ショートレポート: 秋ラン 越床峠

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越床峠、最後の倒木を越える
by 宮村(投稿日:20 Nov 2023)

Map, Click to Expand 日程:2023/10/29(日)
参加:G(計画)、DAZ、宮村、浦野、千葉
コース:=栃木→琴平峠→名無し峠→越床峠→栃木= (71km - 7.1h)

 ツーリング記録 参照(工事中)
メモ:
 Gくん計画の10月ラン第二弾。10/21第一弾ランよりアップが少な目に計画され、コースに栃木の歴史的な街並、化石館、神社など、様々な見ものが配置されていた。コースに「名無し峠」とあるが、峠名が無いので、Gくんが便宜上そう名付けた。そして、Gくん・宮村と同期の千葉くんが参加し新しい雰囲気になりそうだった。
 紅葉に関しては、気温低下が遅れていることと通過する峠が低いので、微妙だった。また気になることとして、今年の秋は、北海道のヒグマばかりか、本州も東北、北陸、甲信越でツキノワグマによる被害が顕著に増加し、栃木でも奥日光や那須がニュースになっていた。自分は念のためホイッスルを携帯した。


1日目:10/29(日)
コース:=栃木→蔵の街遊歩道→琴平峠→葛生化石館→一瓶塚稲荷神社→名無しの峠→樺崎八幡宮→越床峠→村檜神社→栃木=
参加:G(計画)、DAZ、宮村、浦野、千葉
天気:曇り
距離:71.29km
獲得標高:804m
走行時間:7h7min


*出発まで
 朝、霧雨だったが、これから晴れるだろうと思いつつ、6時若干前に車で出発。しかし、首都高環状線トンネルを出ると雨になっていた。途中のSAで、Gくんからの最終判断メールを見ようと思った。混んでなさそうなSAを探して走っているうちに、空が明るくなり、小雨になった。結局、7時15分ごろ佐野SAに入りメールチェック。Gくんから朝方少し雨だけどGoというメールを確認。8時過ぎに確認しておいた栃木市役所立体駐車場(無料、東武デパートと共有)に到着。後で調べると栃木市は「蔵の街大通り」や「巴波川(うずまがわ)」界隈に残る小江戸感ある蔵や街並みを観光の起爆剤とすべく、無料や安価な駐車場を増やしているとのこと。
 駐車場から集合場所の栃木駅に向かうとGくん以外の皆さんが集合していた。Gくんは小山駅で乗り換えミスし小金井駅から小山駅に戻り、そこから栃木駅まで霧雨の中自走とのことだった。9時過ぎにGくんが合流。駅前で集合写真後、9時20分ぐらいにDAZくん先頭で出発。

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9時を知らせる栃木駅のからくり時計 | 栃木駅前で集合写真

*巴波川(うずまがわ)に沿う「蔵の街遊歩道」を楽しむ
 「巴波川」に架かる富士見橋を渡り、川の右岸を走行。巴波橋を過ぎると栃木観光ポスターと同じ、蔵の街並みが現れた。景色は幸来橋(こうらいばし)までの100mぐらいだった。自転車ではすぐ終わったが、黒い塀に白壁の蔵が映え、味があった。川には、マガモ、ヒドリガモ、カルガモが、逃げもせずくつろいでいた。しばし撮影会。後で調べるとここはテレビドラマ「仁-JIN-」のロケで使われたとのこと。
 今回時間が無かったが、かつて江戸まで繋がる舟運動脈だった「巴波川」と 京都の特使が毎年日光への供物運搬に用いた「日光例幣使(れいへいし)街道」(現「蔵の街大通り」)との間に、江戸時代に建造された様々な蔵や問屋街が分散しているようなので、路地に入りゆっくり回れば、他の小江戸観光地、「佐原」や「川越」より深みがありそうな気がした。

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蔵の街並みの黒い塀と遊覧船乗り場 | 幸来橋から見た蔵の街並みと巴波川

