2019年GW 南九州ツアー報告

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都井岬の裏道

by 宮村、浦野、小澤、DAZ、那珂、野田潤 & 野田(最終投稿日:21 Jan 2020)

Map, Click to Popup 日程:2019/4/27(土)~ 5/6(月)
参加:野田(計画)、那珂、宮村、小澤、浦野、野田潤、DAZ、アコ
コース:=宮崎空港→日南→志布志→佐田馬籠→(佐多岬)佐田馬籠→=→枕崎→鹿児島→湯之尾温泉→球磨川温泉→肥後大津→熊本駅=

 ツーリング記録 参照
<はじめに>(野田記:2020/1/21)
 自分がこのGOKIさん主催のGWランに参加し始めて、今回で9年目となりました。1年目の2011年は京都から伊勢までの近畿横断、2年目以降は信州、四国、山陰、九州、紀伊、東北、能登佐渡を巡ってきました。2017年の東北以降はGOKIさんが参加できなかったため、フル参加できる筆者がコースを考えてきました。そして今回は浦野氏の「佐多岬へ行ってみたい。」要望を受けて、宮崎から大隅半島、薩摩半島を廻って熊本までのコースを選択しました。毎回そうですが、今年も好天に恵まれた中(佐多岬だけ雨でしたが)、とても楽しいツアーでした。では、各自分担して作成したレポートをご覧ください。


Photo, Click to Popup 1日目:4/27(土) =宮崎空港→日南 (66km/384m) 晴れ
 メンバ:野田、那珂、(合流)宮村、小澤
 (野田記:2020/1/21)

*フェリーで中田家族に!
 待ちに待った楽しいGWラン10日間の始まり。前日の夕方、神戸の自宅から走って神戸港で、宮崎行きのカーフェリー「みやざきエキスプレス号」に乗り込む。翌朝、ロビーでTVをボーと見ていると、見覚えのあるかわいい女の子が。更にそのお母さんが出てきて、それが同期の中田の奥さんだったのでびっくり。NHKの大河ドラマ「いだてん」絡みの企画で熊本の玉名マラソン大会を芸能人が走る番組があり、玉名在住の中田家族も親子で参加していたのだ。昨年秋に中田宅にお世話になったばかりなのでメチャ懐かしくなり、まだ7:30なのに中田へ電話したら、みんな元気そうで何よりだった。そしてGWの最後に玉名辺りまで行くので、できれば会おうと云って電話を切る。

*宮崎空港で那珂と合流
 宮崎港を9時に出発して20分で宮崎空港に着き羽田から来る那珂を待つも飛行機が遅れてしまい、予定より小1時間遅れてフェニックスがいっぱいの空港を出発。

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宮崎空港から出発

*懐かしの青島&堀切峠
 お昼は地元の「忠太郎茶屋」でお互いに名物のごぼ天うどんを食べて鬼の洗濯板で有名な青島へ。久しぶりに見た隆起海床と奇形波蝕痕は侵蝕がかなり進行しているようだった。青島には神社があったので御記帳してもらおうと思ったが、通常の300円に対し800円もしたので諦める。これだから観光地はあまり好きじゃないのだ。36年前に春の九州ランで来たことのある堀切峠のフェニックスは今も健在で、そこから続く洗濯板も懐かしかった。

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堀切峠

*野島あこう神社で祈願
 日南フェニックスロードの途中、大木がそびえ立つ神社が道の反対側に見えたので、ちょこっと立ち寄ることにしたのだが、これが大正解。樹齢400年のあこうの木が2本あって途中から枝が絡み合っている。「夫婦あこう」というらしく、アーチ状になった木の間をくぐれるようになっていて、夫婦円満、健康長寿を祈ってお互いに通り合う。更に自転車の交通安全祈願神社としても有名らしいので、本ツアーの無事故をお願いして、チャリの形をした木製お守りをサドルにセットした。

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夫婦あこう

*鵜戸神宮の運玉投げはおもろい
 今日の目玉である鵜戸神宮には15時半にやっと着く。ここは海蝕洞の中に本殿があって、国内でも珍しい参道をくだる「下がり宮」だ。見どころは多く、本殿の他に洞窟の中には乳房に似た「お乳岩」、外には1mほどの穴が空いてる亀岩がある。この穴に鵜戸小学校の生徒が作った素焼きの運玉を5球投げて1個でも入れば願いが叶うらしい。亀岩まで結構遠いので入らなかったらやだなと悩んだが、結局300円払って運玉を5個ゲット。男性は左投げじゃないとだめなので自信なかったが、3球目が見事穴に入って、いかったあ!。余談だが、亀岩に入った運玉を回収してなんと運が付いたお守りとして売っていたのにはプチびっくり。神社のなんでも売り物にする商売根性に脱帽!。

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鵜戸神宮 | 運玉

*日南は巨人じゃなく広島カープの町だった
 17時無事に宿とうちゃこお! 最寄りのJR油津駅に寄ると、なんと駅舎が赤一色で広島カープの文字がでかでかと書いてある。近くに万福球場というカープの専用キャンプ施設があるらしく、夜のお店でも、店内はカープ一色だった。

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カープ一色の油津駅

 宿泊:ゲストハウスアキ


【那珂コメント】立ち寄った鵜戸神宮では、長女のために安産セットを購入。ご利益あってか10月には無事に元気な女の子が生まれ、自分もめでたく爺さんになることができた。
【宮村コメント】*後発隊* 予定よりやや遅れ14時すぎ、宮崎空港着。15時15分ごろ小澤君とスタート。だいたい追風で、青島(鬼の洗濯板)、堀切峠(フェニックスと太平洋)、鵜戸神宮にちゃんと立ち寄れた。前で引いてくれた小澤君ありがとう。
夜、“浩鳥”の新鮮カツオ刺身とシコシコ焼鳥も堪能できた。

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宮崎空港 | 青島(鬼の洗濯板)


Map, Click to Popup 2日目:4/28(日) 日南→都井岬→志布志 (79km) 晴れ時々曇り
 メンバ:野田、那珂、宮村、小澤、(合流)浦野
 (小澤記:2019/6/9)

 素泊まり3000円の民宿ですが、快眠を得てお目覚めを迎えました。通りを渡ったコンビニで各自朝食を調達、広い方の部屋に集まって腹ごしらえをしました。お宿は、民泊を見据えて、ブティックの空き部屋を改造したもので、別にオランダ人が泊まっていたそうです。高齢でも、このたくましさは、見習うところ多いにありです。

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出発

 朝8:00頃集合写真を撮ってから出発、まず祇園神社に向かいました。宮村さんが、早朝足慣らしでお参りしたとのことなので、先導です。1kmも行かずに到着。巨大な石に空いた空間の中に入ってお参り、霊的な何かを感じつつ、道中の無事を祈りました。
 次は、同じく野田さんが早朝足慣らしをした吾平津神社(通称乙姫神社)、寅さん撮影の地を前面に押し出したところでお参りです。前にある堀川橋は、運河で分断された街の両岸をかさ上げしてからかけられた、アーチ型の石橋です。故に、橋より先に建てられた家は、道路から入る玄関が二階になっています。

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祇園神社の洞窟巡り | 堀川橋

 さて、一行は、国道220号の軽いアップダウンを快走します。途中9:00頃、猪崎鼻公園に立ち寄ります。楽勝の坂かと思いきや、先っぽが急になり、最後は階段です。それでも自転車を押し上げ、たどり着いた先には、絶景を望める展望台がありました。
 目前には背の低い蘇鉄やフェニックス、目下の日向灘、沖合いの島や名勝七つ岩など、雄大な景色を堪能しました。
 一行は更に220号、南郷駅前を448号線に入ります。港を過ぎたところで、通行止めの看板。「土砂崩れと道路決壊の恐れ」ということなので、大事を取って県道439号の山あいの小さな峠道を選びました。40分ほどで国道に復帰し、海岸沿いのアップダウンを楽しみました。と言っても、地味にキツイ坂で、何より登り途中の工事中片側通行信号規制が、足にじわじわとダメージを溜めて行きます。

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目下のフェニックスと日向灘 | 迂回中に登り坂

 本日メインの都井岬に向かう急な坂を登ると分岐があり、左折してすぐに料金所があります。これは有料道路ではなく、野生の馬を放牧するための、環境保護協力金です。慶んで協力する所存ではありましたが、自転車は無料とのことでしたので、遠慮なく進入させて頂きました。
 都井岬では、野生化した多数の馬を見物しました。触れる距離で、キレイに草をむしり食いながら、もう一方の穴から大量のコヤシが排出され、一種独特の空気でありました。

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岬馬

 昼食はレストハウス。名物は「なんでんかんでん丼」、由来は不明ですが、食した宮村さん那珂さんの表情は満足そうでした。野田さんはフライ定食、私はエビフライ定食で、みんな満足です。
 その後は、都井岬ビジターセンターを訪問、見学料金にくじけて、トイレとお土産のみ、利用しました。
 戻りは海岸沿いの裏道。ビジターセンターのお姉さんは、落石が多く、とても自転車で通れない、という分析でした。実際は、落石ではなく、落ふんを避けつつ、坂のコーナーでくつろぐ馬を撮影しながら進みました。海岸への下りのみと思いきや、激坂アップあり、激坂ダウンあり、落ふんありで、細心の注意を払っての走行となりました。馬の出入りを防止するゲートを通り、すぐに国道に復帰しました。

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裏道は馬の中(激ダウン/激アップ)
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裏道で戻る

 その後は、典型的な海岸線沿いのアップダウンを快走し、志布志駅に向かいます。JR日南線の終着駅て、改札からの景色は、雑草と車止めとその向こうの線路が、遠くの自宅や北海道に続いているのを想像して、山田洋次監督作品を見ている気持ちになりました。

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終着の志布志駅

 宿泊:ホテル志布志

 宿は駅近のビジネスホテル志布志。新しく、コインランドリー完備、自転車は内装工事の備品を置いた倉庫に置かせていただきました。
 浦野さんと合流後、近所の居酒屋でお食事。ビール、日本酒、うなぎで栄養を摂取して、明日に備えました。

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明日に備えて(浦野合流)

【宮村コメント】都井岬あたりは、馬も猫も、我もの顔で暮せる里だった。都井岬 海洋荘で食したナンデンカンデン丼はカンパチ?づくし。美味だった。
志布志の居酒屋も、いろいろ美味で“しめ”のうな丼、極上だった。しかし、順番じゃんけんが、ほぼ全敗だった。
【那珂コメント】都井岬はHUCC1年目の春休み個人ツアーで浦野や坊さんと訪れたはずだが、こんなにたくさんの馬が居た記憶は全く無い。改めて当時の銀輪別冊を読むと、馬と遊んだと浦野君が書いている。
【浦野コメント】*合流までソロ走行(146km)* 熊本県の道の駅大野温泉(球泉洞の近く)に車で到着したのが午前4時頃。仮眠後7時に走り出す。天気は上々。人吉で人吉城跡を見学した後はひたすら走るのみ。えびの→小林→都城→志布志と走り、予定通り宿で本隊と合流できた。


