2022年GW 四国ツアー(浦野版)

by 浦野(最終投稿日:8 Jul 2022)

Map, Click to Expand 2日目:4/30(土) 須崎→土佐白浜 (86km/1280m) 晴れ
 メンバ:小澤、野田、(合流)浦野
 (浦野記:2022/5/31)

*宿合流まで
 28日(木)の午後半休をとって川崎を車で出発し、翌29日午後に高知に到着。現存12天守のひとつで、天守と御殿が共に現存する全国唯一の城として知られる高知城を見学し、この日は市内ビジネスホテルに泊まった。翌30日早朝に伊野の道の駅”土佐和紙工芸村くらうど”へ車で移動した。6時半に走り出し35km走って、野田と小澤が宿泊している須崎の戸田旅館には8時過ぎに到着した。

*出発、市場
 間もなく出てきた二人と今日のコースなど検討しつつ、9時前に三人で出発した。野田は国道56号で白浜まで直行する予定らしいが、それでは面白くない。小澤と浦野の2人は途中から四万十川沿いを走って沈下橋を見学するコースを走ることにした。まずは3人で国道56号を土佐久札まで南下したところ、街中の路地に人だかりがしていたので覗いてみると、地元の小さな市場(久札大正町市場)で刺身やら揚げ物やらを売っていた。まだ空腹ではなかったが食べ歩きも旅の楽しみのうちと、ウツボの唐揚げを購入し三人で試食してみた。美味しかったが野田曰く「600円は高い」とのこと。

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戸田旅館を出発 | ウツボのから揚げ
*海沿いへ寄り道
 その後野田が島の写真を撮りたいと言うので、海沿いの道(県道320号)へ寄り道。遠くに浮かぶ双子のような島を撮影していると近所のおばさんが「トンネルを通ればあの島まですぐ行けるよ」というので行ってみることにした。堤防で連結された双名島(フタナジマ)では地元のおじさんが釣り上げたイカを見せてもらったり、灯台まで上ってみたりと道草していたらあっという間に1時間ほど経ってしまった。

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遠景の双名島 | 堤防でつながる双名島、奥の島の灯台まで上った
*七子峠
 11時過ぎに土佐久札のコンビニで昼食を買い込んだところで野田と別れ、小澤と二人で七子峠(293m)を上り始める。国道という事もあって勾配はそれほどでもなく七子峠には11:40頃に到着した。ここから県道41号でさらに上り大野見トンネルを越えて県道19号へ。四万十川沿いに蛇行しながら緩やかに下るコース取りとなった。四万十川にはいくつもの沈下橋が掛かっているが、最初に立ち寄った長野沈下橋で昼食。

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大野見トンネルの前 | 長野沈下橋、ここで昼食
*最古の沈下橋
 その後、橋の上下(上流下流ではなく、言葉通り上と下)に鯉のぼりが泳ぐ一斗俵沈下橋(イットヒョウチンカバシ)を見物。この沈下橋は1935年建設で四万十川に現存する最古の沈下橋とのことだ。川の中を泳ぐ鯉のぼりは地元の小学生が絵付けをした丸太製で毎年の恒例行事になっているようだ。

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鯉のぼりと一斗沈下橋 | 一斗俵沈下橋をゆく浦野

 さらに川沿いに南下し窪川で国道56号に戻ったあとはひたすら走り、野田が先着していた民宿ニュー白浜には15:25に到着した。

 宿泊:民宿ニュー白浜
 この民宿は海沿いの国道沿いにあるレストラン併設の一軒宿で、宿泊客もレストランで食事するスタイルだった。翌朝、出発するころには近所の常連さん達が次々に朝食を食べに来ており、この地域のコミュニティスペースといった塩梅だった。


