2022年GW 四国ツアー報告(工事中)

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by 浦野、小澤、DAZ、宮村&(最終投稿日:25 Jul 2022)

Map, Click to Expand 日程:2022/4/29(金)~ 5/8(日)
参加:野田(計画)、小澤、浦野、宮村、DAZ、アコ
コース:=高知空港→須崎→土佐白浜→足摺岬→宿毛→宇和島→内子→梼原→久万→伊野→高知空港=

 ツーリング記録 参照(工事中)
<はじめに>( 記:2022/)
 ここから






Map, Click to Expand サンプル:1日目:4/29(土) =高知空港→須崎 (98km/773m) 雨のち曇り
 メンバ:小澤、(合流)野田
 (小澤記:2022/6/14)

*高知空港を出発するまで
 前夜に輪行準備を整えて当日3:30起床、ここからGWの始まりです。国立駅前のバス停まで自転車を担ぎ、4:25発エアポートリムジンに乗って羽田空港へ。幸い乗車率三割くらい、渋滞もなく5:30到着。すぐ自転車を預けて、腹ごしらえ。満席の高知空港行きのJALに乗りました。高知空港着、9:30頃自転車を受け取り、組み立てて雨の中出発。
 プチインフォ:高知空港に「リョーマの休日」の看板がありました。中村城址の展示館のご案内のレディも同じロゴ、デザインのハッピを着てたので質問したら、高知県をあげた活動に賛同したそうです。


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リョーマの休日

*桂浜、龍馬像
 10:00。高知空港は、予報通りの雨降り。風が強そうな海岸線を避け、国道56号南国バイパスを高知市方向に走り、県道376号を左折して海岸沿い県道14号を右折します。浦戸大橋を渡り、浦戸城址の高台にて小休止。雨の桂浜を見下ろしたら、すぐに桂浜まで下りました。

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桂浜を見下ろす

 11:30。雨降りの桂浜は、定番の龍馬スタチューを観て、自転車を押して遊歩道を歩いて龍王院近くまで行き、手前の石の階段を登って灯台横の県道34号に出ました。後でニュースで知ったのですが、龍馬スタチュー横の工事の足場と思ったモノは、200円を払えば龍馬の顔の高さまで登れたそうです。GW中は行列だったようです。誰もおらず、気づきませんでした。

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龍馬像

 桂浜とはりまや橋は、一年目の春の個人ラン以来38年ぶりです。桂浜は、飯塚さん、滝沢さん、林さん、篠原くんと五人で司牡丹を呑んだ地です。一部の方は、先日の林さんのFacebookをご覧になって、ご存知かも知れません。

*はりまや橋、龍馬生誕の地、仁淀川
 12:00。県道34号をひたすら走り、長宗我部元親像の横を通り、はりまや橋に到着。

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はりまや橋

 国道56号を路面電車沿いにひたすら西へ、高知城を右にスルー、龍馬生誕の地で写真を撮って、更に走りました。

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龍馬生誕の地

 高知大を左に見て、仁淀川に着いたとき、雨が止みつつあったので、右折して川沿いに方向転換。ゆるいアップダウンを繰り返して、仁淀川を遡りました。

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仁淀川

 国道から県道18号へ左折。片岡沈下橋を過ぎてからは、緩やかな登りと、切り立った崖部分のキツめのアップダウンの繰り返しです。道は舗装ですが、狭い山道と広い畑脇の道をひたすら進んでいくしかありません。

*越智町→海岸線→須崎
 14:25。越智町を左折して、国道495号を佐川町へ、更に須崎へと進んで行きます。海岸方面だから下りと思いきや、土讃線のトンネル辺りの丘を越えつつ国道33号を進みました。海岸線と平行に川が流れていると言うことは、海に向かうのに峠を越えると言うことと理解できました。
 16:20。須崎の宿、戸田旅館に到着、無事に野田さんと合流できました。

 宿泊:戸田旅館
 シャワーを浴びてくつろいで、17:00前に夕食に出発。宿の方のおすすめの居酒屋はお寿司屋さんで、ちょっとビビりましたが、美味しい土佐鶴とカツオなどいただきながら、ご無沙汰話をしながらほろ酔いを楽しみました。

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ほろ酔い
【野田コメント】ここから


Map, Click to Expand 2日目:4/30(土) 須崎→土佐白浜 (86km/1280m) 晴れ
 メンバ:小澤、野田、(合流)浦野
 (浦野記:2022/5/31)

*宿合流まで
 28日(木)の午後半休をとって川崎を車で出発し、翌29日午後に高知に到着。現存12天守のひとつで、天守と御殿が共に現存する全国唯一の城として知られる高知城を見学し、この日は市内ビジネスホテルに泊まった。翌30日早朝に伊野の道の駅”土佐和紙工芸村くらうど”へ車で移動した。6時半に走り出し35km走って、野田と小澤が宿泊している須崎の戸田旅館には8時過ぎに到着した。

*出発、市場
 間もなく出てきた二人と今日のコースなど検討しつつ、9時前に三人で出発した。野田は国道56号で白浜まで直行する予定らしいが、それでは面白くない。小澤と浦野の2人は途中から四万十川沿いを走って沈下橋を見学するコースを走ることにした。まずは3人で国道56号を土佐久札まで南下したところ、街中の路地に人だかりがしていたので覗いてみると、地元の小さな市場(久札大正町市場)で刺身やら揚げ物やらを売っていた。まだ空腹ではなかったが食べ歩きも旅の楽しみのうちと、ウツボの唐揚げを購入し三人で試食してみた。美味しかったが野田曰く「600円は高い」とのこと。

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戸田旅館を出発 | ウツボのから揚げ
*海沿いへ寄り道
 その後野田が島の写真を撮りたいと言うので、海沿いの道(県道320号)へ寄り道。遠くに浮かぶ双子のような島を撮影していると近所のおばさんが「トンネルを通ればあの島まですぐ行けるよ」というので行ってみることにした。堤防で連結された双名島(フタナジマ)では地元のおじさんが釣り上げたイカを見せてもらったり、灯台まで上ってみたりと道草していたらあっという間に1時間ほど経ってしまった。

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遠景の双名島 | 堤防でつながる双名島、奥の島の灯台まで上った
*七子峠
 11時過ぎに土佐久札のコンビニで昼食を買い込んだところで野田と別れ、小澤と二人で七子峠(293m)を上り始める。国道という事もあって勾配はそれほどでもなく七子峠には11:40頃に到着した。ここから県道41号でさらに上り大野見トンネルを越えて県道19号へ。四万十川沿いに蛇行しながら緩やかに下るコース取りとなった。四万十川にはいくつもの沈下橋が掛かっているが、最初に立ち寄った長野沈下橋で昼食。

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大野見トンネルの前 | 長野沈下橋、ここで昼食
*最古の沈下橋
 その後、橋の上下(上流下流ではなく、言葉通り上と下)に鯉のぼりが泳ぐ一斗俵沈下橋(イットヒョウチンカバシ)を見物。この沈下橋は1935年建設で四万十川に現存する最古の沈下橋とのことだ。川の中を泳ぐ鯉のぼりは地元の小学生が絵付けをした丸太製で毎年の恒例行事になっているようだ。

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鯉のぼりと一斗沈下橋 | 一斗俵沈下橋をゆく浦野

 さらに川沿いに南下し窪川で国道56号に戻ったあとはひたすら走り、野田が先着していた民宿ニュー白浜には15:25に到着した。

 宿泊:民宿ニュー白浜
 この民宿は海沿いの国道沿いにあるレストラン併設の一軒宿で、宿泊客もレストランで食事するスタイルだった。翌朝、出発するころには近所の常連さん達が次々に朝食を食べに来ており、この地域のコミュニティスペースといった塩梅だった。

【小澤コメント】前日の仁淀川が"どんより"だったので、四万十川への期待は高いものがありました。天気がよく、ウワサ通りなキレイな川だし、沈下橋に寄れて満足です。それにしても、四国の坂はあなどれません。海岸線から川沿いに向かうのに、必ず坂がありました。標高が大したことないけど、気持ちの準備がないぶん、かなり体力が削られた感触です。

【野田コメント】ここから


Map, Click to Expand 3日目:5/1(日) 土佐白浜→入野海岸→土佐中村→土佐清水→足摺岬 (64km/543m) 晴れ
 メンバ:小澤、野田、浦野
 (野田記:2022/8/14)

*朝は三人揃って
 今日は、更に南下して名勝「足摺岬」まで約60キロの旅。
 8時から喫茶店が開くため、早めの7時から食べて、と云われて下へ降りると、モーニング定食のようで、ご飯はお握り2個のみ。おかわりできる雰囲気はなく、目いっぱい食べたい三人はプチショック。
 準備を終えて8時に出発しようとすると、地元の人だろうか、車が数台停まり、お店に入っていく。あの朝モーニングが人気あるようだ。お年寄りにはちょうどいい量だろうが、サイクリストには少なすぎる…。


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出発

 この辺りの海は、クジラが現れるらしく、ホエールウォッチング観光が目玉になっているが、あまり興味がないので、三人ともスルー。
 国道を離れ、海沿いの小道を走っていると、密漁禁止の警告板が幾つもあり、「あわび、とこぶし、さざえ、いせえびなどを採捕すると、20万円以下の罰金」と書いてある。きっと、この辺りで密漁する人が多いのだろう。

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鯨の標識 | 密猟禁止の警告板

 国道に戻ると、四国名物の「アイスクリン」が。筆者は冷たいのが苦手なので無理だが、200円はリーズナブル。

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アイスクリン

 渚百選のひとつ「入野海岸」の遊歩道を走っていると、ボードを持ったサーファーのカップルが砂浜を歩いているので、望遠ズームで撮るも、カップルじゃなくにーちゃん二人だった…。
 この海岸はサーフィンだけでなく、「Tシャツアート展」も有名らしく、ちょうどこの時期に開催されている。有料なので、中に入らず、入り口でスタッフに聞くと、「応募者に無地のTシャツを送り、絵を描いてもらうシステムで、今年は867点も集まった」とのこと。望遠で覗くと、描く範囲枠が決まっているようで、四角い絵ばかりだ。

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サーファー | Tシャツアート展

 入野海岸を過ぎると、畑があり、収穫作業をしている。玉ねぎっぽい葉っぱだが、細いので、ラッキョウかと思い、近くで作業していたおとおさんに聞くと、正解。鳥取砂丘の辺りもラッキョウ畑が多く、砂場にラッキョウありである。