Photo, Click to Popup 3日目:4/29(月) 志布志→根占→佐多馬籠 (89km/995m) 曇りのち雨
 メンバ:野田、那珂、宮村 、小澤、浦野、(合流)野田潤
 (那珂記:2019/7/21)

*志布志を散策
 4月にOpenしたばかりのホテル志布志、朝食は豪華なバイキング。8:30に出発し、志布志の街中に入ると何やらお祭りの様子。そう、今日は志布志お釈迦祭りだそうだ。お目当ては前日から話題になっていた座禅体験ができるという大慈寺。屋台の並ぶ通りをゆっくり進むが見つけられずにカレー屋のお兄ちゃんに尋ねると、もっと先だと思うが店主に聞いてみると。少しして現れた店主曰く、通り過ぎてるから戻ってと。お兄ちゃんはネパールの人で良く分かってなかったらしい。見つけたお寺の前で野田号のリアキャリアに破損個所を発見。針金で応急修理後、野田はお寺を見ずに潤子さんが到着するフェリーターミナルへと別行動。

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出発

 残る4人は大慈寺見学。入口には身長20cm位のお釈迦様が甘茶で満たされた桶の中でお立ちになっている。浦野は歳の数だけ柄杓で甘茶をお釈迦様にかけて無病息災を願った(浦野のひとことコメント参照)。本堂を見学しているとご住職が現れ、「自衛隊ですか?」と聞かれ、「違います」と回答。「自衛隊ならしっかり座禅してもらうのだけれど」と言われ、何だか厳しそう。座禅体験の気持ちなどいつのまにか吹き飛んでいた。が、お話だけ少し聞かせてもらった。明治維新の際に廃仏毀釈により薩摩の寺は全て壊されたが、その後鹿児島の人に仏教信仰を復活すべく、寄付金を使って比叡山から仏像を譲り受けたという。

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大慈寺

 このあと4人はフェリーターミナルに向かい、久々に大型フェリーを目の前にして改めてそのデカさを感じつつ9時半ごろ潤子さんと合流。日焼け防止とはいうけれど、真っ黒なフェイスマスクは雰囲気を一変させる。

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フェリーターミナル・・・さんふらわあ

*9:45鹿屋に向けて出発
 いつものように野田ナビに従ってR448/R220沿いに鹿屋に向かうが、途中から雨模様となり各自雨具を着用する。潤子さんは新品の真っ白なスニーカーをレジ袋で完全防御。鹿屋市内に入り和食ファミレスで昼食の後、数キロ先の鹿屋航空基地資料館には13時頃到着し見学。特攻隊を送り込まなければならなかった太平洋戦争の歴史を改めて身近な史実として学ぶ。

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零戦用エンジン | 鹿屋航空基地資料館を出発

*15時前、根占に向けて出発
 建物を出ると雨脚は強まっていてしっかり雨対策。浦野に貸していた折り畳み傘を元のようにハンドルバーに括り付けて出発。根占の宿までは25kmほどなので、もうひと頑張りで風呂に入ってビール飲んでゆっくりできるね、と誰もがゆるーい気持ちで走り出す。

*宿は?
 やがて根占に着き、「民宿なぎさ」を探し始めるがなかなか見当たらない。小さな町だからすぐ見つかるだろうと皆が高をくくっていたが、野田がクリーニング店に立ち寄り、小澤と那珂はもう少し先のガソリンスタンドで尋ねる。結局双方の情報から得られた結論は、宿はここから30km以上先の佐多岬にあるということ。なんてこったい! 時は既に17時近く。クリーニング店ではおじさんが車で送ってくれる話も出たようだがこんな大勢は無理ということで見送り。まずはファミマで非常食を仕入れる。

*気を取り直して再出発
 野田トップで走り出すと気合が入ったのかこれまでとは違ってハイペースで進む。が、15分ほど走ると疲れたのか少し広い路肩で停車。すると彼の口から一つの提案が。このままみんな一緒に行っても遅くなってしまうから、先行組と後続組に分かれようと。組分けはごく自然に宮村氏・浦野・小澤と野田・潤子・那珂となった。
 筆者が走る後続組は、海沿いを根占から20km程走ったところで雨が強くなってきたのでA-COOPを見つけトイレ休憩。野田曰くここから先は海を離れてアップダウンが4回あるという。登り始めると疲れが出たのか野田の息遣いが少々荒い。いつもより少ない荷物とはいえ、十分重い荷物を載せてのナイトランは精神的にもきつかろう。こちらは体力的に辛くはないが、暗い中での登りは気持ちも沈んでしまうので、まだまだ余裕の潤子さんとあれこれ会話を楽しみながら進む。3つ目くらいの登りに差し掛かったところで一台の路線バスが私達を追い越して行った。すると野田が「バス輪行という手があったのか!」と本気で悔しがっている。それほどお疲れだったとは。このあと一旦海岸に出た後、最後の劇坂。真っ暗の中、どこまで続くか分からない壁のような坂を一踏み一踏みしながらやっとのことで潤子さんと一緒に登りきる。疲労困憊の野田も頑張って数分後に現れた。

*無事完走
 峠を下って海沿いを少し走り、宿の看板を見つけてホッとできたのは19時半ごろ。先行組は30分程前に到着していた。

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宿に到着

 宿泊:民宿なぎさ

 宿には迷惑をかけてしまったが、ヒラマサの刺身、カンパチの煮魚/焼魚などなど、美味しい魚料理をたらふく食べて21:30にご馳走様。
 このあと明日の佐田岬散策は歩いて行こうと思い、折り畳み傘を探すが見当たらない。鹿屋で傘をハンドルに括り付けたはずだが、どうやら一緒に括り付けていたスペアタイヤと共にどこかで落としてしまったらしい。

*余談
 ところで野田によれば、今回の宿予約は以下のような経緯だったようで・・・。
・佐多岬まで自転車で往復するから連泊したいのです、と説明する野田。(でも「宿の場所は根占ですよね?」と確認しなかった。)
・船で海釣りに出ないのかとしつこく尋ねる宿。岬に行くだけなら時間は有り余るであろうし、どう過ごすのか不思議に思ったはず。(でも「岬はすぐそこですよ」とは教えてくれなかった。)
 このまま二人の間で宿の場所についての認識ズレが顕在化されることはなかった。
 そして参加メンバーの誰も事前に宿の場所を確認しなかった。
 ・・・間違いは無いに越したことはないが、なかなかそうはいかないもの。
 まかせっきりにするのではなくて、むしろ自分が楽しむ旅なのだから自分で事前確認するのが本来かと反省。


【宮村コメント】志布志 大慈寺(臨済宗)を、朝、お参りした。お釈迦祭りの日だったので、入口で甘茶かけをしていた。歳の数かけるそうだ。加わった浦野君が、途中抜けを止められ、焦ってかけていて可愛かった。本堂内で和尚さんに自衛隊員と間違われそうになった。自衛隊員には座禅をさせるそうだ。時間があればやりたかったが..。和尚さんからこのお寺の歴史やご本尊観音菩薩について拝聴した。
夕食のヒラマサの刺身は、身がプリプリで感動的だった。カンパチの煮つけも堪能できた。
【浦野コメント】この日は志布志お釈迦祭り当日(8日の誕生日でなく祝日開催の方が都合よいのかな)。野田兄が港までNJ氏を迎えに行っている間に大慈寺参拝。境内入り口でお釈迦様への甘茶かけを2~3回。どこかのおばちゃんに「年の数だけかけなきゃダメだよ」と指摘され、結局58回かけざるを得なくなった。
 雨の夕方、「「民宿なぎさ」がないない事件」はGWツアー史上一、二を争うエピソードになりそうだ。
【野田コメント】雨は降るわ、宿はないわ、ナイトランになるわ、で今ツアー一番印象に残った一日となりました。その代償は大きく、翌日から古傷のアキレス腱が痛み出し、最後まで自分を苦しめました。宿については完全に自分の確認不足。グーグルで根占地区を検索してヒットしたのが、この民宿なぎさで、グーグルマップでも根占の街中だったので、信用してしまったのです。別の検索システムで所在地を検証すべきでした。グーグルの宿マップを信用してはダメ。読者の皆さん、ご注意を!


4日目:4/30(火) 佐多馬籠→佐多岬→佐多馬籠 (6.8km) 雨のち曇り
 メンバ:野田、那珂、宮村、小澤、浦野、野田潤
 (浦野記:2019/5/29)

 平成最後の日、佐多岬周辺は前日からの雨がさらに強くなった。本来ならこの日は根占・佐多岬間を往復する70km強の予定であったが、幸か不幸か前日のうちに佐多岬の数キロ手前の田尻まで走ったおかげでこの日は岬まで往復しても5~6kmという楽勝コースとなった。
 そもそも今回の南九州ツアー、年始の飲み会で「学生時代、自転車通行止めで行けなかった佐多岬に行ってみたい」という浦野の要望を受け野田兄が計画してくれたコースだ。よって自分的にはこの日の佐多岬到達が今ツアーのハイライトである。
 朝食後しばらく待機するも雨は一向に弱まる気配がなく、意を決して10時過ぎに岬に向かうことにする。ここで、あくまでも自転車で岬まで行こうというこだわり派3人と、宿で傘を借りて歩いて往復しようという合理派3人に分かれた。誰がどちらであったかはここでは書くまい(ヘルメット、傘の有無などで判別可)。自転車組は岬のモニュメントまで10分強で到着、徒歩組を待つ。全員揃ったところで記念撮影しさらに数百m先の駐車場まで移動する。

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モニュメント前で記念撮影 | 平成最終日の記念。浦野は好物のソフトクリームをいただく

 ここからは全員徒歩で岬の展望台を目指す。相変わらずの雨の中、自転車組はレインコートやウィンドブレーカーを着てはいるが「最後は歩きになることが判っていたのになんで傘を借りて来なかったんだろう」と後悔するが後の祭り。小澤氏とNJ氏は相合傘と微笑ましいが「私が借りてきた傘なのに肩が濡れてるじゃない。ちゃんとエスコートしてよね!」とは当然の女性心理(心の声)か。

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握りしめた拳にNJ氏の怒りを見た | 御埼神社。一人たそがれる那珂氏