Map, Click to Expand 3日目:5/1(日) 土佐白浜→足摺岬 (86km/1210m) 晴れ時々曇り
 メンバ:小澤、野田、浦野

 >>>小澤と浦野のランは小澤レポート参照。
 >>>野田のランは野田記録の本編へ。

【コメント】この日は中村城(といっても模擬天守の資料館)を見学するため途中から単独行動のつもりだったが、小澤も行くというので入野松原で野田と別れ2人で中村城に立ち寄った。資料館では子供向けの沈下橋展が開催中で、その歴史的経緯や様々な工法について分かりやすく解説されており理解が深まった(1か月後にはほぼ忘れたけれど)。午後からは単独行動となったが足摺岬の手前で先行する野田に追いつき、岬見物の途中で小澤も合流。民宿福田屋では、近くのホテルまで送迎してもらって温泉でゆっくりできたのが良かった。夕食は豪華な海の幸のテンコ盛り。今回のツアーでは最も豪華な夕食だった。


Map, Click to Expand 4日目:5/2(月) 足摺岬→宿毛 (70km/591m) 晴れ
 メンバ:小澤、野田、浦野、(合流)宮村

 >>>小澤と浦野のランは小澤記録の本編へ。

【コメント】例によって最短コースの野田とは早々に別れ、小澤と二人で県道27号の脇道を走っていると、偶然ジョン万次郎の生家(復元)を発見。大河ドラマ実現のため署名してポケットティッシュをいただいた。国道321号で野田に追いついてみたら、宿代を払い忘れたとのことで大騒ぎ。集金のため竜串まで車で来てもらうことになった。竜串では小澤と二人で海中展望台と水族館をゆっくり見学。今ツアー前半は上りも少なく全体的にゆったりしたコースだったこともあり、観光の時間をたっぷりとれたのは良かった。



Map, Click to Expand 5日目:5/3(火) 宿毛→宇和島 (--km/--m) --
 メンバ:小澤、野田、浦野、宮村、(合流)DAZ、アコ

 >>>本隊のランは宮村記録の本編へ。

【コメント】この日から、野田のバーエンドバックミラーを拝借して、使い勝手を試してみた。角度調整が頻繁に必要だが実用性はあるので、検討する価値はありそうだ。宿を出発して間もなく、宿毛城跡という看板を発見し一人で立ち寄ったが荒れ果てた説明板があるのみで、早々に切り上げた。自分的にこの日のメインテーマは宇和島城見物だ。以前行ったことはあるのだが、現存12天守の一つである宇和島城見学はこの日のマスト。14:40に宇和島城に到着し見学した後は、宮村さんと二人で宇和島闘牛場へ。偶然にもこの日は年に4回しか開催されない定期闘牛大会の当日だった。夕方だったので大会自体は終わっていたが、肩に裂傷を負った牛が係留されていたり、横腹を相手の角で突き刺されて絶命した死体がブルーシートに覆われて横たわっていたり(めったにない事故らしい)、その激しさを体感できたのは貴重な体験だった。


Map, Click to Expand 6日目:5/4(水) 宇和島→松野→内子 (111km/779m) 晴れ
 メンバ:野田、浦野、宮村、DAZ、アコ、(離脱)小澤
 (浦野記:2022/7/8)

 >>>本隊のランはDAZ記録の本編へ。

*ソロで、河後森城跡
 当初からこの日は単独行動で城跡巡りをするつもりだった。目指すはまだ尋ねたことのない河後森城(カゴモリジョウ)跡と二度目の訪問になる伊予大洲城の二つ。事前に調べた結果2ヶ所とも行くと100kmを越えるので、なるべく早く出発すべく朝食時間を早めてもらった。皆には早い朝食に付き合ってもらい感謝。
 7:15に皆に見送られて出発し国道320号で東へ向かうといきなり250mの上りだったが、出発から1時間ほどで道の駅まつまるに到着した。お目当ての河後森城跡がこの近くであることはわかっていたが正確な場所を把握しきれていなかったので、道の駅の簡易地図や案内板で情報収集すること十数分。河後森城跡までの道順を把握したうえで出発し城跡に到着したのは8:45だった。