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収穫中の畑

*ここからソロ?で足摺岬へ
 ここで、日本百名城達成を目指すU氏が土佐中村にあるお城に寄ると云うので、それに付いていくO氏とも別れて、ひとり足摺岬へ向かう。
 すると、小さな港に、消防車や救急車が停まっていて、駐車場奥で何か打ち合わせをしている。防災訓練かな、と思って先に進むと、救助ヘリコプターも飛んでいるので、近くにいた地元のおじさんに聞くと、「知らないが、四万十川で遭難事故があったのかも」とのこと。

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消防車 | ヘリコプター | 四万十川を渡る

 その四万十川を渡り、少し行くと、うどん屋があり、まだ11時前だが、少なかった朝食の影響で既にお腹が空いているので、入ろうとすると、後ろにO氏が。お城へ行った後、資料館へ行くU氏と別れて来たらしい。国道はここから内陸部に入るので、海岸沿いの険しい県道を行くとのこと。流石である。
 ワカメととろろ昆布と卵が入っている650円の田子作うどんを注文。まだ早い時間なのに、周りには、お遍路さんの格好をした人がいて、結構、繁盛しているので、お遍路さんのための食堂だとわかる。

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うどん屋 | 田子作うどん | お遍路さん

 ゆで卵のサービスがあったので、お遍路ではないが、一個頂いて、海岸線よりは楽な国道の峠をアタック。トンネルがあるので、難なく越えて下ると、「38番札所の金剛福寺まで27キロ」の石標が。徒歩だとまだ6時間もかかる距離だ。自転車なら2時間ほどなので、やっぱり自転車の方がいい。
 水を張った田んぼに、山並みが映っていて、のどかな光景に立ち止まってパチリ。

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石標 | のどかな光景

 大岐という海岸に来ると、キャンプ場じゃないのに、たくさんのテントが。サーファーも多いので、その家族のために海岸を開放しているのだろう。
 道端の無人販売所があったので、覗くと、野菜ではなく、アサリのような貝がワンパック200円の安値で売っており、キャンプならアサリの酒蒸しにするところだが、ガスもコッヘルもないので、アサリ買うの諦める。

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海岸にたくさんのテント | 無人販売

 以布利(いぶり)という港へ行く分岐に、「大阪海遊館以布利センター」の案内板があり、ジンベエザメやマンボウがいるようだ。折角なので寄ろうと思ったが、道沿いになく、気が付いた時には行き過ぎてしまったので、ジンベエザメも諦める。この辺りから南国感が漂いはじめ、野生のビワがなっていたりする。

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案内板 | 野生のビワ

*足摺岬は賑やかに
 田子作を出て、3時間、やっと足摺岬に着き、少し待っていると、U氏が颯爽とやって来る。
 O氏はまだかかりそうなので、二人で岬の見える展望台に行って、断崖絶壁の足摺岬を撮り、灯台前では、追いついたO氏と共に記念撮影。

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足摺岬 | 灯台前で

 41年前に来た時は、椿の木が生い茂る遊歩道を歩き廻ったので、今回も、と思っていたが、暑いし、バスツアー客も多いし、マスクをして歩くのもしんどいので、止めて、ひとり入口の自転車置き場に戻ると、隣に、40才ぐらいのロードバイクにーちゃんがいる。
 話をすると、宇和島から100キロ走って来て、40キロ先の中村まで行くとのこと。この装備ですごい体力である。筆者には到底無理…。

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ロードバイク

 宿泊:民宿福田屋
 まだ15時半だが、岬から近いお宿「民宿福田家」に入り、クーラーでキンキンに冷えた缶ビールとバナナを頂いていると、二人が到着。
 お風呂は、沸かすのが面倒なのか、「近くの温泉ホテルまで送るので、そこで」と女将さんに云われ、料金も不要とのこと。こちらとしても、ホテルの大浴場に入ることができるので、ウエルカムである。
 夕食は、カツオのたたき、シマアジ、ブリ、スマガツオの刺身、グレの唐揚げなど魚三昧。筆者は、夕食時、日本酒を呑むので、白米は全く食べないが、二人は、何と五杯も食べていた…。

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海の幸の夕食

 阪神は、西純也の好投、糸原、近本の活躍で宿敵巨人に8-1の快勝。これで巨人三連戦三連勝!最高の気分で寝る。
 例のヘリコプター捜索事件については、ネットで調べてもわからないので、翌朝、お宿の方に朝刊を借りてチェックすると、なんとそれらしい記事を発見!「田野浦に住む85才の男性が二日前の30日に散歩に行くと云って帰って来ず、警察が情報収集中」と書いてある。田野浦という地名は、あの救急車や消防車がいた場所であり、間違いない。やっぱり、捜索中だったことがわかり、スッキリする。

 >>>小澤の走りは小澤レポート参照。

【浦野コメント】この日は中村城(といっても模擬天守の資料館)を見学するため途中から単独行動のつもりだったが、小澤も行くというので入野松原で野田と別れ2人で中村城に立ち寄った。資料館では子供向けの沈下橋展が開催中で、その歴史的経緯や様々な工法について分かりやすく解説されており理解が深まった(1か月後にはほぼ忘れたけれど)。午後からは単独行動となったが足摺岬の手前で先行する野田に追いつき、岬見物の途中で小澤も合流。民宿福田屋では、近くのホテルまで送迎してもらって温泉でゆっくりできたのが良かった。夕食は豪華な海の幸のテンコ盛り。今回のツアーでは最も豪華な夕食だった。


Map, Click to Expand 5/2(月) 足摺岬→宿毛 (70km/591m) 晴れ
 メンバ:小澤、野田、浦野、(合流)宮村
 (小澤記:2022/6/14)

*ゆっくりと出発
 8:00。出発予定時間でありますが、福田屋のおばちゃんと写真を撮っても、おばちゃんのおしゃべりは終わりません。
 朝ご飯が美味しかった話をしたら、黒潮のおかげで、お魚が年中いろんな種類が取れるそう。このご時世でもお客様で予約が埋まるし、リピーターが多いとのこと。
 朝食で別のテーブルに居た謎の壮年男子二人組は、私達の自転車の横に置いてた大型バイクの持ち主で、親子で流行りの2ケツライダーと教えてくれました。なんか親近感を持てます。親子が颯爽と登場し、お互いの道中の安全エールをかわしたら、カッコよく走り去って行きました。
 後に残る私たちは、もうちょっとおばちゃんとお話しして出発。後に出てくる未払い事件は、今後のおばちゃんのネタになることでしょう。

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出発写真

 8:15頃出発。県道27号から、アップダウンを避けて小さな集落の中を走ります。4kmほと走ったトンネルの手前で協議、野田さんはトンネルへ、浦野さんと私は海岸沿いの細い道へと分かれて走ります。四日目にして、未だ全員統一行動に至りません。

*ジョン万次郎の生家、中ノ浜峠
 8:30。細い道は森のトンネルて、道はそれなりにキレイだし、アップダウンが心地よい刺激で気持ちいいです。海岸の集落に降りたり、丘を登ったりして進み、ジョン万次郎の生家に到着。
 見学無料の屋内をさっと見て、大河ドラマ誘致の署名をしてポケットティッシュをもらい、記念碑を読んで勉強しました。これまで大河ドラマでは脇役だった万次郎の謎の生涯は、どう描かれるのか??

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万次郎生家

 中ノ浜峠で県道27号に復帰。土佐清水市市内で国道321号サニーロードに入ります。市内のスーパーで野田さんと合流。宿の支払いを忘れたとの、驚愕の事実が判明しました。電話しても出ないし、戻る距離でもない。竜串海岸に向かいつつ、時々電話を入れて誠意を見せる事に決定。
 9:57。コンビニで休憩中に、私も宿に電話してみました。すると10分後に違う番号から着信がありました。出ると宿でおばちゃん。お出かけ中は自動転送にして、後で折り返しをすることにしているらしい。野田さんに代わり、支払い方法を話し合いました。後で振り込みを覚悟しましたが、おばちゃんがはるばる車で受け取りに来てくれることになりました。

*竜串海岸、足摺海底館、おばちゃんと合流、足摺海洋館
 三人で竜串海岸の奇岩を見物。これは文章ではなく、写真を見てください。

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奇岩

 11:30。浦野さんと私は足摺海底館で海底見学、野田さんはおばちゃんを待ちます。海底に突き刺さった施設の階段を降りて、ガラス越しに海中生物の観察をしました。エサやりのサービス付き、足摺海洋館とのセットて1500円なり。

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海底館

 12:00。野田さんと再び合流して、福田屋さんでもらったおにぎりを食べながら、おばちゃんの到着を待ちます。25kmくらい一人で車を運転して来てくれて大感謝、無事宿泊代を払いました。再びのおばちゃんマシンガントーク。飽きる事はありません。
 12:30。浦野さんと私は足摺海洋館へ、野田さんはひたすら宿毛に出発。海洋館では、海洋生物のみならず、ヘビも展示していました。ウミガメ、エイ、サメのような大型生物から、ちっちゃいクラゲやウミウシまでさまざまです。13:10からはエサやりタイム。飽きさせない演出に満足です。

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海洋館

*宿毛を目指す
 13:40。海洋館横の竜串ビジターセンターに寄ってから、宿毛を目指して出発。
 14:40。道の駅大月ふれあいパークで一休み。大月牛乳を使い、いちごやパンカンのソースを乗せたソフトクリームが名物です。せっかくの四国なので、柑橘系のパンカンソースでいただきました。

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パンカンソフト

 15:00。道の駅から下り基調の国道321号を走り、国道56号を経て東宿毛駅前、そして米屋旅館へ。
 15:50。宿毛の宿、米屋旅館に到着。

 宿泊:米屋旅館
 既に野田さんが到着済み。浦野さんと小澤の到着後に、宮村さんが到着。結局三人で走ったのは、出発からトンネルまでの数キロと、土佐清水市内からお昼頃まででした。
 米屋旅館は昭和の高度成長期の感じで、風呂が二人で入るには狭い状況。幼稚園の頃に行った、田舎の親戚がこんな感じだったかなぁと、遠い記憶が微かに浮かんで来ました。お客様が多いので、疲れを癒すより、汗を流して体をきれいにして、そそくさと出ました。

