまま県道16号を走ると、いきなり深い渓谷にあたりました。橋には、高さ3mくらいの手すりの外側に落下防止の金網が据え付けられています。16:25ちょっと怖い深谷川をはるか下に見ながら、橋を渡って島根県吉賀町に入ります。

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深谷大橋(もしかして**の名所?) | ここから島根県に入る

 そのまま県道16号を下って、17:00宿に到着。

 宿泊:むいかいち温泉ゆ・ら・ら

 宿は平屋で長細いコンクリート造りで、入り口がスーパー銭湯のような感じ、奥に行くと食堂、長い廊下を経て各部屋へと続きます。入り口付近の廊下には絵画が飾ってあり、その一つが森英恵作でした。

【野田コメント】
【宮村コメント】良かったこと>①吉和(よしわ)でお昼に入った「木の実」のお好み焼き(広島焼)が美味しかった。お母さんのお話が楽しかった。②寂地渓谷ではマイナスイオンを浴びているような感じで爽やかになった。半日ぐらい居たかった。③寂地渓谷から下ったところにあった河川争奪地形を知らないで体験していた(自分の5/1レポートの高津川関連で詳しく述べる)。<厳しかったこと>深谷大橋があまりの高所で、景色を楽しむ余裕なく、走り抜けざる得なかった。
【浦野コメント】この日、自分は続日本百名城の1つである浜田城がある島根県浜田市に単独で泊まることにしていた。途中まで皆と一緒だったが県道41号で北上峠を越えて国道186号に出たところで南西に向かう本隊と別れ、自分は北東へ。途中、三段峡(2014年の山陰ツアーでも訪れた)を散策。その後、道路わきのイラスト風案内板をなんとなく眺めていると近くに大利城跡なる場所があることに気づき、立ち寄ってみた。史跡は大したことはなかったが、気ままに寄り道できるのがソロランのいいところだ。16時に浜田駅に到着。お目当ての浜田城跡の資料館が翌日(月曜)休館であることが分かったため、閉館間際に飛び込み無事見学できた。


Map, Click to Expand 3日目:5/1(月) 六日市→津和野→益田 (71km/1441m) 晴れ
 メンバ:野田、宮村、小澤、浦野(別コース)
 (宮村記:2023/9/4)

*出発するまで
 今日のコースに関し、朝食まで、<野田くん案:六日市→益田56kmに加え、益田→「唐音(からおと)の蛇岩(じゃがん)」往復27kmというコース>か、<六日市→「唐人屋トンネル」越え→「津和野」→益田コース>か、悩んでいた。そのまま食事になり、小澤くんの「津和野」へ行く話を聞いていて、後者にした。
 なお、「蛇岩」は国指定天然記念物で約1億年前に形成した岩盤が火山活動で細長く300m裂け、そこからマグマが盛り上がった跡である(いつ裂けたか不明)。その景観が、岩盤に這う大蛇に見えるらしい。
 洒落たつくりの「ゆ・ら・ら」には、六日市出身の国際的ファッションデザイナー森英恵さんのシルクスクリーン画が、廊下に3点架かっていた。内容は、蝶、花、扇子。印象的な色使いだった。森さんは自分の色使いを「みんな私の故郷の色、私の緑は山の色。私の赤は太陽の色。鮮やかなピンクはレンゲ畑の色。」と語っていたらしい。森さんが親しんだ六日市の色合いを、今回、ここからの道のりで、少し感じとれたと思う。
 「ゆ・ら・ら」前で写真を撮り、9時15分出発。野田くんリードで、「高津川」に沿う国道187号へ。標高約310m。

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森英恵さんが描いた蝶、花のシルクスクリーン画 | 「むいかいち温泉ゆ・ら・ら」前で出発ジャンプ写真 

*「高津川」流域の鮮やかな風景、「山祇(やまずみ)神社」のめずらしい椿林
 「高津川」は、幅広でゆったりと流れていた。色は、深いエメラルドグリーン。その上、とても透き通っており、川底まで良く見えた。岸や川から顔をのぞかせる岩々は淡い茶がマーブル状に入る眩しい白色だった。火山岩の一種で石英を多く含む流紋岩などのようだった。深いエメラルドグリーンと白色のコントラストが鮮やかだった。走行10分弱にして国道から外れ、橋の上で、しばし河川の撮影会。

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河川、岩々、山の色が鮮やかな高津川流域 | レンゲ?(花が少し違うかも)が咲く畑

 因みにここの流紋岩などは、約3億年前にできたらしい。ざっくり話すと、中国地方は、2000万年前まで、ユーラシア大陸沿岸に位置した。この沿岸は4億~2億年前、隆起沈降を繰り返し陸になったり海底になったりしていたとのこと。中国地方は、この繰り返しがあったので、多様な岩石層を持つようになった。例えば、上記流紋岩が顔を出す「高津川」域は、隆起時にできた陸上火山による流紋岩などの層から成る。5/4(木)に行った秋吉台は2臆5千年前に沈降で海になった際、繁殖したサンゴ礁やフリズナ(細胞周囲が石灰の鎧になっている単細胞プランクトン)の死骸が堆積、石灰岩し、後に陸化した層から成る。
 加えて、中国地方を走って思った「比較的山が低く、緩やかな起伏が繰り返すことや、盆地および更に標高が高い山間の平地(あとでレポートする<たお>)がけっこう分布することは、どうしてか」について、調べた内容をざっくり話す(諸説あるが)。まず、2000万年ほど前から長期間続いた活発な地殻活動により、日本海と日本列島の元ができた。約500万年前、地殻変動が沈静化し中国・瀬戸内・四国は一つの陸地になった。その後、約300万年間、地殻が安定し、陸地は「浸食が進み、緩やかになった起伏が広く分布する地形」になった。その後、200万年前以降、フィリピンプレートが日本へ押し寄せるように動き始め、安定だった陸地は褶曲せざる得なくなった。四国地方では中央構造線の南側が、険しい山地へ隆起した。瀬戸内が、逆に沈降した。それら圧力吸収によって、四国地方北部と中国地方の変化は抑制された。つまり「浸食が進み、緩やかになった起伏が広く分布する地形」のまま、若干隆起した。高さは最高でも海抜700mぐらいだった。そして、今に至る。
 加えて、「高津川」について、若干詳しく話す。
 1)「高津川」は、日本で唯一のダムのない一級河川として有名で、国土交通省の水質調査で何度も水質日本一に選ばれているとのこと。四国の「仁淀川」も良かったが、この川は、山間じゃなく、人が十分に生活する場所を流れているにも関わらず、この清らかさなので、とても興味深く魅力的である。
 2)「高津川」は、河川争奪地形でも有名とのこと。諸説あるようだが、後で調べた最近の検証資料から、下に「高津川流域における河川争奪」の絵をざっくり描いてみた。現在、高津川水源の東に、宇佐川(うさがわ)と宇佐川支流の深谷川がある。しかし3万年より前は、高津川はもっと東から流れ、宇佐川は、もっと南から始まっていた。また深谷川は高津川の支流で、山間の合流域に土砂が貯まり平地化していた。それがその後の地殻変動で宇佐川周辺が大きく沈降し、高津川の途中が若干隆起した。結果、元の高津川上流と深谷川の流れは、著しく低い宇佐川方面へ外れ始めた。結局、その流れは深い谷をつくり宇佐川上流になってしまった。こういう大自然の河川付け替わりを河川争奪と呼ぶとのこと。この地域には、七つの谷と七つの山を揺るがす龍の民話が伝わる。

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説明図

 昨日(4/30)、宇佐川上流域に位置する「寂地渓」(環境省「日本の滝100選」)から深谷川と宇佐川の合流域「深谷峡温泉」まで250mほど下り、また150mほど頑張って上り、標高約400mに広がる山口県錦町向峠(むかたお)および鳥取県吉賀町初見の耕作地を走行した。走っていて、何だか妙な谷や平地との感覚だったが、「河川争奪」を伴う大規模な地殻変動跡を、知らずに体験していたのだった。
 
 話を戻す。国道187号は、車が多く、やや向かい風だった。野田くんが、釣り人と話したり、時々民家が並ぶ横道へ入ったりした。森英恵さんが親しんだだろう地域を皆で楽しみながら走れた。七日市地区から真田地区に入り、ポケットパークで小休止した。大きなマップ板に高津川の生き物たちが描かれていた。野田くんは、話をした釣り人はこれを釣っていたようだったと「オイカワ」(カワムツの仲間)を指差した。ポケットパークを出て、すぐ横道に入り民家が並ぶ道を進むと「県指定天然記念物 山祇(やまずみ)神社の椿群生地」と記述された表示板があった。10時5分、山祇神社の前に自転車を置き、境内に入ると社殿の奥に、椿の林が茂っていた。高さが10mに届くように見えた。花が、若干、木に残っていた。花は小ぶりだった。足元に目を移すとたくさんの散った花々が地面を彩っていた。後で調べると21本もの巨大な椿が群生する貴重な林とのこと。樹齢800年と言われる椿も生息するらしい。10分ほど眺め出発。