*峠へのアプローチ&琴平峠
 9時45分、幸来橋を出発、県道75号を走行、雨はあがったが、白い車道外線の道路側に水が残り、そこを走ると水が巻きあがり、ロードにはきつかった。東北自動車道をくぐり、県道126号に入った。標高66m。しばらくすると道路が乾きはじめた。たわわに実がなった柿の木が目立ちはじめた。野鳥のモズのキキーという鳴き声が聞こえはじめた。秋を感じさせてくれる。空を見上げるとやや白っぽいタカが舞っていた。ノスリだろうか。山里の耕作地って感じ。山に近づくと周りから鋭い鳴き声の掛け合い。常時暮らすカケスと北からきたモズが主張しあっている。標高145m。上りはじめると「フェスティカサーキット栃木」のカート音が聞こえた。ここを過ぎると本格的な上りに。千葉くん含め皆とばす。自分はカーブ標識の数字を見て数が増えることを支えに何とか、すがった。野鳥の声を聞く余裕なし。10時20分、19番目カーブ標識と琴平神社入口案内板がある琴平峠に到着、標高312m。Gくんは、以前、神社への道を途中まで探検したとのこと。神社までは遠いらしい。ここの琴平神社(水難除け守護神を祀る)は、北関東の舟運河川を見渡せ、かつて栃木で仕事をする多くの水運業者や商人が参拝し、”天空の社(やしろ)”といわれ賑わったらしい。若干休憩し、下りへ。雲間に青空が見える天気になったが、道路は濡れており注意した。途中、眼下に葛生(くずう)、多田、田沼の街が見えたので、撮影ポイントを探しながらゆるゆる下ると独りぼっちになった。

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琴平峠 | 峠を下る途中で見えた葛生や多田などの街

*葛生(くずう)化石館でお勉強、田沼日本列島中心の町宣言石碑、一瓶塚(いっぺいづか)稲荷神社参拝
 10時40分、佐野市葛生化石館に到着。なぜ葛生に化石館があるかというと、この地域に埋まる膨大な石灰層から、様々な化石が採取されたから。ただ、入口に恐竜模型があり、中に恐竜化石レプリカがあったが、恐竜類の化石は未採取らしい。ここの主な化石は、3億年~2.5億年前(ペルム紀)の海洋生物と数十万年-数万年前の哺乳類のもの。
 化石形成の流れをざっくり説明すると、ペルム紀、太平洋の真ん中にあった火山島沿岸にサンゴ礁、石灰質プランクトン、三葉虫など海洋生物が生息。→その後、死骸が細かく砕け堆積し石灰層に、また形を残し化石になった。→堆積層が、プレート移動で北上し、2.1億年から1.5億年前(ジュラ紀)に、古いユーラシア大陸に乗り上げ(付加体という)、石灰層の山地を形成(大陸に恐竜が出現していたが山地なので生息せず)。→2000万年ぐらい前に大陸の端が太平洋側へはがれ日本列島になり、上記石灰層が葛生周辺に来て丘陵になった。→数十万年-数万年前、石灰丘陵にカルストや鍾乳洞が形成され、住んでいたナウマンゾウやニッポンサイがカルストの穴に落ちたり鍾乳洞に暮らしたりして、死後、化石化。ちなみに、四国カルストや秩父の石灰層も大陸に乗り上げたのは、葛生石灰層と同じジュラ紀。秋吉台はもっと古くペルム紀に乗り上げたと言われる。
 化石館は、無料なのに、標本が豊富だった(いろいろな博物館と化石を交換しているのだろうか)。またニッポンサイの化石が完璧にそろっており、一見の価値があると思った。順路の最後のあたりに、ニッポンサイなど化石を採取する層から1950年「葛生原人」の骨が見つかったとの新聞記事があり驚かされた。しかし記事の後半にC14年代測定で15世紀ぐらいのものと分かったとのオチが付いていた。領民が誤ってカルストの割れ目のニッポンサイなどの層まで落ちたのだろう。
 11時に化石館を出発してすぐ、「原人ラーメン」という看板を出したラーメン店を見つけた。しかし、止まらず通過してしまった。また、後で調べると葛生では、9月ごろ「くずう原人まつり」を開催しているとのこと(今年で34回目)。街が古代や原人にこだわっており興味深い。