【野田コメント】ここから

【浦野コメント】例によって最短コースの野田とは早々に別れ、小澤と二人で県道27号の脇道を走っていると、偶然ジョン万次郎の生家(復元)を発見。大河ドラマ実現のため署名してポケットティッシュをいただいた。国道321号で野田に追いついてみたら、宿代を払い忘れたとのことで大騒ぎ。集金のため竜串まで車で来てもらうことになった。竜串では小澤と二人で海中展望台と水族館をゆっくり見学。今ツアー前半は上りも少なく全体的にゆったりしたコースだったこともあり、観光の時間をたっぷりとれたのは良かった。

【宮村コメント】良かったこと:米屋旅館さんの夕食にでた鯛とイサキ(伊佐木)のお刺身が美味だった。イサキのお刺身が好物になるかも。大変だったこと:JR中村駅から東宿毛まで国道56を自転車で走ったが、強烈な向かい風とけっこうな交通量で閉口した。


Map, Click to Expand 5日目:5/3(火) 宿毛→宇和島 (69km/622m) 晴れ
 メンバ:小澤、野田、浦野、宮村、(合流)DAZ、アコ
 (宮村記:2022/7/25)

*前日合流~東宿毛 米屋旅館宿泊~ 出発
 まず、自分の5/2(月)宿合流までを記す。高知空港到着が9時15分。そこからの予定は、高知空港レンタカー店から四万十市JR中村駅店まで車、中村駅から身体慣らしに東宿毛まで自転車走行。鉄道でなくレンタカーにしたのには、“鉄道(その日のうちに宿毛に着くなら特急になる)とレンタカーの料金がほぼ同じ”&“レンタカーのほうが四万十川をたどれる”から。
 土佐湾沿いを須崎まで走り、窪川へ。窪川で四万十川とご対面。次に“約70万年前まで南下して10km先の土佐湾に注いでいた四万十川を、隆起して西向きに方向転換させた山々”を見ながら走行。その後、家地川あたりの穿入(せんにゅう)蛇行や土佐大正駅近辺の還流丘陵の風景を楽しんだ。
 中村駅到着が15時半すぎ。車の返却手続き自転車組み立てを済まし16時20分すぎに駅前を出発。宿までは平地の24km走行と高をくくっていたのだが、強力な向かい風でバテバテになり17時40分すぎに米屋旅館さん到着。
 到着して間もなく、5/3(火)のコースを、元々予定の海沿いか、松田川を遡る山中にするか尋ねられた。山中のほうが獲得標高が低いらしい。この辺の海沿いは30年ほど前に仕事で、年に3回ほどに通過していたので、山中と応えると即決された。自分にコース決定が委ねられていた?らしい。少し詳しくチェックするとおもしろそうな出井甌穴があるとともに歴史文化が深い宇和島(仕事の時はいつも素通り)に早く着けそうで、良い選択と思え始めた。米屋さんの夕食では、鯛と血合いの赤みが独特で口に含むと甘いイサキの刺身を楽しめた。宿毛湾周辺は豊後水道の速い流れと黒潮が交わる上に、山々から栄養豊富な清流が入り「魚のゆりかご・天然の養殖場」と呼ばれるらしい。

 当日は、記念写真後、8時半ごろ野田さん先頭で出発。

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米屋旅館向いにあった小野梓公園で出発写真 | 公園にある宿毛出身実業家 竹内明太郎の胸像

(宮村余談)宿泊地の東宿毛を若干語りたい。実はここがほんとの宿毛。北にある宿毛城(松田城)の城下町としてはじまり、土佐藩家老 宿毛山内氏の町になり、特産のクスノキから高価な“樟脳”を生産し栄えた。海上運輸で大阪と直接商売し海外貿易もしていたという。そして維新時期、出身者が戊辰戦争に加わり功労、政治家(早稲田大学の建学、明治の自由民権運動リーダー、第45、48-51代首相など)、実業家(小松製作所の創業など)を輩出。吉本の間寛平、横山やすしもここ出身。その面影が米屋旅館さんの前にある小野梓公園や散見される邸宅跡に残る。地力ある人物を育める町だったのだろう。 しかし、今は、平成に通じた「四万十くろしおライン宿毛線」の宿毛駅が、離れた港湾区に置かれ、最寄り駅が東宿毛駅になり、寂れが進んだと言われる。自分はこの街に何か潜在力を感じるので、地力を目覚めさせ、昔の“樟脳”のように、特別な価値をつくり再興ほしいと願う。

*松田川を遡上しどんぐり湖、日平沈下橋
 松田川に沿う道に入り、すぐ浦野さんが宿毛城跡(松田城跡)に立ち寄った。他3人はツバメが低く舞う中、わずかな登り勾配をしばらく走った。途中、野田さんが、小夏(宮崎では日向夏、愛媛ではニューサマーオレンジと呼ばれるらしい)が実る木々を見つけ一時停止。野田さんは小夏が好物らしい、食べ方や家族に送った時の話を聞いた。9時20分前、やや勾配が強まりはじめ、松田川に川床止めがあるところで、上着脱ぎ&地図チェック休憩。この辺りからウグイスの鳴き声、「ホーホケキョ」や「キェキョキェキョキェキョ」が聞こえ始めた。少し山間に入ってきた感じ。
 坂本ダムを通過し松田川のせき止湖「どんぐり湖」が右に見える道に入り、やや急な登りが続き始めた。そこに右折分岐が出現。野田さんが即止まり地図をチェック。右折し惣師湖面橋を渡り左にどんぐり湖を見て走る道は登りが少ないらしい。10時前に惣師湖面橋を渡る。コースは登りが少なく正解だった。しばらく走ると日平湖面橋に繋がるT字路に到着。谷底を眺めると沈下橋が。野田さんから下に降りたら湖面橋から写真を撮るとの提案。自分は降りると登りが・・・と躊躇するも、浦野さん、小澤さんが即駆け降りて行ったので、自分も後を追う。10時20分ごろしばし撮影会。

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日平沈下橋の上で | 日平沈下橋からの日平湖面橋

*出井甌穴
 日平湖面橋をわたり、時々狭まったりするダラダラ登りを進み、民家が目立ちはじめたところで、野田さんが「高知県天然記念物 出井渓谷の甌穴群」と記した小さな石柱を見つけ停止。松田川を見ると川岸が一面白っぽいうねうねした岩になっていた。降りると白っぽい岩(クロウンモ花崗岩とのこと)でできた川岸や川底が“巨大な丸彫刻刀で彫るとこうなるのでは”と思える細長い凹みの連なりになっていた。条件が揃えば、川床が流れと小石で掘れてできる面白い風景。10時50分過ぎから10分ほどしばし撮影会。

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出井甌穴

*お昼をどこで
 甌穴を出発。まだダラダラ登りが続いた。最高点に達した後に下って昼食にすると遅くなるかもしれないので、早めだが昼食場所を捜しつつ走行。しかし、野田さんが目を付けていた「みまきガーデン」は月・火休みだった。次の「福田百貨店」は飲物だけだった。結局食事せず最高点(自分のGARMINで283m)に11時40分ごろ到着、すぐ下りを開始。下り後、津島あたりでお店が目立ちはじめ、物色開始。しかし、けっこう閉まっており町が終わりそうになったところで中華料理「八戒」を見つけ決定。12時20分ごろで丁度良かった。ボリュームたっぷりの中華を堪能し13時10分ごろ出発。そこからすぐの松尾トンネルは歩道を走れたが、距離が1.7kmあり閉口。浦野さんは飛ばしてすぐ暗がりに消えた。自分はサングラスのためか途中暗くなりすぎ、冷やっとした時があった。その後順調に宇和島市街地へ。

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高知愛媛県境
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お休みだった「みまきガーデン」 | 古民家の風情ある「福田百貨店」

*宇和島で和霊神社、宇和島城、闘牛場巡り
 14時すぎに和霊神社着。和霊神社は、藩政に尽力しながら暗殺された宇和島藩家老の霊を鎮めるために建立され、その後漁業などの海上守護神として崇められるようになった。四国には分霊された神社が随所にあるとのこと。坂本竜馬が和霊神社に出かけると言ってそのまま脱藩した和霊神社は、ここではなく、高知に分霊されたものとのこと。四国ランと家族の安全を祈願し、とても達筆な御朱印をいただく。

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和霊神社一の鳥居前 | 日本一大きい石造り鳥居と言われる和霊神社二の鳥居

 14時半すぎから現存12天守の一つ宇和島城。青空に突き出た天守が白く眩しかった。野田さんは天守に入ったことがあるそうで、外から写真を撮り、今日の宿 民宿奴さんへ。残り3人は、天守内を観覧。階段がすごく急だった。三階から宇和島湾を見ると入り江の深い入り込みが良く分かった。大戦時に宇和島も空襲を受けたそうだが、天守が焼失せず良かった。

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青空と白い宇和島城天守 | 天守三階から見た宇和島湾

 15時半すぎ、宇和島城出口で宿に向かう小澤さんと別れ、浦野さんと自分は闘牛場へ。丸山丘の80mあたりにある闘牛場まで、今日一番の登りをした。闘牛場に到着すると、掃除中の方がいたので、会釈して、中を見ても良いかと聞くといいよ、いいよ。今日は年に4回ある闘牛大会の日で14時ぐらいまで開催していたとのこと。浦野さんは見たかったなあと残念そうだった。「裏にまだ牛が残っている、見る?」とかと言われ、喜んでと後をついて行った。大きな牛が三頭繋がれていた。もう落ち着いていると言われても近寄るのは恐々だった。牛ファームの子供たちだろうか、牛の側で遊んでおりドキドキした。ファームのおねえさんが説明してくれた。おねさんが触る牛が、相手が逃げるまで角を突き合わせ闘牛し、勝った牛だった。その隣が別試合で負けた牛、三頭目はまだ闘牛させていない牛とのこと。勝った牛は、隆々とした両肩が相手の角で裂けていた。おねえさんは撫でながら、やわらかい口調で、戦う前に角を鋭く磨くのと説明してくれた。口調と話の内容が違い過ぎドキドキした。また、そう無いことと断りながら、今日は角が腹部に入り、出血多量で一頭死んでしまったと膨らんだ青いビニールシートと指さした。またドキドキ。

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外から見た闘牛場 | おねえさんの案内で
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勝牛と並ぶ浦野氏 | 闘牛場内