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山祇神社 | 大きな椿からなる林 | 散った花々に彩られた地面

 10時35分、「高津川」に架かった鉄製つり橋を見つけ停止。橋からもう一度、エメラルドグリーンの川、白く輝く岩々を楽しんだ。つり橋が低かったので自分も渡れた。

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つり橋から綺麗な「高津川」を楽しむ

 その後、10時45分に「かきのき温泉 はとの湯荘」というポール看板が立つ、津和野・益田分岐で、益田へ直行すると言う野田くんと別れた。分岐の標高約190m。

*「唐人屋トンネル」越え
 「津和野」に入るには、標高580m強の「唐人屋トンネル」越える必要があった。分岐から入った県道3号は緩い上りだった。標高約230mあたりで県道266号に入り、次第に勾配がきつくなった。小澤くんは順調に飛ばしたが、自分は長旅を考慮したペースだったので、差がつき始めた。標高約380mあたりに小ループがあり、一周回り「唐人屋トンネル」に繋がる県道266号バイパス「波佐阿武(はざあぶ)大規模林道」へ入った。回る途中には、尾根を越える県道226号が延びていた。小ループ後さらに勾配が強まった。しばらくペダリングしていると、目の回りが茶色いパンダ模様の小動物が、右の草むらから顔を出していた。写真を撮ろうと停止するやいなや隠れてしまった。「ニホンアナグマ」だっただろう。残念。次に野鳥の綺麗な鳴き声が聞こえた。東南アジアから渡ってきたばかりの「オオルリ」だったかも。春が一段と進み生き物が活発になってきた感。11時40分、道の右に「李郎子(りろうし)の墓」と書いた表示板があり、その上に石で囲まれた墓苑が見えた。一時停止して写真撮影。墓石がいくつも立っていた。11時44分、左に「唐人焼窯跡」との表示があった。一時停止して写真撮影。窯跡は、群生した笹でほぼ分からなかった。因みに、「唐人焼窯跡」は秀吉による文禄・慶長の役(1592、1597年)を契機に朝鮮半島から連れてきた陶工、「李郎子」によって築かれた窯で、陶器の窯としては県内最古とのこと。当時、中国出身者も朝鮮出身者も「唐人」と呼んでいたらしい。「李郎子」らは、唐人屋トンネルのほぼ上に位置する「杉ケ峠(すんがたお)」に住んでいた。陶器に適した粘土がとれたからと言われるが、隔離されていたのでは。人々はこの場所を「唐人屋」と呼んだ。一族は二代で絶えたらしい。「李郎子の墓」はその一族の墓。自分は何かあったのではと疑っている。
 ところで、自分は、今回初めて「杉ケ峠(すんがたお)」「向峠(むかたお)」という「峠」の呼び方に出会い、「たお」「たわ」という呼び方が、中国地方に多いと知った。更に調べると「たお」「たわ」の本当の漢字は「垰」だった。「峠」の呼び方「とうげ」が訛って、「たお」「たわ」になったわけではない。「垰」は山の峰と峰を結んでたわんでいる(くぼんでいる)場所、鞍部(あんぶ)とのこと。「たお」「たわ」は、「たわむ」に由来する。「垰」は、両側が山で標高あるが集落がつくれる平らな場所と言えるだろう。一方、「峠」は、山道を登りつめてそこから下りになる場所。上り下りの境という意味が強いよう。中国地方は、先述の「緩やかになった起伏のまま隆起した地形」が広く分布するので、他地域より「垰」が多いと思う。「向峠(むかたお)」、「杉ケ峠(すんがたお)」などは、かつて、「向垰」、「杉ケ垰」と書いたと思われた。色々調べると伝統神楽に関し「向垰神楽」と書かれており「垰」が残されている。

 11時46分、「唐人屋トンネル」着。標高580m強。トンネルは「唐人焼窯跡」から見えなかったが、すぐ上だった。小澤くんが元気あり余る顔で迎えてくれた。すぐ出発、トンネルを通過し、県道266号を気持ちよく降下した。国道9号に入る手前のヘアピンカーブ直前で視界が開けたので、眼下に見える「津和野」南側や石垣がこちらとほぼ同じ高さぐらいの「津和野城跡」などをしばし撮影。次に、12時6分、「津和野」への入り口に立つ「津和野大鳥居」前で、名所巡りの順番チェックをした。

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唐人屋トンネル入口で | 下り途中から見えた津和野と津和野城跡 | 津和野の入り口、津和野大鳥居前で名所巡りの順番確認

*「津和野」名所めぐり、昼食
 山陰の小京都と称される二つの町のうち一つが「津和野」である(もう一つが「萩」)。標高約160m。小京都とは、室町時代以降に、地方の大名が京都を模して築いた古い町並みが残り、情緒が京都に似ている町の愛称とのこと。
 小澤くんがスマホのマップナビを見ながらリードしてくれ、12時25分、小澤くん念願の「森鷗外記念館」着。記念館は定休日(月曜)だったので、ひっそりしていた。館の外を回り奥へ進むと「森鷗外旧宅」があった。小ぶりな券売機に百円玉を入れるとテレフォンカードのような旧宅観覧券が出た。券を持って旧宅の裏口だろう門をくぐった。旧宅は木造平屋建てで質素な造りだった。外や中を見ながら進むと玄関と表門があった。鷗外はここで10歳まで暮らし上京したとのこと。記念館より鷗外の芯に触れられたかも。門の外では、向いの家の柴犬がくつろいでいた。小澤くんは旧宅を丹念に見ているようだった。自分はしばし犬とのんびりにらめっこ。12時45分に記念館を出発し、3分ほど走り、「西周(にしあまね)旧居」着。小さな茅葺きの家と蔵が残っていた。12時51分、出発。自分は、西周に関し日本史ではなく、小・中学のころよく見ていた「日本切手カタログ」「文化人シリーズ」で知っていた。とは言え、近代日本哲学の父ぐらいだが。後で調べると、訪問時に見た小さな蔵で油に火をともし黙々と勉学に励み、幕命でオランダへ留学し、帰国後徳川慶喜の側近になり、維新後は陸軍・文部・内務省の上級官僚を歴任し、明治憲法作成にも関わったとのこと。渋沢栄一と旧幕知性派として何らかの関係があっただろう。また、森鷗外は、西周を頼って上京しているので、彼の大恩人と言える。

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記念館の森鷗外胸像 | 表門から見た森鴎外旧宅 | 西周の旧居

 次は、「太鼓谷稲成神社」を目指した。稲荷(稲成)は、呼び方が「稲が生る」に由来し、豊作や繁盛をかなえる神を祀るとのこと。稲荷の頂点は、京都伏見稲荷と愛知豊川稲荷らしい。「太皷谷稲成神社」は1773年に津和野7代目藩主が領民の安寧を祈願するため、津和野城の鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷から分霊を受け神社を創建したことから始まったと言われる。「いなり」の漢字はふつう「稲荷」だが、藩主の願いを叶えるとの強い思いから「稲成」になった。そして、歴代藩主に庇護され栄え、明治時代以降は一般庶民の信者が増え、戦後は増加する観光客に支えられ、島根県において出雲大社に次ぐ年間参拝者数になった。今は日本で五本の指に入る稲荷と評価されているようだ。13時2分、けっこうな激坂を上り、太鼓谷稲成駐車場に到着。自分は、拝殿で皆の安全ランを祈願し、御朱印所を尋ねにお守り授け所に行くと若い女官さんに「自転車で登ってきたんですか!」とニコニコしながら言われ、気分良しだった。勢いある筆致の御朱印をいただき、駐車場と違う方向へ行くと、千本鳥居出口があった。千本鳥居をくぐってくるのが表参道かとここにきて気づいた。参拝・御朱印が目的なので気にしないが。13時20分駐車場を出発。津和野川を渡り、川の堤を走行、向こう岸に「太鼓谷稲成神社」千本鳥居が見えたので写真を撮影。今回GWランで訪れた稲荷(稲成)を思い返すと、島根の太鼓谷は品や深みを感じたが、山口でお参りした元乃隅と福徳は、印象的だったが、‘映え’に力が入り過ぎと思われた。山口線をくぐり、小京都と言われる所以が残る殿町方面に入った。