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河後森城跡案内マップ | 山頂曲輪の人形看板
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河後森城跡からの眺望

 山腹の曲輪(クルワ)を中心に1時間弱散策した後国道320号で北上し、国道197号に合流する手前の道の駅日吉夢産地には11:00に到着、ゆずシャーベットで冷をとりながら小休止した。10分ほどで出発し国道197号でさらに北上、鹿野川湖を過ぎて道の駅清流の里ひじかわ到着が12:10。メモにはここで昼食と記録されているのだが何を食べたのか全く覚えていない。30分ほどで出発し13:00に県道55号との合流地点に到着した。前日確認したそれぞれの走行予定ではダズグループがここへ出てくるはずだったので、ひょっとして合流できるかもとしばらく待つも来る気配なし。宇和島からの距離を考えると「とっくに通過したかな?そんなに都合よく合流できるわけないか」と考え直して出発した。

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県道55号との合流地点の標識

*合流叶わぬ、大洲城、内子
 この日はラインメッセージで各々どこを走っているかなど情報交換が盛んで、小澤氏からは瀬戸内海の動画や駅弁写真が届いたり、野田兄がライングループに招待した潤子氏も参戦し「来年は一緒に走れると良いね」などの会話で盛り上がったりしていた。そんな中、ダズグループからは国道441号にコース変更して大洲城を見学しているとのメッセージが届き、県道との合流地点でいくら待っても合流できるはずがなかったということは、後から知った次第。
 伊予大洲に到着したのは14時前。木造復元天守の伊予大洲城を見学しつつ、ほぼ同じ時間帯に市内観光しているはずのダズ達と会えるかもと期待するもやはりそんなに都合よく合流することはできなかった。

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大洲城天守 | 天守内部

 大洲市内から内子までは15kmほどだが、強い向かい風のため苦労させられた。15時半頃に内子駅に到着。観光案内所でダズ夫婦お薦めの内子座と上芳我邸に関する情報を収集し、急いで見学に向かった。内子座は大正天皇の即位記念に創建された芝居小屋で、1980年代に老朽化により取り壊されそうになるも地元住民の熱意により改修復元され今でも現役の芝居小屋として運営されている。回り舞台の地下装置、奈落やセリなども見学できるようになっており興味深かった。

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内子座外観 | 舞台全景
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せり

 一方、上芳我邸は江戸時代末期から明治時代にかけて木蝋生産で財を成した本芳我家の分家屋敷がそのまま木蝋資料館になっており、多くの資料が展示されていたがあまり時間がなく駆け足で見学せざるを得なかったのがやや残念だった。

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上芳我邸 | 内子の街並み

 上芳我邸見学を終え、伝統的建造物群保存地区に指定されている街並みをぶらぶらしていると見覚えのある自転車3台が喫茶店の前に停まっているのを発見。格子戸越しに覗いてみると宮村さんがお茶しているのが見えたが、声をかけるには距離がありすぎたのでそのまま通り過ぎ17時に御宿月乃家にチェックイン。

 宿泊:御宿月乃家
 月乃家は趣ある宿で外観の雰囲気とは裏腹に内装はリフォームされており快適だった。


Map, Click to Expand 7日目:5/5(木) 内子→檮原 (63km/1320m) 晴れ
 メンバ:野田、浦野、宮村、DAZ、アコ
 (浦野記:2022/5/31)

*朝食前にポタリング
 前日に野田が訪れた田丸橋(指定有形民俗文化財に指定されている屋根付き橋)を見学するため、朝食前にダズ/アコ氏と三人で往復9km強のポタリングをした。
 この地方に点在する屋根付き橋は耐久性を向上させるために屋根がかけられたとのことだが、時の流れとともに収穫物の保管庫あるいは地域の集会所として利用されるようになったそうだ。あるいはお遍路さんの宿代わりにもなったとか。