 お礼を言って闘牛場を後にし、16時半ごろ民宿奴着。

 宿泊:民宿奴
 我々が到着後、DAZさん、アコさんが、宇和島駅から宇和島城回りで、到着。にぎやかに。
 離れたところにある民宿奴の駐車場に自転車を置き、宿の前まで来ると向いに「島原かまぼこ」さんのお店があり開いていたの入ってみると南予名物「じゃこ天」が並んでいた。持ち合わせが無くどうしようと思っていると、後からきた浦野さんが即二つ買ってくれた。宿で食すと、歯ごたえ、油感、味が絶妙でうまかった。後で野田さんもビールのつまみに野菜入りを買ってきていた。

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民宿奴 玄関 | 民宿奴駐車場に自転車を置く

 奴さんは、間口が狭いが、奥行きが大通りから裏通りまである細長い三階建ビルだった。玄関が大通りでなく裏通りに面し、はじめ何で?と思ってしまった。しかし、裏通りに見えたところに「じゃこ天」屋さんなど色々お店が並んでおり、こちら側もにぎやかなのだと思った。一階が居酒屋で、民宿の食堂でもあった。宿泊した日は女将さん一人で、食堂を切り盛りしていたようだ。
 夕食は、鯛の刺身が厚めで弾力があり美味だった。釣りアジの煮つけは身がフワフワだった。アジを一尾多めにサービスしてくれた。
 次の日の朝食に「麦みそ」仕立ての味噌汁がでた。柔らかな甘味が美味しく三十年ほど前に宇和島あたりで食べた味を思い出し、女将さんといろいろ話をした。宇和島の「麦みそ」は大豆や米を混ぜず100%「はだか麦」を使い塩を余り入れないので、独特でとても美味しいとのこと。自家製を買って帰れと言われたが、これからが長く険しい道のりで荷物を最小にしているので...とか言って遠慮させていただいた。ご免なさい。また味噌汁のダシは「いりこ?」と尋ねると「かつお節」との返答。「いりこ」は時期により苦味が出るというのが理由だった。「かつお」が出過ぎないよう注意深くダシとっているのだろうと思った。麦みそから南予の「麦とろご飯」の話をして、「麦とろ」に使う「自然薯」なら鬼北産になり、鬼北は「キジ肉」が名物と地域色豊かな食の話をでき楽しかった。

【小澤コメント】坂本ダムの少し上流から、県道4号を右に入り、橋を渡って対岸の細い道を走りました。道はそれほど悪くなく、快適に走りましたが、落ちている細い木の枝が棘だらけでびっくりです。パンクしないように、細心の注意を払いつつ、爽やかな山道を楽しみました。高知県から愛媛県に入ったところで、県道の番号が4号のままで変わらなかったのはプチ発見です。

【野田コメント】ここから

【浦野コメント】この日から、野田のバーエンドバックミラーを拝借して、使い勝手を試してみた。角度調整が頻繁に必要だが実用性はあるので、検討する価値はありそうだ。宿を出発して間もなく、宿毛城跡という看板を発見し一人で立ち寄ったが荒れ果てた説明板があるのみで、早々に切り上げた。自分的にこの日のメインテーマは宇和島城見物だ。以前行ったことはあるのだが、現存12天守の一つである宇和島城見学はこの日のマスト。14:40に宇和島城に到着し見学した後は、宮村さんと二人で宇和島闘牛場へ。偶然にもこの日は年に4回しか開催されない定期闘牛大会の当日だった。夕方だったので大会自体は終わっていたが、肩に裂傷を負った牛が係留されていたり、横腹を相手の角で突き刺されて絶命した死体がブルーシートに覆われて横たわっていたり(めったにない事故らしい)、その激しさを体感できたのは貴重な体験だった。

【DAZコメント】朝8時半ころ自宅を出発し、12時過ぎの飛行機で松山へ飛び、松山駅からJRで宇和島まで輪行した。飛行機の出発遅れその他で予定より遅くなり、宇和島駅着は16:50となった。せっかくなので少しだけ宇和島城を見てから宿へ行こうと思ってメールしたところ、野田さんが駅まで迎えに来てくれて、スムーズに案内して下さったおかげで無事に見学でき、夕食の18時にも間に合って宿に到着。皆さんと再会し、夕食タイムには今日までのお話などを楽しく聞きながら、3年ぶりにGWランに参加できた喜びで満たされた。

【アココメント】ここから


Map, Click to Expand 6日目:5/4(水) 宇和島→大洲→内子 (69km/880m) 晴れ
 メンバ:野田、浦野、宮村、DAZ、アコ、(離脱)小澤
 (DAZ記:2022/6/19)

*グループラン方式に戸惑う
 本日の各人の行動として、まず小澤さんは宇和島発8:40の電車で帰途に就く。野田さんは県道274号で一山越えた後は国道56号で大洲経由内子に向かうショートコース。浦野さんは松野町の河後森城跡を見に行き、国道320、197号で大洲に行ってから内子に向かうロングコース。宮村さん、アコ、ダズはなるべく国道を避けて、三間経由で県道31,29、44、32号を通り内子に向かう案だ。今回のGWランは、本隊となるメインコースというものが無く、皆それぞれ宿までのルートを考えて個人または小グループで走る方式になっているらしいのだが、今日から走る僕にとってはかなり戸惑う感じだ。久しぶりのツアーで皆と走るのが楽しみだったのだが、かといって国道56号でずっと行くのもちょっと・・・と思い、宮村さんを誘ってグループを作った。
 浦野さんが早出希望のため朝食は6時半に設定した。朝食の味噌汁を味わって、「これは麦味噌だね?」と感じた宮村さんが宿のおかみさんに確認すると、はたして自家製の麦味噌であった。また出汁についても重ねて質問すると、「いりこだしにすると季節によってバラつきが出てしまうので、より安定したカツオだしを使用している」とのこと。こだわりの味わいについて熱心にヒアリングした宮村さんには、うちの味噌を買って行かないか、との勧誘があったようだ。「いりこだし」に馴染みのない僕は後で調べたのだが、煮干しだしのことを関西方面ではいりこだしと呼ぶのだそうだ。
 皆で出発写真をとって、浦野さんと小澤さんを順次見送ったあと、宮村さん、アコ、ダズは8時少し前に出発した。

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出発
*DAZグループはほどよく気ままに
 国道56号に入るとすぐ、立派な和霊公園(その奥に和霊神社)がある。宮村さんに「和霊神社寄りますか?」と声をかけると、「昨日見学したから大丈夫」との回答だったので通過したのだが、後日司馬遼太郎の「街道をゆく 14」を読んだら和霊神社の成り立ちについて詳述されていて興味を持ったので、今度機会が有ったら寄りたいな~と後から思った。
 北宇和島駅前から県道57号に入り、務田駅前から31号に入ってすぐの「道の駅みま」で、早くも第一回目の小休止。ここで、イチゴスイーツのお店を出していたお兄さんが地元のサイクリストだということで、道の情報など色々話が弾む。今回のランのコースについても、カルストに行くならバイクの多い地芳峠旧道より一本東側の道を登るのがいいよとか教えてくれた。そんな話の中で、「大洲の古い町並みはとても良いですよ、内子の町並みは有名だけど、大洲の方が往時をそのまま残していて良い」というようなことを話してくれて、これを聞いた宮村さんは「そうか、やっぱり大洲に行こうかな」という気分になったようだ。僕はというと、元々大洲のことも全く知らなかったので、国道を避ける意味で大洲を経由しないルートを考えていたのだけど、貴重な道連れの宮村さんと離れちゃうのは寂しいし、大洲にも興味を持ったので、ここであっさりコース変更を決定。県道44号の峠越えを止めて、国道441号線の白髭トンネルを越えて大洲経由のコースとした。ちなみにアコは、前夜に民宿奴のおかみさんがくれた「四国八十八景」のパンフレットを熱心に眺めていたおかげで大洲の見所が既に頭に入っていて、この変更は歓迎だったみたい。というわけでお兄さんの諸々の情報に感謝してスイーツを購入し、まだ朝9時だけどスイーツ休憩となる。

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スイーツ売場で情報ゲット | 感謝のスイーツ休憩

 ここから県道31号を北上するが、ものの2kmほどで四国八十八ヶ所の第41番札所 龍光寺があるので脇道に入って立ち寄る。のどかな住宅地の中にあるお寺には、お遍路さんの姿もあって、念仏を唱えたりとゆったり穏やかな時間が流れていた。10分程度見学した後、次は3kmほど先の第42番札所 仏木寺へ向かう。お遍路さん向けに立てられた小さな標識に従って進むと、道は田んぼの中の農道となり、蛙の合唱の中を走って行くのはとても気持ちが良い。仏木寺は県道に面していて立ち寄りやすく、境内もこぎれいに手入れされた感じだ。お参りのあと鐘を撞いたりしてまたのんびり過ごす。

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第41番札所 龍光寺 | 坂の上から
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第42番札所 仏木寺 | 鐘を撞く
*大洲までは走りに集中
 さて10時ころ仏木寺を出発。ここからはやっと少しサイクリングモードに入り、標高431mの歯長隧道に向かう。途中、お遍路さん向けの木の立て札で「歯長峠→」の表示がいくつかあって惑わされるが、これは県道31号から離れていく「お遍路道」(登山道)への案内らしく、これには従わずに県道31号と思しき方面へ進む。ちなみにお遍路道の歯長峠は、平成30年の西日本豪雨の際に大きな被害を受けて現在公式には通行止めとなっていて、徒歩の場合も県道を通るのが推奨されているらしい。ジグザグのカーブが続く県道の登りでは交通量はほとんど無くて、新緑の中を快調に登って10時25分ころ隧道に到着した。トンネルを出たところに「歯長峠」の看板が有ったけど、立ち止まらずに下りを楽しんで県道29号線に至る。県道29号を肱川沿いに東へ進み、11時ころに国道441号線に突き当たったところで小休止。昼食が少し遅めになりそうなので何か補給をしたい、と思っていたところでちょうど都合よくカロリーメイトの自販機が有ったので、宮村さんとダズは一つずつ購入し、あと甘い飲み物が欲しくなってコーラも買い足した。