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太鼓谷稲成への激坂 | 稲成駐車場の向こうに拝殿 | 稲成からの津和野川と町 | 対岸から見た稲成の千本鳥居

 殿町では、まず食事処を捜し、13時30分に「沙羅の木茶屋」に入った。自分はミニうどん・豚丼セットを、石見ポーク使用と書かれていたので興味で頼んだ。さっぱりした肉とのことだが自分には逆に印象薄だった感じ。小澤くんは蕎麦といなり寿司を注文。稲成神社の町では、いなり寿司が定番でうまいはず。13時43分、野田くんから益田駅に到着したとLINEがきた。別れて3時間だ。
 食後、殿町通りをサッと見て、本町通りに入り、14時15分、開正堂さんで野田くんに約束した源氏巻(こし餡)を調達。2014年GW山陰ランでは、何軒ものお店で源氏巻を試食したそうだが、今回、覗いたどのお店にも試食が無かった。コロナ対応で無くなったままみたい。因みに、開正堂さんは、司馬遼太郎の紀行文集「街道をゆく」のさし絵で知られる津和野出身の絵本作家 安野光雅氏が子供ころ良く通ったお店とのこと。本町通りを進みJR山口線津和野駅に到着。木の暖かさに満ち、古い町並みと調和する駅舎は、2022年に新装されたとのこと。また、駅前に展示される機関車D51は、駅舎とは異なる存在感を放っていた。しばし見とれる。
 14時25分に津和野駅前を出発。益田までは基本なだらかな下りだった。だが津和野の街中では感じなかった向かい風を受けた。小澤くんリードで、ほぼ休憩なく走行。16時13分、今日宿泊する三好家に到着。浜田出発の浦野くんは15時過ぎに益田に着くも、岩見美術館や七尾城跡など市内観光中のようで、三好家未着だった。

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津和野 殿町通り | 源氏巻の老舗、開正堂さん | 津和野駅舎と機関車(別日の浦野写真拝借)

 宿泊:三好家

 17時少し前にお風呂に入り、18時10分から夕食。海鮮鍋、お刺身(マグロ、ハマチ、タイ)、酢の物、フライ(エビ、アジ)など海の幸を楽しんだ。それより印象に残ったのが、大オオグモ事件だった。小澤くんがトイレから戻ってきた際、びっくりしましたとトイレにいた大グモの写真を皆に見せたのだ。デカいとか動いたとか、ひとしきり盛り上がった。グループLINEに、これまで見る読むだけだった潤子さんからも‘コワイ’と返信があった。大きめのアシダカグモのようだった。ただ、宿の人に見せて、宿の若いにいちゃんがトイレに行ったがもういなかった。それ以上の徹底駆除はしないだろう。自分も小さい時、地元の田舎で、たまに彼らに出会ったが、ゴキブリやハエを食べるので大事にされていた。一方、ムカデもゴキブリを食べるが、運が悪いと刺されて非常に痛いので、即、駆除されていた。夕食は19時15分ぐらいにお開きになった。20時半すぎには就寝へ。

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三好家 玄関 | 三好家の海の幸夕食

【野田コメント】
【小澤コメント】(宮村さんと一緒に別行動)津和野の街並みはぼんやりと行って見てみたいとは思っていたのですが、森鴎外の旧宅や老舗の菓子屋、駅前に展示された蒸気機関車など、おもむきある町でした。帰ってから鴎外の小説を読もうと思ったのですが、いまだに読まずじまいです。
【浦野コメント】浜田から益田まで国道9号で直行すると約41kmと短すぎるので、益田とは逆に7kmほど北東にある石見畳ヶ浦に行ってみた。1600万年前に海底に堆積した貝や植物が化石化し、その後隆起して柔らかい層が波に削られてできた奇景とのこと。ノジュール(結節)と呼ばれるスツール上の化石は一見の価値あり。宮村さんお薦めの唐音の蛇岩(カラオトノジャガン)という奇岩は国の天然記念物。周囲の赤つぽい岩盤の間に幅1mほどの灰色の岩脈が数十mに渡って続いており、確かに“蛇のように細長い岩”だった。15時過ぎに浜田に到着。市役所そばの石見美術館で常設展(コレクション展)を鑑賞した後、七尾城跡へ。徒歩で約10分の山登り。浜田市観光は予定外だったが楽しめた。 ーーー写真掲載予約:「畳ヶ浦のノジュール」と「唐音の蛇岩」の写真


Map, Click to Expand 4日目:5/2(火) 益田→萩 (km/m) ここ
 メンバ:野田、宮村、小澤、浦野
 (野田記:2023/9/5)

*出発
 ここ

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xx

 宿泊:はぎタイム

 では、


【宮村コメント】良かったこと>①益田の高津柿本神社、山陰のモンサンミシェル?宮ケ島衣毘須神社を参拝できた。②須佐「梅乃葉」のお昼で、須佐自慢ケンサキイカを楽しめた。③須佐ホルンフェス、萩笠山を探検し、太古に日本海沿岸で起きた火山活動を少し感じ取れた。④夜、居酒屋で食べたイキレ(スルメイカの子らしい)の沖漬け、スルメイカの一夜干しなどが美味だった。<嫌だったこと>沿岸を走行していてトンネルが若干怖かった。事実、飯浦海岸のトンネル前で、ミニパトが、自転車と自動車のトンネル内接触事故ついて検証していた。
【小澤コメント】国道が緩いアップダウンなのに、見どころがすべて小高い山の上。急坂が足に来ます。お昼はココ(梅乃葉)しか"食べる所がなかった"ので、70分待ちでもがまんできてしまいました。まかない丼1660円也!ーー写真掲載予約【まかない丼の写真】
【浦野コメント】この日も本体とは別行動で津和野経由で萩までのコース。今日の見どころは津和野城と萩城の2か所(いずれも2回目の見学)。10:15に津和野駅に到着。前日に宮村さんと小澤氏が立ち寄った太鼓谷稲成神社へ寄った後、徒歩で津和野城へ。その後、こちらも昨日宮村さん達が来たという森鴎外旧宅跡と記念館を見学。16時前に萩に到着。2014年のGWツアーでも訪れた松陰神社に立ち寄ると、当時はなかった学びの道なるものが整備されていて、ダズが喜びそうな吉田松陰語録がいくつも並んでいた。続いて萩城跡へ。以前、入場できなかった指月公園(シヅキコウエン)にも入り、標高143mの指月山にある城跡にも行ってみた。今日2回目の登山(?)でバテバテになり、18時前にはぎタイムにチェックイン。


Map, Click to Expand 5日目:5/3(水) 萩→小串 (105km/1297m) 晴時々曇り
 メンバ:野田、宮村、小澤、浦野、(合流)DAZ、アコ
 (浦野記:2023/6/13)

*今日の予定
 前日まではほぼ単独行動をとっていたため、皆と一緒に走るのは実質的にこの日が初めてだ。小串まで国道で直行すれば約73kだが、100本以上の鳥居が連なることで有名な元乃隅稲成神社と、青空に映える橋がフォトジェニックで近年有名になった角島大橋に立ち寄ると約100kmになる。宮村さん、小澤氏、浦野の3人は両方に立ち寄るコースを選択。野田氏は国道直行かと思いきや、元乃隅稲成神社には行くとのこと。それでもフルに走るのは厳しいらしく、萩から長門古市駅までは輪行して10時頃に長門古市駅で本隊と合流することにした。

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はぎタイムを出発
*萩観光、海岸線
 7:40に4人ではぎタイムを出発。山口を走るのは今ツアーが初めてという小澤氏のリクエストでまずは市内をプチ観光。木戸孝允の旧宅、高杉晋作の生家と回ったところで、9時に輪行するという野田氏と別れ3人でさらに松陰神社と松下村塾、伊藤博文の旧宅を見学した。

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木戸孝允の旧宅とその前の通り

 8時半過ぎに萩を出発し国道と並行する海岸沿いの県道を走っていると、海女さんが海藻を採っている場面などに出くわし、のんびりいい気分で走れた。

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海女さんに遭遇 | 海岸沿いの県道

 だが海岸沿いの道はご多分に漏れず結構なアップダウンの連続で、思ったより距離が延びず三見駅の直前で野田が乗っているであろう列車に追い抜かれた。三見駅で列車に追いつき停車している列車を見ると野田が後ろ向きに座っているのが見えた。手を振ってみたがこちらには気づかなかったようだ。