 宿に戻ってまたたっぷりの朝食をいただき、宿のご夫妻に見送られて8:30に出発。

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指定有形民俗文化財の田丸橋 | 快適だった町家の宿を出発
*龍馬脱藩の道を辿る
 宿を出て県道32号、国道197号で南へ向かい、道の駅ひじかわで昼食の買い出し。少し先の県道55号との交差点で国道をそのまま南下する野田と別れ、龍馬脱藩の道を辿るために4人は左折して北東へ向かった。この辺り(大洲市河辺地区)には8本の木造屋根付き橋が現存しており浪漫八橋と呼ばれている。最初に立ち寄ったのが平成9年に復元された龍王橋とそのそばにかかるわずか4mの秋滝橋だった。歩いて渡ったり記念撮影などして雰囲気をたっぷり楽しんだ後、ふるさと公園近くの坂本龍馬脱藩之日記念館に立ち寄った。

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龍王橋 | 龍王橋とあやめ
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秋滝橋
*記念館
 記念館自体は2階建ての蔵のような趣でそれほど大きなものではなかったが、中が真っ暗だったのでどうしたものかと逡巡していると、隣の建物に居た管理人さんが「適当に電気つけて見学してください。帰る時、電気だけ消して行ってね」と、何ともアバウトな管理体制だったが龍馬の脱藩ルートの紹介やジオラマなどで楽しめた。

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龍馬脱藩之日記念館

 記念館を出発するとすぐに屋根付き橋(ふれあい橋)に到着。この橋は河辺ふるさと公園のシンボルとして平成3年に完成した橋で、一見木造風だが一部コンクリート造りの堂々たる橋だった(その分、趣は足りなかったか?)。ただ、この頃になると屋根付き橋自体に慣れ始めたこともあって、感動も薄れ気味。橋で手を振るダズ夫婦の写真を撮ってそそくさと出発した。

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ふれあい橋
*最古の屋根付き橋
 その後も三嶋橋、帯江橋などが現れるが、もういいやという感じでパス。今日のコース取りだと浪漫八橋の最奥部に位置する御幸の橋は、これから向かう韮が峠方面への分岐よりも数百メートル先にあるのだが、屋根付き橋のオオトリとして前日から目をつけていたこともあり、ここだけは外せないねという事になった。行ってみると期待に違わず他の屋根付き橋とは一味違う雰囲気を醸し出していた。神社の参道にかけられており、龍馬は実際に御幸の橋を渡って脱藩して行ったと伝えられる。現存する八橋の中では最古ではあるが、現在掛かっている橋は明治19年の洪水後にかけ替えられたもの、というのは後日ネットで調べた情報だ。

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御幸の橋とランドナーの映え写真(?) | 御幸の橋の奥に佇む社
*一つ峠越え
 御幸の橋を見学し終わり、屋根付き橋を十分満喫したところで時刻は12:10。ここから320mほど上って峠の頂上(標高716m)でお昼にしようと上り始める。舗装はしてあるが交通量は極端に少ないらしく、杉の枯葉や枯れ枝が一面に散乱する道を上ること約50分、13時前に峠に到着した。峠といっても見晴らしは全く利かず、お昼を食べるにはちょっと・・・という雰囲気だったが、時間も時間なので道端に座り込んでの昼食となった。

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杉の枯葉や枯れ枝の道を上る | 峠の昼食

 下りはダートも多かったが誰もパンクすることなく下りきった。

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ダートの下り
*韮が峠
 13:40に県道36号で500m弱の標高差がある韮が峠を目指して上り始めた。途中、羅漢穴という鍾乳洞があるので余裕があったら立ち寄ろうかと相談していたのだが、入り口の分岐まで行ってみると、あと200mという標識が指し示していたのは思いっきり下っていく道だった。それだけならまだしも、”ゲートは施錠してあるのでどこそこの公民館で鍵を借りて、見学後は鍵を返却してください”ということだ。「これではパスせざるを得ないね」というのが皆の一致した見解だった(個人的には安堵感90%、残念感10%)。