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登って歯長隧道に到達 | カロリーメイトの自販機

 ここからは国道だけど、四国で400番台の国道だと田舎道の雰囲気で、交通量も大して多くないので引き続き快適だ。白髭トンネルまで190mほどの標高差をゆるゆると登る感じで、途中に三島神社というのが地図上にあるのでここに立ち寄るかも?と思っていたけど、小さな田舎のお宮という感じで誰からも立ち寄ろうかとの声も無いのでそのまま通過する。12時頃だいぶお腹が減ってきて補給の小休止を経て、12時20分頃に白髭トンネルに到着した。
 トンネルを下って国道56号に合流するルートに入ってからは、交通量も増加して一気に都会の雰囲気になり、大洲市街に入っていった。昼食ポイントも探しながら、まずは大洲城方面に向かって進んでいく。途中数軒あったお店は閉まっていたり混んでいたりで結局入らず、お城見学を先にすることにした。

*大洲城、お昼、臥龍山荘
 大洲城の天守は明治21年に解体されたのち、平成16年(2004年)に木造で再建されたものだが、明治時代の古写真や江戸期の木組み模型などの資料が豊富に残されていたため往時の姿を正確に復元することが出来たそうだ。本来なら建築基準法により木造が認められない規模だが、折衝の末、保存建築物として建築基準法の適用除外を認められたことで、往年の構造のまま全て国産木材を使用して復元に至ったとのことで、大変貴重なものであるらしい。
 大洲城では天守からの眺めや木造建築の迫力を楽しんで、13時40分頃まで滞在した。13時過ぎに浦野さんから入っていたLINEメッセージで、大洲に向かっている、とのことだったので、ここら辺で出会うかなと思ったが、どこかですれ違ったようだ。

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大洲城 遠景 | 天守 | 最上部への階段

 さていよいよお腹が減ってきたが、「明治・大正期の町並み」エリアにも中々お店が見つからなくて困り始めたところ、お食事処に人一倍勘の鋭いアコが「こっちはどうか」と先導しはじめた。するとすぐ見つかったのが、幕末期から旅館として歴史を刻んできた建物を利用した素敵な料理屋「油屋」で、いや~さすがするどいなぁ~と感心しつつお店に入る。ラストオーダー2時の少し前だったので店内も空いていて、「シラス飯定食」「鯛めし定食」「さつま汁定食」をそれぞれ注文し、ご飯のお替りも自由ということで、ゆったり快適に楽しい昼食タイムとなった。

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油屋での昼食

 2時半頃に油屋を出ると、その向かいには煉瓦作りの建物「おおず赤煉瓦館」があり、これは明治34年に大洲商業銀行として建てられたものとのこと。一階はお土産店、2階はギャラリーとなっていて、これも一巡りする。それから大洲観光のもう一つのポイント、臥龍山荘へ向かうが、二人がなかなか来ないな・・・と思っていたら、アコが途中の店でミカンの品定めをしていたとのこと。完全にのんびり観光モードになってしまっていて、宮村さんはおおらかに付き合ってくれているが、ここらへんで、内子観光は今日のところは無理だな・・・と内心あきらめる。
 さて気を取り直して臥龍山荘。ここはもともと大洲藩主の遊賞地として厚く保護されていたものの明治維新以降は荒廃していたところを、明治30年ころ木蝋貿易で成功した大洲出身の河内寅次郎が財を投じて、建物と庭園を築造したものである。様々な趣向や匠の技を施した臥龍山荘は2011年にミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの一つ星に、2016年に国指定重要文化財に指定された、とのこと。各所に凝らされたいろいろな趣向にはそれなりに感心したのだが、細い柱に支えられて河沿いの崖上に空中に浮いたような造りになっている「不老庵」で、高所がちょっと苦手な宮村さんがずっと床に手をついて低い姿勢のまま移動していたのが印象的だった。

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臥龍山荘
*内子はもう店じまい?
 さて大洲の観光名所を充分に堪能したらもう15時50分頃、お茶休憩をしたいとの声も上がるが早く進んだ方が良いと思い、内子に向けて国道56号線で残り14kmほどをひたすら走る。内子に着いたら、内子座や上芳我邸などの観光ポイントは16時半で終了なのでどこも見られず、せめてお茶を飲んで休めるところは無いかな、と町並み保存地区をさまよい、みんな閉まってるね・・・と諦めかけたところで唯一開いていたカフェ「でんじろう」を発見。伝統的な町家を使ったとても素敵なカフェで、奥の中庭の席で落ち着いたら、お茶休憩を我慢して進んできた鬱憤を晴らすべく、夕食までもうすぐだけどいろいろ注文、ダズはアイスクリームと「でんじろうスペシャル」コーヒーを頼んだ。コーヒーはおしゃれな年配の店主が自ら席まで来てカップに注いでくれるし、そのあと素敵なパンのサービスもあり、内子出身のノーベル文学賞作家大江健三郎についてのトークもあり、とても楽しいお茶タイムを過ごすことが出来た。

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内子座も終了 | 町並み保存地区を彷徨う
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発見、カフェ「でんじろう」

 さてすっかり良い気分になってカフェでんじろうを出たら、宿はもうすぐそこである。町並み保存地区にある本日の宿「月乃家」は、これまた町並みに溶け込んだ伝統的家屋でとっても素敵な建物だ。野田さんは早々と到着し16時前にはお風呂も済ませたとのことで、そのあと田丸橋という屋根付き橋まで往復してきたとのこと。浦野さんは大洲観光中に僕らを追い抜いて、15時半に内子についてからも内子座と上芳我邸と町並みを見学し、精力的な一日を終えて先着済みだった。僕らは17時40分、夕食前に無事に到着。穏やかで温かな雰囲気の老主人が出迎えてくれた。

 宿泊:御宿月乃家
 宿の玄関を入ると広い土間になっていて、今日の宿泊は僕らだけなので自転車も全部土間に入れて頂いた。夕食は1階の囲炉裏横の食卓で。2つの大皿に盛られた炊き込みご飯を見て、「ご飯のお替りは有りますか?」と浦野さんがご主人に質問すると、「いやーいつもお客様は、ご飯食べきれないとおっしゃいますよ」とのご返答。果たしてこの後次々に地元食材を使った料理が運ばれてきて、どれも美味しくとてもご飯まで行き着けない。ご夫婦の息子さんがドイツで修行してきたというハム・ソーセージや、弟さんが地元で作っているイチゴのシャーベットまで、どれも食材にこだわったお料理で大満足だった。
 お宿は古い町家を使っているが、中は古いものを活かしつつちょうど良い具合に改装されていて、トイレやお風呂も清潔で、洗面台にはハンドタオルがたくさん使えるように備えてあったり、各所にきれいな飾りがあったりで、とても快適な宿だ。お宿のご夫婦は、コロナ禍もようやく少し落ち着いてきて、旅行客も少し戻ってきているのをまずまず喜んでいるご様子で、年を取って大変なので宿泊は一日に二組まで、今回の僕らくらいの人数なら一組のみで受け入れている、とのこと。素晴らしい宿なのでぜひこれからもお元気で続けてほしい、と思う。

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大満足の夕食

 >>>浦野の走りは浦野レポート参照。

【小澤コメント】娘たちの帰省を受け入れるため、お先に失礼させていただきました。清流あり、海岸沿いあり、奇岩あり、そして何よりの海の幸満載の、充実したランでした。野田さん、宇和島駅までのお見送り、ありがとうございました。
 私は、宇和島駅8:40発宇和海8号(気動車)、松山駅で同じ番線に縦列停車中の10:21発しおかぜ14号(電車)に乗り換え、岡山からは新幹線で東京に戻りました。楽しみにしてた瀬戸内海の絶景を堪能して、旅を〆ました。後でわかったのですが、四国の特急は振り子式車両で激走するのも、松山駅の縦列停車についても鉄オタ勢には有名らしいです。

【野田コメント】ここから

【宮村コメント】良かったこと:「道の駅みま」で菓子工房KAZUの四国を良く知るサイクリストお兄さんと色々話をできた。これで大洲と四国カルストへ行きたくなった。ところでKAZUは鬼北町に近い松野町の菓子工房。近隣でとれる旬の食材にこだわる。今回、鬼北や松野に立ち寄れなかったがいつか訪れたい。

【アココメント】ここから


Map, Click to Expand 7日目:5/5(木) 内子→檮原 (63km/1320m) 晴れ
 メンバ:野田、浦野、宮村、DAZ、アコ
 (浦野記:2022/5/31)

*朝食前にポタリング
 前日に野田が訪れた田丸橋(指定有形民俗文化財に指定されている屋根付き橋)を見学するため、朝食前にダズ/アコ氏と三人で往復9km強のポタリングをした。
 この地方に点在する屋根付き橋は耐久性を向上させるために屋根がかけられたとのことだが、時の流れとともに収穫物の保管庫あるいは地域の集会所として利用されるようになったそうだ。あるいはお遍路さんの宿代わりにもなったとか。

 宿に戻ってまたたっぷりの朝食をいただき、宿のご夫妻に見送られて8:30に出発。

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指定有形民俗文化財の田丸橋 | 快適だった町家の宿を出発
*龍馬脱藩の道を辿る
 宿を出て県道32号、国道197号で南へ向かい、道の駅ひじかわで昼食の買い出し。少し先の県道55号との交差点で国道をそのまま南下する野田と別れ、龍馬脱藩の道を辿るために4人は左折して北東へ向かった。この辺り(大洲市河辺地区)には8本の木造屋根付き橋が現存しており浪漫八橋と呼ばれている。最初に立ち寄ったのが平成9年に復元された龍王橋とそのそばにかかるわずか4mの秋滝橋だった。歩いて渡ったり記念撮影などして雰囲気をたっぷり楽しんだ後、ふるさと公園近くの坂本龍馬脱藩之日記念館に立ち寄った。

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龍王橋 | 龍王橋とあやめ
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秋滝橋
*記念館
 記念館自体は2階建ての蔵のような趣でそれほど大きなものではなかったが、中が真っ暗だったのでどうしたものかと逡巡していると、隣の建物に居た管理人さんが「適当に電気つけて見学してください。帰る時、電気だけ消して行ってね」と、何ともアバウトな管理体制だったが龍馬の脱藩ルートの紹介やジオラマなどで楽しめた。