*津黄峠、元乃隅稲成神社
 海岸沿いは大変だということが分かり国道に戻ろうとしたのだがこの辺りは自動車専用のバイパス国道になっているため、三隅までは県道を走らざるを得ないことが判明。この時点で「10時に長門古市駅で待ち合わせは到底無理」ということになり、野田には先行してもらうようライン連絡しておいた。早くもバテ気味になりながらも三隅でようやく国道に復帰した。長門古市駅の近くから県道66号に入り元乃隅稲成神社へ向かう。標識は車でアクセスしやすい遠回りの道を案内しているようだったが、それは無視して最短コースを選択。途中の津黄峠(199m)ではハンガーノックになりかけ先行する二人に置いて行かれそうになった。元乃隅稲成神社が近くなると駐車場待ちの車で大渋滞していたが、自転車の特権(?)で車の脇をすり抜け11:45に元乃隅稲成神社に到着。
 駐車場に野田の自転車を発見し隣に停めていると一通り見学とお参りを済ませた野田が帰ってきた。野田には申し訳ないが改めて4人でお参りに行く。この神社の賽銭箱は鳥居の上に設置してあり、多くの人が賽銭箱をめがけてお賽銭を放り投げる格好だ。1回で賽銭箱に入れる人は少ないようで、投げては落ちてきた小銭を拾い更に投げる人がほとんど。地面には、賽銭箱に入らずご主人(?)にも見放された小銭がちらほら。野田は「可哀そうだから」とそれを拾って投げ入れていた。

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鳥居の賽銭箱にお賽銭 | 元乃隅稲成神社の千本鳥居

 一通りお参りした後、千本鳥居を通って“龍宮の潮吹き“まで降りてみた。龍宮の潮吹きは打ち寄せる波が岩礁の孔内に入り込むことによって、圧縮された道内の空気が海水を噴出する現象なのだが、この日は波が穏やかで全然噴き上げていなかった。まあ、自然現象なので早々うまくは遭遇できないのは仕方ない。

*お昼
 野田が一人で出発していったあと、3人で散策しつつお昼にしたいところだったが、神社エリアにはお腹を満たせるような食事処はなかったため国道まで戻って食堂を探すことにした。国道191号に戻る途中、どこかで分岐を間違えたらしく人丸駅の手前(東寄り)で国道191号に戻ってしまった。宮村さんがスマホで食堂を検索してくれたおかげで人丸駅のそばの食堂で無事、お昼にありつけた。とはいっても選択肢は少なく、既に品切れのメニューもあったが、我々は品切れ間際のシラス丼セットを無事注文でき、美味しくいただいた。

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無事注文できたシラス丼セット
*角島大橋、福徳神社
 出発する頃には宮村さんから「角島大橋、どうしようかなあ」と少し弱気な発言。浦野と小澤氏は自転車で渡る気満々だったので「とりあえず橋まで行ってみて渡るかどうかはそこで決めましょう」という事にして13:50に出発。一時間弱で角島大橋に到着したはいいが、ここもかなりの人出だった。”映える橋”として有名になった角島大橋だが、全長1780mのうち角島から本州へ戻って来る車線は全長の半分くらい渋滞していた。宮村さんは橋を走破することはあきらめたようで、一服してから小串の近くにある福徳稲成神社(ここも千本鳥居が有名らしい)を目指して先行出発するとのこと。小澤氏と二人で角島まで行って帰ってきたら15時を過ぎていた。

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角島大橋 | 角島側から(帰りは大渋滞)

 国道191号に戻ってあとはひたすら小串を目指すのみ。二人で宮村さんを追いかける形になったが、途中浦野は小澤氏にも置いて行かれ一人で走るハメになってしまった。福徳神社の手前で一旦は三人が再合流したが、宮村さんは福徳神社へ向かって先行して出発。浦野と小澤氏はやや遅れて福徳神社に行ってみたが、着いてみると国道から神社に上がる車道がゲキ坂で、疲れた身体ではとても自転車で登る気になれなかった。先に到着していた宮村さんも同じ想いだったようで、一の鳥居の脇に自転車が停めてあった。

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福徳神社のゲキ坂 | 福徳神社の千本鳥居

 一人でゲキ坂を歩いて上り、千本鳥居をくぐって境内に入ったところで宮村さんと再会。やや遅れて上って来た小澤氏はお参りを済ませた後、一足先に宿に向かって出発していった。一の鳥居まで戻って来たところで宮村さんが「神社にボトルを忘れてきた」。またあの坂を上るのかとげんなりしている様子だったがボトルを残していくわけにもいかず、再度上って行った。自分はとても付き合う気になれず先に宿に向かうことにした。
 16:50、小串駅前の坂田旅館に到着。ほぼ同時にダズ夫婦も小串駅に到着して久しぶりの再会となった。

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小串駅でダズ夫婦と再会
 宿泊:坂田旅館
 宿はご年配のご夫婦が経営していることもあり今は素泊まりのみ受け入れている旅館だった。小串は思っていたよりも小さな町で駅前にはコンビニもない。食事はどうするのかなと思っていたら、野田が近所の田尾食堂を17:00に予約してくれていた。17時とは少し早すぎないかと思ったが、何でもラストオーダーが18:30とのこと。お風呂も後回しにしてまずは食事に出かけることにした。食堂兼商店という趣の田尾食堂はこの辺りではほぼ唯一と思われる食堂だ。野田は例によって晩酌しながらのアラカルト、その他はそれぞれ好みの定食をオーダーし(自分はご飯大盛+お替り1杯)、美味しくいただいた。(小澤記:田尾食堂の壁には「こころ旅」の火野正平さんのサインとチラシが貼ってありました。)

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田尾食堂での食事風景 | 「こころ旅」も来ていた

 駅前にコンビニがないので、明日の朝食も田尾商店で調達するしかないかと、各自パンや弁当を調達して宿に帰った。コンビニがない代わりと言っては何だが、駅前にはオカズマシーン1号なる自動販売機があり、弁当、総菜、デザートに加えドレッシングまで売っていた。鮮度管理など大変そうだなとよく見てみると管理者は田尾食堂になっており、納得。19時に食堂が閉まっても最低限の食料は買い出しできることになっているのだった。

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翌朝の食事などを買って食堂を出る | 駅前のオカズマシーン

【野田コメント】
【宮村コメント】良かったこと>①萩、城下町地区では、夏みかんの花の香りが漂い、カワラヒワの鳴き声が色々なところから聞こえた。いままでとは違う街の情緒を味わえた。②道の駅北浦街道豊北の近くから綺麗な角島大橋の全景を見ることができた。③夕食で入った食堂タオのスズキのフライと牛だしのお澄ましが美味だった。<ついて行けなかったこと>①浦野くんと小澤くんの速さ。②元乃隅稲成神社と福徳稲荷神社は、存在感あったが、自分には派手&シュール過ぎた。③美しい角島大橋の目的。開通後も島の人口は減少しているらしい。大橋の始点である豊北地域は増加のようだが。
【小澤コメント】朝から萩の街をぶらり。幕末の志士たち、吉田君、高杉君、伊藤君、木戸君、エトセトラ、それぞれの邸宅跡を訪問しました。萩の街では、中高生から元気よく「こんにちは」と声をかけられました。最初は驚きましたが、返す挨拶の声がだんだん大きくなっていく自分に気づくと、ちょっと嬉しくなりました。こういう土地柄が維新を呼ぶのだなあと思いました。宿にはバラバラの到着となりましたが、夕食はダズ君とアコさんが加わり、より賑やかになりました。
【DAZコメント】朝7時半ころ自宅を出発し、12時10分発の飛行機で山口宇部へ飛び、空港バス(マイクロ)で下関へ、下関駅からJR山陰本線・小串駅行きで終点の小串まで輪行、予定通り16時19分に到着した。僕らにとって今日唯一の見所、福徳稲荷神社にはもう一駅先の湯玉駅まで行くと近いが、小串より先に行く列車は40分待ちのため、小串から走って往復しようかなと考えていた。野田さんが駅まで来てくれて、夕食の時間が早いという話になり、神社はパスに決定。宿に移動して皆さんと再会し、「たお食堂」で夕食タイム。今日までのお話などを楽しく聞きながら、ツアー気分に溶け込んでいった。


Map, Click to Expand 6日目:5/4(木) 小串→美東 (72km/830m) 晴れ
 メンバ:野田、宮村、小澤、浦野、DAZ、アコ
 (DAZ記:2023/7/22)