 途中、御崎神社でお参り。ツアー中、各地で御朱印をいただくことに情熱を燃やしていた宮村さんと野田兄だが、ここで野田兄が駐車場まで御朱印帳を取りに戻ったためしばし休憩。さらに進んでいよいよ岬の展望台へ。

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土砂降りの中での記念写真。雨粒まで写ってます。

 自分としては38年来の宿題をようやく済ませる気分だ。どんな感動が待ち受けているかと期待したが、晴天なら見えるはずの種子島や屋久島はもちろん、薩摩半島の開聞岳もほとんど見えない。大学1年目の春、一緒に九州を走った那珂氏は「もう一度佐多岬に来る理由ができた」と前向きな感想だが、自分としては「佐多岬に来た」という事実だけで満足してしまった。雨の中、灯台を背景に記念撮影を済ませ帰路につく。佐多岬灯台守の官舎跡地を見学、うっそうと茂る亜熱帯植物に埋もれた感じで立入り禁止となっていた御崎神社参道を横目に駐車場へ戻る。

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灯台守の官舎跡 | 御埼神社参道。奥に先程参拝した社が見える(要心眼)。

 昼食は宿から徒歩15分程の「さたでい号」乗船口の食堂で何かしら食べられそう、とは宿で聞いた情報だ。ようやく小降りになった雨の中、徒歩組3人、自転車組2人(N氏とU氏)、自転車→徒歩への転向者1人(賢明にも宿でさっぱり着替えたO氏)、三々五々さたでい号乗船口の食堂へ向かう。

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岬からの帰り道 | 閑古鳥で賑わうさたでい号乗船口。

 さたでい号とは半潜水型水中展望船のことらしいが土曜日しか運航しないのかな?という疑問を持ちつつ覗いてみれば、Saturday号ではなく「さた」は佐多岬の「さた」に掛けているらしい(本当か?「でい」の由来は判らずじまい)。この天候では海も濁って海中展望もままなるまい。案の定、GWにもかかわらず閑古鳥鳴きまくり状態だった。食堂とは名ばかりでメニューはカレー、各種うどん・そば+αという感じ。自分がカレーを注文したところでちょうど白米が底をついたようで、おばちゃんが壁のカレーライスの値札をひっくり返したのは良いが「おにぎりの値札がそのままですよ、注文があったらどうするの?」とは自分を含む数人が心配したことであった。
 宿泊:民宿なぎさ

 昼食を済ませ、宿に戻った後は昼寝する者、自転車を掃除する者、早めのお風呂でさっぱりする者等、思い思いに過ごした。こうなるとお楽しみは何といっても食べること。さして運動もしていないのに相変わらず食欲だけは旺盛だ。夕食に小鉢で出てきた「亀の手」なる珍味。この年になって初めてお目にかかる一品で、見た目は確かに亀の手(前肢)に似ている。「本当に亀の手なの?」、「そんな訳ないやんか。亀の手に似ているだけや」とひとしきり夕食の話題となった(後日調べたところ、甲殻類に分類されるカニやエビの仲間。フジツボの親戚とのこと)。

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珍味亀の手。お味の方は・・・微妙?!

【宮村コメント】佐多岬へ散歩。霧雨にむせぶ岬の遊歩道。曇天の亜熱帯ジャングルってこんな感じでは。かつて灯台守が暮らした石つくりの官舎跡まで歩いた。この石は溶結凝灰岩では。鹿児島の古い建築物に凝灰岩がほんとによく使われている。
夕食。昨日に近いが、ヒゲダイの焼物が加わり、珍味カメノテに遭遇できた。
【那珂コメント】メインテーマの佐多岬は雨でちょっと残念。帰りはうまいことバスに乗せてもらい、普通の旅行みたいな気分を味わう。昼食を終えて14時頃に宿に戻り、各自思い思いに平成最後の日を過ごす。
【野田コメント】バス終点のちょっと手前に、宗谷岬と似たような「本土最南端佐多岬」のモニュメントがあり、そこに4サイドバッグのサイクリストがいたので、声を掛けると、日本1周中でここがゴールとのこと。途中、沖縄でバイトをしながら1年がかりで、ここからは関東の自宅まで走って帰るらしい。4人で記念撮影して別れる。


Map, Click to Popup 5日目:5/1(水) 佐多馬籠→根占=フェリー=山川→西大山→枕崎 (77.7km/1015m) 小雨、北西の風
 メンバ:野田、那珂、宮村、浦野、野田潤、(離脱)小澤、(合流)DAZ、アコ
 (宮村記:2019/5/12)

 令和初日、根占9時発フェリー乗船までに、32km(獲得標高約500m)をクリアするため、野田くん5時先発、後発隊5時25分出発。ぐずついた天気の中、那珂くんの不思議な一日が始まった。那珂くんの話はレポートを読んでいくと分かります。
 後発隊は、出発すぐ大泊へ向かう登りで2組に分裂。距離長く獲得標高もやや高いが、なだらかな旧有料道路組と、急こう配だが距離が短い公園線組に。公園線組は、月曜に落としたタイヤ&折畳み傘入り袋を捜すために、同じ道をたどりたい那珂くん、行きを押して登ったのでリベンジしたい宮村。ただ戻りは、急こう配が行きに比べ半分ぐらいになり楽だった。5時50分ごろ、大泊の伊座敷に向かう分岐で、後発隊は合体。
 6時25分、大泊からの登りの終点、西方トンネル入口に到着。先着していた浦野・那珂コンビが、私よりとても高齢な風情のキャンピングバイクに跨ったシニアと談笑していた。昨日、佐多岬を訪れ、大泊でキャンプし北上しているらしい。このバイタリティは見習いたい。約2分後まだ休憩中の彼に見送られ、伊座敷へ。6時40分ごろ、雨が強まりそうだったので、伊座敷JA佐多ガソリンスタンドに停止し雨具を羽織った。準備中に先ほどのシニアが通過したので、手を振り見送った。10分後ガソリンスタンドを出発。少し走ると大川洞門手前のベンチに腰かけている彼を発見、またまた見送り返された。雨はパラつく程度で、ほぼ無風だったので、先頭の那珂くんに引かれ順調に走行、見送りあいは、ここまでだった。
 7時45分ごろ、フェリーなんきゅう根占営業所に到着。野田くんと無事に合流。野田くんは、西方トンネルへ登坂中、あのシニアを早々に、抜かしたと誇っていた。那珂くんは、根占の出光ガソリンスタンド周辺を、一昨日、タイヤと折畳み傘を落とした場所では、と考えていて、再度さがしに戻って行った。

『那珂くんの不思議な一日の一: しばらくして、野田くんは那珂くんから電話を受けた。「フェリー乗り場近くのコンビニの洗面室、温風乾燥機の上に野田くんカメラらしい機材があるが、忘れてないか?」と。那珂くんは、昨日の佐多岬散歩でもレインコートを紛失、その購入とトイレのため、コンビニに寄ったのだった。そこでカメラに呼ばれたような気がしたらしい。残念ながら、彼の落とし物は見つからなかったが。』


 大隅半島→薩摩半島山川までの船旅は9時から50分間だった。海面ギリギリを飛ぶトビウオをわずかに見かけるだけで、海は霧のベールに包まれていた。小澤くんは到着後すぐ離脱、鹿児島空港へ。今回はじめてご一緒したが、いつも引いてくれてありがとう。10時少し前、我々も山川砂蒸し温泉めざし出発。相変わらず小雨。すぐに驚くほどの激坂に遭遇。

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山川港

『那珂くんの不思議な一日の二: 彼は、快調に激坂をクリア後、下りに入り、すぐの左カーブ、後ろをわずかに気にしただけにもかかわらず、左縁石に接触しそうになり転倒してしまった。その瞬間、衝撃を和らげたいと思念したそうで、そのとおりの結果になった。つまり、不思議に、縁石や周囲のコンクリートに激突せず、縁石が途切れ柔らかい土となったところに転んだのだった。レインコートとヘルメットに泥がついただけで、彼の愛車キャノンデールも無事だった。』


 芋畑や豆畑を両側に、地熱発電所を右手奥に見ながら走り、10時25分ごろ、山川砂蒸し温泉方向へ左折。15度前後の急な下りをブレーキングしながら勢いよく進むも束の間、連なる赤テールランプ群に阻まれた。浦野くんが交通整理係のおじさんに尋ねると最後尾からだと3時間待ちとのことだった。激坂を下ってしまうと登りが嫌だった浦野くん、野田くん、宮村は、その場に停止するも、時すでに遅く、潤子さんと那珂くんは下の方へ。野田くんは、引き返しを相談しようと自転車を置き、歩いて追った。しかし、二人の姿は小さくなり、霧雨&湯けむりに消えていった。浦野くんも温泉バックに写真撮影しようと二人を追って行った。残った二人は、砂蒸し温泉の経験があり、ゴールデンウィークに集中した車と人の多さに萎え、彼らにTelして途中待機。3人が買ってきた温泉蒸しサツマ芋を、皆で頬張り、気分を変え、10時55分、JR日本最南端の駅、西大山駅へ出発。

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山川砂蒸し温泉で蒸しさつま芋

 11時20分、西大山駅着。駅前の“かいもん食堂”で昼食。全員、カレーから三角錐のご飯が突き出る“かいもんカレー”を頼む。その後、ホームで、雨の中、垂れこめた雲間から少し姿をみせる開聞岳をバックに記念撮影。

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西大山駅かいもん食堂 | 西大山駅と開聞岳

『那珂くんの不思議な一日の三: 那珂くんは、水入りのペットボトルと“ソルティーライチ”入り“ソルティーライチ”ボトルをもっていた。出発準備に、彼はペットボトルの水を使い、レインコートなどの泥洗浄に余念がなかった。ただ、いつからか、手に握られたボトルが“ソルティーライチ”になっており、それでヘルメットを洗ってしまった。放心した瞬間を野田くんが見つけ、周知に。すぐに水洗したが、その後もヘルメットは少しベトついていたらしい。』