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龍馬脱藩之日記念館

 記念館を出発するとすぐに屋根付き橋(ふれあい橋)に到着。この橋は河辺ふるさと公園のシンボルとして平成3年に完成した橋で、一見木造風だが一部コンクリート造りの堂々たる橋だった(その分、趣は足りなかったか?)。ただ、この頃になると屋根付き橋自体に慣れ始めたこともあって、感動も薄れ気味。橋で手を振るダズ夫婦の写真を撮ってそそくさと出発した。

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ふれあい橋
*最古の屋根付き橋
 その後も三嶋橋、帯江橋などが現れるが、もういいやという感じでパス。今日のコース取りだと浪漫八橋の最奥部に位置する御幸の橋は、これから向かう韮が峠方面への分岐よりも数百メートル先にあるのだが、屋根付き橋のオオトリとして前日から目をつけていたこともあり、ここだけは外せないねという事になった。行ってみると期待に違わず他の屋根付き橋とは一味違う雰囲気を醸し出していた。神社の参道にかけられており、龍馬は実際に御幸の橋を渡って脱藩して行ったと伝えられる。現存する八橋の中では最古ではあるが、現在掛かっている橋は明治19年の洪水後にかけ替えられたもの、というのは後日ネットで調べた情報だ。

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御幸の橋とランドナーの映え写真(?) | 御幸の橋の奥に佇む社
*一つ峠越え
 御幸の橋を見学し終わり、屋根付き橋を十分満喫したところで時刻は12:10。ここから320mほど上って峠の頂上(標高716m)でお昼にしようと上り始める。舗装はしてあるが交通量は極端に少ないらしく、杉の枯葉や枯れ枝が一面に散乱する道を上ること約50分、13時前に峠に到着した。峠といっても見晴らしは全く利かず、お昼を食べるにはちょっと・・・という雰囲気だったが、時間も時間なので道端に座り込んでの昼食となった。

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杉の枯葉や枯れ枝の道を上る | 峠の昼食

 下りはダートも多かったが誰もパンクすることなく下りきった。

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ダートの下り
*韮が峠
 13:40に県道36号で500m弱の標高差がある韮が峠を目指して上り始めた。途中、羅漢穴という鍾乳洞があるので余裕があったら立ち寄ろうかと相談していたのだが、入り口の分岐まで行ってみると、あと200mという標識が指し示していたのは思いっきり下っていく道だった。それだけならまだしも、”ゲートは施錠してあるのでどこそこの公民館で鍵を借りて、見学後は鍵を返却してください”ということだ。「これではパスせざるを得ないね」というのが皆の一致した見解だった(個人的には安堵感90%、残念感10%)。

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羅漢穴の分岐と看板

 韮が峠には15時前に到着。龍馬脱藩の道をアピールする標識、足跡、説明板、更には龍馬の等身大写真パネルなどが「これでもか!」という感じで乱立していた。

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韮が峠到着 | 説明板
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龍馬パネルと | 脱藩の地の柱と

 思い思いに記念撮影した後、下り始める。
 15:40に県道379号から県道2号に入った後は、最後に大越峠をトンネルで越えるのに70mほど上った以外はほぼ下り基調で快適に走れた。今日の宿いちょうの樹に先着した野田からは「宿の入り口が分かりにくい。鯉のぼり群が見えたら右に入って云々」というラインが入っており、そのお陰で迷うことなく16:22に宿に到着できた。

 宿泊:いちょうの樹
 車で10分ほどの道の駅檮原に併設されている温泉まで車で送迎してもらい、気持ちよく汗を流せたのは良かった。農家民宿というカテゴリーのいちょうの樹での食事は、朝夕共に地元の食材や新鮮な野菜・山菜を中心とした総菜や炊き込みご飯でお腹いっぱいになった。

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いちょうの樹での夕食、地元の野菜や山菜が盛りだくさん

 ここの女将さんは地域活性化に貢献する民宿の女将さんとして農水省が「農林漁家民宿おかあさん100選」に選定した、いわゆる名物かあさんという事だ。夕食時、食堂居間の床の間に隠されていた(?)賞状を誰ともなく発見し、目立つように前に出していたところ、女将さんに見つかってしまいひとしきりその話題で盛り上がった。

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女将さんの賞状 | かの養老猛司氏もご推薦
【野田コメント】ここから

【宮村コメント】驚いたこと:道を走っていると良い香りがするので、アコさんに尋ねるとジャスミンとのこと。今回のランで走っていて何回もジャスミンの香りに出会った。日本でジャスミンが自生するのだと思った。良かったこと:農家民宿「いちょうの樹」の夕食で、宇和島の民宿「奴」(女将さんが鬼北産キジ肉を推していた)以来気になっていたキジ肉(まぜご飯に入る)を食せた。鶏よりしっかりした食感だった。

【DAZコメント】この日はどんなルートを採用したら良いか、事前に最も頭を悩ませた日だ。ツーリングマップで「竜馬脱藩の道」とある県道56号(内子河辺野村線)は魅力的だが、そこから韮ヶ峠を目指すとなると、竜馬脱藩の日記念館から先で県道56号は途切れているので、その替わりの山越えルートを含めると獲得標高が1800mを超えてしまい、ちょっと難しいんじゃないかなと思いつつ、現地で皆さんに会ったら考えを聞いてみよう、と思っていた。合流した宇和島の宿で夕食時に話してみると、宮村さんから「脱藩道の前半、泉ヶ峠はカットして、道の駅ひじかわから県道55号で登って行けば良いんじゃない」との案が出て、おぉそれなら獲得標高はだいぶ抑えられますね、ということになり、また御幸の橋・天神社から一山越える道については野田さんのスマホアプリで国土地理院地形図を見られて、通れそうな林道があることが確認でき、めでたくルートが完成した。実際走ってみると、県道55号には屋根付き橋がたくさんあってそれぞれ楽しめたし、天神社からの山越え林道はグーグルマップには無い分岐が現れて判断に迷う場面もあったけど結果的に間違えず、天気が良かったおかげで山中の昼食やダートの下りも楽しむ余裕が保たれた。憧れの韮ヶ峠にも到達出来て、竜馬脱藩の道(の一部)を走れて嬉しかった。そしてなんといってもこの日の宿はアットホームな雰囲気で山菜などの地元食材の料理が最高に良かった。

【アココメント】ここから


Map, Click to Expand 8日目:5/6(金) 檮原→久万 (78km/1676m) 晴れ
 メンバ:野田、浦野、宮村、DAZ、アコ
 (宮村記:2022/7/25)

*梼原 農家民宿 いちょうの樹 出発
 6時少し前、コジュケイの「チョットコイ、チョットコイ、チョットコイ」と聞こえる鳴声で目をさました。実家のある和歌山の山でよく聞く野鳥の声。西日本の山間って感じ。朝食では、この自然の中でとれた野菜のサラダや若竹の煮ものなどをおいしくいただく。
 8時すぎ、キジの「ケーン」という鳴き声を聴きながら出発準備。次に恒例の写真撮影を女将さん&お孫さんとともに。はじめて全員ジャンプを試みるもタイミングが外れ、次の課題に。天気は足摺方面から崩れはじめており、晴れ間が少ない。天候を心配しつつ出発。
 今日は、梼原で建築家隈研吾さんが関わった幾つかの建物や「ゆすはら座」を回った後、2グループに分かれた。「地芳トンネルで四国カルストの下を抜け久万高原へ向かう野田さんDAZさんアコさんグループ」と「東津野城川林道で四国カルストまで登坂し久万高原へ向かう浦野さん宮村グループ」。前者グループは更に途中から野田さんと寄り道するDAZさんアコさんグループに分かれた。

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「いちょうの樹」出発前写真 全員ジャンプ写真を試してみた
*梼原
 出発後、若干下り、珍しい木製のアーチ橋「梼原橋」を渡ると梼原の街並みが現れた。梼原は地理的な特徴から「雲の上の町」と呼ばれているそうだが、自分には雲の上というより木を活かす町だった。町では隈さんの木をうまく利用した「まちの駅 ゆすはら(雲の上のホテル別館マルシェ・ユスハラ)」、「梼原町複合福祉施設YURURIゆすはら」、「梼原町立図書館(雲の上の図書館)」、「梼原町総合庁舎」を見て回った。木感があると何だか落ち着く。
 事前調査不足の自分には「なぜこんなにたくさん梼原に隈研吾?」だったが、高知県下で唯一の木造芝居小屋「ゆすはら座」を訪れ、壁に掛かった新聞記事をみて合点した。以降、新聞記事概略。“1980年代後半、隈さんは、交流があった建築家に頼まれ訪れた「ゆすはら座」に感銘を受け、梼原町との取り組みを始めた。梼原での取り組みを通じ隈さんの建築哲学が木の良さを応用する方向へ変化していった”。隈さんが感銘を受けたという「ゆすはら座」の中を観覧すると小づくりで派手さはないが、神経が行きとどいている雰囲気だった。

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マルシェ・ユスハラ | 雲の上の図書館とYURURIゆすはら
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ゆすはら座

*四国カルストへ登坂
 9時少し前に、地芳トンネルへ向かうグループと別れ、自分が先導で国道197を登った。梼原の町から100mほど上昇し、9時10分すぎに、標高約520m「道の駅ゆすはら雲の上の市場」で補給食を購入。更に登り標高580mあたりで風早トンネルへ。トンネルを抜け、昨年12月25日開通した野越バイパスに入り軽快に標高約460mまで下り、9時半少し前に「四国カルスト」へ向かう「東津野城川大規模林道」分岐に到着。すぐ出発。  
 しばらく順調に登ったが標高700mを過ぎたあたりから、腰に違和感。浦野さんに前を譲る。前日の獲得標高1320mの疲労が出てきたかと思った。昨夕民宿の女将さんに「雲の上の温泉」に連れて行ってもらった時、「身体の回復に良く効く」とご推薦だった「励明薬湯(れいめいやくゆ)風呂」にヒリヒリ感じながらも5分以上入っていたのに....と思いながら騙し騙しペダルを回す。10時15分すぎ、標高900mあたりで休憩し南の山々を見ながら補給食。少し落ち着く。標高約970mで穴神トンネルに入り、抜けると青空に雲がたなびく彼方に「四国カルスト」が見え、10時半ぐらいに一時撮影停止。よし頑張ると出発するも、長い下りが始まった。前日、等高線を見ておけば心の準備ができていたのにと思うも後の祭り。10時40分ごろ標高約820m、地芳トンネル方面に通じる県道304との交差点まで急降下。地芳トンネル方面へ曲がってカルストを日和ろうかという気持ちが頭をよぎるも前進。浦野さんは変わらず元気そうだった。若干の腰痛とともに足に力が入らなかったが、11時5分ごろ、標高約1030mに達し、待っていてくれた浦野さんと2回目補給食(後で地図を見るとカルストまであと5km強だった)。そこから東へ進み左へ曲がると、目線を上げたところにカルストのレストハウスらしき建物が見えた(後で調べるとカルスト天狗高原の「星ふるヴィレッジTENGU」だった)。もうひと耐えと思うと若干元気が出、野鳥(カラ類?やフクロウ類?)の鳴き声やキツツキ類の木叩き音が耳に入るようになった。11時半ごろ、標高約1120m“カルストまであと2km”表示地点で、待ってくれた浦野さんと一時休憩。ここからの2kmも楽ではなく、やや勾配が強まった感じだった。ほぼ下だけ見てペダリングした。ボトルの水が無くなってしまった。
 12時若干前に「四国カルスト天狗高原」の「カルストテラス」駐車場到着。標高1400m弱。そこかしこに石灰岩が突き出るカルスト草原やそこから見渡せる山並みが素晴らしく、ここまでの辛さを忘れた。