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化石館到着 | ニッポンサイの化石をじっくり観察

 田沼までの道は単調だったが、途中の耕作地でキジが舞い上がるなど刺激もあった。田沼駅を通過してすぐの公園に11時20分、到着。そこに立つ「日本列島の中心の町」石碑の前で、南端北端地点はこれで良いのかとか、ガヤガヤ言いつつも、記念写真を撮影。次の「一瓶塚(いっぺいづか)稲荷神社」は、これからの予定を考え、11時半、鳥居の前で手を合わせるだけした。ただ、手を合わせた鳥居の横を通過すると、別に赤く立派な鳥居があり、これが表鳥居と判明。その隣に佐野のソウルフード「いもフライ」の店があった。それぞれ横目に見て通過。
 ところで、「一瓶塚(いっぺいづか)稲荷神社」の一瓶塚という名は、この周辺(佐野庄)を治めた下野(しもつけ)の武士「佐野成俊(息子が頼朝に加勢し鎌倉幕府の御家人になった)」が1186年に、庄の鎮守様として鎌倉鶴岡八幡宮と同じ場所に鎮座する松岡稲荷大明神を分霊し稲荷を建てようとした際、多くの領民が、社殿の土台にする塚のためにと、土を入れた瓶(かめ)を持ち寄ったことに由来するらしい。名が創建に武将・庶民すべて協力したことを物語る。

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田沼「日本列島の中心の町」石碑の前で | 「一瓶塚稲荷神社」裏鳥居の前でお参り

*閑馬(かんま)から樺崎(かばさき)へ抜ける名無し峠、樺崎八幡宮参拝、照路庵でそばを堪能
 県道66号を北上、途中、2022年3月27日春足利ランのコースとわずかに重なった後、佐野市閑馬(かんま)町の峠へ向かう左折口で休憩し、軽い補給などした。標高102m。出発してすぐ、左の塀の奥に佐野出身の陶芸家・人間国宝「田村耕一」の美術館があった。登坂に入ると自分の自転車のリア30Tが落ち気味になり、ブレーキ部のシフトレバーを支えながらハーハー駆けたので、景色など楽しめず12時19分、名無し峠に到達、標高290m。佐野市と足利市の市境。後で調べるとこの道は大網林道(仮称)というらしい。10分弱休憩し下降へ。

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閑馬、樺崎間の峠を走行中

 下って、12時35分、道路左にある鳥居の前に到着。鳥居から道の右側を眺めると100m弱向こうに「樺崎(かばさき)八幡宮」があった。八幡宮と鳥居の間は、すっきり広い広場と池だけだった。「㋥ようこそ源氏の里 歓迎 樺崎八幡宮 国史跡樺崎寺跡」と書かれた看板が立っていた。㋥は「丸に二つ引き」紋で足利将軍家の紋である。一方、鳥居の外側には、コスモス畑があった。普通なら終盤のはずだが、まだまだ盛んに咲いていた。八幡宮までに”茅の輪”があったので作法に則って通り、ご参拝。いくつかの説明板から、すっきり広い広場と池が「樺崎寺」と「お寺の浄土庭園」の跡で、国史跡(国指定史跡)だと分かった。まだ、観光したくなる史跡まで復元していない感じ。
 ところで、「樺崎寺」を創建した「足利義兼」は、「源頼朝」の又従兄弟(またいとこ)。頼朝に従い鎌倉幕府創建に関わり、御家人に出世した。なので、ここは、「源氏の里」の一つと言える。また、室町幕府初代将軍「足利尊氏」は彼の玄孫(やしゃご)の孫に当たる。
 後で調べると、「浄土庭園」とは、寺院における庭園の一様式とのこと。極楽浄土を現すために仏堂の前に広い蓮池を配置した庭園。頼朝や御家人たちは、奥州平泉を攻略した際、藤原氏が造園した浄土庭園に感動、領地に戻り、こぞって「浄土庭園」付き寺を造営した。義兼もご多分に漏れず自分の領土”樺崎”に造営。一方、八幡宮は、義兼の死後、彼を祀るために創建された。明治になり廃仏毀釈によって、「浄土庭園付き樺崎寺」が廃寺され、八幡宮が残った。そして昭和59年から樺崎寺跡調査が始まり、現在、復元中。
 八幡宮&史跡を12時48分に出発。

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樺崎八幡宮鳥居とコスモス畑 | 樺崎八幡宮

 12時57分、Gくんが昼食予定にした「そば処 照路庵」に到着。お店は山小屋のようなつくりだった。そばは、太さが不揃いで、それが複雑な触感を醸し出していた。美味しく頂いた。

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そば処 照路庵
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照路庵で食事中(かけの三人は待ち)

*越床峠の国道293号旧道(廃道)通過、村檜(むらひ)神社参拝
 14時10分過ぎに「照路庵」、標高71mを出発。すぐ右折して国道293号旧道に入った。標高84m。途中にあったゲートの横を通り、標高157mの越床峠へ。Gくん曰く、「トンネルが無かったころは佐野~足利の難所だった。」と言うことで、急に勾配が厳しくなるのではと恐れながら上ったが、そうでもなく14時27分、峠に到着。ただ廃道なので、路面に落葉が積り、雑草や苔が生えていた。何か所も倒木があった。タイヤなど粗大ゴミがあちこちにあった。足利市側より佐野市側のほうが荒れていた。木の実も散乱しており、”ツキノワグマ”遭遇に若干ビクビクした。