 12時25分、開聞駅近くの薩摩一之宮 枚聞(ひらきき)神社に向かって出発。
 12時45分ごろ枚聞神社着、参詣。13時5分、3組に分裂。那珂・浦野コンビは開聞岳一周後、枕崎へ。宮村・潤子さんコンビはそのまま枕﨑へ。野田くんはアキレス腱が痛いようで開門→枕崎駅、輪行。
 雨は次第に弱くなり始めたが、寒さがやや強まった。宮村・潤子さんコンビは、中間点手前のコンビニで15分ほど休憩しつつ走行した。単調で飽きそうになってきたところで、潤子さんが運よく、「タツノオトシゴハウス」(番所鼻)、“日本で唯一タツノオトシゴ養殖”、“入場無料”という看板を目ざとく見つけ立ち寄ることに(14時20分ごろ)。ハウスは国内外の様々なタツノオトシゴ(英名シーホース)を養殖していた。温暖だから養殖しやすいのだろうか。今日5/1に誕生した糸くずみたいな赤ちゃんを虫眼鏡で見ると、ちゃんとタツノオトシゴの形をしていてびっくりした。外に出ると“番所鼻”という小さな湾の端と端をつなぐ溶岩の小道“竜宮の道”を家族づれが渡っていたので、行ってみた。時たま小波が打ち寄せ、ちょっとスリルがあった。
 我々は立ち寄らなかったが、DAZ・アコ夫妻が立ち寄った鍋蓋神社も楽しかったらしい。15時10分、番所鼻発。

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番所鼻“竜宮の道”と開聞岳

 16時、枕崎の旭旅館着。先に着いた野田くんは風呂をすませていた。時間をおかず、鹿児島空港10:40着、指宿までバス輪行し、13時ごろスタートしたDAZ・アコ夫妻が到着。那珂・浦野コンビ到着。

 宿泊:旭旅館
 夕食は、旅館近くの居酒屋“ふくろう”。カツオ・ヤリイカの子・甘エビの刺身、枝豆、とり天、ハラガワの天ぷらと焼物、エビ・豚・鶏の串焼きを食した。今日も食事に堪能できた。二日目に続き、焼物と串焼きの順番じゃんけん。ここでは宮村も少し勝負にからめたかも。
 那珂くんの不思議なことについて、開聞岳→枕崎では聞いていないので、枚聞神社が効いたか。兎に角、転倒時にケガ無く良かったです。

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居酒屋で夕食

【那珂コメント】宮村さんのレポートに書いて頂いた如く、何やら変調をきたしていたのか単に地が出たのか?この日から始まる令和の時代をどう生きて行けるかの問題!さて前記の銀輪別冊を読むと西大山駅では駐輪場にテントを張って3人で泊まったことになっている。浦野君は覚えているだろうか?(もちろん私は覚えていない)
【浦野コメント】枚聞(ヒラキキ)神社参拝の後、那珂氏と二人で開聞岳南岸ルートを回った。この南岸ルートは当初予定されたコースだったが、分岐が判りにくいうえ最初の数キロは採光用の天窓があるだけの狭く暗いトンネルが複数続くマニアックな道だった。
【野田コメント】開聞の町から枕崎までの道は国道しかなく、結構アップダウンがきつい上に、雨はそのうち止むだろうが強烈な向かい風だ。アキレス腱も痛いので、このGWツアーが始まってから、初めて途中輪行することに。開聞駅は駅舎がないので、ホームでチャリを分解する。重たいチャリを担ぐことなく列車に乗り込むことができた。ラッキーだった。枕崎駅には約50分で着くと雨はちょうど止んでいた。ここ枕崎駅は本土最南端の始発終着駅であり、本土最北端同駅の稚内駅までは全長3099.5kmあると書いてあった。
【DAZコメント】*途中から走って合流* 鹿児島空港からバス輪行。バスの行先は、晴れなら指宿行きに乗り、指宿から自転車で走る、雨なら枕崎行き(宿までバスで直行)、と事前計画していた。雨が降り続いていたけど午後には上がるだろうと判断して指宿行きを選択したところ、雨なのに走るの?と浦野さんからメール受信。山川桟橋に1320着、昼食を終えたころ雨もほぼ止んで、本隊を追いかけた。途中の釜蓋神社では、かまふた願掛けかぶりというのに挑戦。頭の上に木製の釜蓋を載せて、手を使わずに落とさないようバランスを取りながら、鳥居から賽銭箱まで歩いてお参り出来たら願いが叶うというもので、なかなか難しくて何回もトライするのだが、はたから見ているとけっこう可笑しく楽しめた。夕方宿で本体に合流し、再会を喜びつつ、ここまでの大変だった出来事など聞かせてもらった。

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釜蓋神社

Photo, Click to Popup 6日目:5/2(木) 枕崎→鹿児島(→桜島、島内サイクリング→鹿児島) (75km/580m) 晴れ
 メンバ:野田、那珂、宮村、浦野、野田潤、DAZ、アコ
 (DAZ記:2019/7/15)

 朝5時ころから順次起床。今日からは晴天!浦野さんと那珂さんは火の国公園へ、野田さんと宮村さんは市場方面へ、それぞれ朝のランへ向かう。ダズは、自転車にアコの鍵が通されていて動かせないので徒歩で港方面に散策に向かう。枕崎の市内では、ガードレール上やいろんなところにカツオの像や種々のアート作品が飾られていた。
 7時から朝食。醤油が沈殿していたり、海苔が袋の中で固まっていたり、で、朝食の提供は久しぶりなのかな?とも思える旭旅館だった。朝からおひつを2つ空にして、8時出発。

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カツオ | 旭旅館出発

 野田さんがトップを引いてくれ、市内の細かい道もスイスイ進む。6日目に入っている野田さんはアキレス腱の痛みが出ているとのこと。カツオで有名な枕崎の市内には鰹節工場が多く、鰹節製造に用いるマキを積んだコンテナがあちこちにたくさん見られるのが印象的である。鰹節のにおいがあちこちで漂っている。宮村さんは味の素のお仕事でこの枕崎をたびたび訪れているとのことだ。

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マキコンテナ

 県道34号線で知覧方面へ進む。8時50分ころ、お茶畑の中の小道にて休憩。あす鹿児島市内観光に時間を割くことを考えると、桜島へ渡って島内ランをするのは今日、ということになり、さらに本日は知覧での見学ポイントも複数あることから、休憩は短めに!と浦野さんが皆をせかして再出発。

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お茶畑1 | お茶畑2

 9時40分、「三角兵舎跡」に到着。ここは、特攻隊員たちが出撃までの数日間を過ごした兵舎の跡地で、薄暗い兵舎の中で家族への手紙や遺書などを書いたりしていたそうだ。清掃・洗濯などの世話に動員された知覧高等女学校の生徒さんの手記なども読むことができた。那珂さんと浦野さんは、学生時代に行ったとの記憶だったが、実際に来てみた結果、当時は来ていなかったとの結論に。

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三角兵舎跡 苔むした山道 | 三角兵舎跡 碑

 10時10分、知覧平和公園に到着。11時に出発する予定として、知覧特攻平和会館の見学などそれぞれ自由に過ごす。特攻平和会館の展示については説明不要と思うが、数々の遺品・手紙の中に記された隊員たちの想いに圧倒され、そう遠くない過去にこのような事実があったこと、現代の平和な社会に生きている有難さ、をかみしめる。特攻平和会館を出ると明るい日差しの中、知覧茶販売のテントでいろいろな種類の新茶を振る舞っていて、販売員さんの明るさにほっとしてお茶のおいしさをかみしめ、ひとつ購入。宮村さんもいくつか購入。
 ベンチで待っていた野田さん、潤子さんと合流し、茶店で抹茶ラテや抹茶ソフトも楽しみ、さらに焼き芋とアクマキ(南九州で端午の節句に作られる季節の和菓子)を購入。明るい気分を取り戻す。

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平和公園 飛行機 | 平和公園 お茶店

 少々時間が押したが11時少し過ぎてから出発、次に武家屋敷通りへ向かう。この旅の間、御朱印の収集に余念のない野田さんと宮村さんは、豊玉姫神社へ参拝してから本隊と再合流。武家屋敷通りの見学は、通りを散策するだけなら無料で、庭園の見学もする場合は有料となるが、我々は通りのみ。けっこう長いので、半分くらいのところで引き返す。

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武家屋敷通り

 さてそろそろお昼を食べようと、周辺の蕎麦屋さんを2件当たったが、GWのさなかでどちらも混んでいて相当待たなければ入れない。このあとの予定もあるため仕方がないのでファミリーマートで買い出しして、日差しが強いので日陰を探し、みな思い思いの場所に座り込んで昼食とする。野田さんの奥さんの実家が鹿児島(だったかな?)ということで野田さん家ではアクマキをよく食べた、というお話で、さっき買ったアクマキを適当に切り分けて何人かで平らげた。浦野さんは精力的に城跡見学にも向かうが、皆が昼食を終えて出発するまでにもう戻ってきて再合流。
 ここからは県道23号線で手蓑峠(350m)の登りとなる。フリーランで登り、13時40分ころ峠着。

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手蓑峠1 | 手蓑峠2

 峠からしばらく下ったところで、今日桜島へ渡って島内ランをする本隊と、アキレス腱が痛いので桜島をパスする野田さんとに分隊。
 国道226号から産業道路(県道219、217)に入って交通量が多い中をひたすら走り、鹿児島市内を桜島行フェリーターミナルへ直行し、15時過ぎに到着。フェリー乗船時間はほんの15分程度なのだが、船内のうどんがおすすめとの浦野さん情報により、食べてみた。実際人気があるらしく、我々の後にも次々お客さんが来て注文していた。味の方は、まぁ普通のうどんだった。

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フェリー内から桜島をバックに

 15時57分にフェリーは桜島に到着、下船してすぐにアコがパンク。おそらく下船口の鉄製凸凹路での衝撃によるものと思う。すぐ近くの桜島ビジターセンターで待っていてもらうことにして、パンク修理。ビジターセンターでコース相談し、既に16時を過ぎて時間も限られていることから全てを満喫するのは無理なので、二手に分隊することにした。桜島をぐるりと一周(約35km)して、溶岩地帯や埋没鳥居などの見所をめぐる島一周チームが浦野さん、那珂さん、潤子さん。湯平展望台(標高373m)に上がり、噴火口をより間近にみる展望台チームが宮村さん、アコ、ダズ。
 >>>桜島一周(別働部分)の那珂レポート参照


 島一周チームは先に出発したが、展望台チームはパンク修理して着いたばかりなので、もう少し休憩してシャーベットを食べたりしてから16時22分スタート。登り口を見つける手前で少々迷ったりしたが、分岐に入ればあとは意外と順調に進み、勾配も最初に急な箇所があったほかは予想より無理なく適度な感じで、3人とも快調に登って17時20分ころ展望台着。