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カルスト登り標高約900mあたり、補給食休憩 | 穴神トンネルを通過直後、標高約970m、彼方の山並みがカルスト
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標高約820mあたりまで降下後、登坂し1030m付近で、2回目補給食休憩
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標高1400m弱「カルストテラス」駐車場 | 一段上にある「星ふるヴィレッジTENGU」見晴し台から

*四国カルスト
 「カルストテラス」に入ると案内コーナーでお客さんにルートなどを説明しているガイドさんが居たので、“天狗高原周辺でカルストを見て、猪伏林道から県道303を下り、久万高原へ向かう国道440へ入る”予定コースの舗装など道路状況を尋ねた。ところがガイドさんの提案は、“猪伏林道・県道303は全舗装だが、ここまで来たのなら、天狗高原から地芳峠まで縦断するほうが、四国カルストを堪能でき断然良い。五段高原まで若干登れば、あとは下りで、姫鶴平(メヅルダイラ)を通り地芳峠まで楽に行ける。地芳峠から国道440への下りも全舗装だし”だった。事前に見ていた「ツーリングマップル」には、地芳峠から国道440への下りにダートがあったので、二度訊きするも自信の“全舗装!”返答だった。
 「四国カルスト」縦断に決まったので、次に昼食だが、「カルストテラス」に食事場所がなく、向いの「TENGU」へ。その前に「TENGU」駐車場の見晴台に行くと、手前のビューマップでどのあたりの山々を見渡せるのか良く分かった。またここまでの登坂路を眺められた。ただ、山々の頂に雲が垂れはじめており、さらに遠い足摺方面は暗雲に覆われ雨が降っている感じだった。「TENGU」でも持ち込みなどを食べる場所がなく、結局レストランへ。注文したカレー、親子丼とともに「雲の上の市場」で購入したお稲荷さんをこっそり食す。ところが食事をしていると、窓の外が霧で真っ白になってしまった。これではカルストから山々のパノラマを堪能できない! 野田くんがよく言うプチショックだった。
 霧だが、走れるので、13時ごろ出発。「天狗トンネル」を通過し縦断道を登坂すると、草原の中にニョキニョキ出る石灰岩(カレンフェルト)とともに草を食む黒牛があちこちに。パノラマが見えなくてもなかなか面白い光景。日本三大カルストの中で放牧された牛に出会えるのはここだけとのこと。たびたび、写真を撮りながら進む。五段高原から下る途中に風力発電機がそびえ立っていたが、ブレードの部分が霧でぼやけて幻想的だった。
 13時半ごろ到着した「姫鶴平」では、やや霧が晴れ、少し遠景が見えるようになった。待つと霧がさらに晴れそうだったが、先があるのですぐに下りを開始。13時40分ごろ地芳峠で一時停止後、やや狭いが全舗装の林道と県道36を下り、14時ごろ、国道440分岐着。標高1300mほどの「姫鶴平」から約600m降下した。この下り、自分はGくんのアドバイスに従いハンドルを上げていて、首の痛みがなく以前より満足だった。浦野さんはというと俊敏なカービングでスルスルと自分の前から消え去る別次元の走りだった。
 宿に到着後だったろうか、マップを見直していると「四国カルスト」に「五段城」があり、浦野さんは城に寄れなかったと残念がっていたが、よくよく調べてみると、「城」は「四国カルスト」の稜線上にある三角点とのこと。他にも「牛城」や「小牛城」などあるらしい。

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四国カルスト:霧の中の草原、石灰岩(カレンフェルト)
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四国カルスト:放牧牛、霧に包まれた風力発電機
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姫鶴平:霧の向こうが石鎚山方面 | 地芳峠

*八釜の甌穴群
 国道440に入った後、消化コースのように走行した。「八釜の甌穴群」を除いては。
 「八釜の甌穴群(オウケツグン)」は、全国に75件しかない国指定特別天然記念物。甌穴群の入口は、国道の下り途中にあり通り過ぎそうだったが、浦野さんがちゃんと発見。14時30分ごろ着。案内には、「八釜渓谷遊歩道、行き20分、帰り30分」と書いていた。浦野さんは行く気満々。自分も遊歩道って書いているので、なだらかで歩き易い下りだろうと勝手に気楽に考えた。ただ片道20分歩くのでレーサーシューズからスニーカーに履き替えた。歩き始めると気楽さがすぐに消えた。お年寄りや小さな子供は無理だろうと思える険しさだった。谷底まで約100m降下した。谷近くまで下り、木々の間から見えた川はとても澄んでいた。深みは青緑色だった。谷川は仁淀川の支流、黒川(高野本川とも言われる)。仁淀ブルーってこの青緑色に近いのでは?と思った。さらに上流へ歩き、谷川に架かる橋の向こうに甌穴群があった。入口から約1.2km、徒歩ほぼ20分。この辺りは谷川が小滝の連続のようになっていた。小滝の滝つぼに見える穴が甌穴だった。甌穴に落ちる滝の白と甌穴の底の青緑色が印象的だった。今回のランで5/3に立ち寄った出井甌穴が静とすると八釜は動の甌穴という感じだった。しばし撮影会。甌穴群を15時ぐらいに立ち、入口には15時20分ぐらいに着いた。慣れると速い。
 16時50分すぎ、久万高原「やすらぎの宿 でんこ」着。やや不安定な天候の下、ハードな走行だったが、印象が強烈な様々な景観を楽しめた。

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八釜の甌穴群、入口の説明板 | 八釜の甌穴群をバックに

 宿泊:安らぎの宿でんこ
 3人余裕で入れるお風呂でゆったりし、18時少し前から、宿に併設している1階のお食事処で、ビールで乾杯、夕食をスタート。お皿の内容は、天ぷら、若竹煮、鶏料理、漬物(葉わさび?)、ヒメマスの煮つけなど。それぞれ久万高原の食材のようだった。 自分は疲れからか、ボッしていたが、「明日、仁淀川方面へどう抜ける?」「選択は、境野隧道を通過するコースか、今日来た国道440を戻るコースか。」「戻るより境野だが、隧道を出るとすぐ通行止めらしい。でも自転車なら行けるかも」「お店の人に尋ねたが分からない」や「今日の魚の頭を食べる食べない」とかで盛り上がっていたような。

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「でんこ」で夕食

 >>>野田、DAZ、アコの走りは野田レポート参照。

【野田コメント】ここから

【浦野コメント】檮原市内に点在する隈研吾の木材建築を見物したのち、宮村さんと二人で四国カルストへ向かうため国道197号で東へ。大規模林道で穴神トンネルまで上ったのは良いが、そこから150m以上下ってしまい、その分上り返したため疲れも倍増した感じ。昼前に何とか標高1400m弱の天狗高原に到着した。着いた時は晴れ間もあったがレストランで食事している間に一面霧模様となってしまったのは残念。観光案内所で地芳峠からの下りも舗装になっていることが確認できたため、予定を変更して五段高原から姫鶴平(メヅルダイラ)と四国カルストのメイン通り(?)を堪能できたのはラッキーだった。五段高原では五段城という城跡があったのだが、事前にチェックしておらず見逃したのが心残りだ。

【DAZコメント】梼原の町は図書館や役所や銀行まで、木材を効果的に使った町づくりがとても印象的だった。今日は野田さんと一緒のコースとして、小さな見所も拾いながらゆったりと進んでいったのだが、八釜の甌穴群の見学で徒歩1時間コースに向かうところで野田さんとお別れになった。渓谷美と迫力の瀑声を楽しんだあとは、道の駅みかわでゆっくりコーヒーを飲み、上黒岩岩陰遺跡に立ち寄った。遺跡考古館の管理人さんは、退職した学校の先生といった感じの優しい男性で、つきっきりで解説してくれた。展示品は小さな石偶など地味なものばかりなので解説無しだとすぐ出てきてしまいそうだが、数千年前~14500年前の地層から出土したという品々について想像を巡らせるというのは面白いものだな、ということがこの方のおかげで実感できた。

【アココメント】ここから


Map, Click to Expand 9日目:5/7(土) 久万高原→R33→美川→佐川→伊野 (84km/352m) 曇り後晴れ
 メンバ:野田、宮村、(離脱)浦野、DAZ、アコ
 (野田記:2022/8/20)


 6時半に起きて、7時から朝食して、8時半に出発。今日は、久万川、面河川、仁淀川沿いの国道33号線を走って、九日前に泊まった伊野町の宿まで約80キロの旅。距離はあるが、基本ずっと下りなので、気分は楽である。みんなは、大昔の地層が残る「古岩屋」と第45番札所の「岩屋寺」へ寄ってから、R33に戻り、筆者と同じルートで高知へ向かうコース。出発の準備をしていると、サンダルの右の鼻緒がとうとう千切れる。不吉な予感がするも、サンダルは予備を買っておいたので、大丈夫。
 出発ジャンプは2回目で成功。ジャンプのタイミングにも依るが、ダズが一番飛んでいるだろうか。アコはクラブ旗に顔が半分隠れてしまい、プチかわいそう。