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越床峠へのゲート通過(一応ハイキング道) | 初めは大人しい
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最初の倒木を越える | 足利市&佐野市の市境 越床
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佐野側は荒れている | 最後の倒木を越える

 峠を下り、国道293号旧道から国道293号に入った。Gくん先導になり、県道16号に入り、堀米町交差点を左折、県道141号(日光例幣使街道)を走行。自分は「日光例幣使街道犬伏宿本陣跡」を探しながら走ったが見つからなかった。米山古墳のところを左折し、ローソンでトイレ休憩。休憩後、村檜(むらひ)神社を目指し走行。ペース上り始めた感じ。15時40分ごろ神社に到着しご参拝。自分は、昼食中にこの神社を若干調べ、下野國三之宮で書置き御朱印ありだったので、それを探した。すると無人授与所に置かれた箱の中にそれが。やや高価と思いつつ、お賽銭箱に500円入れ御朱印を頂いた。千葉くんが興味深そうだった。ちなみに、下野國一之宮は有名な二荒山(ふたら)神社、二之宮は不詳。
 後で「村檜神社」を詳しく調べると、大化の改新(広義には645~701年)の際、天皇になった孝徳天皇によって646年に創建されたとのこと。また坂東武士の始祖と言われる藤原秀郷(ひでさと)が、939年「平将門の乱」を企てた将門を追討する際、ここに弓矢などを奉納したとのこと。室町時代に建てられた本殿は国指定重要文化財。本殿左柱の狐の彫刻は左甚五郎作と言われる。狐の彫刻を見逃し残念。
 神社の前に「小野小町の墓」の場所を示す説明板があったので、DAZくんが「全国小野小町の墓巡り」を企てる?アコ氏のために写真を撮っていた。15時50分前にゴール栃木駅を目指し出発。標高55m。

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村檜神社で御朱印ゲット(長い階段の上、Gは側道から)

 わずかな上り基調を走行、東北自動車道をくぐり、標高115m廻(めぐり)峠に達した後、下り基調になり、先頭がさらにスピードアップ。自分は、日が傾く中でモズの鳴き声を聴き、秋感に浸りつつ、何とか後ろを走行。16時29分、明るいうちに全員無事に栃木駅到着。

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栃木駅に到着

【浦野コメント】葛生化石館は何とものんびりした雰囲気で時間がゆっくり流れている感じだった。田沼駅前の「日本列島中心の町」碑はかなり強引な印象。ちょっと調べただけでも日本の中心を名乗っている場所は30カ所くらいあるそうだ。越床峠の廃道は面白かったが一人では走りたくない道だった(特に今年の秋は熊が心配)。

【DAZコメント】ランとしては越床峠の廃道が特に印象的だった。どんぐりがたくさん落ちているということはクマがいるかも?と思ったけど、出てこなかったので良かった。良心価格のおそばやさんがとても美味しかったし、お店の雰囲気も良くて、また行きたい。樺崎八幡宮は、左手のコスモス畑が気になったので停まったのだけど、図らずも由緒あるお宮を見学できて良かった。千葉さんとはOBランで一度お会いしていたものの一緒に走るのは初めてで、新鮮で楽しかった。

【千葉コメント】全般に:朝雨が降っており肌寒くもあったが途中から天気も回復し快適に走ることができた。OBランを除くといつも一人で走っていたが、久しぶりにグループで走り、グループランの楽しさを再認識した。大したことではないがちょっと残念:登りがもう少しあってもよかったか(沢山はいらないが)。また、市街地のアプローチが思いの他長かった。

【Gコメント】この付近で、上り少なめ、休みポイント多めのランを2回ほど行っているので(足利大平山)、それとかぶらないコースを作成しました。メインとした越床峠旧道(廃道)は少し物足りないくらいですが、楽しめました。結果的にはこの位で丁度良かったです。昼食の蕎麦屋さんは安くておいしかった。今回千葉さんが初参加、十分に走れる感じです。千葉さんの「上り少なめで」のコメントに過剰に反応しすぎたようですね。


関連リンク:
 2022年 春ラン(桜) 足利
 2015年 春ラン(桜) 大平山