*出発するまで
 5時半頃起床、くもり空だ。朝食は昨日買い出したものを各自部屋で食べる。ダズとアコは昨日の「たお食堂」で購入した「焼さば寿司」と「おから」と「煮豆」を食べた。
 7時35分頃、宿を出発。野田さん先頭で県道を1kmほど南下し、踏切を渡って国道191に出るところで野田さんが急に「はい、はい」と話し始めて何かと思ったら、野田さんは常時イヤホンをしていて、スマホにかかってきた電話に出たのだった。坂田旅館から「黒の半ズボンの忘れ物がある」との連絡で、宮村さんが「あっ僕かも」といって戻っていった。しばし待機し、7時50分再スタート。

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坂田旅館を出発 | 忘れ物を取ってきた宮村氏

*小野小町、クスの木、メダカ
 県道262に入ってすぐ、直行する野田さんとは分隊となる。本隊は、約3km余分になるけどこの先の「小野小町の墓」に立ち寄る予定だ。これはアコが行きたいと希望した場所で、皆さんは元々その気は無かったのだけれどアコの熱意に押されて?付き合ってくれることになった。小野小町の墓は全国に何か所もあるらしく、それら全てを巡る、と(思いつきの)話をしたアコに、「ほう、これまで他どこに行ってみた?」との質問。「いや今日からスタートです」との答えには一同ガクッとなる。昨日の羽田空港で初めてコース予習をしていて思いついた話なのだから仕方ない。 ・・・何はともあれ目指すポイントにたどり着く。ほんの少し手前に「虚無僧墓」というのがあって、これに立ち寄ってから小野小町の墓へ。車道から10mくらい山側へ徒歩で登ると、ひっそりと小さなお墓と案内板があるだけの、こじんまりとした場所だった。

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虚無僧墓をお参り | 小野小町の墓をお参り

 絶世の美女になる祈願?をして、8時半に出発。来た道を1.5kmほど戻ったら県道35に入って東に進み、こんどは次のポイント「川棚のクスの森」に向かう。これは国指定天然記念物で、推定樹齢1000年以上、一株だが四方に枝を広げる独特の樹形から「森」の名前が付いたものだそうだ。確かに一本の木とは思えない広がり方で、東西58m、南北53mに広がっているとのこと。2017年には部分的に枯れてきて危機に陥ったそうだが現在は回復に向かっているようだ。たまたま清掃に来ていたボランティアのご婦人方の会話からも、地元の人々に大事にされている様子が伺えた。眺めていると元気を貰えるような、生命力を感じさせる立派な樹だった。隣接する神社にもお参りして、9時少し前に出発。

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川棚のクスの前で | 若宮神社をお参り

 県道35で70mアップの小ピークを越え、国道491に入って3kmほど進み、「道の駅きくがわ」に9時半頃到着して小休止とする。地元の特産品の一つなのか、いろんな種類のメダカが1リットルくらいのビニール袋に入って売られているのが珍しく感じた。ちょうどソフトクリーム販売が開店したので、浦野さんはじめ数人が楽しんだ。また宮村さんは、ここの売店で見かけた「夏ミカンの皮を砂糖漬けにしたお菓子」に興味をそそられたものの、荷物になるのでここではまだ購入せず先延ばししたのだが、この先の旅程では同様のお菓子に再会することが出来なかった。10時少し前に、「道の駅きくがわ」を出発。なお同じ頃、先行する野田さんは県道34で10kmほど先の「道の駅 蛍街道西ノ市」にて休憩していたようだ。

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メダカが売られていた
*連続アップダウンを越えて、美祢駅前
 県道34を10kmゆるゆると進み、国道435に入ると登りとなる。80mアップして一呼吸置いたら更に60mアップする。国道だが交通量は極小で、思ったよりずっと走りやすい。11時15分頃に美祢市に入り、野田さんにラインして、美祢駅で一度落ち合う。本隊はここらへんで昼食をとってから秋吉台に向かおうということになるが、野田さんは宿まで直行で再び先行することに。

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カルストの片鱗 | ピークはまだ先

 僕らの昼食ポイントは、駅周辺で幾つかお店を見かけたが、小澤さんの直感で「カフェレストランNONNO」を選択。早めの時刻だったので席に余裕があったが、しばらくすると地元客で満員になったので、すばやく決断できて良かったみたい。お店のおばちゃんは愛想よくサイクリストに親切で、冷えた水を大量に供給してくれた(ボトルにもつめさせて頂いた)。日替わりランチでおばちゃんおすすめのチーズドリアセットを注文、思ったよりはボリューム無かったけど美味しかったし満足。この店内での会話で、今日の宿は食事無しで、近所に飲食店も見当たらない(コンビニとスーパーはある)けど、夕食どうしましょうか、という話となる。選択肢としては、近くの道の駅で仕出ししてもらうか、または自炊、のどちらか。ここで、半分冗談・半分本気で、「秋吉台には立ち寄らず宿へ直行している野田さんに、エッセン買い出し(と調理も?)をお願いしてはどうか?!」という案が出て、野田さん不在で話が盛り上がる。で、代表して同期の浦野さんから、野田さんへラインで探りを入れてもらうと、意外なほどあっさりとOKが返ってきて、とりあえずメニュー決定権と買い出しの名誉(?)が渡された。

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NONNOで昼食
*秋芳洞を断念、秋吉台、裏技
 12時半頃お店を出て、午後の部を開始。駅の周辺には「美祢市化石館」という見所もあるが、やはり美祢観光のメインは秋芳洞・秋吉台であり、充分な見学時間を確保するため寄り道せず直行する。国道435はここから交通量が多そうなので、国道316で2kmほど北上してから県道240に入って東へ進み、国道435を一部カット。再び国道435に戻ってから秋吉八幡宮経由の県道と、最後は1kmほどのサイクリングロードを通って秋芳洞へ向かい、洞入口まで続く土産物街に13時半到着した。やはり日本を代表する観光地の一つらしく、すごい人出でとても自転車では進めないので、土産物屋さんのおばさんに頼んで店の裏手に自転車を置かせてもらう。暑いので帰りにここでジュースかアイスでも買えばいいかもね、と話しながら、徒歩で土産物街を進む。定番の鍾乳石工芸品や、クレープ、ソフトクリーム店などに混じって、「吉田松陰チップス」が売られていたのを発見しダズは記念写真を撮影。コロナ禍も終盤で、今年のGWは多くの日本人が国内旅行を再開したということで、秋芳洞入口には入場待ちの長い行列が。スタッフの人も、これまでに経験したことがないくらいの混雑で、どれくらい待つかちょっと分からないとのことだったので、僕らは入場を断念して土産物街を引き返す。あっという間にもどってきちゃったのと、自転車を置いた店にはアイス等は無かったようなので、宮村さんが店先の自販機でドリンクを購入しただけで出発する。

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サイクリングロード | 土産物街はすごい人出 | 松陰の道ができた影響

 ここからはカルストロード(県道242)で約4km、160mアップほどで秋吉台展望台に向かう。14時過ぎに到着し、展望台からの雄大なカルスト地形の眺望を楽しんだ後、30分くらいトレイル散策して、広々と開放感のある秋吉台を満喫することが出来た。(G記:前回の山陰ツアーおよび最初の山口ツアーでは、このトレイルを自転車で走っていますね。)

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展望台に向けて登る
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展望台にて | カルスト散策中

 でこのあと、5分くらい歩いたところに秋芳洞の「エレベーター口」という入口があるというので、ここは混んでないかも?と期待して行ってみた。すると案の定、待ち時間ゼロで入れる!ということなので、これは穴場だね、ということで入場することに。ここから入ると秋芳洞の中間地点くらいに至るので、まずは黄金柱、巌窟王などの見所が連続する上流側へ。時間が有ったら下流側も・・・という感じで見学開始する。暗闇のなか連続する圧巻の鍾乳石を見学しつつ上流側の終点に至ると、そこには(最近つくられたと思われる)「三億年のタイムトンネル」というイラスト展示区間が有って、地球の起源から現代までの壮大な歴史が描かれている。ちょっと俗っぽくて洞内の雰囲気とは異質だがここで一息ついて、また入洞し今度は下流側に向かっていきエレベータ口まで戻ったあと、結局下流側も見ようよという雰囲気になり、ほぼ終点近くの「百枚皿」まで行って戻る。洞内は涼しいというか寒いほどなので、だいぶ身体が冷えたが、久しぶりの秋芳洞はやはり見応えがあり入って良かった(ダズは見学3回目くらい?と思う)。