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出発ジャンプ

 浦野とダズ夫妻は今日東京へ帰ってしまうが、出発ジャンプは今後定番になりそうである。宿を出て、すぐに県道への分岐があり、ここでみんなと別れる。

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県道分岐で一旦別れる

 U氏はマイカーをデポしている伊野町の道の駅まで走って東京へ向かうので、ここでさいならである。そう云えば、昨夕だったか、U氏の会社同僚から、「伊野の道の駅へ連絡するように」との電話があり、どうも、クルマがずっと停めてあるので、道の駅の人が、どこかで遭難しているのでは、と心配になり、警察へ連絡したようだ。事情を説明して事なきを得たが、長い間、道の駅にデポする時は、連絡先がわかるように、メモを置いていくなど考えた方がいいかもしれない。ダズとアコは、R33沿いにある佐川と云うJRの駅で輪行して高知空港から東京へ。宮村さんは明日まで一緒である。
 久万の街中をのんびり走っていると、木造建てのレトロな建物が見えてきて、門には「久万小学校」とある。

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久万小学校

 この辺りも林業が盛んなのだろう。木を大事にする土地柄を感じることができる。昨日上った国道を下っていると、昨日は気が付かなかったが、斜面に「美川」という文字が!。
 この辺りは、お茶が盛んらしく、茶畑で美川の文字を描いている。ちょうど田植え時期らしく、田植え機にセットされる苗のパレットが綺麗に並んで、植えられるのを待っている。

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美川の文字 | 田植えの準備

 昨日、ダズとアコが立ち寄った「上黒岩の岩陰遺跡」があり、暫し見学する。
 1960年代に子供が自宅隣の岩陰を掘っていたら、土器のかけらや動物の骨が出てきて、専門家たちが発掘した木炭を分析すると、一万五千年前、縄文時代の物とわかり、長崎県の福井洞遺跡に並んで、大昔に人が住んでいた貴重な遺跡とのこと。観光案内板を見ると、ここ美川には、遺跡だけじゃなく、昨日見た「御三戸嶽」、そして今日、本隊が行っている「岩屋寺」がある。
 この岩屋寺は9年前のGWランの時、石鎚スカイラインから松山へ行く途中に寄ったことがあるが、鳥取の投入れ堂ほどではないが、最後は梯子で上がるなど、結構しんどかった記憶がある。
 仁淀川の中流にある大渡ダム湖は桜の名所らしいが、それ以外に特に見どころはない…。ダムを過ぎて7%ほどの坂を下っていると、フォーサイドのお年寄りサイクリストが自転車を押しながら登っている。反対側なので、そのまま通過したが、後続の四人が会って聞いた話では、沖縄の人で、お年はなんと82才。野宿しながら八十八カ所を廻っている、とのこと。20年後の筆者もまだ旅をしているだろうか、ふと思う。
 ダムの下流側は、水量が一旦減るので、仁淀ブルーのような澄んだ青さはないが、それなりに見栄えがする。途中、トンネルを避けて、旧道を走っていると、「自由軒」というラーメン屋があるも、地元の人に人気のお店らしく、クルマが一杯停まっているので、スルー。
 越智と云う町からは、仁淀川を離れて、ダズ夫妻が輪行する予定の佐川駅へ向かい、13時、駅に着くも、飲食店が全くないので、近くのスーパー「マルナカ」で、三種サラダとちょっと贅沢だが握り寿司を購入。レジ横の籠から詰め替えるコーナーで、エコ袋に入れていると、横に、鶏の唐揚げパックがポツンとあるのを発見!。さっきまで、そこにいた、車いすのお母さんと太った兄さんが忘れたんだ、と追いかけるも、見つからず…。ちょうど入り口にいたスーパーのおねーさんに事情を説明すると、常連客らしく、その人の車を知っていて、無事に渡すことができ、プチホッとする。いいことをしたわ、と気分よく、駅に自転車で戻り、駅舎前のベンチでお寿司を出すと、なんとお寿司にお醤油もワサビも付いていない!。プチショック。

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お寿司

 ワサビはまだいいけどお醤油はないと困るので、面倒だけど、また自転車で五分ほど走ってスーパーへ…。更に、缶ビールをカップで飲もうとするも、いつもサドルの後ろにぶら下げているカップがない!。思い起こすと、朝、サドルにセットした記憶がなく、深夜にウイスキーの水割りを飲んだ後、カップを洗面所で洗った記憶が蘇り、そこに置き忘れたようだ、プチショック。翌日、高知市内のモンベルショップで新カップを買うことになるが、十年ほど愛用したカップなので、昨日の宿「でんこ」へ電話して、宅急便で神戸の自宅へ送ってもらうことにする。送料代が千円ほどかかるが、仕方ない。


別れている本隊の様子






 15時頃、予定通り、ダズとアコが無事に到着し、お別れの写真を撮る。
 ダズがスマホを構えて、アコと二人でジャンプするも、なかなかタイミングが合わず、4回目でやっと完璧なジャンプ写真が撮れる。

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アコらと合流 | ジャンプ

 また来年、と云い合いながら、駅をあとにして、15キロ程先の伊野町へ。仁淀川に戻ると、仁淀川橋があり、「紙のこいのぼり」の写真が。

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仁淀川橋の看板

 毎年、GWに見られるらしいが、今年はコロナだからだろうか、広―い河原が見えるだけ…。

 宿泊:藤崎旅館
 今日のお宿「藤崎旅館」は16時半にならないとチェックインできないので、ちょうどその時刻に到着すると、玄関でマスクをせずに、女将さんが掃除をしている。
 意外と云えば失礼だが、お若いのでプチびっくり。九日前に会った時は、40才ぐらいかなあ、と思っていたが、20代後半のような感じ。預けていたバッグと荷物を受け取り、シャワーを浴びた頃、M氏が到着。道の駅「土佐和紙工芸村」で無事、U氏を見送り、近くの神社に寄って来たとのこと。素泊まり宿なので、近くの「赤とんぼ」と云う居酒屋へ行くも、「予約一杯で入れない」と云われてしまい、プチショック。仕方ないので、スーパー内の「ごはん屋いの」で総菜やお弁当を買って部屋食することに。筆者は、お弁当のおかずだけ、M氏は、唐揚げ弁当とシェア用におかず単品を注文するも、二つともお弁当が出てきて、プチびっくり。お店のおばちゃんの思い込みが原因だが、優しいM氏は、文句も言わず、そのままお金を払って、結局、お弁当2個分のご飯を完食していた。阪神は中日に1―2の惜敗。打順を大幅に変更するも全く機能せず、また矢野采配失敗…。しかし、今日は、サンダルが切れ、カップを宿に忘れ、お寿司の醤油を取り忘れ、全くツイていない一日であった…

【宮村コメント】良かったこと:色々なパワースポットに行けた。①海岸山 岩屋寺「山岳霊場。弘法大師が訪れた。お不動さんに守ってもらえそう」、②浅尾沈下橋「細田守監督のアニメ映画で聖地に。仁淀ブルー。橋の近くに咲くミカンの花の香りがジャスミンに似た甘く濃厚な香りだった。景色と香りが合わさって記憶にインプットされた感じ。」、③浦野さんと別れ、宿へ行く途中に訪れた小村神社「土佐国二宮。ご神体は1400年前に奉納された完全な姿で残る日本最古の太刀(毎年11月15日しか拝観できない、残念)。有難い力がある杉。」

【浦野コメント】当初予定されていた国道494号が一部通行止めのため国道33号を走らざるを得なかったが、古岩屋は見ておきたいねということでまずは県道12号沿いの古岩屋と45番札所の岩屋寺へ。岩屋寺は2013年の四国ツアーでも立ち寄っているが、例によって全く記憶になく新鮮な気持ちで参拝できた。面河第三ダムでは御年82歳のお遍路サイクリストと談笑。82歳で現役、しかもサイドバッグ仕様に驚くと同時に、自分は20年後に走っていられるかなあと、あやかりたい気持ちになった。ツアー最後に立ち寄った浅尾の沈下橋でダズ夫婦と別れ、15時過ぎに車を停めてあった道の駅に到着。土産を買ってお風呂で汗を流し、17時に道の駅を出発。翌日夕方に無事帰宅した。

【DAZコメント】朝食前のお散歩ランで、アコと二人で第44番札所 大宝寺に向かう。急坂を登っていくと急に鬱蒼とした森となり、その森の中に大宝寺があって神秘的な雰囲気の漂うお寺だった。県道12号の途中にあるポイント「古岩屋」は、皆で「あれがそうかな」「これでもないな」と言いながらうろうろさまよったけど、あの周辺の巨大な岩壁すべてが古岩屋ということなのだろう。2013年GWツアーでも立ち寄った第45番札所 岩屋寺は、徒歩で往復1時間くらいかかるけど、今回も新鮮な気持ちで楽しめた。国道494号(境野隧道)が通行止めのため、今日のコースは延々と国道33号を走ることになってしまったが、下り基調なのでさほど走りにくいということは無かった。途中にある、珍しくおしゃれなレストラン「あすなろ」は人気店のようだがちょうどタイミング良く待たずに入れたのはラッキーだった。県道18号との分岐で宮村さん・浦野さんとお別れの予定だったが名残惜しく、時間も順調だったので、最後の見所として浅尾の沈下橋までご一緒して仁淀川を楽しめたのはとても良かった。佐川の駅に辿りついたのは15時15分ころ、古岩屋と岩屋寺をパスして先行していた野田さんが首を長くして待っていてくれた。ここで今回のツアー中に流行したジャンプ写真の撮影を試み、4度目のトライで、絶好のジャンプ写真撮影に成功!ここからダズとアコは輪行して高知空港へ向かい、一足先に帰路についた。

【アココメント】ここから


Map, Click to Expand サンプル:10日目:5/8(日) 伊野→高知空港 (--km/--m) --
 メンバ:野田、宮村
 (野田記:2022)


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写真1:

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写真1:

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【宮村コメント】良かったこと:①朝、野田さんにドリップコーヒーを入れてもらった。②出発時、旅館でお世話になったおねえさんにタイミング良く会え、一緒に出発写真を撮れた。③野田さんに案内してもらって回った高知城。巨大な石が野面積みされた石垣に圧倒される。④野田さんに連れて行ってもらった土佐国一宮、土佐神社。社殿の形が珍しかった。“土佐神社”という字が存在感ある御朱印を頂けた。⑤野田さんのガイドで高知空港滑走路の下を走れた。


関連リンク:
 2013年GWツアー 四国