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展望台ピーク駐車場 | 展望台 看板

 ここまでくると、少々怖さを感じるくらいの迫力で桜島の荒々しい姿を間近に見られ、がんばって登って良かったなあ、とうれしくなった。展望所の看板では記念写真を撮るために観光客が順番に並んで、次の番の人にカメラを渡して撮ってもらっていたので、僕らの時は筆者のスマホを次の人に渡して撮ってもらおうとしたのだが、シャッターを押そうとした瞬間に電話がかかってきて「おや電話みたいですよ。」と返されたので、ガクッとなりつつ慌てて受け取り、とりあえず電話を切ってもう一度渡し、なんとか撮ってもらった。この絶妙なタイミングでの電話は野田さんからで、いったん切ったつもりだったが実は切れてなくてずっと繋がっていたみたいで、電話の向こうの野田さんにも「じゃあ撮りますよ~」とか良く分からない声がしばらく聞こえていてなんじゃこりゃ、と思ったようである。
 そのあと野田さんに、桜島についてから2隊に分かれたこと、現在の状況と大体の到着予想などをお伝えして、夕食をどうするか(皆で食べるかバラバラになるか?)など野田さんに検討してもらう。基本的には皆で食べようよということで、まずは名残惜しいが眺望を満喫したら速やかに下って鹿児島へ戻ることに。
 どうにか明るいうちに帰りのフェリーに乗船することができ、船中からもう一度野田さんに連絡を取る。鹿児島に到着すると野田さんがフェリーターミナルまで迎えにきてくれていて、市街地の中をスムーズに宿まで先導していただき、本日の宿 東横イン天文館Ⅱに無事到着。チェックイン時に割引のため東横インの会員に入会することとなり、カウンターで写真を撮られて、寝ぐせならぬヘルメットぐせのついたボーボーの髪で変な顔の写真が会員証に印刷されてしまった。

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フェリー下船時

 宿泊:東横イン 天文館II

 部屋でシャワーを浴びてさっぱりしたら、ちょうど島一周チームも無事到着したところで、チェックイン。洗濯を開始してから先発隊で晩御飯へ出かけ、客引きのお兄さんの誘いのままに近くの居酒屋さん「かこみ庵」に入り、少々遅めの晩御飯は20時ころスタート。島一周チームもさっぱりしてから合流し、互いのランを報告しつつ九州名物をいろいろ頼んで晩御飯を楽しむ。そしてお酒が入ったせいか、都会に来たせいか、このあとさらに鹿児島ラーメンを食べようということになり、ネット検索して目標の店を「豚とろ」に定め、まずは居酒屋を出て一次会終了、全員でラーメンに向かう。

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居酒屋を出たところ

 移動の途中、空いているラーメン屋もいくつかあったが初志貫徹して検索で選んだ「豚とろ」へ向かうと行列が出来ていた。が、きっと美味しいからだろうということで我々も列に並び、割と回転は速いのでそんなに待たずに入れたが、中もお客さんがびっしり。でもラーメンは期待通りうまかった。筆者はラーメンに詳しくないので上手い解説はできませんが、詳しくは他の方々のコメントを参照してください。

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豚とろ前の行列 | 豚とろラーメン
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夜の東横イン前に帰ってきた

 満腹になってもう22時半、本日はこれにて終了!


【宮村コメント】知覧では、いろいろなお店の新茶を試飲できて楽しかった。豊玉姫神社は 海神(わたつみ)とその娘、豊玉姫が祭られているとのこと。特攻隊の地を暖かく包み、清めているような気がする。 桜島に渡り、標高373m湯之平展望所をどうしようと思ったが、登って良かった。桜島のちょっと恐いスケールの大きさを肌で感じられた。
 夜は鹿児島ラーメン。代表の“こむらさき”がすでに終了しており、“豚とろ”天文館本店に入った。ふつうのラーメンを注文。そうしつこくない豚骨スープに鰹だしが軽く効き、麺がもちもちし、トロトロのチャーシューがけっこう入り、満足感が高かった。
【那珂コメント】三角兵舎跡や知覧平和公園は今回初めて訪れたようだ。一部には学生時代に来たという説もあったが、前記銀輪別冊によれば今回とは別のルートを走ったことが記されていた。ここでは改めて先の大戦のことを勉強。子供達にも知ってもらわないとね。
【浦野コメント】38年ぶり(那珂氏と意見・記憶の相違あり)の知覧特攻平和会館はすっかり観光地となっていた。でも重いテーマにもかかわらず人が多かったのはいい意味で意外だった。昼食後、一人で知覧城趾まで足を延ばした。桜島一週ではNJ氏の粘り強さに感心することしきり。
【野田コメント】早朝、市場へ行くと、ちょうど獲れた魚を水揚げしており、その周りにはカモメがいっぱいいて、虎視眈々と小魚を狙っている。屋根の上に等間隔で並ぶ鳥群には怖ささえ感じる。カモメが盗もうと地上から近づくと、漁師が木箱を投げつけて牽制するのだが、その隙を狙って別のかもめが空中から急降下して木箱の小サバを足でゲット。このやり取りが面白くてしばらく観察。

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狙うカモメ | 狙われる小サバ

 枕崎を出発して知覧茶畑通りを走ってると、畑の中に、足の長い乗り物がいてゆっくりと動いている。どうも茶葉を人が機械を操作して刈り取っているようだ。茶畑は宇治や静岡などでよく見かけるが、こんな農機は初めてみた。これも高齢化の影響だろうか

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茶摘みの農機

Photo, Click to Popup 7日目:5/3(金) 鹿児島→湯之尾温泉  (65km/649m) 晴れ時々薄曇り
 メンバ:野田、那珂、宮村、浦野、野田潤、DAZ、アコ
 (野田潤記:2020/1/7)

【NJは見た!Season4 5月3日発生事件簿ベストテン!!】
 (注)今回は書き始めが12月と、ツアーから7か月も経ってしまいました。ここ何年か物忘れが激し過ぎるNJは、ツアー帰りの電車の中で忘れないようにとベスト10の出来事をメモしました。これで大丈夫。安心しきったNJ。
 7か月後、いざ書こうとメモを読み始めました。まずい…。その時の状況が甦らない・・・。
 一部もとい大量の記憶の曖昧さを埋めるため、想像による脚色が多々ありますことをお許しください。なお、順位は時系列であり、事件の大きさではありません。

*第10位 すまん、アコ氏。犯人は・・・
 東横インホテルの無料朝食サービス。食べる気満々のNJは、7時開始の15分前からエレベータ前の列に並び始めた。暇を持て余すNJ、人間ウォッチングを開始。テーブルには60代位だろうか、一人の男性が缶ビールを片手にうれしそうに飲んでいる。しばらくすると、エレベータから赤ちゃんを抱いた若い女性が年配の女性と共に降りてきた。と、間髪入れず、「お母さん、信じられん!お父さん、運転する気全くないやん。ビール飲んでる!」怒声が響いた途端、男性の顔から一気に血の気が引いた。天国から地獄とはこのことか。その後、ねちねち小言を言い続ける娘の横で、男性はちびちびとビールを飲むのであった。
 7時、列が進み始める。ほうれん草炒め、かぼちゃサラダ、オクラの酢の物、ナスの挽き肉炒め、スクランブルエッグ、ウインナー、おにぎり、味噌汁、バナナ、意外にも野菜が多いではないか。ツアー中の野菜不足をここで一気に取り戻そうとするNJ、ここぞとばかりにプレートに施された9つの小さな区画をものともせず、野菜をてんこ盛りにして朝食を満喫。食事後エレベータのボタンを押して、ふと料理の並んだテーブルを見た。
 野菜がない・・・。そこには、もやしのナムルっぽい料理ともう1品野菜があっただろうか。
 !!もしや、野菜料理は補充されない仕組みなのか?
 朝食に出遅れたアコ氏、たいそう貧相な朝食だったそう。すまん、アコ氏。犯人は私だ・・・。

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とー!

*第9位 那珂氏、びびる
 8:10ホテル前で恒例の出発写真。ここで、維新ふるさと館にどうしても行かねばなりません状態の浦野氏と別れ、一行は西郷隆盛が祀られている南州神社に向かった。さすが、鹿児島市中心部。黄色の市営バスと市電、ポップなヤシ柄のかごしま交通バスと一般車が入り乱れた中を、自転車軍団はさっそうと走り抜けて行った。15分ほどで南州神社に到着。
 高台にある西郷隆盛のお墓に参り、いざご朱印を・・・。気持ちのはやる宮村氏と野田兄の前に容赦なく、社務所の窓はぴったり閉じていた。やはり、まだ早かったか。静まり返った境内には、猫が一匹寝転がっている。近づいてもいっこうに逃げる気配はない。しばし戯れるも、宮村氏がカチャカチャと何かの音を鳴らしながら近づいてくると、危険を察知したのかスッと去っていった。
 南州公園の広場に立つと、目の前には雄大な桜島と錦江湾が・・・。低すぎた。ゴルフ練習場の大きな緑のネットがかぶっているではないか。せっかくの展望が・・・。残念がっているNJの横で、今朝早く城山展望台をポタリングした那珂氏、その絶景を納めた写真を見せてくれた。さすが標高107m、市街地の向こうにそびえ立つ桜島と錦江湾が見事に納まっていた。しかし、その写真の裏には世にも恐ろしい光景が・・・。
 桜島に向かってラジオ体操をしているひとりの老人。なぜか裸体(上半身)・・・。その光景にびびった那珂氏、声をかける勇気はなかった。普段から人あたりの良い那珂氏をもびびらせるその光景こそ、ぜひ写真に納めてほしかったと思うNJであった。

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早朝の南洲神社と猫 | 城山展望台からの桜島(クリックで別写真)

*第8位 講釈師、野田兄
 いよいよ、本日のメイン世界文化遺産「旧集成館」へ。さすがGW真っ只中。国道10号線の渋滞を横目に、自転車軍団は悠々と旧集成館の駐車場へ。どうやらこの渋滞は、旧集成館の駐車場待ちのようである。自転車軍団の誰もが、優越感を感じた瞬間であった。
 入園券を購入し正面入口に来ると、どこから来たのかと係員に尋ねられた。調査とのことで、東京、神奈川、兵庫、石川と答えると、なんと石川は今日一人目。これまた優越感を感じながら、反射炉跡へ。鉄と聞けば、説明しないではいられない野田兄。石でできた土台を見ながらああだこうだとその構造を講釈するも、結局土台だけでは今一わからないと結論付けるのであった。
 奥に進むと、大河ドラマ「西郷どん」の撮影地、島津家別邸「仙巌園」に入った。目前には桜島と錦江湾が。まるで、庭園の一部のようである。どうやら、「西郷どん」ではここで相撲のシーンが撮られたとのこと。皆「西郷どん」を見ていたらしく、ここに○○が座っていたとか、○○と相撲をとってとか、楽しそうに話している。「西郷どん」を見ていなかったNJにはさっぱり?の会話だったが、武家の伝統「五月幟」が立った庭園で、桜島をバックに皆相撲ポーズで記念撮影。