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秋芳洞内で

 エレベーターで上がって自転車まで戻るともう16時過ぎ。当初の構想ではここから県道242を北上してカルストロード完走して国道490で宿へ、という案もあったはずだが、2時間余りの秋吉台滞在を楽しんだ後には皆その気は無くなっており、速やかに下って宿に向かうこととする。ここでアコが昨日オカズマシーンで購入した「川棚まんじゅう」が登場し、最後の走りに向けて元気をつける。
 一気に下って県道32に入り今日最後の登りで約50mアップ、太田川を渡って県道28から宿を目指し、最後は少しうろうろして迷いつつ、グーグルマップを参照しながら16時40分ころ、本日の宿に無事到着。

 宿泊:古民家民宿なかむら

 民宿のお母さんと先着の野田さんに迎えられて、まずは土間の物置に自転車を入れてから建物に案内される。この民宿は、築170年の古民家を一部リフォームした建物で、ふだんはお母さんが自宅として住んでいる家をそのまま民宿として使わせていただく。とても広々として開放的、今日の宿泊は僕らのグループだけで貸し切り状態だ。10人くらいは楽に過ごせそうな感じだけど、いろいろ法律的な制約があって民宿ではなくゲストハウス、届け出上の正式な宿泊定員は4名(だったかな?)、ということになっているのだそうだ。間仕切りが襖だけだとダメとか、避難経路がどうとか、色々な規定にこの古民家が適合しないためなのだとか。でもそんなことはどうでも良く、まるで自分のおばあちゃんの家に遊びに来たような感覚になれる素敵な古民家に、80代といっても元気で明るいお母さんがどうぞ自由に過ごしてください、と迎え入れてくれて、すっかり嬉しくなる。

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民宿到着 | 民宿の内庭(野田さんが事前に撮影)

 そして夕食については、野田さんが既に買い出しを済ませただけでなく、調理も一人でやって下さっていて、もうほとんど完了という所だった。メニューは、野田さんの個人ランでもよく登場するポトフかな、それともカレーかな?と思っていたら、何とまさかの3種類、「ポトフとカレーと麻婆豆腐」というオールスターメニューで、これまたすっかり嬉しくなる。というわけで残りのメンバーは順次お風呂へどうぞ、ということに。ただし普段はお母さんの一人住まい、ということもあって、給湯設備のキャパシティが足りないため、湯舟は使わずシャワーのみ、なおかつ使用湯量はできるだけ節約するように(全員入る前に使い切ると水になっちゃう。次にお湯が出来るまでだいぶ待つことになる)、ということで、まあそこは仕方ない。無事に全員シャワーを済ませ、夕方にはもう一人の管理人さん(お母さんのご親戚)ともご挨拶した後、楽しく豪華な夕食タイムとなる。洗濯機もお借りして、溜まった洗濯物も広い軒下に全て干せたし、お母さんは隣接する離れにて過ごすということで、僕らはお酒も楽しんだりして快適に自由に過ごさせて頂いた。

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食堂に集合 | 野田さんの準備した夕食(これはほんの一部)

【野田コメント】
【宮村コメント】良かったこと>①川棚のクス木の生命力に満ちた姿。②美祢から秋芳洞へ行く途中、巨大な露天掘り石灰石鉱山を見ることができた。③秋吉台の広大なカルスト地形。④秋吉台から並ばずエレベーターで秋芳洞に入れた。<ありがたかったこと>野田くんが、先に着いた民宿で特製夕食を準備してくれた。
【小澤コメント】絶対行きたいと思っていた秋芳洞を見学できました。メインの入り口は長蛇の列で、一時間以上待たされる可能性があるとのこと。迷わず坂を上って別の入り口に行き、ほとんど並ばずに見学ができました。外のカルスト台地もステキでした。宿に直行した野田さんに、エッセンを全部作ってもらってしまいました。カレー、麻婆豆腐、ポトフ、どれもおいしく、疲れが吹っ飛びました。大先輩に大感謝です。(大恐縮です)
【浦野コメント】コロナ空けのGWということもあるのだろうが、秋芳洞の入場待ちが1時間とは。でも秋吉台まで上りカルスト台地を散策した後、エレベータ入場口から待ち時間なしで入場できたのはラッキーかつ賢かった。


Map, Click to Expand 7日目:5/5(金) 美東→山口→鹿野 (76km/1550m) 曇り時々小雨
 メンバ:野田、宮村、浦野、DAZ、アコ、(離脱)小澤
 (宮村記:2023/9/4)

*出発
 6時40分ぐらいから朝食。内容は野田くん特製カレーライスとオニオンスープ。元気がついた。7時40分、小澤くんが新山口駅へ出発するタイミングで1回目の写真会。集合ジャンプ写真と民宿のお母さんと小澤くんの記念写真を撮影。
 その後、各部屋を片付け、民宿のお母さんに入ってもらい2回目の集合写真を撮影。8時11分出発。標高約100m。曇天。今日は天気が崩れる予報だが、まだ雨は大丈夫だった。

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野田くん特製朝食 | 小澤くん出発前、集合写真 | 民宿のお母さんと写真

 今回、高度チャートがあると、特に後半のアップダウンなど分かりやすいと思い以下を添付する。

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高度チャート(←地図に記入するので不要か?)

*「鳳翩山(ほうべんざん)トンネル」越え、山口市に入り3隊に分裂
 野田くんリードで、耕作地帯を走り、太田川を渡り、国道435号に入り(標高約90m)、美祢市と山口市との境、「鳳翩山トンネル」(標高300m弱)を目指した。ここからはフリー走行。「鳳翩山トンネル」までの6.5kmは、ずっと向かい風だった。また、時々パラパラと小雨が降った。途中にトンネルが2つあり、1番目が3km弱走ったところにあった。標高180m弱。1番目と2番目の間は勾配が緩まったが、2番目後、きつくなった。特に最後の1kmで勾配が上がった感じだった。自分は8時57分、「鳳翩山トンネル」入口に到着した。向かい風と勾配の変化によって何だか疲労した感じだった。10分強休憩。
 トンネル(長さ1030m)の向こうの山口市も小雨がパラパラ降っていた。3.7km降下し、標高約65m、9時22分、「山内氏遺跡 凌雲寺跡」は左折と表示した新しそうな案内板がある交差点で信号停止。案内板の石垣っぽいカラー写真が目立っていた。ここで「凌雲寺跡」へ行くという浦野くんとお別れし、野田くん、DAZくん、アコ氏、自分のグループになった。次に国道9号を渡り、若干進み、9時36分、県道200号との交差点で、山口市に寄らず通過するという野田くんとお別れした。野田くんは県道200号を湯田温泉方面へ走り去った。自分たち3人は、まず「サビエル記念聖堂」を目指した。

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「鳳翩山トンネル」の入口に到着

*山口市観光:「サビエル記念聖堂」、「瑠璃光寺(るりこうじ)」、イベント中の亀山公園、昼食
 県道204号を北東に進んでいると小雨が上がった。「サビエル記念聖堂」、「山口市民会館」は左を示す標識を見て、交差点を左折、山が見える方向へ進んだ。しばらく進むと右前方に直方体で細高い建造物が2本見えた。自分はクリーンセンターの煙突かと思ってしまった。DAZくんやアコ氏も記念聖堂とは思わなかったみたい。結局、通り過ぎ国道9号と交わる交差点まで行き、引き返した。反対に走ると左に聖堂入口と書いた小さな案内板があり、曲がって上がると記念聖堂が見えた。9時58分、「サビエル記念聖堂」到着。聖堂は1991年に火災で全焼したが、全世界からの支援によって、1998年に現在の白亜の三角屋根と2本の四角い塔からなる芸術的な聖堂に生まれ変わったとのこと。構成は自分が知る聖堂と同様、中央に礼拝堂・両側に塔だが、形がとても斬新と思った。1Fの資料館には、サビエルの足跡、大内氏の保護、サビエル後の布教活動などを示す資料が展示されていた。2Fの礼拝堂は、ステンドグラスが鮮やかだった。2本の塔について、右塔の上に9つの鐘と十字架が、左塔に時計が設置されている。ところで、日本ではふつう「ザビエル」は、「ザ」呼びだが、山口市民は「サ」呼びにこだわるとのこと。因みに、「ザビエル」はスペイン人で、綴りはXavier。今のスペイン人の発音だと日本人は「ハ」に聞こえるらしい。当時は、どう発音され、どう聞こえたのだろうか。10時55分に記念聖堂を出発。

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サビエル記念聖堂全景 | 礼拝堂内と綺麗なステンドグラス | 礼拝堂のパイプオルガン