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羅漢穴の分岐と看板

 韮が峠には15時前に到着。龍馬脱藩の道をアピールする標識、足跡、説明板、更には龍馬の等身大写真パネルなどが「これでもか!」という感じで乱立していた。

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韮が峠到着 | 説明板
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龍馬パネルと | 脱藩の地の柱と

 思い思いに記念撮影した後、下り始める。
 15:40に県道379号から県道2号に入った後は、最後に大越峠をトンネルで越えるのに70mほど上った以外はほぼ下り基調で快適に走れた。今日の宿いちょうの樹に先着した野田からは「宿の入り口が分かりにくい。鯉のぼり群が見えたら右に入って云々」というラインが入っており、そのお陰で迷うことなく16:22に宿に到着できた。

 宿泊:いちょうの樹
 車で10分ほどの道の駅檮原に併設されている温泉まで車で送迎してもらい、気持ちよく汗を流せたのは良かった。農家民宿というカテゴリーのいちょうの樹での食事は、朝夕共に地元の食材や新鮮な野菜・山菜を中心とした総菜や炊き込みご飯でお腹いっぱいになった。

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いちょうの樹での夕食、地元の野菜や山菜が盛りだくさん

 ここの女将さんは地域活性化に貢献する民宿の女将さんとして農水省が「農林漁家民宿おかあさん100選」に選定した、いわゆる名物かあさんという事だ。夕食時、食堂居間の床の間に隠されていた(?)賞状を誰ともなく発見し、目立つように前に出していたところ、女将さんに見つかってしまいひとしきりその話題で盛り上がった。

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女将さんの賞状 | かの養老猛司氏もご推薦


Map, Click to Expand 8日目:5/6(金) 檮原→久万 (--km/--m) --
 メンバ:野田、浦野、宮村、DAZ、アコ

 >>>本隊のランは宮村記録の本編へ。

【コメント】檮原市内に点在する隈研吾の木材建築を見物したのち、宮村さんと二人で四国カルストへ向かうため国道197号で東へ。大規模林道で穴神トンネルまで上ったのは良いが、そこから150m以上下ってしまい、その分上り返したため疲れも倍増した感じ。昼前に何とか標高1400m弱の天狗高原に到着した。着いた時は晴れ間もあったがレストランで食事している間に一面霧模様となってしまったのは残念。観光案内所で地芳峠からの下りも舗装になっていることが確認できたため、予定を変更して五段高原から姫鶴平(メヅルダイラ)と四国カルストのメイン通り(?)を堪能できたのはラッキーだった。五段高原では五段城という城跡があったのだが、事前にチェックしておらず見逃したのが心残りだ。


Map, Click to Expand 9日目:5/7(土) 久万→伊野 (--km/--m) --
 メンバ:野田、宮村、(離脱)浦野、DAZ、アコ

 >>>本隊のランは野田記録の本編へ。

【コメント】当初予定されていた国道494号が一部通行止めのため国道33号を走らざるを得なかったが、古岩屋は見ておきたいねということでまずは県道12号沿いの古岩屋と45番札所の岩屋寺へ。岩屋寺は2013年の四国ツアーでも立ち寄っているが、例によって全く記憶になく新鮮な気持ちで参拝できた。面河第三ダムでは御年82歳のお遍路サイクリストと談笑。82歳で現役、しかもサイドバッグ仕様に驚くと同時に、自分は20年後に走っていられるかなあと、あやかりたい気持ちになった。ツアー最後に立ち寄った浅尾の沈下橋でダズ夫婦と別れ、15時過ぎに車を停めてあった道の駅に到着。土産を買ってお風呂で汗を流し、17時に道の駅を出発。翌日夕方に無事帰宅した。


関連リンク:
 RinRin Report 参照 統合版
 ツーリング記録 参照