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仙巌園 | 相撲見場で

*第7位 ひそかな戦い
 尚古集成館に向かう一行。正面入口から出ようとしたとき、どうしても気になったNJ。係員に尋ねた。「石川は、何人になりました?」1人のままと思い込んでいたNJ、「4人」との答えに日本は狭いと思うのであった。
 ご朱印集めに余念のない宮村氏と野田兄。南州神社のリベンジと、手前の鶴嶺神社に向かう。
 「ご朱印お願いします。」ご朱印帳を片手に待つ二人。そこに出てきたのは、鶴嶺神社の印が押された薄い紙1枚であった。どうやら、ご朱印帳にこれを貼れということらしい。見つめ合う二人。すかさず、野田兄が声をかける。「宮村さん、どうぞ。」躊躇しながらも、宮村氏はお金を払うとご朱印帳に紙を挟んだ。それを見た野田兄、やはり欲しくなったのか結局ご朱印をゲット。そのとき、宮村氏がご朱印帳をめくりながら、ぼそっと言った。「枚聞神社のご朱印の字、野田君の方が良かったんだよな・・・。」
 二人の間にひそかに繰り広げられている攻防に、初めて気づいたNJであった。

*第6位 メルヘン浦野氏
 尚古集成館と薩摩切子工場を見学し、2時間15分を満喫した一行は11:20に昼飯を求めて出発。浦野氏に連絡するも、いまだ返事はない。大きな桜島を右手に、磯の香りが漂う中を気持ちよく走行。しかし、反対車線は「旧集成館」に向かう車で大渋滞。さすが世界遺産、その渋滞は5kmも続くのであった。
 11:55、重富駅手前で大きめのラーメン屋「ほんき」を発見。けっこう車が停まっている。うまいのか?昨夜の鹿児島ラーメンとの連ちゃんを全く気にしない一行。中に入る。「らっしゃーい。」威勢のいい声が響く。けっこう広い店内は、お客でぎっしり。既に2組が、席が空くのを待っている。地元民らしい人も居そうだ。カウンターに面した厨房では、5人の職人がラーメンの湯切りやフライパンをかき回して忙しそうだ。食券を購入し、順番を待つ。那珂氏、この間に浦野氏が合流することを期待しつつ、現在地をメールする。15分ほどでカウンターに案内された。出てきたラーメンは、意外にもあっさり味。昨夜の背脂たっぷり「豚とろラーメン」とは、全く異なる。しかし、うまい。店の名のとおり本気度を感じさせる味だ。お隣の那珂氏から餃子をもらって、さらに上機嫌のNJ。行方不明の浦野氏を心配しつつも、皆で店を後にしコンビニへ。
 ようやく浦野氏と連絡がつく。思いのほか「維新ふるさと館」の人形劇にはまった浦野氏、「旧集成館」には11:45に着くも皆出発したあと。急いで追いかけたらしい。そして、なぜか我らを追い越し、重富駅前の「すき家」でご昼食。駅前の交差点で我らを待っていた。どうやらラーメン屋の手前のY字路で、我らと違う道を行き、追い越してしまったようである。いつでも弾丸走行の浦野氏、その裏に潜むメルヘンチックな一面に気づいてしまったNJなのであった。

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あやしい黒マスク | ほんきでラーメン

*第5位 被写体、浦野号
 人吉街道(栗木加治木線)をひたすら北上し、15:20肥薩線「大隈横川駅」に到着。1903年に建てられた趣のある百年木造駅舎だ。無人駅ながら、観光列車「はやての風」が停車するらしい。ホームに入ると、柱に看板がある。「機銃掃射貫通の穴」戦争の爪あとだ。アキレス腱の痛みが激しい野田兄は、駅舎の木造長いすに寝転がっている。「今日のレポートは誰だっけ?」ダズ氏「潤子さんかな?僕は昨日だったし、アコはとうとうレポート担当から外されたから・・・。」そう、この3年間、ダズ氏は夫婦連帯責任でアコ氏のレポートも書いていたのだった。なんとも温かな夫婦愛である。
 一方、浦野氏はなにやら自分の自転車を駅舎の前に移動してきた。どうやら、駅舎をバックに愛車の記念撮影をしたいらしい。カメラを構えた浦野氏、満足したのか駅舎の中を見学し始めた。さて、放置された浦野号、その後多くの観光客の写真に納まることになるのであった。

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機銃掃射の跡 | 痛くて横になる
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大隈横川駅と浦野号

*第4位 高齢者ドライバー
 15:50名水百選に向かって出発。16:20「霧島山麓丸池湧水」に到着。丸池を中心に、けっこう広くてきれいな公園になっている。湧水採取場のすぐ向かいには、ソフトやプリンなどが売っているこ洒落た売店もある。この湧き水、霧島山麓を水源に地下40mから湧き出るミネラル分に富んだ天然水とのこと。皆でボトルに入れて飲む。冷たくてうまい。
 丸池の周りを散策して戻ると、ダズ氏とアコ氏がベンチで出会ったおばあさんと談話している。なんと、御年90歳で車の運転をしているらしい。その夜、ニュースで74歳の女性ドライバーが交通事故を起こしたとの報道が流れていた。もはや74歳では、高齢者ドライバーとは言えない世の中になってきたと思うNJであった。

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ダズダンスat霧島山麓丸池湧水

*第3位 屋根より高い
 本日のお宿、湯之尾温泉ガラッパ荘を探すもなかなか見つからない。狭い道を右往左往に曲がり、結局主要道路に出る。上り坂だ。まだ先なのか?左側は覗き込まないと見えないくらいの谷川だ。宿の気配はない。ようやく上りきった先に建物が見えた。着いたか、と思った矢先、左手の木々の合間からカラフルな何かが目に入った。
 こいのぼりだ!赤、青、緑、黒、金、色とりどりのこいのぼりが向こうの対岸まで何十匹も、流れ落ちる滝の上で元気に泳いでいるではないか。絶景である。これまでの疲れが、一気に吹き飛んだ。小さい立て看板には、「ゆのお滝こいのぼり」の文字。皆テンションMAXで写真を撮りまくった。

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鯉のぼり

 宿泊:湯之尾温泉 ガラッパ荘

 17:30ガラッパ荘の玄関では河童の像に出迎えられ、自転車ごと部屋に入る。1階の大部屋の壁に自転車を立てかけさせてもらい、女子は2階へ。建物はお世辞にもきれいとは言えないが、廊下の木のテーブルや階段の踊り場にある年代物の箪笥や小物は、小奇麗に手入れされている。部屋に入ると、かなり年季が入った民宿部屋の印象。左に簡易ベッドが1つ、床に1組の布団が敷かれている。そして、何やら良い香りが・・・。その部屋の風貌からは、とても想像できない香りだ。なんと、部屋の片隅でお香が焚かれているではないか。ローズアロマの香り。女子部屋だ。廊下の壁には、「相田みつを」を思わせる字体で「おかげさま」精神が掲げられていた。なるほど、そういうことか。いたる所で女将の心遣いが感じられる宿である。

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自転車ごと入る

*第2位 焼酎でごわす
 1階よりさらに下に下りると、温泉だ。ここも、かなり年季が入った佇まいである。カランからは水が出ない。熱い湯が出るのみである。どうやら近くの人も温泉に入りに来るようである。皆、水の出ない中どうやって入っているのか不思議に思うNJ であった。
 待望の夕食は、隣接する居酒屋兼食堂で食べるらしい。テーブルの上は料理で埋め尽くされている。もずく酢、刺身、ハンバーグ、筍炒め、ちくわ、手羽先、筍すまし汁、ご飯。さすが居酒屋、どの料理もうまい。特に、筍すまし汁は絶品だ。しかも、焼酎を頼むと「昨日開けたから」と、高級焼酎「伊佐美」を1合300円で提供してくれる太っ腹。しかし、どうしても日本酒が諦められない野田兄、恐る恐る日本酒を注文。女将いわく「日本酒??あるかしら・・・。」やはり、鹿児島では誰も日本酒は飲まないのである。それでも、奇跡的に冷蔵庫の奥から日本酒が2本出てきた。さすがである。いつ仕入れた酒かは問うまい。

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夕食

*第1位 講釈師、野田兄2
 客は、我ら以外はいない。そのうち、向こうのテーブルでは女将とご主人、姉妹そして子どもも加わってビールを片手に夕食が始まった。なんとも、ゆるくてホンワカした宿である。
 ほぼ放置プレー状態の一行だったが、「伊佐美」とまさかの日本酒に皆上機嫌。話が盛り上がる。朝ドラ「なつぞら」には歴代ヒロインが出てくるだの、大河ドラマ「いだてん」のビートたけしは何を言っているのか聞き取れない、ピエール瀧は適役だったのに・・・、そして話題はいつしか、営業マンたるものは朝ドラと大河ドラマは見るべし論になっていくのであった。野田兄講釈師によれば、商談の成功の秘訣は、まず朝ドラと大河ドラマの無駄話で会話をはずませ、その中にちょっとだけ商談話を入れることらしい。その技が功を奏したのかはわからないが、I氏から銑鉄をS社からK社に替えてもらったらしい。優しいダズ氏は、頷きながら聴いていた。
 部屋に戻り、布団に入る。枕カバーや布団カバーから洗剤の香りがする。これまで、多くの宿で「これ、いつ換えたシーツ?枕カバーも付いたままだよね。」状態の布団を経験してきたNJは、「おかげさま」精神が行き届いたおもてなしに感激しつつ眠りにつくのであった。