 国道9号に入り、途中で香山公園方面へ左折、若干上って、11時6分、「瑠璃光寺」の門前に到着。門前駐車場のすみに自転車を置き、境内へ。石柱門を入ってすぐの国宝五重塔について、大改修に向け、今年の春から足場設置を開始したと聞いていた。だが、まだ設置途中で、近づけがないが、半分ぐらいは見えるだろうと高をくくっていた。しかし行ってみると上までちゃんと囲まれており、プチショックだった。シートがまだなので、何とか目を凝らして透視した。山門を通り参拝後、大胆に流れるような筆致の御朱印をいただき、11時32分に昼食へ出発。ところで、ここの五重塔は、室町時代の大内氏全盛期、26代当主盛見(もりはると呼ぶらしい)が1442年に建造したとのこと。全国に現存する五重塔のうち10番目に古い。美しさは日本3名塔の一つに数えられる。他2基は、法隆寺と醍醐寺の塔。また、「檜皮葺屋根」の五重塔は、江戸時代以前に建てられ現存するものが3基しかなく(他は瓦葺き)、ここがその1基。他2基は、室生寺と厳島神社の塔。よって、けっこう稀な塔。自分はまだ今のところ、法隆寺が一番好きだが。なお、「檜皮葺屋根」は、世界にあまり無い日本古来の伝統的屋根とのこと。

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足場に囲まれた五重塔 | 瑠璃光寺の山門、これから参拝

 「瑠璃光寺」から国道9号に出て、亀山公園方面に走っている途中、左に、古風で巨大な建物が見えた。後で調べると旧武徳殿・現県警体育館だった。1930年に建てられた有形文化財(建造物)とのこと。武徳殿とは、戦前にあった日本古来の武術を伝承・教育する大日本武徳会の道場らしい。武徳会は戦後解散。次に、食べるところがあるだろうJR山口駅前へ最短で行くために、亀山公園を抜けようとした。しかし、今日はイベント開催により交通規制され、家族連れで溢れており、「サビエル記念聖堂」前の通りへ道を変えた。県道204号を渡り、お店が増えてきたので、スマホで候補をチェックし、古民家風和食店「まるまつ食堂」を選んだ。しかし、11時55分に到着してみると、一時間待ちだった。最近の超人気店だったらしい。あきらめてお店探しのさすらいが始まった。12時9分、中市商店街「鉄板食堂天豊」に漂着。ハンバーグ系の定食や焼きそばをいただいた。12時50分、出発。

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旧武徳館・現県警体育館 | イベントでにぎわう亀山公園内 | お昼に宮村が食べた卵のせハンバーグ定食

*道の駅仁保(にほ)の郷で浦野くんが合流、「荷卸峠(におろしだお)」越え
 山口市郊外を目指し、強い向かい風の中、県道194号および県道21号を南東へ走った。次に左折し県道26号に入ると、横風になり、走行が楽になった。走っていると仁保川が左に見えるようになった。川で憩うマガモや鯉のぼりの川渡しを見ながら走っていると、左先方にシドニーオペラハウスの屋根を2面垂直に立てたような巨大建造物が見え始めた。何だかの宗教集団の建物かと思ってしまった。後ほど、野田くんの話で、KDDI山口衛星通信所のパラボラアンテナだったと知った。13時35分、道の駅仁保の郷に到着。トイレ休憩やみやげチェックをしていると浦野くんが追いついた。ここで合流。14時10分、出発。
 標高80m強の仁保の郷を出て、向かい風の中、国道376号を南東へ走った。ほどなく上りなり、時々、右に仁保川が見えた。14時33分、トンネル手前で、仁保川と別れ、さらに上った。14時43分、「荷下峠」に到着。標高275m。ところで、ここは「たお」呼びなので、調べると北の白石山と南の真田ケ岳の間にある、中国自動車道パーキングエリアをつくれるほど広い鞍部だった。5/1宮村レポートで話した「とうげ」と違う「たお」だった。かつての漢字は「峠」ではなく「垰」のはず。

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道の駅手前の仁保川鯉のぼりの渡し | 荷卸峠に到着

*木引峠(きびきだお)越え、その後の連続するアップダウンで消耗
 標高50m強まで降下し、佐渡川沿いに国道376号を北東へ進み、国道376号は右という表示に従い、右折後、佐渡川を渡り、ローソン徳地堀店が立つ交差点を通過、15時23分に「木引峠」へ向かう県道9号線への分岐に到着。標高88m。ここから標高283mの「木引峠」まで、2km強の距離を上昇するので、勾配10%近い長い激坂とのこと。上り口で小休止して体調を整えた。アコ氏とペースを考え上った。15時55分、峠に到着。ところで、ここも「たお」読みなので、調べると、北側にかつて林業者が暮らしただろう平な場所が広がっていた。後に今回のGWランで自分がレポートだった以外の主な峠を調べると、「たお」呼び峠は、5/3(水)に通過した椎の木峠(しいのきたお)、一カ所だった。「たお」に好かれた。
 峠の下りは若干しかなく、すぐ上り始めた。100mほど上り、標高約350m、右上に中国自動車道が見えるあたりで小休止。16時22分。これから上に見える自動車道をくぐり、さらに自動車道トンネルの上まで、厳しい上りが続くとのこと。体力を整えた。ここが高度チャートのA地点。DAZくんから山口市で買った一口サイズ「山口外郎」をいただく。頑張って上り、16時33分、自動車道トンネルが下に通る、山口市と周南市の市境に到着。標高410m弱。なお、その手前の道端の穴から重い鳴き声が聞こえた。何だろうと思っていたが、後で、野田くんがカエルとかカジカとか言っていた。
 そこから100mほど降下し、すぐ上りなった。ここは赤山区・仁保津区の間にある標高350m強の尾根までの上りだった。約50mの上昇。高度チャートのB地点である。自分としては、先ほどの市境越えでハードな上りが終わったと思っていたので、想定外に踏むのが重く気持ちが切れそうになった。そんな感じの中、グループ全体が尾根の手前で一旦停止。皆、ずっしりきていたか。後で検証すると一部が勾配10%近かった。
 尾根から降下して、標高約310mで杉ノ河内川を渡り、上り、16時58分、右に中国自動車道鹿野サービスエリアがある標高約385mの丘、高度チャートのC地点に到着した(若干通り過ぎていた)。ここの上りは勾配が緩く、もうすぐ宿という気持ちがあったからか、自分はそう苦しく無かった。

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「木引峠」上り口 | もうすぐ「木引峠」 | 「木引峠」で小休止
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地点Aで小休止 | 山口市・周南市 市境で小休止 | 赤山区と仁保津区の間にある尾根手前できつくて?小休止

*ライオン岩はどう見えた、何とか到着
 鹿野サービスエリアの丘から下り、標高約350mにある国道315号との交差点を通過、県道9号から県道12号に入り、周防鹿野稲荷神社の鳥居を左に見て、標高400m強の尾根まで上り、わずかに下ったところに設置されたライオン岩展望所で停止。17時18分。渋川を挟んだ向こうの岩山が、自分には吠えている雄ライオンに見えた。なお、この岩について各自見え方が違ったようだ。さらに若干上り、17時28分、標高約410m岩船温泉に何とか無事到着。

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ライオン岩 | 無事、岩船温泉に到着

 宿泊:石船温泉

 2Fの3部屋を使用できた。野田くんが1つを談話室にした。夕食は1Fの食堂だった。19時から20時半まで食事を楽しんだ。内容は、肉の陶板焼き、刺身(ヒラマサ、イカ、タコなど)、ローストビーフ、味噌漬けアジの焼き物、酢の物、茶わん蒸しなどだった。
 食後、談話室にしばらく集まり、21時すぎ外の自転車を玄関内に入れさせてもらい、談話室片付け後、各部屋へ。 自分は22時ごろ就寝。

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夕食のごちそう | 夕食の団らん

【野田コメント】
【浦野コメント】山口市手前の交差点で赤信号にひっかかった時、大内氏ゆかりの凌雲寺跡まで800mという案内板が目に入ったのが運のつき。一人で寄ってみた結果、昼過ぎまでソロ行動する羽目になってしまった(もっとも山口市内では高峰城跡に一人で行くつもりだった)。山口城跡(県庁内に移設された城門)、高峰城跡(コウノミネジョウアト)を初めて訪問できたのは良かったのだが、高峰城跡では標高338mまで上らされて閉口した。
【DAZコメント】ツアー出発前の予報では、この日は丸一日雨となっていたので、カッパ着て山口観光することになるのかなぁ、と思っていたのだが、予想に反してほとんど降られなかったのは良かった。後半の中国自動車道沿いの県道も、予想に反してのどかな農村地帯で、蛙の声や石州瓦の家並みを楽しみながら楽しく走れた。
【小澤コメント】単独走:美東→新山口(約20km、ほぼ下り)。恐縮ながら、ここで私のGWランはおしまいです。初日を除いてずっと晴れでしたが、久しぶりの小雨模様です。新山口駅から、新幹線で東京へ。三席側の車両最後尾の席を予約してありましたが、もう一名折り畳み自転車の方と一緒になりました。尾道~四国~新山口と周ったっそうです。幸い、二台とも置くことができました。【宿のおばちゃんとツーショット出発写真】


Map, Click to Expand 8日目:5/6(土) 鹿野→岩国 (59km/357m) 雨
 メンバ:野田、宮村、浦野、DAZ、アコ、(鈴木舞)
 (浦野記:2023/6/13)

*今日の作戦
 天気予報ではこの日は1日雨。岩国までは見るべき観光地もほとんどないので、とにかく安全に岩国まで行くことを目標に8:40に出発。野田はと言えば山口在住の鈴木舞さん(平成17年卒)に事前連絡していて、彼女の車で岩国まで送ってもらうことにしたそうだ。まあ、それはそれで良いでしょう。

*雨の中、岩国へ直行
 まずは県道9号で標高480mの金峰峠を目指す。早くも全身ずぶ濡れになり靴の中まで水が染みてくるがとにかく走るのみ。

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石舟温泉から出発
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金峰峠 

 県道69号から国道187号に入ってからは錦川と錦川鉄道沿いに岩国まではほぼ下りになるのでちょっと気が楽になる。

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一上りで岩国市に入る | ここから187号に入る

 途中、対岸にウッド調のオシャレなカフェがありアコ氏が立ち寄りたそうにしたのだが、ずぶ濡れの体でお茶したくないという浦野と、小雨の間に少しでも走ろうという宮村さんの意向であえなく却下(アコ氏、ごめんなさい)。
 宮村さんとダズの事前調査によると、国道187号沿いの椋野(むくの)駅の近くにうどんの自動販売機があるらしい。珍しそうだし、雨で体も冷えているので食べようかなと思っていたが、いざ到着した時には全身ずぶ濡れでうどんを食べる気にもならなかった。いろんな自販機が並んでいたが、ちょっと奥まったスペースでおばさんがうどんを茹でていたような、いなかったような・・・。
 後日ネットで調べるとここは観音茶屋といって、自販機コーナーとして知る人ぞ知る名物施設だそうで、飲み物、カップヌードル、うどん以外にも、ライター、キーホルダー、プリン、ポテト、お稲荷さんなどの自販機もあったらしい(浦野は気力がなくチェックしなかった)。トイレだけ済ませて出発。

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観音茶屋 | ラーメンうどん自販機

 (DAZ記:観音茶屋の古いトイレはドアが壊れていて、男性は用を足せたけど女性は使用できない状態だったので、アコがどこかでトイレストップを希望していて、その先のきたごうち駅近くにピザ店「コッチネッラ」があるからそこまで行こう、といって、そこでアコがトイレを借りました。きれいな快適なトイレだったらしい。待つ間、隣接している森林組合交流センターの軒下で雨宿りしました。)

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トイレ休憩したピザ店 | 雨宿りの宮村氏

 山陽新幹線の新岩国駅のそばを通った時、道路沿いに大きな杉玉が目に入った。トップのダズ氏は停車したかったようだが、直後を走っていた浦野は少しでも早く宿に到着したかったので、無言の圧力(?)をかけてスルー。後から考えると勿体なかった。後日ネットで調べると村重酒造の杉玉で直径5m、3トンの大杉玉だったらしい。(翌日、宮村さん、野田、鈴木さんの3人は車で見学したそうだ。)

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止まれば良かった大杉玉(翌日野田さんが撮影)

 錦帯橋には13時前に到着。野田にラインするとあと30分で岩国に到着するとの返信あり。宿で集合することにした。

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錦帯橋に到着(横の錦城橋上) | 宿に入る
 宿泊:三原家
 今日の宿に着いて、対応してくれたお兄さんに早めにチェックインできないかと尋ねたがつれなく「ダメ」との返事。雨に当たらない場所に自転車を置かせてほしいとお願いしても「場所がない」、部屋でなくても良いので着替えさせてくれないかとお願いしても「場所がない」。接客態度としては「?」と思わないでもなかったが、まあ仕方ないので軒下に何とか3台詰め込み、宮村号は門の裏側に。その後、対応してくれた若女将は「雨で大変だったでしょう」と同情してくれ、大量の新聞紙、タオル、ごみ袋などを用意してくれたうえに適当な場所で着替えることも許可してくれた。さっきのお兄さんとは雲泥の差だ。
 ほどなく野田と鈴木さんも到着。濡れた衣類をコインランドリーに放り込んでから、遅い昼食を食べに近くの食堂へ行き、岩国名物の岩国寿司をいただいた。

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お昼の岩国寿司 | 食後まったりする野田さんと鈴木さん 

 その後錦帯橋を見物した後しばらく宿で休み(ダズとアコ氏はシロヘビの館を観光)、夜は岩国観光ホテルのレストランで、ツアー最後の晩餐を楽しんだ。個人的にはこの日予定していた岩国城見物(2回目になるはずだった)ができなかったのが残念だった。

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錦帯橋を皆で見学
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シロヘビの館 | 実験橋(錦帯橋の模型)
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岩国観光ホテルでの夕食

【野田コメント】
【宮村コメント】良かったこと>①雨の中、皆の頑張りで、何事もなく早く、岩国に着けた(13時)。②岩国の食事処「緑の里」で郷土料理を美味しくいただき、錦川に架かる錦帯橋を観光できた。③夜は岩国国際観光ホテルのレストランで、皆で贅沢な御膳やお酒を頂けた。<たいへんだったこと>走ってる途中、本降りの雨になった。トラックの派手な水はねにあった。
【DAZコメント】県道9号、69号は山間部の静かな良い道だったと思うが、本降りの雨なのでとにかく安全に慎重に走った。国道187号に出てからは、早く岩国に着くことだけを目指して走り、お昼ご飯は野田さんがいち早くお店をセレクト・予約して下さって、皆で一緒に岩国寿司ランチを食べられたのは良かった。晩御飯もツアー最終夜らしくちょっと豪華に、いろいろな日本酒も楽しめたし、宿での二次会もOBランみたいで楽しかった。宿の女将さんは、最初お風呂の使い方の説明とかユニークでおかしな第一印象だったが、大量の新聞紙を供給し、濡れた新聞紙ゴミを引き取ってくれたり、おつまみ差し入れてくれたり、なんだかんだ親切にしてもらって、僕らには有難い宿だったように思う。


Map, Click to Expand 9日目:5/7(日) 岩国→広島= (km/m) 大
 メンバ:野田、宮村、浦野、DAZ、アコ、(鈴木舞)
 (野田記:2023/9/5)

*出発
 ここ

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【宮村コメント】良かったこと>①鈴木女史の車で、岩国城、目加田家旧宅、村田酒造を回ることができ、昼食するさくら茶屋へ行けた。②その後も岩国錦帯橋空港へ車で運んでもらえた。<申し訳なかったこと>①自分も岩国錦帯橋空港までの道に不案内だった。②雨だったからだが、自転車を使わなかった。
【浦野コメント】ツアー最終日。雨の中、一人で広島まで走った。初日の市内観光の際、ひろしま美術館でピカソ展の案内板を見ていたので実はひそかに狙っていた。昼には全身ずぶ濡れ状態で広島市内に到着。ピカソ展は箱根のポーラ美術館とのコラボ企画だったこともあり写真撮影OKのピカソも多数展示されていた。広島空港ではANAの到着が遅れたおかげで、注文から20~30分待たされるお好み焼きを堪能できた。
【DAZコメント】朝から雨の中、岩国観光でまずは岩国城へ上がる。最終日で移動が気になるのと、雨で寒くなってのんびりしていられず、旧目加田家住宅の庭をちょっと見たら皆さんとお別れして自転車で岩国駅に向かう(もともとは最寄りの西岩国駅から輪行のつもりだったが、便数が極小だった)。自転車を分解し、濡れた服を着替えてから、おもむろに改札の近くまでいってみたら、大雨の影響でJR広島行きが大幅に遅れているのを知って焦った!いろいろ気をもんだが、飛行機にはどうにか間に合いそうだと分かってほっと一息。広島市内の観光とグルメは、またいつか今度に、となった。


<おわりに>
 ここから、


関連リンク:
 2014年 GW山陰ツアー
 1993年 GW中国(山口)ツアー