【宮村コメント】鹿児島市は、かつて、仕事で枕崎(製品原料となるかつお節関連)へ行く途中に立ち寄ったことあるが、印象が薄かった。だが、今回、奥深さを感じた。また訪れて時間をかけて回ってみたい。宿泊地の湯之尾温泉は、何もなさそうなところに、急に、幅が広い滝(湯之尾滝)とこいのぼりが出現し、感動した。
 施設を整備すれば、もっとお客さん来そうな? “伊佐美”をご相伴し、芋焼酎っておいしいと思った。
【那珂コメント】早朝散策で城山展望台に上がると、老人会の方々が大勢で占拠してラジオ体操。老人パワーに圧倒された。
【浦野コメント】早朝の市内ポタリングで鹿児島城跡、城山展望台、西郷隆盛終焉の地等を見学。維新ふるさと館へ行くため午前中は本隊と別行動。明治維新に関する人形劇など面白かったが、時間がなくなり仙巌園・尚古集成館は寄れずじまい。九州で新たな宿題ができてしまった。
【DAZコメント】有名な観光地を離れた後も、途中休憩した大隅横川駅の木造駅舎のたたずまいや、宿を探しまわっているとき急に現れた湯之尾滝と鯉のぼりの景色、ガラッパ荘のおおらかで温かみのあるサービスなど、楽しさ満載の一日だった。
【野田コメント】*仙厳園は広かった* 東横インを8時過ぎに出発して、浦野は別行動。本隊はまずJR鹿児島駅北西にある南洲(なんしゅう)神社に寄って宮村さんと恒例になった神社参り。ここは西南戦争で亡くなった薩摩軍士を祀ってあり、せごどんのお墓もあった。丁寧にお参りしたあと戦没者一覧プレートを見ていたら、嫁の旧姓である久永さんの名を発見してプチびっくり。義父は鹿児島出身なので、多分親戚の方なのだろう。殉職を偲ぶ。今日の目玉である仙厳園には9時過ぎに着いて、まずは隣にある鶴嶺神社をお参り。ここ仙厳園は、桜島と錦江湾を一望できる高台にあり、島津藩の別邸として借景技法を用いた庭園が有名。筆者も見ていたが、NHKの「西郷どん」のロケ地でもあり、ここにあの北川景子さんもいたと思うとドキドキする。この周辺には、幕末に斉彬公が近代化事業として立ち上げた、欧州式製鉄所としての反射炉やガラス工房などがある。残念ながら反射炉は基礎部分しか残存してなかったが、ガラス工房では薩摩切子(きりこ)という伝統ガラス品を実際に製造していた。メチャ輝いていて綺麗なので買いたかったが、コップでも1万円以上、お皿になると数万円もするので諦める。結局、神社から、反射炉跡、仙厳園、機械工場、ガラス工房など一通り巡ったら、2時間半も経ってしまった…。
 *丸池湧水はメチャきれいだった* 仙厳園から宿のガラッパ荘まではまだ60kmもあるのに、もうお昼だ。桜島を右に見ながら錦江湾沿いを北上すると、鹿児島市から姶良(あいら)市に入る。加治木の辺りにあった薩摩ラーメン屋で昼食を済ませ、内陸部に入ったあたりで浦野が合流。7人が揃ったところで、3時間ひたすら北上して湧水という町に入ると、名水100選のひとつである丸池湧水というのがあったので立ち寄ることにしたのだが、これが大正解。人造公園だが霧島山系から湧き出た透き通った清水が溜まった池に小魚がたくさんいて、飲むこともできる。16時から30分ほど寛いでから10キロほどさきにある宿を目指す。
 *ガラッパ荘は素晴らしかった* 宿近くまで来ると、突然ナイアガラ瀑布を思わせるような音(行ったことないけど)がして川幅いっぱいに広がる滝とこいのぼりが!プチ感動。みんなでスナップ写真を撮り合い、目の前にあった宿へ。ガラッパとは河童のことらしく、玄関には河童がいっぱい。宿の人もメチャ親切でチャリは大部屋に入れてくれた。温泉は内風呂と露天風呂があり、露天の方は家族風呂方式。内風呂に入って夕食は18時半から宿内にある居酒屋で、生ビールでかんぱーい。


Photo, Click to Popup 8日目:5/4(土) 湯之尾温泉→球磨川温泉  (95km/831m)  晴れのち曇り
 メンバ:野田、那珂、宮村、野田潤、DAZ、アコ、(離脱)浦野
 (那珂記:2019/7/21)

*朝早起き
 まずは夕べパスした露天風呂へ。出発前のひと時、宿の女将さんに宿名の由来を尋ねると、このあたりの河童伝説に因んで方言のガラッパ(河童)と名付けたという。川向いには河童の公園があるが、そこには佐賀県から嫁入りしてきた「みずえちゃん」という河童も居るらしい。出発間際になって露天風呂の存在に気付いたアコ氏は「まだ入ってなーい!」と速攻でひとっ風呂。

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出発前の露天風呂(クリックで別写真)
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宿出発(クリックで別写真)

*8時に出発
 まずは教えてもらった公園に。なるほどこの地の主と思わせるカッパ大王と、少し離れて控えめそうなみずえちゃんが座している。他にも大小様々な河童たちがいて、毎年増えているのかな?奥に進むと子供用の遊具がいくつかある。ターザンロープとかトンネルの滑り台、うんていなどなど、それぞれに童心に帰って無邪気に遊ぶ。が、人知れず体を痛めて唸ってた人も・・・。風呂上がりでのぼせてた?

<補足>このカッパが棲むのは川内(せんだい)川という川だが、6/30NHKの「小さな旅」という番組で、蛍の乱舞がすごいということで紹介されていた。ネットで調べると場所はガラッパ公園から10km程下流で、今年は5/15~6/1の期間、船で川を下りながら楽しむことができたようだ。
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ガラッパ公園(クリックで別写真) | 公園の遊具

*9時近くに再出発
 川沿いに土手の道を気持ちよく進む。川を離れて伊佐市に向かおうというところで見事なレンゲ畑が出現し一休み。ここで潤子さんのバイク、変速用のアウターワイヤが裂けてインナーワイヤがはみ出していて、まともに変速できないという。今朝宿で自転車を出す時にちょっと危ないかなと思ったが、やはり耐え切れなかったようだ。針金を巻き付けて応急修理すると、意外と大丈夫そうで良かった。フロントバッグとの干渉が原因なので、金沢に帰ったらショップでワイヤー交換してもらう時にバナナを付けてもらうといいね。
 このあとしばし女性二人をモデルに撮影会とする。我ながらいい写真が撮れたと自画自賛。ところでなんでレンゲを栽培するか?宮村さんの講義を聴いた人は周知のことであるがここでおさらい。レンゲの根にはこぶ状の根粒があり、そこに居る根粒菌が空気中の窒素を使って肥料の元を作ってくれるという。(ネットでもう少し調べると、花が咲いているのは田植え前の田んぼで、花が咲いているうちに土に鋤(す)きこむことで水稲の肥料になるとのこと。)

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花&花

*9:45
 R267の久七峠にむけて走り始めたが、野田ナビがまさかのコースミスで、逆方向に走っていた。峠はトンネルと旧道があるが、11時頃分岐点に到着ししばし休憩。道路わきから少し降りると小さな滝壺に木々の間から陽が射して青くきれいに光っている。ここで野田はきれいな写真を残している。サンダル履きの強みで水に入って行き、いいアングルを探した成果という。

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*11:20
 ここから野田は迷いなくトンネルへ。残り6人は車の来ない静かな旧道へと進む。12時頃には峠に着き、皆カメラに向けて自然と溢れ出る喜びを全身で表す。

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久七峠・・・喜びの舞

*12:30
 トンネルの出口で待っていた野田と合流し、人吉に向かって下る。市街地に入ると店が混みそうということで、途中にあったラーメン屋で昼食とする。食後は個別に支払って店を出たものの、さあ出発という時に店の人が出てきて「お代まだ残ってるんですけどー」。野田さんまさかの無銭飲食!?
*14:00
 無事支払いを済ませて出発するとすぐに人吉市街に入り、青井阿蘇神社に参拝。宮村さんと野田は恒例の御朱印。

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青井阿蘇神社

*14:35
 このあとは球磨川沿いに、ところどころでラフティングボートを横目に少しずつ下っていく。
*15:55
 そろそろトイレ休憩と思い、並行する肥薩線の駅にいくつか立ち寄るが、良い駅が無いまま球泉洞駅まで来てしまった。ただ、ここもトイレ無しの上、対岸の球泉洞に渡る吊り橋も立ち入り禁止。まあ時間も時間なので球泉洞は諦めることとする。ただ、浦野はこの近くにある道の駅に車を停めてあり、そこでツアー終了なので球泉洞を見て行くという。少し先の分岐でお別れ。

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浦野とお別れ

*16:15
 次の白石駅には木造の駅舎があって、いかにもトイレありそうと期待して散策するものの、ホームに「百年の駅 白石駅」という立派な看板はあるがトイレの看板は無い。しばらくするとDAZが戻ってきて、隣の2階建てプレハブの外階段を上がるとトイレがあったという。鉄道の施設管理事務所っぽい感じ。皆順番にお世話になる。

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白石駅・・・トイレはどこ~

*17:15
 素掘りのトンネル抜けると間もなく隊が停止。珍しい木造3階建ての古民家での写真撮影かと思いきや、ここが今日の宿「鶴の湯旅館」。
 宿泊:鶴の湯旅館

 出てきた宿の主人は作務衣姿の若いお兄さん。風呂は入れないので近くの温泉センターに送迎するという。昨日までは合宿(?)の高校生を受け入れていたらしいが、今日は宿の前に黒塗りのベンツが一台あるだけ。なのにどうして風呂に入れてもらえないのか?その筋の人からの圧力か?などと疑惑を膨らませつつお兄さんの車に2回に分乗して送迎してもらう。

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宿に到着 | 部屋

 この後宿のお兄さんから聞いた話にweb情報を合わせて真相を記すと、元々この宿は1954年創業で、当時は荒瀬ダム湖のおかげで賑わったが、2002年にダム撤去(国内初)が決まると客が遠のき休業した。その後、清流が戻った球磨川の魅力を伝えたいという想いから宿の若主人が2016年に旅館を再開したが、休業中に改装した風呂は家族用のみなので泊まり客は温泉センターに連れて行っているとのこと。
 宿に戻り、窓を開け放った2階の縁側から黄昏迫る球磨川を眺めていると、時折そよぐ風が実に気持ち良い。ここでカワセミでも現れてくれれば最高であったが、何しろこの宿の雰囲気の中、静かで贅沢なひと時を過ごすことができた。お楽しみの夕食は、塩トマトや裏山で採ってきた山菜、天然アユなど、こだわりの食材を用いた料理が並ぶ。
 お兄さんの話では、今、熊本高専や熊本県立大学の協力で鶴之湯旅館再生プロジェクトが始まろうとしているという(以下URL参照)。宿泊者用の風呂もこのプロジェクト中で計画し、来年には完成するらしい。このお兄さん、他にも様々な人たちと交流を持って精力的に再生を目指しているようで、陰ながら応援したい。
https://kumamoto-nct.ac.jp/update/2019/05/20190522a/
https://ja-jp.facebook.com/kumagawaonsen.tsurunoyu/

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特別展示・・・翌朝の散歩で見つけたホオジロ(宮村先生に教えて頂いた)

【宮村コメント】湯之尾に、こんなところに!と思うほど、大きな堰(湯之尾堰)があった。つい最近まで、このあたりは、川内川によって、恵み以上に、とても危険な目に遭わされていたのだろう(ガラッパ(河童のこと)が守り神?)。
 久七峠では、皆さん動物に会ったようだが、私は出会いがなく残念。浦野くんとは球泉洞への分岐でお別れ、今回もエネルギッシュだった。この日泊まった鶴之湯旅館もまた訪れてみたい。
 夕食は、主人の気持ちがこもった、ウド、雪ノ下、古参竹、コノシロ(酢締めして焼き)、球磨川天然鮎の塩焼き、それに米焼酎“萬緑”。
【浦野コメント】自分としては最終日。6日前にスルーした人吉・青井阿蘇神社が国宝だったとは知らなかった。夕方、本隊と別れ一人で球泉洞へ。時間が足りず一般コースを見学したがお薦めは長靴やヘルメットを借りる探検コースとのこと。また、宿題が増えてしまった。
 車をデポした道の駅大野温泉で汗を流した後、2日弱かけて帰京した。今年のツアーでは本隊と別行動をとること数回。気ままに行動させてもらったこと、深謝。幹事の野田さん、皆さん、お疲れ様でした。
【DAZコメント】ガラッパ公園で肩を痛めたのはアコです。久七峠の登りでは、山側の斜面にいたイノシシが音をたてて走り去るのを目撃!さらに、イタチのような小動物も見られました。球泉洞はまたいつか訪れたい。球磨川沿いの道は自然豊かで気持ち良かった。宿はとてもすてきな古民家で、お兄さんが頑張っていて良かった。
【野田コメント】宮村さんも触れているが、この地区は毎年のように川内川の増水に悩まされていたが、湯之尾滝をカットする幅広のバイパス河川を掘って下流側に堰堤を建設したことによって、通常は堰堤を閉めておけば、滝の方に水を廻すことができて壮大な自然の滝が見れるし、増水時は堰堤の門を開放して水量調整すれば、滝が氾濫することはない。ダム建設は反対だが、このような工事は大歓迎だ。


Photo, Click to Popup 9日目:5/5(日) 球磨川温泉→熊本空港→肥後大津  (82km/611m)  晴れ
 メンバ:野田、那珂、宮村、野田潤、(離脱)DAZ、アコ
 (野田記:2020/1/21)

*荒瀬ダムが撤去されて球磨川の水はきれになった!
 おいしいごはんの朝食を頂き、レトロな鶴之湯温泉をバックに宿のお兄さんにも入ってもらって記念撮影。球磨川沿いにちょっとくだると、荒瀬ダムの看板はあるもダムはない。案内板を読むと、電力確保の意味合いが弱くなり、地元住民の清流球磨川再生要望を行政が受けて、2012年から6年かけてダムを撤去したとのこと。ダムは濁った水を貯めて遥か下流にある発電設備まで送ってから川に放流するため、下流の水は濁る。また、雨が降ると水流が増して川底にこびりついた汚泥を洗い流してくれるが、ダムは水量調整をするため、いつまでも川は汚いまま。日本の1級河川のほとんどは上流にダムがあるが、その治水と発電効果は今や必要なのだろうか。他の町でもダム撤去活動が進むことを切に願う。

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宿の朝

*予約したはずのホテルが…事件
 きれいになった球磨川の清流を眺めながら進み、宿のお兄さんが薦めてくれた線路沿いの小道に入る。車は通れないがチャリは通れて気分のいい道だ。八代の町に入ると大きい神社があったので、立ち寄ってお参りする。ここからも国道を避けて水路沿いの道を選択したが、これも大正解。しかし、途中の分岐で後ろを振り返ると那珂がいない!どっかではぐれてしまったか、と思ったが、暫く待ってたら来たものの、誰かと電話している。今回ツアー初日に野田が連絡した、玉名在住の中田から電話が那珂にあり、そのため遅れたらしい。中田曰く、「今日は用事があって会えないが代わりに、野田から聞いていたホテルに差し入れを持って来たら、予約がなく困惑して電話した。」とのこと。佐多岬のミスの再現か?と脳裏をかすめたが、ホテルへ電話すると、予約はないが4人分の部屋は確保できるとのことで、取りあえずほっとする。「じゃあ、自分はどこのホテルを予約したのだろう?」、と云うことになり、ホテルの姉ちゃんに聞くと、「熊本駅前にもルートインがあるので、そこでは?」と云うので確認してもらったら、ビンゴ!。ということでそっちをキャンセルして1件落着た。でも当日なのでキャンセル代がかかると云われたが、同じルートインに泊まるからと泣き付き、許してもらった。中田のおかげで事前にミスが判明し、ほんま良かった。中田を始め、皆さん大変お騒がせしてすみませんでした。

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線路沿いの小道

*たばこ畑と石積アーチ橋
 氷川きよしのふるさとである?氷川町辺りから、県道32号の田舎道に入り、更に北上して1時間半ほど走ると、市木橋という石造アーチ橋があるらしいので、横道に入る。するとそこは、鮮やかな緑の大きな葉っぱが広がる一面の畑で、見たことない小型農機に二人が座って何かしている・道傍にいたおじさんに聞いてみると、たばこ畑で、その二人は収穫ではなく枝葉を剪定しているとのこと。更にそのおじさんは、今から市木橋へ行く話をすると、あの橋は工法が珍しいから、と教えてくれた。その通り、橋の案内板を見ると、「土台なしに両サイドから石を積みながら中央にせり出させ最後に石桁を渡すという技法」と書いてある。通常のアーチ橋は木枠台の上に石を積んでいき中央まで来たら枠を抜くという手法なので、確かに珍しかった。なので、橋の上に黒のグラサンとマスクで顔を隠す怪しげなNJ氏を立たせて記念撮影。

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市木橋

*ソフトクリームとNJ
 田舎道に突然現れたアグリパーク豊野という野菜直販の道の駅風に立ち寄ったら、「農家バイキングあぶみ野」というお店があり、高かったら止めようと思ったが、なんと¥1200で食べ放題。ツアー終盤に入っている我々6人の胃袋は既に胃拡張になっているので当然のごとく入店。肉料理、魚料理、野菜の天ぷら、うどん、カレーなど全てを食べ尽くしてお腹いっぱいになったところで、ソフトが大好物のみんなは締めのカップソフトクリームへ。ここでも食べる時はメチャ食べる大食いのNJはなんと3杯もソフトをお替わりしていた!

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食べ放題

*熊本空港へ
 13時半にレストランを出発。空港までは約30km。最短コースを選択しながらひたすら北上するも、空港手前の上りは想定外で大変だった。あとで地図を見たら空港の標高は200mもあり、ほぼ200mのアップだった。ダズアコ夫妻の空港での時間を長く確保するため、必死にこいで空港には16時前に何とか着く。お二人とはこの空港でお別れ。HUCCの関西OB会旗を前に記念撮影して、今回のGWランミッションはここ熊本空港で完了。残った4人は近くの肥後大津駅前にあるルートインへ。そこには中田氏からの差し入れとして、大きなみかん(ザボン?ボンタン?)が4個と日本酒1本。中田くん、いろいろとありがとう。夜は「前川水軍」という海鮮、肉なんでもありの居酒屋でツアーの打ち上げとなりました。
 宿泊:ルートイン阿蘇熊本空港駅前


【DAZコメント】本日の夜に熊本空港から一足先に帰る予定を組んだために、だいぶコースに影響してしまいすみませんでした。益城町周辺では地震の影響を受けた箇所も多々有った。空港へのアプローチは予想以上にきつい登りと凄い交通量が続き、しんどい道でしたが、皆さんのおかげでゆとりを持って16時に到着できました。ありがとうございました。
今回は4月にぎっくり腰をして不安があったのですが無事に走ることができて良かったです、10年後も皆さんのように元気に走っていたい!というのが走り終えた後の感想です。
【宮村コメント】先導の野田くんが、交通量少ないところを選び走行してくれた。野田くんご苦労さま。最後、熊本空港まで予想以上の登り、野田くんご苦労さま。DAZ・アコ夫妻、今回も楽しかったです。
【那珂コメント】熊本空港に向かう途中、中田君より電話。夜は都合つかないので、ホテルに差し入れを預けてくれるという。ここで野田氏の名前では予約が入っていないとかで心配されたが、無事予約はとれることになった。差し入れは夕食後、ありがたく頂きました。


10日目:5/6(月) 肥後大津→熊本駅= (25km/35m) 晴れ
 メンバ:野田、野田潤、(離脱)那珂、宮村
 (野田記:2020/1/21)

 宮村氏はJRで、那珂氏は飛行機で帰京するので、7時過ぎにご両人を見送りしたあと、NJと筆者は朝食後9時頃熊本駅に向けて最後のラン。10時半前には駅に無事とうちゃこお!まだまだ旅を続けたい気持ちでいっぱいだが、九州新幹線に乗って、筆者は神戸へ、NJは金沢へと帰っていきました。


【宮村コメント】野田くん&潤子さん、早朝にもかかわらず、肥後大津駅で那珂くん&宮村を見送ってくれてありがとう。那珂くん、全行程ごいっしょできて楽しく心強かったです。野田くん計画&ほぼ先導ありがとう。


<おわりに>(野田記:2020/1/21)
 まずは全員無事に完走できたことに対して、鵜戸神宮を始め佐多岬の御崎神社や開聞の枚聞神社など今回お参りさせて頂いた、全ての神様に感謝の意を申し上げます。ありがとうございました。さて、今回のGWツアーもハプニングや事件が多々ありましたねえ。ここに筆者の記憶に残る事件ベストテンと印象に残るベストテンを発表しまして、最後の挨拶とさせていただきます。なおハプニングの詳細は本文をご参照ください。


【第10位】あわや無銭飲食事件
【第9位】野菜てんこもり事件
【第8位】インナーワイヤーはみだし事件
【第7位】カップソフトお替わりし過ぎ事件
【第6位】枚聞神社の御朱印事件
【第5位】ソルティライチ勘違い事件
【第4位】傘&スペアタイヤ紛失事件
【第3位】カメラコンビニ忘れ事件
【第2位】ホテル予約勘違い事件
【第1位】「民宿なぎさ」がないない事件

●印象ベストテン
【第10位】怪しげな黒づくめで現るNJ氏
【第9位】グロテスクだけど美味しい亀の手
【第8位】丸池湧水群のお魚たち
【第7位】鵜戸神宮の運玉投げ
【第6位】知覧茶の茶畑風景
【第5位】釜蓋神社のかまふた願掛けかぶり(行ってみたかった)
【第4位】タツノオトシゴ館(行ってみたかった)
【第3位】仙厳園から望む桜島と錦江湾
【第2位】頑張ってほしいレトロな鶴之湯温泉
【第1位】ガラッパ荘の壮大瀑布ともろもろ

関連リンク:
 2015年GW 九州ツアー報告
 1999年 GW 九州ツアー
 '94 GW_南九州ツアー
 陽子と4人の九州横断ツアー